北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

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文鮮明の愚かさとアインシュタインの遺言(ラッセル・アインシュタイン宣言)

2010-08-09 23:16:33 | 反戦、平和のために

今日は長崎原爆の日である。

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菅総理は、核抑止論は離さず、日本が核兵器廃絶のための運動の先頭に立つと言う。広島、長崎の小学生でもわかる矛盾を平気で発言する。

長崎の慰霊祭に参加した仏人男性がインタビュウーに応えていた。「小さいころ、いつ原爆が落とされるかびくびくしていた。」私も小さいころ思い出した。

核兵器廃絶のための今日まで多くの人々が関わってきた。

その根底には、核抑止論は存在しない。

ラッセル・アインシュタイン宣言(1955.7)は、今日でも全世界の科学者、文化人の平和活動を支える崇高な理念となっている。

ノーベル物理学賞を授与された益川教授にも脈々と受け継がれている。

私の平和j活動の理念的支柱であった広島大学名誉教授故森滝市郎氏(日本被団協理事)も「人類は生き続けなければならない」という名言を残されている。

私は、今日この宣言を紹介することによって、本当の平和活動の精神とはなにか、文鮮明をメシアと仰ぐ統一教会の食口の皆さんに問いたい。

この宣言を読まれる前に時代背景について述べると、1954年にビキニ環礁での水爆実験が行われた。日本の漁船の船員と住民が被爆し、海洋生物も汚染された。この水爆実験によって、世界は、国境を越えて拡散する死の灰脅威と、広島型原爆の何百倍もの破壊力を有す水爆の誕生を知った。

東西冷戦構造の中で、米の核実験がはじまり、続いてソ連の核実験もはじまった世界情勢の中で、実験による死の灰の恐怖と核兵器が何時落とされるかもしれないと言う恐怖が全世界を襲ったのである。今日長崎を訪れた仏人の言葉にも表わされている。

そういう危機的情勢の中で1955年7月ラッセル・アインシュタイン宣言が発表されたのである。

この宣言で、一個の核爆弾が一都市の消滅のみならず、周辺地域はもちろん、国境を越え世界的な規模で死の灰が降る中で、人類と種が消滅する危機を訴えたのである。

 

ラッセル・アインシュタイン宣言がアインシュタインの遺言と言われる所以は、アインシュタインは、発表を待たずに、この年の4月に76年の生涯を終えているからだ。

ラッセル・アインシュタイン宣言の全文を紹介する。(http://archive.hp.infoseek.co.jp/1955RusselEinstein.htmlよりコピー)

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ラッセル・アインシュタイン宣言

    1955.7.9          ロンドンにて

私たちは、人類が直面する悲劇的な情勢の中で、科学者たちが会議に集まって、大量破壊兵器の発達の結果として生じてきた危険を評価し、ここに添えられた草案の精神において決議を討論すべきであると感じている。

 
 私たちが今この機会に発言しているのは、あれこれの国民や大陸や信条の一員としてではなく、その存続が疑問視されている人類、人という種の一員としてである。世界は紛争に満ち満ちている。そしてすべての小さな紛争の上にかぶさっているのは、共産主義と反共産主義との巨大な闘いである。

 
 政治的な意識を持つ者はほとんど皆、これらの問題のいくつかに強い感情を抱いている。しかし、もしできるならば、皆さんにそのような感情をしばらく脇に置いて、ただ、すばらしい歴史を持ち、私たちの誰一人としてその消滅を望むはずがない生物学上の種の成員として反省してもらいたい。

 
 私たちは、1つの集団に対し、他の集団に対するより強く訴えるような言葉は、一言も使わないように心がけよう。すべての人が等しく危機にさらされており、もしこの危機が理解されれば、皆さんがいっしょになってそれを避ける望みがある。
 私たちは新たな仕方で考えるようにならなくてはならない。私たちは、どちらの集団をより好むにせよ、その集団に軍事上の勝利を与えるためにどんな処置がとられうるかを考えてはならない。私たちが考えなくてはならないのは、そんな処置をとればすべての側に悲惨な結末をもたらすに違いない軍事的な争いを防止できるかという問題である。

 一般大衆は、そしてまた権威ある地位にある多くに人々でさえ、まだ核爆弾による戦争によって起こる事態を自覚していない。一般大衆は今でも都市が抹殺されるくらいに考えている。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾1発で広島を抹殺できたのに対して水素爆弾なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような最大都市を抹殺できるだろうということは理解されている。

