ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ヤルヴィ親父とN響による珍しいR. シュトラウスの3曲

2014-04-25 01:04:47 | N響
一昨日(23日)サントリーホールで開かれたNHK交響楽団第1780回定期公演を聴きに行ってきた。指揮はネーメ・ヤルヴィ。

【演目】
R. シュトラウス/祝典前奏曲
R. シュトラウス/紀元2600年祝典曲
  ~休 憩~
R. シュトラウス/バレエ音楽「ヨセフの伝説」
《19時00分開演、21時00分終演》

あまり演奏されないR. シュトラウスのプログラム。そして、どの曲もオケは大編成で舞台上は、蟻の這い出る隙もない100人以上の奏者が陣取る。加えて3曲ともパイプオルガンが使われるというのも珍しい。

1曲目。シャープもフラットも使われていないというハ長調。となると、もはや楽譜が読めない私でも演奏できるかもしれない。(笑)しかし、その音量は素人にはとてもじゃないが、出せそうにない大音量。先日のNHKホールでのシベリウス交響曲第2番の最終楽章も大音量だったが、サントリーホールでここまで大音量の演奏は聴いたことがない。

2曲目。祝典曲ということもあり、全体にけたたましく威勢がいい。若干優美なパートもあるが、そこもフォルテで演奏されて、全体のメリハリはまったくない。これを聴いた戦前の大日本帝国政府は喜んだかもしれないが、曲構成としてはさほど面白くなく、加えて1曲目以上に大音量で正直聴いて疲れる。

音楽には鐘を使っていたり、各パートに日本を意識した標題をつけたりしているが、R. シュトラウスは日本に来たこともなければ、知識があったわけでもなさそうなので、「海に囲まれた島国」「侍(英雄)の活躍」「桜の花咲く祭り」といった標題は当時のナチス政府もしくは在独日本大使館らによる入れ知恵のような気がする。

3曲目。聴いていてとてもバレエ音楽という気がしない。プログラムに書かれていた場面設定を想像しながら、曲を聴いていたがまったくイメージが湧かない。もちろん、私のような凡人がイメージできたら、たいした音楽ではないのだろうが、それでもこの曲に振付をつけるのは相当難儀だろう。日本で上演されたことはあるのだろうか。官能的な踊りという言葉が数多く出てくるので、一度は観てみたいような気もするが。(笑)

この曲は時おり優美な旋律があるものの、約1時間の演奏時間の半ばは完全に中だるみで欠伸すらでてしまった。めったに演奏されない訳である。

それにしても、ヤルヴィ親父は凄い。大編成のオケをしっかり纏めあげ、メガサウンドの曲を3つも指揮するとは。このやる気と勢いだと、来年首席指揮者になる息子パーヴォに向かって「N響の代役はいつでも引き受けるからな」と言いそうである。(笑)

新国立劇場バレエ団の『ファスター/カルミナ・ブラーナ』

2014-04-21 21:03:05 | バレエ
一昨日(19日)新国立劇場オペラ劇場で新国立劇場バレエ団の『ファスター/カルミナ・ブラーナ』(初日)を観てきた。振付は共にデヴィッド・ビントレー。指揮はポール・マーフィー。管弦楽は東京フィルハーモー交響楽団。『カルミナ・ブラーナ』の独唱は安井陽子(ソプラノ)、高橋淳(テノール)、萩原潤(バリトン)。合唱は新国立劇場合唱団。上演時間は約2時間15分(途中休憩1回)。

『ファスター』
音楽:マシュー・ハインドソン
衣裳:ベックス・アンドリュース
照明:ピーター・マンフォード

 跳ぶ:本島美和
 投げる:福田圭吾
 闘う(ファイターズ):小野絢子、福岡雄大
 マラソン:五月女遥

『ファスター』は2012年にロンドンで夏季オリンピックが開催されたことを祝して創作された作品。オリンピックの標語である「Faster, Higher, Stronger(より速く、より高く、より強く)」をテーマにしていて、第1楽章は「跳ぶ」と「投げる」を、第2楽章は選手たちの葛藤を、第3楽章は五輪最大の注目競技であるマラソンを表現している。

