【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

◎野田佳彦さんが民主党代表・第95代内閣総理大臣に 新進党勢で初 思い出す18年前の日比谷公会堂

2011年08月29日 14時34分53秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 菅直人首相の代表辞任表明にともなう、民主党代表に衆議院千葉県第4選挙区選出の当選5回生で財務大臣の野田佳彦さん(のだ・よしひこ、Yoshihiko Noda 1957-) が2011年8月29日(月)就任しました。はやければ今国会中に、第95代内閣総理大臣に就任します。民主党が一つになり、民自公が一つになり、日本が一つになるうえでベストの選択で、民主党が土俵際の徳俵の危機感で巻き返しのラストチャンスをつかみました。

 野田さんは松下政経塾1期生。同塾からは初の総理となります。菅直人さんと同じく非世襲・非二世議員で、これは、平成になってからは、竹下登首相→宇野宗佑首相→海部俊樹首相以来となります。

 それと、まことに卑近な2つ。付け加えさせてください。新進党勢からは初の総理。そして、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業生としても初めての総理です。この2つ、ぜひ付け加えさせてください。

 野田さんは、政見演説のなかで、「昭和35年10月、浅沼委員長が日比谷公会堂で暗殺されたのを白黒テレビで見た」のが政治を身近に感じたきっかけだとしました。浅沼稲次郎は、55年体制の二大政党の一翼を担った日本社会党の書記長から党首に昇格していました。「演説乞食」と言われた沼さんも、早大政経の先輩です。

 

 私が野田佳彦さんをはじめて見たのも、その日比谷公会堂でした。民間政治臨調、いまは21世紀臨調ですが、その記録をみると、その日はは1992年11月12日、自民党「政治改革を実現する若手議員の会」(石破茂代表)が日比谷公会堂で開いた「政治改革国民集会」だということで間違いないと思います。このときは、若手議員たちの精神的支柱だった後藤田正晴先生があいさつのときに転んでしまいました。そして、私は1階席で早稲田大学の政治サークル鵬志会の1年生で、仲間とともに、聞いていたのですが、2階席の方で聴衆としてマイクをにぎったのが早大雄弁会の3年生だった斎藤淳一郎さん。「雄弁会」というと、会場が割れんばかりのどよめきで、私たちのサークルは知名度ゼロですので、残念な気がしましたが、個人的にも仲の良い斎藤さんなので、うれしかったです。斎藤さんは栃木県庁職員を経て、この4月、1人区を制して、みんなの党の県会議員に初当選しています。

 そして、私の記憶だと、この後、壇上に、なぜか千葉県議の野田さんが登場したのです。だれだろう?と思いました。そして、「無所属の県会議員として2期やってきた」とか演説して、だんだん演説のトーンが高くなってきました。演説は最高潮を迎え、自分ができる具体的な政治改革として、「私は来るべき総選挙に、日本新党公認で立候補することを決めました」と語りました。会場はやんややんやの大喝采。私はゾクゾク、鳥肌が立ちました。

 この2週間後、11月24日には、日本新党代表の参院議員、細川護煕さんが初の公募国会議員候補予定者として、野田佳彦さん、牧野聖修さん、石井紘基さん、河村隆之(河村たかし)さんの4人を発表します。これに先立つ、11月3日には江田五月・社民連代表ら27人が政策集団「シリウス」を結成していました。そして、12月18日には、改革フォーラム21が正式に自民党羽田派となり、翌1993年6月18日の宮澤解散につながります。

 日比谷公会堂で野田さんを見たとき、演説は感動しましたが、上下色違いのスーツを着ていたような記憶があり、違和感を覚えた感じがします。そして、その野田さんが松下政経塾の出身だということを次第に知るようになり、同じ系統の人は、同じように上下色違いのスーツなど派手な出で立ちが多い傾向があるような気がしました。最近の野田さんは、そのような出で立ちを見ることは皆無です。

 それはさておき、日比谷公会堂で沼さんが倒れる映像を見ながら、野田少年は母親から「政治家って命懸けなのよ」と言われた気がするということです。

 野田さんは最初の小選挙区でしくじり、3年8か月間浪人しましたが、その間、「当時所属していた政党は解党し、政党助成金は来ませんから」として、「中小企業・零細企業のおやっさんに助けてもらった。銀行振り込みは失礼だから、歩いて集金して、領収書を書いた」としました。天井を見ながら眠れない日々。6歳の長男と3歳の次男を膝の上にのせたときの髪の毛のにおいが忘れられないといいます。

 臥薪嘗胆の日々。どじょうが金魚の真似をしたらおしまいだーー野田さんは「都市部選出なのにシティーボーイに見えない」ので、野田内閣発足後、しばらく支持率が上がらないだろうとして、解散はないから安心してくださいと語りました。

