ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ケント・ナガノとバイエルン国立歌劇場管弦楽団

2011-09-29 15:04:41 | 海外オーケストラ
昨日(28日)サントリーホールで開かれたバイエルン国立歌劇場管弦楽団の来日記念特別演奏会を聴きに行ってきた。指揮はケント・ナガノ。独唱はアドリエンヌ・ピエチョンカ。

【演目】(※はアンコール曲)
ワーグナー/歌劇『タンホイザー』より序曲とヴェヌスベルクの音楽(パリ版)
R.シュトラウス/『四つの最後の歌』
  ~休 憩~
ブラームス/交響曲第4番
※ワーグナー/歌劇『ローエングリン』第3幕への前奏曲
《19時00分開演、21時10分終演》

バイエルン国立歌劇場は『ロベルト・デバリュー』『ローエングリン』『ナクソス島のアリアドネ』という3つのオペラ公演のために来日中だが、その合間を縫っての特別演奏会。チケットは完売でなかったにしろ、9割から9割5分の入り。

1曲目。ケント・ナガノの統率力に満ちあふれた指揮ぶりは素晴らしい。ワーグナーということで、指揮もオケも手慣れた曲ではあろうが、まったく手を抜くことがない。ナガノはアグレッシブにオケを纏め上げていく。そして、そこからコントラバスやチェロの低弦も、トランペットやホルンの高音もカクテル光線のように輝いて放たれていく。いきなりバイエルンからの音がサントリーホールを制圧してしまった。

2曲目。何度も書いて恐縮だが、私はドイツ語を勉強していないので、ドイツ語の歌を理解することができない。ましてや字幕もなければプログラムに対訳すらない歌を理解するのは不可能である。これでは馬の耳に念仏、猫に小判である。

3曲目。ケント・ナガノの指揮は明晰であると共に精巧にして緻密。そして、オケの音色は重厚であると共に時おり静謐感が漂う。加えて、その音色に理性というか知性を感じる。ドイツには120以上のプロオーケストラがあると言われるが、このバイエルン歌劇場管弦楽団はそのトップクラスに位置するであろう。首席陣にスターはいないので派手さはないが、誰もがいぶし銀というか玄人肌の仕事をしている。そんななかで、第4楽章にフルートのお姉さんがなんともいえないクリスタル感のあるロマッチックな音色を奏でてくれた。

アンコールは予想通りというか宣伝も兼ねてであろうのワーグナー。指揮者もオケのメンバーも、次はオペラを観に来てくださいという強いメッセージが伴った圧巻の演奏。観客は大喜びでモントリオール交響楽団のときには観られなかった“一般参賀”もごく自然に起きた。ということで、今度の土曜には『ロベルト・デバリュー』(指揮はナガノではない)を観に行く。『ナクソス島のアリアドネ』(こちらは指揮はナガノ)はお財布と相談してから決めたいと思う。

いずれにしろ、ケント・ナガノには大いなる才能を感じた。彼は2013年半ばでバイエルンとの契約が切れるので、そのあとに是非とも日本のオケをも振ってもらいたい。さて、どこのオケと共演するだろうか。

上原彩子と都響のチャイコピアノ協奏曲第2番

2011-09-28 10:58:39 | 都響
昨日(27日)サントリーホールでの東京都交響楽団の第721回定期演奏会を聴いてきた。指揮はマーティン・ブラビンス。ピアノは上原彩子。チケットは完売。

【演目】
プロコフィエフ/歌劇「戦争と平和」序曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第2番ト長調
~休 憩~
プロコフィエフ/交響曲第5番変ロ長調
《19時00分開演、21時15分終演》

チケットは完売なのに空席が目立つ。私の両隣、そして前の席の定期会員さんはお目見えにならなかった。都響会員はロシアン・プログラムはお好きではないのだろうか。ということで、私はゆったりお殿様気分(表現がオーバーか)で、結構長いヘビーなプログラムを聴くことができたが、胃腸不良のために普段よりちょっと集中力には欠けてしまった。m(__)m

