北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

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12/15東京地裁 霊感商法に統一教会と信者の責任を認め、3300万の支払い命令

2010-12-16 11:58:07 | 統一協会

毎日JP(毎日新聞)より http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101216k0000m040041000c.html

 

賠償命令:統一教会側に 秋田と神奈川の元信者勝訴

 統一教会の元信者ら3人が、霊感商法で多額の献金や印鑑購入などを強いられたとして教会側に計約5900万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁(阪本勝裁判長)は15日、教会と信者1人の責任を認め、原告3人のうち相模原市の女性(48)と秋田市の女性(40)への計約3300万円の支払いを命じた。

 相模原市の女性を通じて多額の現金を引き出されたと主張し、原告の一人となった女性の夫(55)については「直接的な権利侵害を受けていない」として訴えを退けた。

 判決は、女性2人に対する教会側の勧誘の一部について「『先祖の因縁を解消することができない』と不安感をあおるなどして自由な意思決定を制約した状態で献金させる違法行為があった」と指摘した。

 判決によると、女性2人は94年と96年に信者から勧誘され、06年ごろまで献金や印鑑購入などで計約2800万円の損害を受けた。

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深まりゆく京都大原の秋とわだつみの像、そして「赤報隊」

2010-12-08 22:47:28 | 日記・エッセイ・コラム

2010kyouto_0039 今日12月8日は太平洋戦争が勃発した日。

この数日間、カメラ片手に京都で過ごした。大原の深まりゆく秋の山里の風景は、日の出のころが一番美しい。

知人に誘われ立命館大学の国際平和ミュージアムに入った。

1943年秋の学徒出陣で、戦地で命を落とした学徒のための慰霊碑「わだつみの像」が玄関右手にそびえたっていた。

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年、70年の日大、東大闘争をはじめ全国で学生運動が拡がる中で、わだつみの像は、ペンキを塗られ、破壊された。私は当時その新聞記事を読んで怒りが込み上げてきたのを、今でも覚えている。

わだつみの像との対面は、私の青年時代の日記の証でもあった。

あらためて憲法九条の尊さを感じた。

  

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

参照 立命大 国際平和ミュージアム 制作60年 戦没学生の手記公開

http://www.asahi.com/edu/news/OSK201011290035.html

 

写真は、わだつみの像

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反社会勢力「赤報隊」と統一教会

 

展示品の中で、一つ私の目にとまったものがあった。

血の付いた白いワイシャツと散弾銃の弾痕の跡が残るブレザー。

1987年5月3日朝日新聞阪神支局で「赤報隊」となのるテロリストに襲撃され死亡した小尻記者(当時29歳)が身に着けていたものであった。

  

犯人は捕まらず、時効をむかえたが、有田氏は赤報隊=統一協会説を当時の週刊文春で展開した。

 阪神支局の事件の2日後、朝日新聞東京本社に散弾銃の空楽きょうを同封した脅迫状が送付された。

  

文面は「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」というものだった。
 有田氏によると8612月から「朝日ジャーナル」は霊感商法批判キャンペーンを始め、当時まだタブー視されていた統一教会批判に乗り出したことへの報復らしい。また、殺害された小尻記者も統一協会の霊感商法を取材していたようだとも報じられた。有田氏が特に指摘したのは教団関連企業の「統一産業」が韓国から大量狩猟用散弾銃を輸入したことがあり、信者の多くが全国各地で鉄砲店で経営しているという点だった。

 

館内の方に、なぜ故小尻記者のシャツが展示してあるのか聞いてみた。

意外な答えだった。小尻記者は立命館大学の卒業生。

しかしミュージアムに展示するにあたっては、当時「赤報隊」からの脅迫があったとのこと。

犯人がだれかについては諸説飛び交っているが、いまだに何かあれば本当の「赤報隊」か、その名を借りた連中のいやがらせか解らないが、統一協会がらみでこれからも出てくる可能性は高い。

私の地元愛知でも日本基督教団の牧師が企画したカルト関係の講演会を前に、二人の男が現れ、赤報隊の犠牲になってもよいのかと言う趣旨の脅迫があったと聞いている。

言論の自由は、節度ある相互批判の自由を保障している。

脅迫、暴力、殺人で言論の自由を奪うものを許すことは、再び国家的独裁への道を許すことになるのではと危惧するものである。


統一協会が幸福の科学に抗議  所詮、同じ穴の○○○同師 

2010-12-02 21:19:42 | カルト

やや日刊カルト新聞に面白い記事が載っていた。

霊界戦争キタ!統一協会が幸福の科学「文鮮明霊言」に抗議

http://dailycult.blogspot.com/2010/11/blog-post_30.html

統一教会の抗議声明については

幸福の科学総裁への抗議11/22  http://www.ucjp.org/?p=4661

幸福の科学総裁への再抗議12/2  http://www.ucjp.org/?p=4713

9月30日に幸福の科学から出版された「宗教決断の時代―目からウロコの宗教選び①」の内容が文鮮明師の名誉を著しく傷つけると言うものである。詳しくは記事を読んでいただければ・・・。

