【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

◎小沢一郎氏、また岡田克也幹事長に負ける 16人「自称・新会派」から半年・・・特例公債法成立へ3党合意

2011年08月09日 19時36分50秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 ホッとしました。

 2011年8月9日(火)今国会の内閣提出第1号議案(177閣法1号)である、「特例公債法案」(平成23年度の赤字国債発行法案)を成立させることで、民主党、自民党、公明党の3党幹事長が合意しました。

【追記 2013年1月30日(水) 午前5時】

 こちらのエントリーにも3党合意の全文を載せておきます。

2011年8月9日(火)の民主党、自民党、公明党の3党合意文書。
民主、自民、公明の3党は、以下の点について確認する。
一、歳出の見直しについては、以下の通りとする。
    高速道路無料化については12年度予算概算要求において計上しないこととする。
    高校無償化、農業戸別所得補償の12年度以降の制度のあり方については、政策効果の検証を基に、必要な見直しを検討する。
    なお、これらを含めた歳出の見直しについて、11年度における歳出の削減を前提に、11年度第3次補正予算ならびに12年度予算の編成プロセスなどに当たり、誠実に対処することを確認する。
一、歳出の見直しと併せ、子ども手当等の見直しによる歳出の削減について、11年度補正予算において減額措置することを、特例公債を発行可能とするための法案の付則に明記する。
一、法人税減税等を含む11年度税制改正法案(その内容を一部切り出して6月22日に成立した法律にあるものを除く)については、復興のための第3次補正予算の検討と併せ、各党間で引き続き協議する。
一、東日本大震災復興基本法第8条に規定する復興債の償還財源の具体的内容や償還ルールなど、あらかじめ決めることとされているその償還の道筋については、第3次補正予算の編成までに、各党で検討を進める。
 一、11年度第1次補正予算における財源措置として活用した年金臨時財源については、第3次補正予算の編成の際に、復興債で補填(ほてん)することとし、そのための財源確保策と併せて、各党で検討する。
一、以上を踏まえて、特例公債を発行可能とするための法案について速やかに成立させることとする。
 以上、確認する。

【追記おわり】 

 成立の前提となる、4kの見直しについては、まだ詳細が分かりませんので、エントリーを改めるか、このエントリーに追記することにしますが、小沢一郎氏による「2・17ショック」(比例単独16人をたぶらかしての自称・新会派騒ぎ)により、「3分の2」が絶望的になって以来、与野党協議をねばり強く、忍耐強くつづけた岡田さんの勝利となりました。小沢氏にとっては1月31日の検察審査会による強制起訴に伴う「判決確定まで党員資格停止」処分に次ぎ、岡田さんに2連敗となりました。

 同法案は今週中に衆院財務金融委員会で可決し、衆院本会議を通過。来週にも、参院で審議入りし、財政金融委員会で可決し、参院本会議で成立することになると思います。例年は3月上旬に参院に送られ、3月中に成立している同法案ですが、今国会では、衆参ねじれを考慮し、民主党執行部は日本国憲法59条第2項(3分の2ルール)による可決・成立を見通していましたが、小沢一郎氏に手引きされた民主党比例単独16人衆が2月17日、突如「自称・新会派」の立ち上げを一方的に発表。これにより、3分の2が絶望的になり、民自公3党の政調会長や幹事長に調整がゆだねられていました。

 8月9日午前中に、自民党は総務会で、公明党は臨時常任役員会で執行部一任を決定。民自公の政調会長が下ごしらえをしたうえで、今国会を動かしている岡田克也さん、石原伸晃さん、井上義久さんの3人が合意しました。この3人は1990年2月18日の第39回衆院選で初当選した同期の桜で、岡田さんと石原さんは自民党、岡田さんと井上さんは新進党で同じ政党のメンバーとして活躍していました。また、石原さんと井上さんは同じ政党に属したことはありませんが、1999年~2009年にわたり一緒に政権を担いました。岡田さんと井上さんも細川・羽田連立内閣を支えた仲です。

 3人の政治キャリアを下の表にまとめました。



 


[画像]民自公3党幹事長の歩み、宮崎信行作成。

 この岡田人脈が大きく国会を動かしたことになり、現時点でも衆院会派「民主党・無所属クラブ」の会派分割に岡田・会派代表者は応じておらず、1月31日の強制起訴後に、乾坤一擲の作戦で2月17日にしかけた小沢一郎氏による「会派分裂作戦」は失敗に終わった格好になりました。

 私の国会傍聴ノートを振り返ると、召集日である1月24日(月)の週の木曜日(1月27日)にBS11番組に公明党の漆原良夫・国対委員長が出演しています。この中で、この日の菅総理の施政方針演説に対する井上幹事長の衆本での代表質問にちなんで、「井上さんのような慎重な性格の人と違って、私のような野蛮な人は違う」と自己紹介しながら、特例公債法案などについて「民主党は『最後に公明党が(賛成に)乗ってくれる』と思っているが、とんちんかんだ。根拠のない期待だ」と強硬路線を示唆していました。

 一方、2月7日(月)の記者会見で岡田幹事長は「公明党のご意見、確かに厳しいものがありますが、しかし、子ども手当というのは公明党が推進してこられた児童手当の充実の延長線上にあるとも言え
る」「手直しをすることも含めてやぶさかではありませんし、何よりもこの法律が通らないことになれば、子ども手当も児童手当も支給できない事態になりかねません」と述べていました。半年かかりましたが、この岡田さんの2月7日の目的地に、着陸することができたことになります。やはり、岡田克也の先を見通す目は優れていると思います。なかなか、世間受けはよく分かりませんが。大変口幅ったい言い方ですが、岡田さんはこの半年で成長したといえるでしょう。

 NHK日曜討論で、与党時代に予算委員長や議運委員長の経験がある自民党国対委員長の逢沢一郎さんが「民主党はもっと知恵を絞らないといけない。民主党はもっと苦しまないといけない」と言っていたときはイヤなこと言う人だなあ、と感じましたが、今となっては、私自身にとっても良い糧になったと考えます。

 また、「子ども手当つなぎ法」の成立の際に、参院本会議で賛成に回ってくれた、市田忠義(いちだ・ただよし)さんら日本共産党のみなさんにも感謝です。

 そして、当初予算2・1兆円と、年少扶養控除をすでに廃止したことと、所得制限という連立方程式が必要になったときに、登場した、公明党の元厚生労働大臣、坂口力(さかぐち・ちから)さんの存在が何よりも大きいでしょう。坂口さんの登場について、6月16日の会見で岡田幹事長は「坂口先生が、専門家として自らの見解を述べられたということだと思います」「党に諮ったものではないことは、私もお聞きしております」「そういったことが説明できるような制度設計が望ましいと考えております」「そう言っておかないと、所得制限にどうのこうのと書かれても困るからね。私はニュートラルです」として、最後の所得制限を含めた子ども手当の見直しにつながりました。ちなみに、「所得制限をしない」ということは民主党マニフェストには書いてありません。

 
[画像]公明党の坂口力さん。

 今週になって、公明党は、自民党を振り切ってでも特例公債法案賛成という動きが出てきました。そこで、自民党はあわてて3党合意を決定したような風情です。ということは、公明党がしかけ、来年4月からの児童手当法の復活という果実(ただし、手当の名称は未定)を得たということになり、野党としては公明党の方が、自民党よりもベテランという感じになります。

 自民党総裁の谷垣禎一さんからは「信なくば立たず」という言葉がたびたび出ました。谷垣さんは今国会野党初発言となった1月26日の衆本代表質問で「小沢の出鱈目マニフェスト」という表現で、マニフェストの撤回を求めました。それから3・11を経て、半年以上たった延長国会で、どうやら「信なくば立たず」で党と国民のための成果をとげたのは、岡田さんのようです。

