日々死者と行方不明者の数が増えて行く。テレビでは被災後の三陸地方の沿岸の跡形もない、空からの映像が映し出されている。
「想定外の大津波」という言葉を意図的に使うコメンテイターがいる。
一方で、メディアは自衛隊、消防の放水を伝えながら、今回の危機をもたらしている福島原発の外部電源が冠水した原因について、触れ始めている。
本当に想定外の「大津波」だったのか。
1960年のチリ地震では、チリ沿岸は18mの大津波が襲った。
22時間後に三陸沿岸にも津波が押し寄せ6mの高さが記録され、142名が死亡している。
更に過去の記録を辿ると、今から115年前の1896年6月15日に明治三陸地震というのが記録されていた。
挿入写真はウィキペディアからお借りしてきた。
驚いた。
藁ぶきの屋根の家を除けば、震源地も津波被害もそっくりである。
震度は3であるが、三陸地方は軒並み10m以上の大津波が押し寄せ、大船渡では22mを記録している。
明治三陸地震で2万2千人が亡くなった。
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(ウィキペディア・明治3陸地震)
大津波の第一波は、地震発生から約30分後の午後8時2分に記録されている。到達した範囲は北海道から宮城県にわたった。
波高は、北海道の襟裳岬では4m、青森県三戸郡八戸町近辺(現・八戸市)で3m、宮城県牡鹿郡女川村(現・女川町)で3.1mであったが、岩手県の三陸海岸では下閉伊郡田老村(現・宮古市)で14.6m、同郡船越村(現・山田町)で10.5m、同郡重茂村(現・宮古市)で18.9m、上閉伊郡釜石町(現・釜石市)で8.2m、気仙郡吉浜村(現・大船渡市)で22.4m、同郡綾里村(同)で21.9mと軒並み10mを超える高さを記録している。
特に綾里湾の奥では入り組んだ谷状の部分を遡上して、日本の本州で観測された津波では最も高い波高38.2mを記録した。
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原子力発電行政では、この教訓が無視され、必ず大津波はやってくるという危機感を持つことが、行政と電力会社との癒着によって、できなかった言われても仕方ない状況である。
この福島原発事故の問題点を、予見した人物がいる。
カルト教団の教祖でも、霊能力者でもない。
吉井英勝という共産党の衆議院議員である。
原発バックアップ電源破壊、津波による冷却系損失により炉心溶融、水蒸気爆発、水素爆発が起こりうることを、2006年の衆院予算委員会で述べているのである。
まさしく、今の危機的状態を5年前に国会の場で追及しているのである。
さらに彼は、津波による5mの引き波が発生した場合、日本の原発の8割が冷却水を海から取水できなくなることを明らかにしたのである。
参照:吉井議員の予算委員会での質疑応答。
下記のサイトは今1日100万以上のアクセス
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2011/03/19134038/
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2011/03/19180314/
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2011/03/19200121/
又、紀藤弁護士のブログでも、津波に対して原子力安全委員会・保安部会がどういう考え方、対策があったのかという点について問題提起がされている。
「津波を想定せず・原発基礎資料・・」
http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2011/03/etyphoon-ca49.html
予想される津波の高さが3mであったとするならば、東京電力はもとより、それを推進した県、国の責任は免れない。
私は今後の原子力発電所は国有化が望ましい、と思う。
利潤追求、市場原理に左右されない安全管理を第一義的に考えれば、原子力発電所の国有化は、当然の結論ではないだろうか。
そうすることにより、原発ありきではなく、安全第一を考えた電力事業が展開されることを望みたい。
一方、がれき野原と化したこの地方の復興は、今回の被災の教訓から学ぶこと無しにはありえない。
15m級の大津波を想定した役場、公民館、小中学校、病院、避難所はもとより、民間においても、大型量販店等の大型建造物に対する新たな津波対策と規制が求められる。
避難所の拡充無しには、この地域の安全、安心はない。
1896年の明治三陸地震による大津波 2万2千人死亡
2011年の東日本大地震による大津波 すでに2万人を超える予測がされている。
次は100年後か、必ず来る次回の大津波にどう対応するのか。
現在と未来の津波災害に対する日本の政治家の責任が問われている。