もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

2BR02B

2022年02月27日 13時13分00秒 | タイ歌謡
 役場に行ったとき気がついたのは「マイナポイント」のポスターが、あちこちに貼られていたことで、「マイナ? なんだそれ」と考えた。てっきりマイナスポイントとか、マイナーポイントとか、そういう事なんだと早合点してイヤな気持ちになった。そうやって否定的な単語で国民を脅すんだよな、この国は。なんかもっと上手くやれよ。そう思っていたんだが、こないだ細かい説明を読んで「え。そうなの」と気持ちを改めた。
 マイナって、マイナンバーカードのことかよ。
 なんでそこで切った。なんて略し方だ。いや百歩譲ってマイナで良いとする。だがそうすると、「ンバーカード」が残る。何だそりゃ。残った音が不憫でしょうがない。「マイナン」でどうだ。わかりづらいな。じゃ「マイナンバーカー」だな。ちゃんと略してるし。ミスタードーナツをミスタードーナと略すようなものだ。いや、ミスタードの方がいいか。マスタードみたいなものになってしまうけれども。マスタード由実。松任谷由実の洒落だ。文句あるか、って喧嘩腰になってはいかん。マイナだった。マイナ。津軽弁の「まいね(ダメ)」の命令形ってことでどうか。それも違うな。どうか、じゃねぇわ。何かの間違いで「あー。まいねの命令形ね。うん。いいんじゃないですか、それで」ってここで決まっても、何の効力もない。そもそも「まいね」は形容動詞で、未然・連用・終始・連帯・仮定の形はあっても命令形は、ない。つうかマイナンバーのことだって最初から言っていたのだった。
 おれならマイナンバーカードの頭と最後を取って「マド」で良いじゃないかと思う。司会者なら「しゃ」。ずんだ餅なら「ずち」だ。なんかカッコいい。ただ、この方式だと前頭三枚目でも前頭十二枚目でも「まめ」になってしまい、区別がつかないのが玉に瑕だ。それに司会者なら「しゃ」と書いたが、ふつうの人なら「しゃ」と言えば「衆議院議員宿舎」か「首席ヴァイオリン奏者」を思い浮かべるだろうから、ややこしいのも否めない。
 そんな益体もないことを考えていると楽しくて、こんなふうに齢を重ねてまいりました。

 ところで、まえに買い物に行ったとき、うちの奥さんがマーガリンを見て「マージェリン」って言ったところ、通り掛かりの知らない人に「ぷぷっ。マージェリンだって」と蔑まれたんだが、マーガリンの事をタイ語でそう言うのかといえば、言わない。「เนยเทียม(ネイティヤム)」って言う。じゃあマージェリンて何だよ、とお思いかもしれないが、これは英語発音だ。英語ではmargarineと書いてマージェリンと発音する。うちではマージェリンって言うのだ。たぶん最初にうちの奥さんが「タイ語で言っても、この人ばかだから通じないかも」と思ったのか英語で言ったのが始まりだ。こういう間違いはあることで、まえに香港だったかの免税店でエルメスの鞄を日本人に見せながら店員さんが「ハーメス」って言ったら、心底馬鹿にした顔で「あのね、これはエルメスって発音するの。エ・ル・メ・ス。わかる?」って言い放っていた初老の御婦人がいて、おれが恥ずかしくて居たたまれなくなったことがある。ご存じだろうが、英語圏の国では、あれはエルメスなどと言わずにハーメスって言う。片言なりにも免税店では英語で話していたんだから、そりゃハーメスと言うのが正しい。フランス語での会話ならエルメスだけど、Rの発音が難しい。おれの発音だと喉チンコを盛大に震わせて、うがいしているような発音になってしまい、それは田舎者の発音だって言うのね。だからフランス語は嫌いだ。
 まあ、知らなきゃ日本で言う発音の慣習に従ってしまうよね。ずいぶんまえの事だが、ローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世が亡くなったとき、タイのニュースで「ジョン・ポーン・ティー・ソーン」って言ってて、まったく誰のことかわからずCNNのチャンネルに変えたら「ジョン・ポール・セカンド」って言ってる。数秒わからなかった。あー! ヨハネ・パウロ2世か! と納得した。ヨハネ・パウロは英語圏だとジョン・ポールだわな、ってこともあった。
