北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

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半島では宗教弾圧の嵐が吹く中で、不可解なメシアの日本留学時代と鹿島就職

2010-01-31 23:38:56 | 戦時下の文鮮明

昨日は、1日で500アクセスと、ブログを始めて以来、最高のアクセス数だった。

1日で2つの記事をアップしてしまった。

  

「現代宗教」編者の主幹であられる卓志一長老神学大学教授の許可が今後も許されるならば、このブログにアップできたらと思っている。

  

昨日アップした卓志一教授の「現代宗教」12月号の記事は、戦時中、日本帝国主義に支配されていた朝鮮半島では、宗教弾圧で投獄された宗教家がいた事を示している。投獄された日付もしっかりしている。

  

文青年は、自分がメシアであるにもかかわらず、なぜ名乗らなかったのだろう。

  

反日活動家の金九と連絡を取りあっていた、戸塚署で拷問を受けた。鹿島でも留学時代の反日活動がばれて拷問を受けたと本人が言っているだけで、事実証拠となる公的書類は存在しない。

  

彼の言い方も、メシア文鮮明として拷問を受けたとは言っていないようだ。

  

朝鮮人であれば、留学時代に拷問の一つ二つはあっただろうと推測はされる。彼だけが拷問を受けたわけではない。

1945年8月終戦を迎え、10月までに多くの政治犯が釈放された。多くの共産党員は拷問に耐えられず、終戦を迎える前に転向している。釈放された多くは朝鮮人だったのだ。

獄中の拷問で亡くなった人もいた。

  

そこには文鮮明はいなかった。

  

彼の話す留学時代は、信用できないというのが私の認識である。

当初、彼は留学時代は「山本」という名前だと彼は言っていたが、「真実派」の追究により嘘であり「江本」であることが判明した。

また早稲田大学に留学したというのであるが、それも「真実派」の追及で嘘であった。

  

なぜ、留学時代を、山本という名の早稲田大学留学生で反日活動家であったというストーリーが必要だったのだろう。

反日活動が真実なら、学歴が必要なのか、高等専門学校ではいけないのか。

メシアは「見栄っ張り」という性質だったのか。

  

さらに言うならば、何度も言ってきたが、メシアの戦時下での「鹿島就職」の真偽である。これは、脱会された韓国の方がネットで疑問を投げかけたのであるが、戦時下の朝鮮人留学生が、徴兵か、徴用しか選択肢のない中で、「就職」とはどういうことか。

コネでもあったのか、それとも「見栄っ張り」で出た言葉か。

コネならどういう繋がりなのか。

  

文師が亡くなる前にお聞きしたいものだ。


原理講論の「堕落 復帰」論は、金百文(混淫派)からの盗用…・韓国「現代宗教」12月号翻訳

2010-01-30 11:32:08 | 「現代宗教」翻訳

今年は日韓併合100年ということで、終戦までの日本帝国主義が行ったキリスト教への弾圧と擁護された宗教について、韓国釜山長神大学の卓志一教授が「現代宗教」12月号に「日帝下の韓国教会と異端」と題して書かれている。

統一教会の「堕落 復帰」論が金百文のコピーであることを知ってほしい。

 

手元にサランヘヨさんが訳された、韓国で異端の啓発活動をされている卓志一教授が「現代宗教」一二月号に寄せた記事を、卓先生の許可をとって掲載します。

 

異端の根を探して(7)

  
                       卓志一(本誌編集者 釜山長神大教授)

7. 日帝下の韓国教会と異端

 
1)日帝の宗教政策

 
平壌大復興運動が起きた1907年に公表された「韓日新協約」(1907.7.24)と「保安法」(1907.7.27)によると、日帝は朝鮮ですでに立法、司法、行政の三権を掌握していた。そして、「朝鮮統治の最高方針」(1910)と「教育勅語」(1912)は朝鮮統治の究極的な目的が天皇中心の内鮮一体ということをはっきりと表している。

1919
年の三.一運動以後にも、このような統治原則には変わりはなかった。朝鮮総督府の「治安維持法」(1925.4)は、変わらない天皇中心の内鮮一体を強調している。すなわち、日帝強制占領期の間、日帝の統治原則は決して変わることはなく、ただ統治方法のみが状況に合わせて変わるだけだった。 

日帝のこのような朝鮮統治原則は、宗教政策にも適応された。朝鮮総督府の「布教規則」(1915.8.16)によると、宗教布教活動を願う者はもちろん(第3条)、宗教施設の設立においても(第9条)朝鮮総督府に詳細に報告し、許可を得なければならなかった。すべての宗教活動に対する総督府の包括的な統制は、もちろん天皇中心の内鮮一体という統治原則を適応していく為の事だった。

