もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ささやくように怒る

2024年06月01日 12時45分34秒 | タイ歌謡
 もうタイトルの通りなんだけどね。ふと思い出したのが高校の時の化学の先生がミヨシというひとで、殊の外おだやかなひとだった。授業の第一声「おはよう」なんかも囁くように言っていた。まるで内緒話でもするような感じで、授業内容の重要ポイントなどでは普段にも増して、いっそう小声で「炭素原子の場合、6.02×10の23乗個ね。これを1モル。モルという単位になります。そんで6.02×10の23乗という数字をね、アボガドロ数。アボガドロ。これ試験に出るぞー」なんてことを説明するんだが、こんな小声の説明の中でも特別に重要な箇所「モル」や「アボガドロ」の言葉は更にゆっくり、しかも音量が下がるので、期せずして教室は水を打ったような静寂が訪れていた。
 ミヨシ先生は、声だけでなく性格も穏やかなひとで、大学を出てそれ程経っていないお年頃に見える優男だった。見た目はオバQに出てくるラーメンばっかり食ってる小池さんをキレイに漂白してほっそりさせたような感じ。実験なんかしなくても、いつも白衣を着用してて、その下はパステルカラーのシャツだったり地味なセーターだったりして、今思うとお洒落な男だったが、いくら記憶を呼び戻しても実験なんかした覚えがない。たぶん背広なんか着たくなかっただけなんだろう。いつもサンダル履きだったが、ぺたぺたという音すら立てず、反発して浮いた磁石みたいな歩き方で生き霊みたいに移動していた。
 辺境の田舎の進学校といっても学生たちは雄のカニクイ猿よりは頭が良い程度で、粗野な男子学生が野放しになっているわけだから放置してると、そりゃ騒ぐ。益体もないことでケラケラと笑い、二言目には「ハラへった」ばかり言ってるような集団だった。
 それでもミヨシ先生は、そんなどうぶつみたいな連中に好かれていた。冗談を言うこともなく、授業が面白い訳でもなかったが、おれたちはミヨシ先生の授業を静かに聞いていた。化学の授業を嫌う者はいなかったのではないか。幼くて偉そうな高校生集団だから「ミヨシ、いいよね」みたいな根拠のない高慢な発言だったが、春の日の和みのひと時みたいな、ほんわかしたひとコマの授業時間は好ましいものだった。「なんかいいよね」という、おぼろげな好かれかただったから、学生達が先生を囲んでキャイキャイ騒ぐという、人気者の先生にありがちな密度の濃さはなかった。なんていうか山の一本道を歩いていると、向こうからタヌキが会釈しながら寄ってきて「トモダチ♡」と言いながらドングリを掌に載せてもらえるようなタイプ。
「あんなオトナになるのも良いな」とおれが言うと、周囲は笑って「おまえにはムリだべさ」と即座に言った。したって、おまえメチャクチャだもね、とか、他の人があれを真似するとナメられるだけでないかい、とか言ってて、確かにそりゃそうだと思った。静かな生活ってのは若い頃から憧れているが、どうにもおれには縁がない。
 ある日、いつもならミヨシ先生が扉を開けて教壇に立つと、ボリュームのツマミを絞ったみたいに静かになるのが常だったのに、いち度だけ、どうぶつたちがミヨシ先生に気付かない訳でもないのに際限なく雑談を止めないときがあった。
 静かになりかかったところで雑談を止めない者がいて、その声に(あ。まだ少しなら喋ってていいのかな)と延長され、それが積み重なった感じ。決してウルサく騒いでるわけではなく、でもザワザワしてる。
 ミヨシは困ったような顔で、数秒その様子を眺めていたが、意を決したみたいに左の掌を上向きにして、そこに右手の拳骨を静かに、ぺちん、と乗せて小声で囁いた。「こらぁー。うーるーさーいーぞー」
 もうね。その言い方が優しかった。
 どうぶつ達の全員が我に返って反省した。ごめんミヨシ。
 突然の静寂。
 ミヨシが微笑んで囁いた。「もう……」
 なんだかわからないが、教室は笑顔に包まれた。
 ミヨシは叱ったのではなく、明らかに怒った。ただその怒りは微塵も迫力がなく、服従の強制もなく、消音された花火みたいに瞬時に広がって儚く消えた。そして微笑みだけが残った。
 そんな怒りというのも、あるのだ。