 まえにタイ語で「酸素」は「オキシジェン」と言って、そりゃ英語じゃねえか、って話を書いたことがあったが、タイ語に英語からの外来語は多くて摂氏は「セルシアス」だ。英語と一緒。日本語では命名者がミスター・セルシアスだから「セ氏」。「摂氏」は中国語から来てるんだろうか。だって「カ氏」は「華氏」と書くんだがこれは「華氏」を英語で「フェアレンハイト」と言って、オランダで活躍したドイツ人物理学者のガブリエル・ファーレンハイトから来ている。ファーレンハイトだから「ファー氏」。それを中国語表記で「華氏」にしたのは明白で、中国の通信機器製造会社の「ファーウェイ」は中国語で略称「華為」と書くように「華」と書いて「ファー」と読む。
 まあ、margarineをマーガリンとローマ字読みしてしまうのは、わかる。     
 energyをエネルギーと読んじゃった国民だからね。アイロンとか。日本読みっていうのかな。
 話は依然とタイ歌謡から遠ざかっているんだが、似たような似てないような話を思い出した。30歳過ぎた頃、知人がハワイに遊びに行って、お土産で粉っぽいチョコレートを買ってきてくれた。べつに良いのに。で、話をしていたら、「ケチャップって、英語で何て言うの?」と訊く。
 ケチャップ、って、あのフレンチフライなんかに……
「そうそう」おれの話を遮った。「それ。ケチャップ。赤いの」
 ああ。カゴメとかの。
「いや。ハインツかな。うん。ケチャップ。あれだよ。英語で、何て言うの?」
 え……。ケチャップは、ケチャップだろ。あれは英語だと思うけど。
「違うんだよ」わかってねぇな、っていうような口ぶりだった。英語ができるかと思ってたけど、疑わしいというような目で見られた気がした。「つうじないんだよ。それじゃ。ハワイでは」
 話を聞いたら、ハワイのマクドナルドか何かの店で、ケチャップを頼んだら通じなかったと言うのだ。結局ケチャップは諦めたっていうんだけどね。じゃあ英語で何て言うんだろうって夫人と相談して、おれに訊いてみようという話になったと。「そんなの知らなきゃ、いくら考えたってわからないよね。何て言うんだろうね」
 いや、だから。ケチャップってのは英語だって。
「つうじないんだってば」ちょっと苛ついているようだった。
 うーん。発音が悪かったのかな。
「え」虚を突かれていた。「は、つ、おん、かぁ……」
 どういうふうに言った?
「ふつうだよ」目を逸らした。「ふつうにケチャップ、って」
 ああ、ね。ケイチャッp、だね。最後のpは聞こえなくても良いくらいに。
「えっ。そうなの。おれ、はっきりプ、って言っちゃったよ。プーって」
 んー。プーは、ダメかも。プーは。
「うわあ。ダメかよ、プー。ダメかぁ。そうかぁ。つうじないから、一字一字はっきりさあ、ケ・チャ・ップー! って言っちゃったよ。だーかーらー、ケー・チャー・ップー、だよー! って。何回も言い直しちゃったんだよな」
 ああ。そりゃますます通じないだろうな。おれが恥ずかしくなってきた。
「ねえ。何か他に言い方はなかったの?」
 うーん。Tomato sauceとかかな。イギリスなんかじゃケチャップ通じないっていうか使わないから、Tomato sauceのほうが良いかも。
「トメィトォー ソー、って。そっちの方が難しいわ」
 ふつうにトマァトォって発音でも通じると思うけど。
「ほんとかよ」
 うん。そんなふうに訛ってるアメリカ人いたもん。
「そこだけ訛るものかよ」
 じゃ、やっぱりketchupだな。
「わかった。もう外国じゃケチャップ頼まねぇ」
 ていうか、ケチャップ以外の物はつうじたんだとしたら、それは凄い快挙だぞ、と思ったが黙っていた。

 ということで、突然だが、エラ・アンド・ルイだ。
