もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

12,000面の棚田

2024年08月09日 12時35分08秒 | タイ歌謡
 北海道弁と津軽弁に共通する「ぱりごりん」という方言があって、北海道弁だと「あの人だら、ぱりごりんだもね」というふうに遣う。津軽弁だったら「あんふとだば、ぱりごりんだべぉん」になる。何を言っているのかというと、どちらの方言でも「あの人は、パリのオリンピックでしょう」という意味になる。今思ったが、ひょっとしたら「ぱりごりん」は方言ではなく、標準語でも言うのかもしれない。
横須賀昌美 恋のマグニチュード
 それにしても。「恋のマグニチュード」だ。
 なに言ってんすか。としか言いようのないタイトルで南海トラフ関連の連想で、そんなタイトルの昭和歌謡がありそうだ、と思ってググったら、ホントにあって驚いたので思わず紹介した。横須賀昌美だって。いたな。いたいた。昌美と書いて「よしみ」って読むんだってのは43年後の今になって知った。このタイトル、令和のコンプライアンスではダメだと思う。放送自粛されそう。いや。放送どころか発表のまえから不謹慎だ、って理由でボツになりそう。じっさい東日本大震災後、サザンの桑田佳祐は大ヒット曲「TSUNAMI」をライブで歌っていない。テレビやラジオでも流れることは少ないように思う。おれは桑田くんの歌が嫌いだから、それで構わないけれども、好きな人は残念だろうな。
 この歌曲じたいは昭和歌謡のパロディーみたいで感心したんだが、昭和歌謡の「これ入れときゃナウい」って要素が欲張りに詰め込まれてる。「ナウい」が死語どころか現役だった頃だもん。「なんクリ」手法なのか、ドライブ、テニスコート、マニキュア、ペディキュア、サンダル、フィーリングときて春のスキャンダルと、サンダルと韻を踏んで、ダメ押しにマグニチュード、エチュードと惜しげもなく韻を踏み散らかす。伴奏はギタートリオにキーボードの4人編成で、80年代初頭というと贅沢にストリングスを載せた「リッチなサウンド」が流行りだした頃だが、あれはカネがかかるから涙を飲んだのか。代わりにベースラインが当時流行ったロッド・ステュアートのDa Ya Think I'm Sexy? みたいなズンダダズンダダってルートと5度の音がアタマ悪そうでたまらない。こんな曲あったっけ? と思ったが、曲も知らなきゃこのあとで横須賀昌美がスキャンダルで消えてしまったのも、まるで記憶になかった。そうか。1981年といえば、おれは無駄にアクティヴな放浪を始めた頃だから、この辺りから世情に疎いのか。「わたし石川ひとみじゃありません!」と倉田まり子が言ってたってのは知ってる。この知識も役に立ったことがないので、ここでお裾分けしておきたいが、この頃のわりと有名な事柄を知らなかったりする。それで困ったこともないけれど。

 世情に疎いということなら、1996年のアトランタ・オリンピックのとき、おれはタイにいたので、この大会については全く知らない。モハメド・アリの聖火のことも、テロ事件のことも後で知った。当時、タイでオリンピックに興味のあるタイ人など四捨五入しなくても皆無で、タイのテレビも新聞もほとんど報道しなかった。してもボクシングでメダルを獲得というニュースに、タイ国民は「オリンピック? なにそれ」って感じか。2004年のアテネ大会でメダル総数8個になったときに、やっとオリンピックの知名度が上がったが、ボクシングなどのタイ人選手が出場する競技以外の種目になると全く興味がないから、他の種目の放送はしなかった。
 ちょうどオリンピック後に日系デパートの子供を遊ばせるエリアで、30代くらいのタイ人のお父さんが息子を「เหรียญทอง(リアントーン)」と呼んでいて、うちの奥さんが「聞いた? 今の」と、くつくつ笑いながらおれの袖を引いた。「リアントーンだって。子供の名前が」
 うん。
「変わってるわねぇ」
 そうなの? タイ人のつける渾名って、変なの多いでしょ。
「いや。リアントーンは、ない。面白いです」
 ふうん。オリンピックの方?
「ใช่สิ(そうに決まってる)」

