もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

じゃじゃーん!

2024年06月28日 21時49分33秒 | タイ歌謡
All Windows Tada Sound
 ジャジャーン! と表現する効果音ていうのか、何かを披露するときとかサプライズ的な掛け声なんだけどね。あれ英語だとTada(タダー)っていうでしょ。フランス語だと「タラーン(スペルがわからん)」。スペイン語だと「タターン」もしくは「タチャーン」だそうで、少しずつ違うけど、まあ似通ってる。韓国語は日本と似てて「짜잔(ジャジャン)」だ。さすが東アジア。じゃあ中文の普通話はというと「ジャンジャンジャンジャーン」とベートーヴェンの運命のメロディーで言うのが普通で、漢字は「当当当当」って書くんだって。東アジア3兄弟は音が酷似している。
おでかけバカップル Peeping Life Library #01
↑ジャーン! の名作といえばこれ
 じゃあタイも距離は近いから、語感も似てるんじゃないかと思うが、これがもうぜんぜん似てなくてแอ่นแอนแอ้น(アンアンアーン)て言う。カタカナで書くとこれが近いけど、「ア」と「エ」の間の音。発音記号だと英語の「æ」が近い。しかも意味のない単語に声調記号がついてて、どの「アン」も声の高さが違う、「アン(↓)アン(→)アーン(↑)」と、音程がせり上がっていく。
เพลง แอ่น แอน แอ้น
 最初これを聞いたとき、ぜんぜん意味がわからなかった。だって微塵も「じゃじゃーん」感がない。感嘆符も伴ってなくて冷静な感じ。さすがタイだ。ふにゃふにゃしてる。「どうだ!」という賑々しさがない。なんかフンワリしてる。蓮舫の公約「東京全体をもっとよくする」、「見直して、大切な緑を守る」と同じくらいフワッとしてる。たしかおれが聞いた最初の「アンアンアーン」は、うちの奥さんが初めておれのために料理を作ってくれた時だった。料理の名はหมูทอดกระเทียมพริกไทย(ムートーガティヤムプリックタイ)と長いが、これは「ムー(豚)トー(揚げる)ガティヤム(ニンニク)プリックタイ(胡椒)」という、料理名さえ憶えれば同時にレシピもマスターできるという素晴らしいシステムだ。食べやすい大きさに切った豚肉にナンプラー(オイスターソースを混ぜることも)を揉み込んで粗挽き胡椒を塗して、これでもかというニンニクのスライス又は荒みじん切りと共に揚げる、もしくは揚げ焼きにするものだ。料理人によっては肉を溶いた生卵に潜らせて揚げる者もいる。失敗する要素の少ない料理だが、旨い。

 สุกหรือเปล่า(火が通ったかしら)と不安がっていたので、肉塊をひとつ取り上げてパチンと料理ばさみで切った断面を見せると納得していた。おれが喜んで食うものだから幾度となく作ってくれたが、ไข่เจียว(カイチャオ - 溶き卵にナンプラーを混ぜて焼いたオムレツ)を絶賛したときに「คุณพูดอะไรที่ฉันปรุงก็อร่อย(あなたは私が作る料理なら何でも美味しいと言う)」と言って、料理そのものよりも、料理を作ってもらえることを喜んでいるというのがバレてしまい、「อาหารจานง่ายมันโอเคไหม?(簡単な料理で良い?)」と言うようになってしまった。
 さすがに、もう「エンエンエーン」と言いながら料理を出してくれることもなく、そんなことも忘れていたのに、思い出すと少し寂しい。
 こんなことを思い出したのも、さいきんX(旧ツイッター)の投稿で「ベートーヴェンの交響曲第5番」というタイトルの画像を見て「あー……。これは確かに5番だわ」と感心したからだ。じゃじゃじゃじゃーん。

