ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ブロムシュテット&N響のモツ&チャイ・チクルス(その3)

2014-09-29 14:18:07 | N響
昨日(28日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1789回定期公演を聴きに行ってきた。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。チケットは完売。

【演目】
モーツァルト/交響曲第41番ト短調「ジュピター」
  ~休 憩~
チャイコフスキー/交響曲第6番ホ短調「悲愴」
《15時00分開演、16時55分終演》

あまりにも有名な2曲のプログラム。一般的にはさほど期待感をもたれない演奏会のはずだが、開演前のロビーにはちょっと異様なムードが漂う。ブロムシュテットがどんな「ジュピター」をやるのか、どんな「悲愴」の最終楽章を聴かせてくれるのだろうか、と音楽ファンたちがワクワクしている気合いがビシビシと伝わってくる。N響定期の開演前にこれほど緊張感が漲っているのを感じたのは初めてである。

1曲目。先日の交響曲第40番はドイツのオケ的な音色で正直感心しなかったが、この日のN響は本来もっている銀白色に輝くシルキーな音色が響きわたる。ブロムシュテットの指示は前回以上に細かく、とても87歳とは思えないセンセティブさ。そして、それを的確に応えていくN響の弦奏者たちは世界でも屈指のレベルといっても過言ではない。あのナイーブにして豊かな響きを出せるオケはそうめったにないと思う。それを考えると、日本人の器用さと繊細さは弦を奏でるのに本当に適していると思わざるをえない。そして、こうした器用さと繊細さに感性がフィットしたときは、鳥肌が立つような音色が奏でられる。これまで「ジュピター」を聴いたときは、そのほとんどが瞼か重い状態に入ってしまったが、この日は初秋の心地よい気候にもかかわらず、時たま妄想にふけることはあるものの、モーツァルトの明快かつ天上的音楽を堪能することができた。ひょっとしてモーツァルト開眼。(笑)

2曲目。
第1楽章。前回と同じようにモーツァルトの優美さを引きづるかのように、ゆったりかつのびのびした弦のボーイングが明晰な音色を奏でていく。ロシア風の重厚さや威厳さは感じられない。しかし、ブロムシュテットは木管を奮い立たせるかのような指示を繰り返し、それに応えて終楽章部分でのクラリネット(松本健司)からファゴット(宇賀神広宣)への旋律移動は白眉な出来。この楽章の終了時点で、今回の演奏は凄いに違いないと確信する。

第2楽章。弦主体のロンド。普通のオケではここは弦が踊るかのような演奏をするが、この日のN響の弦は至極冷静沈着。ただし、その音色は「ジュピター」のときのように、しなやかなにして艶やかなシルクの音色。それでいてどことなく虚脱感と哀愁感も漂う。ここではブロムシュテットは第1楽章ほどの大きな指示はすることなくかったが、オケをしっかり信頼しているかのように温かい目で見守っている感じであった。

第3楽章。木管がスキップするような音色で始まる有名なスケルツォの楽章。ブロムシュテットは全身を使って、さまざまな指示を繰り出していく。それに対して弦も木管も快活かつ上品な音色で応える。そして、トランペット、トロンボーン、チューバも連動的に呼応していく。そしてシンバル(竹島悟史)と大太鼓(石川達也)の絶妙な音だしから、快活にしてリズミカルなコーダを情熱的に盛り上げていった。

第4楽章。アダージョ。絶望的な悲愴感というよりは喪失的な悲しみを表すように葬送的な旋律が流れていく。会場は緊張感からか誰もが息を飲み込んでいる。そんななか、終曲部分のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが最後の鼓動を刻み、穏やかにして音色がフェイドアウトしていく。ブロムシュテットは長い静寂な時間を演出する。指揮者とオケの一体感、そして観客とも一体化した素晴らしい演奏であった。

終演後の会場では拍手は鳴り止まず、最後はブロムシュテットを呼び戻すソロカーテンコール(一般参賀)になった。N響定期での一般参賀はファビオ・ルイージが1月に「カルミナ・ブラーナ」を演奏したとき以来ではないだろうか。

私は老害は大嫌いだが、老練、老巧は決して嫌いではない。ブロムシュテットは87歳だが、その振る舞いはとても80代後半とは思えない矍鑠たる姿で、若々しく驚愕と述べるほかない。客席には80代90代の観客が何人もいるだろうが、彼ほどアグレッシブかつエネルギッシュな人はいるだろうか。

最後に、この演奏会の弦参加者にはN響アカデミーに所属しているか、フリーの若い奏者の姿が何人か見受けられた。おそらく彼・彼女らにとって、この公演は一生の誇りであり宝になると思う。20代の若さが肌で感じとった80代の老練、老巧さを、今後の自信と成長の糧にしてもらいたい。

なお、今回のブロムシュテット&N響の「モーツァルト&チャイコフスキー・ツィクルス」は10月5日、12日、19日と3週続けてEテレの「クラシック音楽館」で放送予定。

ブロムシュテット&N響のモツ&チャイ・チクルス(その2)

