ホッとしました。
2011年8月9日(火)今国会の内閣提出第1号議案(177閣法1号)である、「特例公債法案」(平成23年度の赤字国債発行法案)を成立させることで、民主党、自民党、公明党の3党幹事長が合意しました。
【追記 2013年1月30日(水) 午前5時】
こちらのエントリーにも3党合意の全文を載せておきます。
2011年8月9日(火)の民主党、自民党、公明党の3党合意文書。
民主、自民、公明の3党は、以下の点について確認する。
一、歳出の見直しについては、以下の通りとする。
高速道路無料化については12年度予算概算要求において計上しないこととする。
高校無償化、農業戸別所得補償の12年度以降の制度のあり方については、政策効果の検証を基に、必要な見直しを検討する。
なお、これらを含めた歳出の見直しについて、11年度における歳出の削減を前提に、11年度第3次補正予算ならびに12年度予算の編成プロセスなどに当たり、誠実に対処することを確認する。
一、歳出の見直しと併せ、子ども手当等の見直しによる歳出の削減について、11年度補正予算において減額措置することを、特例公債を発行可能とするための法案の付則に明記する。
一、法人税減税等を含む11年度税制改正法案(その内容を一部切り出して6月22日に成立した法律にあるものを除く)については、復興のための第3次補正予算の検討と併せ、各党間で引き続き協議する。
一、東日本大震災復興基本法第8条に規定する復興債の償還財源の具体的内容や償還ルールなど、あらかじめ決めることとされているその償還の道筋については、第3次補正予算の編成までに、各党で検討を進める。
一、11年度第1次補正予算における財源措置として活用した年金臨時財源については、第3次補正予算の編成の際に、復興債で補填(ほてん)することとし、そのための財源確保策と併せて、各党で検討する。
一、以上を踏まえて、特例公債を発行可能とするための法案について速やかに成立させることとする。
以上、確認する。
【追記おわり】
成立の前提となる、4kの見直しについては、まだ詳細が分かりませんので、エントリーを改めるか、このエントリーに追記することにしますが、小沢一郎氏による「2・17ショック」(比例単独16人をたぶらかしての自称・新会派騒ぎ)により、「3分の2」が絶望的になって以来、与野党協議をねばり強く、忍耐強くつづけた岡田さんの勝利となりました。小沢氏にとっては1月31日の検察審査会による強制起訴に伴う「判決確定まで党員資格停止」処分に次ぎ、岡田さんに2連敗となりました。
同法案は今週中に衆院財務金融委員会で可決し、衆院本会議を通過。来週にも、参院で審議入りし、財政金融委員会で可決し、参院本会議で成立することになると思います。例年は3月上旬に参院に送られ、3月中に成立している同法案ですが、今国会では、衆参ねじれを考慮し、民主党執行部は日本国憲法59条第2項(3分の2ルール)による可決・成立を見通していましたが、小沢一郎氏に手引きされた民主党比例単独16人衆が2月17日、突如「自称・新会派」の立ち上げを一方的に発表。これにより、3分の2が絶望的になり、民自公3党の政調会長や幹事長に調整がゆだねられていました。
8月9日午前中に、自民党は総務会で、公明党は臨時常任役員会で執行部一任を決定。民自公の政調会長が下ごしらえをしたうえで、今国会を動かしている岡田克也さん、石原伸晃さん、井上義久さんの3人が合意しました。この3人は1990年2月18日の第39回衆院選で初当選した同期の桜で、岡田さんと石原さんは自民党、岡田さんと井上さんは新進党で同じ政党のメンバーとして活躍していました。また、石原さんと井上さんは同じ政党に属したことはありませんが、1999年~2009年にわたり一緒に政権を担いました。岡田さんと井上さんも細川・羽田連立内閣を支えた仲です。
3人の政治キャリアを下の表にまとめました。
[画像]民自公3党幹事長の歩み、宮崎信行作成。
この岡田人脈が大きく国会を動かしたことになり、現時点でも衆院会派「民主党・無所属クラブ」の会派分割に岡田・会派代表者は応じておらず、1月31日の強制起訴後に、乾坤一擲の作戦で2月17日にしかけた小沢一郎氏による「会派分裂作戦」は失敗に終わった格好になりました。
