ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ドボプロでコバケンの古希を祝う演奏会

2010-05-31 11:16:57 | 日本フィル
一昨々日(28日)、サントリーホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団の第620回東京定期演奏会に行ってきた。指揮は桂冠指揮者に就任した小林研一郎。チェロはジャン・ワン(王健)。

【演目】(※アンコール曲)
ドヴォルジャーク/「チェロ協奏曲
※中国古謡/二泉映月
  ~休 憩~
ドヴォルジャーク/交響曲第8番
※ドヴォルジャーク/交響曲第8番第4楽章から最後の40秒
《19時00分開演、20時55分終演》

コバケンこと小林研一郎は今年古希(70歳)になった。外国人指揮者で70歳というのは今や当たり前の世界だが、これが日本人指揮者となる超ベテランの域に入ってします。コバケンより年上の有名指揮者といえば小沢征爾ぐらいだろうか。

1曲目。詳しいことよく解らないが、ジャン・ワンのチェロの弦の張りはかなりタイト。そのためか、高音の響きに時に擬音のような混じりを感じる。しかしながら、逆に低音の伸びはこれまで聴いたことがないような健やかにして明るい音色が響く。朗々と弾くドボコンの主題は常に抜群の音色を聴かせてくれる。

そして、このドボコンといえば木管のサポートである。ホルン(福川伸陽)とフルート(真鍋恵子)の二人のチェロを引き立たせる音色は素晴らしい。これまでに何度もこの協奏曲を聴いてきたが、これほど目立たず(いや目立っているか w)チェロを盛り上げた木管の音色は聴いたことがない。若い二人にブラヴィー!

2曲目。いつものコバケンより抑制がきいた指揮だった。それはコバケンがチェコやハンガリーなどの曲に対する解析力の高さと深さなのだろうか。トレードマークの唸り声もあまり立てない。そして、オケはコバケンの桂冠指揮者就任と古希を祝うかのように、軽快にそして高らかにドボ8のリズムを奏でていく。なかでも、トランペット(オッタビアーノ・クリストーフォリ)がリードする金管陣が生き生きとしている。

普段のコバケンが指揮をするときの日本フィルはある種「お客様は神様です」みたいな少し遜ったような感じがするが、この日は逆に聴衆と共にコバケンを祝おうとうするような盛り上げようとする演奏をした。いつもとはちょっと違った日本フィルのアットホームな演奏会だった。

ファビオ・ルイージ & ウィーン響(初日公演)

2010-05-26 11:54:38 | 海外オーケストラ
昨日(25日)、サントリーホールで開かれたウィーン交響楽団の初日公演を聴きに行ってきた。指揮はファビオ・ルイージ。

ファビオ・ルイージは2005年にウィーン響の首席指揮者に就任。2007年から今年までザクセン州立歌劇場およびシュターツカペレ・ドレスデンの音楽監督を務めた。そして、2010年夏より札幌のPMF芸術監督に就任。また2011年秋からはNYのメトロポリタン歌劇場の首席客演指揮者に就任予定。このポジションに就く指揮者は1998年~2008年に任期にあったワレリー・ゲルギエフ以来2人目。これに加えて、2012年からはチューリッヒ歌劇場音楽監督に就任予定。超売れっ子である。もうN響を指揮することはないのだろうか。

【演目】(※はアンコール曲)
ブラームス/交響曲第2番
  ~休 憩~
ブラームス/交響曲第1番
※J.シュトラウス2世/ピチカート・ポルカ
※J.シュトラウス2世/ポルカ・シュネル「雷鳴と稲妻」
※J.シュトラウス2世/ワルツ「ウィーン気質」
《19時00分開演、21時25分終演》

珍しいオーケストラの配置ではなかろうか。ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラは通常配置だが、コントラバスはセンター後方(P席真下)に8台並ぶ。木管は通常配置だが、その後方、コントラバスとの間にトロンボーンとチューボがくる。トランペットはそれより下手(左)側に座る。そして、ホルンはオーボエの横(上手側)に並ぶ。ティンパニーは下手奥、ヴァイオリンの後に陣取る。