 今回、岡田さんを助けてくれた厚生関係議員の先輩である坂口力さんは、一度落選経験があります。3党幹事長がきら星のごとく政界デビューした第39回衆院選で、党政調会長の要職にありながら落選してしまいました。選挙区は中選挙区時代の三重1区。このとき、最後に当確が出たのは、自民党新人の岡田克也さんでした。公明党・創価学会は厳しい組織ですから、「選挙に強い人の評価が高い」という傾向は他党を上回ります。地道に2年間、戸別訪問をしながら、先代から受け継いだ後援会をしっかりと岡田後援会に変えていった36歳の若者の姿を坂口さんは見ていたのでしょう。そして、1997年12月、小沢一郎氏による新進党解党に公然と異論を唱えた、岡田さんの背中を、井上さんも坂口さんも見ていたようです。このときのことは、創価学会の方々はよく覚えていらっしゃいます。政治家はどんなときでも、誰かが自分の背中を見ていることを忘れてはいけません。まさに正念場(性根場)国会です。


前川清成さん、被災者差し押さえ禁止法案を議員立法 「私たちの正義に反します」

2011年08月09日 13時23分32秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]2つの法案を起草し、趣旨説明する、民主党の前川清成さん、2011年8月9日、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。。

【2011年8月9日(火) 参院・災害対策特別委員会】

 「被災者の多くが二重ローンに苦しむなか、銀行や高利貸しが(被災者が受け取った弔慰金や義捐金を)差し押さえて横取りしてしまうことは、私たちの正義に反します」。

 「正義に反する」という言葉を久しぶりに国会で聞いた気がします。

 政党というよりも、各国会議員、あるいは国民の性根が明らかになる第177通常国会。

 前川清成(まえかわ・きよしげ)さんといって、奈良選挙区から蓮舫さんと同期当選(2004年岡田民主党、2010年菅民主党)の弁護士。お父さんは大阪ガスの会社員、お母さんは学校給食調理員で、長男として関大法学部に進学。平成2年(1990年)に弁護士登録し、住宅金融債権管理機構や、RCC整理回収機構で働いた経験もあります。

 政務三役の経験はありませんが、まだまだ、民主党にはこういう人材がいるんですね。

 前川さんは、9日昼休みに開かれた災害対策特別委にさしかえで登場し、

災害弔慰金の支給等に関する法律及び被災者生活再建支援法の改正案(177国会参法14号)

義援金に係る差押禁止等に関する法案(177国会参法15号)

 の2つの法案を起草し、松下新平委員長(自民党)の名前で、参院本会議に提出することが全会一致で決まりました。また、民主党、自民党、公明党、みんなの党、日本共産党を代表した委員会としての決議文も、前川さんが提案し、全会一致で可決。東日本大震災復興担当大臣の平野達男さんが議決をしっかりと受け止めて、政府が対応することを請け負いました。

 この経緯は、8月3日(水)に参議院へ提出した被災者支援金・弔慰金、義援金を差し押さえ禁止にする法案が、与野党の合意を得て「委員長提案」の形式をとることになり、基の法案の筆頭発議者だった前川さんが、法案を趣旨説明して、委員会決議についても提案することになったものです。参院本会議や、衆院災害対策特別委員会での趣旨説明は松下委員長がすることになります。

 このところ、政府提出の東日本大震災関連の閣法の提出が遅れていて、佐藤正久さんら参院自民党・浜田昌良さんら参院公明党らの「仮払い法」(成立・公布済み)、小里泰弘さんら衆院自民党・江田康幸さんら衆院公明党らの「がれき処理の国代行法案」(きょう夕方にも与野党修正合意)など衆参自公、みんなの党、たちあがれ日本、新党改革など野党の議員立法が目立っていました。

 が、今回は参院民主党の前川さんがていねいに野党を回って、法案を起草し、政府をバックアップする格好になりそうです。

 このように第177通常国会は、できる人にはできる国会になっています。

 小沢先生も議員立法の一本ぐらい出したらどうでしょうか。

 それにしても、「私たちの正義に反します」から法案を出さざるを得なかった前川議員(弁護士)の正義感。かなり久しぶりに国会で聞いたような気がする言葉です。ここ数年は、「立秋とは名ばかりの猛暑日」というフレーズがよく聞かれますが、前川さんのふるまい(性根)はまるで、「立秋とは名ばかりの梅雨明け直後の青い空」のようでした。まだまだ、こういう人がいるんですね、ホッとしました。

 ◇

 今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行
(有料ブログ)
http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65

 こちらのブログは有料ブログで、月840円(税込み)となります。初月度無料ということで試し読みできますので、いつからでもご登録いただけます。

 これまでのクレジット払いに加えて、「ポイント」を、コンビニ払いや銀行振り込みで購入して頂き、そのポイントを今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行の購読に充てていただくことができます。ですから、個人だけでなく、法人として購読していただくこともできます。

今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行」の購読のしかたは、下のアドレスでご確認ください。

 tags 岡田民主党・岡田克也 菅民主党・菅直人 小沢先生・小沢一郎 


ついに米国債が格下げ 代表選などやっている場合じゃない!

2011年08月08日 23時32分42秒 | その他

[写真]アメリカの夢と希望を載せたスペースシャトル、ラストミッション(アトランティス搭乗)の乗組員たち=NASAホームページから。

 ついにこの日が来ました。

 米格付け会社S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)は2011年8月5日(現地時刻)、アメリカ長期国債の格付けを最上位の「AAA(トリプルA)」から1段階引き下げ「AA+(ダブルAプラス)としました。

 これは米覇権を決定的にした1941年、戦間期(第1次→第2次政界大戦)に、米国債を「AAA」に格付けしてから、70年目で初の格下げです。1971年のニクソン・ショックを乗り切ってからも40年ということになります。が、2008年9月のリーマン・ショックで決定打を浴びた格好です。これに伴い、米財務省は、S&Pの10年先の米国債残高の見積もりに2兆ドルもの誤りがあるのを見つけ抵抗しましたが、S&Pは押し切りました。なお、ムーディーズは格付けを維持しました。アメリカ同様に政府債務残高が問題となり、景気が不安定となっているヨーロッパでは、イタリア地検特捜部がS&Pとムーディーズを家宅捜索するなどの国策捜査的な動きも見られました。

 もともとアメリカの財務長官がサインしただけの紙っぺらにすぎないドルが、国際基軸通貨、国際決済通貨であり続けることにはムリがありました。むしろ、ドルは長年、よくがんばってくれた、ありがとう!という感謝の念でいっぱいです。

 この問題で、私がイチバン物差しにさせてもらっている、同志社大学教授の浜矩子さんは7日付朝日新聞2面で、「格下げで基軸通貨ドルは最後の力を失うことになるかもしれない。そもそも海外から膨大な借金をしている米国のドルの価値が高いはずがない。リーマン・ショック後も価値を維持できたのは過去の栄光で買われていただけだ。ただ代わりの通貨はない。ドルやユーロ、円、人民元などがどんぐりの背比べをする体制に変わっていくだろう」と述べています。

 日本の財務省主管の外国為替特別会計には、平成21年(2009年)3月31日時点で、有価証券が90兆443億円、現金・預金が31兆8851億円あると、発表されています。このうち、どれだけのドル建ての米財務省証券があるのか、償還期限がいつかというのは、財務省理財局が情報公開しておらず、よく分かりません。ですが、1兆ドルを超えている可能性が高いと思います。

 日本とアメリカは永遠の同盟国であり、運命共同体の浮沈空母ですから「墜ちたドル」を売り飛ばすという友情に背くことはできません。

 ただ、できれば、アメリカ政府が円建てでもドル建てでもいいから、日本国債を買ってくれたり、日本が持つ米国債を担保に国際機構に融資するなどして、「持ち合い」の体制を強化すればいいと考えます。リーマン・ショック前では、ドル・円マーケットの9割が投機・投資筋で、本来の貿易の決済用の取引は1割程度だったとされています。ここを両国政府間が頻繁にマネーを融通し合うようになれば、投機筋の割合を薄めることができるような気がします。

 世界経済は不確実性を高めています。だからこそ、わが国は、地震があっても新幹線で死者が出ない「安全・安心大国」として、昇竜のごとく、右肩上がりを続ける、アジア各国の資産の保管場所、いわば「ストレージ大国」として、金融の自由化による内へのグローバリゼーション、すなわち第3の開国をすべきです。そしておそらくグローバリゼーションはやや落ち着き、日本を捨てて海外へ出て行った人材も多少は日本に帰ってくると思います。この人たちは英語ができますから、ストレージ大国として、対外資産の管理業務などの労働をしてもらって、単純労働は、英語のできない人や、FTAなどにもとづく他国からの人材輸入でまかなうことが、日本で生まれた人のハッピネスにつながると信じています。

 さて。

 さる2011年7月21日(木)の午前5時57分(米東部時刻)、あの素晴らしい、スペースシャトル「アトランティス号」がケネディ宇宙センターに帰ってきました。シャトル計画は、私たち西側諸国、自由主義陣営の一員には、夢と希望を与えてくれました。米国民にはそれに加えて、誇りを与えました。アメリカ政府による有人宇宙飛行はこの日で打ち止め。アポロ計画につづくシャトル計画は「自由の国アメリカ」の象徴であるロナルド・レーガンーー太平洋のやさしさを併せ持った偉大な大統領ーーにより、ベルリンの壁を崩壊させることに成功し、現在に至ります。

 なぜアメリカ政府の一機関であるNASAのスペースシャトルには「夢と希望」が詰まっているのに、日本の政治には夢と希望がないのでしょうか?

