ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

2010都民芸術フェスティバル【セット券】

2009-10-31 10:44:42 | Weblog
先日(22日)買ってしまった。「2010都民芸術フェスティバル」オーケストラ全8公演【セット券】を・・・。そして、一昨日、そのチケットが届いた。

オーケストラのチケットは会員券、通し券、シリーズ券、セット券などで買うようにしている。なぜならばチケット代が20~50%も安くなるからだ。都民芸術フェスティバルは毎年1~3月に開催されるが、普通の公演と違ってチケット代は安い。しかしながら、開催される東京芸術劇場は音響も視覚も利便性などがすべて最低レベルというペケ劇場である。そのために、値段には関係なく先に良い席を確保したいという思いからセット券を買った。

今回のお目当ては昨年1月にオーチャードホールで素晴らしい指揮したロッセン・ミラノフとN響(2月25日)。あのときはチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」だったが、今度は私の好きな交響曲第5番。これを聴かないわけにはいかない。

もう一つのお目当ては3月5日の読響。小山実稚恵がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾く。彼女による第3番は聴いたことがあるが、第2番はまだないのでこれも楽しみだ。また、オケも「悲愴」を演奏するので、チャイコ好きにはたまらない。

他にも半田美和子の美声が聴ける都響(1月16日)、向山佳絵子のドボチェロが魅力的な日本フィル(3月17日)、トランペットの名手、マティアス・ヘフスとコバケンが共演する東京フィル(2月21日)なども面白そうである。

しかしながら、残念なことに1月27日の東響、2月3日のシティ・フィル、3月21日の新日本フィルの3公演はすでに買ってしまった公演と重なっていたり、所用があったりでおそらく行くことができそうにない。ただ、チケットは無駄にしたくないので、知人らに譲渡するつもりでいる。ちなみに席は2階センター。w

モーツァルト3連チャンのプレヴィン&N響

2009-10-29 12:57:33 | N響
昨日(28日)サントリーホールで行われたNHK交響楽団第1657回定期公演へ行ってきた。指揮はモーツァルトを得意とする首席客演指揮者のアンドレ・プレヴィン。

シンシナティ響ではピアノ協奏曲、ライプチヒ管ではヴァイオリン協奏曲、そして今回のN響では交響曲3連チャンと、モーツァルトでお腹いっぱいの3連チャンである。こうもモーツァルトが重なるとは・・・。

【演目】
モーツァルト/交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」
モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調 K.543
  ~休 憩~
モーツァルト/交響曲第40番ト短調 K.550
《19時00分開演、21時05分終演》

モーツァルトが不得手な私は、この日ちょっと変わった聴き方をするよう心がけた。モーツァルトは18世紀後半に活躍した作曲家である。その頃、日本の江戸はすでに100万を擁する大都市となっていた。そこで、私は眠らないために、時に江戸とヨーロッパの街並みを対比するかのように聴くようにした。

弦は10ー10ー6-4-2。管は曲目によって編成が変わる。打楽器はティンパニーのみ。プレヴィンは例によって椅子に座っての指揮なのだが、その明確な指示とオケを乗せるかのように歌いながら指揮をする。

1曲目。「プラハ」と命名されているが、これは単に初演された場所がプラハだったので、これが他の都市だったら、違う名前がついていただろう。ただ間違っても「江戸」という名は付かなかっただろう。(笑)さて、演奏だが弦のまろやかな音色にのって、フルートの2人(神田寛明と菅原潤)のハーモニーが素晴らしかった。

2曲目。モーツァルトの39番から41番までをまとめて「最後の三大交響曲」と呼ぶそうだが、私にはこの曲がもっとも面白くなかった。これなら、今回の演奏会はこの39番を飛ばして、38番「プラハ」、40番、41番「ジュピター」とやってもらいたかった。しかしながら、不思議なことにこの39番がもっとも江戸の街並みを思い浮かべさせてくれた。それはこの曲がもつ陰影さというか、モノトーンさだったのかもしれない。クラリネット(横川晴児と加藤明久)の耽美ある音色がそれを増幅させていた。

3曲目。これは白眉な演奏だった。江戸もプラハも関係なく聴き惚れた。なんといっても弦の美しさだ。あのようなしなやかにして艶やかな音色はなかなか聴くことができない。私がN響を聴きにいく最大の理由はあの音色を聴きたいがためである。このときばかりは、高齢者が多い客席といえども、観客は誰もがは息を殺しながら聴きいっていた。ただ、願わくばホルンのハーモーニーとファゴットとの掛け合いがマッチしていないところがあったのが残念だった。それでも、こんな麗雅な演奏はなかなか聴けるものではない。

