北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

このブログは旧「北風と太陽 OCN版」の保存のみです。更新記事はniftyブログ「北風と太陽 」をご利用ください。

新婦の涙

2008-10-24 00:16:04 | 日記・エッセイ・コラム

2008_10180001dscn0001 久しぶりに結婚式、披露宴に出席させてもらった。若い人が中心の披露宴だったが、節々に新郎の友達思い、家族思いの姿が伝わってきた。新郎は2年前に父親を病気で亡くし、新婦とは4年越しのゴールインであった。できちゃった婚ではないようである。新郎の責任感の強い仕事ぶりを知る私としては、女性に対する責任も強いと感じた。

感動したのは新婦の両親への挨拶であった。披露宴に出るたびに、いつもここの場面は目頭を熱くする。彼女と父親の関係は、私とサチコの関係そのままだ。「友達とカラオケに行けば、強引に連れ戻され、夜遅く帰れば、どこに行っていたか問い詰められ、父親が嫌いだった。でも、彼(新郎)の父親への看病、死を通して、彼の家族思いの姿を見て、自分のとっていた父親にたいする無視の態度がいかに誤っていたかを知った。お父さんごめんなさい。」と言い終える間もなく、新婦はハンカチで涙をふいた。

娘と父親の関係はどこの家庭でも難しいようである。ましてや、統一協会へ入信した娘と父親の関係は。私もサチコの頭を押さえつけたことがある。結局、家族に平気で嘘言う人間をつくり上げてしまった。

「父親なんて、自分の気持ちを抑える抑圧者」と決めつけてみてしまったときから、マインドコントロールは他者からではなく、自分で自分をマインドコントロールしてしまうのではないだろうか。マインドコントロールはカルトを対象に使われるようだが、日常の人間関係の中でも存在しているのではないだろうか。相手のちょっとしたしぐさを見て、相手は自分とは絶対的対立と決めつけてしまう。本来治るべき傷口に塩をぶっ込んでいく思考回路が再生産され、理性的判断の停止となる。カルトに入信すれば、なおさらである

「ごめんなさい」という言葉。「ごめんなさい」はなかなか言えるものではないと思う。新婦の挨拶を聞きながら、サチコと私との気持のズレが頭の中に二重写しとなった。

カルトからの目覚め、狭くて暗い先の見えない道からからの救出、それは人間と人間の絆の中にあることを、新婦の涙は教えてくれた。


高遠菜穂子 イラクへの熱い思いを語る

2008-10-10 20:50:48 | 反戦、平和のために

九条の会の主催で彼女の講演会を聴いた。今年はUさんとよくでかけて、講演会や催しもののあるところに足を運んだ。これもその一つだ。

イラクで、スパイと疑われ反政府勢力に拘束された女性のボランティア。驚いたことに、彼女の今の顔立ちと拘束された当時の顔立ちが全くちがう。眼力のある顔だ 。全国で講演会活動をしてカンパをあつめているようだ。講演内容も整理されていて、聞く人をいつの間にか高遠シンパにしてしまう魅力的な人だ。女にしておくにはもったいないという言葉があるが、そのとおりだとおもう。死体にカメラを向ける。修羅場をくぐりぬけてきた人間だ。

道路に横たわっている死体が、銃撃され負傷した住民の体が米軍装甲車によって潰され、死臭がただよう。戦場というよりは、米軍によるジェノサイド。地獄絵だ。遺体の脳に穴をあけ、スプーンで脳をほじくる米兵。昔「世界残酷物語」という映画で、人間がサルの脳を食べるシーンがあった。イラク人を人間と思わない洗脳が軍隊で施されているようだ。戦争は人間を狂わす。

理性を保てる米兵は良心的兵役拒否ができるそうだ。でも理性を失わされてからでは遅い。

ファルージャでの米軍の住民大量虐殺の死者は6000人を超える。ほとんどが女性、子供、老人である。報道陣を追い出しての計画的大量虐殺。ベトナムでのソンミ村大虐殺を思い出す。

彼女から聞いたイラク情勢をまとめてみる。フセイン体制が崩壊後の政府は、シーア派で占められている。スンニ派の多い住民地域では、日本の特高警察がやった以上のことが、連日行われている。米軍に家族を殺された人たちは、一時アルカイダのような外部勢力とつながったが、結果が悪かった。市場などでの、無差別テロは多くの反感をかった。部族長による治安維持が、外部勢力追い出しと、地域からの米軍撤退を条件に実施され、落着きをとりもどした地域がある。

現地住民の意識変化。「シーアもスンニも関係ないのだ。我々はイラク人なのだ。」

高遠さんは、暴力は、暴力の連鎖しか生まないことを、活動を通して、イラクの人に訴えた。

イラクで知り合った青年カーシムは元イラク軍の兵士。家族を米軍に殺され、高遠さんが知り合ったころは、憎しみと復讐の塊のような人間だった。でも今やらなければならないことを教えられ、空爆で患者がいっぱいになった病院に、ミルクを持って行った時、あかん坊だいたお母さんの笑顔が今でもわすれられなくて、今では高遠さんの右腕となって、町の復興活動にあたっている。今イラクに復興援助などの医療支援などの諸外国のスタッフは入れない。ほとんどがヨルダンからの支援活動だ。