1曲目。序曲としてはいかにもソビエト的というか仰々しく、とてもこれからオペラが始まりますよ~、という感じの曲ではない。これだと、本編のオペラも相当大変なのではないだろうか。ひとつ苦言を呈すると、オケの編成が少し違うからといって、最初から2曲目のピアノ協奏曲のために中央にピアノを設置していてもらいたかった。たった5分の曲のあとに7~8分もかけて舞台転換しては間延びしてしまう。

2曲目。チャイコフスキーの曲にもかかわらずめったに演奏されない。その理由は何かを知りたいがために私も興味津々になって聴く。上原彩子はややお疲れなのか、それともご機嫌斜めなのか、それとも集中力を高めるためなのだろうか、少し思い足取りで舞台に登場した。ところが、ピアノの前に座ると・・・。

第1楽章。チャイコフスキーらしくない。荘厳さとかロマンチックさが感じられない。上原の弾きぶりもどことなくぶっきらぼうな感じで、とても協奏曲という感じがしない。このあたりがこの曲のあまり演奏されない不人気さなのだろうか。それゆえかどうか解らないが、観客の多くが夢心地の世界に入ってしまったようで、船を漕ぐ人、天を仰ぐ人などが続出。

第2楽章。この曲のハイライトはここなのだろうか。ピアノソロ以外にコンマス(矢部達哉)とチェロ首席(古川展生)の掛け合いが長く続く。ピアノ協奏曲というようり、ピアノ三重奏かはたまたバイオリンとチェロの協奏曲の様相すらある。中間部でピアノのメランコリックなカデンツァが挿入されるが、これはさほど魅力的ではなかった。

第3楽章になってやっと上原彩子がもつ野性的かつ自由奔放さを発揮。そして、旋律もチャイコフスキーらしい艶やかさと軽快さが続いていく。上原は都響のホームページで、この曲を自分からお願いして弾くことになったと述べているが、それをもっとも象徴していたのはこの楽章だったのかもしれない。

【9月定期】インタビュー/上原彩子に聞くチャイコフスキー協奏曲第2番に寄せる想い
http://www.tmso.or.jp/j/topics/index.php?id=167

3曲目。プロコフィエフの交響曲というのは不協和音というか微妙にアンバランスなところが魅力的がある。ところが、ブラビンスの指揮はかなりきっちりと指揮をしていて面白みにかける。かといって、音のアンバランスさを奏でるための弦と管のバランスはアンバランスで、弦への比重が突出していて木管や金管の良さを惹き出していない。これでは曲がアンバランスではなくオケがアンバランスになってしまい、プロコフィエフの良さを描いているようには思えなかった。

ブログのご案内&ツイッターのフォロー再お願い

2011-09-27 10:29:54 | Weblog
クラシック音楽関係のことはこのブログ「ミーハーのクラシック音楽鑑賞」に書いていますが、それ以外のことは別のブログ「飲兵衛の小言・戯言・独言」)に書いています。

特に3月11日以降は、震災関連のことを多く書いていて、それが生じたわけではありませんが、9月9日より11日に被災地(釜石、大槌、陸前高田、気仙沼)を訪れてきました。下記に訪問記を書いていますので、ぜひとも読んでいただければ嬉しく存じます。また、ツイッターをしている方、できればフォローよろしくお願いします。

被災地を訪れて(その1) ~私のなかに流れている東北の血~
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

被災地を訪れて(その2) ~人は人のために生きてこそ人と申す~
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/09/blog-post_5738.html

被災地を訪れて(その3) ~聞くと見るとでは大違い。百聞は一見に如かず~
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/09/blog-post_15.html

被災地を訪れて(その4) ~聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥~
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/09/blog-post_16.html

被災地を訪れて(その5) ~木を見て森を見ず~
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/09/blog-post_19.html

被災地を訪れて(その6) ~継続は力なり~
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/09/blog-post_20.html

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小山実稚恵とコバケンと日本フィル

2011-09-26 10:37:41 | 日本フィル
昨日(25日)、サントリーホールで行われた日本フィルハーモニー交響楽団の「コバケン・ガラ vol18」コンサートへ、5月以来母親と一緒に行ってきた。指揮は小林研一郎。ピアノは小山実稚恵。ヴァイオリンは扇谷泰朋(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)。

