北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

このブログは旧「北風と太陽 OCN版」の保存のみです。更新記事はniftyブログ「北風と太陽 」をご利用ください。

在船橋市朝鮮人苦学生を中心とする「民族主義ゲループ」事件・・昭和特高弾圧史第8巻より

2013-04-22 02:25:40 | 戦時下の文鮮明

在船橋市朝鮮人苦学生を中心とする「民族主義ゲループ」事件・・昭和特高弾圧史第8巻より

グループ結集経緯

中心人物神田恩波は昭和十年内地に渡来し、京都・東京を転々し苦学し来り昭和十七年二月頃より船橋市に居住し、新聞配達を為しつつ東京都麹町区所在東部神学校に入学し勉学中なるが、苦学の過程に於て民族的反感を極めて先鋭化し、昭和十六年八月頃より同様新聞配達等を為す苦学生或は千葉県下所在明倫中学(昭和十七年七月不良学校の為め閉鎖さる)在学中の朝鮮人、又は同郷出身関係の知友等に対し、朝鮮が独立するに非ざれば今日の朝鮮民衆の苦難なる環境は改められざる旨を申し向け、相共に民族的不満、乃至反感を論談しつつありたり。

斯くて此の間国本政雄(同業関係)、大原麟瑞(明倫中学生)、金沢昌植(明倫中学生)、安田文奎(明倫中学生)、吉許武雄(関東商業生)等と逐次思想的に意気投合し蝕に神田恩波を中心として六名の同志の結集を見たり。

一方国本政雄・吉許武雄は同郷関係の交友を指導啓蒙して、治川信篤(在東京神田区満蒙学校生)、金山吉龍(在神田区昌平中学生)、許文現(中大法学部生)、城山弘忠(明倫中学生)、玉川文雄(明倫中学生)等を逐次同志として獲得し本名等を中心とする同志の結集を為し、両者相連係して秘に独立意識の高揚、団結の強化等に晴躍する所ありたり。

 

策動概要

前記の如く苦学の過程等に於て相当深刻なる民族的反感を包持するに至りたる彼らは思想的に全く意気投合し相共に朝鮮民族の為に献身せんと為し屢会合し密に独立運動の教義扇動を為しつつありたるが主要なる点を摘録せば次の如し。

(一)昭和17年4月より同年9月迄の間舟橋市本町2丁目1180番地吉岡正吉方、神田の下宿、市川市中山492番地小川宗作方、大原の下宿等に於て神田恩波、城山弘忠、大原麟瑞、金沢昌植・国本政雄は二名乃至四名にて前後十数回に亘り屡会合し朝鮮問題を検討し、殊に大東亜戦争の長期化に伴ひ日本は国力衰退し武力、思想的に逼迫動揺し遂には敗戦に至るべく此の機に乗じ海外独立運動団体と連絡提携し、一斉に武装蜂起以て祖国朝鮮独立を実現せしむべく之が準備として同志特に指導的人物の養成獲得を為さんとし其の手段方法並に具体的任務等につき協議を重ねたり。

(二)昭和十六年十二月より昭和十八年三月迄の間神田恩波・国本政雄・城山弘忠・大原麟瑞・金沢昌植・安田文奎・吉許武雄・金山吉龍は各自の下宿を輪番的に会合所と為し又は千葉海岸等に於て二名乃至四名にて前後数十回に亘り屡会合し「戦局の推移」「内地人の朝鮮人に対する差別」「就職、就学、下宿難の実情」「朝鮮民衆の生活状況」「内地婦人との結婚問題」「徴兵制の実施」「創氏改名」「朝鮮文化の滅亡」等の問題に関し検討し民族的立場より批判論議して独立の必要性を強調し以て相互に意識の高揚を図りたり。

(三)昭和十八年四月東京都麹町区所在東部神学校に於て神田恩波は友人たる鮮人学生金城英雄・文城容梧の両名に対し学校入学制限問題に関し我々朝鮮人が差別を受くるは独立国家民族に非ざるものなるを以て朝鮮民族の幸福の為朝鮮独立は絶対必要なりと強調し以て之を同志に獲得せんと扇動せり。

(四)昭和十六年十一月より昭和十七年九月迄の間東京都神田区神保町一二金海方青海下宿、又は東京都中野区東中野駅付近等に於て治川信島は青松陸燥と膜会合し同人より朝鮮独立運動参加の勧誘を受け之に参加し大東亜戦下独立運動展開の絶好機会なるを以て同志獲得を為すべしと之が手段方法及具体的任務等につき協議を重ねたり。

五)昭和十六年八月より昭和十八年四月迄の間金山・吉許・許文現等の下宿に於て治川信篤は同郷出身関係たる吉許武雄・金山吉龍・国本政雄・許文現外五名等に対し前後十数回に亘り二名乃至六名会合せる際「戦局の推移」「朝鮮に於ける内地人官憲の圧迫状況」「徴兵制の実施」「朝鮮人に対する内地人の差別」「海外に於ける独立運動の活動状況」「内地在住朝鮮人学生の無自覚」等につき民族的立場より批判矯激なる言辞を以て論議し朝鮮独立の必要性を強調し之を以て同志を獲得すべく宣伝扇動を重ねたり。

(六)昭和十七年一月より昭和十八年六月迄の間金山吉龍・吉許武雄・許文現・国本政雄・治川信鶴等は各自の下宿等に於て前後数十回に亘り二名乃至四名にて屡会合し「戦局の推移」「就職、就学、下宿難問題」「朝鮮人に対する差別」等に関し民族的偏見より批判すると共に朝鮮独立は血を見ずしては不可能なり、我々朝鮮人は団結すべきなりと矯激なる言辞を以て論議し以て朝鮮独立に献身すべき決意を披渥し団結の強化を図りたり。

(七)昭和十八年六月東京都江戸川区小岩町四ノ一九五六豊荘玉川の下宿に於て城山弘忠・玉川文雄の両名は前後三回に亘り会合し朝鮮問題に付検討し殊に大東亜戦下朝鮮独立の絶好機会なりとして同志獲得を為すべく協議を重ねたり。

(八)昭和十七年九月上旬頃東京都淀橋区戸塚町一ノ五二三白鷺荘に於て大原麟瑞は友人たる専修大学生高山允徳、早大生江本某、早大生松本鏑禧の三名に対し支那蒋介石軍の下に朝鮮独立運動者が参加し日本と戦争し居る旨を強調同志として獲綿せんとして朝鮮独立に関し宣伝扇勤を為したり。

措置

千葉県に在っては船橋市居住朝鮮人苦学生及び管下所在明倫中学朝鮮人学生等が屡会合する等容疑行動あるを偵知し、本年6月6日以降関係者11名を検挙し、取調べたる結果叙上事犯の内容判明せるを以て左記の通千葉地方裁判所検事局に送局せり。

検挙者