1曲目。冒頭からファビオ・ルイージの指揮はトップギア。それは「日本の聴衆は甘くないぞ。東京には10以上のプロオケがあり、100以上のアマオケがあるのだから、耳は肥えているぞ」と言わんばかりにオケを思いっきり煽る。しかしながら、時差ボケなのであろうか木管陣は寝ているようであった。眠そうな顔をしていたり、譜面を覗きんこんだりとせわしなかった。私はあまり個人攻撃となる酷評は書かない方だが、今回だけは書かせてもらう。首席オーボエ奏者よ「顔を洗って出直してこい!」。

一方、弦は素晴らしい。ヴァイオリンのアンサンブルはお見事である。特に弱音の音色は美しい。その音色はヨーロッパのオケの音色というよりも日本のオケに似ている。繊細にしてナイーブな輝きをもっているのだ。

2曲目。ここでも一部の木管陣は寝ているようだった。首席オーボエ奏者は第4楽章になると、もう楽器に八つ当たりするかのように、楽器のサイドから息を吹きかけたりしている。ここまでくると滑稽である。コンマス(アントン・ソロコフ)や首席フルートがせっかく目をさましてくれるような音色だしてくれたのに、1本の楽器のために全体としては残念ながら満足のいく音色を聴くことができなかった。

ここまでが2時間のブラームス・プログラム。そして、アンコールは20分にもおよぶヨハン・シュトラウス・プログラム。木管にあまり負担がかからない弦主体のヨハン・シュトラウスの曲を3曲も演奏するとは完全な反則技。弦の美しい音色に酔いしれざるをえなかった。

なお、ウィーン響のツアーは26日が大阪ザ・シンフォニーホール、27日が福岡シンフォニーホール、29日が愛知県立芸術劇場、30日と6月1日がサントリーホール、2日(水)がアクトシティ浜松で開かれる。ただ、27日、30日は完売。他の公演も残席僅少のようである。

テミルカーノフと読響の信頼関係

2010-05-24 12:37:45 | 読響
昨日(23日)、サントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第526回名曲シリーズ演奏会を聴きに行ってきた。指揮はユーリ・テミルカーノフ。

【演目】
プロコフィエフ/交響曲第5番変ロ長調
  ~休 憩~
エルガー/創作主題による変奏曲「エニグマ」
《18時00分開演、19時45分終演》

1曲目。先日のショスタコーヴィッチの「レニングラード」があまりにも凄かったので、この日はもうあんなことはないだろうと気楽な気持ちで聴きに行ったが、プロコフィエフは素晴らしかった。とにかくテミルカーノフが振るとオケが全然違う。あのいつも剛直な読響の弦がとても柔和でしなやか。それでいて、ロシアというかソビエトの社会主義リアリズム的威厳を忘れることがないような頑固さもうまく表現している。見事な45分余の演奏だった。

第1楽章。ソナタ形式のアンダンテ(歩く速さで)。弦を主体とした主題が繰り返されるなか、時おり静けさを少し破るかのようなトランペットやホルンが響き、陰影のある世界を描きだしていく。テミルカーノフはオケ全体を包み込むように指揮をしていく。

第2楽章。アレグロ・マルカート(快速にしっかりと)。プロコフィエフ特有の快活のなかにも気怠さが入るアップテンポな旋律が続く。このデカタンス的な心地良さを読響の弦はこれまで聴いたことのないような柔らかさで表現する。

第3楽章。アダージョ(ゆっくりと)。重厚にして高貴な旋律が続く。ここも第2楽章同様に弦が滑らかにして流麗な音色を奏でる。

第4楽章。アレグロ・ジョコーゾ(快速に楽しく)。クラリネットやヴィオラが奏でる主題を主体に快活にして華麗に描いていく。なかでもフルート(一戸敦)が優美な音色を奏でる。そして、最後はリズミカルにして荘厳な終曲をビシッと決めた。ブラボー!

