もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

一揆だし! めっちゃ一揆だし!

2022年03月05日 18時18分07秒 | タイ歌謡
 友人と札幌の蕎麦屋で板わさと卵焼きで酒を飲んでいた時で、まだ酒を飲んでいた頃だから5年以上まえのことだろう。傍らを見遣ると、英語を話している外国人の夫婦と思しき男女の席にセットメニューが運ばれてきた。女性の蕎麦が「せいろ」で、イヤな予感がしたので続けて見ていたら、はたして蕎麦つゆを蕎麦にかけようとしているので、思わず「Wait !」と強く言ってしまった。若い頃、同様に蕎麦つゆを上から注ぎ、みるみるうちに卓上に広がったつゆでズボンを濡らしたアメリカンな男を見たことがあったのだ。生臭いうえにべたべたで気持ち悪かったと思う。あれはかわいそうだった。
 鋭くおれに制された女性が、え? って顔でおれを見るので、それはシノワだから、ソースが零れてテーブルと床を汚してしまうよ、と静かに言うと、御婦人は「エクスキューズミー?」と訊き返した。
 あ。そうか。シノワってのは英語じゃないし形も少し違うな。それは、ストレイナーだから液体はキープできないで、トラウザーズを汚してしまうかもね。と言い直した。今思うとストレイナーじゃなくてコランダーの方が良かったかもしれない。そこに空いた小さなボウル(蕎麦猪口)があるでしょう。そこにフラスク(蕎麦徳利)のソースを入れて、ヌードルをディップして食べるのですよ。
 御婦人は蕎麦の蒸籠を持ち上げて観察して、「おー。(理解を)得ました。ありがとう」という意味のことを言って微笑んだ。「本当にありがとう」そこから、いろいろ話しかけられて談笑していたんだが、他の席の若い女性たちの一人がよく通る小声で「あのお爺さん、英語ができるんだぁ」って言うのが聞こえた。オジーサンって言うなよ。と思ったが、そのときでもう50代後半で、歴としたジジイだから間違ってはいない。聞こえないことにした。
 若くて傍若無人な女性ってのは怖い物がないんだろうが、一昨年の入院時、ひとりの看護婦さん(さいきんのポリティカリーコレクトでは看護師と言わなくてはならないのは知ってるが、女性の看護師って書くと、それは看護婦ってことだ。それに看護婦って侮蔑語ではないと思う)が、チンコ見せて! という意味のことを言う。え。なんで? って訊いたら「心不全だと、おちんちんがすっごく腫れちゃうんですよねー。見たいですぅ」と屈託なく言うので、いやおれのは腫れてないが、それでも見たいのかと重ねて訊くと、「なーんだ。そんならいいですぅ」とつまらなそうだった。職業意識ってやつか。でも、そんなことを言ったのは、この看護婦さんだけだ。どうなってやがる。あとでググったら、腹水が溜まって、その水分で腫れちゃうことがあるみたいだ。陰嚢が巨大に腫れることも多くあるという。晩年の西郷隆盛か。西郷さんは心不全ではなくフィラリアだったが。
 まだ札幌のスガイビルがあった頃、映画を観に行こうと狸小路商店街を歩いていると、若い女性がオッサンにナンパされてて困っているのかと思ったら、毅然と「てか誰?」と野太い声で返して、踵(きびす)も返すのを見て、なーるほど、「てか」あるいは「ていうか」は、こういうふうに使うものなのか、と深く感じ入ったことがある。スゴロクで言えば「振り出しに戻る」並みの強制リセットだ。「てか誰?」である。意味はわかるが、おれの言語感覚にはない言い回しだ。
 ついでに狸小路を「たぬー」と呼ぶのはうちだけじゃないかな。「たぬーに行きたい(ยากจะไปたぬー)」と言われて直ちに理解したおれも何の自慢にもならないが、これを憶えても余所では多分つうじないから記憶する意味はないと思う。
 若い女性の話だ。これも5年くらいまえだったか、友人の娘がメールの返事で「りょ」と返してきたんだけどね、と言って友人はデレデレ笑っていた。あれは多分「了解」って打とうとして途中で送信したんだと思うんだ、と可愛くて仕方ない風情で訴えていた。