歴史と土壌の違いを見せつけられたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

2009-10-28 13:16:43 | 海外オーケストラ
昨日(27日)サントリーホールで行われたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団来日公演に行ってきた。指揮はリッカルド・シャイー。ヴァイオリンは父親はドイツ人、母親は日本人のアラベラ・美歩・シュタインバッハー。使用楽器は1716年製ストラディヴァリウス「BOOTH」、使用弓は弦楽器職人の巨匠ブノワ・ロラン製。

リッカルド・シャイーは1953年にルチアーノ・シャイーの息子としてミラノに生まれる。これまでに欧米各地のオケおよび重要な歌劇場の指揮台に立つ。1982年から1989年までベルリン放送交響楽団(現在のベルリン・ドイツ交響楽団)の首席指揮者。1988年から2004年までロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者。2005年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第19代カペルマイスター(楽長)に就任、現在に至る。

【演目】(※はアンコール曲)
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲ト長調 K216
※クライスラー/レシタティーボとスケルツォ・カプリース
  ~休 憩~
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」
《19時00分開演、21時10分終演》

NHK音楽祭のパンフレットによると、ドイツには132のオーケストラが自治体の支援をうけて活動している、という文章があった。つまり、ドイツには132もしくはそれ以上のオーケストラがプロもしくはセミプロとして活動していると思われる。日本はオーケストラ連盟に加入している団体は30しかない。

クラシック音楽は西洋音楽なので、これくらい数に違いがあるのは当然といえば当然である。今日では日本のオーケストラも確実に実力をつけていて、特に弦の音色は海外オケを凌いでいると思うときが幾度とある。しかし、管楽器、特に金管に関してはしばしばどうしようもない差を感じてしまう。

日本には縦笛、横笛という木管楽器の文化は西洋音楽が伝わる以前からあったが、金管楽器はなかった。トラペットやホルンのようにマウスを使う楽器はなかった。それゆえに、この金管楽器の演奏が世界的レベルになるまでにはまだまだ時間がかかりそうである。現在、日本では吹奏楽が盛んになり、多くの小中学生、高校生が管楽器に触れている。管楽器の土壌は育っている。しかし、日本の金管楽器が世界レベルになるには、申し訳ないがあと50年かかるのではないだろうか。

こんなことを考えさせらた演奏会だった。

最後に少しだけ演奏会の感想を。アラベラ・美歩・シュタインバッハーは2年前のN響で聴いたとき(ベートーヴェンの協奏曲)に比べると数段上手くなっている。特に低音部の響きが鮮やかだ。ただ、彼女にモーツァルトの協奏曲が合うかというとそうは思わない。なぜならば、アンコール曲のような感情を現わす演奏が向いているようだな気がしたからだ。12月にN響C定期でチャイコフスキーに期待したい。

「巨人」は素晴らしかったが、少し大編成すぎではないだろうか。コントラバスが10台という18ー16ー14ー12ー10の弦編成。金管も上手にトランペット3・トロンボーン3・チューバ1と配し、下手にホルン6台プラス最後の最後にだけ使うトランペットとトロンボーンを1台ずつ配置するという鉄壁ともいえる布陣。この編成はNHKホールならノープロブレムだが、響きすぎるサントリーホールには向いていない。それゆえに、最後の最後の大音響のときは私の席(2階席前方)では前から後からと金管の音が鳴り響き、耳鳴りがしてしまった。もちろん、演奏者のテクニックと表現は素晴らしかった。特に、トラペットの首席、ティンパニー、高音担当のクラリネットの3人は超ブラボーである。

シンシナティ交響楽団@NHK音楽祭2009

2009-10-27 12:32:52 | 海外オーケストラ
昨日(26日)、NHK音楽祭のシンシナティ交響楽団公演に行ってきた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ

パーヴォ・ヤルヴィは1962年エストニアの首都タリン生まれ。1980年に父親のネーメ・ヤルヴィと共に渡米。フィラデルフィアのカーティス音楽院に学び、ロサンゼルスでレナード・バーンスタインに師事。その後、ロイヤル・ストックホルム・フィル、バーミンガム市響で首席客演指揮者を歴任。2001年にシンシナティ交響楽団の音楽監督に就任、同オケをアメリカ指折りのオケに成長させたといわれている。彼は他にも、ドイツのカンマー・フィル芸術監督、祖国エストニア国立交響楽団の芸術顧問も兼任。2010年からはパリ管弦楽団の首席指揮者に就任予定。若き巨匠の1人であり、世界一忙しい指揮者なのかもしれない。

