ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

1年ぶりの山形交響楽団

2012-06-28 23:09:49 | 国内オーケストラ
昨日(27日)、オペラシティコンサートホールで行われた山形交響楽団特別演奏会「さくらんぼコンサート2012東京公演」へ行ってきた。指揮は音楽監督の飯森範親。ピアノはダニール・トリフォノフ。

【演目】(※はアンコール曲)
西村朗/弦楽のための悲のメディテーション
   (山形交響楽団創立40周年記念委嘱作品)
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
※チャイコフスキー/田舎のエコー
  ~休 憩~
ブラームス/交響曲第2番ニ長調
《19時00分開演、21時15分終演》

1曲目。西村朗が初めての弦楽だけのために書いた作品。タイトルにある「悲」とは仏教にある「カルナー」(“慈悲”もしくは“憐れみ”のようなこと?)のことを言うそうだ。それにしても、日本の現代音楽はいつまでこうした概念的かつ宗教色の強い音楽を作り続けていくのだろうか。私は1960年代後半から1970年代前半にかけてATG映画をよく観たが、そのころにすでにこの作品に似たような映画音楽を聴いている。あれからすでに40年は経っている・・・。大河ドラマのテーマ音楽の方がよほど進化している。

2曲目。ダニール・トリフォノフは1991年ロシアのニジニ・ノヴゴロドに生まれの20歳。2010年ショパン国際ピアノ・コンクールで第3位。2011年ルービンシュタイン国際ピアノ・コンクール優勝。それから数週間後の第14回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。という輝かしい受賞歴がある。すでに世界各地で演奏活動を行っており、2009年にカーネギーホール・デビューもしている。現在はクリーブランド音楽院でセルゲイ・ババヤンに師事を受けている。

顔立ちにはまだ少年の面影が残っている。そして、そのピアノにも少年の面影が残り、かつまた若さという勢いがある。そして、驚いたことに大人の成熟さもある。いろいろな年齢的な表情が彼のピアノから伝わってくる。なんとも表現力の豊かなピアニストだ。

第1楽章は大胆に、第2楽章は繊細に、そして第3楽章は華麗にといった感じで、自分自身のテーマを決めているかのように、ピアノに自分の心情を溶け込ませていく。その不敵な自信はいったいどこから来るのだろうか。ちょっと末恐ろしいというか、かなり期待のもてる20歳だ。ブラボー!

3曲目。飯森範親は思い入れたっぷりにゆっくりとオケを導いていく。しかし、あまりにもテンポが遅い。加えてホルンやトロンボーンなどの金管が些細なミスを繰り返す。また弦が小編成(10ー8ー7ー6ー4)の対抗配置ということもあり、どうも厳格にして重厚なブラームスの音を引き出すにいたらない。かといって「田園」的な開放感のある音も聴こえてこない。座った席が前過ぎたというせいもあるかもしれないが・・・。熱演であることはよく解るが、どことなく空回りしているようにも思え、残念ながら昨年聴いたチャイ5のような感動は味わえなかった。今年から初めた大阪公演の疲れが出たのかもしれない。

シューマンづくしのアシュケナージ&N響

2012-06-22 10:50:07 | N響
一昨日(20日)サントリーホールで開かれたNHK交響楽団第1732回定期公演に行ってきた。指揮はウラディーミル・アシュケナージ。ヴァイオリンはアナ・チュマチェンコ。

【演目】
シューマン/「マンフレッド」序曲
シューマン/ヴァイオリン協奏曲ニ短調
  ~休 憩~
シューマン/交響曲第4番ニ短調
《19時00分開演、20時45分終演》

1曲目。どことなく冷たい。どことなく堅い。しかし、沈着冷静な洞察力のある音色。この日の演奏会の始まりを表すかのようなまさに「序曲」のような演奏だった。

2曲目。アナ・チュマチェンコは指導者としての名声が高い。彼女の門下生にはヴェロニカ・エーベルレ、ユリア・フィッシャー、アラベラ・美歩・シュタインバッハー、セルゲ・ツィンマーマンなど錚々たる顔ぶれがいる。

さて演奏だが、年齢的なものだろうか、指導者という立場からだろうか、それとも曲目がちょっと精神分裂気味だからだろうか、音圧や音量がかなり小さい。そのために2階席後方に座する私のところまでなかなか音が届いてくれない。それでも、聞き耳を立てて聴くと、その繊細にして優しい音には奥ゆかしい美しさがあることだけは解る。ああ、もっと前の方の席で聴きたかった・・・。(> <)

3曲目。アシュケナージの指揮は緻密さや洗練された指揮とはいえない。ぶっきら棒なところがある。時に投げやりに見えることすらある。しかし、彼の意図するところは、できるだけ奏者たちに自由に演奏させたいということなのではないだろうか。それゆえに、その意図に波長があったときのオケは闊達だ。先日の「ツァラトゥストラはこう語った」のときも金管や木管は実に伸び伸びしていた。そして、この日は弦の華やかなヴァイオリンと力強い中低弦が絶妙のバランスで実に心躍るものがあった。

今回のシューマンはこれまで聴いたシューマンのなかで最高の演奏だった。第1楽章の心地良いなだらかさ、第2楽章のテンポの良さ、第3楽章の荘厳さ、そして第4楽章の快活さと、どの楽章も奏者たち誰もが束縛されることのない自由な音色を楽しんでいて、それに酔いしれることができた。終演後、ブラボーの声はほとんど飛ばなかったが、シーズン最後を飾るにふさわしい名演だったと私は密かに確信した。ブラボー!