  

 「布教規則」は神道、仏教、キリスト教に対して主に適用されていたが(第1条)、宗教と類似した団体にも適用することができた(第15条)。しかし、各地域で起こった新興宗教団体らを統制することは容易ではなかった。このため朝鮮総督府は1935年、村山智順が調査した1000ページもの分量の『朝鮮の類似宗教』という資料集を発刊した。この資料集は韓国で発生したすべての宗教と、特に日帝の統治に協力的ではない新しい宗教団体を(類似宗教)と分類しながら、その否定的な面を浮き出させて宗教弾圧のための口実を使った。反面、日帝は朝鮮統治の助けになる団体らは、朝鮮教会の分裂を助長するために内密に支援育成するという、二重的な政策を実施した。

 

例をあげると、キリスト教派運動の小宗派運動中、民族主義的な性質を持っていたパク・トンギのシオン山帝国とイ・スンファの天道教があった。

パク・トンギは彼自身の神秘体験を根拠に、カトリックの神社参拝を批判して日帝に対する闘争を主張し、1944425日、シオン山帝国を設立した。しかし1945521日、住民の密告で逮捕され、816日の出監まで酷い審問に遭った。

 

また、イ・スンファも彼女の神秘体験を根拠に1919年陰暦の629日、ソウルの四大門(注:ソウルの4つの城門。東の興仁門、西の敦義門、南の崇礼門、北の粛清門)の上に神様の啓示を受けて作ったという太極八掛を掲げて独立万歳を叫んだが逮捕され、保安法違反などの容疑で拷問を受け、3年半の間獄苦を経験した。

 

反面、反宣教的な感情を表しながら、いわゆる朝鮮的なキリスト教を指向したチェ・ジュンジンの自由教、イ・マンジプの自治運動、キム・ジャンホの朝鮮キリスト教などの場合には、むしろ日帝の関心と支援を受けることになった。日帝強制占領下のキリスト教異端運動などは、このような日帝の宗教政策の影響下に起きたのである。

 
2)日帝下 キリスト教異端運動発興 

 

 
日帝下のキリスト教異端運動は1930年代以降に本格化された。

1931年の満州事変、1937年の中日戦争、1941年の太平洋戦争を経て、日帝の大陸侵略は段々と露骨化され、朝鮮は戦時体制の下、戦争協力強要と民族抹殺政策のため苦痛を受けた。韓国教会には苦難の時期だった。

 

三一運動を通して成長した民族解放のための希望であった信仰は、十字架で苦難を受けられたイエス・キリストを見上げる忍耐の信仰に変わった。このような社会的な不安情勢と不確実性は、韓国教会の中に神秘主義的な傾向を持つキリスト教異端運動の発興の背景になる。 

何よりも、日帝下の異端運動は救いに対する性的接近が際立っている。世界教会史は聖(spirituality)と性(sexuality)の緊張を持続的に表しているが、韓国異端運動の根にもこのような性的接近(sexual motif)が特長的に表れている。

 

金百文(19171990)が代表的な人物である。韓国異端運動の根とも言える金百文は、文鮮明とパク・テソンなど数多くのキリスト教異端運動に直接的に教理的影響を与えた。金百文の『聖神神学』(1954)、『キリスト教根本原理』(1958)『信仰人格論』(1970)に表れる主張は文鮮明の『原理講論』のそれと類似しているように見える。

  

金百文は『キリスト教根本原理』で堕落に対する説明を女性エバから誘われ、善悪の実の犯行という使神[蛇]から現れた悪霊との肉体的な淫行を話すことになるが、すなわち使神と直接的な肉体性交を犯して、エバから女性の処女貞操を蹂躙(じゅうりん)することも大きく、血統に狂ったその罪悪性はまもなく肉体の性欲感をそこから受け持つことで創造本性の愛の反対の性理である情欲の育成へと悪化してしまったのだ485ページ)と主張する。

文鮮明も『原理講論』で人間の祖先が天使と淫行することで、すべての人間が「サタン」の血統に生まれてしまった為だ。我々は天使と人間の間に淫行関係があり、それが堕落の原因になっているという事実を知ることができる84ページ)と説明している。

このような堕落から人類を回復させるに、いわゆるメシアの降臨とその再臨の目的があることだ。文鮮明はこの再臨主が韓国に生まれ、地上天国を建設するのだと主張する。文鮮明が金百文の教理に影響を受けているのが明らかに分かる。

 

このような数々の主張は、この後の他の異端団体らの教理にも容易く発見される。金百文の堕落と復帰に関する主張は、文鮮明の影響を受けた鄭明析ジョン・ミョンソクの『30概論』にもそれが反復されている。