 なるほど。เหรียญทอง(リアントーン)ってのは、「金貨」って意味と「金メダル」って意味があって、大昔と違って金貨は流通してないから金メダルってことなんだろう。渾名だと書いたが、これは多分そうじゃないかと思っただけで、ひょっとしたら本名かもしれない。本名でも妙ちきりんな名前というのはあって、うちの奥さんも息子のタイの名前を最初は「แสงตะวัน(センタワン)」にすると言っていて、「え……」と、おれが困惑すると「え? ヘン?」と、実家に電話をして「それは考え直した方が……」と言われて却下したいきさつがある。センタワンってのは「日光」「太陽光線」のことだ。まあ何となく気持ちはわかる。
 最近、息子に「おかあさんは最初きみにセンタワンって名前をつけようとしたんだぞ」とこっそり経緯を教えたら、「うーん……。それは困った顔を見せてくれてありがとう」と礼を言われた。イヤだったのか。ちなみに今の名前は気に入っているそうで、それは良かった。

 アトランタオリンピックの1996年は、まだインターネットが普及するまえのことだったから日本語新聞か英字新聞で知るくらいしか手立てがなかったが、日本にいたって興味が薄いんだから、タイで知ろうという努力をするわけがない。ちょうどオリンピックが始まった頃にインドネシアのジャカルタの暴動がエラい騒ぎで、たくさんの在インドネシア邦人がタイに避難しに来ていて、もっぱら興味はそっちの方だった。避難してきた邦人が気の毒で「たいへんですね」みたいなことを言うと、彼らは口々に「いやあ。タイって物価が安いですねぇ」とか、「のどかで、昔のジャカルタみたい」とか、何か小馬鹿にしたような言い方だったんで、「ああ、そうですか」とにこやかに答えながら(暴動、あと10年続けば良いのに)と思ってしまったのを思い出した。
 まだ20世紀だったころ、ニューヨークで「日本人ですか?」と訊いてきた御婦人がいたので、「はい。あなたも?」と答えると、「あ。いいえ。ウチは駐在で……」と返事されて、(ははあ……。あたしは、あんたなんかみたいな観光客じゃなくて駐在の奥様なのよ! 一緒にしないでよね! と言ってるわけか……)と呆れるよりも笑っちまったのに比べりゃまだ良いのかもしれない。「日本人」の上に「駐在」というヒエラルキーがあったとは。
 時は流れて、バンコクに幾つかあった老舗日系デパートも姿を消し、今は街外れの川沿いにタカシマヤが一軒あるのみで、タイ人が日本に憧れるってこともなくなった。日本に出稼ぎなんてことも必要がなくなり、逆に日本人がタイに出稼ぎに行くようになってる。いいことなのかはわからない。タイにとっては悪いことではない。