Ella F. and Louis Armstrong - Let's Call the Whole Thing Off
「あなたはトメィトォが好きで、おれはトマァトォが好き」とか「君はポティトォが好きで。おれはポタァトォだ」って歌詞がなんか可愛いんだが、合衆国も広いことだし、いろいろ訛りがあるよね。
 シカゴに行ったとき、behindを「バハインド」って発音してて「うわあ、訛ってんなー」って思い、そのあとケンタッキー州のルイビルに行っても人々は「バハインド」って言ってた。なるほど。中央部は、そう訛るのかと納得して東海岸に行ったら、そこでも「バハインド」って言ってた。ちょっと驚いたんだが、まあそういうものなら仕方がない。で、最後に西海岸で「バハインド」って言うのを聞いて、あ。アメリカじゃBehindはビハインドじゃなくてバハインドって発音するんだ、ってことに3年がかりくらいで辿り着いた。もうね、途中で「アメリカの中央部じゃバハインドって訛るんだぜ」とか言わなくて良かったと思った。それとも、たまたまそう訛る人とばかり会話したのか。
 あ。あとあれだ。もっと恥ずかしいのを思い出した。合衆国の友人を立ち飲み屋に連れて行ったら、とても喜んで、次の機会にスイス人の友達も連れてきて3人で飲んだ。で、与太話で笑って飲んだくれていたんだが、詳細は全く覚えてないけどおれはベルギーの話をしたんだね。「なんとかかんとかin Belgium」って。そんとき、「ん?」って訊き返すから、もう一度同じく言ったんだ。イン・ベルギウム、って。そしたら、あー、って話が通じて、それっきり忘れてた。なん年か経って、何かの拍子にあれはベルギウムじゃなくてベルジャンって読むというのを知って、数年経ってるというのに「ん?」ってのがまざまざと蘇ってきて「ああーっ!」って変な声が出た。けっこう大きな声だったはずで、あれは恥ずかしかったな。その場で直してくれよ! 教えろよ! って逆ギレ気味な気分になった。でも、ああいうのを指摘するのは難しいよね。数年まえに知人(北海道大学卒。北海道ではエリート扱い)が「にゅうすいじさつ(入水自殺)しちゃって」と言ったのを、「あー。自殺の時なら、あれは、じゅすい、って読むんですよ」と指摘したら60歳代後半なのに赤くなって黙っちゃったんで、指摘しない方が良いんだろうか。おれは指摘してほしい方なんだけどね。
 面識のない人なら、間違いを指摘しない。こないだも「じゅうふくして」とか言ってるのを受け流した。知らない人から間違いを指摘されたらイヤだと思うし、こっちももう会うこともないだろうから直さない。さすがに「自ら」を「じら」と言う人がいたら、それはわざと間違えてツッコミ待ちな感じだから、「じら、じゃねーわ」って拾ってあげると思うけど。
 あ、そうだ。まえに関係していたタイのコーヒー農園に出入りしていた某コーヒー問屋のおじさんが、ばかでばかで各方面で持て余されていたんだが、この人からおれに電話があったとき、もう話の内容は忘れたが「すべからく」という単語を使った。聞いていて、この「すべからく」は「全て」という意味だと思い込んで誤用しているな、とわかったが黙っていた。早く電話を切ってくんねぇかな、と閉口していると、「いいですか。すべからくですよ。すべからく」と繰り返し念を押す。
 あのねおじさん。「ここで小便すべからず」って立て札があったとして、この禁止の「すべからず」の肯定形が「すべからく」なんです、と40年くらいまえに呉智英 が書いたのを読んで、そうなのかと知ったが、これは間違いで、漢字だと「須く」と書く。まったく別の言葉だ。「当然するべき」みたいな意味であって、全てという意味ではないのですよ、と教えて「そ、そうだよ! 知ってるよ。そういう意味で使ってんだよ。すべからく」とか言われても鬱陶しいんで黙ってたんだが、もうホントにメンドくさい。「あ。すみません。もう検査の時間なんで」とかテキトーなことを言って、おれから電話を切ってしまったんだが、何の検査なんだよっていうね。