【演目】(※はアンコール曲)
リスト/《愛の夢》第3番(ピアノ・ソロ)
リスト/《エステ荘の噴水》(ピアノ・ソロ)
リスト/《舞踏》
  ~休 憩~
サン=サーンス/《死の舞踏》
ストラヴィンスキー/バレエ組曲《火の鳥》(1919年版)
※マスカーニ/オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲
※ブラームス/ハンガリー舞曲第5番ト短調
《14時00分開演、15時45分終演》

このプログラムがいつ発表されたかは覚えはないが、チケット発売は確か3月11日以前であった。そして、コバケンがこのプログラムをいつ考えたかも知る由もないが、まさか彼自身も震災から半年経って、このようなプログラムを演奏するとは思いもよらなかっただろう。

1曲目。おそらく小山は東日本大震災で亡くなられた方々へ捧げるレクイエムとして弾いていたに違いない。その音色には夭折した人々への優しさと安らぎに満ちた思いが満ちあふれていた。それゆえに、私の瞼の前には先日訪れた一面野原になってしまった大槌町や陸前高田の光景、そして、いまだ廃墟のままの気仙沼の加工工場群などの風景が浮かんできてしまった。観客も小山のそうした思いを解っていて演奏後の拍手を控えたのだが、残念なことにそれを理解できない人が何人かいた・・・。

2曲目。弾けるような音色。ドビュッシーやラヴェルに影響を与えたという音楽を小山がまるでリストだけでなく、そのドビュッシーやラヴェルの魂まども取り込んでいる演奏。その音色は震災から立ち上がろうとしている人たちへの応援歌のようにも聴こえた。

3曲目。初めて聴く曲。というかあまり演奏されない曲なのだが、小山は入念に練習したのであろう、渾身の力を込めて弾いて行く。そして、時に前屈みになり鍵盤を撫でるように美しいピアニッシモを奏でる。良くも悪くも小山の独壇場の世界になるが、オケとの絆もしっかりして、特に金管(バストロボーン&チューバが良かった)との兼ね合い美しかった。

後半の2曲は前半に比べて、正直凡庸だった。サン=サーンスの曲ではコンマス扇谷泰朋が頑張るものの、どうみてもコバケンとの連携が悪く、全体に空回りというか練習不足という感が否めかった。また、『火の鳥』もバレエ音楽としての優雅さやドラマチックさはほとんど感じられずが、終始一貫交響曲を聴いているようであった。

最後に恒例の母親のお言葉。「3曲目の強靭なフォルテと繊細なピアニシモが彼女の魅力よね」と非常にご満悦だったが、「後半は面白くなかったわね。ホルンはとても頑張っていたけど」ということだった。なかなか良い耳をお持ちである。(笑)

歴史的名演であろうブロムシュテット&N響のブル7

2011-09-22 11:03:57 | N響
昨日(21日)台風15号の影響で大荒れとなった天候のなか、サントリーホールで開かれたNHK交響楽団第1708回定期公演を聴いてきた。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。ゲスト・コンサートマスターはペーター・ミリング。チケットは完売。

【演目】
シューベルト/交響曲第7番ロ短調「未完成」
  ~休 憩~
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調(ノヴァーク版)
《19時00分開演、21時05分終演》

鳥肌が立った。涙が止めどもなく出た。文句なしに今年のN響定期では一番の出来であり、歴史的名演として後世に語り継がれるであろう凄いコンサートだった。

台風のために観客の入りは2~3割。総数にして500人前後だったのではないだろうか。N響をこんなガラガラの客席で聴いたことはもちろん初めてだったが、ブロムシュテットとN響のメンバーは少ない観客などまったく気にもせず、奇跡と思えるぐらい素晴らしい演奏を聴かせてくれた。

台風のために来れなかった人には申し訳ないが、客席がガラガラのせいで、反響音・残響音が普段のサントリーホールとはまったく違った。とにかく響く。そして残るのだ。まるで大聖堂で聴いているかのように、音が響き渡るのである。加えて、一音一音がとても明快に聴こえてくる。特にホルンおよび金管楽器が滅茶苦茶にクリアだった。

1曲目。コンマスのペーター・ミリングの影響だと思うが、しっかりしたボーイングのおかげでN響のシルキーな弦がより張りのある艶としなやかさ。その音色はまるでドライアイスから湧き出る煙のように客席に流れていく。そして、少しくすんだスモーキーなオーボエの青山聖樹の音色がホールのなかをサランウドするかのように彷徨していく。普段は明晰なオーボエの青山だが、ブロムシュテットの指示があったのかもしれないが、薫製のような深い味わいの音色は本当に素晴らしかった。青山聖樹にとっておそらく忘れられない演奏だったに違いない。ブラボー!

