[写真]パソコンに向かう達増拓也・新進党代議士、1997年11月1日付日本経済新聞夕刊掲載、宮崎信行撮影。
岩手県知事選挙には、無所属で、会社役員芦名鉄雄氏(66)、共産党推薦のいわて労連議長鈴木露通氏(60)、民主党推薦で再選を目指す現職達増拓也氏(47)、超党派の政治団体「いわて復興県民の会」推薦の前県議高橋博之氏(37)が立候補しています。投票日は、2011年9月11日(日)。米中枢同時多発テロから10年、郵政解散での岡田克也民主党の小泉自民党の圧勝から6年、そして、東日本大震災から半年。さまざまな思いの詰まった日です。
達増(たっそ)さんは、私にとって大事な巡り合わせのある人です。
私が日経新聞記者として、初めて署名入りで書いた記事が1997年11月1日付日経夕刊7面の「らららパソコン面」に載りました。初めてなのに、13字×350行というものすごい分量の大きい記事。ちなみに1面トップ記事でもおおよそ60行から70行が目安とされています。記者経験半年の私にこれだけ多くの記事を書かせ、署名入りで載せるというのは、リストラ大王の日経新聞でないとありえない話。今思うと、手を抜かさないために署名を入れさせていたのかもしれません。
この記事の中で、「昨年十月の総選挙で外交官から新進党代議士に転身した達増(たっそ)拓也さん(33)は自らホームページを開設したり、パソコン通信での参加者限定の会議室も開設している永田町では指折りの”サイバー議員”」と紹介しています。野党の1年生議員だった達増さんにとっても、第41回総選挙の報道をのぞくと、この記事が全国紙デビューだったようです。
[画像]僕が初めて書いた署名記事の全文、1997年11月1日付日経夕刊7面「らららパソコン面」
[画像]達増さんの写真(私が自分で撮影)と、末尾には(政治部 宮崎信行)の署名。
この「らららパソコン面」というのは、パソコン黎明期において、いかに気軽に接するかというコンセプトの土曜夕刊の気軽なページ。日経新聞社では、「ローテーション原稿」といって、各部に機械的にローテーションを回し、各部内で仕事を配分するのですが、どうしても新人記者に回ってくることが増えます。このとき私は橋本龍太郎首相番記者と総務庁担当、首相官邸スーパーサブを兼ねていて、まるきっり時間的余裕がなかったのですが、達増代議士の秘書が新生党学生塾時代からのお知り合いで、今は中塚一宏・衆院議員の奥さんになられている聡子さんで、「すいません、ホントウに余裕がないんですけど、新進党でパソコンやっている先生だれか紹介してください!」と電話で懇願したら、「うちのセンセイどうですか!」とトントン拍子で話が決まった。「パソコンと国会議員」というのは、当時はかなり違和感がある取り合わせだったんです。
この記事は次のような出だしで始まります。
[引用はじめ]
インターネットを遊びだけでなく、勉強やビジネスにも利用したい。しかも無料ならそれにこしたことはないーー民間企業のホームページは会社案内や就職情報に限られていることがまだ多い。しかし国会や霞が関の各省庁など公共機関が設置しているホームページは、情報のつまった無料で巨大なデーターベースだ。
[引用おわり]
この辺りの文章は、新米記者だった僕のオリジナル部分はほとんど残っていなくて、デスクが直しているから、あまり記憶がありません。このころは、「ネットサーフィン」という趣味がはやり、「ウィンドウズ95新発売に長蛇の列」というニュースから間もない時期。このブログを読んでくださっている読者は、この時代の前後にパソコンを始めた人が多いと思います。おそらく他の政治ブログでは、2000年代のテレビ局の予算縮減と小泉ワイドショー政治への不信から、インターネットを始めたご老人が多いようです。
[引用はじめ]
達増さんが目下、注目しているのが十月から運用が始まった衆院LAN(構内情報通信網)だ。情報システムやデータベースと議員や事務部門を結んでいる。衆院第二議員会館内の達増さんの事務所には衆参両院の各委員会の議事録が備わっているが、一年分だけで積み上げると約1・5メートルにもなり、本棚二段分が埋まった。検索が不便なだけに、衆院LANのデータベース機能は魅力だ。現在は過去2年分の衆院本会議の議事録を読むことができる。
「議事録をワープロソフトに取り込んで、過去の議論を参照しながら委員会での質問を練ることができる。国会議員の官僚依存体質に風穴を開けられるかもしれない」
衆院LANを使えば、ほかの議員と電子メールで直接、意見を交換できる。「もっと多くの議員が電子メールを使えば、料亭政治もなくなるだろう」と期待している。