 ああ。若い女の人で「りょ」って返すのは流行ってるみたいだね。もっと簡略化して「り」ってのもあるみたいよ、と言うと、「なにさそれ。そったらことが流行ってるってかい」と綺麗な北海道弁で呆れていた。「あれは間違いでないってのかい」
 似たようなので「マ?」ってのには笑った。2年くらいまえ、若い友人からのメールに「マ?」って返信したら、何ですかそれ、と返してくる。だから、知らないの? 若い娘が「マジすか?」って質問を縮めて「マ?」って打つんだよ。それに対して「マジだよ」って返事するときは「マ」って打ち返すんだってよ。と教えたら電話がかかってきて「何でそんなこと知ってるんすか」と驚いているので「友達の女子高生に聞いたんだ」って答えたが、うそだ。本当はそんな友達はいない。何かで読んだ知識だ。
 女子高生をはじめ若い娘は昔から無茶苦茶で面白いことも言うが、それはどうなのよ、ってのも多い。「ぴえん」とか「カレピ」とか何をしょーもないこと言ってんだ、と思う。さらに「カレピッピ」とか。ただ、怒ってる人に「おこなの?」って訊くのは火に油を注ぐようで笑ったけど。
 さいきんので気に入ったのは、去年だっけな。良い物に遭遇したときに言う「よきー♡」っていうのが面白かった。古語なんだね。漢字だと「善き」かな。好みの服なんかを見つけて「よきー」って言ってんの。古語なのに、アタマ良さそうな要素と雅やかな煌めきが何一つない。
 飲み会なんかで、野太い声でギャル言葉遣ってる若い娘なんかメチャクチャだ。
「イッキ、イッキってアルハラじゃね? てかイッキってさぁ、なにげに島原の乱だし!」
「あははは。チョー天草四郎! めっちゃ時貞だっての!」
「ウケるぅ。アマのクサで、マジ四郎すぎてんの」
「ぱらいそ! チョーぱらいそだし! ってか、行くなし! ぱらいそ! それマジ死んでっから! キリシたーん♡とか言ってガチでアガんのはわかるけどさぁ」
「ていうか島原、鬼ヤバっしょ。余裕でヤバいよね」
「チョー十字切って拝んじゃう系?」
「そーそー。拝み過ぎ。マリアさまヤバいよね。めっちゃ美人。あれは拝んじゃうよねー。マリアさま、あんまカラミないけど」
「わかるぅ。キリシたんの、おきにだもんね」
 いや。こんな会話は聞いたことはないんだが、日本史に少しだけ詳しいギャルだったら、こんな感じかな、と思って書き出したら意外と楽しい。結局、目的の「よきー」が入る余地がなかったが、面白いのでここから先はギャル言葉で書いていく。
 うそです。
 さすがにギャル言葉で長文はキツい。かつておれたちの世代が洗礼を受けた「昭和軽薄体」に似たキツさがある。昭和軽薄体ってのは糸井重里、椎名誠、嵐山光三郎こと祐乘坊英昭あたりの文体で、1980年前後に咲いた徒花だ。「ワニ目になって、そーゆーどーでもEことをゆってはイカンのでR」みたいな。反知性的な効果があって論理を拒否してしまう。さすがに、この文体で文章を書き続けるというのは無理があったのだろう。黎明期の本家の人々で今でもこの文体を遣っている人はいない。いかに言文一致といえどもギャル言葉での小説や論文はないと思う。あっても読みたくはない。
 タイ語にもギャル語みたいなのは少しだけあって、たとえば「ไม่สบาย(マイサバーイ – 体調が悪い)」をマイチャバーイと言ったり、「ไป(パイ – 行く)」をパ、と言ったりする。俗語であるうえに決して上品な物言いではないせいか、タイ文字での決まったスペルがない。「さあ、行こう」というときに「パ」と言うんだが、この「パ」が動詞の後に付くと、「หรือเปล่า(ループラオ - ~かどうか)」という疑問形の短縮の「パ」になる。「เข้าใจ(カオチャイ – 理解する)」の後に付いて「カオチャイパ」で「わかった?」という具合だ。
