北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

このブログは旧「北風と太陽 OCN版」の保存のみです。更新記事はniftyブログ「北風と太陽 」をご利用ください。

続 進化論とクロトー博士 

2008-12-31 08:34:17 | カルト

Photo 0001

名古屋大学

  レクチャー 2008

クロトー博士の講演を終わって、質疑応答の時間があった。大半は専門的な内容であったが、終わりかけた時に一人の学生が手をあげた。

  

はっきりと記憶にはないが、たぶん「人間社会における科学者の立場について博士の考えを聞きたい」というようなものであったと思う。博士はとても気をよくして「この質問を待っていました。」といって、自らの思いを語られた。それを聞きながら、ストックホルムアピール「朝鮮半島に原爆を落とすな」と立ち上がった先駆的科学者ジュリオキューリー、アインシュタイン、湯川秀樹の姿とクロトー博士の姿が重なった。

  

カルトは人間社会の不十分な点をことさら取り上げこのままでは救われないような宣伝をする。しかしストックホルムアピールに見られるように、人類が国境を越えて平和の問題で立ち上がるならば、戦争勢力の陰謀を打ち砕くことができることを証明している。ベトナム戦争反対、1970年代の中性子爆弾反対の世界的運動も大きな成果を見出した。

  

私は常々人間の本質は理性だと考えている。理性は人類性を無視しては語れないとこの講演を聞いて感じた。

   

今回ノーベル物理学賞を受賞した益川先生も、「平和のために貢献したい」と表明されている。益川先生の今後のご活躍を期待したい。

  

私ごとで恐縮だが、益川先生の父上の営んでおられた砂糖問屋のお店は私が幼い頃育った近所で、益川先生の名古屋弁なまりにとても愛着を感じるひとりである


進化論とクロトー博士

2008-12-29 23:27:27 | カルト

Photo 

進化論を否定するものはカルト

来年2月でダーウィン生誕200年。人類に歴史が数百万年と言われている中で、この200年間に起きたことは、急激な科学技術の進歩だ。

  

とりわけダーウィンの功績は、ビーグル号による世界一周の旅から帰って23年後に発表された生物の進化論である。革命的な理論である。

  

なぜ革命的かというと、進化の過程に神が入り込む余地など、まったくないからだ。進化を起こす原因が個体間の性質の違いである。人間は猿から進化した。

  

このためキリスト教にとっては万物の創造主である神を否定するものであるということで大騒ぎになったそうだ。

  

科学的のものの見方の発展は、だれもが認識できる世界であり、地動説をとなえたガリレオのようにダーウィンを宗教裁判にかけるような事態にはならなかったようだ。

  

今日の遺伝子科学によれば、人間の先祖はサルではなく、人間とサルは共通の先祖から分かれて進化したというのが今日の到達点のようだ。

  

夏に名古屋大学でノーベル化学賞のハロルド.w.クロトー博士の講演を聞いた。

  

60という炭素の同素体を作り出した化学者だ。彼の講演の大半は、アフリカで今でも疫病、エイズで亡くなる子供達、ペニシリンの発見の意義とペニシリンが効かなく時代の、科学的予言だった。ウィルスは環境に合わせて変化する。小さな世界の進化論だ。ペニシリンに変わる抗生物質が、ペニシリンが効かなくなる前に造れるか。化学者の英知がかかっている。

  

彼は大きな障害物があるという。進化論を認めないカルト宗教だといって、サイエントロジーというカルト宗教にはまっているトムクルーズを名指しで批判したのだ。何かを信ずれば治る。ワクチンなど必要ないと主張するようだ。

  

クロトー博士は最後に「化学者は物質主義と非難されるが、化学者は人間の理性的立場に裏付けられて初めて化学者なのだ」と訴えて会場から大きな拍手が巻き起こった。


文鮮明とストックホルムアピール

2008-12-27 00:25:28 | 反戦、平和のために

アメリカの半島原爆投下策動に何もできなかった文鮮明

  

私は毎年夏になると平和行進に参加する。東京から広島までのコースで、1日歩いている。

冷戦構造が崩れた今も核兵器が存在する。1945年の夏に落とされた原爆の悲劇、戦後日本はもとより全世界で、核兵器廃絶の運動が広がった。

  