↑間違った立て札の例
 あ。あと強引に電話を切りたいときに言うと効果的なのを紹介しよう。営業の電話なんかがかかってきて、「うっせーよ」って切っちゃって、人によっては後日嫌がらせなんかがあると困るんで、あんまり無礼なことは言いたくない。でも「金の先物取引なんすけど」みたいな話に付き合いたくないときは「今、手術中なんで、急用以外はご遠慮ください」ってビシッと言えば、「あ。すみません」って向こうから切ってくれるよ。「まーた。何の手術っすかぁ?」なんて訊かれたことはない。何時だろうと世界中のどこかで手術中だろうから、まあ嘘とは言い切れない。「今、収録中だから、今日は電話してこないで」ってヒソヒソ小声で断るのもお勧めだ。「ぁ。すみません……」って小声で謝るのがおかしい。「何の収録だよ」ってツッコミはないと思うが、もし訊かれても「シーン23です」とか言い捨てて電話を切ってしまえばいいんじゃないかな。
 そういえば、北関東の地方都市に引っ越したばかりの頃、家に帰ると留守電に「こうじ君。ひさしぶりです。たまには電話ください」ってメッセージが残っていたんだが、おれはこうじ君ではないので放置していたら、それが毎月いち度、繰り返し残されるようになった。こうじ君、電話してやれよ。ていうか毎月メッセージを残すオヤジは何者なんだ。名前も電話番号も言わないんだもん。やがて1年も経った頃、「こうじ君。いつも電話しているのに、ちっとも電話してこない! これを聞いたら、すぐに電話してきなさい!」って、すんげぇ怒ってんの。こうじ! 電話してやれよ! てか、おっさんは誰なんだよ! こうじも誰だか知らないけど! と酷くモヤモヤしたんだが、それっきり、そのおっさんから電話はかかってこなくなった。こうじ君。これを読んでたら今からでも心当たりのおじさんに電話したらどうかな。もう30年近くまえの話だけど。
 あとね、札幌に引っ越したのちに知らないおばさんから「後藤さんでしょうか」という電話があったこともあって、おれは後藤さんではないので「ちがいます」って答えるよね。「あ。ごめんなさい」って電話が切れて、またすぐ電話で同じ声のおばさんが「あ。後藤さんではないのですよね」と念を押して、また切れる。ちょっと経って、電話が鳴るんだけど、面白いから出てみたら、やっぱり同じ声のおばさんだった。「ええと011-XXX-****ですよね」と言うので、そうだと答えると、「番号は合ってるんです。後藤さんは、どこへ」と訊くので、「さあ。引っ越したかなにかでしょう。今は私の番号です」と答えたら、「困ったわぁ。どこに行ったかご存じないでしょうか」と考え込んでいる。「わたし、どうしたら良いんでしょう」とまで言うので、そりゃもう面白くて「じゃあ後藤さんを知っている他の知り合いがいたら、その方に訊いたら良いのでは」と言ってみたら、「まあ! そうですね。そうします」と言ってガチャン! と電話を切られたんだが、後藤さんは連絡がついたのだろうか。
 ここ数年 固定電話にかかって来るのは営業の電話ばかりなので、留守電にセットしたままなんだが、それで一つも困らない。もう固定電話なんて要らないな、と思って数年経つわけで、でも止めてしまうきっかけがない。いちおうファクシミリもついているが、まだいち度も使ったことがなく、これからも使うことはないんだろうな。今時ファックスなんて、って感じだ。
 三十数年まえ、テレックスを打っていたら「テレックスって……。今時はファックスでしょ」と馬鹿にされたんだが、その頃の日本ではすでにファックスが普及していたが、よその国と連絡を取るときはまだテレックスという会社も多かったのだった。ファクシミリ化の波は徐々に世界に押し寄せ、最後までテレックスで通信していたのはフィリピンの離島だったな。電話線は通っていたんだが、オペレーターが必ず介在していたな。あ。でも1980年代の終わり頃でも日本にもまだオペレーターは、いたな。「コレクトコールですが、お繋ぎしますか?」って訊かれたもんな。そんなもんでテレックスはまだ現役だった。知り合いのネパール人がテレックスのリボンのパンチ穴を読むことができて感心したんだが、じつに何の役にも立たないスキルではあった。