 それは予算が透明化されているかどうか、です。NASAは、アポロ計画よりも少ない予算で有人宇宙開発をする必要性がありましたから、宇宙を行ったり来たりする「シャトル」という名前に夢と希望を込めて、連邦議会の予算取りをしたんでしょう。ニューヨークの地下鉄は何号線というように、番号がついているのですが、たぶんイチバン短い路線は「シャトル」といって、番号がついてないかったと記憶しています。そのように、気楽に宇宙を行ったり来たりする。だから、第1号のコロンビアが宇宙に行ったとき、私は7歳で、NHKでずっと見ていましたが、打ち上げ後に、「コロンビア」が月に向かわないと知ってがっかりしました。そして、最初のフライトでは宇宙空間で、断熱パネルがたしか数千枚はがれるアクシデントがありましたが、これはNHKを見ながら、肝を冷やしました。コロンビアの翼が黒いのに、他のシャトルは色が違うのは、この断熱パネルの問題だと思います。そうやって透明化しているから、予算が取れるんですよね。フライトの全行程はNASAがもつケーブルテレビで完全生中継されていました。

 シャトル計画はもっと早く終わる予定でしたが、連邦議会で追加予算がつき、2011年7月まで可能になりました。これにより、奇妙奇天烈な偶然が起きました。ラストミッションが帰還した米東部時刻の7月21日というのは、アポロ11号のニール・アームストロング船長とエドウィン・オルドリン飛行士が月面歩行(ムーン・ウォーク)をしてからちょうど42年目ということになりました。それを聞いて、私はアメリカ政府も有人宇宙計画を復活させて欲しいと思いました。

 日米がしっかりと手をつなぎ続けることで日本は安定します。日本とアメリカは隣国です。太平洋を東に向かえば、ハワイ、そして、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルスがあります。日本は長年、太平洋の防波堤として、反共の砦の役目を務めてきました。まずは外為特会の透明化が必要です。永遠の同盟国とともに、この危機を乗り越えるために。

 民主党代表選なんかやっている場合ではありません!


◎ありがとうございます 国会傍聴記5年目に突入! 初心に戻って、参院の20人委員会を傍聴。

2011年08月04日 21時08分02秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]参議院農林水産委員会を傍聴する、筆者の宮崎信行=川崎稔参院議員の肩の後ろの赤いリボンをつけた人物、2011年8月4日、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。


 ありがとうございます。

 きょう、2011年8月4日(木)、「国会傍聴記by下町の太陽・宮崎信行」は開設から4周年を迎え、5年目に入りました。

 これもひとえに、当ブログの読者のみなさま、関係者のみなさまのおかげです。心より感謝申し上げます。

 で、この国会傍聴記は基本的には、インターネット傍聴をしたノートを元に、自分なりに切り取ってエントリーにしているわけですが、衆参の本会議も委員会も現地で傍聴しているときもあります。基本的には召集日などに新しい院の構成のイメージをアタマに入れておいて、ネットで審議と、議場の雰囲気も想像も含めて立体的に再現させながら、書いています。
 
 ところが、このところ、参院の分館で開かれる委員会を現地で傍聴しておらず、どうしても、一般傍聴人の入り口(ロッカーやボディチェック)がどうなっていたか、思い出せない。これはいけない、ときょうは、参議院分館の第32委員会室で開かれた参議院農林水産委員会を現地でみっちり傍聴しました。なぜ農水委かというと、イチバン小さい20人委員会(参院の内閣委、法務委、文教科学委、農水委、環境委、国会基本政策委、このほか10人の懲罰委もある=参議院規則第74条参照)ということで、記念の日に初心を思い起こさせていただきました。ちなみに、きょうは20人全員出席(途中で委員のさしかえ、一事退室はあり)で、とっても良かったです。で、なぜ入り口を忘れていたかというと、衆院分館の傍聴人入り口は衆院別館にあるのに対して、参院分館の傍聴人入り口は参院分館の中にあったから。なんのこっちゃと思われるでしょうが、これは大事なことです。これを知れただけでも良かった。学びて時に之を習うまた喜ばしからずや。また、きょうは初めて、委員長(主浜了さん)が私の傍聴申込用紙にサインしてくれるのを直に見ました。きょうは審議中にも何人か一般傍聴に訪れた人もいて、質疑中や答弁中に、委員長席の後ろから参院事務局の職員が渡して、委員長がサラサラと万年筆でサインしていました。けっこう大変なんだなあと思いました。

 きょうの委員会では、野党時代からずっと書いている、農業者戸別所得補償も議題になりました。自民党参院議員で元JA全農専務理事の山田俊男さんが登場。答弁席には、野党時代に所得補償をつくった、鹿野道彦ネクスト農相と篠原孝ネクスト農水副大臣が、リアル大臣・副大臣として着席。山田さんの所得補償攻撃は質疑を聞く度に弱くなっていて、きょうは「最近は、農家の方から、『山田さんねえ、戸別所得補償は(自民党が歳出削減を求めている)バラマキ4kに入れないで(存続させて)ください』と言われています」「戸別所得補償のために、“担い手育成”、“農地の基盤整備”の予算が減らされているんですよ~~と説明するんだけど・・・なかなか厳しいんだよなあ」とかなり苦しくなってきました。篠原副大臣もこれに先立つ答弁の中で、「戸別所得補償は一面では生産調整に参加するという(しばりも)あるが、地方分権を吹っ飛ばして、農民主権、農民分権ではないかと自負しています」と2008年9月20日付当ブログエントリーでのお得意のフレーズが聞けました。やはり政権交代は野党時代が大事です。とはいえ、山田さんの「初年度となった昨年は、米価の変動(下落)を補てんしただけに終わったのではないか」との指摘には、政務三役も「検証すべきだ」ということになりました。その反面、「昨年の価格決定には公平性がなかったのではないか」と篠原さんも応酬。ぜひ、山田さんには、次の選挙まで、しっかりと持論を展開してくれれば、与党・民主党政権の理論も裏打ちされるし、政権交代した場合は、自民党農政がスムーズに進むでしょう。農業者無視の「ネコの目農政」から脱却できれば、民主党か自民党かというのは道具にすぎません。

 それから、日本共産党の紙智子さんの質問を虚心坦懐に聞いている自分が居て、その辺は少し成長できたのかなと言う気もしました。

 ただ、ちょっと参議院は閉鎖的ですかね(^^;) もっと参議院の委員会を一般傍聴する人が増えてくれると、だいぶ雰囲気も変わってくるのかなと思います。また、参議院は理事会を国会内ケーブルテレビで中継していますから、先がけて理事会のネット中継もしちゃえば、面白いのではないでしょうか。

 委員会傍聴を終えて、ロッカーからケータイを取り出し、電源を入れると、自民党がちまちま抵抗していた子どもの手当について、民自公3党幹事長・政調会長合意が成立というグッドニュースも入ってきて、なかなかハッピーな一日でした。