 これは、それほど新しい言葉ではなく、21世紀になった頃に登場しているんだが、その頃から若い娘しか遣わない言葉で、娘が歳を取ると自然に遣わなくなる。これがやがて中年になっても遣い、初老になっても遣うようになれば単なる俗語になるんだろう。
 そうだよな。昔は「チョー」ってのはギャル専門の言葉だったもんね。語源は「超」で初めて聞いたのは‘80年代後半。それが小学生も普通に遣うようになって、今じゃいいオトナでも遣う人が増えてきた。最初から長らくは形容詞の接頭語だったが、さいきんの若い娘は形容詞だけでなく動詞、さらに名詞にまで発動させて、時代と共に進化というのか侵略というのか、間口を広げている。チョー切れる包丁(たいそう切れる包丁)→チョー切る(甚だしく存分に切る)→チョー包丁じゃん(とても包丁です)という具合か。現在「チョー」は、「めっちゃ」「マジで」「ガチで」「余裕で」「ぜんぜん」などの語と互換性がある。どんどん多用して若い人から引かれてほしい。
Big & The SuperBand - คำเชย ๆ.DAT
 Big & The Super Band というグループの「คำเชย ๆ(カムチューィチューィ – ダサダサな言葉)」という歌だ。このเชย(チューィ)って単語が「ダサい」って意味なんだが、自動翻訳にかけるとタイトルが「褒め言葉」になって、もう逆と言っていい意味になってる。いや。だがそんな意味はない。このเชย(チューィ)って単語は新語かというと、そうではなく昔からある言葉のようで、古くは「古風な・古くさい」という意味で遣われていたようだ。だが、一般には「เก่า(ガオ)」という単語を遣うことが多く、そんな位置づけの語彙だったから若者が面白がって遣ったんだろう。たとえば「ヤだ!」と拒否するところを「やぶさかー」と言い換えるようなものか。ギャルも一般の若者もそんなことは言わないが、たとえばの話だ。
 そういえば先日の北京の冬季オリンピックでカーリングの女子たちがかつて「そだねー」という北海道弁を散々揶揄されたためか、極力言わないように努めていた。今回の試合中でよく聞いたのが良好な状態を指す「ないすぅー」で、どう考えても英語のNiceだ。フランスの地名「ニース」のスペルも同じで、ナイスな街だ。行ったことないけど。カーリングの彼女らはギャルではないから「よきー」ってのは言わなかった。残念である。ここはスノーボードなどの個人競技にギャルが参入して、次回のオリンピックにはインタビューでマイクを向けられて「よきー。うち、チョー金メダルだし! ガチでアガるぅ。だってだって、なにげに世界一だっての」とか答えてほしい。
 MVに戻ろう。Big & The SuperBandってバンドは見ての通りの編成で「Chicago(地名じゃなくてバンド名の方)」みたいな感じだ。3管編成じゃないんだ、と思うだろうが、オリジナルメンバーにはサックスもいたような記憶がある。最初は「Sabai Band(サバーイはタイ語で快適という意味)」って名前でルンピニ公園横っていうか裏の「ブラウンシュガー」って店の狭いステージに、オイルサーディンの缶詰みたいにギッチギチで10人くらいの編成で出ていた。今は6人。大学のサークルからのデビューなんだが、全員美術学部の出身。Chicagoと違ってメンバーの仲が良い。ひとつまえのエントリーで紹介した「テレックステレックス」も辞めたメンバーが出入りして一緒に遊んだり仕事を手伝ったりしていたが、このバンドもそうだ。タイのバンドマンって良い奴が多くて、たとえば日本のバンドマンでトラ(たぶんエキストラの略だと思う。一時的な臨時メンバーのこと)に入ったヨソ者に、曲中でドラムスがアクセントを裏に回して2拍3連をぶっ込むなどして演奏の現在位置というか小節の箇所を見失わせたりして虐めるということをしない。日本の場合、それでも付いてきたら「へえ。やるじゃん」って少しだけ認めてくれたりするんだが、これを初めてやられると、まず間違いなく小節を見失う。
