ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

オペラ『トリスタンとイゾルデ』@新国立劇場

2010-12-29 13:18:56 | オペラ
昨日(28日)新国立劇場・オペラ劇場でリヒャルト・ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』(ドイツ語上演/字幕付)を観に行ってきた。

演出:デイヴィッド・マクヴィカー
指揮:大野和士
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団

トリスタン:ステファン・グールド
マルケ王:ギド・イェンティンス
イゾルデ:イレーネ・テオリン
クルヴェナール:ユッカ・ラジライネン
メロート:星野淳
ブランゲーネ:エレナ・ツィトコーワ
牧童:望月哲也
舵取り:成田博之
若い船乗りの声:吉田浩之

上演時間 
1幕85分 休憩45分 2幕85分 休憩45分 3幕85分 合計5時間45分
《17時00分開演、10時50分終演》

『トリスタンとイゾルデ』はワーグナー最高傑作オペラと称されているが、それにしてもなぜ日本人がこのオペラを好きなのかがよく解らない。とにかく長い、ストーリーはダラダラしている。いわゆる劇的な見せ場はない。また、音楽にしても同じ旋律の繰り返しでやたら眠くなる。なのに・・・・。w

前奏曲。大野和士と東京フィルの演奏は残念ながらここで観客を劇的世界に導くほどの力はなかった。それゆえかどうか解らないが、観客の咳払いの多いことにも辟易する。『トリスタンとイゾルデ』といえば、この前奏曲を聴かずしていったい何?というのに、客席(特に1階席)からの咳払いにはかなりがっくりさせられた。演劇にしてもオペラにしてもコンサートにしてもどんなライブでも、それは演者や奏者だけが作るものではない。観客も一緒になって作っていくということを、昨日の観客たちの何人かはまるで知らないようである。

第1幕。水をはった舞台の上を朽ち果てた船が進んで行く。そして、しばらくするとその船は港に着く。イレーネ・テオリン演じるイゾルデは貫禄がありすぎる。それに比べて、ブランゲーネを演じるエレナ・ツィトコーワは華奢で、どうみても主従関係というよりもどことなく親子関係に見えてしまう。ただし、歌は二人とも上手い。

第2幕。どこかの桟橋をイメージした舞台である。トリスタンを演じるステファン・グールドはドイツ語発音がなんかアメリカ人ぽいなぁ、と思ったら案の定アメリカ人だった。この人はまだまだ荒削りの部分があるが、声質も声量も豊かでノビシロが十二分にあると思われる。第2幕ではやはり第2場が圧巻だった。トリスタンとイゾルデの二人が歌う「愛の死」も素晴らしかった、そのときのオケの歌いあげも見事だった。耽美ある世界を堪能させてもらった。

第3幕。磯辺というか浜辺をイメージした舞台。ここはかなり不満が残った。これはおそらく演出の問題なのだろうが、もっともテンポよく展開すべきではなかっただろうか。

とにかく洗練された舞台美術は見事である。これまで3回このオペラを観てきているが、そのなかでも今回の舞台美術がもっとも世界観が広がる上に、臨場性と創造性の二つの要因を見事に重ね合わせている。そして、その舞台を見事に引き立てた照明も素晴らしい。演出はかなり静的で娯楽性などは何もないが、心情的な面を引き出そうとしていた。ただ前述したように第3幕の展開の仕方は頂けなかった。また、衣装はあまりの地味すぎて、最後のイゾルデ以外にもう少しアクセントをつけてもらいたかった。

演奏はヴィオラ、チェロ、コントラバスの中低弦はかなりいい音色を奏でていたが、ヴァイオリンにはあまり精彩を感じ取れなかった。また木管にしてもオーボエやイングリッシュホルンはもっともっと歌いあげてほしかった。

