もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

帰って寝た方が良い

2024年06月22日 14時00分09秒 | タイ歌謡
 タイで普通に聞く言い回しだ。遅くまで仕事していたりすると心配してกลับบ้านนอนดีกว่า(カップバーンノーンディークワー)と言われる。意味はタイトルのままだ。カップバーンが帰宅、ノーンが就寝、ディークワーってのは英語で言うbetterだ。タイ語だから主語がなくても問題なく、この場合の隠れた主語は遅くまで仕事をしている人。主語がないから命令形ということではない。英語とは違う。英語だったら「You'd better go home to bed.」とか言うのかな。どうしたって主語や前置詞を引き連れて来る。
 このタイ語を忠実に日本語に直訳すると「帰宅就寝一番」てのがカタコトっぽくて、帰宅してから就寝という言い方のほうがこなれているように思いกลับบ้าน แล้วก็ นอน(カップバーンレオコーノーン - 帰宅して、それから寝る)という表現にするとタイ語が上手いように聞こえるかというと、そんなことない。たしかにそう言っても通じるが、あんまりそうは言わない。
 これが「帰ってご飯食べてシャワー浴びて歯を磨いて寝た方が良い」だとกลับบ้านกินข้าวอาบน้ำแปรงฟันนอนดีกว่าとなり、直訳だと「帰宅食事沐浴歯磨就寝一番」という言い方で、助詞も前置詞もない。ないったらない。英語だってこれだけ羅列したら単語の間にはコンマ(,)が入って最後の単語間には&が入る。ところがタイ語だと男らしく隙間なく単語を並べて「てにをは」などの助詞の助けなど求めない。これがあたりまえなのだ。だけど日本人も、こういう日本語にもない言い回しに戸惑い、(ひょっとしてタイ語ってアタマ悪いのかな?)と思ってしまう。動詞の羅列(しかも時系列)だが、名詞の羅列と考えてもいい。
 日本人が普通に遣うタイ語ではないかもしれない。タイ人と暮らしていれば遣わないけど聞くって言い回しかな。映画なんか観たあとで外食後にกลับบ้านเถอะ(帰って寝ましょ)と言われたら、そうだね、と答えるみたいに、自分からは言わないけども普通に聞く感じ。

 ところで。何かの感想を求められて、その対象がつまらなく、大したことのないものだった場合など、タイ人にこれを言うとウケる。たとえば映画を観たあとで、「どうだった?」みたいに訊かれたとき、กลับบ้านกินข้าวนอนดีกว่า(帰って飯食って寝た方が良い)と答えると、間違いなくウケる。要は「時間の無駄だったね」みたいなニュアンスなんだけど、捻った言い方が上手いタイ人にもない発想らしく、不意を突かれたみたいに一瞬キョトンとしてすぐに弾けたように笑う。外食で料理が思ったほど旨くなかったときに言ってもいい。
 なんかこれに似たような似てないような話があったような気がして記憶を手繰り寄せたら「宿屋の富」の噺だった。富豪のフリをした文無しが、なけなしの有り金はたいて富くじを買わされて、暇つぶしに結果を見に湯島天神の境内に行ったら思った以上の人だかりで、その全員がくじを当てる気でいる。一等が当たったらニワカ金持ちだから花魁呼んで、あんなことして、こんなこともして、と微に入り細に入り妄想を膨らませて語る野次馬に「へえー。で、外れたらどうすんだ」って訊いたら、「そんときゃ、うどん食って寝ちゃう」という答えが近いといえば近い。
 この噺、上方では「高津の富」という演目で、江戸前で「うどん食って寝ちゃう」の、うどんのがっかり・モッタリさは上方では何で表しているのかと思ってググったら、上方落語でも「うどん」だった。なんだ。そのまんまか。オリジナルが上方落語のパターンかな。
 これは有名な演目のひとつで、一等の当たりくじ番号は誰が演じても「子(ね)の千三百六十五番」と決まっている。江戸前でも上方でも同じ。違う番号にしても話の筋に影響などないが、ここまで知られた番号を変えてみても面白くなるわけでもないからそのままだ。
 帰って寝る、というのは日本語だと「帰って寝やがれ」みたいに追い返すときに言うセリフくらいか。お呼びじゃない、っていう。自発的にはあんまり言わないかもしれない。聞いたことがあるのは北関東訛りで「帰って寝っぺ」または「帰って寝っちゃう」か。北関東訛りは時々思いがけない所に促音をはさんでくる。