 タイ人だとリズムを裏に回して2拍3連ぶっ込むときでも元のリズムもキープして複合リズムにして「おれなんか、こんなことしちゃうもんねー♡」っていうアピールだから、小節を見失うことも、そう多くはない。ともあれ悪意というものがない。もしくは殆どない。
 とにかくバンコクの有名ライブハウスのブラウンシュガーが輩出したバンドで一番有名なのが、このBig & The SuperBandだろう。このバンドはソウルやR&Bが身上だが、ブラウンシュガーって店はブルーズの演奏が多かったと思う。ジャズバンドもたまに出るが、タイ人にはそこまでジャズは人気がないので、ジャズでは食えない。
 ジャズが嫌いということではなく、タイ人の殆どは「歌のない音楽(ดนตรีไม่มีเพลง)」というのに困惑する。ジャズとかクラシックというカテゴリーじゃない。歌がなくて何の音楽か、と思ってるようだ。じゃあオペラなら良いのかというと、あのヒャアヒャア歌うベルカント唱法みたいのを酷く嫌う。アジアで、あの唱法を受け入れたのは東アジア、取り分け日本ぐらいではないか。まえにタイ人がフラメンコを嫌うと書いたことがあったが、ベルカント唱法の比ではない。クラシックを聴くタイ人は少数派であるが、オペラを聴くタイ人程ではない。オペラファンのタイ人は皆無ではないが、皆無に近い。かつてバンコクでクラシックのコンサートに行ったときは会場の狭さにも驚いたが空席も目立ち、やはりタイ人はクラシックを聴かないというのは本当なのかもしれないと思っていたら奏者の登場で割れんばかりの拍手で、ああ熱狂的なファンはいるんだと安心した。だが演奏が始まると寝る寝る寝る。どんどん寝る。会場の冷房もちょうど良く、もう観客の半数がスカスカ寝てるんであった。婚約者だったうちの奥さんを見ると、懸命に睡魔と戦っていた。ダメじゃん。
 これがオペラになるとどうなるのかというと、知らない。だってタイでオペラの公演があったという話を聞いたことがない。Youtubeで探したらカノムチン(タイカレーと一緒に食べる素麺に似た米粉の麺のことで、直訳だと、中国菓子という意味だが、その名を取ったようだ)という女性歌手がピアノの伴奏で短い曲を歌った動画が一つあるきりだ。
 ←カノムチン
 この歌手はもちろんクラシックのオペラ歌手ではなく、ふつうのタイ歌謡の歌手だ。アートミュージックフェスティバルって催しで頼まれて練習したとしか思えない。この動画も盛大な拍手で始まるが、終わりの拍手に感動は感じられない。「เก่ง(上手にできましたね)」っていう拍手だと思う。動画のタイトルにオペラとあるが、こんなものはオペラではない。ヘタではないが、誰も幸福になってない。
[Clip] Knomjean โชว์ร้อง Opera
 音楽に限らず、表現ということにおいては料簡がアマチュアで、手法がプロ、ってのが好ましい取り組み方とされるんだが、これはプロの料簡を熟知したうえでのアマチュアの料簡が望ましいってことだね。このオペラもどきはプロの料簡を知らない根っからのアマチュアの料簡の者がプロを目指そうとしている。こういうのは過渡期としては避けられないんだろうが、ここまでタイでオペラが普及しないのは、その必要が全くないからなんじゃないかと思わせる。タイ歌謡は完成の域にあるからね。ラーマ5世が19世紀後半にイタリアから西洋音楽の楽器と奏法、音楽理論などを取り入れたのち、それを基にタイの音楽は独自の発展を遂げた。タイ語の声調がランダムなテンションノートをつくり、伝統的な西洋音楽の和音解釈と違った音の重ね方の軸でも持っているかのような作曲作法は、同様に声調を持つ中国語世界(北京語でも廣東語でも)には見られない。なぜタイだけで声調が旋律の音程に干渉したのか、まったく謎だ。つまりそれだけ歌詞を重視してるってことなんだろうが、なんでタイ歌謡は源メロディーを絶対視しなかったんだろうね。あと、アジアではタイだけの7平均律が影響を与えたであろうことも見逃せない。だってそれまでは7平均律しかなかったんだから、それが影響しないわけがない。もとからのタイの音楽と西洋音楽が衝突してダイナミックなタイ音楽が生まれたわけだからね。オペラなんてやってる場合じゃないってことか。アフリカから連れてこられた人たちのアフリカ音楽と西洋音楽が衝突してできたのがジャズだから、タイ歌謡ってのも同様にダイナミックなのはわかるよね。