 ときどき、ほんのときどきミヨシを思い出して、ミヨシになったつもりで奥さんに接すると、なんだか嬉しそうなので、これは良いぞ、と思う。いち度やってみるといい。ミヨシを知らないだろうが、簡単だ。じぶんの左の乳首が音量ツマミだと思い定めて2割くらいに絞る。頭の中で。それでミヨシになれる。うそじゃない。ほんとうだぞぉー(小声)。
 ただね。翌日、目を醒ますと忘れていて、元に戻ってしまうんだよね。

 ミヨシみたいなのは珍しいケースだが、ヤクザ者なんかも大物になると、キャンキャン吼えずに、静かに脅したりして、それが怖い。そんなふうに脅された経験はないが、少しだけ近いことはあって、おれが未成年の終わり頃、新宿の高そうな中華料理店に連れて行ってもらった時のことだ。1980年頃の2,000円くらいの冷やし中華をご馳走になって、(こんな凄いのご馳走してくれなくても、その分お小遣いでくれたら良かったのに)と情けないことを思いながら席を立ったときだった。おれが立ち上がって伸ばした膝に、それまでおれの座っていた椅子が後方に押されて、背もたれが後ろの席の客の椅子の背もたれに当たった。
 こつん、と小さな音がした。
 勢いがあったわけではなく、軽く当たったのだ。
 あ。いけね。当たっちゃった。
 すると、うしろの初老の客は首を半分くらいゆっくり捻って、静かなドスのきいた低い声で「これは失礼」と、まったく悪くないのに謝罪の言葉を述べた。
 これは。これはヤバい。
 おれは恐怖にかられて「あ。ごめんなさい。すみません」とペコペコ頭を下げていた。貫禄っていうか圧が凄くて、これはヤバいひとだ、という赤い警告灯が頭の中でぐるんぐるん回って緊急避難アラートみたいな音が脳内で鳴り響いた。
 すると、そのおっかないおじさんは「うん」と小さく頷いて、片頬だけで薄ーく微笑んでくれたのだったが、それがもう見えない力で頭を押さえつけられたみたいな怖さだった。高級冷やし中華の感動が一瞬にして吹き飛んだ。
 まあ片頬だけでも、あれは赦してくれたよな、と勝手に解釈してフェードアウトしたんだが、今思うとヤクザ者だったのか、ただの迫力のあるおじさんだったのかはわからない。
 とにかく、そのときは(うっわー! 新宿、おっかねぇー!)しかなく、そのあとしばらくは新宿に行くのがイヤだった。

 ところで先週だったかニュースで、【猟友会がクマの駆除辞退 「この報酬ではやってられない」「ハンターを馬鹿にしている」北海道奈井江町】ってのがあって、猟師さんの言い分が「命がけでやってんのに日当は8500円」と言ってて、要はやってられっかよ、というものだ。プロの猟師じゃなくて本業が別にあっての活動で、仕事休んでこれですか、って話だ。さすがにネットニュースのコメントでも、「カネの問題じゃねぇだろ。グズグズ言わずにやれ」というような意見はなく、「そんなに安いの?」みたいな意見が多かった。これ、今年の要請を辞退するまえから問題になってて、去年は「安すぎない?」という意見に、識者(警察か自治体関係者と思われる)が「だって、そういうの前提で銃の許可や狩猟させてやってんだから文句言うな」みたいな本音が透けるような意見もあったという報道を記憶していたので、「そりゃそうなるな……」と思った。そもそも、じつはカネの問題ではなく、ちょっとまえまで「狩猟はボランティア」という感じだった。その行為に役場も「じゃ、少なくて申し訳ないけど規定の料金払いますから取っておいてね」と言えば猟師さんも「あ。いつもありがとうね」くらいの感じで、関係は悪くなかった。
 クマが出たから撃ってちょうだい、っていう要請で「まかせろ」と撃ったら銃刀法違反。さすがに、そりゃムチャクチャだと裁判になって、公安委の処分は取り消されたんだけど、猟師さんが不信感を持たない訳がない。辞退したくもなるだろう。オトナだから「警察は銃持ってるべさ。したからオマエらで何とかしたらいいんでないかい」とは言わないが、なんでこんな奴らに協力を……くらいは思うよね。そんなところに去年、「許可出してやってるんだし」みたいなコメントで、これは猟師さんアタマに来てんじゃないかな、と思った記憶が蘇った。
 そんな事情に関わりなく「え……。クマ出てきたら困るべさ……」と不安なのが町民で、まさか役場は町民に鎧を配るわけにもいかないよね。そんなことしたら面白くて、またニュースになっちゃう。まあ、じっさいにクマが出没したら、猟師さん達は気立てが良いから文句言いながら出動するんじゃないかとは思うけど、どういう料簡か知らないけど猟師さん達をリスペクトしない奴らってのはいる。