終演後前半の1曲目なのに、オケのメンバーが2回も指揮者に対して敬意の拍手を送った。このような光景を観たのは初めてである。それだけ充実した演奏をしたという証しなのであろうが、それにしてもちょっと異例である。

2曲目。この曲は14の変奏曲で構成されているが、その1曲1曲をテミルカーノフはまるで先生が生徒にレッスンをするかのように自在に指揮をしていく。読響のメンバーには大変失礼かもしれないが、公開リハーサルを観ている思いだった。

終演後、テミルカーノフはコンマス(藤原浜雄)を引き連れてサッさと引き上げてしまったが、なんで読響のメンバーはこの1ヶ月お世話になったテミルカーノフに舞台上で感謝の花束を送らないのだろうかと思った。サントリーホールが最後の日だったのだから、サントリーに頼んで「青いバラ」(サントリーフラワーズが開発した)でも贈ればテミルカーノフのは驚いたかもしれないのに・・・。w

いずれにしろ、読響は向こう3年いや5年は毎年1ヶ月はテミルカーノフに指揮を委託するべきであろう。それは観客だけでなく楽団員も望んでいるように思えた。

大野和士&都響の「マンフレッド」

2010-05-21 14:43:46 | 都響
昨日(20日)、サントリーホールで開かれた東京都交響楽団の第698回定期演奏会に行ってきた。指揮は大野和士。打楽器は中村功。チケットは完売。

【演目】
シューマン/「マンフレッド」序曲
細川俊夫/打楽器協奏曲「旅人」
  ~休 憩~
チャイコフスキー/マンフレッド交響曲
《19時00分開演、21時20分終演》

開演前に「拍手は指揮者がタクトを完全に下ろしてからお願いします」というアナウンスが流れる。こういうアナウンスは初めて聞いた。都響の配慮だろうか、それとも大野和士からのお願いだろうか。いずれにしても、他のオケでも見習ってほしい。と同時に、こうした主旨のポスターをコンサートホールに掲示するなり、プログラムにも明記してもらいたい。

1曲目。舞台はフラット状態、ヴァイオリンは両翼配置。そのせいかヴィオラの音色が弱く感じるものの、金管と弦は見事に溶け合っていて、シンコペーションのリズム部分も絶妙なアクセントになっていて、シューマン特有のちょっと屈折した情緒感を聴きとれた。ただ、アナウンスにもかかわらずいきなりフラインング拍手が起きたのには呆れた。

2曲目。舞台センター少し下手側に独奏者のための打楽器が配置される。タムタムとコンガをメインに置き、その他に大太鼓、スネア、トムトム、ボンゴ、トライアングル、タンブリン、ペダル太鼓、風鈴などなどありとあらゆる打楽器がセットされる。

曲は打楽器と主に金管を組み合わせた30分近い現代音楽。金管は2階席3カ所にも単独でトランペット(上手下手に各1台)とトロンボーン(後方)が配置され、ホール全体を包み込むような音色を作りあげていく。

実はこの日の午前中、私は親戚の葬式(告別式)に参列して出棺までいたので、曲の最後に独奏者の中村功が鈴を鳴らして、お遍路さんのように客席に降りて会場の外へ出てくのも見ると、これは「旅人」の一生を打楽器に託した曲なんだなぁ、という考えが落着した。苦言として、風鈴を鳴らすときに「ふーっ」という息の音の方が大きく、風鈴の音色がうまく伝わってこない。演奏するのは大変だろうが、あれは時にはウチワで扇いだほうが風流でいいのではないかと思う。

3曲目。舞台を雛壇形式にして、ヴァイオリンは通常配置。第1楽章はファゴットとバスクラリネットの合奏で静かにはじまる。そして、トランペットとホルンによる掛け合いが始まる頃より、いくつかの主題が表れてきて曲全体が高揚していく。大野は精微に各セクションに指示を送るものの、決してオケを煽るようなことはなく、淡々と「マンフレッド」というドラマを音楽として表現していく。