最後に苦言をひとつ。それは新国立劇場の椅子は固い、ということである。私が座った席(2階最前列)がたまたまだったのかなぁ、と思ったら、劇場入口にクッションがいくつか重ねて置かれていた。劇場がオープンして13年になるが、そろそろ椅子の総点検をして、徐々に交換していった方がよいのではないだろうか。今回のような長時間の公演ではあの椅子は、私のような劇場慣れしている者でも辛いのだから、他の人ならばなおさらではないだろうか。

今年の聴き納めは読響「第九」

2010-12-23 12:05:43 | 読響
昨日(22日)、サントリーホールで行われた読売日本交響楽団第533回名曲シリーズ公演に行ってきた。指揮はヒュー・ウルフ。

【演目】
ベートーヴェン/交響曲第9番〈合唱付き〉

  ソプラノ:木下美穂子
  メゾ・ソプラノ:林美智子
  テノール:高橋淳
  バリトン:与那城敬
  合唱:新国立劇場合唱団
  合唱指揮:三澤洋史

《19時00分開演、20時15分終演》

「第九」である。ここ数年はずっと国立音楽大学の若さ溢れる合唱のN響「第九」を聴いてきたが、今年はいろいろ吟味して、大人の魅力に満ちた新国立合唱団の読響「第九」にした。本当は都響も聴いてみたかったが、サントリーホールの公演は売り切れてしまった・・・。

読響は質実剛健というか実直かつ重厚な音色が特徴のオケではあるが、ここ最近私が聴きにいった演奏会は少し単調で、お世辞にも褒められたものでない。そして、来シーズンのプログラムは面白味に欠け、加えてこれまであった公演をチョイスして買えたマイ・セレクト会員を廃止してしまった。そのせいかどうか知らないが、S席のチケットを急遽安くしたようである。とはいえ、テミルカーノフも来ないし、聴く機会は減るような気がする・・・。

という読響事務局への不平不満はこれぐらいにして「第九」である。

ヒュー・ウルフの指揮は軽快である。どことなくアメリカンぽいなぁ、と思って演奏後にプログラムを読んだら、アメリカ人だった。(笑)彼の指揮は非常に明確で解り易い。しかし、読響との相性がいいかというと、それは「?」マークだ。

第1楽章。上手に控えるトランペットと下手に控えるホルン双方から空気が抜けるような音色が発せられる。マウスを使う楽器が難しいことは十二分に承知しているが、第九の冒頭であれをやられると辛い。加えて弦もさほど調和が合っているとはいえなかった。

第2楽章。ここもどことなく平凡で、木管陣のアンサンブルも冴えがみられなかった。

第3楽章。ここでやっと「第九」らしくなった。第2ヴァイオリンとヴィオラの統一感が素晴らしい。それに刺激されたように第1ヴァイオリンも続いていい音色を奏でた。ただ、結局ここがこの日のハイライトだったようである。

第4楽章。バリトンの与那城敬の声質は美しい。しかしながら、冒頭のコブシをきかせたようなヴィブラートな歌声は私は好みではない。あまりにも気合いが入りすぎだ。このことはソプラノの木下美穂子も同じ。彼女の歌声も素晴らしい。少し空回りしているように思えた。

サントリーホールで「第九」公演が行われるとき、普通は合唱団がP席に入り、ソリストはオケの後方になることが多いが、読響の場合は80余名の新国立劇場合唱団がオケの後ろに入り、ソリストは指揮者の左右に配置される。ただ、今回のメンバーは声量がありすぎたのか、それとも個性がありすぎたのか、サントリーホール向きではなかった。このメンバーならばサントリーホールのようなヴァンヤード形式のホールでなく、オペラシティかみなとみらいのようなホールで聴きたかった。

残念ながら、終わりよければすべてよし、とはいかなかったが、これで今年の演奏会行脚は終了。年明けはN響A定期からの予定。

東京バレエ団の『M』

2010-12-21 17:48:15 | バレエ
一昨日(19日)東京文化会館で東京バレエ団の『M』を観てきた。振付はモーリス・ベジャール。音楽は黛敏郎(オリジナル)、ドビュッシー、シュトラウスII世、サティ、ワーグナーなど。ピアノは三原淳子。主な出演者は下記の通り。