[引用おわり]
この14年前の達増さんの予言はいくつか的中しています。ただ、少し時代は先を急ぎすぎているかも知れません。過去の議事録を取り込んで、過去の議論を参照しながら委員会での質問を練る。的中はしている。しかし、記事中にはないが、おそらくこの「過去の議論」というのは数年から数十年単位のことを言っていると思われますが、最近では「大臣は、おとといの参議院○○委員会で次のように述べられましたが」というように、数日単位のスパンになっていることもあります。そして、これは官僚依存体質への風穴というよりも、野党から与党への攻撃力が増している、とくに参議院自民党が大臣のクビをドンドンあげることができるという現実につながっていると言えるでしょう。
また、電子メールを使って意見交換をすれば、料亭政治もなくなるだろうということです。このころの「料亭政治」とは自民党の派閥領袖級の会合のことで、中堅、若手にとっては「料亭政治」はまったく蚊帳の外でした。そして、電子メールを使って意見交換もありますが、それ以上に、ケータイで「今話せる?」。そして、ケータイでは真意が伝わらないので、与党の政府外1期生議員まで、ホテルニューオータニの庭園内の料亭が縁遠くもない生活になってしまいました。そうなると、電子メールを使って、多くの人を動かし、議員立法のための賛同者20人を集めるという政治ではなく、やたら昼は会議、夜は宴会、その間に間断なくケータイが入るという実にせわしない生活をする国会議員が増えてしまいました。生活がしっかりしていなければ、良い政治ができるわけがありません。朝新聞を読んでいない議員などいっぱいいて、そのため、内閣、衆議院、参議院、党内政局、他党内政局、自治体の動き、国内経済、マーケット、国際情勢、社会ネタを連動して考えることができない議員ばかりになっているように感じられます。だから、「8月9日の3党合意を見直す」と「第3次補正予算(案)は参議院で否決される」ということが理解できないような現職大臣が出てくるのでしょう。
そうすると、やはり「革命」にも感じられた1990年代のパソコン、インターネットは、あくまでも道具であり、それをどう使いこなすかは各個人の能力や仕事環境にあり、あるいは、「国民性」というものも大きく影響してくるでしょう。アメリカやインドなどのベンチャーでは、ブースで区切られた「個室」で、となりの同僚と電子メールで意見交換をしているというような雑誌記事やテレビルポを散見することがありますが、これを考えると、なかなか日本人は厳しいかも知れない。
ところで、この記事のしめくくり。これはかなり私の記憶に残っています。というのは、長文の企画記事は、書き出しは何度もデスクに直されますが、後ろの方は、そんなに直されないモノだからです。
[引用はじめ]
住専問題や薬害エイズ問題で見られたように、官庁にはとかく都合の悪い情報は隠して、外部には出さない体質がある。こうした点は改めるため、政府は長年の懸案だった情報公開法案を来年の通常国会に提出する予定だ。
情報公開制度が中央省庁に導入されれば、情報公開の補助手段として、公共機関のホームページが持つ意味は重みを増しそうだ。
[引用おわり]
情報公開法、公文書管理法、国家行政組織法第12条などを総動員。そして、国立公文書館の整備も進めればいいんです。
さて、インターネットを使ったら、達増さんは私の兄から1週間前後、歳が若いことを知りました。
[画像]達増拓也・岩手県知事、2011年6月2日、日本記者クラブのYouTubeチャンネルからキャプチャ。
達増さんは初の小選挙区制となった第41回衆院選で岩手1区から新進党公認で当選し、「たっそで行こう!21世紀」なんてキャッチコピーだったと思いますが、タイヘン新鮮だったのは、官僚出身議員はやまほどいますが、外務省出身だったということです。中選挙区時代は、おおむね自民党が2~3議席、社会党が1~2議席、公明党や民社党が1議席ずつを分け合っていたため、「利益の誘導と分配」ができることが政権与党議員の選挙の強さにつながりやすく、外務省出身者は選挙に不利でした。今の小選挙区になって、民主党にも、自民党にも、公明党にも、無所属でも外務省出身議員は増えてきています。「小村寿太郎」の名前が国会審議で聴けるような時代になりました。
そのなかで、外交官出身の“元祖サイバー議員”が、岩手県知事として東日本大震災の被災者、および被災自治体などの各種地方公共団体、県内の各種団体と国政府との調整役になるというのは、意外な感じもしますが、ぜひ、達増さんには頑張ってほしいと思います。
ガンバレたっそ!負けるなたっそ!
負けるな。