 クマ、とくにヒグマは頭が良い。奴らは獲物までの距離を目測で「だいたいこのくらい」などと大雑把に捉えるのではなく、獲物の背の高さと、地面から獲物の頭頂までの補助線と水平線の角度を知り三角法の原理から計算して、その距離を導き出す。登別のクマ牧場のボス御三家はそれぞれ「サイン、コサイン、タンジェント」という名前なのをご存知だろうか。おれが名付けた。
 こんないきものが長生きすると脅威でしかなく、だからかどうか神様がいたとしてクマの寿命を20-30年と定めた。あれがニンゲンほど生きたら天下を取ってたに違いない。神様も「おまえは強すぎるから裸で野に暮らしなさい」と命じ、頭は良いのにドングリなんかを見つけると「うはー! ドングリ♡ 幸せだ! ありがとう神様」という反応を植え付けられた。ジャン・ジャック・ルソーに「自然に帰れ」と諭したクマは剥製になってパリの軍事博物館に展示されていると聞いたことがあるが、じつはクマには凶暴なのと、気立てが良いのと、気立ては良いが凶暴なのと3種類ある。見分け方は簡単で、遭遇して襲ってこないのが気立ての良いクマだ。
 ロシアのクマは気立てが良いみたいで、人間と共に暮らすのを見たことがある人は多い。子供の善き遊び相手であって、掛け算と割り算の宿題くらいなら教えてくれる。三角法は熟知してるのに平方根はわからないらしい。クマの生活に平方根や解の公式は必要ないからだ。
 よくクマがオートバイに乗ったり玉に乗っているのをサーカスなんかで見るが、褒美に角砂糖を口に含ませてやれば、それくらいはする。ドングリではダメだ。うちの奥さんも、おれを褒めてくれるときは角砂糖を口に入れてくれる。優しい女なのだ。
 どうも長生きだと天下を取ってしまいがちなようで、クジラもサメもざらに200年生きる。なかでもグリーンランド付近に棲む西隠田鮫(ニシオンデンザメ)は最大512歳の可能性があると最近報じられていて、たまげた。まあ鮫は、しゃあない。1億年まえに進化を止めた生物で、そんなに古くから変わらないってことは下等なのですね、と言いたくなるが少し違う。1億年まえに最適解に行き着いたので、それ以上進化する必要がなくなった、ってことだ。魚類図鑑がヤツメウナギで始まって、次にサメになるのは、系統的に無顎類(ヤツメウナギの仲間)→軟骨魚類(サメの仲間)→原始的な硬骨魚類→進化的な硬骨魚類へと順番に進化したからで、最後はフグやマンボウだ。進化の度合いが進んだからといって強くなるわけでも長寿になるわけでもない。最適解だからこそ、淘汰されずに1億年も続いている。
 あ。でも長寿なのに天下とは無縁なのもいるな。ウニなんか日本の普通のだと精々20年程度だけど、種類によっちゃ200年も生きるというし。トゲトゲして己を守ってんのに天敵がいる。ラッコだけじゃなく、ヒトデや鯛とかフグに食われちゃう。そうだよな。フグなんて歯が鋭くて強力だもんね。200年生きるという紅海胆は北米大陸の西海岸辺りだというんだけど、あの辺は天敵がいないとか、紅海胆には毒があって捕食を免れてたりするんだろうか。

 いっぽう地上ではカラスという鳥がいて、あれも飼育環境下なら20-30年生きる。長生きした例では60年生きた個体もいたそうで、鳥のくせに頭が良い。カラスが喋るというのは知られたことで、小学生の頃に知っている老夫婦がカラスを可愛がって育てていて、そのカラスが挨拶したり「カーコちゃん」と自分の名前を言ったりしてて子供心に感心した。
 この話をすると、「またそういうウソをつく」と言われたが、ウソじゃない。カラスは喋るよ。
「オハヨウ」完璧に話すのは...カラス 人生“初体験”「5年くらい前から」
 野良のカラスでもこれだ。丁寧に育てて教え込めば喋る。オウムなんかも喋る鳥で、あれは意味もわからずに喋ってる印象だが、カラスはひょっとして意味がわかってるんじゃないかと思わせるあたりが嫌われるんだろう。黒いし。
 さいきん、ドイツのテュービンゲン大学の神経科学者ダイアナ・リャオ率いる研究チームが発表した報告に「カラスは実際に大声で数を数える」というのがあって、(あー。そのくらいはやるよな、あいつらは)と思った。