  少年:肥田宏哉
  Ⅰ-イチ:高岸直樹
  Ⅱ-ニ:後藤晴雄
  Ⅲ-サン:木村和夫
  Ⅳ-シ(死):小林十市
  聖セバスチャン:長瀬直義
  女:上野水香
  海上の月:渡辺理恵
  オレンジ:吉川留衣
  ローズ:奈良春夏
  ヴァイオレット:田中結子
  円舞曲:高村順子、乾友子、佐伯知香

《15時00分開演、16時45分終演》

『M』はフランスの偉大な振付師モーリス・ベジャールが三島由紀夫の生涯とその作品をオマージュしたバレエである。構成の仕方は少年・三島が三島の分身である4人の男たちと共に、『潮騒』『仮面の告白』『禁色』『鹿鳴館』『金閣寺』といった彼の作品を描くとともに、彼がもっていたナルシズム、ホモセクセクシュアリズム、ナショナリズムなど美意識を追求している。

ただ、この視点はあくまでもモーリス・ベジャールというフランス人から観たものであり、日本人に多少なりとも違和感がある。私としては、かなり誇張して美化されていると思わざるえない。

さて、バレエの方だが、7年ぶりにダンサーに復帰した小林十市が素晴らしい。さすがにベジャール・バレエ団を代表するダンサーだっただけのことはある。演出的な背景もあるかもしれないが、彼のもつ個性に比べると、イチ、ニ、サンの3人はさほど主張するダンスがなくおもしろくなかった。女性陣では禁色トリオの3人(オレンジ、ローズ、ヴァイオレット)と円舞曲を踊った3人に目がいった。

『M』は興味深い内容であり、十二分に観る価値のあるバレエではあるが、残念ながらベジャールの傑作『カブキ』のように二度三度観たくなるような作品ではなかった。

ドラマチックなデュトワ&N響

2010-12-16 16:48:57 | N響
昨日(15日)、サントリーホールで行われたNHK交響楽団第1690回定期公演に行ってきた。指揮はシャルル・デュトワ。ピアノはピエール・ロラン・エマール。

【演目】(※はアンコール)
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
※リゲティ/ムジカリテルカーナ第1番
  ~休 憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第8番ハ短調
《19時00分開演、20時55分終演》

1曲目。ピエール・ロラン・エマールはおそらくデュトワとは何十回となく共演しているだろう。二人の呼吸と息づかいは一緒ではないかと思うぐらい、あうんの演奏を繰り広げる。加えて、N響の伴奏も見事にマッチして、協奏曲ならでは三位一体感を見事に表現していく。ただ逆にあまりに三者が溶け合い込んでしまったせいか、少し平坦になりすぎたきらいがあり、ラヴェル特有のきらびやかさを感じることができなかった。それでも、エマールとイングリッシュホルン(池田昭子)の掛け合いは美しく、また全体的に理性に満ちたエマールの音色は十二分に楽しむことができた。

2曲目。ショスタコーヴィッチの戦争三部作(交響曲第7~9番)のなかの一曲。

第1楽章。交響曲第5番に似たような低弦の旋律で始まり、徐々に高弦に移行していく。重苦しい雰囲気を漂わすものの、デュトワとN響の音色は単に重厚なだけでなく、絹糸を針の穴に通すかのようにピーンとした緊張感も満ちている。そして、N響特有のしなやかにして艶やかな弦がアダージョの旋律を奏であげていく。終盤にはイングリッシュホルンが抒情的な悲しい旋律を歌いあげるが、それをサポートする細やかな弦の音色も優しく、胸が熱くなる思いだった。

第2楽章。勇猛果敢な行進曲風な旋律の楽章なのだが、途中からピッコロ(菅原潤)が機械的というか滑稽的な旋律を奏でて、ショスタコーヴィッチならではのアイロニーを感じる。ここでも弦は緊張感に満ちていて、オケ全体をうまくリードしていく。