 かつて日本で開国後クラシックファンやジャズファンが増えてきたのは、そういうことで、当時の日本にはロクな音楽がなかったからと、おれは断言する。日本発祥の音楽でオリジナリティーがあるのって、せいぜいが琉球音楽と芸能としてほぼ絶滅したアイヌのユーカラくらいで、後年に下っても長唄とか新内みたいな小さな芸能だ。雅楽は余所の国の借り物だし。まあオリジナリティーって事で言えば日本の音楽は大したことないよね。
 いずれにしても今世紀になってからは多くの国でスタンダードになる名曲のコード進行を借用したりしたんだが、タイではそういうケースが絶無ではないが少ない。タイ歌謡独自のヘンな曲作りを追求し続けて、他に類を見ない歌謡の形態を作り上げた。このブログでも希に取り上げるルククルンはタイ歌謡の中でも最上の歌曲か多い。
 そのうちルククルンの名曲特集でもしてみようかな。ルククルンは、ばかっぽい曲がないから、このブログで取り上げることが少ないんだが、良い曲だからって理由だけで紹介するのも悪くないかもしれない。まあルククルンは一世を風靡したとはいえ廃れてしまった歌曲だから、急いで紹介することもない。
 さて、またギャル言葉の話に戻るまえに、歌詞を訳しておこうか。

ダサい言葉を聞いて 恥ずかしがってはいけない
無関心に 気にしないふりをしたほうがいい
なじみのない言い方 遣ったことのない言葉
わたしたちのような人が
多分 昔はお互い理解していた言葉
説明するにも あまりにも手垢の付いた言葉
でも ときどき良い言葉がある
遣える 感情表現 今日言いたいこと
ずっと思っていた 昔ながらの甘さ
たしかに今時の物言いではないけれど
お互いの手を軽く触れることができた
長い時間 忘れ去られていた甘い言葉
でも それが心に響く そう思うなら
ダサいって言い切ることはないよね
そんなふうに言う理由は何もない

 ギャルだったら「まじめか!」ってツッコミそうな歌詞で、タイ人って日本人みたいに何でも冷笑的に批判する人は少ない。まったくいない訳ではないが、そういう人は「นิสัยไม่ดี(ニサイマイディー – 性格が良くない)」って敬遠されちゃう。人や物事の良い面を見ようとする人が多いから、付き合っていてストレスがない。
 そんなんだから「日本って食事とかアニメは良いのに、タイに来る日本人はヘンな人ばっかり」って嫌われてるってのはまえに言ったとおりだ。「ちゃんとした日本人は滅多にタイに来ないんだよ」と言うと、「ふーん」って、あんまり信用してないんだが、たしかに少し太った女性が何かを食べていると「そんなんじゃ、また太っちゃうよ」と言い放って、恐ろしいことに言った本人はそれを冗談だと思い込んでいたりする日本人が多いことで、それは冗談などではなく、攻撃だ。遠回しに言っても「イヤミ」とか「悪口」でしょ。歳を取った人に多いんだが、悪口を言って、それが冗談だと思い込んでいる人はアタマが悪い。いや性格が悪い。
 ところでタイにももちろん女子高生はいて、ぱっつんぱっつんにフィットした制服を着ることで有名だったが、最近はそうでもない。
 ←タイの女子高生の例
 いわゆるギャルはいない。ギャル言葉も殆どない。派手な女子高生はいるけど、それはギャルってことではないと思うのよ。あのぶっ飛んだ感じ。タイにはないんだよね。みんな正気を保ってるんだよ。
อนิเมะ พระเอกอยู่ตัวคนเดียว ในโรงเรียนมัธยมปลาย และมาเจอกับเด็กสาว ตอนที่1- 13 พากย์ไทย HD
