※昨日の続き
2曲目。2週間前に同じサントリーホールでステファヌ・ドゥネーヴ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の『幻想交響曲』を聴いたが、その演奏はドラマ性を重視した演奏で、それはそれなりに良かった。だが、ビショコフ指揮N響による演奏はドラマ性と音楽性の両方を兼ね添えていて素晴らしいものだった。
第1楽章「夢、情熱」。冒頭から美しい弦の音色がサントリーホールに響きわたる。統一感に満ちた繊細な音色はN響ならではのシルキーな艶と輝きがあり、海外オケでもここまで優しく美しい音色を出せるオケはウィーンフィルぐらいではないだろうかと思ってしまう。そして、驚いたのがホルンだ。特に3番(客演=おそらく東響の大野雄太)の奏でる憂いのある音色に魅了される。
第2楽章「舞踏会」。第1楽章からビシュコフはテンポの強弱をはっきりさせていたが、第2楽章に入っても、冒頭の木管・ハープ・弦によるワルツは高速スピードだったが、中間部ではタメをつくったりとドラマチック色も打ち出す。そして、フィニッシュはまるで宇宙飛行士が月に降りるかのような余韻のある着地を決め、思わず溜め息が出てしまった。
第3楽章「野の風景」。イングリッシュホルン(和久井仁)と舞台裏のオーボエ(WHO?)が実に感傷的で物悲しい。この楽章ではビショコフは細かい指示をあまり出すことなく、ゆったりとしたリズムのなかで物語を楽しむかのようにタクトを振る。それに応えるかのようにN響の木管陣も柔らかい味付けをしているようであった。
第4楽章「断頭台への行進」。2台のティンパニーの乱打と中低弦が儀式の始まりを告げるが、チェロとコントラバスの音色が腹の底まで響いていく。木管の狂騒、金管のファンファーレも高らかに鳴り響き、断頭台から刃が落ちていく様が目に浮かぶようであった。
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」。冒頭のピッコロが怪音を上げ、コル・レーニョ(弓の棒の部分で楽器を叩く)が魔女たちがいる地獄の宴会を描いていく。そして、鐘とチューバの掛け合いからはラストの2台の大太鼓の乱打に至るまでフィナーレは、起伏に富んでいて圧巻だった。ただし、その圧巻さは単純に熱いといったものでなく、音楽性を極めようとする崇高さが感じられた。
『幻想交響曲』は「終わりよければすべてよし」みたいなところがあるが、今回は約50分の演奏時間中、終始一貫して音量音圧とも巧みにコントロールされ、起承転結のドラマ性と緻密に練られた音楽性が両立させていて見事な演奏だった。終演後、定期公演にしては珍しくスタンディング・オベーションする人がチラホラいたのも頷ける。私にとっても感涙感動するというより、感心感銘させられる演奏で、長く記憶に留まるに違いないだろう。
2年前のチョン・ミョンフンとN響による『幻想』も素晴らしかったが、今回はサントリーホールということもあってか、その音の輝きは明るく澄んでいて気持ちが良かった。また、観客も演奏に圧倒されるかのように終始息を飲み込むかのように静寂を保ち、誰もがピーンと張りつめた緊張感のなかで耳を傾けているように感じられた。
最後に余談だが『幻想交響曲』は観客受けするから演奏される機会が多いといわれるが、果たしてそうであろうか。指揮者たちも同様に好きなのではないだろうか。その証拠に7月に初来日して東京フィルを振るクリスチャン・バスケス、PMFオーケストラを指揮する準・メルクルは共に『幻想』を選曲している。ということで『幻想』好きな人は7月をお楽しみに。(笑)
2曲目。2週間前に同じサントリーホールでステファヌ・ドゥネーヴ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の『幻想交響曲』を聴いたが、その演奏はドラマ性を重視した演奏で、それはそれなりに良かった。だが、ビショコフ指揮N響による演奏はドラマ性と音楽性の両方を兼ね添えていて素晴らしいものだった。
第1楽章「夢、情熱」。冒頭から美しい弦の音色がサントリーホールに響きわたる。統一感に満ちた繊細な音色はN響ならではのシルキーな艶と輝きがあり、海外オケでもここまで優しく美しい音色を出せるオケはウィーンフィルぐらいではないだろうかと思ってしまう。そして、驚いたのがホルンだ。特に3番(客演=おそらく東響の大野雄太)の奏でる憂いのある音色に魅了される。
第2楽章「舞踏会」。第1楽章からビシュコフはテンポの強弱をはっきりさせていたが、第2楽章に入っても、冒頭の木管・ハープ・弦によるワルツは高速スピードだったが、中間部ではタメをつくったりとドラマチック色も打ち出す。そして、フィニッシュはまるで宇宙飛行士が月に降りるかのような余韻のある着地を決め、思わず溜め息が出てしまった。
第3楽章「野の風景」。イングリッシュホルン(和久井仁)と舞台裏のオーボエ(WHO?)が実に感傷的で物悲しい。この楽章ではビショコフは細かい指示をあまり出すことなく、ゆったりとしたリズムのなかで物語を楽しむかのようにタクトを振る。それに応えるかのようにN響の木管陣も柔らかい味付けをしているようであった。
第4楽章「断頭台への行進」。2台のティンパニーの乱打と中低弦が儀式の始まりを告げるが、チェロとコントラバスの音色が腹の底まで響いていく。木管の狂騒、金管のファンファーレも高らかに鳴り響き、断頭台から刃が落ちていく様が目に浮かぶようであった。
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」。冒頭のピッコロが怪音を上げ、コル・レーニョ(弓の棒の部分で楽器を叩く)が魔女たちがいる地獄の宴会を描いていく。そして、鐘とチューバの掛け合いからはラストの2台の大太鼓の乱打に至るまでフィナーレは、起伏に富んでいて圧巻だった。ただし、その圧巻さは単純に熱いといったものでなく、音楽性を極めようとする崇高さが感じられた。
『幻想交響曲』は「終わりよければすべてよし」みたいなところがあるが、今回は約50分の演奏時間中、終始一貫して音量音圧とも巧みにコントロールされ、起承転結のドラマ性と緻密に練られた音楽性が両立させていて見事な演奏だった。終演後、定期公演にしては珍しくスタンディング・オベーションする人がチラホラいたのも頷ける。私にとっても感涙感動するというより、感心感銘させられる演奏で、長く記憶に留まるに違いないだろう。
2年前のチョン・ミョンフンとN響による『幻想』も素晴らしかったが、今回はサントリーホールということもあってか、その音の輝きは明るく澄んでいて気持ちが良かった。また、観客も演奏に圧倒されるかのように終始息を飲み込むかのように静寂を保ち、誰もがピーンと張りつめた緊張感のなかで耳を傾けているように感じられた。
最後に余談だが『幻想交響曲』は観客受けするから演奏される機会が多いといわれるが、果たしてそうであろうか。指揮者たちも同様に好きなのではないだろうか。その証拠に7月に初来日して東京フィルを振るクリスチャン・バスケス、PMFオーケストラを指揮する準・メルクルは共に『幻想』を選曲している。ということで『幻想』好きな人は7月をお楽しみに。(笑)