面白いのは、抗議を受けた幸福の科学の回答書である。

回答書

前略

 本年11月18日付け幸福の科学グループ創始者兼総裁宛て貴職名義書簡に対し、ご回答いたします。

 貴職が問題としておられる『宗教決断の時代――目からウロコの宗教選び』は、創作でもなんでもなく、大川隆法総裁が、その高度な霊能力を駆使して、文鮮明氏の守護霊を公開の場に呼出し、質問者と対話した模様を公開霊言として映像収録し、これをそのまま全編活字起こしして刊行した書籍であります。

 したがいまして、宗教的秘儀に基づく同書籍につき貴職のご要望に応じることはできかねますことを、ご了承ください。

 なお、同書の原典である公開霊言映像DVD(92分)を貴職にご覧いただくことも検討したいと考えておりますので、よろしくお願い申しあげます。

草々

平成22年11月25日

うちのカミさんに読んでもらった。

大笑いであった。出た言葉が「どっともどっち、裁判になったらおもしろいのにね。」

 

私は両団体とも「先祖が人を殺した」で始まる霊感商法をしているので、霊界認識は一致しているのかと思っていた。事実大学構内での両者の偽装サークルは交流さえしているところもある。

 

統一教会の名誉棄損の抗議は筋が通っているように読めてしまうのだが、

抗議文中に「同書は「文鮮明守護霊の霊言」なるものを真偽の確認することなく掲載していますが・・・」とあるが、検証できないことをいいことに「霊界世界」を利用して散々詐欺商法で潤った教団が今さら言えた事かと、笑うよりは怒り浸透である。

 

ひとつ思い出したことがあった。

現会長梶栗氏が198310月に起こした世界日報襲撃事件である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%97%A5%E5%A0%B1_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

  

梶栗氏が信徒100人を引き連れて、意にそぐわない世界日報の社員を拉致監禁、暴行し編集局長副島氏に瀕死の重症を負わせた襲撃事件である。

この事件後、副島氏は「文藝春秋」19847月号に隠された統一教会の真の姿を暴露した。

 

その中に、幹部信者が各国の元首の代理となって文鮮明師に拝礼する秘密の儀式があり、当時会長の久保木氏が天皇の代理になっていたという日本国民を侮辱した内容が明らかにされた。

 

それまで深いつながりのあった反共・右翼・民族主義諸団体から決別をせざるを得なかった。

今回、幸福の科学の大川師から、文鮮明師が霊界の地獄に住む「クモ」と霊視されて怒るのはいいが、統一協会がやってきたことを考えると、両師とも同じ穴の○○○である。


悪に手を染める我が子に立ちはだかる親の気持ちを否定するのか! 12.3「全国拉致監禁・強制改宗」反対

2010-12-01 23:07:25 | 統一協会

「拉致監禁・強制改宗に反対する被害者の会」が主催する国会請願デモが12月3日に、東京で予定されている。

子供が悪(違法勧誘、霊感商法)に染まりつつあるのに、そこに立ちはだかる親の子を思う気持ちは、誰も否定できない。

  

拉致や監禁や強制改宗が本当にあるのならば、それは許されないことだが、後藤氏の件は検察審査会で不起訴相当と判断され、後藤氏の体重の不可思議な増加問題も浮上し、例の後藤氏が痩せこけて映し出された写真の時期的整合性について、写真を撮った米本氏も、写された後藤氏も応えきれていない。

6日間で病院食で12kg以上の体重増加について肯定するのはいいが、根拠を全国民にわかりやすく説明すべきだ。

私はあの写真は「作為ある写真」の可能性が高いと考えている。

説得に伴って、食事を取らせない家族など聞いたことがない。

本人が断食するか、摂食障害でないかぎり、・・・・。

  

摂食障害については体験者の手記をこの記事の後に載せました。後藤氏が引きこもりであったという情報もあり、それに伴う摂食障害をあったのではないかという可能性もあり、一心病院で治療したのは摂食障害であったということであるならば、長期入院も説明のつくところです。脱水症状では2.3日の加療で済むとのことです。私の知人も今はよくなりましたが、摂食障害でした。)