高遠さんの場合ほとんどが日本国内の医療関係からの支援と、講演会でのカンパで年間3700万円程度だそうだ。ふと統一教会の献金額の多さと比較してしまう。文鮮明が食事するために移動用で使っていたヘリコプターは20数億円だそうだ。

自衛隊のイラク戦争への支援活動。高遠さんの支援活動どちらも支援活動だが、高遠さんたちの活動は心が伝わってくる。

非暴力の女性戦士?今イラクで何が起きているのか。メディアで伝わらないことを、これからも伝えてほしい。

これを書いている今でも、講演会での彼女のするどい眼光が私の胸をさす。。

高遠菜緒子 イラクホープダイアリー http://iraqhope.exblog.jp/


北風と太陽のテーマについて

2008-10-08 22:30:42 | 北風と太陽

ブログテーマ「北風と太陽」の由来は、イソップ寓話「北風と太陽」の話の中にある。

ある日、マントを着た旅人のマントを脱がすために、北風と太陽が競う話はご存じのとおり。

「マント」を「カルト」に例えて考えていただくと、自ずとカルトというマントをかぶった子供と、どのように接すれば、カルトのマントを脱がすことができるのか、おわかりになるかと。北風が強くなればなるほど、子どもはマントを吹き飛ばされないように、抑え込む。

子供がカルトに入ったことを知った親というものは、私もそうだったが、「何が何でも脱会させる。子どもと心中してでも」という決意だけが、空転し、睡眠不足、精神的不調に陥る。

こんな団体にはいって…、という世間体ばかりが頭の99%を支配する。そこからは、親子関係の本来ある姿はみえてこない。

家族会議の準備とは、統一協会の誤りを勉強するのは、もちろんだが、最も時間を割かなくてはいけないのは、本当の親子とは、家族とはについて、考えること。その方法について、マニュアルなどない。

今まで一緒に生活してきたものどうししかわからない、家族の歩み。いいことも悪いことも振り返って、親子のあり方について考える。その準備なくして、家族会議は成立しない。

家族会議では北風も吹くかもしれないが、それよりも必要なのは、太陽のような温かい愛情を子供にそそぐ。そのことに子供が気付いてくれるかどうか。


家族が求めるものは、何か

2008-10-07 00:07:35 | はじめに

0001 はじめましてKOKORO一家の主です。

カルトと言われる統一協会に入ってしまったKOKORO一家の次女サチコ。

一度は家族の説得を振り切りホームに戻ったが、しばらくして、自分の判断で、ホームから抜け出てきた。

なぜ、家族の元に戻る判断ができたのか、入信歴が2年ぐらいで浅かったからか。本人の口から出た言葉は「生きてきて、初めて自分のために涙したお父さん。だから帰ってきた。」

父親が泣けば、子どもは戻るという方程式があれば、説得に苦労することはない。

元食口、現役食口のHPやブログは数あれど、家族の立場にたった家族の苦労や思いについて書かれたものは、体験談の印刷物では時々見かけるが、私の不注意かネット上では少ないように思われる。

もし、カルトと思われる宗教に子供が入って、悩んでおられるご家族の参考になればと思いブログをたちあげた。私どもの方法が一番だとは言いたくない。おそらく、一番みっともない、家族の会議でであったであろう。

でも少なくとも、オープンな自宅での本人の同意の下の家族の話し合いに失敗はない。

何が何でも脱会を前提とした話し合いは、自宅ではない場所で行われる。結論として「失敗か、成功」しかない。「失敗」は家族関係の崩壊、家族にとっても、本人にとっても真意ではない。

私どもKOKORO一家が、どういう家族会議を行ったのか。今から振り返ると、全国統一協会被害者家族の会から出版されている「自立への苦闘」にもあるように、「脱会への決断は本人にまかせよ」であったし、脱会しないばあいでも、本人が家に帰ってきやすい関係を作って、ホームに帰らせることが大切だということ。

相談会でお聞きした、三つの「あ」という魔法の錠剤が私のはやる気持ちを落ち着かせてくれた。

「あせらず」 「あきらめず」 「愛情をもって」

仕事をしていても、説得のときこんなことを言おう、あんなことを言おうとデスクのメモ帳に書き留めるのだが、自分では、はじめて思いついた言葉だとおもって書き留めた内容が、前日に書き留めたものと同じだったりしたことが、何度かあり、自分自身が精神的におかしくなっていることにきずいた。

この魔法の錠剤は私の特効薬だった。

「家族関係がよくなれば、かならず戻ってくる。」方程式があるとすれば、これしかない。