第2楽章は弦を主体にしたスケルツォでつつがなく奏でられ、第3楽章は冒頭のオーボエが美しい。そして、最終楽章では前半は第1楽章と第2楽章を組み合わせたような構成になるものの、パイプオルガンの流麗な音色な響きわたってから、オケ全体のエネルギーが集結していき、最後は美し調べと共に終曲していく。

大野はチャイコフスキーがもつメロディメーカーとしての資質を華麗にかつ優雅に描きあげた。オケも決して力むことなく、独自のしっかりしたスタンスをもって音を響かせていたと思う。大野和士と都響の関係は丁々発止の刺激的ではないにせよ、複雑な化学変化を起こしそうな面白い関係を築きそうである。その意味でも来年以降の再登場を切に願いたい。

尾高忠明&N響のブル7

2010-05-15 16:36:58 | N響
昨日(14日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1674回定期公演に行ってきた。指揮は尾高忠明。ヴァイオリンは堀正文.

【演目】
武満 徹/ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に(1987)
  ~休 憩~
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調(ハース版)
《19時00分開演、20時45分終演》

1曲目。小編成の弦楽にヴァイオリン・ソロが付くという10分余りの曲。デッドなNHKホールの音響を感じさせず、弦楽がいかにもタケミツらしい重く暗い旋律を、しなやかに美しく奏でていく。目を閉じて聴いていると、なぜか日本海の風景が浮かんでしまった。

2曲目。N響のホームページとしては珍しく、公演の聴きどころ(下記参照↓)を載せていた。尾高忠明のブルックナーに対する思いがよく解る。

プログラムによると、ブルックナーはこの曲によって世界的に認知されたというが、4番とか5番を当時の人たちはどのように聴いていたのであろうか・・・。7番は第1楽章、第2楽章は素晴らしいものの、第3楽章は単なる主題の繰り返しで、音楽技法的にはさほど面白いとは思えないのだが・・・。

さて、演奏であるが、尾高忠明の指揮は理知的、かつまた端正にそしてコンパクトに音を作り上げていく。第1楽章でいきなり一部の金管がコケるのはもう諦めの境地になるが、ヴィオラとチェロの和音の響きに救われる。

第2楽章。この曲のハイライトともいうべきアダージョ。ワーグナー・チューバ(4人のうち1人は日本フィルの村中美菜)と弦楽が葬送曲のような重い主題を荘厳にして重厚に奏でていく。

第3楽章。トランペット主体のスケルツォ。演奏している方には申し訳ないが、あまりにも同じ旋律の繰り返しで快活さはなく、やはりダレてしまう。

第4楽章。ワーグナーチューバとホルンのコーラルが美しく勇壮な楽章。いくつかの主題を重ね合う複雑的な音楽なのだが、尾高はそれをうまく交通整理して、最後は爽やかに終曲の高まりを束ねる。正指揮者たる腕を発揮した見事な指揮だった。

5月定期公演聴きどころ
http://www.nhkso.or.jp/topics/information50.html

テミルカーノフ&読響の「レニングラード」

2010-05-12 11:35:16 | 読響
昨日(11日)、サントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第493回定期演奏会を聴きに行ってきた。指揮は演目の「レニングラード」こと「サンクトペテルブルク」にあるサンクトペテルブルク・フィルの音楽監督兼首席指揮者のユーリ・テミルカーノフ。これほどこの曲にふさわしい指揮者はいないかもしれない。

【演目】
ショスタコーヴィチ/交響曲第7番「レニングラード」
《19時00分開演、20時30分終演》

オケは100人以上の大編成。体が大きくない日本人オケだから舞台にはある程度の余裕があったが、これがロシアのオケだったら蟻の入る隙間もない状態になるだろう。(笑)

第1楽章 アレグレット「戦争」
30分余におよぶ演奏で、この第1楽章だけで十二分と思われるほど濃密な楽章。昔のテレビドラマ「コンバット」に出てくるような行進曲風の主題を、ラヴェルの「ボレロ」と同じように小太鼓と共に木管・金管、そして弦が奏でていき、終わる一歩手前では音の洪水状態。しかしながら、エンディングは弱音。この楽章ではテミルカーノフはあまり手振りを大きくすることなく、オケの自主性を尊重しているかのようであった。

