もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

春の海

2024年01月03日 15時59分49秒 | タイ歌謡
 御慶。また新年がきた。ジジイだから新年の挨拶は言うものなのだ。御慶御慶。いや御慶。
 もうね、この歳になると誕生日も正月もクリスマスも楽しみにしなくなるよね。コドモの頃はクリスマスに雪が降ると嬉しかったけど、雪国限定かもしれないがオトナになると「けっ!」としか思わない。それでも誕生日は奥さんなんかが「おめでとう」って言ってくれるから「ありがとう」って返すだけの感謝はあるけど、それは奥さんに対してであって、記念日的なイヴェントについて根本的には「あー……。まーた歳取っちゃったのか……」という諦観のほうが色濃い。とはいえ生きてりゃ新年は来てしまう。この正月に来年のぶんもやっとくか、ってわけにもいかない。「お正月は去年もやったでしょ」って。寝だめ食いだめと同様に正月だめはできないからね。もう生まれてから64回もやってんのか。ていうか日本の有史以来の回数なんて、皇紀を基準にすれば令和6年は2684回目だ。こないだの氷河期が終わってからでも1万回。ホモ・サピエンスになってから10万乃至20万回か。たいしたことないな。いや、あるのか。わかんねぇな。

 それにしても今年は波乱の幕開けで、どうせ元日なんてテレビもつまんないから本読んだりアマプラで映画なんかダラダラ観てて、就寝まえに(ニュースでも見るか)とテレビを点けたら北陸の地震を報じていて、驚きながら見ていると地震の時の映像が陽のあるうちのようで明るい。え? 今も津波警報とか言ってるけど、それどういう津波? 狭い日本海であっちこっち反射して往復してんの? そんなことがあるのか? と混乱しながら慌ててネットのニュースで状況を把握した。流体が原因で断層が滑りやすくなった群発地震ということで、そんな特殊な地震なのか。夕方以降のテレビの正月特番が飛んじゃったのには「ははは……」というコメントしか浮かばなかったが、北陸の人はたいへんだぞ、これは。
 大きな地震を経験した人ならわかるだろうが、大きな地震のニュースがツラい。とてつもなく憂鬱な気分でニュースを見た。
 一夜明けても群発地震は治まらず(これはやばいな)と思っていたら羽田の航空機の衝突・爆発炎上だ。連日かよ。今日になって海上保安庁と管制官の言い分が食い違ってきて、責任のなすりあいになってしまうのか。3日は、これを書いている段階では大きな事故はないようで、何よりだ。
 こんなの1982年のホテルニュージャパン火災で臨時ニュース番組で大騒ぎした翌日に、片桐機長の日航機逆噴射事故で世間が「連日かよ」と思って以来だ。どうなってやがる。

 世間の騒ぎをよそに、我が家では家訓で「新年は新しい下着で迎える」というのがあるんで、仕方なく年末に下着を買って元旦に着けた。だから歳の数だけのパンツがある。おれが下着姿でいると、家族は「あ。お正月かぁ」と気づく。タイ人にとって正月といえばタイ正月だからね。北海道でパンイチは寒いだろうとお思いだろうが、そういうときは山の動物を仕留めて、その血を肌に塗ると皮膚呼吸ができなくなるせいか寒さを感じなくなる。北海道の民ならコドモでも知ってる生活の知恵だ。かつてのアンデスの民も同じことをしていたというね。それにしてもパンツがどんどん増えていく。下着を着るのは元旦だけだからね。増えてしょうがないんだ。
↑これが有名な「まるで鍋もの的なパンツ」
 ところで春の海といえば、ひねもしちゃって、のたのたのたくってるね、という話ではない。箏曲のほうだ。つん、つくつくつくつん。ていうアレだよ。
 宮城道雄先生は天才だからね。正月と言えば「春の海」ってのは由来がさっぱりわからない日本限定の年末名物「第九」と違って、歌会始に因んでの作曲だから、まあ納得だ。この曲を初めて聴いたとき「うぉー! カッコいい!」って思ったもんね。宮城先生の視覚障碍は先天性ではなく、子供の頃に失明した人だからか、よく転んだり怪我をすることが多かったという。亡くなった原因も不明ではあるが、走行中の列車から転げ落ちたんだろうな、というのが大方の見解だ。内田百閒先生と仲良しで「カンの悪い盲人」と言われていたし。百閒先生が宮城道雄のことを書くときは「宮城検校」と書くことが多かったが、じつは最高位「大検校」の称号を21歳で受けている。でも「宮城大検校」と書くと何か小馬鹿にした感じになってしまうから位を落としたのか。最初の作曲が「水の変態」で、14歳のときの作品。さすがに歌詞は別人の作だけど、これがもう凄い曲で、あの伊藤博文が絶賛。「東京に来たまえ、面倒はみてやる」と支援を申し出た程だ。やれ嬉しやと準備する間もなく伊藤博文は暗殺されて上京はお預けになったが、処女作を聴くだけで、紛れもない天才だとわかる。伊藤博文なんかに関わらなくて良かったのかもしれない。
 内田百閒先生が宮城検校を「スレッポイ」と呼んでいたという雑文を残していて、スレッポイというのはロシア語で盲人のことだと先生の説明があって、どうせウソなんだろうなと思っていたが、今回思い出したんでググったら、本当だった。「слепой」というロシア語で、発音もカタカナの音読で通じそうだ。百閒先生はドイツ語の教授だったけど、ロシア語も知っていたんだね。