私の国会傍聴ノートを振り返ると、召集日である1月24日(月)の週の木曜日(1月27日)にBS11番組に公明党の漆原良夫・国対委員長が出演しています。この中で、この日の菅総理の施政方針演説に対する井上幹事長の衆本での代表質問にちなんで、「井上さんのような慎重な性格の人と違って、私のような野蛮な人は違う」と自己紹介しながら、特例公債法案などについて「民主党は『最後に公明党が(賛成に)乗ってくれる』と思っているが、とんちんかんだ。根拠のない期待だ」と強硬路線を示唆していました。
一方、2月7日(月)の記者会見で岡田幹事長は「公明党のご意見、確かに厳しいものがありますが、しかし、子ども手当というのは公明党が推進してこられた児童手当の充実の延長線上にあるとも言え
る」「手直しをすることも含めてやぶさかではありませんし、何よりもこの法律が通らないことになれば、子ども手当も児童手当も支給できない事態になりかねません」と述べていました。半年かかりましたが、この岡田さんの2月7日の目的地に、着陸することができたことになります。やはり、岡田克也の先を見通す目は優れていると思います。なかなか、世間受けはよく分かりませんが。大変口幅ったい言い方ですが、岡田さんはこの半年で成長したといえるでしょう。
NHK日曜討論で、与党時代に予算委員長や議運委員長の経験がある自民党国対委員長の逢沢一郎さんが「民主党はもっと知恵を絞らないといけない。民主党はもっと苦しまないといけない」と言っていたときはイヤなこと言う人だなあ、と感じましたが、今となっては、私自身にとっても良い糧になったと考えます。
また、「子ども手当つなぎ法」の成立の際に、参院本会議で賛成に回ってくれた、市田忠義(いちだ・ただよし)さんら日本共産党のみなさんにも感謝です。
そして、当初予算2・1兆円と、年少扶養控除をすでに廃止したことと、所得制限という連立方程式が必要になったときに、登場した、公明党の元厚生労働大臣、坂口力(さかぐち・ちから)さんの存在が何よりも大きいでしょう。坂口さんの登場について、6月16日の会見で岡田幹事長は「坂口先生が、専門家として自らの見解を述べられたということだと思います」「党に諮ったものではないことは、私もお聞きしております」「そういったことが説明できるような制度設計が望ましいと考えております」「そう言っておかないと、所得制限にどうのこうのと書かれても困るからね。私はニュートラルです」として、最後の所得制限を含めた子ども手当の見直しにつながりました。ちなみに、「所得制限をしない」ということは民主党マニフェストには書いてありません。
[画像]公明党の坂口力さん。
今週になって、公明党は、自民党を振り切ってでも特例公債法案賛成という動きが出てきました。そこで、自民党はあわてて3党合意を決定したような風情です。ということは、公明党がしかけ、来年4月からの児童手当法の復活という果実(ただし、手当の名称は未定)を得たということになり、野党としては公明党の方が、自民党よりもベテランという感じになります。
自民党総裁の谷垣禎一さんからは「信なくば立たず」という言葉がたびたび出ました。谷垣さんは今国会野党初発言となった1月26日の衆本代表質問で「小沢の出鱈目マニフェスト」という表現で、マニフェストの撤回を求めました。それから3・11を経て、半年以上たった延長国会で、どうやら「信なくば立たず」で党と国民のための成果をとげたのは、岡田さんのようです。
今回、岡田さんを助けてくれた厚生関係議員の先輩である坂口力さんは、一度落選経験があります。3党幹事長がきら星のごとく政界デビューした第39回衆院選で、党政調会長の要職にありながら落選してしまいました。選挙区は中選挙区時代の三重1区。このとき、最後に当確が出たのは、自民党新人の岡田克也さんでした。公明党・創価学会は厳しい組織ですから、「選挙に強い人の評価が高い」という傾向は他党を上回ります。地道に2年間、戸別訪問をしながら、先代から受け継いだ後援会をしっかりと岡田後援会に変えていった36歳の若者の姿を坂口さんは見ていたのでしょう。そして、1997年12月、小沢一郎氏による新進党解党に公然と異論を唱えた、岡田さんの背中を、井上さんも坂口さんも見ていたようです。このときのことは、創価学会の方々はよく覚えていらっしゃいます。政治家はどんなときでも、誰かが自分の背中を見ていることを忘れてはいけません。まさに正念場(性根場)国会です。