第2楽章 モデラート「回想」
木管と弦を主体にしたスケルツォ。ただ、ここでもショスタコーヴィッチ特有の前衛的な技法が使われていて結構興味深かった。フルート(倉田優)とファッゴット(井上俊次)の音色が白眉。

第3楽章 アダージョ「祖国の広野」
ロシアの大地を表すかのような楽章。ただ、この楽章はちょっとダレる。

第4楽章 アレグロ・ノン・トロッポ「勝利」
プログラムによると「来るべき勝利」をあらわす楽章となっているが、第1楽章と同じように「戦争」をテーマにしているような楽章。全体的に煽動的かつ感情的なオーケストレーションが続き少し食傷気味になるが、それでもオケの演奏に狂いはなく、最後はもうサントリーホールの天井の反響板が落ちてくるのではないかと思うぐらいの音の洪水とういうか氾濫状態の大音響で締めくくられる。

終演後、オケが引き上げるなかも拍手は鳴りやまず、テミルカーノフは再登場。いわゆる“一般参賀”。こうした光景がスクロヴァチェフスキの退任コンサートで見られたのは解るが、一人の指揮者に贈られたのは珍しいのではないのだろうか。これは読響ファンのスクロヴァチェフスキの後任はテミルカーノフにしてほしかったという意志表示のようにも思えた。

最後に感想としては、終始懇切丁寧にそして表情豊かにオケを引率するかのように指揮をするテミルカーノフの凄さを改めて確認することができた。一方、ショスタコーヴィッチの音楽としては、第3楽章が凡庸に思えたように、やはり交響曲11番「1905年」の方が作品の完成度は高いのではないだろうか。いつかテミルカーノフで交響曲11番を聴いてみたい。

あと余談なのだが、チェロやコントラバスの低音を奏でる時に、おそらく近くのトランペットやトロンボーンの朝顔とハウリングしているのように聴こえた。そんなことを思ったのは私だけ???。

ラフマニノフはNHKホール向き!?

2010-05-10 11:07:47 | N響
一昨日(8日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1673回定期公演に行ってきた。指揮は今年から正指揮者に就任した尾高忠明。ピアノは小山実稚恵。ゲスト・コンサートマスターはブダペスト祝祭管弦楽団のヤーノシュ・セルメチ。

【演目】
ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
  ~休 憩~
ラフマニノフ/交響曲第2番ホ短調
《18時00分開演、19時55分終演》

まず最初に17時15分から行われた「開演前の室内楽」。毎年5月はチェロによる演奏。今回は岩井雅音、西山健一、藤森亮一、山内俊輔、渡邊方子による5重奏。演目は下記の通り。

 ドヴォルザーク(ニーフェント、リプケ編)「ボヘミアの森から」作品68から「森の静けさ」
 ドヴォルザーク(ニーフェント編) スラヴ舞曲作品72から第2番と作品46から第8番

ソロはお披露目の意味もあってか新入団の渡邊方子が担当。1曲目の「森の静けさ」では渡邊は少し緊張しているかのようで、顔がこわばっていたが、演奏はチェロの特性を活かして太く逞しく、そして凛々しかった。スラヴ舞曲の2曲は共に優雅にしてダイナミック。全体で約20分間の演奏だったが、これを聴かないのは明らかに損。テレビ放映しないのもおかしいぐらい。Cプロ定期を聴きに行く方はお見逃しお聴逃しのないように。

さて、1曲目。小山実稚恵は高校時代からラフマニノフのレコードを毎日のように聴いていたというラフマニノフ・マニア。尾高忠明もエルガーだけでなく、ドヴォルザークやラフマニノフを得意としている。そして、N響もこれまでに何度もラフマニノフの名演奏を行っている。