 疑いもなく、水爆戦争では大都市が抹殺されてしまうだろう。しかしこれは、私たちの直面しなければならない小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀の間には世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、特にビキニの実験以来、核爆弾は想像されていたよりもはるかに広い地域にわたって徐々に破壊力を広げることができることを知っている。

 
 信頼できるある筋から、今では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を作ることができるということが述べられている。
 もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能を持った粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちをその漁獲を汚染したのは、この灰であった。

 
 そのような致死的な放射能を持った粒子がどれほど広く拡散するのか、誰も知らない。しかし最も権威ある人々は一致して水素爆弾による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水素爆弾が使用されるならば、全面的な死滅が起こる心配がある。

 
 ――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数の者はじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊していく。

 
 多くの警告が著名な科学者や権威者によって軍事戦略上から発せられている。しかし、最悪の結果が必ず来るとは、彼らのうちの誰も言おうとしていない。実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、誰もそういう結果が実際起こらぬとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が少しでも彼らの政治上の立場や偏見に左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになった限りでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲に基づいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しを持っていることがわかった。

 
 さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、厳しく、恐しく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか? 人々はこの二者択一という問題を面と向かって取り上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにも難しいからである。

 
 戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかしおそらく他の何にも増して事態の理解を妨げているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。人々は、危険は自分自身や子どもや孫たちに対して存在し、単にぼんやり感知される人類に対してではないということを、はっきりと心に描くことがほとんどできない。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争は続けてもかまわないと思っている。

 
 この希望は幻想である。たとえ水素爆弾を使用しないというどんな協定が平時に結ばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるや否や双方とも水素爆弾の製造に取りかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側は必ず勝利するに違いないからである。

 
 軍備の全面的削減に一部として核兵器を放棄する協定は、最終的な解決を与えはしないけれども、一定の重要な目的には役立つであろう。
 第一に、およそ東西間の協定は、これが緊張の緩和を目指す限り、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じたれるとすれば、現在双方を神経的な不安状態におとしいれている真珠湾式の奇襲への恐怖を減らすことになるであろう。それゆえ私たちは、そのような協定を歓迎すべきである。

 
 私たちの大部分は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が誰にでも――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――可能な満足を与えうるような何らかの仕方で解決されなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望む。

 

 私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識と知恵の絶えない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、その代わりに、私たちは死を選ぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へ向かって開けている。もしできないならば、あなたがたの前には全面的な死の危険が横たわっている。

                                           決議

 私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、次の決議に署名するよう勧める。

 
「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実から見て、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるよう勧告する。従ってまた、私たちは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段を見出すよう勧告する。」

マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授(ノーベル物理学賞)
F・J・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ボーリング教授(ノーベル物理学賞)
C・F・パウェル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)

入力:河原一敏

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文鮮明の愚かさは、ベルナデッタさん、じじい50さんの8月6日の記事のコメントにもあるように、ベトナム戦争や朝鮮戦争でもアメリカは核兵器を使うべきだった、という平和を求めた人とは思えない核兵器に対する彼の認識である。

もし朝鮮戦争で使われていたならば、当時興南収容所から解放され、国連軍と北の砲弾の落ちる中を南進していた文鮮明自身も死んでいたかもしれない。

その意味で、彼の原爆に対する認識の愚かさを見るのである。


65回目の8月6日 文鮮明に「ノーモアー広島」は語れない

2010-08-06 14:21:07 | 反戦、平和のために

朝8時からの平和公園での慰霊祭のテレビ中継を見た。

私は若いころ5回ほど参列した。

毎年、中継を見るたびに、蝉がジージー鳴く平和公園の中で、汗だくになって黙とうしていた自分を思い出す。

黙とうするたびに、ある詩を黙って読んでいた。

ちちをかえせ ははをかえせ                                 1979                                    
  

 としよりをかえせ

  こどもをかえせ
 
  わたしをかえせ わたしにつながる

  にんげんをかえせ

  にんげんの にんげんのよのあるかぎり

  くずれぬへいわを


  へいわをかえせ

 

これは、峠三吉の原爆詩集の序の詩である。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/tougesannkitigennbakusisyuu111.htm

