ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ルルー&アシュケナージのN響

2016-06-20 23:45:11 | N響
先日(17日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1839回定期公演を聴いてきた。指揮はウラディーミル・アシュケナージ。オーボエはフランソワ・ルルー。

【演目】(※はアンコール曲)
R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
R.シュトラウス/オーボエ協奏曲ニ長調
※グルック/「オルフェオとエウリディーチェ」から「精霊の踊り」
  〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第3番ヘ長調
《19時00分開演 20時55分終演》

1曲目。アシュケナージは指揮台の上に乗るや否や音楽がスタート。それもかなりのハイスピード。金管と打楽器の生き生きした音色が心地よい。しかし、中間部ではスピードを少し落としてオーボエ、ファゴットの音色をしっとりと聴かせる。そして、終曲部では導入部と同じようにまたハイスピードに戻り快活に終わる。意外と言っては失礼だが、1日目の1曲目としてはかなりの演奏だった。

2曲目。フランソワ・ルルーのオーボエを聴くのおそらく初めて。温柔敦厚にして自由闊達な音色は非常に魅力的。加えて、オケの面々への気配りおよびアンサンブルも語弊のある言葉かもしれないが、なんかラブラブ感があり、聴いていてなんかほのぼのとした演奏だった。で、面白かったのだがアンコール。ステージ左脇に置かれていたピアノを第1ヴァイオリン横に持ってきて、そこでアシュケナージが伴奏をすることに。これには場内から大拍手。ルルーの素晴らしい音色に何処となくたどたどしいアシュケナージの音色が重なりあり、ご愛嬌のアンコール。良いものを聴きました。というより見ました。w

3曲目。この曲はあの弦楽の粘りのある畝るような演奏がポイントだと私は勝手に思っているが、アシュケナージはその点をかなりあっさりとさせていて、個人的には若干物足りなさを感じる。


ヤニック・ネゼ=セガン&フィラデルフィア管弦楽団

2016-06-08 00:38:30 | 海外オーケストラ
先日(3日)サントリーホールで開かれたフィラデルフィア管弦楽団の公演を聴いてきた。指揮はヤニック・ネゼ=セガン。ヴァイオリンは五嶋龍。

【演目】
シベリウス/交響詩『フィンランディア』
武満徹/ノスタルジア ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に―
  〜休 憩〜
ブルックナー/交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
《19時00分開演、21時00分終演》

1曲目。北欧の人々にとって『フィンランディア』は愛国心的かつドラマチックな音楽だと思うが、どうもアメリカのオケにかかるとそうではないようだ。自信に満ちたダイナミズムな世界を描くようで、全体を通して威風堂々としている。ウ〜ンと、ちょっと戸惑いながらも、これはこれで有りなんだろうなあ、と言う感じで聴いた。

2曲目。『フィンランディア』と『ロマンティック』の間にどうしてタケミツがプログラミングされるのかが全く解らない。海外オケはなんでタケミツばかり演奏するのだろうか。それも全く解らない。日本人の作曲家はタケミツしか知らないのだろうか。たまには伊福部昭とか黛俊郎とか演奏してくれないものだろうか。と言うことで、タケミツに興味がない上に面白くない曲だったので勝手に休憩させてもらった。

3曲目。フィラ管というと明るく伸びやかな音質、そして時に映画音楽のようなスケールの大きい煌びやか音色を奏でるイメージがあるが、この曲では溜めのきいた包容力のある音色を轟かせた。木管・金管陣のレベルはさすがブラスバンド大国アメリカだけあってか、豊麗な音色を思いっきり響かせていた。そんななかで印象的だったのが、フルートのいぶし銀のような音色と、ホルン(ジェニファー・モントーン)のアグレッシブな音色だった。一方で、弦がフィラ管特有のドライブがかかった音色を繰り出さない。あれではフィラ管ではない。ヤニック・ネゼ=セガンはそれを極力抑えているのか、それとも伝統的なドライブのかかったオケではない新しいスタイルを模索しているのか・・・。

さて、この演奏会を聴いている時に、アメリカではヤニック・ネゼ=セガンがメトロポリタン歌劇場(MET)の2017-18シーズンから次期音楽監督として取り組み、2020-21シーズンから正式に音楽監督に就任するとのニュースが流れた。私はファビオ・ルイージがMETの次期音楽監督になると思っていたので少々驚いたが、まあこれでルイージがN響を振る機会が増えたと思えば御の字かもしれない。

オペラ『ローエングリン』@新国立劇場(4日目)

2016-06-05 00:46:18 | オペラ
先日(1日)新国立劇場・オペラ劇場で公演された『ローエングリン』(4日目)を観に行ってきた。音楽はリヒャルト・ワーグナー。演出はマティアス・フォン・シュテークマン。指揮は飯守泰次郎。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。主な出演者は下記の通り。

ハインリヒ国王:アンドレアス・バウアー
ローエングリン:クラウス・フロリアン・フォークト
エルザ・フォン・ブラバント:マヌエラ・ウール
フリードリヒ・フォン・テルラムント:ユルゲン・リン
オルトルート:ペトラ・ラング
王の伝令:萩原 潤
ブラバントの貴族Ⅰ:望月哲也
ブラバントの貴族Ⅱ:秋谷直之
ブラバントの貴族Ⅲ:小森輝彦
ブラバントの貴族Ⅳ:妻屋秀和
合唱:新国立劇場合唱団
《17時00分開演、22時10分終演》休憩2回