2014-09-21 22:52:22 | N響
一昨日(19日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1788回定期公演を聴きに行ってきた。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。

【演目】
モーツァルト/交響曲第40番ト短調
  ~休 憩~
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調
《19時00分開演、20時45分終演》

NHKホール前でちょっと滑稽な光景を目にした。ホール入口に虫除けスプレーがおいてあり、それを腕にかけてから会場に入る人がいたのである。代々木公園に隣接したホールに蚊がいないとは限らないが、あんな空調が効いているところでは、蚊はなかなか生息しにくい。防蚊対策を力説する私としてもこれには笑うしかなかった。まだ帰宅の際にスプレーをかけて原宿駅方面に歩いていくのなら理解できるが・・・。

1曲目。弦は10-10-6-4-3の対抗配置。広いNHKホールでこんな小編成の弦で平気だろうかとちょっと思ったが、冒頭の有名な旋律から清らかな弦の音色がホールに伝わっていく。ブロムシュテットはいつものように手刀を切るように小気味よく指揮をしていく。もちろん暗譜である。彼の頭のなかに譜面が完全に焼きついているのだろう。というより、身体全体の細部まで染み付いているといった方がいいかもしれない。

2曲目。弦は16型の対向配置。前回のチャイ4を「モーツァルトのようなチャイコフスキー」と評したが、今回は「N響がまるでドイツのオケのようだった」と言わざるを得ない。ブロムシュテットは思いっきり低音を効かせて重厚な響きを轟かせる。特に弦がG線を弾くときの音圧はこれまでの日本のオケでは聴いたことがないような凄みというか深みを感じさせた。また、木管もクラリネットとオーボエを際立てさせ、芳香にして豊満な音色を引き出すようにしていた。もうなんかシュターツカペレ・ドレスデンかライプツィヒ・ケベントハウス管、はたまたミュンヘン・フィルのような重層的な音色を聴く思いであった。それはある意味、N響がドイツのオケと肩を並べるレベルにあるという証しだったのかもしれない。一方でN響がもつオリジナリティに欠けていたという感じもしなくもない。私は決して自民族中心主義(エスノセントリズム)ではないが、この日のN響はあまりにもドイツに魂を奪われすぎているような気がした。もう少しN響だけがもつシルキーな音色を聴きたかった。

ブロムシュテット&N響のモツ&チャイ・チクルス(その1)

2014-09-14 23:09:15 | N響
先日(10日)サントリーホールで開かれたNHK交響楽団の第1787回定期公演を聴きに行ってきた。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。

昨年9月、N響は定期公演でブロムシュテットのブラームス・チクルスを行った。そして、その3回の公演は「最も心に残った. N響コンサート2013」の1位から3位を独占してしまった。

http://www.nhkso.or.jp/contents/wp-content/uploads/2014/03/best_concertssoloists_2013.pdf

あれから1年。今年はモーツァルトの最後の交響曲3曲とチャイコフスキーの最後の交響曲3曲をカップリングするというチクルスが行われる。

【演目】
モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調
  ~休 憩~
チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調
《19時00分開演、20時45分終演》

1曲目。編成は12型の対抗配置。コントラバスは第1ヴァイオリンの後方下手(左手)側に。ティンパニーはヴィオラの後方上手(右手)に置かれる。

モーツァルト音痴の私。この第39番、これまでに何度も聴いているが、そのたびに寝ていた(スミマセン)。ところがである。今回はまったく眠気がでない。それどころか、目も脳裏もどんどん冴えていく。え~~。指揮者によって演奏が変わるのは当然のことだが、眠気まで変わる(というか無くなる)とは・・・。ブロムシュテットは例によって右手で手刀を切るように指揮をして、左手で的確な指示を出していく。N響のメンバーもそれを完全に心得ているかのように、あ・うんの呼吸で演奏を続ける。普段はさほど身体を揺らせて演奏することのないメンバーたちが、大きく身体を揺すりながらつややかにしてまろやかな旋律を奏でていく。いや~、目がテン。なんか初めてモーツァルトの良さを教えてくれたような気がした。モーツァルト開眼!?

2曲目。編成は16型の対抗配置。コントラバスは1曲目同様に下手(左手)側だが、ティンパニーはセンター後方に置かれる。

一言でいうと、まったくロシア的でないチャイコフスキー。1曲目のモーツァルトをそのまま踏襲したチャイコフスキーとでもいおうか。とにかくロシアの香りや匂いがまったくしない。乾燥した大地、ロマノフ王朝の荘厳さ、スラブの赤い民族衣装、といったものがまったく連想されない。とにかく奇をてらわず自然体な演奏。それでいて、ピアニシッモとフォルティッシモを身体のおもむくままに演奏させる。第4楽章だけは金管を少し咆哮させたが、基本的には弦主体の演奏に徹してして、N響のシルキーな音色を鮮やかに引き出していた。