2曲目。ブルックナーの7番といえば、主題を何度も繰り返していく長い長い曲で有名だが、これがブロムシュテットの手にかかると、魔法のようにその長さを全く感じさせず、単調な展開も起伏に富んだ交響曲の醍醐味を味わえるようになってしまうから不思議だ。

第1楽章。アレグロ・モテラート。チェロとホルンによって主題が登場する。この曲のホルン首席は日本一のホルン奏者・松崎裕(元N響首席)。彼の存在なくしてこれまでのN響の名演はなかったが、この日も彼の存在はやはり大きかった。とにかく豊穣ある音色がホルン(松崎、勝俣泰、今井仁志、客演=金子典樹?)から次々に歌い上げられていく。それに吊られたわけではないだろうが、トランペット首席の菊本和昭からは繊細にして気持ちのよい弾けるような音色が発せられる。松崎と菊本、N響の新旧の顔ともいうべき二人の競演を聴いているだけでワクワクして嬉しくなってしまった。

第2楽章。有名なアダージョ。ミリング率いる弦が重厚にして、伸びのある音色でオケをリードしていく。そして、次第にワーグナー・チューバ(日高剛、客演=和田博史、中島大之、客演)が荘厳でありながら悲しみに包まれた音色を奏でる。そして、最後はホルンの音色によって埋葬されていく。この楽章は何度聴いても飽きない。

第3楽章。スケルツォ。ここはな金管陣が素晴らしかった。単純な主題を繰り返すだけだが、菊本をはじめとしたトランペットやトロンボーン陣のクリスタルにして厚みのある音色を聴いているだけで気持ちが高揚していく。この楽章はこれまで単なる主題の繰り返しでさほど面白いと思ったことはなかったが、それをブロムシュテットは一気に魅力ある楽章に変えてしまった・・・。凄い。

第4楽章。フィナーレ。ホルンとワーグナーチューバのコーラルが華麗にして勇壮な楽章。ここでもブロムシュテットは対向配置にしたヴァイオリンの音色をうまくコントロールしながら、木管金管のシャープな音色を引き出していく。最後は清々しく終曲の高まりを築きあげていった。

終演後お客さんは少ないにもかかわらずブラボーの嵐。そして、拍手はいつまでも鳴り止まず自然と一般参賀まで起きてしまった。大変貴重な体験をした演奏会だった。

現在84歳になるブロムシュテットだが、その指揮ぶりや動きは矍鑠としていて、90歳ぐらいまでは現役で行けそうな感じである。高齢な方にお願いするのもなんだが、来年も再来年も来日して指揮をしてもらいたい。少なくとも彼の指揮するブルックナーの交響曲第8番と第9番だけはぜひとも聴いてみたい。

ブロムシュテットとN響の蜜月な関係

2011-09-17 11:21:21 | N響
昨日(16日)NHKホールでのNHK交響楽団第1707回定期公演を聴いてきた。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。ピアノはレイフ・オヴェ・アンスネス。チケットは完売。

【演目】(※はアンコール曲)
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番ニ短調
※グリーク/抒情小組曲」第5集op.54より第2曲「ノルウェー農民の行進」
  ~休 憩~
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調
《19時00分開演、21時00分終演》

ロシア・ロマンチズム・プログラムとでも呼ぼうか。金曜の夜にもかかわらず3500人以上収容できるNHKホールが完売である。ブロムシュテットの威力であろうか。それともアンスネス人気であろうか。