結果的にこのような教理によって、異端団体の教主らによる性的問題などが引き起こされていることは推測できる。すなわち性的堕落の回復は、教主との性的関係を通して成し遂げられるという、彼らの隠された主張である。このような復帰過程は、社会的通念では受け入れられない非倫理的な姿で現れ、実践法の制裁を受けた。

 

興味をもつ事実は、金百文の影響を受けた文鮮明系列の異端団体らは、教主を再臨主、そしてパク・テソン系列は恵みの聖霊を神格化しているのが見られることだ。これは韓国の異端運動などが独立的に生まれたのではなく、相互の影響を受け与えながら発興してきたと見える。これにより、キリスト教異端を研究する専門家たちは、韓国の異端団体らを説明しながら系譜という表現をする。

 

 
『現代宗教』2009.12 より引用&翻訳 訳者サランヘヨさん




国際福音キリスト教会セクハラ事件の背景にある朝鮮半島土着の混淫派

2010-01-30 10:27:43 | カルト

昨年来、サランヘヨさん、クリスチャンスイトピーさんから韓国系キリスト教会の一部に牧師絶対化のもと信者への虐待、セクハラの指摘があったので、ブログでアップしてきた。

  

民事裁判で争われていることは、承知していたが、ついに昨日、国際福音キリスト教会の牧師が信者へのセクハラで逮捕された。

  

2010.1.28 14:40産経ニュースより

  

キリスト教系教団「国際福音キリスト教」の施設内で、女性信者にわいせつな行をしたとして、茨城県警捜査1課とつくば中央署は28日、準強姦(ごうかん)の疑いで、同教会の代表だった牧師で韓国籍の卞(ビュン)在昌(ジェーチャン)容疑者(61)=土浦市小岩田=を逮捕した。卞容疑者は容疑を否認している。

  

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100128/crm1001281441017-n1.htm

  

信者との肉体的関係で贖罪していく(血分け)という宗教教団は、歴史的には朝鮮半島に混淫派として存在していた。

  

大戦後、文鮮明が鹿島を退職し行きついたところが、金百文のイスラエル修道院という混淫派の宗教施設である。金百文の師匠も混淫派であったと聞いている。

統一教会は、文鮮明の血分けについて否定しているが、文鮮明の宗教的経歴を辿れば、真実性を帯びてくる話である。

       


荒野をさ迷う、統一教会の自主脱会者

2010-01-28 10:13:08 | マインドコントロール

先日、ある会合で臨床心理士のカウンセラーのF先生のお話を聞くことができた。

日本では数少ないカルト、マインドコントロールと専門に関わっている方。

 

Photo

先生の言われた「脱会者同士の交流、とくに同じ時期をすごした人たちとの交流は、脱会後のリハビリを支える意味では大切なことです」という言葉が気になって、前回のブログ記事「沖縄集団自決の洗脳教育の恐怖と統一教会」の続きを書く気になった。

 

脱会、特になんのサポートも受けられずに脱会された方のその後の人生は、生活においても、精神面においても荒野さ迷うものではないだろうか。

 

松本清張の「球形の荒野」は、私にとって青春時代に読んだ記憶に残る一冊。

終戦間際のヨーロッパ某国の日本公使館の一等書記官の和平努力が、大国による戦後処理で闇に葬られていく、それと同時に彼自身の存在も闇に葬られていく。

日本に残された娘が、父の死亡宣告に疑問を抱き、幼いころ別れた父を捜す旅に出る。

父ではないかと思われる人物に出会うのだが、その人物は名乗らない。わが子に会えても名乗れない元外交官の悲哀を描いた小説である。

 

戦時中の和平努力が灰と消え、戦後の社会では自分が死亡したことになっている社会で、彼に見えるのは、茫然と荒野にたたずむ自分の影しかなかった。「球形の荒野」の題意が伝わってくる。

 

その姿が、なぜか私には統一教会を自主脱会した人の姿と重なって見える。

一度は人生をかけ、信じてやってきたことを、否定せざるを得ない世界で、脱会直後は自分の居場所がない世界、家族や友人のいない世界が突然あらわれる。

嘘だと頭で理解していても、「堕落」世界に足を踏み入れ、荒野に一人たたずむ恐怖は、自主脱会した体験者しかわからない。

 

その不安定な精神状態を癒してくれるのは、同じ時期を過ごした脱会者とのめぐり合いであることを、F先生は言われのだとおもった。

そこには、前回のブログで紹介した、集団自決の洞窟から恐る恐る出てきて、「みんな生きているよ」と呼びかけられた時と同じ安ど感があるような気がする。

  