   ↑じゃじゃじゃじゃーん

 料理で思い出したのは、おれが初めておれの奥さんに食べさせた自作料理がビーフシチューだった。なんでそんなものを、と思うだろうが、食べさせたくて作ったんじゃなくて、食べたくて作ったんだ、って話をしたら、「食べてみたい」と言い出して、ちょっと怯んだ。
 だって、シチューだぞ。
 おれの知る西洋文化圏では、あんなものはビンボ人の食い物だってのが常識なのかと思っていたが、シチューにおけるタイのコモンセンスは知らないし、そういえばタイ人ってスープものが好きだな、と。
 いや。それにしても当時の奥さんは、まだ恋人と呼ぶほどの仲ではなく、おれの部屋に来たこともなかった。呼んだことがなかったからね。
 えー……。
 じゃ、食べてみる? 冷蔵庫で冷えてるんだ。だからあとはシェラトンのベーカリーでパン買って、チーズとサラダ。あと肉でも焼くかい? と訊くと、そんなにたくさんは要らないです、と消え入りそうな声で言うので、じゃあパンを買いに行こう、とクルマに乗せて、その帰路にスーパーでチーズと野菜、他に飲み物なんかを買った。
 赤ワインなんかも欲しいところだったけど、おれは運転で奥さんを送り帰すのに飲むわけにいかないし、奥さんは下戸で酒類がダメだ。冷蔵庫で寝かせたシチューを温める間に、ちゃちゃっとオリーブ油・醤油・酢を混ぜてドレッシングを作って、パンを切ってチーズも出した。サラダにはクルトンがなかったんで、クラッカーをバリバリ握って壊した破片を振りかけた。飲み物はおれが炭酸水。奥さんはこのときもオレンジジュースだったな。食事のときにジュース類を飲むタイ人は珍しくないが、だいたい(なんでジュースなんか飲むかな。コドモかよ)と思っていたが、好きな女の人が妖精みたいにジュースを飲んでいると(ジュース。良いじゃないか。これからはジュースだ。うん)と全肯定してしまう。
 まずはサラダを出した。
 これ食べて待っててね。
 こくり、と頷いて葉っぱを食べて、うん、おいしい、と言った。愛想で言っているのかと思ったが、あとになって「あのときのサラダもシチュー(Stewをステューと発音するのがタイ人的には難しかったらしく、スツーに近い発音だった)もおいしかったな」と、なん度も言った。ホントに気に入ったらしい。ドレッシングに砂糖が入らないだけで、こんなに美味しいのかと驚いたそうだ。そうだよな。当時のタイの市販のドレッシングは毒々しい赤だったり、悪甘いという形容がお似合いの甘さで食卓を威嚇していた。今でも甘いけど。
 シチューの皿を出したら、おれが食うのを見て、それを真似して食べた。ひとくち含んで「うん! うん! うん!」と力強く頷いていて、「これはおいしい」を繰り返した。どうも本当に気に入っているように見えたので、「もっと食べる?」と訊いたら、ぱっと明るい表情になって「カー!」と言った。
 食べ終えてすぐ、また食べたい、よかったら作るところも見たいと言い、好きな人がまた部屋に来るのは嬉しいから、「じゃあ次の日曜に?」と提案すると「いいの?」と喜んでいた。嬉しいな。またデートできる。
 そうだ。買い物にも一緒に行こうか。何を使うのかも知りたいでしょ。
 当時のバンコクにも外国人向けのスーパーはあって、日本人向けのもあったが、おれはもっぱら西洋人向けの店に行っていた。良い感じの牛肉もそこで見つけたのだ。
 うちの奥さんは肉を食うのが好きだが、おれと付き合うまえは豚肉がいち番好きだったという。「牛肉は不味いもの」と思っていたから。まあ確かに当時のタイの牛肉といえばタイ人向けに流通しているのは水牛の肉で、あれは正直旨いものではない。だから、おれがビーフシチューを作ったという話を聞いて、(牛肉かあ。でもこの人が食べるのなら美味しいのかな)と興味が湧いたんだそうだ。ニホンジンなのに美味しい店をやたら知ってて、どこに連れて行ってもらっても美味しい。それが高級店ばかりというならまだわかるが、(えー……、こんな古ぼけたショボい店なのォ?)ということもあって、でも美味しい。ある店のビーフシチューが美味しいという評判で行ってみたら、まあ美味しかったけど、なんか納得できなくて引っかかっていたから自分で作りたくなったんじゃないかな、と他人事みたいに説明した憶えがある。
 今思うと、当時のおれの奥さん(そのときは奥さんどころか、まだ恋人でもなかったが)は完全に食欲に釣られてるな。結果的に結婚できたからそれでいいんだけど。おれが安くて旨い店をいっぱい知ってたのは、チュラロンコン大学の学生や教員に訊いたからで、あの学校は当時タイでいち番優秀な学校で、そこに通ってる金持ちそうな子は育ちが良い子が多くて、旨い店を知ってるのだ。チュラ大は、うちの奥さんの母校でもあるんだが、奥さんの実家は質素倹約をモットーとしていたから奥さんは贅沢とは無縁に育った。でも、インテリなのにコミュニケーション障害気味のおばさんが居候して料理の腕は確かだったから、確かな舌は持っていた。