第3楽章。冒頭のヴィオラのトッカータが印象的。そのあとに続くトランペットとトロンボーンのユニゾンも機動力と疾走感に溢れている。その他の各パートも、前衛的な旋律を打楽器のリズムに合わせて快活に奏でていく。デュトワも普段になく力が入っているように見える。

第4楽章。葬送曲。弦の静かな響きを背景に木管や金管がソロを厳かに奏でる。場内の静けさもあいまってか、かなり不気味な時間を過ごしたような気分になる。

第5楽章。ファゴット(黒木綾子=東京フィル)が牧歌的な主題を見事に吹き上げていく。そして、デュトワが色彩感とリズム感を見事に調和させて、最終楽章を纏めてあげていく。フィナーレ直前は弦、管、打が違った旋律から不協和音の合奏になっていくのだが、これがもう鳥肌ものだった。この体感はCDやテープなどでは絶対に得られない。

以前より私はN響の弦は世界最高峰レベルと公言しているが、先日のプレヴィンとのプロコフィエフ、そして今回のデュトワとのショスタコーヴィッチを聴いていると、日本でこれだけの弦を聴けることが嬉しい限りである。N響のことをあれやこれやととやかく言う人は、私を含めて大勢いるが、この世界最高峰レベルの弦をもっと評価してもいいのではないだろうか。

なお、この公演は本日のサントリーホールと、18日(土)午後2時より横浜みなとみらいホールでも行われる。時間に余裕のある人はぜひともどうぞ。おすすめです。

都響のオール・チェコ・プログラム

2010-12-15 11:47:56 | 都響
昨日(14日)、サントリーホールで開かれた東京都交響楽団の第708回定期演奏会に行ってきた。指揮はヤクブ・フルシャ。演目はすべてチェコ出身の作曲家たちによるもの。

ヤクブ・フルシャは1981年チェコ生まれ。弱冠29歳という若さ。チェコフィルハーモニーのアソシエート・コンダクターなどを経て、2005年から2008年までボフスラフ・マルティヌー・フィルハーモニックの音楽監督。。現在はプラハ・フィルハーモニアの音楽監督兼首席指揮者ならびにグラインドボーン・オン・ツアーの音楽監督。2012年3月にプラハ・フィルハーモニアを率いて日本公演の予定。

【演目】
ドヴォルジャーク/序曲「フス教徒」
スメタナ/交響詩「ブラニーク」
マルティヌー/リディツェへの追悼
  ~休 憩~
ヤナーチェク/グラゴル・ミサ
  ソプラノ:アドリアナ・コフートコヴァー
  アルト :ヤナ・シーコロヴァー
  テノール:リハルト・サメク
  バリトン:マルティン・グーバル
  合唱  :晋友会合唱団
《19時00分開演、21時00分終演》

ヤクブ・フルシャのプリンシパル・ゲスト・コンダクター就任披露公演。それにしても、都響のカタカナ好きには少々呆れる。エリアフ・インバルは首席指揮者でなく、プリンシパル・コンダクター。小泉和裕は常任指揮者もしくは正指揮者でなくレジデント・コンダクター。石原慎太郎の悪影響がこんなところに出ているとは・・・。

前半の3曲はいずれも初めて聴く曲。

1曲目。冒頭の部分の木管陣が素晴らしい。オーボエ(広田智之)クラリネット(佐藤路世)フルート(柳原佑介)ファゴット(堂阪清高)ホルン(西條貴人)の首席陣の息のあった滑らかな音色で、観客は一挙に日常から非日常の世界に引込まれる。ここでフルシャも自信をつけたのだろうか、意気揚々とタクトを振るう。

この曲、途中からドヴォルジャークの交響曲第7番を彷彿させていき、かなり勇ましくなっていく。フス教徒の歴史に関しては不勉強でよく解らないが、プログラムに書かれているように、ドヴォルジャークがフス教徒に敬意をはらっていることはよく解った。