←テレックス
 テレックスの文面は、丁寧な英文を正しいスペルで打ち込むということはなく、だってそんなことをしたら文字数が多くなって通信費が嵩むからだ。だから、Regards to をRGDSと書いたり、Thank you はThanks がTHXになり、「可及的速やかに(As soon as possible)」はASAPだったりする。ASAPとかBTWやFYIはアタマの悪そうな軍人さんがよく言う印象で、日本人でもASAPを使って、しかも「あれはエーサップって言うんだぞ」とか得意そうな顔してる人いるよね。アタマ良さそうには見えない。あとPleaseがPlzになっちゃって、切実なお願いのときはPlzzzzzzzとかね。余計長くなってんの。今でもAttentionをメールでATTNって打つ人がいるでしょ。あれもテレックスの名残だ。もう何でもかんでも略して打つから、Gnrl MngrがGeneral Managerの略だと気がつくのに、初心者は時間がかかる。もちろん略に決まりがある訳じゃなくてGeneralが人によってGenerlだったりGnrlだったりする。スペルが多少不安でも押し通せるのは良く、ミシシッピのスペルをすぐに忘れてしまうのだが、テレックスだとMsspとかMisisipとかで良く、あれは良かったな。
 1980年代終盤になると、テレックスもPC98シリーズを使った「コンピューター・テレックス」ってのになって、そうなるともうパンチリボンは要らなくなって、なんと5インチフロッピーに進化した。がっちん、がっちん、って作動音が頼もしくて、「うわあ。昔読んだSF小説の通りだなー」って感慨深かった。今思うとドップラー効果のBGMがつきそうな高速の時代の過渡期だったな。
 肩から重い通信機をぶら下げる、でっかい携帯電話が登場したのも、この頃でショルダーフォンって名前だった。友達が持ってたんだけど、通信費が馬鹿に高く、「悪いけど、かけ直して」って言われてかけ直すと電話機の通話料金の標示機能の通話料が見る見る千円を超えて二千円になって、三千円も超える。「電話代、高いからヤだ。その辺の公衆電話を探してよ」って言ったら、「何のための携帯電話だ」って、すぐに解約してたな。
←ショルダーフォン
 ところで、今回のタイトル「2BR02B」は「To be or no to be」と読んで、もちろんテレックス英語ではない。カート・ヴォネガットの短編のタイトルだ。元ネタはW・シェークスピアの「ハムレット」中のセリフ。「生きるべきか死ぬべきか」の訳で有名だけど、あれは昔の訳だし、大げさすぎる。直訳だと「そうしようかなー、それともやめようかなー」くらいの感じでしょ。だから全体のニュアンスを考えたら「こんな生き方で良いのかな、それともジンセーの取り組み方を考え直した方がいいのかな」「ま、そういう問題だよな」ってぐらいでちょうど良いと思うんだよね。死ぬなんてニュアンスは、どこにもない。どっちにしたって優柔不断なんだから。だって有名な訳だって、現代口語訳にしたら「生きてっかなー、じゃなきゃ死んじゃおうかなー」ってことでしょ。そんなことも決められないボンクラなのかよって話だぞ。いや怒るこたぁないが。
 いずれにしても人生で必要な事は、全てウィリアム・シェークスピアのハムレットに書いてあった。全部だ。すべからくじゃなくて全部。でもね。今は、それじゃ全く不完全だ。国会図書館の本を一冊残らず読んでもまだ足りない。全ての事物の本質が知りたければ、タイに行けばいい。本質を知ることはできなくても、気晴らしくらいにはなる。
TELEx TELEXs - 1991-1993 【Official Music Video】