 
[写真]夏の入道雲に映える国会議事堂、2011年8月4日、宮崎信行が国会正門外から撮影。

 ちなみに、国会議事堂も前回の衆院選の間に、水滴を吹き付けてブラッシングする作業をしたので、以前とくらべて、とてもきれいな色にかわっています。国会の中の審議も同様に、審議拒否や強行採決も少なくなり、磨きがかかっている気がします。



 2007年8月4日付の初エントリーは「臨時国会開幕! 江田五月(民主)議長が誕生」というものでした。

 日経政治部記者としてできなかった「国会審議を聞いて、記事にする」という「国会傍聴記」。そして、政治というのは流れがあり、国会は、委員会→本会議、衆議院→参議院という流れがあるので、ブログという形態で「日めくり式」に国会を終えるようにすれば、既存マスコミと違った政治が見えてくるのではないかと考えました。

 2002年10月~2005年9月までは日本経済新聞編集局長付として、1日も出社することなく自宅療養していました。その間に、第44回衆院選があり、新生党時代から羽田孜さんと同様に応援してきた岡田克也さんが反対党のシャドウ首相として衆院選にのぞむということで、ベッドからテレビ越しに「これで日本もよくなるし僕も立ち直れる」と思っていたら、9月11日大惨敗。「日本はどうなってしまうんだろう」と茫然自失としながら、9月19日、今度は私が休職期間満了で日経新聞を退職しました。その後も、自宅療養をしながら、だんだんと美術鑑賞、音楽鑑賞、プール、飛行機を使った旅行などにでかけるようになりました。2007年の4月に早大の同級生の石川知裕さんが衆議院議員に当選したので、久しぶりに議員会館に入りました。その後、第21回参院選があり、2007年7月25日には富山に飛び、首相の自民党総裁、安倍晋三さんの演説と、民主党代表の小沢一郎さんの演説を聞きました。帰りの飛行機は、安倍総裁と一緒でしたが、私は同29日、この選挙の議席数を完全に当てることができました。ところが、それを発表する媒体がない。というわけで、「ブログのはじめ方」などの本を大量に読んで、当初は「FC2ブログ」で開設しようとしたのですが、最終判断でNTTレゾナント社の「gooブログ」に開設することに考えを改め、2007年8月4日の第168回臨時国会召集日にあわせて、ブログを始めました。とくにねじれ国会になったことで、複雑な分、日めくり式の国会傍聴記は分かりやすいのではないかと思いました。なお、このとき、日本だけでなく、アメリカとイギリスのブログを必死に見回しましたが、今にいたるまで「国会傍聴記」というブログは、私のブログしかないようです。というわけで、第1人者だと自負しております。

 ◇

 ブログ初日は、時間を間違えて、「逆転の夏チルドレン」の初登院の取材ができず。このとき、なぜか落選した候補者まで初登院していてスポーツ新聞さんが取材していたのですが、カバンの中にカメラを忘れてしまい、あわてて傍聴受付に行ったら、参院本会議の先着順30人が埋まってしまい、現地で見られず帰宅して、ネット傍聴するというドタバタでした。

 さらに苦難は続き、臨時国会は院の構成だけを決めてすぐに閉幕してしまいました。そして、満を持して、第169臨時国会の開幕を迎えましたが、すぐに安倍首相が辞任してしまい、総裁選挙という自民党の内輪の話になってしまいました。日々、資料を見たり、ほとんどがマスコミフルオープンだった野党時代の民主党の政調部門会議に出席したりして時間を過ごしました。その後、第169臨時国会では「法案の嵐作戦」ということで、参議院から議員立法が続々と審議入りし、可決しました。私はマニフェストを読んだり、法案を読んだりしていたので、記事が書けるわけですが、大新聞は「民主党が提出した農業者戸別所得補償法案が●日の参院本会議で可決し、衆院に送られた。衆院では与党が過半数を占めるため、否決される。」とだけ報じました。これはハッキリ言えば、新聞記者が法案を読んでいないし、民主党マニフェストが比較的複雑であること(戸別所得補償なら生産価格と販売価格の調整うんぬん)から、内容を書けなかったんだと思います。自分も社員記者時代に、野党提出の法案を読む時間はなかったです。

 そういった、イメージ・ギャップあるいはリップマン・ギャップ(TVなどでできあがった民主党のイメージと、国会内での実際の姿の実像のひずみ・ギャップ)の隙を突くという作業をひたすら続けていたのが、政権交代するまでの2年間のこのブログです。そしてそのリップマン・ギャップの隙を突く最大の好機は、ブログ開設初年の月末に来て、第168臨時国会中でしたが、「第15回長城計画および第1回(日中)交流協議機構」による訪中団に参加したことです。民主党国際室に電話して、現地からのブログ更新は可能だという確認をもらい、訪中記を書きました。日本国内では「国会開会中に議員140人で出張とは何事だ」という論調と、民間放送局のリポートは「野党外交の限界を見せました」という内容でした。ちなみにそうでなければ「二元外交なのですが」。この報道と私のブログの内容が違うということで、当時開いていたコメント欄に通信社電を貼り付けて、違うよ、という趣旨のことを書いた人もいますが、こういったことについては、私も意地がありますから、私は私が書いていることが正しいと思って書きました。睡眠時間2時間で胡錦涛さんと集合写真を撮ったのはきつかったし、自由時間をすべてブログ執筆にあて、北京の街を一人歩きすることはついにできないという代償を払ってまでブログを更新したところ、1000IP、4000PVまで増えることができ、軌道に載りました。

 2008年になると、国会傍聴記だけでなく、政権交代に向けた選挙情報も充実させ、車の両輪のようになりました。2008年の10月の麻生さんの解散先送りに関しては、私は「解散するもの」だとばかり思って、断定的に書いてしまったのですが、このころになると、民主党内の協力者も増えてきて、「いやあれは違うだろう」という情報が入り、ギリギリのところで軌道修正するようなこともできました。この辺もブログの特性ですが、双方向とは言え、ブログは情報を発信するものであって、情報を受け取るには、やはり実際に会ってみないとダメだと思います。そもそも、私はけっこういい加減な性格なのですが、「きまじめな性格を心配しています」というコメントが書かれたりして、「あれ知り合いなのかなあ」と気持ち悪い思いをすることも増えてきました。

 2009年になると、第171通常国会で、選挙対策上ハッキリとは書きませんでしたが、「民主党が野党として与党を攻撃する国会は当面最後になる」との認識が強くなり、2月の衆院予算委員会での民主党議員の質疑は、基本的質疑、集中審議に限らず、テレビが入らず記者の取材もほとんどない一般的質疑も含めて、すべて(ネットも含めて)傍聴するパーフェクト傍聴の目標を達して、ヘロヘロになりました。