2曲目。スメタナの作曲にもかかわらず、こちらもドヴォルジャークの交響曲第8番を彷彿させる。とにかく元気がいい。チェコ人って結構明るいのね、と思ってしまう。(偏見だなぁ)

3曲目。前2曲に変わってナチス・ドイツへの怒りと犠牲になったチェコ人への悲しみを物語る追悼曲。この曲、途中にベートーヴェンの交響曲第5番を引用していたりと、興味深いところも多い。演奏も穏やかにして静謐な弦の音色が印象的だった。

4曲目。ちょうど1年前の同じ日(忠臣蔵 w)にNHKホールでデュトワとN響の演奏で聴いたが、それに勝るとも劣らない演奏だった。デュトワは荘厳なイメージを払拭して、音楽性を追及していたが、デュトワはやはりチョコ人ということからであろうか、ヤナーチェクが抱いていた宗教観を重視しているように思えた。また、サントリーホールということもあってか、「オルガン独奏」(オルガンは小林英之)の響きが教会のイメージを作りあげていったからかもしれない。

ソリスト陣はいずれもチェコ人もしくはスロバキア人で、誰もこの曲を手慣れているようだった。そのなかで貫禄なのはソプラノのアドリアナ・コフートコヴァー。7月の『売られた花嫁』でも素晴らしい歌声を聴かせてくれたが、今回もひとりずば抜けていた。

この日の都響は弦の主要メンバーがニューヨークへお出掛けの様子。そんなことに全く関係なく、弦は素晴らしかった。チェロに女性が5人もいたためか、舞台前方は女性の弦楽奏者で埋め尽くされていた。

デュトワとN響の「戦争レクイエム」

2010-12-11 21:26:13 | N響
昨日(10日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1689回定期公演に行ってきた。指揮はシャルル・デュトワ。

【演目】
ブリテン/戦争レクイエム

  ソプラノ:タチャーナ・パヴロフスカヤ
  テノール:ジョン・マーク・エンズリー
  バス  :ゲルト・グロホウスキ
  合唱  :東京混声合唱団
       NHK東京児童合唱団
《19時00分開演、20時40分終演》

フル・オーケストラと室内楽の二つを組み合わせた形式で演奏される大作。舞台上は指揮台の前に独唱の3人が座り、それを囲むように室内楽が半円形で配置される。下手側(左側)からヴァイオリン2台、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ティンパニー、ハープ、ホルン、ファゴット、クラリネット、オーボエ、フルートの順。そして、大編成のオーケストラが配置され、奥に120名ほどの混成合唱団が雛壇にあがる。児童合唱団は一貫して舞台裏で終演後の挨拶まで姿を現すことはない。

曲は下記のように6つのパートに分かれている。
 1 永遠の安息を与えたまえ
 2 怒りの日
 3 奉献唱
 4 聖なるかな
 5 神の子羊
 6 われを許したまえ

ミサ曲なので当たり前だが宗教色がとても強い。特に歌詞は時に救いようがなく悲しい。しかし、時に偽善的な言葉が並んで、個人的に嫌気がおきてしまう。というのも、戦争が起きる理由の大きな原因のひとつが宗教だからである。学生時代、戦争が起きる三大要素は人種(民族)、宗教(思想信条)、利権(領土)だと習ったことがある。それを思いだしてしまい、その宗教がいくら反戦を唱っても滑稽に思えてしまったのである。

教会の委嘱によって作られた曲なのだから仕方がないが、戦争の根本が何であるかをまったく追及していない。1962年に作曲されたわりには前時代的な発想のミサ曲でしかない。ただ、ブリテンの音楽性はそんな偽善的な歌詞を越える、強烈な反戦の意志を表している。各パートの導入部はいろいろな楽器を使って、変化に富んだ演奏でスタートしていてとても興味深かった。

演奏はデュトワの指揮の下、オケも室内楽も非常に緊張感に満ちていた。また、独唱のソリストたちの歌声も声に艶と張りがあり素晴らしかった。でも、最大のMVPはやはり東京混声合唱団とNHK東京児童合唱団の歌声であろう。詩の中味などを凌駕してしまう畝るような波の合唱と天使のような歌声は素晴らしかった。