 とはいえ一般的なタイ女性は料理なんかしないから、買い物に誘うと面白がってついてくる。ましてや外国人向けのスーパーだ。タイ人なのに好奇心旺盛なうちの奥さんが喜ばない訳がない。
 日本じゃないからデミグラスソースなんて売ってない。日本製の簡便なシチューのルーを使う発想もなかったし、当時のバンコクでは売ってなかったんじゃないか。ていうかさっきも書いたように最初はシチューなんかを作ろうとは思ってなくて、外国人用のスーパーで牛肉の塊を見て(これは! シチューにしたら旨いんでないかい)と北海道弁で思ったのだった。今度は好きな人に食べさせるのだから、もうちょっとマジメに作ろうかな。とはいえバターで小麦粉を茶色くなるまで炒めてブラウンソースを作るのも面倒くさかったんで、ちょうど良い大きさに切った下味を付けた牛肉に小麦粉をこれでもかというくらいに塗して、茶色く焦げるまでバターで炒めて手抜きをするような代物だ。そんなんでも美味しいと喜んでいた。
 材料も揃って、いざ料理を作った日は、メモを取りながら見ていたが、下拵えを済ませた材料でシチューを煮込むのに2時間煮込むと言ったら「えー……」と絶望していた。いや、面倒だったら1時間でもいいけど、と言ったが「1時間ですか……」と途方に暮れていた。その煮込んでいる間に芋と人参とペコロス(小玉葱)を塩茹でしよう。これはグズグズに煮崩れると美味しくないんだ、と別に茹でていたら、「うーん。わたしには、この料理は難しい」と諦めていた。まあ確かに料理の初心者ですらなく未経験の人が挑む献立ではないかもしれない。
 なん年か経って、日本に住むようになって簡単に作れるビーフシチューのルーを知り、「これで! これで良いじゃないですか!」と喜んでいた。あれからというもの、世界でいち番美味しい料理の一つにビーフシチューが加わっていたのだ。結婚して随分経ってから「あのときビーフシチューを食べたから結婚したかもしれない」と言っていたが、どこまで本当かはわからない。
 あと、そんなだったから当初は牛のステーキも警戒していた。水牛しか食ったことがないから、そりゃ(えー……、あんな素性の悪いものを食べるのですかぁ)みたいに思うんだろう。アイリッシュの店だったかで食べたステーキが気に入っていたようだったが、おれは全然納得いかなかったんで、一緒に買い物にいって肉を選んだら「Flap meat」ってのが売られてて、どう見てもハラミ肉だ。実際はFlap meatってのは牛のカイノミの部位で、確かに味もハラミ(横隔膜)そっくりだから、それでも良かったのだ。当時、そんな部位を買う客は少なかったようで、他の部位よりもバカに安かった。生大蒜を片面に塗って塩胡椒だけで焼いたステーキをワサビを醤油とワインで溶かしてひと煮立ちさせたソースで食べさせると、「こんな美味しいお肉は初めてです」と感動していた。チョロいな。このステーキは相当気に入ったようで、実家の人々にも食べさせてあげたいと、たっての希望で実家で作ったときも、実家の皆様は(えー……、牛肉ですかぁ……)みたいな表情で明らかにイヤがっていたが、ひとくと食べた途端に「旨いな! これは! 旨いぞ!」と大騒ぎになっていた。
 そんなのも、もう30年近くまえのことで、今では水牛の肉なんてイサーン料理用の特殊なメニューでもなきゃ売ってない。
iควาย - ปราง ปรางทิพย์ 【Live】
 前回に引き続き今回も歌手ปราง ปรางทิพย์(プラン・プランティープ)の歌になってしまった。「水牛」というキーワードで出てきた曲で、これはライヴ映像だが、オフィシャルMVは再生回数がおよそ1億回と、ヒットしてる。歌は本当にいいからね。
「iควาย(アイクワーイ)」というタイトルだが、アルファベットのiが頭についたクワーイ(水牛)。アイってのは「ไอ้」と書いて「~ちゃん」みたいに友人の男性なんかに付く接頭語として聞いたことがあるかもしれないが、本来は蔑称。日本人なら遣わない方が良い。「~野郎」みたいな意味が本来で、このタイトル「iควาย」は正しくは「ไอ้ควาย」で、「水牛野郎」だ。「ไอ้หมา(犬野郎)」と双璧をなすタイ語の最強にして最凶の侮蔑語で、意味は水牛野郎がトコトン頭が悪い馬鹿野郎の最上級で、犬野郎は最低のクズ野郎みたいな感じだから、これを言ってしまったら撲殺されても仕方がないというワードだ。憶えない方がいい。
 頭のアイを付けずに言うのもどうかと思う。カタカナでクワイまたはクワーイと書いて日本人が言うと、タイ人の耳には「ちんこ」の意味に聞こえちゃう確率が非常に高い。昔これを知らずにタクシーの運転手さんに「サパーンクワーイ(สะพานควาย)まで行ってちょうだい」と言ったらゲラゲラ笑い出し、そんな所があったら、おれも行ってみてぇな! とハンドルをバンバン叩いていた。カタカナで発音すると「ちんこ橋」って意味になって聞こえちゃう。どんな橋だ。そりゃおれも行ってみたい。いや行きたくないか。

