北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

このブログは旧「北風と太陽 OCN版」の保存のみです。更新記事はniftyブログ「北風と太陽 」をご利用ください。

安倍晋三のNHK従軍慰安婦番組への介入から学ぶ

2009-04-29 20:52:01 | 統一協会

韓国へ嫁いだ女性は、従軍慰安婦で謝罪するそうだ。

  

その一方で、統一教会幹部は従軍慰安婦隠ぺい政治家と手を結ぶ。

これでは、復帰原理を実践し、韓国に嫁いだ女性たちの努力が報われないのでは。

  

私の過去ログで、従軍慰安婦問題を扱おうとした2001年のNHK「ETV2001 問われる戦時暴力」が政治家の力によって改編された問題について、統一教会の教理と統一教会幹部の立場の矛盾について書いた。

  

http://blog.goo.ne.jp/kokoro2442/d/20090110

  

その後の動きが昨日(4.28)サンケイニュースにのったのでコピーした。

                                          

 

慰安婦問題でNHK番組改編 「自主自律危うくした」BPO検証委

旧日本軍のいわゆる「従軍慰安婦」問題を特集したNHKの番組が放送前、政治家の意図を忖度  (そんたく)して改編された疑いが持たれた問題で、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理  検証委員会(川端和治委員長)は28日、「番組制作の幹部が放送前に政治家らと面談し、前後して  改編された一連の行為は、NHKの自主自律を危うくし、重大な疑念を抱かせる」とする意見を発表した。 

 ただ、川端委員長は会見で「自主自律をゆがめる改編を外部の圧力で行ったと認定した 
 わけではない」とした。 

 番組は平成13年1月放送の「ETV2001 問われる戦時性暴力」で、慰安婦問題を裁く模擬裁判を 取り上げた。取材を受けた団体が番組に抱いた期待権を侵害されたとして、NHKなどを提訴したが、 最高裁で敗訴が確定。研究者らがさらに検証を求めていた。

 同番組の放送前日、NHK放送総局長らが安倍晋三内閣官房副長官(当時)を訪ね、その前後に修正が繰り返された。こうした経緯について委員会は「何人もの政治家からこの番組のことを話題にされ、有力政治家から公平、公正にと念を押される中で、番組の質より安全を優先することを選んだ」と指摘した。

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090428/biz0904281700017-n1.htm

  

参考

NHK長井暁チーフPが証言した改変内容の例 
・「女性国際戦犯法廷」が、日本軍による強姦や慰安婦制度が「人道に対する罪」を構成すると認定し 
 日本国と昭和天皇に責任があるとした部分を全面的にカットする。 
・「女性国際戦犯法廷」に反対の立場をとる日本大学の秦郁彦教授のインタビューを大幅に追加する。

                                       

この記事は朝日、毎日、中日などの今朝の朝刊に掲載されている。BPOの評価はともかく、NHKの番組編集に政治家が介入した事実について、私たちはきちんと認識しておく必要がある。

  

政治家の名前が出ていない新聞記事もあるが、もし説得を準備されているご家族がおられるならば、この新聞記事を保存しておいてほしい。

  

統一教会被害者家族の私にとって問題にしたいのはこのとき、NHKに介入した政治家の名前である。

  

一人は総理のポストを投げ出した安倍晋三であり、もう一人は先日醜態記者会見をした元財務大臣中川昭一である。

従軍慰安婦問題の抹殺を図ろうとする政治家と、統一教会幹部がなぜ手を組む必要があるのか。

  

安倍晋三から合同結婚式に祝電をもらい誇らしげに紹介する当時の統一教会幹部の動画を参考にしてほしい。

http://www.youtube.com/watch?v=SJB9cErZDwQ

祝福家庭に希望を見出し、日本から韓国に嫁いだ女性たちは、従軍慰安婦のことで隣近所に謝罪するようだ。

私は文鮮明は3つの仮面をもつ詐欺師だとおもう。

  

ひとつは反共主義の仮面、二つ目は民族主義者の仮面、三つ目はメシアの仮面だ。

仮面を剥ぐと「詐欺師としての文鮮明」しか残らない。

  

従軍慰安婦問題は、文鮮明が韓国国民から支持される民族主義的ポーズをとるための最高の材料なのだ。

  

安倍晋三との付き合いは反共主義(勝共連合)によって、日本での自らの組織を守るために日本の政治家の中枢と結びつくための絶対条件。

  

しかしこの二つの仮面は、一方で従軍慰安婦を断罪し、一方で従軍慰安婦を日本の歴史から抹殺する政治家と結びつくという大きな矛盾を浮き彫りにしている。

  