 自信がついて3月は参院審議は失礼し、天下分け目の第45回衆院選まで任期満了半年となったの、3月から地方行脚で、当選前の総支部長の活動を手伝ったり、ブログで宣伝しようと楽しくプランニングしていました。そこに、暗黒のひな祭りがやってきました。2009年3月3日の西松事件です。私はこれについては、この時期のシャドウ首相への法務省の介入はのぞましくないとの一点で、「国策捜査」だと断じました。そして、マスコミ報道とのギャップの中で、自民党長期政権の中で、隠蔽されてきたことにやっと気付いた人が出てきて、私はこの反動を政権交代につなげられると確信しました。また、私は事件記者の経験がまったくないので、あまり触れたくなかったのですが、西松事件の報道が出てからわずか60時間後には、新聞の「政府高官が与党である自民党には捜査が及ばないとの認識を示した」との報道でこの政府高官とは前警察庁長官である内閣官房副長官だと暴露して、おおきく捜査とそれをめぐる報道、国会審議、世論を変えることができました。これがなければ小沢さんは逮捕されていたかもしれません。
 3月の地方行脚計画は西松事件で台無しにされましたが、ゴールデンウィークになってようやく行けるようになりました。大学生以来、久しぶりに(後援会の増強活動としての)戸別訪問を1日200軒したり、スポット演説ごとにビラを投げ込み、いろいろな人のご意見を総支部長の隣りでうかがったりして勉強になりました。ころが、好事魔多しで、旧自由党の支持者とおぼしきブロガーから「彼は知り合いの知り合いだ」「今度会ったら注意する」というわけの分からない攻撃が彼のブログなり、私のブログのコメント欄に来ました。東京では友人の友人は他人であり、知り合いの知り合いなどまったくの他人です。その「地上げ屋」と名乗りブロガーから「知り合いだ」「直接注意する」という極めて気味の悪い書き込みに対して、旅先でネット接続環境が悪かったこともあり、帰京後、直接表現に対する対処のコメントを送りましたが、今度は私のことを「(笑)がい者」と揶揄するコメント返しをうけました。ホントウにこの「(笑)がい者」という表現だけは許せません。この6日後、5月7日付で「しばらく更新休みます」というエントリーを掲載するに至りました。ところが、その4日後に、小沢代表が辞任し、5月11日付で号外エントリー(「号外)小沢代表が辞任 テレビ血盟団に撃たれても「男子の本懐」」)をカキ、さらにその2日後の5月13日には岡田副代表が立候補を表明するということで、特報エントリー(【動画】「日本のリーダーになる」岡田克也さんが民主党代表に名乗り、あの日と同じ澄んだ瞳で)を書くという事態になりました。更新を休んでられない状態になります。ちなみに、私は羽田孜・民主党初代幹事長が特別代表に祭り上げられてしまった後、総理をやってほしい政治家は岡田克也さんだけで、属人的には父に似ている渡辺美智雄さんもいましたが、それを含めても、総理になってほしい政治家は羽田再登板を含めても3人だけでした。ただ、岡田副代表が「kill the time (充電)」していることに気付いたので、この時点まで、まったく岡田さんはあくまでも民主党の執行部外だけど有力議員だということでこのブログで時々取り上げる程度だったのが、思わぬ本命の登場に、「民主党の社長にふさわしいのは鳩山さんかもしれないが、(3ヶ月以内にある総選挙で民主党が第1党になった場合の)日本の首相にふさわしいの断固、岡田克也さんだ」と主張して、猛ダッシュして、ほとんど肉離れ状態の中、岡田さんは負けてしまいました。さらに私が長年の岡田さんの支持者であることを書いていなかったことから説明不足になり、ブログ読者から不信感を招くことになりました。

 このとき、鳩山陣営の60歳代の人から、「あんたなんでブログ更新停止しちゃったの。あんた力があるんだから、だれに何を言われても続けなさいよ」と言われて、続けようと思いました。ところが、このときは、当時「にほんブログ村人気ブログランキング」に参加していて、「政治部門」で2位だったのですが、岡田さんを応援したとたんに、ランキングにクリックが激減するという事態に陥りました。いかにも日本的な、村社会、陰湿な世界です。ブログの文字数では英語を100とすると、日本語は80であり、日本語はブログ界の準公用語です。すなわち日本社会がモノを言いづらい閉鎖的な社会だから、かえってブログが栄えるのだと思うのですが、そのブログ社会まで陰湿なわけで、ブログランキングは退会し、現在に至ります。おそらく長年テレビジョンに親しんだ地方の高齢者が政治ブログを見ているので、こういうことになるのではないか、と思うのですが、私には極めて不思議な事象であり、このできごとの社会心理はいまだに私の中で分析できていません。

 そして、7月21日に衆議院解散。この日の衆議院本会議場での一般傍聴は、立ちくらみがしそうでした。そして、総選挙では全国をまわりました。「8月30日の午後7時でブログ更新を止めます」ということを一度はアナウンスしましたが、これは、徹底的に条文、判例、事例を研究していたという自信がありましたが、公職選挙法を尊重しているということを、警察当局にメッセージとして発していたという意味合いも、実はあります。

 政権交代。与党側からの国会傍聴記というのはなかなか苦労しました。とくに、官邸や政務三役の動きは国会での答弁でしかなく、試行錯誤の連続でした。

 10月23日からはレジまぐ社提供の有料ブログを立ち上げました。実はこの時点で、こちらのブログの過去のエントリーはすべて移し替えてあり、公開のタイミングを待つばかりだったんです(現在にいたるまで未公開)。しかし、有料ブログの方の操作が不慣れで、コメント欄があることに気付いていないまま、当時話題になっていた、内閣官房の報償費、通称・官房機密費について、自分の経験からすると、あれは報償費から出ていたんだろうなという記事を書きました。これについて、かなり後で気付いたのですが、「たかりだ」というおそらく女性の書き込みがありました。また、おそらく年配の男性から「この内容じゃ月840円は払えないねえ」という書き込みがありました。報償費に関しては、これは文章を読めば、社会儀礼上、その場で拒否することはできないものだと分かりそうなものですが、インターネットの社会というのは、私や私の両親、親戚のような人ばかりのものではないことが分かりました。精神的に相当きつくなり、登録者全員に退会してもらうよう呼びかけました(契約上の更新回数を守る必要がなくなるとの考え)が、私と比較的境遇が近い「しっくい」さん(実際にお会いしたこともあり、本名のお名刺も持っております)の助けで、「今後の政治日程by下町の太陽・宮崎信行」ということで、政治日程に特化した有料ブログとして、今日まで続けることができました。

 2010年になると、9月に岡田克也外相が幹事長になるという幸運もあり、国会運営の疑問点があると、国会審議がない日なら、幹事長会見に出かけて、直接岡田さんに質問できるようになりました。

 2011年3月11日には、東北太平洋沖地震があり、放射能災害に関して、私も情報が入らない状態になりましたが、このときもしっくいさんから「情報発信を続けてください」との電子メールをもらい、続けることができました。

 ◇

 「ねじれ→政権交代→再ねじれ」の4年間ということですが、衆院の任期が残り2年、参院の半数改選も2年、さらに今国会中の民主党代表選はない見通しとなってきましたがら、当分落ち着いて、国会傍聴ができそうです。その間に、国会審議の活性化があり、野党提出の議員立法が成立し、公布されるなど、国会は大きく進歩してきました。そして、「西松事件と特捜部」「日本航空と政府の癒着」「東京電力と政府の癒着」に加えて、「マスコミ報道が与党偏重である」ということなど、やっと国民が理解するようになって、ハッキリ言って遅いのですが、多少なりとも日本も良くなってきたと思います。

 あとは、できれば、私としては、新進党解党を小沢一郎さんが謝罪し、新進党員経験者から第1号の総理が出て欲しい、そして、公明党に一つの党とは言いませんが、新進党の志にもとづく、「政党連合」とか「閣外協力」のようなかっこうで、国政と自治体の、とくに財政構造を一体改革してくれたらいいと思います。とにもかくにも、たまに私が岡田さんに総理になってもらいたいためにやっているように思う方も居られるようですが、そうではなく、すべては政権交代ある政治の完成が目的です。そして、マスコミももっと記者会見ではなく、国会内のヒラバの言葉を記事にして欲しいと思います。また、自民党、とくに国会外の支部長の記事も、出張旅費が使えるのですから、ドンドン書いてほしいと考えます。そして、なにより、新進党解党により絶望的な状態になった政権交代ある政治について、わずか2年間で、急速に理解してきた日本国民を評価したいと考えます。

 ◇

 私が20歳、政治学科2年生、細川内閣のころ、大学の学生生活センターというところからもらった雑誌があります。季刊誌ですが、なぜかこの号だけ大事にとってあります。そして、当時感銘を受けた記事を十数年ぶりに読みかえしました。これは作家の原田宗典さんという人のインタビューで「(20歳のころの自分は)そうとう恥知らずの青年だったよね。その(当時自分が書いた)読書カードを見ると、三島由紀夫だとかドフトエフスキーをむこうにまわして、ガップリ四つに組もうとしてる(笑)。自分の方が上だと思って批評しているの。若さの恐ろしさっていうのは、そういうところだと思う。何にもわかってやしないのに、自分が一番だと思い込んでる。だからパワーがある。もし今、そういう二十歳の若者に出会ったら、ぼくはおそれを感じるだろうね」(早稲田大学学園誌『新鐘』1993年冬号(通巻49号)の76ページ)。

 20歳のころ、僕がこの雑誌を保存用に書棚に入れていたのは、ありがとう、という気持ちです。やはり、僕は、このブログを日本国憲法前文にのっとり、有権者だ、国民だ、として自分が最高権力者だと考えて国会をウォッチしているから、書き続けられるし、一定のご支持もいただけるのだと思います。その「上から目線」をけっして忘れることなく、続けていきたいと思います。少なくとも第46回衆院選までは、このブログを続けることでしょう。

 そういった「何にも分かっていないのに、自分がイチバンだと思い込んでいる」という若さの狂気を持ち続けられるか。ともすれば「けっこう国会のこと分かってきたから、後でビデオライブラリーでチェックすればオッケー(^_^)v」というたぐいの慢心を持ってやしないか。歳はとるものではなく、重ねるモノ。知らず知らずのうちに、自分を老いさせ、船出をしないシンドバッドになってやしないか。そういう初心を確認するために、きょうは、参議院の一番小さい委員会の一つを傍聴させていただいた次第です。「上から目線」には自信が必要です。

 政権交代ある政治の完成に向けて、青春の志と澄んだ瞳そのままに、さあいよいよ、5年目に突入です!

