ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

新国立劇場バレエ団の『ジゼル』

2013-02-23 21:30:39 | バレエ
昨日(22日)新国立劇場で公演されている新国立劇場バレエ団の『ジゼル』を観てきた。音楽はアドルフ・アダン。振付はJ.コラリ/J.ペロー/M.プティパ。主な出演者は下記の通り。

  ジゼル:ダリア・クリメントヴァ
  アルベルト:ワディム・ムンタギロフ
  ミルタ:堀口純
  ハンス:古川和則
  村人のパドドゥ:寺田亜沙子、江本拓
  モンナ:丸尾孝子  
  ジュリマ:厚木三杏

  指揮:井田勝大
  演奏:東京交響楽団

上演時間 1幕55分 2幕55分 休憩20分
《19時00分開演、21時15分終演》

終演後に私がツイートした文章は「完成度は高い。しかし、何か物足りない」だった。舞台美術はバレエにしてはお金がかかっているという感じで壮観。照明(沢田祐二)もさり気ないメリハリがあり絢爛。衣裳も色彩感がしっとりながらも華麗。そして、東京交響楽団の演奏も落ち着きがあって聴かせてくれる。しかし、何か物足りない。

その物足りなさは一体なんだろうか、と帰り道ずっと考えていた。そして、出た結論は「守りに入っていて、攻めがない」ということだった。

具体的にいうと、踊りでは第1幕の村人のパパドゥはなんか間違えないよう間違えないようという感じで活き活きとした楽しさを表していない。第2幕の女性陣の群舞も美しい。しかし、ここもなんか身体で踊っているというより頭で踊っているという感じで、妙に揃えよう揃えようという感じで大人しい。

演奏にしてもホルン、オーボエ、フルートなどのソロパートはとても輝いているのだが、全体を通してなにか肩肘を張っているようで、時折なんで指揮の井田勝大はジゼルを演じたダリア・クリメントヴァのような柔らかさがないんだろうと思ったりもした。

新国立劇場バレエ団は稽古場にしても財政的にもおそらく他のバレエ団と比較して裕福というか余裕のある環境にある。その分、甘えやハングリーさが薄らいでいないだろうか。そのことが舞台に現れるようではいただけない。ハングリーであれ、守りに入るなかれ。表現者は失敗を恐れず攻めてこそ表現者でなかろうか。

準・メルクル&N響のオルガン付き

2013-02-21 23:28:57 | N響
昨日(20日)サントリーホールで開かれたNHK交響楽団第1750回定期公演に行ってきた。指揮は準・メルク。ピアノはヘルベルト・シュフ。オルガンは新山恵理。

【演目】
リスト/交響詩「レ・プレリュード」
リスト/ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
※バッハ(ブゾーニ編)/コラール前奏曲「イエスよ、私は主の名を呼ぶ」
  ~休 憩~
サン・サーンス/交響曲第3番ハ短調
《19時00分開演、20時45分終演》

ヘルベルト・シュフは1979年ルーマニア生まれだが1988年にドイツへ移住。2005年にウィーン・ベートーヴェン国際ピアノ・コンクール優勝。ヨーロッパの主要オケと共演。2009年にウィーン放送交響楽団と共に来日している。

1曲目。前半に2曲があるプログラムの場合、多くのオケは1曲目(特に序曲の場合)はウォーミングアップ的凡庸な演奏が多い。しかしながら、最近のN響はその1曲目にまったく手抜きがない。この交響詩「レ・プレリュード」でも、コンマス(篠崎史紀)率いる弦の統率のとれた音色が、木管、金管としっくりと融け合い、まるで中世の都市で戴冠式でも行われていくような情景的世界を見事に描いていく。「あ~、この曲でバレエを観たいなあ」と思うぐらい、イマジネーションを高めてくれた演奏だった。ブラボーです。

2曲目。ピアノのヘルベルト・シュフは導入部でミスタッチを繰り返す。緊張していたのだろうか。その後は指揮のメルクルが落ち着かせるかのように細かな指示をピアノに出す。指揮者があんなにピアニストに指示を出すのは初めて見る。そのかいあってか、それとも伴奏のN響の落ち着いた音色のおかげか、シュフは半ばぐらいからは平静さを取り戻した。だが、それでも彼としても観客としても満足した演奏ではなかっただろう。

3曲目。全体的にテンポの早い演奏だったが、演奏自体はパーフェクトと言っていいぐらいで素晴らしいものだった。

第1楽章(第1楽章 第1部)弦の緊張感と躍動感に満ちた音色が一気に観客の心を掴むかのように、サン=サンサースがリストに献呈したファンタジックにしてロマンチックな世界へ誘いていく。

第2楽章(第1楽章 第2部)オルガンと弦のユニゾンや、弦と金管の耽美な合奏が美しい。N響の弦のシルキーな音色の美しさを堪能する。

第3楽章(第2楽章 第1部)ティンパニーと共に軽快な弦の低音の主題が繰り返されていく。緊迫感のなかにも木管の響き、心優しい。ちょっとうっとりしてきて、最終楽章への期待が高まる。

第4楽章(第2楽章 第2部)オルガンの強い出だしの後、ピアノの連弾と弦の掛け合いは甘く切なく美しい。それに続く、オルガン、弦、木管、金管の合奏も丁々発止の相互理解のなかで成立するかのようなガッチリとしたスクラムからつくられているようで、荘厳にして雄大な音色がクリアに次から次へと繰り広げられていく。圧巻!