新聞記事と動画を対比させ、その矛盾をわかってほしい。

  

マインドコントロールによって、思考停止している脳に理性的判断を寄り戻す一助になればと思い今日の記事となった。

  

回りくどい文章になってしまった。文才の無さ、お許しを。

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日テレ 統一教会の違法勧誘を放送

2009-04-25 18:54:37 | インポート

謎の手相占い 隠された目的

3月20日(月)「ニュース リアルタイム」(日テレ系列)という番組で「徹底追及 謎の手相占い 隠された目的」と題して、勧誘現場、ビデオセンター、元信者のかたの証言、霊感商法対策弁連の近藤弁護士へのインタビューをとおして、統一教会の違法勧誘の実態が明らかにされた。

 

街角で通行人に手相を見てあげると声をかけ、「今が人生最大の変わり目・・・・」もっと詳しくみてもらおうと「人生教養講座」なる怪しい講座に誘い込む。最終的には統一教会への勧誘である。

 

「先祖の怨念がかぶさってくる」「家族がどうなってもよいのか」・・・。正しく霊感商法である。

 

統一教会は今年になって、その関連企業といわれる「新世」に公安が入ったということで、あわただしい動きをみせている。

 

2月12日、統一教会徳野会長は信者向けに、物販、勧誘に対する指導基準を出しているが・・・・、依然として違法勧誘を続いている。

 

(参考 http://kokoro.mo-blog.jp/weblog/cat7379564/index.html

 

番組のインタビューアーは、声掛けする集団に直撃インタビューを試みる。直撃を受けた女性は、最初は、統一教会の信者ではないと言いながら、最後は統一教会への勧誘を認めてしまうあたりの追及の鋭さは痛快である。

 

違法勧誘に警鐘を鳴らす意味では大きな意義があったと思う。

 

テレビのニュース番組だから、追及となってしまうのだろうが、被害者家族の立場から見れば、彼らが人を騙していることへの認識と、自らも騙されているという認識を持たせるようなマインドコントロールの解放というもう一つの方向からも見ることができるような番組づくりを今後に期待したい。

 

この番組は実は東海地方では、名古屋市長選挙の関係か、観ることができなくて知人がDVDにダビングして私の元に送ってくれた。感謝です。

youtubeに番組をみることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=XzjX1t_k4S4

 

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北西の空にイエスキリスト

2009-04-14 22:53:40 | 統一協会

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この写真、よく見ていただきたい。ひとの顔がマジックのようなもので作為的に描かれているとおもいませんか。

  

元食口の人が、1988年ごろ受けた講義で使われた統一教会のテキストにある写真です。

  

  

興南で文鮮明が「生きて死の道を行った」ので奇跡がおきて解放され、イエス様が現れたと教えています。

  

参考までに、テキストの中のこの写真の説明文を書きだしました。

  

1950年暮、朝鮮半島を二つに分割する北緯38度線をめぐって、北朝鮮、中共軍と韓国、国連軍との闘いが続いていた。

そんなある日のことだ。国連軍基地司令室にB29編隊からうわづいた声が入ってきた。

「奇跡だ、奇跡が起こった。北西の空にイエスキリストがあらわれている。」

その現象は京城の地上からも見ることができた。灰色の雲にとざされた空。その雲のカンパスに巨大なキリストの顔が浮き出していたのだ。悲しそうにこちらを見詰めている顔に、人々は非常におどろいた。或る者は、感動のあまり空のキリストに手を合わせ泣いている。また或る者は大地を打ち鳴らして祈り始める。という有様である。・

そらのキリストは、タイムリーに国連軍のB29編隊の一人が写真におさめ、その後公式に発表され、世界に感銘をあたえた。

  

公式にいつだれがどこで発表したか、わかる人があれば教えていただきたい。


私たちの家族は、カルトの被害者

2009-04-05 10:30:48 | カルト

「カルト」という言葉の定義をめぐって、それはアメリカから来た特殊用語で、定義が不明確ということを理由に、カルトの問題について社会に警鐘を鳴らしている個人、団体を非難される人物がおられる。

  

その方は、「カルト」「マインドコントロール」を理由に、入信している子どもを拉致監禁して、精神障害PTSDまで発症している、そのことが問題だと指摘しておられる。

  

論理のすり替えであり、第一義的に問題にしなくてはならないは「カルト被害をいかにしてなくすか」という議論であり、彼の論理はその議論を強硬に無視しようとする意図がうかがえる。

  

彼は「カルト」「マインドコントロール」の用語が特殊な用語であることを強調し、それらの用語に意味がないと断言することによって、カルト被害という用語が、妄想であるこのごとく言い放っているのである。