会員制ブログ
「今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行」
のご案内

http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 

 国政を理解し、自分の意見を反映させる上では、「日程感」をつかむことが大事です。「今後の政治日程 by 下町の太陽」では、今後予想される政治日程のうち、政局に影響を与えるものに絞って紹介していきます。ぜひご活用ください。


岡田さん「細野、寺坂はよく頑張った」「我が期(51年入省)は次官が出ない期に」「さびしい」夏

2011年08月04日 20時52分33秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]同期(昭和51年通産省入省)の退職について語る岡田克也さん、2011年8月4日、民主党幹事長記者会見ネット中継から。

 岡田克也さんは2011年8月4日、民主党幹事長としての記者会見で、通産省同期入省(昭和51年=1976年)の細野哲弘・資源エネルギー庁長官と寺坂信昭・原子力安全・保安院長の更迭を海江田万里経産相が内定したことについて、「細野、寺坂と2人は、この重大な局面で全力でがんばってくれた」とねぎらいました。「ただ、結果については、いろいろと感じるところもあるんだろう、と思います」と述べ、経産省と東京電力など原子力発電をめぐり一連の国民の信頼を失いかねないできごとに対して、遺憾を示しました。これに先立ち、「更迭という表現は違う」「人事抗争の結果ではない」として、2人は更迭ではなく、定例の人事による退任だという考えを示し、かばいました。

 そのうえで、「同期で残るのは1人(岡田秀一・経産審議官)だけになった」とし、「少しさびしい気はします」と述べました。海江田経産大臣は、事務次官も昭和49年入省の松永和夫さんから、昭和52年入省の安達健祐さんに交代する、と発表しました。霞が関では、「同期入省のうち事務次官になれるのは1人だけ」「事務次官が出るまでに同期は全員退職する」という全省庁に存在するピラミッド型人事の慣例がありました。以前から、大蔵省や厚生省は”植民地”的な事務次官ポスト(防衛庁、環境庁など)を持っていた時期もあったり、橋本行革での省庁合併により、同期から2人以上の事務次官が出るなど崩れつつありますが、彼らが入省した時点では、それは不文律ながら、鉄の掟でした。

 昭和52年入省の事務次官が出るとなると、昭和51年入省の岡田秀一・経産審議官も経産省を去ることになる可能性が高いと思われます。なお、岡田秀一さんは小泉純一郎首相の事務秘書官を務めて、飯島勲・政務秘書官とともに、ワイドショー型の小泉劇場を演出した一人でもあり、TPPをめぐる議論も政治日程から先送りされる格好となっています。経産審議官はまだ決まっていないようですが、岡田秀一さんも涼しくなるころには、経産省を去ることになるんだろうと思います。岡田審議官は本省ではナンバー2ですし、「エネルギー畑よりも通商畑から」というアイディアもあり、次官コースに復活する可能性があったとされていますが、大臣が発表していますから、もうこれはないでしょう。

 記者会見(午後4時過ぎ)の時点で、この人事を知っていたと思われる、岡田克也さんは、「どうやら我が期は次官の出ない期になりそうです。あるいは(岡田審議官が)チャンスがあるから、そう言っちゃあいけませんが、残念ながらたぶん次官が出ない期になりそうです」と語りました。まあ、岡田さんがちょっとだけうれしそうにも見えたのはなんでかな~~(笑)という気がしますが、経産省がエネルギー官庁に生まれ変わり、歯止めが利かなくなったようにも思える内情が報じられる昨今、いろいろとうかがい知れる面が多々あります。なお、同期には4月に三選した高橋はるみ北海道知事もいて、自然エネルギー(再生可能エネルギー)を積極的に推進しています。

 けさ(2011年8月4日付の)朝日新聞は、松永次官に加えて、細野さん、寺坂さんが「更迭」という横見だしで、1面トップで伝えました。官僚はあくまでも国家公務員一般職で、ここまで大きく報じられることは異例です。


[写真]2011年8月4日付朝日新聞朝刊。
 顔写真は、右から見て、松永和夫事務次官(昭和49年入省)、寺坂信昭・原子力安全・保安院長(昭和51年入省)、細野哲弘・資源エネルギー庁長官(同)

 岡田さんらが通産省に入省する1年前、昭和50年(1975年)の6月に新潮社から、通産省を舞台にした城山三郎さんの小説『官僚たちの夏』が単行本として出版されています。三木武夫通産相の下で、事務次官を務めた佐橋滋さんという名物通産官僚がモデルとされ、「佐橋大臣、三木次官」とも呼ばれたそうです。

 私は入省年次ごとに一定の昇進をする「メリット・システム」は公務員制度としてはすぐれた制度だと考えています。しかし、定年が事実上ない、ピラミッド・システムは止め、事務次官同期も残れるようにすべきですし、東京都庁がとっているシステムを見習い、入省から数年して、キャリア組とノンキャリア組が試験によってわかれる制度にすべきだと考えます。また、府省間の移籍も認め、自治体への転籍も、本人の意思で可能にできるようにしたらいいと考えます。ただ、成果主義だけは絶対に反対です。これは、ゴマすりが上に行くシステムです。

 『官僚たちの夏』の文庫をけさ、引っぱり出して、驚いたのは、最終章のタイトルは『冬また冬』。そして事務次官退任後に健康を壊した主人公がタクシーに同乗した新聞記者から、「競走馬であるまいし、全力で走りさえすればええというもんやない」「ケガしても突っ走る世の中は、もうそろそろ終わりや」などと言われます。そして雪の夜、通産省の建物はまだ明かりがともっているというシーンで終わります。国会待機だったんでしょうか。ひょっとして、城山さんが描きたかったのは「官僚たちの冬」だったのかもしれません。戦後の物資配給、新日鐵に代表される企業再編、日米繊維交渉、オイルショックを経て、やがて規制官庁よりも、石油、ガス、原子力などのエネルギー官庁へとかわっていった通産省。今につながるアメリカ人脈を構築したアメリカ・ハーバード大学への1年間の滞在(留学ではない)から帰った岡田克也さんがなぜ、すぐに通産省に辞表を出してしまったのか。それはだらしない大臣といやしい族議員を見て、官僚としての限界を感じたからのようです。

 まあ、官僚の場合、同期は仲が悪い方がフツーです。一方、国会議員は同期は仲が良いことが多いです。この違いはかんたんな理由で、上述したピラミッド・システムによるものです。人をいかすのもいかせないのも、システムというのはヒジョーに大きな要素です。それは拡大すれば、日本という国全体のシステムづくりであり、政治そのものだという気もします。 

asahi.com(朝日新聞社):経産省事務次官に安達経済産業政策局長 3首脳更迭 - ビジネス・経済

 海江田万里経済産業相は4日夕、更迭した3首脳の後任を含む幹部人事を発表した。事務次官には安達健祐経済産業政策局長(59)が就く。資源エネルギー庁長官には、高原一郎同省中小企業庁長官(55)、原子力安全・保安院長には、深野弘行商務流通審議官(54)が就く。