 帰れと呼びかけるものは、目的地が釜山港だったりリレントだったり、相手だとグスマンや恋人に言ったりするのが有名だけれど、タイ歌謡だと概ね田舎に帰ってこいと呼びかけるものが殆どではないか。田舎者は都会に出稼ぎに出るというのが昔ながらのライフスタイルだからだろうか。
กลับบ้าน - ปราง ปรางทิพย์ ft.YoYo 【Official MV】
 กลับบ้าน(帰宅)という歌だが、帰郷という意味合いのほうが強いかな。紛う方なきルクトゥンなのに、アレンジが今ふうでダサいところがない。歌も巧いし、言うことないんだが、再生回数が1000万台と、ヒットはしてるが思いの外少ない。とても有名な歌手なのにね。
 まずは歌詞を見てみよう。

家に帰って 家の床で休みたい
都会での滞在 孤独は決して消えない
遠い故郷の地に 戻って休みたい
実家の人と 同じ温もりの中 心を休めたい

遙かに遠い旅だった 心は夢を追って
希望は力 苦労を乗り越えるため 毎日がんばった
遠いこの街で 私の心は疲れ果てた あとどれくらい続くのか
思い描いた夢 いつ実現するのか

穏やかな涼しい風 流れる水
いつになったら そこを歩けるのか
まるで誰かが ささやいているようだ どんなときに落胆し 弱さを感じるのか
まだ余裕のあるうちに 歩いて戻ろうか

子供の頃に考えた ともだちは水に浮かんで遊んでいた
見送ってくれた 父 母 祖父母 みんなの故郷を忘れることはない
ピン(イサーン地方の民族楽器)の音みたいに 大声で教えて
古い土の匂いが まだ残っている
祖父母からの教え 水田の人々
この街は 本当に疲れる わたしはどうなるのか 文句ばかり言いたくなる
見上げれば 空は花で満たされ 故郷に戻って来られる
トゥン ルン トゥン レン ホーン レン トゥンピンの音 缶の音 二胡の音
柔らかく 柔らかく 柔らかく わたしは父と母のことを思う

 悪くはないが望郷の思いが何の捻りも工夫もなく正直に並んでいる。
 この歌手が巧いのはあたりまえで、10年くらいまえにオーディション番組をぶっちぎりで勝ち上がって人気が沸騰した。コテコテの古いルクトゥンをロックふうにアレンジしてタイ国民の度肝を抜いたのだ。このコンテストを優勝したあとで、他のコンテスト番組は、こぞって彼女を出禁にした。「歌が上手すぎて優勝するに決まってるから」と。当時、彗星のように現れて人気が爆発していたから視聴率は取れるだろうが、他の番組の後追いになってしまうのを嫌ったもので、日本だったら出禁なんかにしないで便乗・消費して凋落に拍車をかけるところか。タイのTV局はそういうことはしない。倫理的にどうの、ってことじゃなくて優勝→デビュー→レーベルや事務所との契約の利権に、後追いだと食い込めないからだろう。どっちが良いって話ではないね。
 この歌手ปราง ปรางทิพย์(プラン・プランティープ)は歌だけに生きてきたような人で、歌い始めは2歳。初めての歌のコンテスト出場は7歳のとき。その賞品は鉛筆とノートだった。それからというものチェンライのビッグC(タイの大型スーパー商業施設チェーン)で開催される歌謡コンテスト荒らしとして、集めた優勝トロフィーはあと少しで100というところで全国区デビューを果たし、そこで止まった。
 生まれと育ちはチェンライというが、チェンライの北端の方で、ビルマとの国境の町メサイの近く。父親は国境の税関で密輸品の摘発の下働きをしていたというから、おれもすれ違ったことがあるかもしれない。ただ正規職員にはなれなかったので生活は豊かではなく、のちに警備員になった。警備員よりも儲からないんでは、そりゃ貧乏だ。母親は英語が上手いというから、密輸でもしていたのか。いや、わからないが。
 成人したころに歌謡コンテスト番組で一躍有名になるんだが、このときは当然整形もしてないので、よくいる田舎の娘顔だ。
The Voice Thailand - ปราง ปรางทิพย์ - สาวนาสั่งแฟน - 7 Sep 2014
 この歌は今までなん度も紹介してるけど、ロックアレンジってのは新しい。ただ、都会に出稼ぎに行った恋人に、・元気か、・カネを送ってくれ、・都会の美人によろめくな、みたいな主張しかない、口を開けて待ってるだけの田舎の女をロックで歌って、根本が違うものをぶつけ合ってもアウフヘーベンにならないこともあるよね、って見本だ。
 このときから歌も巧いが態度がデカい。アタマの良い喋り方ではないので、もしや、と思っていたら想像を上回る速さで増長、整形を繰り返し、今では見る影もない。でも歌はいい。
 歌はいいが、生意気なので人気は凋落。本人もそれは理解しているが、猫を被って大人しく振る舞うより、勝手にさせてくれ、って感じらしい。清々しいね。
 私生活ではゴシック趣味(日本のゴスロリからカワイイ要素を排除した感じの)で、猫の奴隷だと言い切ってる。一時は10頭くらいの猫と暮らしていたという。今は数頭。いち番大事な猫の名はโมอาน่า(モアナ)といって、モアナにはファンクラブまであった。ニンゲンのためには生きるつもりがないようだ。
 ニンゲン、で思い出したが、皇居方面にお住まいの愛子親王の飼い猫の名が「ニンゲン」だったのは有名だが、これが死んだのち、犬に「ニンゲン」の名が与えられ、その「ニンゲン」も死んだあとで、また別の猫に「ニンゲン」の襲名があったそうで、おれの父方の祖父が育てていた猫の名が代々すべて「マメ」だったって話みたいで面白かった。ただ、うちの爺様の「どうせ名前だし」という理由ではなく、愛子親王のは別の闇がありそうで味わい深い。