カルトからの解放は、脱会して牧師にあって、統一協会が虚像であったことを理解して終わりというものではないことを、あらためて知った。


沖縄集団自決から学ぶ洗脳教育の恐怖と統一教会

2010-01-24 22:24:32 | マインドコントロール

沖縄の普天間基地をどうするかで、政権内部が揺れ動いている。

沖縄と言うと思いだすのは、ちょうど沖縄が返還された70年の夏に寝袋をもって、友人と二人で鹿児島から船で渡ったことを思い出す。

Okis  

那覇から辺野古、ゴザ、キャンプハンセン・・とバスで周り、夜は金もないので、最初の日はオールナイトの映画館、二日目は那覇港で寝袋で夜を過ごしたことを思い出した。

 

マリンブルーの海、大きなチョウ、大きなトカゲ、バスの中でおばあさんと話した意味不明の会話、停留場の横でおじさんが立ち小便が終わるのを待っている運転手…のどかな風景の一方で、上空はB29の爆音、道路は時々米軍のトラックが何台も行きかう本土にはない騒々しさ。

 

一番衝撃的だったのは、きれいな海岸線をみつけ、バスから降りて、サトウキビ畑をぬけて、海岸に出ようとしたら、突然、スピーカーで呼び止められ、「これ以上入るな、ここは米軍管理の土地だ。命の保証はしないぞ、」と脅され、あわてて浜辺を後にして逃げてきたこと。今だから笑い話ではなせるのだが、その時は本当に、拳銃で狙われていたと思い、友人と必死で逃げたのだ。

 

1945年沖縄に上陸した米軍は「命の保証はするから、壕からでてきなさい」と隠れまどう住民に拡声器で呼びかけた。

 

今、あらためて統一教会のマインドコントロールを通して、沖縄の集団自決について考えると、よく似ていることに気がつく。 

 

たまたま、「祖父がはじめて語る沖縄戦」というYOUTUBEをみつけた。

 

きれいな女性がでていた。彼女が沖縄出身のミスユニバースジャパン知花くららさんということを、初めて知った。

下手な私の記事よりも、迫るものがあった。

孫が祖父から学んだ集団自決とはなんだったのか・・・

 

米軍の上陸、ひたひたと迫る敵兵、頼みの日本兵はいない。

一般住民に捕虜になる選択ではなく、自らの命まで絶つ決意をさせたものはなんだったのか。

捕虜になることは恥ずかしいと教えられ、米兵に捕まったら戦車で繰り返し引かれて殺されるとか、女は死ぬほどの辱めを受けるとか、捕虜になれば目をえぐられるという洗脳がされた。

 

生きて辱めを受けるよりは、死んだ方がよい。

洞窟に入り込んでしまえば、外部の情報もない。

  

くららさんの祖父が死の絶壁から生への帰還の要因は、彼が洞窟ではなく、外にいて、外部との接触ができる環境にあったことだ。

 

まさしく生きたいという人との出会いによってもたされた。[みんな生きている]という言葉が、彼を救った。

 
正しい情報を与えられず、壕や洞窟に立てこもった住民は、「命は保証する、出てきなさい」と米軍がよびかければ、呼びかけるほど、「何をされるかわからない」という危機感がだけがつのっていったのではないだろうか。若い乙女となればなおさらではなかっただろうか。

   

投降を呼びかける米軍を悪だと思いこむ思考形態は、統一教会の親や人間社会を堕落と決めつけるマインドコントロールと、全くよく似ている。

恐る恐る出てきた人は助かった。そうでない多くの住民は還らぬ人となった。

 

しかし生き残った人が、本当に心まで解放されたかと言えば、最後まで国に忠誠を誓えなかったうしろめたさという精神的重圧を抱えたのではないだろうか。

くららさんの祖父は「死んだ人に申し訳なかった」と言った。それを言わしめる軍国主義教育の恐ろしさを知った。

 

おそらく、終戦当時、生きて戦地から帰還した人の多くは、トラウマを抱えて戦後を生きざるを得なかったのではないだろうか。

  

くららさんの祖父がなぜ今語り始めたのか。

 

「沖縄の記録が教科書から消されていく、再び日本が戦争の道に行くのではないか、戦争をふたたび繰り返してはならない」ということを、自らの体験を通して訴えたかったと言う。

 

その立場は、統一教会脱会者が、自ら体験をネット上で語る思いと類似するところがあるような気がする。

自分たちと同じ体験をしてほしくない、そんな思いと「文鮮明はメシアではない。脱会してしても怖くないよ、みんな脱会しているよ、そしてみんな生きているよ」そんな声がネットのむこうから聞けてくる。