ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ベルリンフィルの底力を実感・体感

2013-11-21 14:03:22 | 海外オーケストラ
一昨日(19日)サントリーホールで開かれたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の東京公演を聴きに行ってきた。指揮はサイモン・ラトル。

【演目】
ブーレーズ/ノタシオン
  ~休 憩~
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調
《19時00分開演、21時05分終演》

2年前に聴いたベルリンフィルは「あっという間」に終わってしまい、感銘も感動も受けなかった。それは演目が未完成作品ともいうべきブルックナーの第9番であったということもあったが、今回はブルックナーのなかでも名曲中の名曲、第7番である。

1曲目。初めて聴く現代音楽。ブーレーズが作曲したノタシオンのなかから5曲を抜粋して演奏。正直、良いのか悪いのかまったく解らない。私の席が1階前方だったということもあり、たくさん並んだ打楽器がほとんど見えず少々消化不良。それにしても、ラトルの指揮台の譜面がやたらデカい。一方で弦の譜面は小さい。ラトルは大きな譜面を1曲終わるせるたびに指揮台横の台に置いていく。譜面だけが印象に残るとは、やはり良いのか悪いのかよく解らない。

2曲目。弦は18型の対向配置。コントラバスは上手(右側)後方。その隣中央よりにホルンとワーグナーチューバ持ち替え組。センターの木管の後ろほぼ正面にトロンボーンとチューバ。トランペットはそれより下手(左側)に配置。

コンマスはダニエル・スタフラヴァ。木管の首席者はフルートはエマニュエル・パユ、オーボエはジョナサン・ケリー、クラリネットはヴェンツェル・フックス、ファゴットはダニエレ・ダミアーノとベルリンフィルが誇る世界に冠たる奏者たち。そして、ホルンはシュテファン・ドール。おそらくトランペットもトロンボーンも最強の首席陣を揃えていたのだと思う。

これまでブル7の名演奏はいくたびか聴いている。それはどれもが崇高であり神々しい輝きの演奏であったが、今回の演奏はそれらを凌駕する演奏といっていい。サイモン・ラトルの指揮は端正に溢れていて、時に優しく時に気高くオケを導いていき、一音一句一小節をとても丁寧に描いていく。そして、そこから紡ぎ出される音色は宗教的な色彩をまったく感じさせない明晰にして高潔な輝き。そして押し付けがましい様式美や精神性もない。単純に音楽のもつ芸術性人間性をいかに表現していくかに終始している。

そのことを楽団員たちも周知しているかのように、それぞれが自分のパートを決して目立つこともなく、ブルックナーの音楽を全員で支えるかのように奥ゆかしく奏でていく。これは世界最高峰の木管金管陣だからできるのことなのかもしれない。そして、弦も端麗な響きを終始一貫聴かせてくれた。2年前の来日時のベルリンフィルの弦は妙に剛直な響きで好きになれなかったが、今回はメンバーも若返り、女性も増えたようで、まろやかなさや優雅さも加わり、木管金管陣とも麗しい融合をみせてくれた。

演奏を聴きながら、何度も天井を仰いだり、反響板に写るオケを眺めたりした。そして、ブルックナーがもつ孤高にして深遠な世界は何であろうかなどとぼんやり考えたりした。そして、そのうちにいつまでもこの音楽だけに浸っていたい、音楽だけがいつまでも流れて「時間よ止まれ!」と心のなかで叫んでいた。

終演後、余韻がしっかり残る静寂、フラブラもなけらば、異様なブロボーの嵐もない。でも、観客は最後まで盛大な拍手を送り続け、ラトルを舞台袖が引き出して“一般参賀”にもなった。ただ、それはあっさりと1回で終え、誰もが演奏会の素晴らしさを満喫して家路についた。いつものブルックナーの演奏会の興奮とは違いとても清々しかった。

ベルリンフィルは本当に凄かった。その圧倒的な底力を魅せつけられた思いである。