 それと都知事選だけどね。「こいつはダメだ」「こいつもダメだ」の消去法だと「えー……、小池しか残らないのか……」っていうふうになっちゃうのか。今のところマトモなこと言ってるのは暇空茜だけ、というラインナップで、暇空が知事になっても顔出しNGで、視線確保の穴開けた段ボールに入って執務してたら面白いけど、そんな奴は普通選ばれない。
「ほぼ裸ポスター」は笑っちゃったけど、子供も通る往来にそんなものを貼り出してはイカンに決まってて、裸でいて問題ないのは風呂場とか締め切った自宅とかで、これは場所を間違えてるから叱られる。「表現の自由」って言えば何でも通ると思ったら大間違いだぞ。と、たまにはマトモなジジイっぽいことが言えて嬉しい。

 あ。あとね「げんろーはく」。
「げんろーはく」は凄い。といっても何のことだかわからんだろうが、「原(げん)ロー(ろー)博(はく)」って打ち込んでグーグルで検索したら、政治家の「原口一博(はらぐちかずひろ)」で検索結果出してきてグーグル先生すげえ! 凄いけど、まちがってんじゃねぇぞ、と思った。
 そんなふうにググったのは、原口一博の老けっぷりに驚いたからだ。このひと、おれと同い年なんだぞ。昔会ったときは腹話術の人形みたいだったのに、いつの間にか石炭液化で石油を搾り取ったあとの脱色された石炭みたいになってた。何があった。いらん苦労でもしたのか。と思ったら悪性リンパ腫でウイッグを脱いだ姿だったのか。それにしちゃ元気そうで、お大事に、と言うよりない。早く良くなってね。もうおれのことなど憶えてないだろうけれど。

 でもね。「×(バツ)BO(ボ)×(バツ)」って打って「XBOX(エックスボックス)」の検索結果が出てくるか試してみたら、こっちはそうならずに「バイナリーオプション」についてがトップだった。ははーん。さては記号がダメなんだな、と「原(げん)ロ(ろ)―(ハイフン)博(はく)」と打ち込んで検索したら、こっちはやっぱり「原口一博」で結果出してきて、どうなってんだ。こっちは原ロー博のことなんか知りたくないのだ。グーグルのばかやろう。もっとだ。もっと記号を増やして「原(げん)□(しかく)―(ハイフン)博(はく)で検索してみたら、やっとトップがラーメン屋のインスタグラムになった。
 うーむ。
 今朝も目が覚めたら64歳なのだった。「原□ー博」と打ち込むのに「えーと……、し・か・く、と」なんて文字変換してる場合なのか。普通の64歳は、そんなことやってないし、それでトップに出てきたインスタを見て「へえ。福岡の豚骨ラーメンかぁ」なんて感心したりしてない。
 ていうか、興味ないんならググんなよって話だよね。原ロー博さん、ごめんなさい。これは、げんろーはく、って打ち込んでて、げんろーはくさんへの謝罪だ。もし、そういう名前で存在したのなら謝ります。原口一博(はらぐちかずひろ)は公人だから謝らないけど、げんろーはくさんは実在したら多分一般人だろうから、プライバシーの侵害的なもので。ごめん。
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