ワーグナー・オペラの長いことは十二分に認識していたが、それにしても長い。第1幕は約1時間10分、第2幕は約1時間30分、そして第3幕は約1時間10分もある。いくら休憩時間が40分あるとはいえ長すぎる。確かに昔は芝居は1日かけて楽しむものであったが現代はそういう時代ではない。このオペラにしても、第3幕の結論部分を考えると、第1幕と第2幕は半分のダイジェストにして欲しいと思ってしまう。それでなくとも、新国立劇場の椅子が固く辛かった。このことについては別の機会にでも書きたいと思う。

あらすじは何処からやってきた勇猛果敢な騎士がその正体を明らかにすることもなく、ブラバント王国の姫・エルザと結婚する。しかし、エルザは彼の名を執拗に聞きたがることで、騎士は自分は聖杯の地から来たローエングリンだと名を明かし、エルザの弟を王国の後継者にするとして、エルザの元を去る。内容としては悲劇なのか喜劇なのか判断のつかない、表裏一体の悲喜劇という感じである。

舞台美術は光沢のある黒塗りの緩やかな斜舞台。奥には格子状のパネルがあり、これが場面ごとにいろいろな光模様を映しだしていく。割とシンプルな舞台で出演者は演じやすい舞台装置である。しかし、第1幕はまるで演奏会形式ではないかと思うぐらいほとんど動きのない。この演出には驚き。長丁場の舞台ゆえの配慮なのかもしれないが、観ている方は退屈極まりない。何度ウトウトしてしまったことか。第2幕は脇役陣が主役のために、それぞれが自分の登場シーンを思いやりたっぷり演じるために間延びしていく。第3幕にして、やっとオペラらしい展開というか演出を見せてくれる。

出演者ではやはりタイトルロールを演じたクラウス・フロリアン・フォークトがやはり抜きんでていた。今ではワーグナー・テノールの第一人者と言われるだけあり、艶やかにしてハリのある美声は素晴らしい。相手役でエルザを演じたマヌエラ・ウールも第1幕はセーブしていたのが第3幕とのフォークトとの掛け合いでの歌声は清美で聴きごたえがあった。他の出演者もそれなり良かったが、ハインリヒ国王やフリードリヒは日本人歌手を起用しても良かったのではないかと思えた。

飯守泰次郎は前奏曲や間奏曲では丁寧な指揮ぶりで魅惑的な音色をオケから引き出すが、出演者が舞台がいるときはとても良いと言えない。ただ、指揮をしているだけという感じで、出演者たちが気分良く歌い上げるような音色を作り上げていない。また、しっかりとした指示も出しているとも思えない。それゆえか、出演者たちの多くはプロンプターに乗せられているようで、終演後何人かはプロプターと握手をしたり、顔を見合わせて、彼の健闘を称えていた。

このように、決して褒められていいとは思えない舞台だったが、終演後の観客は熱狂的なカーテンコールを送っていた。日本人のワーグナー好きにはちょっと首を傾げたくなる。それとも、フォークトのために拍手をしていたのだろうか。

東京交響楽団第640回定期演奏会

2016-06-03 00:25:36 | 東響
先週土曜(28日)サントリーホールで開かれた東京交響楽団の第640回定期演奏会を聴いてきた。指揮はクシシュトフ・ウルバンスキ。ピアノはアレクサンダー・ロマノフスキー。

【演目】(※はアンコール曲)
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番ハ長調
※J.S.バッハ(シロティ編)/プレリュードロ短調
  〜休 憩〜
チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調
《18時00分開演、19時55分終演》

1曲目。以前ロマノフスキーをノセダ&N響で聴いた時に、彼は鍵盤を手元に引き寄せるような変わった弾き方をするなあと思った。ところが、この日は明らかに指を上下に連動させるよう弾き方で、私の思い込みをしっかり裏切ってくれた。私はこうした「裏切り」が好きである。加えて、彼は爽快というか音を極限まで鮮明にするかのような音色を奏でていく。そして、第1楽章の途中からテンポをアップをさせて、これは面白いピアノ協奏曲になるかなあと思った。しかしながら、オケの木管陣の何人かは練習不足なのか彼に上手くついていけてなかった。そのせいか第2・第3楽章では凡ミスもあり、最後までどことなくチグハグした感じの伴奏になってしまい、ロマノフスキーの面白をしっかりと堪能することができなかった。ロマノフスキーはやはりN響と共演する方が良さそうである。

2曲目。チャイ4はチャイコフスキーの交響曲の中でも最も歯切れ良いテンポの音楽だと思っているが、そうした思いをここでもしっかり裏切ってくれて、ウルバンスキはかなりゆっくり目のテンポで、チャイ6(悲愴)のような濃厚かつ凝縮された音色を作り出そうとしていく。しかし、ここでも木管・金管に粗さが目立ち、正直のめり込むほどの音色を聴くことはできなかった。ウルバンスキは3月まで首席客演指揮者の任にあったのだから、オケとはある程度の信頼関係があるはずなのに・・・。とにかくこの日の東響にはガッカリさせれた。新国立劇場のオケピに入っている時のようなキラキラ感というか何かを期待させるようなトキメキ感は微塵もなかった。また、ミューザ川崎で聴くときのような安定感もなかった。いくら翌日に日帰りの新潟公演があるにせよ、もう少し気張って欲しかった。