1曲目。アンスネスは3年前にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番聴いているが、そのときはあまりのあっさり感で好印象ではなかった。そして、今回もあっさりである。軽やかである。清々しい空気が流れていて、ラフマニノフ特有のアンニュイというかデカタンスな雰囲気はいっさい音色に表さない。しかし、妙に聴きいってしまった。そして、最後には涙腺が少し揺るんでしまう。それがなんでなのかよく解らない。たぶん、被災地へ行った個人的感情が込み上げてきてしまったからなのかもしれない。

2曲目。ブロムシュテットとN響の関係はデュトワやその他の指揮者の関係よりタイトかもしれない。正直、ブロムシュテットでチャイコフスキーというのは似合わないと思っていたが、そんなの全くの下衆の勘繰りだった。

第1楽章。N響の弦は本当に美しく素晴らしい。艶としなやかな音色は、ビロードのような弦と呼ばれるロイヤル・コンセルヘボウやウィーン・フィルとまったく遜色ない。いまやN響の弦はシルクのような弦と表してもおかしくないぐらいのレベルだ。

第2楽章。この曲の出来の明暗をわける楽章。冒頭のホルンは見事だった。何が見事だったかというと1番(日高剛)のソロだけでなく、それをサポートする3番(松坂準=読響)の伸びのある音色に魅了された。ホルンの3番であれほど聴き惚れたことは過去にはないと思う。

第3楽章。もっとも短い楽章だが、ここでのブロムシュテットの指揮は圧巻だった。対向配置の弦のバランスをコントロールしながら、クラリネット(松本健司)やファゴット(坪井隆明=新日本フィル)の旋律をうまく引き出していった。

第4楽章。弦も木管も金管も打楽器も一糸乱れがない。ブロムシュテットの指揮の下、メンバーには心地よい緊張感があるのだろう。こうなると、非の打ち所がなくなっていく。中間からコーダへの流れはジェットコースターのような起伏に飛んだ演奏ではなかったが、競馬場の緑の絨毯の上を疾走していくサラブレットたちのように爽快感に満ちあふれていた。気持ちよかった。

N響のチャイ5というと、CDにもなっているスヴェトラーノフ指揮の演奏(第2楽章の松崎裕のホルンが最高)が有名だが、最近ではサンティ、アシュケナージ、デュトワと指揮をしている。そして、どれもが外れたことはない。そして、ブロムシュテットの指揮も十二分にいやそれ以上に満足のいく演奏であった。さあ、次は誰が指揮をするのだろうか。

最後にN響へのお願い。震災以来中断している「開演前の室内楽」を余震も落ち着いてきたのだから、少なくとも12月ぐらいからは再開してもらいたい。これは私だけでなく多くの会員が望んでいることであろう。

追記:9月9日から11日まで釜石、大槌、陸前高田、気仙沼を訪れてきました。それに関する日記を下記のブログに連載していますので、ぜひともご一読ください。よろしくお願いします。

飲兵衛の小言・戯言・独言
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ロマンチックな音色を期待したのだが

2011-09-14 21:42:17 | 読響
一昨日(12日)、サントリーホールで開かれた読売日本交響楽団の第507回定期演奏会に行ってきた。指揮は常任指揮者のシルヴァン・カンブルラン。チケットは完売。

【演目】
ベルリオーズ/劇的交響曲〈ロミオとジュリエット〉
  第1部 序奏:戦い
  第2部 ロミオひとり
  第3部 愛の情景
  第4部 マブあるいは夢の精
    ~ 休 憩 ~
  第5部 ジュリエットの葬送
  第6部 キャピュレット家の墓場でのロミオ
  第7部 フィナーレ
《19時00分開演、20時55分終演 途中休憩15分あり》

   メゾ・ソプラノ:カタリーナ・カルネウス
   (当初予定のベアトリス・ユリア=モンゾンから変更)
   テノール:ジャン=ポール・フシェクール
   バス:ローラン・ナウリ
   合唱:新国立劇場合唱団

『ロミオとジュリエット』というとプロコフェイフのバレエ音楽が有名だが、ペルリーオズの劇的交響曲の方は声楽入りということもあり、なかなか演奏される機会が少ない。私も生で聴くのは今回が初めて。