 さて、今日の曲だが、テレックステレックスというバンドの「1991-1993」という曲だ。聴いてのとおりの打ち込み主体のポップな楽曲だ。大学生バンドがそのままデビューしたのが2015年。ファーストアルバムのリリースが2018年で、この曲はその中の一曲。自らを「วงดนตรีซินธ์ป๊อบ(シンセポップバンド)」と名乗っていて、あんまりタイっぽくはないけど、今風の洗練つうかオシャレな感じ。決して尖った感性ではなく、「わかってる」感じの若いバンドだ。歌詞は殆ど女性の気持ちを歌ったものが多く、脳天気な歌詞は、ぜったいに作らないという姿勢が感じられていい。音だけではなく歌詞もスタイリッシュを目指しているようだが、時としてメランコリックな歌詞になることもある。作詞・作曲のクレジットは当たった限りでは個人ではなく、このバンドに帰属している。このMVを観るとバンドの編成は女性ヴォーカル、ギター、キーボード、ベースの4人だが、これは当初のメンバーで、今ではベースのコーンていうあだ名の男の子がフルタイムの勤めで脱退したため3人になった。それでもシンセサイザーの打ち込みがあるからベースもドラムスも加入せずにオーケーだ。今でも辞めてしまったコーン君は余暇には合流して一緒に音を創ったり遊んだりしてて、長いことバンドやってるにも関わらず、みんな仲が良い。
 このバンドの歌詞は少し変わっていて、バンドの自作曲に多い「おれがおれが」っていう主張が嫌いみたいで、控えめなんだが、感情を深く掘り下げるのも嫌いなようで、「かなしい」などとというような気持ちの形容は投げ出すけれども、それについての説明は放棄して、連想される意識の流れや小道具で輪郭を埋めるというような歌詞で、難しい単語もつかわないから共感を呼ぶんだろう。とうぜん、そんなだから雰囲気優先の軽い歌詞になるんだが、若い人はそういうほうが良いのかもしれない。サウンドともよく合っている。
 ああ、そうだ。歌詞を訳しておこう。

リプレイしても いいかしら
抱きしめていてほしいの 心に囁く
あなたは私といてくれるし 愛してくれる

あなたは毎朝のコーヒー 雨の日の太陽 
あなたは ずっと探していた ただ一つの映画
私の目に映っているのは あなただけ

明日起きたら月曜日の朝 いやだな
寝坊したら ハグもできない
憶えていてね あなたがそばにいれば それだけでいいの

座ったまま 旅を夢見る
行きましょう 荷造りをして あなたと私だけの場所

リプレイしても いいかしら
抱きしめていてほしいの 心に囁く
あなたは私といてくれるし 愛してくれる

 歌詞の冒頭は「ต่อเวลาหน่อยได้ไหม」で、「リプレイしても いいかしら」と訳したんだが、これはヴィデオゲームなんかのリプレイのことだ。ゲームオーバーしちゃって、「もう一回、いい?」ってやつ。もうひとつ「少し時間をもらってもいいですか」という意味もあって、ふつうはそっちの訳を取るはずだが、その両方の意味だし、リプレイの方が雰囲気に合っている。
 新しいと思う。わかり難いけど。あと、この数年後に出した「Shibuya(渋谷)」って曲があって、歌詞は仕事帰りに偶然元カレを見かけたんだけど、シアワセそうだったって内容で、これも心情を細かく述べることを拒否してるんだが、ウダウダ自分のことを言ったり嘆いたりせずに、「シアワセそうでした」ってポーンと放る。これ、なかなかできないよ。すげぇ感心したのを憶えてる。しかし何で渋谷なんだっていうね。行ったことあるのかどうかも覚束ず、じっさい渋谷でなくても良かったんじゃないか。香港の尖沙咀とかソウルの梨泰院でも、なんかちょっとオシャレっぽく、しかも外した感じ。バンコクのサヤームスクエアとかじゃダメなんだ。よくわかんない街の方が良かったとしか思えない。
 けっこう新しいのに名前が「テレックステレックス」って、微妙に古くさいのも、狙ってるんだと思う。その狙いがストレートではなく、ちょっと捻くれてるあたり、頭の良いタイ人ぽくて、いい。面白いバンドだ。
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