今年もテレビの前で黙とうを捧げた。

今年は菅総理、はじめての米代表の参列があったようだ。

核抑止論をとなえる菅総理、

65年間一度も原爆投下に「謝罪」の意を示さないアメリカの代表、

この二人が1945年8月6日に起きた人類史上はじめての核兵器の使用によって、一瞬のうちに木の葉のように焼かれ、逝った一人一人の魂と本当に向き合うことができたのだろうか。

写真は1979年の広島。撮影者は私。

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統一教会に入信した娘と話した時、娘と平和について話した。

彼女は涙ながらに平和の尊さを語った。

街頭にたって、平和についてのアンケート調査をしているだけで娘が平和活動をしている錯覚に陥っていること事について、原水爆禁止運動の成り立ちの部分について話した。

この話は、大手マスメディアはほとんど記事にしていない。

昨年になって、NHK「その時、歴史が動いた」で取り上げられた。

http://akikoy.at.webry.info/200902/article_41.html

杉並区の一主婦からはじまり、わずか1年で国民的な拡がりから全世界的に拡がった運動であった。

こんな素晴らしい運動に、文鮮明が本当に平和について活動していたなら、なぜ彼はこの運動に関わらなかったのかと問いた。

いろいろなことを返してきたが、一つ一つ検証した。

検証していくと彼の平和論が、米のレーガン大統領がソ連を宇宙からのシステムで核攻撃することであることを証明した。

娘はすべてを理解できなかったが、文鮮明が平和の使者ではないことぐらいは理解できたようだ。

日本の軍国主義は戒められなければならなかった。だからといって銃後の国民を大量殺戮して良いと言うことにはならない。

その否定が広島の悲劇であった。

共産主義には反対だ、だからといってソ連の国民を核攻撃によって大量殺戮して良いと言う理由にはならない。

原水爆禁止運動は、いかなる理由があれ、国際紛争を核兵器の抑止力、戦争による使用によって解決することを否定する。

それが、広島、長崎の悲劇を繰り返させないための日本の心だと私は思う。


8/4 東京高裁 一審を破棄して被害額を増額 1億5千万円 統一教会元信者に

2010-08-05 16:11:15 | 霊感商法

「霊界の先祖を救うためにお金を捧げなくてはいけない」という不安を煽る元女性信者への語りが、女性の自由な意思決定を阻害したと認定されたようだ。

マインドコントロールの認定である。

 

47news 2010.08.04

統一教会被害の賠償額を増額 東京高裁、1億5千万に

  

 霊感商法で多額の献金を強いられたとして、東京都内に住む統一教会元信者の女性(73)が教会と信者3人に約2億2千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は4日、約9500万円の支払いを命じた一審東京地裁判決を取り消し、賠償額を約1億5千万円に増額した。

 岡久幸治裁判長は、昨年12月の一審判決が「支出の経緯が不明」として請求を退けた1991年の献金約5300万円について「協会側が『霊界の先祖を救うためにお金をささげなくてはいけない』などと不安をあおり、女性は自由な意思決定を阻害された状態で献金させられた」と認定。

 女性が90~91年にかけ、自宅マンションの売却などで支出した計約8600万円の献金も一審に続き賠償の対象とした。

 判決によると、女性は89年に東京・銀座の路上で勧誘されたのを機に、十数年にわたりマンションや株の売却代金などを統一教会側に献金した

http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010080401000692.html

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自由意志とはなにか。

人は自分の意志で決定する。

私の娘も、説得中「献金は自分で決めたことなのだから・・・」という言い方をしていた。

自分で決めた。自己責任と思いこまされてしまっている。

否定すれば、先祖が救えないばかりか、自らも地獄行き・・・

統一教会は信教の自由を掲げるが、信教の自由には「否定する自由」も含まれることを、この間の裁判の判例から知ることができる。

ただ統一教会としては、先祖の霊が救われないといった、家系図にまつわる統一教会の商法が日本国内の相次ぐ摘発、裁判での敗訴がつづく中で、「やや日刊カルト新聞」によれば、看板の書き換えが進んでいるようである。

http://dailycult.blogspot.com/2010/08/blog-post_01.html

 

看板を変えたところうで、「あなたの運勢が開かれないのは、先祖が人を殺した。」といって、印鑑、水晶などの開運商品なるものを販売すれば、中身は霊感商法である。

新展開を見せる統一教会のダミー団体であるが、開運アドバイザーがどういうトークをしているのか、今後注目していきたい。