GPFと平和運動
平和と逆行の道をたどった文鮮明氏とレーガン大統領
「グローバル」「グローバリゼーション」という言葉が新聞、マスコミに頻繁に使われるようになったのは90年代だっただろうか。「グローバル」という言葉をアメリカナイズ、アメリカ中心に置き換えると、理解できることが多くある。ネット上で調べても本来の「世界の縮小」とか「一つの全体としての世界意識の増大」という意味をなくして、アメリカ中心というように用いられているという指摘がされている。
これまでの統一協会の反共主義の姿勢からして「グローバル+ピースフェスティバル」=「アメリカナイズされた平和の祝典」ととらえるとその意味がはっきりする。
ソ連を崩壊させたのはレーガン大統領であり、レーガンを大統領にしたのは文鮮明氏だという統一協会の宣伝が食口の皆さんに行き届いているようである。光言社から本も出版されているようである。
1980年代のレーガン大統領のSDI構想というのは、もともと反共主義の彼が、大統領になるや否や、国防省に相談することもなく、反共主義者のブレーンで立案されたものと言われている。その内容はソ連から打ち出されたミサイルを宇宙の静止衛星から打ち落そうというもので、米国内では予算の肥大化による反対にさらされる中で、最終的には実現できなかった計画である。
宇宙空間の軍事利用は、誰が見ても平和、軍縮とは逆行する道であり、当時、核弾頭、それを搭載できるミサイルの数量を米ソ間で調整し、削減していこうというSALT2第二次戦略兵器制限交渉の土俵が米ソ間であったにもかかわらず、レーガンのSDI構想はそれらをぶち壊すものであった。
宇宙に新たな軍拡競争の場を作り上げ、核ミサイルが衛星に搭載される危険性があり、一国のみならず地球を核で壊滅させる計画であるという非難がわきおこる中で、平和運動を担っている多くの団体、世界的には世界平和評議会、日本では、原水爆禁止運動を担っている原水爆禁止国民会議、日本原水協から反対声明が出されている。
文鮮明氏がレーガン大統領誕生、SDI構想にかかわったことを声を大きくして言えば言うほど、彼が平和、軍縮とは逆行した思想をもっていたことを証明するものになっている。
私は、SDI構想が冷戦を終結させたというよりは、常識ある諸国、良識あるアメリカ国民の声、世界の平和運動の前にSDI構想は実現できなかったと理解している。
今日における世界平和運動の真の課題
ソ連崩壊による冷戦構造の死滅により、平和は訪れたのだろうか。
旧ソ連の発展途上国への支援、帝国主義からの隷属的支配から守るための影響力が無くなったことによって、中東諸国への帝国主義的支配に対する反発は、国家の単位ではなく、国境を越えてテロ集団化し、暴力は暴力の連鎖を呼び解決の糸口を見失っている。
それらの地域ではアメリカ軍をはじめ、西側諸国から派遣された軍隊が戦闘状態を引き起こし、収集のつかない事態となっている。とりわけ悲惨なのはアメリカの無差別空爆によって幼い子供たち、婦人、老人が犠牲になっていることだ。
イラクでテロリストに拉致された高遠菜穂子さんによれば、外国人ジャーナリストの報道は極力制限され、現地の生の情報が伝わりにくくなっている。事件があっても、現地に行くのは、現地のスタッフであり、NHKのスタッフは行けないのである。
ベトナム戦争のときは多くのジャーナリストが、ソンミ村の大虐殺、ナパーム弾による無差別縦断爆撃の真相を伝えてきたが、今日その状況はない。何が起きているのかわからないというのが現実のようだ。イラクのファルージャでは報道陣がシャットアウトされるなかで、わずか数日間の間に6000人の人々が殺された。
今日の新聞をみても米次期政権はアフガンへの米軍の増派をほぼ決定しているようである。
アフガンでは今日も幼い子供たちが米軍機の爆撃の恐怖におののいている・・・・。同じような米軍による大量虐殺が行われるのではないか危惧している。否、もうすでに始まっているのである。
こういうアメリカの蛮行に目をつむる「平和」活動はありえない。その意味で、グローバルピースフェスティバルは、どうだったのだろうか。
私はテロを良しとはしない。だがテロを生みだす背景は、米軍に罪もない人たちが殺され、その家族がテロリストとなる。暴力の連鎖である。この問題を直視しないかぎり、解決の道はないように思える。これこそが今日の平和を求める人たちの真の課題ではないのか。
GPF グローバルピースフェスティバルに参加された皆さんに、この問題にどう立ち向かうか考えてみてほしい。
アフガンの米軍機におののく子供たちの生命は、アフリカで疫病に苦しむ子どもたちの生命と同じく尊いものであるはず。