【演目】(※はアンコール曲)
コープランド/庶民のファンファーレ
バーバー/弦楽のためのアダージョ
バーンスタイン/「ウエストサイド物語」~シンフォニック・ダンス
  ~休 憩~
ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界から」
※バーンスタイン/キャンディード序曲
《19時00分開演、21時10分終演》

今年のNHK音楽祭はミラノ・スカラ座、シンシナティ交響楽団、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、NHK交響楽団と4つのオケが参加。スカラ座とN響はすぐにチケットが完売したが、シンシナティ響はチケットの売れ行きが芳しくなく、昨日も8割の入りだったのではなかろうか。演目、料金、日程、そして天候にもよるだろうが、やはりアメリカの有名でないオケというのは、まだまだ観客動員が難しいようだ。

さて、舞台に木管や金管奏者などが乗る雛壇はなく、全員がフラットの状態でいる。確か昨年のNHK音楽祭のサンクトペテルブルグ・フィルも同じようだった。これは音の強い金管と弦を融和させたいからなのかもしれない。

1曲目。トランペット、ホルン、トロンボーン&チューバの金管と打楽器だけが立って演奏する。出だしのトランペットがこの日の東京の天気がまるで嘘かのように、澄みきった青空のような清々しい音色をあげ、続いてホルン、トロンポーン&チューバと続いていく。明澄にしてタイトル通り庶民に敬意を払っているファンファーレだ。いきなり、脳天唐竹割りにあったような金管の素晴らしさに、涙腺が緩みかけてしまった。

2曲目。バーバーの名曲である。1曲目の金管の鮮明さに比べると、弦にはこれといった特徴が見えない。有名な鎮魂歌であるが、ヤルヴィはしっとりとした音色を出したいようなのだが、残念ながらNHKホールだと難しい。どことなくウワベだけを擦っているような感じで、心にグッとくるものがなかった。

3曲目。これまで何度もこの曲を聴いてきたが、これほど明瞭にして開放感に満ちあふれた演奏はかつてなかった。指揮のヤルヴィをはじめ誰もが楽しみながら演奏している。いかにもアメリカのオケという感じで、弦に何人もいる恰幅のいいオジサン、オバサンたちがスゥイングしている。もちろん、木管・金管もジャズバンドかと思うようなぐらいノリの良さを出す。そして、座ったままのドラムスを除く5人の打楽器奏者が忙しそうにいろんな打楽器を奏でていくのだが、これがどれもこれもパーフェクトの凄さ。観客もそれを見ていたかのようで、彼らに対する拍手が一番大きかった。やっぱり、こういう曲をやったらアメリカのオケは一番である。

4曲目。ヤルヴィという人は妥協を許さない音作りをする人だと感じた。前半のプログラムではあまり大振りをしなかったが、この「新世界から」では少しムキになるかのような粗っぽい指揮になった。この曲はドヴォルザークがアメリカをイメージして書いたものだが、そのなかには彼の故郷であるボヘミアを対峙していると思う。ヤルヴィは硬軟おりまぜながら、それを表現しようとしているが、新世界を現わしている金管は輝きを示すが、故郷を表現する弦がまどろっこしい。もう少しまろやかな音色が欲しかった。名曲中の名曲だが、それゆえに難曲なのであろう。この曲で満足した演奏を聴いたことはまだ一度もない。

アンコール曲のバーンスタインは明らかに反則技。上手過ぎです。(笑)

なお、この日の演奏会の模様は11月9日(月)午前1時からのNHK-BS2「クラシック・ロイヤルシート」と11月14日(土)午後11時からのNHK-hi「ハイビジョン・ウィークエンド・シアター」で放送予定になっている。

ラザレフ&日本フィルのプロコフィエフ第3弾

2009-10-26 11:36:46 | 日本フィル
一昨日(24日)サントリーホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団の第614回定期演奏会<プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト vol.3>へ行ってきた。指揮は首席指揮者のアレクサンドル・ラザレフ。ピアノは田村響。

【演目】(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/幻想的序曲『ハムレット』
モーツァルト/ピアノ協奏曲第27番
  ~休 憩~
プロコフィエフ/交響曲第3番~歌劇《炎の天使》による
※プロコフィエフ/バレエ音楽『シンデレラ』より「シンデレラ・ワルツ」
《14時00分開演、16時05分終演》

1曲目。シェイクスピア悲劇を題材にしているだけにあって、情感と情景を繊細に描いている。ただ、悲劇ということもあって、全体の色調はどこかもの悲しい。中間部でオーボエがオフィーリアを現わすというロシア民謡風主題を奏でて、ハムレットとの実らぬ恋を歌い上げていく。そして、最後はハムレットの死を告げるかのようにチェロの低音とティンパニーが悲劇に幕を下ろす。終演後、ラザレフはオーボエの女性奏者(WHO?)の手を取って彼女を指揮台まで登らせ絶賛していたが、彼女はどこか罰の悪そうな笑顔だった。

