すでに市町村ではボランティアの受け入れ整えているところもある。
避難場所が2500か所以上、四十五万人以上が避難している。
大変だとは思うが、一日も早く救援の手が隅々まで届くよう祈らずにはいられない。
そんな矢先、東京都知事の石原氏は、天罰発言をしてしまった。
古代では地震は、「神の怒り」であった。
神の怒りであるならば、神を怒らせた人間側に否があり、神の怒りを鎮めるために「生贄」、祈祷により神の怒りを鎮めようとした。
怒りを鎮める中心に、地域信仰の巫女や祭司、霊媒師などがいた。
現代科学は地震が、プレートテクニクス理論により発生のメカニズムがある程度解明され、地震が多発する地域と、ニューヨークのようにほとんど地震がない地域を知ることができる。
プレートテクニクス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9
地震空白域
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E7%A9%BA%E7%99%BD%E5%9F%9F
地震の少ないニューヨークで、祈祷して地震を抑えたといっても、笑われるだけである。
プレートテクニクス理論によれば、関東、東北地方の沖合には、比重の重い太平洋プレートが比重の軽い北アメリカプレートに沈み込む日本海溝がある。
その地域は地震の多発地帯である。私は若いころ関東に住んでいたが、震度3から4の地震が年に数回あった。名古屋では考えられない頻度である。
今回の発言、石原都知事の政治家としての無責任さと科学的無知を露呈した。
謝罪したとはいえ、東日本大地震の被災された方々へ、「かわいそう」という他人事のように言える人物が、東京のトップに立っていることに違和感を感ずる。
石原氏は知事選に立候補の意向を示したようであるが、来るべき東京大地震時に天罰だと言って靖国神社に参拝しかねない。
統一教会に入信した娘と話し合ったとき、娘は「私たちが祈っているから名古屋は地震が無い」と言い切ったのである。
裏を返せば、統一教会の名古屋の信者の祈りが足らなかったら名古屋に地震が起きる。
石原都知事の天罰となんらかわらない。
地震は信仰不足でも、天罰でもない。
東から太平洋プレート、南からフィリピンプレートという強力なプレートに押されている日本に住む以上、地震から逃れることはできない。
この事実から、来るべき地震に被害を最小限にするために、国は政治のレベルで、個人は個人のレベルで、どう対策をするのかが最も大切なことである。
この議論を無視すると、自然災害が「人災」となる。
地震多発地帯の東北地方海岸に建設を許可した政治と東電の癒着。
その後、運転停止問題と発展した東電の隠ぺい体質。
今日老朽化し廃棄を求める声を無視し、福島原発をいつまでも放置した政治の責任。
このことを、きちんと究明しない限り、原発の安全は、砂上の楼閣である。
統一教会のマインドコントロールを学ばざるを得なかった私は、「想定外の天災」という言葉の中に、とんでもないことが起きたということを認知させ、思考停止させるマインドコントロールの手法が隠されているのではないかと考えている。
「人災」を「想定外の天災」へと責任転嫁することにより、国民の目をくらまし、政治家も東電も責任を取らない。
いつも責任を取らされるのは国民であり、跳ね返る電気料金であり、その血税であり、尊い命である。