  

確かに「カルトの定義」にこだわれば、議論は多種多様である。なぜならば、新興宗教による被害が大きく取り上げられるようになったのは、この20年ぐらいのことであり、オームに見られる異常な思考回路が社会問題化したのが今から13年前。

  

人間の心が変えられていく「マインドコントロール」という用語が拡がったのもこのころだ。

  

しかし、欧州では、信仰の自由とカルト(欧州ではセクト)の区別の分析については、議論され、一定程度の対策が講じられている。

  

日本では、無防備のまま、民事裁判が多発している状況がある。しかしこの議論の軸を見失わせるこの人物の意見こそ、親や社会を否定的に見る思考で人間を洗脳する宗教団体(私は宗教団体と呼びたくない)を温存させることに加担することになるものではないだろうか。

  

私どもの子どもとアベル(統一教会でいう信者の上司)の会話で「親の堕落性が見えてきて・・・・」というやり取りを知った時のショッキングな体験から、「カルト」とは、「その組織とかかわったときに、親や家族を排他的にみる思考回路を持たされる組織」がカルトの第一条件ではないだろうか。これは私の個人的な意見にすぎないかもしれないが、入信した子供が家には帰らない、帰らない理由も定かではない。入信したことによる家族との断絶である。

  

でも本当に、その人物が言うように「カルト」は本当に社会的定義がされていないのだろうか。

  

フランスでは、1995年国民議会で、「セクト」の定義が採択された。セクトの本質を「新たな全体主義」として定義がなされ、次の10項目が構成要件として列挙されている。

  

  1.  精神の不安定化

  2.  法外な金銭的要求

  3.  住み慣れた生活環境からの断絶

  4.  肉体的保全の損傷

  5.  子供の囲い込み

  6.  反社会的な言説

  7.  公秩序の攪乱

  8.  裁判沙汰の多さ

  9.  従来の経済回路からの逸脱

  10.  公権力への浸透の試み

  

    これが完全な定義かといえるかどうかは別にして、被害があるから対策がある。

      

    私は労働運動に携わっている。「労働」の定義にしても、立場によって変わるものだと思っている。

      

    労働運動は、労働者の立場に立って、「労働」による被害をなくし、労働者の権利の拡大のための運動である。資本家が労働運動をするわけがない。資本家は、最近のキャノンの偽装請負に見られるように、法律破りをし、それを隠ぺいしてまでも、安い労働を求める。

      

    「労働の定義が多種多様で決まったものがないから、運動するな」と言ったら、労働者は怒りだすだろう。

      

    平和運動でもしかり。平和の定義は、その立場によって異なる。

      

    「広島長崎の原爆投下は、これ以上の死傷者を出さないために、止むを得なかった。もし原爆投下がなかったら、戦争終結は遅れ、何百万という人が犠牲になった。平和のための原爆投下だった」これがアメリカの教育で教えられていることだ。このことに疑問をいだくアメリカ人が多くなってきたというのも今の時代の社会的運動の影響ではないだろうか。

      

    このような平和のための戦争、原爆も当然という定義もあれば、日本の原水爆禁止運動や5億6千万人の署名で朝鮮半島への原爆投下を阻止したストックホルムアピールのように、いかなる戦争も、核兵器の使用も禁止し、対話によって平和を築き上げるという定義もある。

      

    どちらの定義が正しいかは、理性ある人々の判断にゆだねれば、一目瞭然である。

      

    被害があるから、運動があり、対策が生まれる。これが自浄能力のある社会の流れではないだろうか。不十分な点もあるが、カルトに対するフランス社会の流れは、当然のことではないだろうか。

      

    「カルト定義が確立してないから、運動するな」なんてことは、冗談ではない。

      

    カルトによる被害があるから運動がある。そのことを第一義にとらえることができない論理は、カルト被害者の立場を踏みにじるものとしか言いようがない。

      

    この人物が、拉致監禁によるPTSDの発症を訴えるのも、被害があるから訴えるという一件論理が通った見方に見えるが、この論理の背景にカルト教団を擁護する論理が働いている以上、彼の論理は問題の本質的解決を遠ざけるものであることを、私は家族の立場で訴えたい。

      

    子どもが、親を堕落したなど言う家族愛を否定するような思考回路にはまらなければ、途方もない時間をかけた準備と説得に要する時間は必要ないからだ。

      

    なぜか、まわりくどい文章になってしまった。私の悪い癖だ。どうかご勘弁を。

      

    カルト被害の定義を曖昧にするジャーナリストにご注意