2曲目。究極の催眠音楽(笑)、モーツァルトのピアノ協奏曲。前日のN響では23番でウトウトしたが、この日は田村響の明晰にして軽快な演奏に、最後の協奏曲である27番もやはり気持ち良く舟を漕いでしまった。といっても、それは私だけでなく、6割ぐらいの入りしかなかったホールの半分ぐらにの人は土曜午後の御昼寝を楽しんでいたように見えた。う~ん、目が閉じそうにないピアノ協奏曲は21番ぐらいでだろうか。

3曲目。第1番、第5番、第7番に次いで演奏される曲というが、生で聴くのは初めて。しかしながら、とても好きになれない曲だった。開始早々から最後までイナゴの大群や蝉の大群といった虫の大群がブンブン飛んでくるような音ばかりで、まったく分けが解らなかった。ただ、日本フィルのラザレフへの信頼度が更に密になっていることだけは実感した。

プレヴィン&N響のショスタコーヴィッチ

2009-10-25 12:51:01 | N響
一昨日(23日)NHKホールで行われたNHK交響楽団第1656回定期公演へ行ってきた。指揮は今年から3年間首席客演指揮者となったアンドレ・プレヴィン。ピアノはヨーロッパを中心に活躍する池場文美。

【演目】
プレヴィン/オウルズ(2008)[日本初演]
モーツァルト/ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
  ~休 憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調
《19時00分開演、21時05分終演》

1曲目。プレヴィンが自身の体験をもとにボストン交響楽団に書いた曲。フルートの2管から演奏が始まり、曲全体が常に同じ楽器で2管だったり、木管と金管をとりまぜて2管を使いんがら、2羽の梟(オウルズ)と動物たちを描写していく。そして、弦は少し幻想的な森の世界を描いていくようだ。これといって特徴のある旋律があるわけではないが、叙景描写のとても優れていて聴いていて心地良かった。

2曲目。私があまり得意でないモーツァルトのピアノ協奏曲。どうしても、眠くなってしまう。(笑)でも、プレヴィンにとってはお得意中のお得意。池場文美のピアノは水面に浮かぶアメンボのように滑らかな音を奏でていく。失礼な表現だが、お歳に似合わないほど若々しく清涼感に満ちていて、プレヴィンとの呼吸もぴったりであった。ただ、やはり私は途中から催眠術をかけられているようだった。(苦笑)

3曲目。先日の読響での交響曲第11番が鮮烈な印象だったが、やはり構成力、音楽性などを考えると、ショスタコーヴィチの数多くある交響曲のなかで、この第5番が最高傑作と言わざるをえない。そして、プレヴィンとN響はそれに背くことのない演奏を聴かせてくれた。

第1楽章。チェロを始めとした低音部がいきなりショスタコーヴィッチ特有の暗恨の世界へ引きずりこむ。NHKホール内に一瞬にして緊張感が漲る。プレヴィンとN響の凄い集中力が胸にズキズキと伝わってくる。と同時に、あ~、これがショスタコだよなぁ~、と期待感も高揚していく。ヴァイオリンが暗闇のなかでの不気味なさざ波のような音色を奏で、そして、木管と金管が不安を煽るかのような音色も奏でていく。針に糸を通すときかのような気の引き締まっている。後半部のフルートのソロを吹く宮崎由美香の少しこわ張っていた表情が印象的だった。

第2楽章。チェロとが暗恨の世界から少し解放されていくような旋律を弾き、続いて今井仁志がトップを務めるホルン陣がワルツのような旋律を高らかに響かせていく。そして、コンマスの堀正文、木管、金管のたおやかな音色が聞こえてくる。プレヴィンの指揮も決して大振りすることなく的確な指示を与えていく。その指揮をしっかり見据えるパーカッション陣の真剣な眼差しが印象的だった。

第3楽章。鎮魂歌のような悲しみと苦しみを表わすような旋律を弦が繰り広げていく。人間の暗部、社会の暗部を表現していくかのようだ。この繊細にして艶やかな音色を聴いているとN響の弦は世界トップレベルだとつくづく実感する。特に中間部からのヴィオラ、チェロ、コントラバスの太く厚く深く逞しい響きはあのNHKホールでも腹の底に響く音を聴かせてくれる。そして、最後は楽章全体の弦および管を引き立たせた早川りさ子のハープの寂寥感が漂っう音が印象的だった。

第4楽章。バストロンボーン(弱冠24歳の黒金寛行)とテューバ(池田幸弘)を中心とした金管の荘厳な響きと華やかな弦による軽快なテンポでN響ならでは団結力ある音色が最終楽章の幕開けを轟かせる。そして、最後は例のソドレミの大合唱である。昨年のサントリーホールでの演奏ではもうデジタル分解の騒音のように聴こえてたと書いたが、今回は花火が次々と爆発していくような音に聴こえた。これならば、あの広いNHKホールの3階席奥まで十二分に音が届いたにちがいない。w そして、いつもピアノやオルガンを弾きこなす女性が今日も上手いなぁと関心する。あの方はいったいどなた様なのでしょう?