今から30年以上前に野田秀樹が「演劇はスポーツだ」という名言を吐いた。それならば「バレエはスポーツ以上」かもしれない。なぜならば、ご存知のようにバレエダンサーの肉体というのは、スポーツ選手並みもしくはそれ以上の肉体をしている。その違いといえば、スポーツ選手の肉体はまさに「より速く、より高く、より強く」のためにあり、バレエダンサーは美しさとしなやかさにあるためということだろうか。

そして、この『ファスター』はその「より速く、より高く、より強く」はうまく表現されているのだが、残念ながらダンサーたちがもつ「美しさとしなやかさ」が欠けている。それゆえに、バレエとしての面白み物足りなく感じてしまった。

『カルミナ・ブラーナ』」
音楽:カール・オルフ
装置・衣裳:フィリップ・プロウズ
照明:ピーター・マンフォード

 運命の女神フォルトゥナ:湯川麻美子
 神学生1:菅野英男
 神学生2:八幡顕光
 神学生3:タイロン・シングルトン(バーミンガム・ロイヤル・バレエ)
 恋する女:さいとう美帆
 ローストスワン:長田佳世

冒頭にプロローグとして迫力ある有名な旋律と合唱にのって黒のボディコンドレスに身を包んだ運命の女神フォルトゥナが登場する。そして、その後に3人の神学生たちの物語が、第1部の「春に」第2部の「居酒屋にて」第3部の「求愛」として演じられていく。そのどれもがフォルトゥナの指示によって神学生を誘惑していくものだが、どれもが女性の秘めたる官能愛かつまた衝動的なエロティシズムを見事に表している。

踊りのなかではフォルトゥナを演じた湯川麻美子と大胆に肉体を露出したタイロン・シングルトンの2人が印象的で、この2人の踊りはある意味極限的なエロティシズムを表していたと思う。それに比べると、第1部と第2部はちょっと大人しいというか可愛く思えてしまう。

さて、音楽は狭いオケピに70人ぐらいのオーケストラと共に60人前後の合唱団と3人のソリストが入り、ぎゅうぎゅう詰めの状態。それでも演奏は自由闊達で気持ちがいい。独唱のなかではバリトンの萩原潤の表現力豊かな歌声に魅せられた。また合唱団の歌声も誇らしく鮮やかで心地よい。それにしても、新国立劇場のオケピの反響構造は素晴らしい。劇場がさほど大きくないということもあるが、東京文化会館やNHKホールではあそこまで明瞭な歌声がオケピから届くことはないのではないだろうか。

新国立劇場で『カルミナ・ブラーナ』が上演されるのは今回で3回目。初演は2005年で10年に再演。そのせいもあってか、モダンバレエの宿命でもあるが、振付に古さは感じないものの、装置や衣裳に時代差を感じてしまう。特に天井からの鏡、ハートマークなど吊りものがすでに今の時代にマッチしていない。またアロハシャツの衣装や男性陣の妙な金髪にもかなり違和感があった。

とまあ少々懐疑的かつ辛口なことを書いたが、もし余裕があれば今週末にもう1度観てみたい。また、ビントレーが再考するならば、もっと現代的な改訂版をいつの日にか上演してもらいたい。

ヤルヴィ親父の仁王立ち

2014-04-20 21:45:05 | N響
一昨日(18日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1779回定期公演を聴きに行ってきた。指揮はネーメ・ヤルヴィ。

【演目】
グリーグ/「ペール・ギュント」組曲第1番
スヴェンセン/交響曲第2番変ロ長調
  ~休 憩~
シベリウス/交響曲第2番ニ長調
《19時00分開演、21時05分終演》