曲全体を聞いた感想は、う~ん『幻想交響曲』に似たような旋律が数多くあるなぁ、という印象とベルリオーズのロマンチズムを読響はうまく表現しきれていないなぁ、だった。

この交響曲、劇的と書かれているように、『幻想交響曲』ほどではないがドラマチックな音楽を展開をしている。それは声楽だけでなく演奏も同じである。しかしながら、その根底を支えるべきはずの弦にロマンチックな艶がない。二期会オペラ『トゥーランドット』のときにあれだけゴージャスなプッチーニ・サウンドを聴かせてくれた同じオケとはとても思えない。これは指揮のカンブルランが抑制した音色を求めたためなのだろうか。それならば、もっと柔和な色気のある音色を出せるはずなのだが・・・。

ソリスト陣の歌声はそれなりの歌声でこれといった特徴はなかったが、合唱は誉めるべきであろう。フランス語のもつ鼻にかかった発音(これが私はできない)を綺麗に歌いあげていてとても好感がもてた。

オケのなかではトロンボーンやトランペット、そしてホルンは深い劇的な音色を奏でるが、それに連動するはずの弦がやはり硬すぎて、フランス風の洒脱した感覚が聴こえてこない。そんななかで、クラリネット(藤井洋子)やファゴット陣の音色にはロマンの香りが漂っていた。

現在の読響とカンブルランの関係はまだまだ発展途上ではないだろうか。スクロヴァチェフスキで培った音楽のために、弦や打楽器はまだまだ硬く、妙に何かに固執しすぎているきらいがあり、臨機応変さが感じられない。芸術に主義主張は付きものではあるが、指揮者に対しての寛容さがなくしてはオケは成立しないだろう。今の読響にはボランティア活動ではないが、自己完結と臨機応変さが必要と感じざるをえなかった。

追伸:9月9日から11日まで釜石、大槌、陸前高田、気仙沼を訪れてきました。それに関する日記を下記のブログに連載していますので、ぜひともご一読ください。よろしくお願いします。

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やっぱり私はマーラー音痴

2011-09-03 22:31:19 | 日本フィル
昨日(2日)サントリーホールで行われた日本フィルハーモニー交響楽団第633回定期演奏会を聴いてきた。指揮はピエタリ・インキネン。

【演目】
マーラー/交響曲第3番ニ短調
  メゾ・ソプラノ:アンネリー・ペーボ
  女声合唱:栗友会
  児童合唱:杉並児童合唱団
《19時00分開演、20時45分終演》

第1楽章。長い。長過ぎる。意味がないとまで言わないが無駄とも思える旋律の繰り返しが多すぎる。なんでもかんでも詰めこみすぎていて、飽和状態になっている。聴いていて疲れるだけで、残るものがほとんどない。おそらくこのような低俗な批判をマーラーは100年以上受けているのだろうとは思うが。

第2楽章。かなり短い楽章だが、正直面白くない。ここまで聴いていると、やっぱりマーラーは私には向いていない。正直、帰ろうかと思い始める。

第3楽章。中間部から2階席下手奥から流れてくるコルネット(オッタビアーノ・クリストーフォリ)に魅了される。この第3楽章のために第1楽章と第2楽章があるのかとすら思えてくる。

第4楽章。アンネリー・ペーボの歌声は清廉にして重厚。ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』の詩を噛み締めるように歌い上げていった。

第5楽章。児童合唱の「ビム・バム」を繰り返すなか、女性合唱の歌声が美しい。そして、木管と金管の伴奏も彼女たちの歌声をうまく引き立ていた。

第6楽章。アダージョ。マーラーといえばアダージョ。アダージョといえばマーラーである。アダージョというと弦のイメージが強いが、ここでは木管と金管が重なりあうように演奏されていき、これが美しい。

シーズン開幕の演奏会で指揮のインキネンも日本フィルの演奏も決して悪くなかった。クリストーフォリのコルネットをはじめ、ホルンの福川伸陽、トロンボーンの藤原功次郎といったラッパ隊の首席陣は在京オケでも最も若々しく、そして艶のある音色を轟かせてくれた。それに比べて、弦には奥行きというか懐の深さを感じられなかった。もう少し、深遠な感情の籠った音色を聴きたかったのだが・・・。