 12日に閣議了解をする予定。資源エネルギー庁長官は国会で再生可能エネルギー特別措置法案が審議中のため9月1日付となる。

 海江田氏は同日午前、緊急の記者会見を開き、東京電力福島第一原子力発電所の一連の事故対応や、国主催の原子力関連のシンポジウムをめぐる「やらせ」問題の責任を取る形で、松永和夫事務次官(59)、寺坂信昭同省原子力安全・保安院長(58)、細野哲弘同省資源エネルギー庁長官(58)の更迭人事を明らかにしていた。


足立信也さん、あざやかな腕前を見せる 「歯科口腔保健推進法」がきょう成立へ

2011年08月02日 07時27分08秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[写真]法案の起草について説明する民主党の足立信也さん、2011年7月26日の参院厚労委、足立さん本人のホームページから。

 政権交代後のチーム長妻で厚生労働大臣政務官を務めた、参院議員(大分)で、医師の足立信也さんが、あざやかに議員立法を決めようとしています。

 7月26日(火)の参院厚生労働委員会をネット生中継で見ていたら、津田弥太郎委員長(民主党)の冒頭発言にアレッ?。

 [議事録から引用はじめ]

○委員長(津田弥太郎君) ただいまから厚生労働委員会を開会いたします。
 社会保障及び労働問題等に関する調査のうち、歯科口腔保健の推進に関する法律案に関する件を議題といたします。
 本件につきましては、足立信也君から委員長の手元に歯科口腔保健の推進に関する法律案の草案が提出されております。内容はお手元に配付のとおりでございます。
 この際、まず提案者から草案の趣旨について説明を聴取いたします。足立信也君。

(中略)
 
○委員長(津田弥太郎君) 本草案に対し、質疑、御意見等がございましたら御発言願います。──別に御発言もないようですから、本草案を歯科口腔保健の推進に関する法律案として本委員会から提出することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(津田弥太郎君) 御異議ないと認めます。よって、さよう決定いたしました。
 なお、本会議における趣旨説明の内容につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(津田弥太郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。

 [引用おわり]

 ということで、開会と同時に、法案が提出され、質疑もなく、あっという間に全会一致で可決し、本会議に送られました。翌朝の7月27日(水)の本会議では、津田委員長が「第177国会参法13号」として、趣旨説明し、すぐに採決され、全会一致で衆院に送られました。

 7月29日(金)の衆・厚労委では、津田さんが「参議院の厚生労働委員長でございます~~」と登場し、趣旨を説明しました。

 
[画像]法案提出者として趣旨説明する参議院厚労委員長の津田弥太郎さん、2011年7月29日(火)、衆院厚労委員会、衆議院インターネット審議中継から。

 これに対して、衆・厚労委の牧義夫委員長が「この法案について、質疑の通告はありません」として、採決し、起立総員の全会一致で、衆院の委員会もあっという間に通りました。きょう2011年8月2日(火)午後1時からの衆院本会議で、可決・成立する運びだと思います。

 というわけで、これは何だ?足立信也さんだから大丈夫だろうけれど、政治家のことだからまさか全会一致の“悪だくみ”でありゃしないか?と思い、参議院の議案情報のホームページを見たら、すぐに法案が載りました。参院のホームページは衆院のホームページに比べて、議案が早く載ります。

 おこがましくも、私が有権者代表を自任し、法案をチェックしたところ、国民に対して「定期的に歯科にかかる検診を受け」ることで「歯科口腔保健に努める」という努力規定が第6条に盛り込まれていました。そして、国と自治体に対しては「国民が定期的に歯科にかかる検診を受けること」を「促進するため、定期的に歯科検診を受けることなどの勧奨」などをしなさいと第8条に定めています。厚生労働大臣に対しては「それらの総合的な実施のための方針、目標、計画その他の基本的事項を定める」ことを第12条で求めています。また国や自治体に対して「口腔の健康に関する実態の調査、口腔の状態が全身の健康に及ぼす影響の研究、歯科疾患の予防と医療に関する研究など」を政策として実現するように、第11条で求めています。

 というわけで、どうやら、私たち国民が歯医者さんに定期検診に行くよう国や自治体が促すという法案のようです。日本歯科医師会(日本歯科医師連盟)は、自民党政権時代から、民主党の神奈川県議(現・市長)や、参議院議員(現在は前職)を公式ホームページで組織内議員として紹介するなど、野党時代の民主党には比較的近い存在でした。昨年の第22回参院選では、組織内候補として西村正美(西村まさみ)さんを立て、逆風の中、全国比例(改選定数48)で10万票を獲得し、民主党としてはラストの16位の当選者として、10万票を獲得し、当選させています。

 この法案の背景として、歯科医師の経済状況が厳しくなっていることが考えられます。歯科医院がコンビニの1・5倍あるのは有名ですが、自民党文教族によるバブル期の私立大学歯学部増設のあおりで、親から継承した開業歯科医院でも、来訪者が減り、医療機器のリース代の返済に困窮するケースも相次いでいるようです。このため、歯科医師資格保持者を、麻酔科医に振り向ける案が以前から言われていますが、なかなか難しいようです。また、水道にフッ素を配合すると、虫歯になりにくいといううわさを聞いたこともありますが、この辺も何らかの政治的な力(power)が働いていて、実現が難しいようです。

 日本歯科医師連盟も前回の参院選で集票力が10万票しかないことが判明してしまい、必死だと思います。小国が外交に長けているように、必死の努力の結果、歯科検診の定期化と口腔の状態が全身の健康に与える影響について、調査する事業を税金でやってもらうということになるようです。こういう票と資金と法律という関係については、「透明性」が大事で、その利害関係について、とやかく言うべきものではないと考えます。アメリカなんかはもっとハッキリしていますが、政治資金収支報告者は日本よりももっと透明化しており、「何が悪い!?」という感じです。

 実際のところ、歯や歯ぐきの状態から、全身の疾患が分かったり、歯肉炎を治療しておくことで、自分の歯が歳をとっても長持ちすることは明らかです。ぜひ、定期歯科検診を勧奨し、できれば、国民の自己負担料金が安くすむ事業を自治体の方でやってほしいと思います。有名モデルが「若さの秘訣は特にない」としながら、「20歳代のころから、もっと歯を大事に磨いていればよかったかなあと後悔しています」
と言っていたのを聞いたことがあります。歯磨き(ブラッシング)のやり方なんかも、歯科医院で、模型を見せてくれながら教えてくれるところも多いですから、ぜひ定期検診やったらいいですね。

 というわけで、当ブログとしては、この法案はOKということになります。本来は、国民によく見えるよう、ある程度の質疑があった方がいいのですが、いかんせん、衆参の厚労委は、夏休みの宿題が数年分山積みになっていて、8月31日の会期末までに処理しなければいけない案件が山ほどあります。

 そこで、国会法56条の1の「参議院では発議者1人以上と賛成者10人以上の合計11人以上」とされる議員立法ではなく、国会法50条の2の「委員会において起草しあるいは成案を決定し、委員会提出の法律案とすることに決すると、委員会から提出する。この場合の提出者は委員長とする」の「委員長立法」のしくみを活用して、法案化し、きょう成立見通しということになりました。

 足立さんは、野党時代の「対案路線」や政務官時代の「閣法の提出と答弁」の経験を踏まえて、厚労委で議員立法を重視する理由について、下の動画でインタビューに答えていますので、興味のある方はご覧下さい。 

↓民主党ホームーページおよびYouTube「民主党チャンネル」で7月3日ごろ公開された足立信也さんのインタビュー。「民主党政権は本来は閣法(内閣提出法案)が基本」としながら「議員立法を活用するようになった」経緯について、「野党とすりあわせがしやすい」などと分かりやすく説明しています。

 no

会員制ブログ
「今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行」
のご案内

http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 

 国政を理解し、自分の意見を反映させる上では、「日程感」をつかむことが大事です。「今後の政治日程 by 下町の太陽」では、今後予想される政治日程のうち、政局に影響を与えるものに絞って紹介していきます。ぜひご活用ください。

tag 長妻昭


「政府の力を信じています」

2011年08月01日 06時26分36秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[写真]首相官邸で、さいたま市立土合(つちあい)小学校の教員・生徒から横断幕を受け取った菅直人首相、2011年7月29日(金)、首相官邸、民主党ホームページ。