グリーグ、スヴェンセン、シベリウスという北欧プログラムである。ただし、客席は残念ながら結構空席があった。

1曲目。明朗解析された「ペール・ギュント」だった。第1曲の『朝』は木管を中心に爽やかに、第2曲の『オーセの死』は弦の音が物悲しく、第3曲の『アニトラの踊り』は金管を中心に悦びにみちて、第4曲の『山の王の宮殿で』は全体でエキセントリックにと、そのテーマをしっかり表す演奏を披露してくれる。ヤルヴィ親父、手を抜きません。

2曲目。初めて聴くがこれは「隠れた名曲」のひとつではないだろうか。なかでも第2楽章の「アンダンテ・ソステヌート」では木管とホルンのアンサンブルが叙情的で鮮やか。聴いていて気持ちが良かった。また第4楽章の半ばから最後にかけての展開も重厚にして快活。この曲はもっと演奏されてもいいと思うのだが・・・。

3曲目。前半と同じように明朗解析な情景的なシベ2。途中木管金管に多少の不安定さがあったが全体のアンサンブルとしては問題はなし。第4楽章だけはN響にしては珍しく熱演というか爆演。終演後、指揮のヤルヴィ親父は「どうだ!」と言わんばかりに指揮台で仁王立ちするもの、その後はいろいろと茶目っ気を披露して、かなりのご満悦のようであった。この元気さだと、来年息子のパーヴォがやって来たときには「代わりに俺にも指揮させろ!」と言いかねない。なにせまだ76歳なのだから。(笑)

赤信号が点滅してしまった読響

2014-04-18 23:54:30 | 読響
昨日(17日)サンントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第536回定期演奏会に行ってきた。指揮はシルヴァン・カンブルラン。ピアノはニコライ・デミジェンコ*。ソプラノはローラ・エイキン**。

【演目】(※はアンコール曲)
シェーンベルク/弦楽のためのワルツ
リスト/ピアノ協奏曲第1番変ホ長調*
※メトネル/おとぎ話
  ~休 憩~
マーラー/交響曲第4番ト長調 「大いなる喜びへの賛歌」**
《19時00分開演、21時05分終演》

1曲目。10曲の小曲が連なる組曲だが、1曲あたりが1分前後と短く、15分余の間に9回も仕切り直しがあるとさすがに集中力が途切れる。徹底したアッタカで演奏するなりの工夫がほしかった。

2曲目。プログラムにはニコライ・デミジェンコのことを「ピアノの詩人」と書かれていたが、その風貌は詩人というよりも哲学者が理工系の大学教授といった感じ。ただし、音色は風貌とは違って意外にもイケイケドンドンで、リストがもつ変質さというか狂気があまり感じられない。まあ、解釈の違いなのだろうが、ちょっと残念だった。

3曲目。マーラー音痴である。マーラーの音楽はいつもながらよく解らない。彼が作る交響曲には連携性を見いだせても、楽章間の関係性がまったく見いだせない。特にこの曲はその度合いが強く、交響曲というより、4つの違う曲が無造作に集合した曲にしかた思えない。これでは心揺さぶれない。加えて、この日の読響の金管陣はアンサンブルがバラバラで明らかに全体の足を引っ張っていた。加えて、肝心要のソプラノのローラ・エイキンは声がほとんど通らず、第4楽章は尻窄みの状態だった。

最後に余談になるが、これまで一番観客のマナーが悪いオケはN響の客だと思っていたが、それは残念ながら改めなくてはならない。今回の読響の演奏会では終演時間が9時を回っていたせいもあるかもしれないが、終演後すぐに席を立つ客が多いのに驚いた。それと共に正直さほど良いとも思えない演奏にもかかわらず「ブラボー!」を連発する客が多くいるのにも驚いた。これは読響の観客の質の問題なのか、それとも熱狂的なマーラーファンの質の問題なのだろか。カンブルランは好きな指揮者の1人なのだが、読響の秋季以降のプログラムはコンサーヴァイブだし、今後通いつめるかには赤信号が点滅してしまった。

