久しぶりに結婚式、披露宴に出席させてもらった。若い人が中心の披露宴だったが、節々に新郎の友達思い、家族思いの姿が伝わってきた。新郎は2年前に父親を病気で亡くし、新婦とは4年越しのゴールインであった。できちゃった婚ではないようである。新郎の責任感の強い仕事ぶりを知る私としては、女性に対する責任も強いと感じた。
感動したのは新婦の両親への挨拶であった。披露宴に出るたびに、いつもここの場面は目頭を熱くする。彼女と父親の関係は、私とサチコの関係そのままだ。「友達とカラオケに行けば、強引に連れ戻され、夜遅く帰れば、どこに行っていたか問い詰められ、父親が嫌いだった。でも、彼(新郎)の父親への看病、死を通して、彼の家族思いの姿を見て、自分のとっていた父親にたいする無視の態度がいかに誤っていたかを知った。お父さんごめんなさい。」と言い終える間もなく、新婦はハンカチで涙をふいた。
娘と父親の関係はどこの家庭でも難しいようである。ましてや、統一協会へ入信した娘と父親の関係は。私もサチコの頭を押さえつけたことがある。結局、家族に平気で嘘言う人間をつくり上げてしまった。
「父親なんて、自分の気持ちを抑える抑圧者」と決めつけてみてしまったときから、マインドコントロールは他者からではなく、自分で自分をマインドコントロールしてしまうのではないだろうか。マインドコントロールはカルトを対象に使われるようだが、日常の人間関係の中でも存在しているのではないだろうか。相手のちょっとしたしぐさを見て、相手は自分とは絶対的対立と決めつけてしまう。本来治るべき傷口に塩をぶっ込んでいく思考回路が再生産され、理性的判断の停止となる。カルトに入信すれば、なおさらである
「ごめんなさい」という言葉。「ごめんなさい」はなかなか言えるものではないと思う。新婦の挨拶を聞きながら、サチコと私との気持のズレが頭の中に二重写しとなった。
カルトからの目覚め、狭くて暗い先の見えない道からからの救出、それは人間と人間の絆の中にあることを、新婦の涙は教えてくれた。