【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

テルカンこと照屋寛徳さん、脳梗塞を患っていたことを自ら明かす、日経新聞「交遊抄」で

2015年12月16日 07時37分58秒 | 人物

[写真]国会議事堂、2013年8月、宮崎信行撮影。

 テルカンこと、衆議院沖縄2区選出の衆議院議員、照屋寛徳(てるや・かんとく)さんは、2015年12月16日(水)付の日経新聞44面のコラム「交遊抄(こうゆうしょう)」で、

 「約11年前から脳梗塞の後遺症に苦しみながら国会議員活動を続ける私」として、過去に脳梗塞を患っていたことを自ら明かしました。

 これを見て、国会会議録データベースを引いたところ、照屋さんは、第164回国会の衆議院予算委員会、第166回国会の衆・本会議、第176回国会の衆・安保委で、それぞれ、脳梗塞を患っていたことに言及しています。 

 日経新聞は、沖縄県内の新聞社に印刷を委託しており、同県内で唯一朝のうちに配達される全国紙です。

  
[写真]照屋寛徳さん=右端=と、傍聴する筆者・宮崎信行(左端、2013年10月31日(木)の衆議院安全保障委員会、インターネット審議中継からスクリーンショットしトリミング。

 照屋寛徳さんは、平成7年1995年の参院選で、沖縄県選挙区(改選定数1)で野党統一無所属で、得票率44・6%で初当選。しかし、次は、得票率44・0%で惜敗しました。

 その後、平成15年2003年のマニフェスト選挙の沖縄2区で得票率55・4%の圧勝で衆議院初当選。連続5期。照屋さんの過去の議事録からすると、平成17年2005年の前半に脳梗塞を患ったものの、総選挙では、得票率は44・6%と10ポイント落としながらも、小選挙区で当選したようです。

 交遊抄では、「保守のドン」である、元嘉手納町長が4年前に脳梗塞で入院して以来、「兄弟の契りを結んだ」としています。

 先月、沖縄県出身の早稲田大学の男性の学生から、「テルカンさんが2度目に会ったときに、私の名前を覚えていてくれて感動した」と聞きました。テルカンは昭和20年「7月24日」の生まれですから、「戦後生まれ」です。70歳となった今もパワフルに沖縄の心の原点を伝え続けているようです。

このエントリー記事の本文は以上です。

(C)宮崎信行 Nobuyuki Miyazaki 
(http://miyazakinobuyuki.net/)

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