 寿命が20-30年といっても、それは飼育下のことで、野生だったら10年くらいか。北海道にもいっぱいいるが、北海道のカラスはもっと短命だと思う。知人が「すっごい寒い日にカラスが止まっていた電線から落下するのを見たことがあって、あれは凍え死んだな」と言うのを聞いたときに、そうだろうな、と納得した。おれはカラスの落下は見たことがないが、電線の下で凍った物体に成り果てていたカラスなら見たことがあった。蝦夷地の野良カラスは頭が良くなるまえに死んでそうだ。これで色が白くて皆が60年生きてたら天下取ってたな。
นักร้องบ้านนอก - ลิน l บัลลังก์เสียงทอง (6 พ.ค.60)
 カラスつながりで選んでみた曲だが、まえに紹介したことがあるので、訳詞はそちらを。
 夕陽もカラスも帰るところがあるのに、わたしはいつになったら帰れるのだろう、というドサ回りの田舎の歌手の悲哀を歌ったもの。歌詞は文学的に大した価値はないが、直球ど真ん中みたいな田舎の愚直な人の心情を、ごろん、と投げ出していて、タイ語の歌詞の意味を汲み取れる人なら間違いなく涙する。自ら望んで歌手になったもののパッとせずに不幸で泣いている。そしてトドメに、「いつになったら幸運になれるのか」という無責任。
 これね。しあわせになれないのは業(カルマ)のせいだという常識がテラワーダ仏教の教えにあるわけじゃないのに、ほとんどのタイ人はそう思ってるんじゃないか。もちろん努力が大切だってことも知ってるし、努力する人はする。ただ、どうしようもなく業というものはあって、人生と切り離せないと思ってる。
 このMVは2017年のオーディション番組のもので、歌手はシロウトなのに凄い。じぶんで考えた構成かどうかわからないが、キーボードの分散和音でキー提示のあと、アカペラでいきなりサビを歌い上げて聴衆を引きずり込む。巧くないとできない構成だ。オーディション番組だから演出がウルサいけど、ぜんぜん負けてない。
 審査員席でえび茶色の服を着たアーンさんが涙を拭う素振りを見せるが、この人もオーディションでこの歌を歌ってチャンスを掴んだ人だ。
 オリジナル歌唱はルクトゥン史上最大の歌姫プンプワン・ドゥワンチャンだ。彼女は歌手としては大成功したが、その人生は幸福とは疎遠で、まるでこの曲は彼女のことを歌っているようで、聴いていてツラい。小学校も2年で諦めたから、楽譜どころか文字の読み書きもできず、晩年に少しだけタイ文字を独習し、全財産を奪って愛人の元へ奔走した夫の居所を探し当て、乗り込むこともできずに「กลับบ้านถอะ(家に帰りましょう)」と書いたメモを扉の下に差し入れたのが唯一の自筆の手紙だったというエピソードが泣ける。メモのกลับบ้านถอะは、家に帰りましょうと訳したが、こなれた日本語なら「一緒に帰ろ」の方が近い。
 プンプワンのWikipediaは、おれが書いたものだが、いつの間にか表題も「プムプアン・ドゥアンチャン」に変えられて、当初は「この方が本来のタイ語発音に近い」などと表題だけいじられて「なんだこいつ」と思った。どういじってもカタカナで正しく表せないんだから一般に多用されている表記で良いと思うんだが、編集合戦になっても面倒くさいので、放っておくことにした。こういうことが幾つかあったんで、知らぬタイ人から「今度は歌手◎◎の日本語Wikipediaをお願いします」という要請があっても「いいや。めんどくせぇ」と放置してある。
 もうひとつ。サトウキビ畑の小作農奴の娘から成り上がって、プンプワンだと気付かれずに寂しく死んでいく生涯を描いた伝記映画が名作だ。たしか2011年公開で、この映画でも遁走した夫の住処まで赴き、復縁を請う手紙をドアの下に差し込むシーンを観たタイ人全ての涙を誘ったんだが、このMV中でインタビュアーの「文盲なんですって?」という質問に「เขียนไม่ได้ อ่านไม่ออก(書くのはできないし、読みは出てこない)」と、はにかんでアタマの良くない返答をしていて胸が塞がれる。おれよりも二つ若い人で、いくらタイでも、この世代で文盲というのは珍しい。幼くして口減らしとはいえ歌が巧かったからバンコクの芸能事務所へ放逐されている。ただ、地頭は良かったんだろう。いち度聴いた歌は歌詞とメロディーを間違うことなく再現できたという。亡くなるまで母だけは慕っていたそうで、それだけが救いか。
นักร้องบ้านนอก (เพลงประกอบภาพยนตร์ พุ่มพวง) - เปาวลี พรพิมล 【OFFICIAL MV】
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