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 2000年、国政復帰。逆境に強くなった野田さん。

 郵政解散の大敗北で沈み込んでいた2005年10月の第163回特別国会。野田国対委員長は「審議拒否をしない健全野党・政権準備党」をめざします。

 そして、本来は敵である与党・自民党総裁の小泉首相が、選挙後1ヶ月経った10月17日に、靖国神社を公式参拝(拝殿参拝)したことについて、その当日、タイムリーに質問主意書を出しました。そして、国内どころか中韓の外交ルートからも、「”A級戦犯”という戦争犯罪人が合祀されている靖国神社に総理が参拝することは、日本が軍国主義を美化するあらわれとなる、という論理」の反対論が起きていると指摘しました。そして、巣鴨プリズンで行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)は、サンフランシスコ講和条約第11条という国際条約に基づくものだと指摘。だから、国内法上、戦争犯罪人、戦犯は存在しないのではないかと指摘しました。

 これに対して、政府(第3次小泉自民党内閣)は、25日付で答弁書を閣議決定し、「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」との答弁を引き出します。

 すなわち、東条英機らへの東京裁判の判決と刑の執行(絞首刑含む)は、多国間条約である「平和条約(サンフランシスコ講和条約)第11条」にもとづいており、日本の国内法にもとづいていない。だから、国内法上は戦犯は存在しないということになります。

 ですから、中国、韓国がときに正式な外交ルートで示した見解は、認識自体が違うということになり、国内外、与野党、左右で入り乱れた知恵の輪を解き、国益を守ったことになります。ただし、小泉首相も守ってしまいましたが、責任野党の矜持を示しました。そして、この後、参院でも衆院でも民主党は勝つことができました。それは小沢さんのおかげかも知れません。そして、もちろん堀江メール事件があり、千葉県連の仲間である永田寿康・衆院議員が辞職し、そして飛び降り自殺をして命をおとすことになったことは、痛恨の極みであり、野田さんは一生涯、月命日ごとに永田さんのことを考えて欲しいと考えます。



 野田さんは政権政党とは雪の坂道をみんなで雪だるまを押して坂の上をめざす作業だとしました。

 それまでにも、いろいろなことがありました。2002年の中野寛成幹事長(幹事長代理は岡田克也さん)おろし、永田さんの件、1996年落選後に選管を地裁に告訴などいろいろ眉をひそめるような気持ちになったことがあります。それらも含めて、挙党一致で前に進んでいかなければなりません。国会で「野田」といえば、一に野田聖子さん、その次に野田毅さん、だいぶ距離を置いて、野田佳彦さんで、「あの堀江メールの国対委員長だった人」という知名度の無さでしたが、面白いなあと思ったのは、野田さんの腹心が「握手させてあげるよ」と言われて楽しみに付いていったら、そこには代表経験者で知名度が高い岡田克也さんがいて、岡田さんと握手したそうで、この辺は「冷めたピザ」と言われながらも、人の使い方が上手かった小渕恵三さんに似ているのかなあと思います。「金魚になれないドジョウ」は第二の小渕のように民主党や日本の力を人事で引き出すことができるかどうかが、ポイントになります。

 今第177通常国会では、先日も書いたように、衆院財金委理事の公明党の竹内譲さんがやんわりと誤答弁を修正してあげたり、閣法2号の「国税改正法案」、閣法4号の「地方税改正法案」では、藤井裕久さんと野田毅さんが修正協議で可決。閣法1号の「特例公債法案」も、岡田幹事長や公明党幹事長の井上義久さんや、自民党政調会長の石破茂さん、公明党政調会長の石井啓一さんが3党合意に半年間奔走。実務者では、公明党の元厚労相・坂口力さんや、民主党政調会長代理の城島光力さん、自民党政調会長代理の鴨下一郎さんらがキッチリやりました。鴨下さんは日本新党同期生で、そのほか、竹内さん、藤井さん、野田毅さん、岡田さん、井上さん、石破さん、石井さん、坂口さん、城島さんらはみんな新進党仲間なんです。そして、鴨下さんは日本新党1期生になります。このほか、自民党国対委員長の逢沢一郎さんは、松下政経塾1期生の同期ですから、「怨念」を乗り越えれば、民自公3党は、衆参ねじれを力に変えて、力強く政策で前に進むことが出来ます。

 松下政経塾1期生。日本新党1期生。新進党1期生。それはとても勇気がいることです。第一空挺団のパラシュート部隊だったお父さん譲りの勇気で、成長と財政の両輪で、日本を救うため。

 一つになりましょう。中庸の政治、和の政治。日本の正念場です。

 おめでとう、野田さん。あす、首班指名が行われますが、参議院でもイッパツで野田首班指名となることを願っています。


「3党合意」が最大の争点に急浮上 きょう民主党代表選

2011年08月29日 06時55分55秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 おはようございます。