 まあ、この歌のタイトルもアルファベットを遣わずに正しいタイ語で書くと問題しかないから、iで書き換えているんだろう。
 たしかに歌詞を読むと不倫の男を歌ってるから、そりゃ水牛野郎だね。水野晴郎じゃなくて。
 最低な歌だとは思うが、こういうの歌わせるとプランさんはいい。困ったもんだ。
 では歌詞だ。

たとえ命が尽きても 私は死ぬまであなただけを愛する
私はあなたと一緒に居たい
私は触れたくもない 悪い人かもしれないけれど
あなたを 心から愛しているんだ
一度も振り返ったことのない男なんて いるだろうか
この心はあなたのもの 水牛 心から愛を込めて

夫を愛する普通の人 夜は家族と一緒に楽しく座って食事をする
素敵な休日を過ごしてね そう 別れを告げたい 旅行に行きたい
幸せは心の中にある でも新しい服を着なければならない
美しくドレスアップするのは あなたのため

あなたが私のガールフレンドに なってくれると言ったとき 
あなたは 私の腕に電話を置いた
あなたが 私に約束したことを 覚えているだろうか
あなたの目を見つめると 奥が深くて魅力的
いかなる説明も超えて これが真実の愛だね
綺麗な言葉は使わないで
ただ知っておいてほしい 心からあなたを愛していると