 さあいよいよ、8月のスタートです。太陽の活動が(人間から見て)もっとも盛んになる8月。

 菅首相も意気軒昂のようです。

 アモイに近い、中国の温州市で高速鉄道が追突して、死者が出る事故がありました。この事故車両を証拠保全ぜずに、行政当局が破砕し、穴に埋めるという、おそらく証拠隠しがありました。私はこれを見て、日本航空123便(羽田→伊丹)の墜落事故を思い出しました。自民党中曽根政権下で起きたこの事故でも、証拠隠しがあり、国交省運輸安全委員会も、群馬県警察本部も証拠を保管していません。この事故は、同じ飛行機が過去に伊丹空港で尻もち事故をついたときに、ボーイング社が修理したときに、不首尾があったために、上空で、垂直尾翼とそれにつながる圧力隔壁が破損したことで、操縦不能になったのではないかとされています。仮にそうなら、ボーイング社の修理担当者は、刑事訴追されるべきだし、損害賠償請求を受けるべきでしょう。法律上、裁判はできない可能性が高いですが、訴追は受けるべきです。しかし、事故原因を確定しないまま、証拠はすでになくなっています。

 日航機事故があった1985年は、日本にとってはおおよそ「(東京)オリンピック20年生、(大阪)万博15年生」です。
 中国は、まだ、おおよそ「(北京)オリンピック5年生、(上海)万博3年生」の段階にあります。

 日本航空と政府の癒着に加えて、東京電力と政府の癒着も明らかになりました。このように自民党長期政権の「がれき」の処理がうまくいかないからといって、菅直人首相を責めるのはお門違いです。阪神大震災のときは、情報が国土庁防災局で止まってしまうという問題がありましたが、15年経って、情報が官邸に集まりすぎて混乱しました。政治とは退屈なものであり、永遠の制度改革です。理想に到達することはありません。でも、情報が国土庁防災局で止まっている状態より、官邸内で混乱している状態の方が、民主政治の理想には近い。なぜなら、私たち有権者は、その組織(機構)の責任者の顔を思い浮かべることができるからで、中がどうなっているのか、新聞記事から想像しやすくなります。

 菅直人総理は2011年7月29日(金)、復興基本方針を全閣僚で決定し、記者会見しました。基本方針には「復興期間は10年間とし、復興需要が高まる当初5年間を“集中復興期間”と位置づける」「5年間の集中復興期間に実施すると見込まれる事業規模は国・地方あわせて19兆円以上見込まれる」「復旧・復興のための財源については、次の世代に負担を先送りすることなく、今を生きる世代全体で連帯し、負担を分かち合うことを基本とする」としました。

 復興基本方針の発表記者会見に先立ち、菅さんは、首相官邸でさいたま市立土合(つちあい)中学校=桜区=の教職員、生徒の訪問を受けました。横断幕には、

 「被災された方々の笑顔のため復興をなしとげてください!政府の力を信じています」

 「政府の皆さまが一丸となり一刻も早く日本を復興へ導いて下さることを信じています」

 との3ヶ月がかりのメッセージが書かれていました。

 菅総理はさっそくスピーチに取り込み、「政府の力を信じています」という言葉について、「胸に響いた」。震災復興や原子力災害の収束にむけて、がんばっていく考えをしめしました。

 ちなみに、政府は英語で、government 。

 この語源を調べてみました。govenment の源となる govern ですが、元来はギリシャ語のkubernan (= to steer a ship)で「舟を操る」という意味。それが、ラテン語に入り gubernare (=to steer , to rule)になりました。その後、古フランス語のgouverner となり、海を渡って、イギリスに入り、govern となったようです。なお、よく似た言葉である、rule に関しては、立憲的に支配するという単純な意味合いが強いのに対し、govern は政治的な支配の意味合いが強く、統治者の側に「権威」があることを強調する働きも含んでいます。

 ですから、「政府」を government ととらえた場合は、議院内閣制のわが国では、「選挙によって選ばれた国会」の権威が首相の権力の礎となります。ですから、行政権を有する内閣だけでなく、国会(衆議院と参議院)も、与党も、野党も含めて、governmentとになります。単に日本国政府をあらわす場合には、the Government と頭文字が大文字になります。日本語の法律では、「政府と地方公共団体」という言い方をしますが、the local government を含めても、the Government 、日本国政府は日本に一つしか存在しないことになります。

 したがって、私たちは、復旧・復興のために、「政府の力を信じる」しかないことになります。ちなみに自民党支持者においても、「政府を信じること」は衆議院の「自民党・無所属クラブ」や参議院自民党を信じることにつながります。英国流に言えば“フロントベンチに座る”民主党と自民党にとって、与党と野党とは、そのときの政府・government内での役割分担に過ぎず、衆議院本会議場で議長から見て最右翼に座るか、その次の中央付近に座るかの違いです。政府を変えるのは、次の第46回衆院選(あるいは参院選、補欠選挙)しか選択肢がないことになります。むしろこれは多くの国民が理解しているにもかかわらず、国会議員の方が自分を見失っている気がします。

 8月を迎えて政治状況に変化が生じています。いわゆる辞任3条件のうち、残る2つ(特例公債法案、再生エネルギー法案)の成立が、お盆明けの再来週以降にずれ込む見通しです。なぜなら両法案は、参院ではまったく審議されておらず、与党が衆院で強行採決するのはムリでしょう。一方、「新体制」で編成することになっていた第3次補正予算(案)ですが、すでに「復興の基本方針」ができており、編成作業の先送りは、野党が許さない情勢です。ということは、辞任3条件が成立する前に、新体制での第3次補正予算案の編成が進むことになり、次の第178臨時国会で補正の答弁に立つのは、菅内閣ということになりそうな気配です。

 総理というか、菅さんがこのことに気付いていないわけはなく、意気軒昂に総理を続けるのではないでしょうか。

 菅総理や、心ある与野党議員に力強く、政府を前に進めて欲しいところです。

 精神力の強い菅直人。

 その一方で、残念な出来事がありました。菅さんと同じ団塊の世代の海江田万里経産相(鳩山グループ)が国会内で泣き出すできごとがありました。どのようなことであれ、これでは困ります。海江田さんは以前から辞任を示唆していますが、そのときの表現として法案が成立したら「責任を取る」と言っています。しかし、「引責辞任」という4文字熟語からも明らかなように、「責任を取る」という言葉自体に「辞任する」という意味合いはありません。原子力災害に「責任を取る」のなら、東電福島第一原発が冷温停止し、核燃料を取り出し、発電所を解体し、跡地の土を除染するまで責任を取って大臣を続けてもらわないといけません。おそらく、30年はかかるでしょう。それと比べれば、大臣を辞めて一人の政府外議員に戻ることなどカンタンなことです。今すぐ辞めたらいい。

 
[画像]号泣する海江田万里経産相(鳩山グループ)、テレビ朝日ニュースから。

 アメリカの上院議員では、海軍出身者が多いのですが、日本では、村井嘉浩・宮城県知事、佐藤正久・自民党シャドウ防衛副大臣など、防衛大学→陸上自衛隊幹部が「3・11」以降の「正念場(性根)場」で、頼もしさを感じさせています。民主党にも心の強い人材はいて、トヨタ自動車販売で鍛えられた直嶋正行さん、NHKで鍛えられた安住淳さん、NTTの田嶋要さん、JR西日本の三日月大造さんなんかは精神力が強いなと感じさせます。三井物産出身の風間直樹・参院議員も政務三役経験がないので分かりませんが、かなり心が強いと感じさせます。民主党にもまだまだ人材はいて、そのローテーションが早まっているだけです。

 私は一人の日本国民として、政府の力を信じています。

会員制ブログ
「今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行」
のご案内

http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 

 国政を理解し、自分の意見を反映させる上では、「日程感」をつかむことが大事です。「今後の政治日程 by 下町の太陽」では、今後予想される政治日程のうち、政局に影響を与えるものに絞って紹介していきます。ぜひご活用ください。