 オリンピックで、おれがうっすら憶えてるのはメキシコオリンピックの三宅兄弟くらいで、1968年の大会だから、おれが9歳か。そりゃ憶えてねぇわ。三宅兄弟を見て「世の中にはこんな仕事もあるのか」と思っていた。あれは仕事じゃねぇぞ、とわかったのは後年だ。
 わりと良く憶えてるのが次の1972年のミュンヘン・オリンピックと札幌だ。札幌はスピードスケート競技を見に行って、寒かったことしか憶えてない。ミュンヘンはパレスチナの武装組織の立てこもりがあって、(オリンピックって大変なんだな……)と思ったこと以外は体操のツカハラや、バレボールの猫田、あとは水泳の田口なんかを憶えてるが、田口選手が足にバケツを括り付けて抵抗を増やして練習したというエピソードは嘘くさいなと今になって思い、いろいろググってみたが、そんな話はどこにもなく、漫画か何かの話と混同したのだろうか。
 あ! ということはキックの鬼こと沢村忠がプールに重油を満たして、その中でパンチやキックの練習をした、って話も眉唾だな、とこれもググったが、そんな話はどこにもない。たしか小学生の時に読んだ漫画「キックの鬼」の序盤に出てきたエピソードだと記憶している(最初の数話しか読んでない)が、普通に考えてそんなのプールの持ち主が重油なんて入れさせないだろうし、重油なんかより水の中でパンチを繰り出したほうが抵抗が強いような気もする。まあ梶原一騎の原作だからなぁ。
 ジャイアント馬場さんが脳天唐竹割りを考案したときに、それを相談された力道山が「ばかもの! そんなことをしたら相手は死んでしまうぞ」と言ったのも嘘なんだろうな。
 ということは、あの有名な「鶴田君。それはウドンじゃなくてボクの指だよ」と馬場さんがジャンボ鶴田に言ったってのも嘘なんだろうか。嘘なんだろうな。
เพลงเทพธิดาดอย l แนน สาธิดา l คุณพระช่วยสำแดงสดเพลงดังหนังละคร
 これはまえに中国語で歌ったもの(中文タイトル:愿嫁汉家郎)を紹介したことがあるんだが、タイ語のタイトルはเทพธิดาดอย(テーピーダドーイ)といって「山の女神」みたいな意味だ。中文タイトルの「中国人の家に嫁入りしたい」みたいなのとは意味が違うね。タイトル中の「汉(はん)」という字は中国を指す古語。汉と書くからわかり難いが、繁体だと「漢」だ。これなら納得。
 歌の内容は苗族の娘がタイ人の男に嫁ぎたいというところが違ってるが、他はほぼ同じ内容。中国語のオリジナル歌詞を相手だけ変えて翻訳した感じ。苗族ってのは、タイ語だとかつてメオ族と呼ばれていた民だ。メオってのは「猫」のこと。中国語だと「犭(けものへん)」が取れて苗族。稲作と共に逃げた民だから「苗族」でDTA(だいたい合ってる)。昨今のポリコレで、メオ族と言ってはいかん、「モン族」と言いなさい、ということになってるが、古い歌詞だから、そのままメオ族と歌ってる。まえにも書いたけれど、タイ族ってのが、そもそも2000年くらいまえは楚人をはじめとする長江(揚子江)流域の民で、それが漢人などに追いやられて西へ西へと逃げた。千年以上かけて雲南省まで追い詰められたわけで、その雲南省観光ポイントのひとつが西双版納(シーサンパンナ)の棚田だね。これは雲南省の傣族(たいぞく)の言葉で、言語はタイ語と非常に近く、通訳なしでタイ人と会話が成立する。そりゃそうだ。この傣族が600年くらいかけて南下したのが今のタイ人だからね。そんなもんで、先の西双版納(シーサンパンナ)ってのも、タイ語のสิบสองปันนา(シップソンパンナー)の音訳で、意味は「1万2千面の田圃」だ。棚田だから多いんだよ。MVのイントロで踊り子が山岳民族の衣装で着飾って出てくるけど、これはメオ族だけじゃなくてアカ族、リス族、ヤオ族、カレン族ぽいのもいる。あの辺の山岳民族は言葉も違うし、文字もなくてアルファベットを流用したりしてて、タイ人にとってもエキゾチックだったりする。とはいえ、この人たちも出自は長江流域だったりして、まあ遠い親戚みたいなものか。
 この長江流域から西へ逃げずに東へ東へと舟で逃げた者達もいて、その一部は日本に辿り着いて稲作を伝えている。種籾のDNAを調べると、朝鮮半島からきたものではないと証明されている。長江が起源なんだよ。
 稲作ということなら「チンリン・ホワイ線」ってのがあって、この線から北が小麦文化圏、南がコメ文化圏ということで、この線を東に延長すると日本は小麦文化圏になりそうなもんなんだが、この区切りは年間降水量1000mmの等量線であって、緯度は関係ない。日本の平均年間降水量は1700mm超えだから、文句なしにコメ文化圏なのだった。