 いよいよ、第177回国会は、国会史上220日間の会期を今週で閉じます。残り3日間となりました。

 そして、きょう2011年8月29日(火)民主党代表選(古賀一成・中央代表選挙管理委員長)が開かれます。

 やはり与党ということで、土曜日は日本記者クラブ主催の会見(司会は企画委員の川戸惠子さん=元TBS政治部記者・アナウンサー)、日曜日は、フジテレビ新報道2001、NHK日曜討論、テレビ朝日サンデーフロントライン(サンフロ)、党主催の討論会(ネット中継)、夕方には日テレ「バンキシャ」で5人の候補が討論しました。そこそこ良い議論が出来て、民主党の支持率の底上げにつながったと、私は思います。

 そして、ここに来て、驚くべきことに、トップランナーとみられた候補者が「新執行部は、3党合意を白紙にするか、見直すか検討して決める」との発言をくり返すという驚くべきハプニングがありました。これはこの候補者(現職閣僚)が、6月2日(木)の自民党・公明党・たちあがれ日本による菅内閣不信任案に対して前夜賛同する意向を示す夜会合を開いた71衆院議員らが属する「マニフェスト原理主義派」に擁立されたため、3党合意を見直すことを示唆したのだと思います。

 公明党代表の山口那津男さんは、6月2日の内閣不信任案否決のあと、支持者に対して平謝りの状態でした。が、8月26日、菅直人さんが退陣する意向を表明したことについて、「(6月2日に)実質的な退陣表明をして約3ヶ月の政治空白をつくった責任は重い」としたうえで、「新しい代表は3党ですでに合意されたことをきちんと与党として履行する責任を持つべきだ。3党で合意した土俵を生かし、復旧・復興、円高などの当面の課題に取り組むことを求めたい」と記者団に語った、と報じられています。

 仮に3党合意を白紙にした場合は、第3次補正予算の編成で、子ども手当、高速道路無料化の“2k”の歳出の部分的減額補正ができなくなり、年金財源の国庫負担分の1次補正で転用した歳入の2・5兆円の穴埋めができなくなります。いわば、“勧進帳”にたとえれば、義経(菅さん)を見逃した富樫(自民党)、番卒(公明党)の顔に泥を塗ることになります。国会はちゃぶ台返しの大混乱。とくに自民党では幹事長が党内や、参院執行部から突き上げられるでしょう。そして、3次補正予算(案)は参議院で否決されるか、参・議運委員会(自民党の鈴木政二さんが委員長)が本会議に上程させず、補正予算では異例の30日ルール適用も視野に入るかも知れません。これではだれが総理になっても、民主党政権は年内に倒れます。

 公明党の漆原良夫・国対委員長は、公明新聞日曜版(8月28日付)で第177通常国会を振り返り、特例公債法案(閣法1号)について、「自民党の一部では、これを解散・総選挙を迫る手段とする考えもあったようですが、公明党の考えは全く異なり、あくまで政策判断で対応しました」と述べています。そこで、3党協議いわば”勧進帳”においての政策協議(“山伏問答”)では、「赤字国債の発行は、次の世代への“ツケ”となります。そこで少しでも次世代への負担を減らすため、公明党は、子ども手当、高速道路無料化など不要不急の予算の見直しによる歳出削減を行い、第1次補正予算に流用した年金臨時財源2・5兆円の補てんなどができるならば、認めても良いとの考えでした」と説明しました。そして、漆原さんによると、「8月4日に公明党が呼びかけ、民主、自民との3党協議が始まりました。その結果、『政局より政策で判断すべき』との公明党の主張を自民党も理解し、8月9日に3党幹事長が合意したのです。評論家の森田実氏は、この合意を『国会の危機を救った公明党』と高く評価しています」と自画自賛しています。

 これに対して、半年間、特例公債法案について党幹事長と政調会長、実務者による協議内容を把握しながら答弁してきた財務大臣は「3党合意がなければ、3次補正はできません」「これやらないと信頼損ねます。内閣もたないと思います」とテレ朝で述べました。この候補者は「与党とは、坂道をみんなで雪だるまを持ち上げていく作業だ」として、民主党内の人材を使い切るとの姿勢を示しています。また農相も、4kの一つがターゲットになったこと、およびその政局感から、「3党合意、これはきちっと守っていかないといけません」と述べ、「3党合意の政策効果を検証する」と先を見た発言をしました。前外相や前国交相も3党合意を守ると述べました。

 この経産相の発言は、致命的な大失言だと考えられます。ただ、民主党は衆院1期生が多いことと、参議院議員の、中央代表選有権者に占める割合が以前より下がったことから、「3党合意見直し」という失言が地雷、自爆装置であることに気が付かない人も一定数いることが予想されます。また、経産相がきょうの投票会場での15分間の演説で発言を修正する可能性もあります。

 ところで、財務相と前外相が激しい2位争いをしています。2位以内にならなければ、決選投票の得票は「ゼロ」。この両陣営の2位争いが、結果として決選投票での末脚につながる可能性が出てきました。民主党代表選の結果は、午後2時過ぎには明らかになるもようです。