昨年のサントリーホールでもこのショスタコ5番を聴いたが、N響は完全にこの曲を手中に収めた感がした演奏会だった。

バンベルグ交響楽団のブラームス

2009-10-20 15:40:32 | 海外オーケストラ
昨日(19日)サントリーホールで開かれたバンベルク交響楽団の来日演奏会へ行ってきた。指揮はジョナサン・ノット。ヴァイオリンはクリスティアン・テツラフ。

バンベルクはドイツ南西部・バイエルン州(州都はミュンへン)にある学園都市。ここは第2次世界大戦の戦火に見舞われなかったので、その旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。いつの日にか行ってみたい町である。

【演目】(※はアンコール曲)
ブラームス/悲劇的序曲ニ短調
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
※J.S.バッハ/パルティータ第3番より ガボット
※J.S.バッハ/ヴァイオリン・ソナタハ長調より アレグロ・アッサイ
  ~休 憩~
ブラームス/交響曲第2番ニ長調
※ブラームス/ハンガリー舞曲第2番
※ブラームス/ハンガリー舞曲第10番
《19時00分開演、21時35分終演》

ブラームス・チクルスなので、厳格にして重厚な音の連続かと思いきや、ジョナサン・ノットの曲への解釈はいろいろあるようで、ブラームスにしては浮遊感と開放感も味わえるちょっと不思議で心をリッチにさせてくれる演奏会だった。

1曲目。いかにもドイツのオーケストラという演奏と音色で、オーソドックスに統一感を強調する。ただし、ところどころにミスもあり、出だしはまあ、こんなもんかと思わざるをえなかった。

2曲目。10日前にフランク・ペーター・ツィンマーマンとNYフィルで同じ曲を全く同じ席で聴いたので、どうしても聴き比べ的な耳になってしまう。結論からいうと、ツィンマーマンが男性的な演奏をするのに対して、クリスティアン・テツラフは中性的というか両性具有的な演奏をするように思えた。そのテクニックはどちらと甲乙つけがたいが、好みとしてはテツラフかなぁ・・・。

第1楽章の出だし、ヴァイオリンの弦がまだ暖まっていなかったのか、音色に鋭さや冴えがまったくない。ところが、2~3分もするとヴァイオリンがビュンビュン唸りをあげて行く。木管との掛け合いでも、高音は柔らかに低音は逞しくと、音色を見事に使い分けていく。そして、それが自然とまろやかに調和されていき、感性豊かな音色を奏でていく。

第2楽章はゆるやかで落ち着いた演奏をしたテツラフだったが、第3楽章が始まると、再びヴァイオリンからは両性具有の天使が飛び交うような音色がホールに羽ばたいていく。観客も息を呑み込むように引き込まれて、私の上体も自然と食い入るかのように前のめりなっていく。テツラフのロマン豊かな音楽性がブラームスの様式美を高らかに歌いあげていった。

3曲目。これは興味深い演奏だった。ブラームスというと最初にも書いたように「厳格にして重厚な音」というイメージがある。それはブラームスの交響曲には主題と主題の間にある、目には見えない鎹(かすがい)や楔(くさび)みたいなものを感じるからだ。しかし、ジョナサン・ノットはそうした間をすり抜けるかのように、全体に流麗な音色をオケに求めている気がした。それは第1楽章の牧歌的な主題に始り、最後の第4楽章の歓喜な主題まで変わることがなかった。それでも、要所要所に美しい音色をちりばめていき、浮遊感と開放感に満ちている演奏だった。うっとりしたブラームスもいいものである。

最後は余談になるが、アンコールでハンガリー舞曲が演奏されることはしばしばある。しかし、10番はおそらく初めて聴いた。そして、これがえらく上手かった。

日曜昼にもかかわらず客席は寂しい都響プロムナード

2009-10-19 12:26:13 | 都響
昨日(18日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団のプロムナードコンサートNo.335へ行ってきた。指揮はメルボルン交響楽団の首席指揮者兼芸術監督のオレグ・カエターニ。ピアノはミシェル・ダルベルト。