今の若い人は知らないだろうが、実は戦後直後、朝鮮戦争当時にアメリカは朝鮮半島に原爆を落とそうと画策したことがある。戦局が一転二転する中で、マッカーサーが大統領に進言したのだ。

  

 「平和時代を創造するために」湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一編著、岩波新書によれば、朝鮮戦争当時、米大統領トルーマンが朝鮮半島に原始爆弾を落とそうとしていた危機的状況の中で、ジュリオキューリー、アインシュタイン、湯川秀樹といった科学者がストックホルムアピールを宣言し、それに応えて世界の人々が「だれであろうと次に原爆を使用するものは人類の敵」であるとし、全世界で5億人、日本でも650万人の人が、朝鮮半島に原爆を落とすなという署名を短期間に集め、その力がイギリス首相の反対声明をださせ、トルーマンに原爆投下をあきらめさせたのだ。

  

世界の平和勢力が戦後直後、国、民族、体制、宗教の壁を越え結束し、朝鮮半島の原爆投下の危機を救ったのでした。

  

もし原爆が投下されていたら、おそらく何百万という人々が、死亡し被災したのではないか。文氏も例外ではなかったであろう。

  

この話を、家族会議のときにサチコに話したら、さみしい顔をして「文さんは何もしなかったの」といい、「何もできなかったし、今日その事実に触れるような記事は協会から出ていない。むしろ弟子の朴氏を背負って南下する美談、苦労話で、何もできなかったことに目をむけさせないようにしている」と言ったらますます寂しい顔をした。信じていたものが、重大な局面のときになにもできなかった。

レーガンとともにソ連を崩壊させた人がなにもできなかったのだ

  

   

ストックホルムアピールとは

  

 1950年3月19日、スウェーデンのストックホルムで開かれた世界平和擁護者大会常任委員会が、原子兵器禁止に関する署名運動を決定し、 全世界に呼びかけた4箇条の共同綱領。

  1.わたしたちは、人類に対する威嚇と大量殺戮の兵器である原子兵器の絶対禁止を要求します。 
 2.わたしたちは、この禁止を保障する厳重な国際管理の確立を要求します。
 
 3.わたしたちは、どんな国であっても、今後、最初に原子兵器を使用する政府は、人類に対して犯罪行為を犯すものであり、その政府は戦争犯罪人として取り扱います。
 

 4.わたしたちは、全世界のすべての良心ある人々に対し、このアピールに署名するよう訴えます。
 

 以上、4箇条は広島と長崎に原爆を投下し、WW後の冷戦と核兵器開発競争の主導権を握った米国外交と核による脅迫に対する批判を含むものだった。 ストックホルム・アピールの署名は、朝鮮戦争を背景に世界的に展開し、1953年までに署名数が5億人に達した。主要国では、米国300万、英国120万、仏1500万、伊1700万、東西ドイツ1900万、ソ連1億1551万、インド67万、中国2億2375万など。


  日本においても、署名運動はGHQ占領下で原子爆弾に関する全ての事案が制限され、加えて朝鮮戦争の厳しい情勢と弾圧にもかかわらず、全国的に開催された 「原爆展」や朝鮮戦争反対運動と呼応しながら進行し、署名数が645万を超えた。 ストックホルム・アピールは、戦後の平和運動として最初の大衆行動で、核兵器の完全禁止を迫るものであり、署名行動という最も原始的な手段によって多くの人類の平和希求心を行動に転化し、平和運動の大衆的基盤を築き上げていくものであった


統一協会と平和運動

2008-12-23 22:07:04 | 反戦、平和のために

GPFと平和運動

平和と逆行の道をたどった文鮮明氏とレーガン大統領

  

「グローバル」「グローバリゼーション」という言葉が新聞、マスコミに頻繁に使われるようになったのは90年代だっただろうか。「グローバル」という言葉をアメリカナイズ、アメリカ中心に置き換えると、理解できることが多くある。ネット上で調べても本来の「世界の縮小」とか「一つの全体としての世界意識の増大」という意味をなくして、アメリカ中心というように用いられているという指摘がされている。

  

