尾籠な話、というと大体「申し訳ない」と続く。末筆ながらと言うと決まって、ご多幸やご健勝をお祈りしちゃうのがセットなのと同じだ。天空の楽園の弥栄を言祝いだりはしない。それは末筆ではなくマチュピチュだからだ。尾籠な話は常に申し訳なさと肩を組んで出現する。尾籠な話に感心して、心の支えになりました、というようなことは、まずない。我が家の家訓にします、ということもない。 以下、尾籠な話である、というのを英 . . . 本文を読む
イマドキの若い人でも言うんだね。ビックリした。 もうオリジナルの「恥ずかしながら生きながらえておりましたぁ」なんてセリフも知らないだろう。札幌オリンピックの年だからね。50年まえだ。おれが小学6年生のとき。 こんなセリフを若者が言うのは、たぶん親が言うのを聞いて憶えたものか。考えてみれば「よっこいしょ」ってのも意味がわからない。ググったら英語ではheave-hoと言うと書いてあって、ああそうだっ . . . 本文を読む
ちょっとモダンジャズに詳しい人なら知っているのが、テオ・マセロという人で、マイルズ・デヴィスのプロデューサーとして有名だ。元々はテナー・サックス吹きで、マイルズだけじゃなくてモンクやミンガスといった大物とも共演していて、自身も「プロデューサーと言われることが多いけど、おれは作・編曲家が本業だと思ってる」と語っていたらしい。有名な曲はないけれど、本気で作ったのは無調の曲が多く、チャールス・ミンガス . . . 本文を読む
こないだの大震災よりもまえのことで、おれが50歳になったかならないかくらいのことだ。若い男に結婚に至る馴れ初めを訊かれたことがあった。この話に震災は関係ない。いや、少しある。でも東日本大震災とは、まったく関係のない話だ。 50かそこらというと、大病を患うまえで、まだ、若かったようなつもりでいた。初老とでもいうのかな、と思ったらほんらい初老ってのは齢40歳を指して言ったもののようだ。昔は寿命が短か . . . 本文を読む