これほど研ぎ澄まされたチャイコフスキーを聴いたことはかつてない。ブロムシュテットはあくまでもオケに自然体を心がけるように仕向けているが、相当緻密なリハーサルをしていると思う。もはやブロムシュテットはN響にとっては「巨匠」と呼ぶよりは「名匠」とか「大家」と呼んだ方がいいのではないだろうか。

語呂合わせの読響定期

2014-09-11 23:07:27 | 読響
一昨日(9日)サンントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第540回定期演奏会に行ってきた。指揮は下野竜也。

【演目】
ハイドン/交響曲第9番ハ長調
  ~休 憩~
ブルックナー/交響曲第9番ニ短調
《19時00分開演、20時45分終演》

今回のプログラムについて読響のホームページでは「まず、ブルックナーの第9番に挑戦しようと決まり、公演日が9月9日だったので、語呂合わせでハイドンの交響曲第9番を思いつきました。結果的ではありますが、どちらも3楽章という共通点もあり、あまり知られていないハイドンの9番も知っていただければ」と下野竜也の意図が書かれていました。

1曲目。昨日の日記ではないが、交響曲の定義とは?と書くと、“交響曲の父”であるハイドンに失礼で書かないが、3楽章の交響曲というのはやはり物足りない。あと、なぜか第2楽章に入るときに、フルートの二人とオーボエの二人が配置を転換した。そして、第3楽章になるとまた元に戻る。下野に何の意図があったのだろう。ただ単にセンターに演奏者たちを据えたかったのだろうか。でも、楽章間に響く靴音はいただきけない。下手な小細工はしない方が良かったと思う。

2曲目。この1年でブログ9は3~4回聴いていると思うが、今日のブル9は3楽章しかなかったという理由からではなく本当に物足りなかった。演奏しました、鳴らしましたというだけの感じで、とても褒められたものではなかった。特にホルンとワーグナーチューバの不揃いや余韻の残し方などにかなり乱れがあった。それでも、終演後にはブラボーの声が多数あったが、同様に読響にしては珍しく足早に客席を立つ観客もかなり多かった。

読響はコンマスに日下紗矢子やダニエル・ゲーデが加わり、スクロヴァチェフスキ路線から新たな展開を行うのではないかと期待されたが、残念ながらその成果を感じ取ることことはできなかった。また、10月以降のプログラムに魅力を感じないので、3年近く続いた会員もこの公演をもって一旦停止することにした。まあ、1回券で聴きに行くことは今後もあるだろうが、会員にまたなるかどうかはまったくの白紙である。

フルシャ&都響のマルティヌー

2014-09-10 23:46:59 | 都響
一昨日(8日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団第774回定期演奏会Bシリーズを聴きに行ってきた。指揮はヤクブ・フルシャ。プログラムはマルティヌーの2曲。

【演目】
マルティヌー/交響曲第4番
  ~休 憩~
マルティヌー/カンタータ《花束》(日本語字幕つき)
  ソプラノ:シュレイモバー金城由起子
  メゾソプラノ:マルケータ・ツクロヴァー
  テノール:ペテル・ベルゲル
  バス:アダム・プラヘトカ
  合唱:新国立劇場合唱団
  児童合唱:東京少年少女合唱隊
《19時00分開演、21時05分終演》

1曲目。交響曲の定義とは何かなんて書くのはヤボなので辞めるが、この曲は交響曲というより、4つの単独の曲、それもすべてが威勢のいい行進曲か祝典曲が連なる“交響曲”だった。というのも、この曲はナチスドイツが降伏した1945年5月前後に書かれている。ボヘミアの地を追われ、フランス、アメリカと渡った彼にとって、この曲は終戦の喜びであると共に戦勝記念曲だったのかもしれない。

2曲目。第二次世界大戦前の1937年に書かれた作品で、民族的音楽の色彩が濃いカンタータ。約50分の曲で第1部は「前奏曲」「毒を盛る姉」「牧歌」「牛飼の娘たち」「間奏曲」「家族に勝る恋人」の6曲で構成され、第2部は「クリスマス・キャロル」と「人と死神」の2曲のみになっている。

タイトルを見ればある程度察することができるように、この曲は全体を通してマルティヌーの人生観、世界観、死生観を表しているように思える。それをチェコに縁のある歌手たちと、新国立劇場合唱団、東京少年少女合唱隊が見事に歌いあげる。4人の歌手たちはいずれも実力の持ち主のようで、特に男性陣2人の歌声には魅了された。また、新国立劇場合唱団の合唱も素晴らしく、東京少年少女合唱隊も1曲(クリスマス・キャロル)とはいえ、明るい歌声を聴かせてくれた。

指揮のフルシャは国際マルティヌー協会会長。今後も日本にマルティヌーを広めるための啓蒙活動をしてくれるに違いない。個人的にはやはり交響曲第5番と交響曲第6番『交響的幻想曲』を聴いてみたい。

それにしても、このプログラム、たった1回公演にも拘らず歌手や合唱団を呼ぶなど、フルシャと都響の意気込みが感じられた。今後に期待である。