 海といえば言海だ。大正年間の力士で、「ことのうみ」と読む。横綱ではなかったが現役のときに負けたことがいち度もなかった。口喧嘩では。
 という作り話を始めたのはいいが、あとが続かない。そんな口喧嘩だけの力士がいるわけなかろう。いたらイヤだな。「はい論破」とか言っちゃう、そんな力士。
 言海、といえば辞書だもの。明治の早い時期に文部省に勤務していた大槻文彦という男が上司に命ぜられ、独りコツコツと編纂を始めた。上司は「近代国家の仲間入りをするためには、国語辞典が必要」と大仰に命じたくせに必要経費どころかお年玉もビタ一文たりとも払わずに、言海は大槻の自費出版で刊行された。
 ことのうみではない。「げんかい」と読む。日本初の近代的国語辞典だ。収録語数は4万語弱と少ないように思えるが、固有名詞が収録されていないので、この数で特段に不足はない。中学生の使う英和辞典が2万~3万語くらいだ。その全てを憶える中学生など全国で年に一人もいるだろうか。諸説あるが日本語であるかどうかを問わずに平均的な大人の語彙数が5万語程度(もちろん固有名詞込み)と言われているので、膨大な数だ。なにしろ日本初だからね。後発の辞書はこれを参考にできるが、言海に参考文献はなかった。これを独りで編纂したというのだから正気を保っていられたのか疑問だ。