ミシェル・ダルベルトは1955年フランス・パリ生まれ。1975年にクララ・ハスキルコンクール優勝。1978年にリーズ国際ピアノ・コンクールに優勝。フランスを代表するピアニストのひとりで、後進の育成にもあたっている。

【演目】(※はアンコール曲)
ニコライ/歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
フランク/交響変奏曲
R.シュトラウス/ブルレスケ
※R.シュトラウス/『4つの最後の歌』より「眠りにつこうとして」
※シューベルト・R.シュトラウス編曲/ワルツ
  ~休 憩~
シューマン/交響曲第4番ニ短調 第1稿(1841年)
※シューベルト/交響曲第3番ニ長調から第2楽章
《14時00分開演、16時05分終演》

6月の日記に「平日夜にもかかわらずほぼ満席の都響定期」と書いたが、昨日は「日曜昼にもかかわらず客席は寂しい都響プロムナード」であった。しかし、演奏は期待以上のもので「棚から牡丹餅」「鰯網で鯨(鯛)捕る」といろいろ新発見のある充実した演奏会だった。

1曲目。いかにもこれから始まるオペラへの期待感をもたせる快活な曲なのだが、オレグ・カエターニは真摯に劇世界へ導く高揚感と共に、劇世界を垣間見せるように先鋭的に表現していく。目からウロコが落ちるような爽快感に満ちたサウンドだった。

2曲目。フランクの交響曲は好きなのだが、実はこの曲があまり好きではない。というのも、この曲は学術的というか、曲に遊び心が少ないのである。そのために、どんな人の演奏を聴いても学校の先生が「お手本はこういう風に弾くんですよ」みたいな演奏が多く、それぞれの個性や感性を聞きとれないのだ。案の定、ミシェル・ダルベルトというお洒落な人が弾いても、学校の先生のようで、私の耳は全く聞き耳をたてなかった。なぜなんだろう。

3曲目。本日のお目当て。R.シュトラウスのピアノ協奏曲である。ここではダルベルトは水を得た魚のように、自分の個性と感性をピアノにどんどん叩きこんでいく。ティンパニーのサポートともうまく連携して、次から次へと真珠の輝きが変わるような音色を放っていく。加えて、弦の少し甘い香りのする音色も綺麗に絡み合っていく。この曲はよくブラームスの影響を受けていると言われるが、ダルベルトはそんなことにおかまいなしに、流暢にして優雅に自分の世界を作りあげていった。トレビァ~ンだった。また、アンコール1曲目でのコンミス(四方恭子)との共演もラブリィだった。

4曲目。私はこれまで勝手に都響サウンドはN響や読響のようなドイツ・オーストリア系でなく、どちらかといえばフランス・イタリア系かなと思っていたが、このシューマンの交響曲では骨太の演奏を聴かせてくれた。その最大の立役者は指揮のカエターニだろうが、奏者では4人のホルン陣とトロンボーン陣(特にバス・トロンボーンの井上順平おじさん)だった。この曲ではホルンもトロンボーンも目立つようなソロはないのだが、主題をつなぐ節々に縁の下の力持ち風に金管が使われている。それを地味ながら奏でていた彼らは素晴らしかった。こうした陰の力もあり、ドイツ・オーストリア系の香りが色濃く漂うサウンドのように聴こえた。

アンコールもいっぱい。いろいろなサウンドを堪能した演奏会。次回はぜひとも「日曜昼にもかかわらず客席は寂しい都響プロムナード」という汚名を挽回してもらいたい。

アラン・ギルバート新音楽監督&NYフィル

2009-10-10 18:17:21 | 海外オーケストラ
昨日(9日)サントリーホールで開かれたニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会へ行ってきた。指揮は音楽監督に就任したばかりのアラン・ギルバート。ヴァイオリンはフランク・ペーター・ツィンマーマン。

アラン・ギルバートは1967年にニューヨーク生まれ。両親は共にニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者であり、母親の建部洋子は現在も楽団員。つまり、彼はNYフィルで産湯を浸かり、レナード・バーンスタインに抱っこをされたり、ズービン・メータの横で悪さをしていたかもしれない、筋金入りのニューヨーカーだ。

【演目】(※はアンコール曲)
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
※J.S.バッハ/無伴奏ソナタ第3番BWV1005よりラルゴ
  ~休 憩~
ベルリオーズ/幻想交響曲
※ワーグナー/オペラ『ローエングリン』第3幕への前奏曲
※ブラームス/ハンガリー舞曲第6番ニ長調
《19時10分開演、21時30分終演》