これまでの統一協会の反共主義の姿勢からして「グローバル+ピースフェスティバル」=「アメリカナイズされた平和の祝典」ととらえるとその意味がはっきりする。

  

ソ連を崩壊させたのはレーガン大統領であり、レーガンを大統領にしたのは文鮮明氏だという統一協会の宣伝が食口の皆さんに行き届いているようである。光言社から本も出版されているようである。

  

1980年代のレーガン大統領のSDI構想というのは、もともと反共主義の彼が、大統領になるや否や、国防省に相談することもなく、反共主義者のブレーンで立案されたものと言われている。その内容はソ連から打ち出されたミサイルを宇宙の静止衛星から打ち落そうというもので、米国内では予算の肥大化による反対にさらされる中で、最終的には実現できなかった計画である。

  

宇宙空間の軍事利用は、誰が見ても平和、軍縮とは逆行する道であり、当時、核弾頭、それを搭載できるミサイルの数量を米ソ間で調整し、削減していこうというSALT2第二次戦略兵器制限交渉の土俵が米ソ間であったにもかかわらず、レーガンのSDI構想はそれらをぶち壊すものであった。

  

宇宙に新たな軍拡競争の場を作り上げ、核ミサイルが衛星に搭載される危険性があり、一国のみならず地球を核で壊滅させる計画であるという非難がわきおこる中で、平和運動を担っている多くの団体、世界的には世界平和評議会、日本では、原水爆禁止運動を担っている原水爆禁止国民会議、日本原水協から反対声明が出されている。

  

文鮮明氏がレーガン大統領誕生、SDI構想にかかわったことを声を大きくして言えば言うほど、彼が平和、軍縮とは逆行した思想をもっていたことを証明するものになっている。

私は、SDI構想が冷戦を終結させたというよりは、常識ある諸国、良識あるアメリカ国民の声、世界の平和運動の前にSDI構想は実現できなかったと理解している。

  

今日における世界平和運動の真の課題

  

ソ連崩壊による冷戦構造の死滅により、平和は訪れたのだろうか。

旧ソ連の発展途上国への支援、帝国主義からの隷属的支配から守るための影響力が無くなったことによって、中東諸国への帝国主義的支配に対する反発は、国家の単位ではなく、国境を越えてテロ集団化し、暴力は暴力の連鎖を呼び解決の糸口を見失っている。

それらの地域ではアメリカ軍をはじめ、西側諸国から派遣された軍隊が戦闘状態を引き起こし、収集のつかない事態となっている。とりわけ悲惨なのはアメリカの無差別空爆によって幼い子供たち、婦人、老人が犠牲になっていることだ。

  

イラクでテロリストに拉致された高遠菜穂子さんによれば、外国人ジャーナリストの報道は極力制限され、現地の生の情報が伝わりにくくなっている。事件があっても、現地に行くのは、現地のスタッフであり、NHKのスタッフは行けないのである。

ベトナム戦争のときは多くのジャーナリストが、ソンミ村の大虐殺、ナパーム弾による無差別縦断爆撃の真相を伝えてきたが、今日その状況はない。何が起きているのかわからないというのが現実のようだ。イラクのファルージャでは報道陣がシャットアウトされるなかで、わずか数日間の間に6000人の人々が殺された。

  

今日の新聞をみても米次期政権はアフガンへの米軍の増派をほぼ決定しているようである。

アフガンでは今日も幼い子供たちが米軍機の爆撃の恐怖におののいている・・・・。同じような米軍による大量虐殺が行われるのではないか危惧している。否、もうすでに始まっているのである。

  

こういうアメリカの蛮行に目をつむる「平和」活動はありえない。その意味で、グローバルピースフェスティバルは、どうだったのだろうか。

   

私はテロを良しとはしない。だがテロを生みだす背景は、米軍に罪もない人たちが殺され、その家族がテロリストとなる。暴力の連鎖である。この問題を直視しないかぎり、解決の道はないように思える。これこそが今日の平和を求める人たちの真の課題ではないのか。

  

GPF グローバルピースフェスティバルに参加された皆さんに、この問題にどう立ち向かうか考えてみてほしい。

  

アフガンの米軍機におののく子供たちの生命は、アフリカで疫病に苦しむ子どもたちの生命と同じく尊いものであるはず。