プログラムは意欲的でも・・・

2012-06-21 09:57:40 | 都響
一昨々日(18日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団の第736回定期演奏会Bシリーズを聴いてきた。指揮は大野和士。ヴァイオリンは庄司紗矢香。

【演目】
シェーンベルク/浄められた夜
シマノフスキ/ヴァイオリン協奏曲第1番
  ~休 憩~
バルトーク/管弦楽のための協奏曲
《19時00分開演、21時20分終演》

腹八分目という言葉がある。メタボな人間にとっては耳の痛い言葉である。しかし、これが音楽となるとちょっと違ってくる。この日の大野和士&都響は明らかに腹12分目のような演奏会だった。しかしながら、音楽の場合でも飽食だからいいと言うわけではないようだ。

1曲目。都響の弦がさざ波のような音色から荒波のようなウネリまで、変幻自在の響きを繰り広げてくれる。特にヴァイオリンの表現力は素晴らしい。一方で、ヴィオラやチェロの中低弦が肝心なところでパンチ不足の感は否めない。次にこのような弦楽曲があるときは奮起を期待したい。

2曲目。庄司紗矢香の音色にいつもの冴えがない。曲目のせいもあるだろうが、何処となく冷たかった。

3曲目。バルトークの音楽は硬派だと思っていたが、大野和士が求めている音色はどちらかというと軟派で柔和な音色を求めているようであった。第1楽章はハーブ、第2楽章はドラムをバックに序曲的な展開するのだが、全体として豊潤な優しさを全面に出しているようだった。そして、第3楽章以降はファゴット、ピッコロなど普段はあまり目立たない木管が温かい音色を奏でていき、オケ全体がリズミカルな膨らみを作っていくようであった。

さて、今回のプログラム、詰め込みすぎというか長過ぎるという批判が出るだろう。確かに定期公演としては長い。しかし、問題はプログラムそのものが長過ぎるからではない。前半の2曲間の舞台転換に10分以上もかかり間延びしてしまい、集中力を妨げてしまったことが問題なのだ。

つまり、現代音楽のプログラム構成としては面白いが、楽器編成を考慮していないということなのだ。プログラミングのときには舞台転換のこともある程度配慮すると思うが、残念ながらこのプログラムではそれがいかされなかった。まあ、私が元演劇制作者ということもあるが、あの気の抜けた舞台転換はいただけない。いくら弦奏者たちの疲れを癒すためとはいえ観客を無視している。その結果、2曲目の庄司紗矢香の演奏をうまく聴きいることができなかった・・・。

バヴゼと新しい金管陣が新鮮だったN響定期

2012-06-19 11:05:08 | N響
先週土曜(16日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1731回定期公演に行ってきた。指揮はウラディーミル・アシュケナージ。ピアノはジャン・エフラム・バヴゼ。

【演目】(※はアンコール曲)
コダーイ/ガランタ舞曲
バルトーク/ピアノ協奏曲第2番
※ドビュッシー/亜麻色の髪の乙女
  ~休 憩~
R.シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」
《15時00分開演、16時55分終演》

ジャン・エフラム・バヴゼは1962年フランス生まれ。メス音楽院を経てパリ音楽院で学ぶ。1986年ケルンの国際ベートーヴェン・ピアノ・コンクールで第1位、1989年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールの室内楽部門でも入賞。現在は大学で教鞭をとると共に、古典から前衛・ジャズと幅広い演奏活動をしている。

1曲目。この曲はコダーイが幼い頃に聴いたジプシー音楽を思い浮かべて書いたようで、冒頭からチェロがジプシー音楽の切ない哀愁の音色を奏で上げ、何処かの街中の迷路に引き込まれるように音楽のなかに入っていった。そして、クラリネットの甘美な旋律はロマンチックで、最初はゆっくりとした舞曲が次第にテンポをあげて、迷路のなかで多くの人たちが踊りくるっている様が見えるようであった。

2曲目。第1楽章はピアノと管楽器、第2楽章はピアノと弦楽器、そして第3楽章はピアノと全体という構成になっている。旋律的にはバルトークらしいドロドロさは少ないものの、それでも内向的な葛藤を表現しているような曲で面白い。それをパウゼは精巧なテクニックで見事に表現していく。

ジャン・エフラム・バヴゼはヨーロッパを中心に活躍しているために、あまり来日することがないようであるが、この人の上品にして洗練した演奏は日本人好みではないだろうか。早いうちの再来日を期待したい。