これまで聴いた「オルガン付き」では文句なしに一番。下世話な表現で申し上げないが★★★級の名演だ。準・メルクルは名シェフかもしれない。ブラボー!

先日の日記にも書いたが来シーズンのN響指揮者ラインナップに残念なことに準・メルクルの名はない。その代わりといってはなんだが、新日本フィルの指揮台に登場する。ベト7と幻想交響曲を演奏するようだが、『幻想』は聴き逃せない。

下野竜也の読響“卒業”式だったが・・・

2013-02-19 22:12:32 | 読響
昨日(18日)、サントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第523回定期演奏会に行ってきた。指揮は今回の演奏会を最後に(実際は20日の東京芸術劇場での同じ公演だが)正指揮者を“卒業”する下野竜也。

【演目】
ブルックナー/交響曲第5番変ロ長調
《19時00分開演、20時25分終演》

まず最初に断っておくが、私はマーラー音痴であるがブルックナー音痴ではない。ブルックナーに関しては何枚かのCDは持っているしライブも結構好んで聴きに行っている。今回の公演にして下野竜也最後の渾身のブルックナーという思いで期待していた・・・。

演奏そのものは決して悪くは無かった。金管は若々しく清々しくよく鳴っていた。弦も柔軟性があり、ピチカートもリズムに整っていた。しかし・・・。

木管は弦とうまく融合しているものの、金管はまるで独自に吹奏楽を奏でているかのようで弦と大きく乖離していた。それは私が2階席で聴いていたということもあるかもしれないが、それを差し引いても下野は金管と弦を融合させる手だてを何もしなかった・・・。

それでも、下野の卒業式ということで、熱狂的(というか盲目的)な観客は下野を舞台に引きずり出したいらしく拍手を続け“一般参賀”をしていたが、私はそんなことをするならば、なんでオケに対してスタンディング・オベーションをしないのかな、と首を傾げながら足早にコートを預けたクロークに向かわざるをえなかった。

準・メルクルとN響のダフクロ

2013-02-16 21:44:54 | N響
昨日(7日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1743回定期公演に行ってきた。指揮は準・メルクル。チェロはダニエル・ミュラー・ショット。合唱は国立音楽大学。

【演目】
サン・サーンス/チェロ協奏曲第1番イ短調
※ラヴェル/ハバネラ形式のヴォカリーズ チェロ独奏版
  ~休 憩~
ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」
《19時00分開演、21時00分終演》

ダニエル・ミュラー・ショットは1976年ドイツ・ミュンヘン生まれ。1992年に15歳で「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」で優勝して注目を集める。これまでに海外の主要オーケストラと共演。N響とは2011年3月の北米公演で、プレヴィン指揮によるエルガー『チェロ協奏曲』で共演している。使用楽器は1727年製マッテオ・ゴフリラー。

1曲目。ダニエル・ミュラー・ショットは長身ということもあるが、エンドピン(脚棒)が妙に長い。この脚棒のせいかそれとも楽器本体のせいか高音は艶のあるいい音を響かせるが、低音にチェロ特有の粘りのある力強い伸びが感じられない。曲自体も20分と短いせいもあったが、少々消化不良であった。

2曲目。準・メルクルとN響の関係はすでに10年以上になるが、私が聴いた演奏のなかでは『夏の夜の夢』『ラ・ヴァルス』の印象が強く忘れることができない。しかし、今回はそれ以上に忘れることができない演奏だった。

メルクルは約100人の合唱団をコントロールしながら、オケに細かな指示を促してラヴェル特有の畝りのある音楽を築いていく。それは決してダイナミズムでもスペクタクルでもないが、クロード・モネの絵を思い浮かべるかのような淡い色彩感に満ちた世界で、十二分に堪能することができた。ただ、残念なことは来期のN響指揮者メンバーに準・メルクルの名はない。それゆえに、再来年以降に今回と同じように合唱団を用いた曲での登場を望みたい。

最後に演奏とはまったく関係ないことだが、NHKホールの場内係に苦言を一言。サントリーホールなどでは通路にデレ~と荷物を置いていると係員は客に注意をするが、NHKホールはそれをまったくしない。通路際に座っている者からすると、あれは視覚的にかなり見苦しいので、今後はビシビシ注意してもらいたい。

読響の旧正月版ニューイヤーコンサート

2013-02-14 10:31:06 | 読響
一昨日(12日)、サントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第557回サントリーホール名曲シリーズ公演を聴きに行ってきた。指揮およびヴァイオリンはウィーン・フィルのコンサートマスターのライナー・ホーネック。