ピアノよりトランペットが際立っていたN響定期

2010-12-06 00:37:29 | N響
一昨日(4日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1688回定期公演に行ってきた。指揮はシャルル・デュトワ。ピアノは先日行われた第16回ショパン国際ピアノコンクール優勝のユリアンナ・アヴデーエワ。チケットは完売。

【演目】(※はアンコール)
ショパン/ピアノ協奏曲第1番ホ短調
※ショパン/マズルカ イ短調
  ~休 憩~
ストラヴィンスキー/交響詩「うぐいすの歌」
ドビュッシー/交響詩「海」
《18時00分開演、20時00分終演》

1曲目。ユリアンナ・アヴデーエワは1985年生モスクワ生まれ。ロシア人にしては華奢にして細身の体型。ドレスでなく、黒のタイトなパンツスーツで登場。

う~ん、N響の伴奏も良くなかったが、アヴデーエワの演奏そのものも正直いいものとは言い難い。初めての日本公演で完売だったためだろうか。それとも、客席にショパンコンクールの審査員でもあったアルゲリッチがいたからだろうか。また、おそらくご両親と思われる方々がいたからであろうか。

ショパンのピアノ協奏曲は数多くあるピアノ協奏曲のなかでも、もっともソナタ色が強い曲である。その対比がブラームスであり、あれほど交響曲的協奏曲はほかにはないだろう。ということに関係なく、アヴデーエワの演奏はソナタ部分のときは、非常に明快にして清涼な音色を奏でるが、オケとの協奏となると没個性的になってしまい、個人としての主張も残念ながら感じない。いくらオーケストラとの共演のキャリアが少ないとはいえ、もう少し我を張ってもいいのではないだろうか。

協奏曲はソリスト、指揮者、オケが三位一体となって完成される作品だと思うが、アヴデーエワはいくらショパンコンクールで優勝したとはいえ、協奏曲への取り組みはまだまだであり未知数である。ただ、この人がブラームスのピアノ協奏曲を弾く姿がどうしても思い浮かばない。

2曲目。初めて聴く曲。もともとはオペラの曲だったものを交響詩にしたそうだ。しかし、起伏に富んだ曲でどんなオペラをやったのだろうかと疑ってしまうほど、高低の変化と強弱に旋律富んだリズムの曲である。

途中『春の祭典』のようなド派手な色彩感のあるところもあるが、全体としてはタイトル通りウグイスが飛び回る光景をを描いている。これならば、交響詩にするよりバレエ音楽にした方がよかったのではないかと思う。

演奏では首席奏者への起用も噂されているトランペットの菊本和昭(京響)の音色が終始安定していて素晴らしかった。忙しくミュートを使ったり、外したりと技巧的にも難しいと思われた曲だが、爽快にしてまた自信に満ちた音色を高らかに吹いていた。ブラボー!

3曲目。往年のデュトワとN響の関係を見事に再現した演奏。ドビューシーが描いていた海はまるで浮世絵のようになって思い浮かんでいく。畝るような弦の演奏がしなやかにして艶やかだった。

ここでもトランペットの菊本が大活躍。終演後、オケのメンバーから祝福の拍手と握手を数多く受けていた。その笑顔を見るかぎり、どうやらN響メンバー入りは確実のように思えた。

都響のみなさん、ごめんなさい

2010-12-01 11:54:53 | Weblog
もう12月である。先月は来日オケが多いために13回もコンサートに行く予定だったが、そのうちの2回が行けなかった。それが共に東京都交響楽団の公演であり、都響にはスミマセンと言うしかない。

20日(土)のプロムナード・コンサートはちょっとした家庭の事情で行くことができなくなり、昨日の定期公演は私の不摂生で行けなくなってしまった。20日(土)の公演はチケットを救済してくれる人が見つかったが、昨日の公演はチケットを渡すのも難しかったので、私の席が空いてしまった。残念でならない。