  

この集会デモについて、本日の有田氏の記事、「やや日刊カルト新聞」でも取り上げられている。

http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2010/12/post_f01f.html

http://dailycult.blogspot.com/2010/12/1233000.html

注目は、国会でどこの党のどの議員がその請願を受け付けるかというところに焦点が合わされている。

有田氏の記事中には統一教会の内部文書まで公開されている。

韓国統一教主導の集会であることが明らかとなった。

私も先のブログ記事で、のこのこ献金欲しさに国会議員が出てくるようなことがあれば、次期選挙で青山丘(国民新党)と同じように国民の手痛い洗礼を食らうだろうと書いた。

  

もし出てくる議員がいれば、その議員に問いたい。

 

「もしご自分のお子さんが統一教会に入信し、違法勧誘、霊感商法に手を染めはじめたら、あなたは説得しないのですか」

「後藤氏が病院食と治療で6日間で12kg以上体重が増加したことについて、国民に説明できますか」

 

受け取る議員がだれかということも然ることながら、私にはもう一つ集会について、危惧するところがある。

本当は集会責任者が危惧するところなのだろうが、長い平和運動、労働運動の経験から本能的に思考回路が働いてしまう。

思い出すのは70年代の集会とデモである。

とりわけ社会党系集会は大変であった。さらに沖縄返還で社会党、共産党が共闘で集会を打つものならば、会場周辺は右翼の街宣車でうまり、左翼暴力集団の会場入り口での妨害活動、会場内での暴力沙汰もあった。

そんなことを思い出す中で、おそらく当日、統一教会から分派した中山グループ等は必ず現れるだろう。

野外音楽堂だから、どこからも入ろうと思えば入れる。正体を隠すことぐらいは簡単なことだ。

同じ信仰を持つものの集まりということもあり、会場で親しくなる戦法が取られるのは目に見えている。

彼らは、今年ネットで現役食口のブログで紹介された名古屋での統一教会のイベント会場近くでビラまき勧誘活動をしていたようだ。

そういうこともあって、統一協会はイベントや地方での「拉致監禁」デモの日程などの公表を控え始めたようだ。

でも今回ばかりは、そうは行かない。何が起きても不思議ではない。

また分裂騒動の渦中での全国から集まる大集会であり、顕進派の動向も見逃せない。

その意味で会場内は、平静を装いながら、緊張は隠せないだろう。

ひょっとしたら、連絡が取れなくなっているお子さんを捜しに来られる親御さんの姿も・・・・。

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 体重は40キログラム以上も増減!
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年間も苦しめられた「地獄の摂食障害」の日々

DIAMOND ONLINより  http://diamond.jp/articles/-/10187

 地獄のような「引きこもり」の日々を送りながら、ひょんなきっかけから、アーティストとして“社会復帰”できた人もいる。

 前々回の当連載で紹介した、イラストレーターのKacco(カッコ)さん(43歳)。「引きこもり」や心の病などをカミングアウトした人たちが所属するプロダクション「K-BOX」の主宰者だ。

仕事中に突然、目まいや吐き気…入院するも「摂食障害」で体重は激減

 Kaccoさんが引きこもったのは、28歳のとき。阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などが起きて、日本が漠然とした不安感に包まれていた95年頃のことだ。

 転職を繰り返した末、宅建の資格を取り、不動産関係の会社に勤めていたKaccoさんは、仕事中、目まいや吐き気、頭痛などに襲われるようになった。

 いまから振り返れば、そうした症状は、小さい頃から抱えていた。しかし、症状の出るスパンがだんだんと短くなってきて、ついには週に何度も現れるようになるなど、仕事どころではなくなってしまったのだ。

 そこで、内科で診てもらったものの、原因はわからずじまい。神経内科へ行ってみても、「どこも異常がない」といわれた。

 その後、紹介された脳外科に検査入院。仕事も辞めた。しかし、原因はやはりわからなかった。

 病院の食事は、食べては嘔吐の繰り返し。入院生活は長くなった。

 そのうち、食べ物に対する恐怖感が強くなり、食事を運ぶ台車の音がゴロゴロと聞こえてくると、鳥肌が立った。そして、動悸がしたり、気分が悪くなって倒れたりした。やがて、点滴で対応できる限界まで、体重が落ちた。

 結局、Kaccoさんが紹介された先は、大きな病院の精神科。まず「摂食障害」と診断され、次に「そううつ病」や「パニック障害」などともいわれた。