 言ってることは純愛っぽいクズ野郎だね。クズの本気って人を騙すよね。マジもんの本気だから。歌手も相変わらず感じ悪いのに巧くて心を打つ。この曲歌わせるんだったら、うってつけだよね。あとバックバンドが巧い。モニタースピーカー使わずに有線イヤホン使ってるんだけど、どんなに高価なブルートゥースのイヤホンでも音が遅れて演奏がメチャクチャになっちゃうから、これはしょうがない。これだけ科学が進歩して、無線のギターケーブルも売ってる(最近のは安くて2000円くらいからある)けど、コンサートで使うのを見たことがないのは、音が遅れるからだ。何言ってんすか、某アイドルバンドはワイヤレスでやってますよ、と言うかもしれんが、そういうのは口パクで演奏も弾いてるフリだ。だから、ただ音楽を聴くだけならブルートゥースのイヤホンは良いものだが、音で反応するゲーム、いわゆる音ゲーなんかは無線イヤホン使うとクリアどころか、まったく得点がないということになるらしい。ゲームやらないからわかんないけど、そりゃ気持ち悪いだろうな、ってのはわかる。

 ところで東京都知事選の暇空茜候補に、岩下の新生姜で有名な岩下食品の社長が共感した旨ツイートをしたら、暇空のアンチ勢が岩下食品の不買運動だけでなく関連取引先企業にまで苦情の電話攻撃などと、あまりに常軌を逸しているので逮捕したほうがいいと思った。それにしても岩下食品は流れ弾的に巻き添え食らってて可哀想なので、スーパーで新生姜でも買ってやるか、と偉そうに売り場に行ったら他の「すが野」って会社の製品しかなくて、(うーん……。だったら寿司用のガリでいいか)と、それを流れ弾的に購入した。岩下の応援になってねぇ。まあ業界に貢献ってことで。
 寿司用の生姜甘酢漬けって、好きなんだ。あれ、タイでも作ってるみたいで、家鴨のローストを頼むと付け合わせで緑色の麺と一緒に希にガリ生姜が出てくることがある。ガリ好きだから家鴨そっちのけで食べてたらなくなっちゃったもんで、店の人にお替わり頼んだら、タイ人優しいから多めに盛ってきてくれる。「これ、どこで売ってるのですか」と店の人に訊いたら「一般には売ってないみたいですね。でもお好きなようなので」って袋にどっさり詰めて内緒で渡してくれたからチップ握らせちゃったよ。
←これは海老雲呑とのセット
 寿司用ガリって業務用の1kg売りなんかだとバカに安くて、スーパーで売ってる100gくらいのパックより少し高いだけだ。おれは嬉しいけど、売り場では1kgのガリ見て「いや……。そんなには……」って途方に暮れてる人がいて、そういえば500gパックってないな。たぶん500gを買うような人は1kg買っちゃうんだろう。寿司屋で「モト取っちゃう」とか言って大量に食っても、ぜったいにモトなんか取れない。さもし過ぎてみっともないだけだ。ガリは好きだが、いっぱい食べてるとなんかヘンな感じだから我慢してる。うちの息子もガリが好きで、家だと我慢することないからふたりでバリバリ食ってたら、それを見たうちの奥さんが「…………」としか表現しようのない顔で黙ってそれを見てる。
「食べる?」って訊いても首を横に振るだけで、他人の嗜好にケチつけないからタイ人って偉いよ。
 それはそうと暇空は言うことはマトモだけど、だから都知事に、って話ではなくて、発言は素晴らしいんだけど、それで当選してみたら何もしないとか、言うこととは裏腹に碌でもないことしかしないなんて奴は幾らでもいた。
 まあ暇空は石丸を落選させたい一心の人だろうから、都知事になるつもりはないんだろう。顔出ししないのは間違って当選したら大変だからのアニメアイコンなのか。石丸のケツモチがドトールの鳥羽さんというのもわからない。それはそれとしてドトールのコーヒーは美味しいよね。ドモると「ドドドトール」になっちゃうんだ。それがどうしたって話だが。
 次回は岩下の社長が都知事に立候補しても芳しくはないだろうな。(ああ、そんなこともありましたね)で終わってるだろうから。でも公約が「都民にガリを」って言うんなら、住所変更して投票してもいいかな。またガリ買いに行こうかな。昨日買ったのなんか、もうとっくに食べちゃったよ。

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