ところがである。NHKホールでの「パガニーニの主題による狂詩曲」は違和感だらけの演奏だった。なんかおかしな曲を聴いたという感じだった。というのも、三者三様の演奏を見聞きしているようで、音楽が一体化していない。これはおそらくNHKホールの音響のせいだろう。ピアノと弦のアンサンブルはマッチしているのものの、ピアノと木管や金管とはまるで時間差攻撃のような音のズレがある。楽譜を知らないでいうのもなんだか、休止符がいっぱいついているように思えてしまいった。

小山の「パガニーニの主題による狂詩曲」は2年前にミューザ川崎で、尾高&東京フィルとの素晴らしい演奏を聴いている。ところが、NHKホールだと音が完全分離していて、どこかモヤモヤした気分のまま演奏を聴いてしまった。演奏が悪いわけではない。「パガニーニの主題による狂詩曲」という曲がNHKホールに向いていないのだ、と勝手に結論づけてしまった。ただし、放送ではおそらく見事なハーモニーとなって聴けるのだろう。

2曲目。3年前にサントリーホールでプレヴィンとN響によるこの曲の演奏を聴いたときに次のようなことを書いた。

「この演奏をなんでNHKホールでやらなかったのだろうか! (中略) 観客の多くはもう60歳を軽く過ぎようとしている高齢者ばかりで、若い人はほとんどいなかった。NHKホールでやっていれば、10代、20代に聴くチャンスはあっただろう。ラフマニノフのメロディの優雅さと甘美さ、それを的確に指揮するプレヴィンの姿を若い世代に聴かせたかった。プレヴィンがどれだけラフマニノフを愛して、そして次世代に伝えたかったかを感じた演奏だった。」

尾高忠明はプレヴィンに代わってそれを実践してくれた。この日のNHKホールは若い人が多かった。カップルも目立った。完売にこそならなかったが、客席はほぼ満席。誰もがN響の名演奏を期待していたに違いない。

第1楽章。超スローにしてメローな出足。金管と木管が一緒に奏でるメローな響きも悪くない。しかしながら、なぜか弦の音色が明るい。朗らかというか、健やかな子供が森のなかで遊んでいるようなムード。ラフマニノフ特有のアンニュイでデカタンスな暗さはまるでない。え、こんな健康的なラフマニノフなんて聴いたことがない。う~ん、ちょっと意外な展開に驚かされる。

第2楽章。冒頭にホルン(5人中2人が女性)がスケルツォのメロディを轟かせる。もともと明るい楽章なのだが、今度は子供がポニーに乗って森の中から草原に出てくる感じ。う~ん、これまた変わった展開に感じる。

第3楽章。ここからが本番である。若いカップルのためのラフマニノフの甘美な世界だ。クラリネットが耽美にしてエロチックな世界へ誘う。ヴィオラやチェロの流麗なメロディが奏でていく。やっとラフマニノフらしさを感じるようになる。

第4楽章。テンポを少し上げて端正な作りになっていき音色がタイトになっていく。最後の方はうねりを上げるかのようであり、虹色のような色彩感豊かなラフマニノフを聴くことができた。ただ、全体的には明るく高らかに音を鳴らしすぎたせいか、残念ながら私の感性を揺さぶるほどではなかった。

それにしても、この曲を聴くにはNHKホールの照明は明るすぎる。照明はオケだけのスポットにして、反響板や客席のライトはもう少し落とすべきではないだろうか。ラフマニノフの曲にはそういう演出があってもいいと思う。その方が若いカップルもお年寄りのカップルも喜ぶのではないだろうか。w

5月のコンサート鑑賞予定

2010-05-01 15:09:39 | Weblog
8日 (土) NHK交響楽団@NHKホール
11日(火) 読売日本交響楽団@サントリーホール
14日(金) NHK交響楽団@NHKホール
20日(木) 東京都交響楽団@サントリーホール
23日(日) 読売日本交響楽団@サントリーホール
25日(火) ウィーン交響楽団@サントリーホール
26日(水) NHK交響楽団@サントリーホール
(都合により行けなくなりました)
28日(水) 日本フィルハーモニー交響楽団@サントリーホール

5月はN響がA定期B定期C定期と3回、読響はテミルカーノフ指揮が2回。
注目はルイージ&ウィーン響でしょうか。