 50年くらいまえに日本を席巻した「照葉樹林文化論」ってのがあって、西日本、台湾、華南はいいとして、ブータンやヒマラヤまで広範囲に及ぶ文化圏だという学説だった。今となっては「あー……。ありましたね、そういうの……」という扱いだが、発祥がニジェール川流域だとかアフリカのサバンナじゃね? あたりがインチキ臭くて結局キワモノ扱いだが、「絹(養蚕)、焼畑農業、陸稲の栽培、モチ食、麹酒、納豆など発酵食品の利用、鵜飼い、漆器製作、歌垣、お歯黒、入れ墨、家屋の構造、服飾などが照葉樹林文化圏の特徴」とされ、日本とタイ族・苗族には共通点が多すぎる。どっちも結界として鳥居を建てる。苗族の鳥居には作り物の鳥が留まってるんだが、古代日本の鳥居にも鳥が留まっていたというから、そこまで同じなのかと呆れた。まあタイ族・苗族と日本人(弥生人)のルーツが長江流域の民なんだから、あたりまえか。
 小麦食が伝わったのも弥生時代に渡来人が持ち込んだというから、コメと似たような経緯だろう。芋食の文化はマレー辺りが本場だし、海洋の民と結びつきが強い印象だから、石器時代辺りかな、と思っていたが、やはり原始マレー族が里芋の類を縄文時代には伝えていたようだ。サツマイモが琉球と薩摩に伝わったのが16世紀だそうで、これは意外と遅かった。ジャガイモの伝来はコロンバスの米大陸発見のあとだから、日本に来たのは17世紀だ。古名「じゃがたら」は経由地ジャカルタから来たからなんだって。
 コメが伝わるまえは、雑穀やドングリ、肉、魚、虫、新しくて里芋って感じか。ヒトが増えないわけだ。だから稲作の伝来ってのは、明治維新や太平洋戦争の敗戦後どころじゃないパラダイムシフトだよね。縄文人にとっては。「えっ! 定住できるんすか!」みたいな。弥生人には、それまでのライフスタイルを島国の新天地で展開しただけなんだろうが。
 まあ、そんなわけで稲作の技術は長江流域からチンリン・ホワイ線まで広がったばかりか、それを糧に西へ逃れた民が雲南省辺りまで辿り着き、「愿嫁汉家郎」という歌を生み出し、それが南下して、この歌になって生きている。タイだけではなく、ラオスや越南、ビルマでも、その国の言語で歌われている。ちょっと無駄にスケールの大きな歌なのだ。
 で、歌詞だ。まえに紹介した中国語の歌詞と似ているね。

緑豊かな森の蔓
大きな木に巻きつく籐 捻れながら
澄んだ水の中 魚の群れが泳ぐ
流れの中を 循環する
美しい丘 いち面の花
あらゆる石に 花が咲き
綺麗な頬の 苗族の娘
タイ人男性のために 身も心も尽くす

顔は白く滑らかで、傷ひとつない
緑色の服を着て 
空を照らし 明るく輝く月のように
火のように 太陽の光で熱く
愛を紡ぐ
お嬢さん そうは思いませんか
ひとりの男性を愛すること
息をするたびに しっかりと大地を踏んで
でもあなたが望む 若いタイの男性は
心から あなたを愛する

愛の力
真実を見せる 偉大な愛
すべてを支配する力
二人の人生を結びつける 魔法の言葉
苗族と タイ人青年の 心は爽やか
揺るぎない愛
かつての人間関係を忘れて
夜を忘れ 昼を忘れ 時間も忘れる

 あと、照葉樹林文化論とは全く関係ないと思うが、タイにも「レバニラ炒め」がある。กุยช่ายผัดตับ(グイチャーイパットタップ)っていうんだけどね。直訳だと「ニラ炒めレバー」って感じ。見た目は日本のと変わらないが、細かいことを言えば日本のが調味料に「オイスターソースと醤油」を使うところが、醤油がナンプラーに置き換わること、それから多くのタイ料理がそうであるように、レバーを炒めるまえに下味をつけるということをしない。あと、最大の違いが、日本で使うニラが、厳密に言えば「葉ニラ」だが、ほとんどのタイのレバニラ炒めは「花ニラ」を使う。花ニラのほうが刺激臭が少なく、味も甘味が多くて上品な野菜だ。
 日本でもさいきん花ニラは見かけるが、あれは寒い時期にはないし、日本人はレバーの臭みをイヤがるから臭いのきつい葉ニラで消そうとするのか。最後にタイのは少量ではあるが必ず砂糖が入る。

 おれが作るときはレバーの下味を欠かさないし、できあがりに火を消してから少し、香り付けにごま油を回しかけてサッと混ぜるから、「これ絶対おカネ取れるよ!」と褒められる。日本の標準的なレシピなのに。
 動画はレック先生の実演。レック先生はタイ語の発音が綺麗で聞き取りやすい。包丁の使い方がグニグニ往復させたりしてて、なんか下手くそっぽいのは刃物の切れ味が悪いんだろうし、タイの料理人なんてこんな感じが普通だ。当たり前にテフロン加工の炒め鍋使うしターナー(フライ返し)で混ぜる。テレビの料理番組でも炒め物で中華鍋を煽ったりすることがないのは、そんなことしたらシロウトが気後れしちゃうからなのか、それとも上手い人は料理に忙しいからテレビになんか出ないのか、この辺は不明だ。とりあえずおれがタイの家で炒め物で中華鍋をくるくる煽って炒めてると、嫁の実家の人たちがいるときは寄って来て「おおー!」って拍手してくれる。リンゴの皮を剥く時よりも盛り上がる。
กุยช่ายผัดตับหมู

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