オーケストラの入場スタイルいろいろ

2014-04-16 11:10:51 | Weblog
まず最初に断っておきますが、これは私の記憶を元に書いているので、間違っている場合があるかもしれません。もしそうだとしたら、申し訳ありません。

オーケストラの入場方法はまちまちだ。テレビでお馴染みのN響は基本的に楽団員がバラバラに入場。といっても、先頭はいつもセンターに座る木管陣。コンマスも楽団員と一緒に入場して、全員が揃ったところでチューニングを行って、指揮者の入場を待つ。

都響は海外オケに多いパターンで、木管陣やティンパニー、ハープなどは開演前まで舞台上で練習をしていて、開演のベルが鳴っても舞台袖に戻ることなくそのまま。そこにコンマスを含めた楽団員たちが入場して、全員が揃ったところでチューニングを行う。新日本フィルもこれに準じているが、こちらはコンマスは最後に1人で登場して全員が起立する。

読響、日本フィル、東京フィル、東京シティフィルは楽団員が入場、着席してから、コンマスが登場して、客席に向かって一礼。それからチューニングを行い、指揮者の入場を待つ。どうもこのパターンが日本のオケの入場スタイルの主流のような気がする。ただ、私はこの方法があまり好きでない。というのも、コンマスに対して、また指揮者に対して、2度も拍手するというのがあまりしっくりこないからだ。

ちなみに日本フィルは終演後全員で客席に向かって一礼する。これはお客さんに大変喜ばれているので、他のオケも少し見習った方がいいかもしれない。

地方オケでよく憶えているのが山響(山形交響楽団)は楽団員が全員揃うまで着席することなく立っている。そして、最後にコンマスが入ってきて一同礼をして着席する。こちらも日本フィル同様に礼儀正しいというか律儀なオーケストラである。

ということで、たまにはオーケストラの入場・退場の違いにも気をつけてみましょう。(^_^)

日本フィルはまた新たなる試みを

2014-04-14 00:25:47 | 日本フィル
一昨日(12日)、サントリーホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団のMusic Partner Series Vol.3(第360回名曲シリーズ)を聴きに行ってきた。指揮は西本智実。アート・ディレクターは田村吾郎。

【演目】
チャイコフスキー/バレエ音楽《眠れる森の美女》(MPS版)
《19時00分開演、21時00分終演》(途中休憩1回)

「3度目の正直」という諺がある。一方で「2度あることは3度ある」という諺もある。日本フィルのプロジェクションマッピングによる「Music Partner Series」も今回が3回目である。1回目、2回目は正直とても成功だったとはいえなかった。さて、3回目はいかに・・・。

今回もオケの譜面台にはライトが点けられ、前回同様サントリホールの壁面にプロジェクターによる映像が描かれていく。そして、この映像がこれまでと違い、明らかに『眠れる森の美女』の展開を連想させるような絵が綴られていく。そして、今回は前回のような抽象的な絵は少なく具体性があり、また編集も解りやすくしていて、3回目にしてようやく音楽との融合の意図を理解したように思えた。しかし、やはり壁面には凹凸というか形状があるゆえに、映像がうまく描写をされることができない。それゆえに、観客とすればプロジェクションマッピングは絵画やアニメとも思えず、かといって新しい何かとも思えず、結局中途半端なものでしかない。ということで、今回の試みは残念ながら成功とは言えないだろう。

さて、演奏は西本智実と日本フィルの良好な関係を表すように、優雅にして余裕のある音色が次々と奏でられ、『眠れる森の美女』がもつドラマチック性も十二分に堪能することができた。前回のときにも書いたが、ぜひとも新国立劇場バレエ団か東京バレエ団のオケピに入ってもらいたい。

最後にプロジェクションマッピングによる映像と音楽の融合の試みは結果的には残念であったが、日本フィルには今後も違った形で音楽との融合を図る企画は続けてもらいたい。