やっぱり私はマーラー音痴である。いい演奏だったにも関わらず感動しない。マーラーだからだろうか。自意識過剰、自己陶酔的、誇大妄想型のマーラーに、私は残念ながら心揺さぶられるものがほとんどない。この100分の曲、誰か60分ぐらいに再編成してみてはどうだろうか。こんな失礼なことを思うのは私だけだろうか。

ストラディヴァリウス&N響

2011-09-02 10:03:51 | N響
一昨日(31日)、サントリーホールで行われたストラディヴァリウス&NHK交響楽団のチャリティコンサートに行ってきた。指揮は梅田俊明。ソリストはヴァイオリンがヴェロニカ・エーベルレとセルゲイ・ハチャトリアン、チェロがN響首席奏者の藤森亮一。

この公演はチャリティコンサートであると共に、日本音楽財団保有のストラディヴァリウスお披露目公演。ヴェロニカ・エーベルレは1700年製「ドラゴネッティ」を、セルゲイ・ハチャトリアンは1702年製「ロード・ニューランズ」を財団より貸与されている。また、藤森亮一はこの演奏会では1730年製「フォイアマン」を使用する。

【演目】
バッハ/2つのヴァイロインのための協奏曲二短調
    (Vn:ヴェロニカ・エーベルレ、Vn::セルゲイ・ハチャトリアン)
ヴェリックス・メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲ホ短調
    (Vn:ヴェロニカ・エーベルレ)   
  ~休 憩~
フェリックス・メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲変ホ長調から「スケルツォ」(管弦楽版)
ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調
    (Vn:セルゲイ・ハチャトリアン、Vc:藤森亮一)
《19時00分開演、21時00分終演》

1曲目。オケのなかにチェンバロも入り、いかにもバッハというメロディが流れるなか、ヴェロニカ・エーベルレとセルゲイ・ハチャトリアンのストラディヴァリウスの音色が軽やかに流れていく。清廉にして崇高な音色とでも言おうか。ただ、バッハ音痴の私にはそうしたメロディが流れていくだけである。(苦笑)

2曲目。右肩から背中かけて白い肌を露にしたエーベルレの大胆な紫のドレスを、オジさんモード全開でニヤニヤ眺めながらメンコンを聴くも、彼女の純真にして清楚な演奏の前にオジさんモードを恥じる。先日の川久保賜紀のメンコンは、シンプルにして研ぎすまされた大吟醸のようなメンコンと形容したが、エーベルレのメンコンは献身的というか、まだ汚れを知らない処女性をもったメンコンであって、ある意味近寄りがたい少女の輝きを発しているかのようだった。ファゴット首席を務めた大埜展男(東響)のサポートが素晴らしかった。

3曲目。これといった面白い曲ではなく、なんのために演奏されたのかすら解らない。次の曲のためのウォーミングアップでしかなかったと思う。

4曲目。ブラームスの協奏曲というと、どれもが交響曲的で大作だが、この曲ももともとは交響曲第5番になる予定だったとか。ただ、この曲はソリストを二人揃えなければならないという経済的理由からかオケで演奏される機会は非常に少ない。

第1楽章はいかにもブラームスという感じで重厚な音色。それに加えてストラディヴァリウスの響きも相まって曲全体がどことなく引き締まっているようにすら聴こえる。ブラームという大木とストラディヴァリウスという大木が高く聳えたつような感じを覚えるほど圧倒される。

第2楽章はブラームスにしては牧歌的というか田園的。どことなくドヴォルジャークを彷彿させるような旋律も流れてきて、ブラームスもこうした情景的音楽を書いているんだと思う。

第3楽章。チョロとヴァイオリンがロマンチックな恋愛劇を演じるかのように掛け合い、ブラームスとクララ・シューマンとのエピソードを思い出してしまう。それでも2本の弦は最後はオケと一体化していき、やはり協奏曲というよりは交響曲だった。

この演奏会、4曲も演奏されたのに一度も「ブラボー」の声がかからなかった。それでも、観客の拍手はなかなか止むことがなく、マロさまをはじめN響メンバーも驚いていた。「ブラボー」のない演奏会はとても清々しく、観客もチャリティの趣旨を心得ているようだった。