あと、関心したのがアシュケナージだ。もちろん彼は元有名ピアニストということもあるが、彼がピアノ協奏曲を指揮するときは名演が多い。それだけ、曲とソリストを引き立たせる愛情と能力が高いということであろう。

3曲目。デッドな音響のNHKホールに、福川伸陽率いるホルン陣、菊本和昭率いるのトランペット陣、新田幹男率いるトロンボーン陣の音色がダイレクトに響き、そして、パイプオルガンも綺麗に共鳴していく。金管陣が大幅に変わったせいもあるからかもしれないが、なんか新鮮なN響サウンドを聴いた思いで気持ち良かった。

コバケン、デビュー40周年記念

2012-06-16 21:24:21 | 日本フィル
昨日(15日)、サントリーホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団の第641回東京定期演奏会を聴きに行ってきた。指揮は小林研一郎。

【演目】
シューベルト/交響曲第7番《未完成》
  ~休 憩~
ブルックナー/交響曲第9番
《19時00分開演、21時00分終演》

コバケンこと小林研一郎の指揮者デビュー40周年記念公演。『未完成』と『ブル9』という未完成作品の2本立て。コバケンの意図するものは何だったのだろうか。

1曲目。この曲は不得手だ。その音楽展開と尻切れトンボな終わり方に未だに好印象をもてない。しかし、この日の演奏で少し先が見えたような思いがする。

2曲目。コバケンが指揮者人生で初めて指揮するブル9。それなのに、指揮台の前には譜面台がない。そして、彼がタクトを下ろそうとした瞬間に残念なことに場内から話し声。(信じられない)

仕切り直しのあとに始まった音楽は冒頭から神々しい。日本フィルの金管は名手揃いだが、この日もその音色に狂いはない。ブルックナーがおそらく全身全霊を注いだであろう第1楽章を、コバケンは全神経を使って音を束ねていく。オケもそれに応えるかのような集中力で、まるで天から神が降りて大地を作っていくかのような深遠な音色を奏でていく。う~ん、ワンダフル!

第2楽章ではその大地を切り開いていくべく弦とティンパニーの叫ぶ。ブルックナーがこの曲で何を言いたいのか知る由もないが、私にはそれは世間でよく言われる宇宙観といったものではなく、大地と人間への愛というか敬意に聴こえてくる。そして、第3楽章のアダージョではその大地に新たなる建物、具体的にいえば大聖堂を建てていくような序章に聴こえる。もし、この曲に最終楽章があればそれは、それはサクラダファミリアではないが、いつになっても終わらないのかもしれない。それだけ、この曲には果てしない音楽の奥深さがあるように思える。そして、それをコバケンと日本フィルは100%に近づけようと限りなく表現していた。お疲れさまです。

この日の小林研一郎はいままでのような “炎のコバケン” ではなかった。デビュー40年を過ぎてもまだ自分は未完成だ、これからも新たなる境地を切り開いていきたい、そんな意志と意欲をはっきりと魅せてくれた。コバケンの新たなる第一歩を祝福したい。

こういうブラームスもあるんだあ・・・

2012-06-14 13:51:03 | 読響
昨日(13日)、サントリーホールで開かれた読売日本交響楽団の第550回サントリーホール名曲シリーズ公演を聴きに行ってきた。指揮はゲルト・アルブレヒト。ピアノは若林顕。

【演目】
ブラームス/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調
  ~休 憩~
ブラームス/交響曲第1番ハ短調
《19時00分開演、21時00分終演》

1曲目。隣席(作業服姿のオジサン)の指振りがめちゃくちゃにひどく、残念ながら集中して聴くことができなかった。さすがに、堪忍袋の緒が切れて終曲後に「指振りは控えてください」とはっきり注意した。ということで、演奏はほとんど印象に残っていない。

2曲目。ゲルト・アルブレヒトは1998年から2007年まで9年にわたって読響の常任指揮者をして、プログラムによると「楽団の黄金時代を築き上げた」と各方面から高く評価されたそうである。ただ、私は残念ながらその時代の読響をまったく知らない。それゆえに、この日のブラ1をとても期待していたのだが、結論としては肩透かしをくらったような印象だった。

アルブレヒトが作り上げるブラ1は重厚ではない。重厚の趣きすらない。というより、かなり軽快にして流麗だ。ただ、そのなかにも威厳というか誇りは失っていない。なんといえばいいのだろうか。エリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリーみたいというか・・・。つまり、アルブレヒトのブラ1は昔の王室のようではなく、現代の王室を表すような音色だった。ただ、こうした大衆的な音色のブラームスはおそらくウンチクをたれるクラシック通には拍子抜けなのではないだろうか。それゆえか、ブラボーの声はほとんど飛ばなかった。まあ、私もこういうブラームスもあるんだと思いながら聴いていたが、結局終演後に「ブラ1を聴いた~」という満足感に浸れることはなかった。

奏者のなかでは木管のクラリネットとオーボエが精彩な音色で清々しかったが、金管はホルン陣のアンサンブルが悪く、総じて覇気が感じられなかった。弦はセンターに位置したヴィオラと第2ヴァイオリンが非常に力強い音色を奏でていた。