1曲目。フランク・ペーター・ツィンマーマンは以前(5年以上の前の話だが)のような無機質で没個性的な演奏でなくなった。音色と共に上体が滑らかな動きをみせ、表現力がとても豊かだ。ヴァイオリンは単独だとあまり色彩感のある楽器ではなく、モノトーンもしくは特色の色合いのある楽器なのだが、ツィンマーマンのヴァイオリンはまるで三原色+特色付きという音色で、武骨なブラームスの曲にもかかわらず、不思議なことに色彩感を楽しむことができた。

特に第1楽章のオーボエ(この人が上手い)との掛け合いや、第3楽章出だしのオケ全体との協調などは、以前のツィンマーマンだともっと淡泊だったのだが、音の厚みを重ね合わせていくようで、その音色は時にパステルカラーのような輝き放っていた。

2曲目。この「幻想交響曲」は9月17日のアラン・ギルバードの就任公演にも組みこまれていた。NYフィルはヴァイオリン奏者の半数近くは東洋系の女性で占められていて、その音色は非常にしなやかにして艶やか。変な比喩だがN響の音色に似ていて、やはり大都会のオケはこういう音色になるのかな、などと思ってしまった。

さて、全体の演奏だが、NYタイムズやウォルストリート・ジャーナルなどは誉めたようであるが、私にはあまりいただけなかった。というのも、これは解釈の違いによるのだろうが、私は「幻想交響曲」ほど劇的な交響曲はないと思っている。

つまり、この曲を聴いているときには、そのオケの後ろには幻影ではないが人形劇か影絵劇が見えるようであってほしいと思っている。または奏者が役者のように見えてほしいと思っている。ところが、ギルバートはこうした劇的な部分を排して、部分部分の音を追求しすぎているようで、かといって全体の流れも今ひとつ噛みあっていなかった。

以前、NYフィルはアメリカのビッグ5のオケとして名をはしたが、最近はロサンゼルス響やシンシナティ響などの台頭で、このビッグ5という言葉はもはや死語になっている。私もこの日の演奏を聴く限りでは、シカゴ響やフィラ管にかなり水をあけられている気がした。それは木管や金管の新陳代謝がうまくいっていないからではないだろうか。ギルバードにはニューヨークならではの都会的でスノビッシュなオケを築いてほしいと思う。

N響アワー ~大河ドラマテーマ音楽特集~ 公開収録

2009-10-08 13:17:19 | N響
昨日(7日)、台風18号上陸前日の雨の中、NHKホールで行われた「N響アワー ~大河ドラマテーマ音楽特集~」公開収録へ行ってきた。指揮は秋山和慶。演奏はNHK交響楽団。司会は作曲家の西村朗、岩槻里子アナウンサー。ゲストは作曲家の池辺晋一郎。特別ゲストは与六およびこども店長こと加藤清史郎くん(8歳)。

【第1部】「大河ドラマ」テーマ音楽の特集
     芥川也寸志/「赤穂浪士」(1964年)
       ~司会者登場~
     湯浅譲二/「元禄忠臣蔵」(1975年)
     林光/「花神」(1977年)
     一柳慧/「翔ぶが如く」(1990年)
       ~ゲスト登場~
     池辺晋一郎/「独眼竜政宗」(1987年)
       ~お約束の駄洒落トーク~
     渡邊俊幸/「利家とまつ」(2002年)
     吉俣良/「篤姫」(2008年)
       ~特別ゲスト登場~
     大島ミチル/「天地人」(2009年)
         ~休 憩~
【第2部】川にまつわるオーケストラの名曲
     シューマン/交響曲第3番変ホ長調「ライン」
     ヨハン・シュトラウス/ワルツ「美しく青きドナウ」
《19時00分開演、21時00分終演》

応募倍率3倍という難関をすり抜けて当選した公開収録。以前より「大河ドラマ」のテーマ曲をライブで聴きたいと思っていたが、それが叶った日となった。そして、幸運にも席は1階ど真ん中という特等席。演奏中は正面の大型スクリーンで、大河ドラマの名シーンを見ることができ、恐悦至極であった。

大河ドラマの主題歌といえば、なんといっても芥川也寸志の「赤穂浪士」である。司会の西村朗が「私は小学生だったけど、この曲を全部憶えてしまった」と言っていたが、私も同様で「おのおの方」というセリフと共に、♪チャン・チャ~ン、チャラ・ラ・ラ、チャンチャ~ン♪という旋律を鼻歌まじりで歌っていた。そして、この曲のヒットによって、大河ドラマのテーマ曲は交響曲ということになり、今日まで引き継がれて、数多くの名曲が誕生したといっても過言ではない。