【演目】(※はアンコール曲)
ロッシーニ/歌劇「泥棒かささぎ」序曲
シューベルト/劇音楽「ロザムンデ」から「間奏曲第2番」「バレエ音楽第2番」
ベートーヴェン/ロマンス第2番へ長調
ドヴォルザーク/スラブ舞曲第2集第2番
ブラームス/ハンガリー舞曲第1番
  ~休 憩~
J.シュトラウスII/喜歌劇「こうもり」序曲
J.シュトラウスII/エジプト行進曲
ヨーゼフ・シュトラウス/ポルカ・マズルカ「遠方から」
J.シュトラウスII/ワルツ「加速度」
J.シュトラウスII&ヨーゼフ・シュトラウス/ピチカート・ポルカ
ヨーゼフ・シュトラウス/ポルカ・シュネル「休暇旅行で」
J.シュトラウスII/ワルツ「南国のばら」
J.シュトラウスII/トリッチ・トラッチ・ポルカ
※ヨハン・シュトラウス/ラデツキー行進曲
《19時00分開演、21時00分終演》

前半は指揮のライナー・ホーネックのお好きな曲特集なのだろうか。後半はひと月遅れの旧正月版ニューイヤーコンサート。最後もお約束通りの“観客追い出し曲”で締めくくる。

演奏は東京芸術劇場、みなとみらいホール次いで3回目ということもあってか、弦はみなさん余裕たっぷりで和気藹々だったが、木管金管にはそれほどの余裕は見られない。読響も新陳代謝の時期に入っているようである。

METライブビューイング『トロイアの人々』

2013-02-01 18:12:39 | ライブビューイング
昨日(31日)渋谷パレスでMETライブビューイング『トロイアの人々』を観てきた。音楽はエクトル・ベルリオーズ。演出はフランチェスカ・ザンベッロ。指揮はファビオ・ルイージ。管弦楽はメトロポリタン歌劇場管弦楽団。主な出演者は下記の通り。上演時間は約5時間17分(休憩2回)。

  カサンドラ:デボラ・ヴォイト
  コロエブス:ドゥウェイン・クロフト
  アエネアス:ブライアン・イーメル
  ディドー:スーザン・グラハム
  アンナ:カレン・カーギル
  ナルバル:クワンチュル・ユン

ベルリオーズの『トロイアの人々』は19世紀半ばに作られたものだが、全曲上演がされたのはベルリオーズが亡くなって100年の時を過ぎた1969年だった。そして、その4年後にメトロポリタン歌劇場でもアメリカ初演として上演される。しかし、日本では未だに上演されたことがない。

お話は3部構成になっていて、第1部(第1幕と第2幕)はトロイアの悲劇を、第2部(第3幕と第4幕)はトロイアとカルタゴの結び付きと優美な世界を、第3部(第5幕)はカルタゴの怨念を描いていて、歴史は繰り返すという教訓的ストーリーである。また男性にとっては女性の恨みは恐ろしいということも加わる。(苦笑)

舞台装置は第1部は少し変則的な斜舞台、第2部と第3部は平舞台で、第2部ではお盆(回り舞台)を効果的に利用する。衣裳はクラシックとモダンをミックスさせた、見た目はオーソドックスなものだが、そのセンスの良さに見入らされる。照明は全体的に明るいが、遠近の使い分けが上手くドラマチックに満ちている。こうした効果を引き出したフランチェスカ・ザンベッロ演出は壮大な歴史劇を時に無常に時に幻想的に描き上げていく。

ベルリオーズの音楽は第1部は壮大にして壮絶に、第2部は華麗にして耽美に、そして第3部は幻想的にして流麗と変化に富んでいる。そうした音楽を『仮面舞踏会』『アイーダ』に続いて指揮をしたファビオ・ルイージは、ソリストたちの歌声を輝かせ、合唱団を奮いたたせる。

歌手ではやはりMETを代表するプリマドンナ2人デボロ・ヴォイトとスーザン・グラハムの二人の歌声は超弩級の素晴らしさだ。特にS.グラハムはインタビューで「この役の好きさは何位ぐらい?」という質問に「エベレスト山」と答えるぐらいのお気に入りで、その歌声と演技は尋常ではない凄さだった。

そして、もう一人の驚愕な凄さを見せたのは代役としてMETデビューを果たしたブライアン・イーメル。第5幕の独唱では会場から「Welcome MET」と言わんばかりの拍手喝采を受けていた。彼は間違いなく次のMET公演では代役ではなく完全な主役として登場するであろう。

とにかく第1部はD.ヴォイトと合唱団の迫力に圧倒され、第2部はS.グラハムとバレエに魅了され、第3部はB.イーメルとルイーズが指揮するベルリオーズの音楽を堪能したグランドオペラであり、それを見事なカメラワークで紹介したテレビクルーも称賛しなければならないだろう。

最後にMETライブビューイングを上映している松竹へのお願い。この作品は日本で一度も上演されたことのない作品である。そして、今後5年ぐらいは上演されそうになさそうなので、まだまだこのライブビューイングを観たいという人はいっぱいいると思う。それゆえに、この作品だけは単館で構わないから何度も再上映してもらいたい。