 日本のアニメのタイ語吹き替えなんだけどね。見だしたら面白くて、ずっと見てしまった。タイのアニメの吹き替えって、女の子の声はこんなふうにコドモっぽい甲高い声になっちゃうのばっかりで、でも日本のオリジナルは見たことがなくってアマゾンプライムだと無料では観られない。わざわざカネ払ってまで観るものでもないような気がするんだが、ググったらオリジナルの声優は戸松遥というから甲高い声ではないと推測する。
 あー。動画が削除されてる。まあそうか。アニメを勝手にupしちゃってるんだもんね。他のは、こんな感じだ。
การ์ตูนอนิเมะlucky star พากย์ไทย
 このアニメでも女子高生なのにタイ語翻訳の言葉遣いが綺麗。これらのアニメに限らず吹き替えで汚い言葉を遣うのを聞いたことがない。そもそもギャル言葉も女子高生言葉もタイにはほぼない。聞いたことがない。ただ上品な言葉遣い以外には下品な言葉遣いしかなくて、それは田舎者だったり、ばかだったりすると言葉遣いは下品になるんで、言葉遣いで階級はわかるが、ギャルかどうかはわからない。 
 つうか、だからタイにはギャルがいないんだよ。
OH!ギャル
 ジュリーこと沢田研二だ。ジュリー格好良かったんだけど、この歌はダサい。今聞くととてつもなくダサい。作詞は阿久悠で、作曲は大野克夫か。大野さんって、ザ・スパイダースの元メンバーだよね。ジャズピアニストでもあり作曲家で、ルパンⅢ世のテーマなんかの作曲をした大野雄二さんとは苗字が同じだけで何の関係もないようだ。大野雄二さんは熱海のホテル大野屋の息子さんですね。日本にたくさんいるジャズの天才の一人だ。
 とにかくジュリーのこの曲なんだが、当時の「ナウ」だらけで、昭和の終盤って、こんな感じだったよね。「うひー」ってヘンな声が出る。1979年だ。あと20年もしたら一周回って新しく聞こえるんだろうか。たぶんそんなことはないだろうな。
愛しのキャリアガール
 もっと凄いのが同年リリースの円広志の「飛んで飛んで」の次に発表した曲。これが文句なくダサい。ヴィデオクリップが残ってないのが残念で、「キャリアガールキャリアガール」って歌いながら腰に両手を当てて上半身を左右に振ってた。これは当時でも恥ずかしくて、これを見たとき、「あ。この人は一発屋で終わるな」と確信した。記憶に間違いがなければ一時期ロキシーミュージックのブライアン・フェリーが着ていたアーミーシャツをマネしたっぽい格好で、これが決定的に似合ってなくて「周りのオトナたちは何やってんだ?」と不思議に思った記憶がある。しっかし、あっというまに言わなくなったよな「キャリアガール」。
←ブライアン・フェリー
 てかヤバくない? こんな話でチョー長いじゃん。天の川にエクステ付けたぐらい長いっしょ。そんなの、おっひさーだし。てか、書いてることもアタマ悪そうでマジヤバいよね。世間はロシアのウクライナ侵攻について、カマでビスでシーじゃん。そーそー。かまびすしいの。でもお気楽だよね、うち。
 まあ、ここで日本語で言っててもしょうがないから、ちょっとだけどウクライナに募金して、あとはロシア政府に「やめてください」ってメールしたらいいと思うの。うちの意見なんて、どこかで誰かが似たようなこと言ってるだろうし。だから直接言ったほうがいい。メールはここ。
 メールしても報復でサイバー攻撃とかないっしょ。イスラエルの時も何もなかったし。もし攻撃されてもマシーンをクリーンインストールすれば良くね?
 募金なんて横領されて使い込まれるだろって? いいじゃん。ちゃんと届くかもしんないし。国連なんて武器商人の手下だから信用できないって? うちはしたもん。簡単にポチれんの。文句ばっか言って何にもしないより、ばかみたいでもすんのよ、うちは。
 んじゃ、うちもう帰るし。よろー。またね。
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