今回演奏された曲はどれも素晴らしいことに違いないが、一番印象が残ったのは「利家とまつ」。放送当時はさほど気にとめるような音楽と思っていたが、その構成といいハーモニーといい、R.シュトラウスを彷彿される感じで新鮮な驚きを覚えた。あとは「篤姫」のストリングスの滑らかで艶やかな音色は本当に美しい。雄大な桜島と光輝くおだやかな鹿児島湾を見事に表わしていると実感した。

放送は11月15日(日)21時~22時30分のNHK教育テレビ「N響アワー」の予定。

スクロヴァチェフスキ & 読響の名演奏

2009-10-01 15:03:12 | 読響
昨日(30日)、サントリーホールでの読売日本交響楽団第485回定期演奏会に行ってきた。指揮は常任指揮者にして、もうすぐ(明後日=10月3日)86歳になろうとしているスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ。

【演目】
モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」
  ~休 憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第11番「1905年」
《19時00分開演、21時10分終演》

読響の演奏会というのは他のオケの演奏会に比べると、客席がちょっと異質な感じがする。N響や日本フィルは観客に後期高齢者が多く、都響や新日本フィルは女性や若者も多く華やかだ。それに対して、読響は演目にブルックナーやマーラーが多いからかもしれないが、男性の比率が他のオケに比べて高いように思える。また、先日の日記にも書いたが、まったく拍手をしないという頑固なクラオタも多いと思う。さて、今回は・・・。

1曲目。誰もが知っている荘厳にして華麗なモーツァアルトの名曲だ。しかし、スクロヴァチェフスキは探求心に富んだ演奏を行う。フルート(倉田優)とオーボエ(辻功)の軽やかな旋律を誇張することなく、さりげなく聴衆に聴かせていく。また、ヴァイオリン(コンマス:藤原浜雄)も一音一音を、ヴァリエーション豊かに奏でてあげていく。傍目に聴くとなんかサラッとしていて物足りない音色に聴こえなくもないが、スクロヴァチェフスキの指揮は細部まで探求しているようで、その意欲に感服してしまった。ただ、ヴィオラのボリューム感が今ひとつで、時に弦のバランスが崩れていたのが残念だった。

2曲目。あまり聴くことができない曲だが、ショスタコーヴィッチの大作である。副題の通りロシア革命の発端ともなった1905年の「血の日曜日事件」を描いた標題音楽である。ただ、その標題音楽にしても、音楽でここまで描写するのかと思うぐらい詳細なもので、それは「交響劇」ともいっていいぐらいドラマチックであった。

第1楽章「宮殿前広場」。冬のサンクトペテルブルグの重たい雲が覆いかぶさるかのように、弦と小太鼓が不気味な宮殿前広場を描いていく。そして、時に軍隊のトランペットが警告のような音色をかかげ、フルートとホルンが民衆の鬱屈した心情を代弁していく。

第2楽章「1月9日」。弦のアップダウンのある旋律が民衆の蜂起を表わしていく。そして、その心情を革命歌「帽子をぬごう」によって宮殿に向けられていくが、打楽器と管楽器の乱打により、民衆の蜂起は悲惨な結末を迎えていく。この当たりの音楽描写は本当に宮殿前にいるかのような錯覚に陥った。

第3楽章「永遠の記憶」。鎮魂歌というか葬送行進曲で、全編を通して民衆の悲しみに打ちひしがれている姿を描く。ただ、そのなかでヴィオラが革命歌「こんにちは、自由よ」を奏でながら、民衆の新たなる決意を表わしていく。この抒情感は見事である。

第4楽章「警鐘」。1月9日(血の日曜日)に対する怒りと、皇帝および宮殿へ対する民衆の不撓不屈の精神が描いている。途中で有名な「ワルシャワ労働歌」がまるでデジタル分解のように旋律のなかに組み込まれていて、民衆の強い意志を感じさせてくれる。そして、イングリッシュホルンによって、この曲のテーマにもなっている「帽子をぬごう」が流れ、最後に交響曲第5番のような弦による不協和音の旋律が響きわたり、鐘の乱打が鳴り響き大団円となる。

1時間5分にもおよぶ緊張感に満ちた大曲をスクロヴァチェフスキと読響はノンストップで演奏。そして、スクロヴァチェフスキは音楽劇を描くとともに、ショスタコーヴィッチの葛藤をも描いているようでならなかった。それはまるで原作ショスタコーヴィチ・監督スクロヴァチェフスキの映画を観ているかのようでもあった。もちろんそれを演じた読響のメンバーの演技も素晴らしく、鳥肌がたつ思いの演奏であった。この素晴らしい演奏を聴けたことは感慨にたえない。間違いなく今年の名演奏の一つに上げられるだろう。ブラボー!