 とはいえ、このブログのことだから、故人の偉業を褒め称えるような殊勝な気持ちを溢れるほど持ち合わせてはいるが、そんなことはどうでもいいのだった。
 言海というタイトルが言の海だということに、「だよな」と思ったのだ。
 ずいぶん若い頃だが、仕事で英語を遣うようになって「あれ? おれってこんなに英語ヘタだったっけ?」と不安になったのだ。少し考えりゃあたりまえで、英語で与太話をしてケラケラ笑ってるのと、ビジネス英語で重大な言い間違いでもあれば会社の損害に直結しちゃうようなものでは、水準がまったく違う。
 だから当初は、なけなしの英単語群を手に海を漂う感覚だった。英単語には浮力があって、それに縋っていれば沈んで溺れることもないという錯覚にも似た感覚。そして英単語を組み合わせて意味のある文章を組み立てれば思う方向に進めるのだ。これは比喩ではなく、実感だった。
 ちょうどその少しまえに、生まれて初めてのシュノーケリングで海を漂った経験があったからかもしれない。まえにも書いたことがあったが、おれは泳げないけれど、小学生の高学年のひと夏、背泳ぎができた経験があった。その朧気な根拠に縋って、水に浮くのは大丈夫なんじゃないかと思った。息継ぎができないのだから、ならばシュノーケルがあれば解決じゃないか。この考えは悪くなく、たしかに溺れることなく海の中を見ることができて、それは感動的なものだった。ただ問題と言えば泳ぎを知らないから、でたらめに手足を動かして何となく移動するという格好になるので、他人から見ると無様この上ないということになるが、そんなの自分では見えないし、気にならなかった。でも大きな波が来たらアウトだから、波のない入り江のような海でないとできない遊びだった。
 仕事での英会話に慣れないうちは、まず想定される会話をシミュレートした。メモ用紙に遣いそうな言葉を書き殴っておいて会話に望んだり電話をかけたりするのだ。数ヶ月で書き殴るメモの量がメキメキ減っていき、やがてはイザというときのために和英辞典を手元に置くだけで済むようになったが、さいわい使った記憶がない。単語を調べる時間の空白が怖く、知っている単語で無理矢理言い換えるという手に頼ったからだ。そういう言い換えをすると相手が「それ◎◎ってこと?」などと正しい英語遣いを教えてくれて一石二鳥なのだ。もう自分で何と言ったかすら憶えていないが、「そんな感じ」みたいなことを言いたくて出任せの英語を繰り出したら、「あー。Something like that」と教わって(へぇー! そう言うのか!)と視界が開けた気分になった。それほど親しくもない人たちで、電話での会話で顔も知らない人もいたが、あまりの会話の稚拙さに、よく直されたのは前置詞だ。「それwithじゃなくてonがいいな」とか。みんな親切だった。
 いつの間にかシミュレートのメモの必要も忘れ、英語の与太話で笑うようになるのにそれほど時間はかからなかったが、その頃になって、やっと海を漂う不安な感覚はなくなった。
 そんな不安を久しぶりに思い出したのはタイ語を憶えだした最初のころで、覚束ない会話というのはストレスが強い。タイ語を本気で話すように訓練したのは35歳を過ぎてからで、「この歳になって、またこんな思いをすんのかよ」とも思ったが、つうじると嬉しいので、なんだかんだと憶える気にはなった。まえにも書いたが、さいしょは言っていることを聞き取ることすら覚束ないので、意味もわからぬままタイのテレビ番組を点けて聴いていた。といっても真剣には聞かない。真剣に聞いたって意味がわかるはずもなく、疲れるだけだから。これを続けていると、ある日とつぜん聞き取れるようになる。おれは3ヶ月だった。若い人だともっと早いのかな。聞き取れるようになればこっちのもので、相手の言うことが理解できるかというと、できない。聞き取れるだけだ。でも、あとはタイ単語を憶えるだけだ。
 ただ当初は英語と違って基本語彙が決定的に少なかったので、何か言ってつうじなかったときに、べつの言い方で言ってみるということができない。もう数本の刃物だけを便りに竹林を切り開いて行く気分だった。切れないときは諦めて戻って憶え直すのだ。廣東語の時は良かったな。つうじないときは筆談で乗り切れたから。
 タイ語では筆談の方が遙かに難しい。最初の数年間はタイ文字を諦めて文盲だった。うちの奥さんと婚約したころにタイ文字も読めるようにならなきゃな、と暢気に思った。遅いよね。怠惰だからね。それでもA4サイズの紙いち枚だけのタイ文字一覧表を手懸かりに子音と母音だけを2時間かけて憶えると、街の看板がいきなり読めた。もう40歳近かったけど、あれは嬉しかったな。
 ていうか2時間でこれだけ読めるようになるんだから、もっと早く始めていたら良かったのに、という考えが持ち上がったが、(ま、いいじゃん。読めるようになってきたんだし)と抑えつけた。そのあと二重母音などや声調に関する規則みたいなのを都度、必要に迫られて憶えた。うちの奥さんからタイ語を習うというような講義を設けることはなかったが、会話の中で「ごめん。もう一回言って」「今の◎◎って、どういう意味?」ということが度々あって、そういうときにタイ人は優しくなる。うちの奥さんだけじゃなく、大体の言葉を教えるときのタイ人は優しい。子供に「それはねぇ、◎◎なのよ」みたいなことか。そういう意味で、おれのタイ語の先生は、うちの奥さんってことになるのか。
 タイ語なんか憶えて何か良いことでもあるのか、と訊かれたら、「ないね」と断言できる。一般には、せいぜいタイ人と与太話で笑うことができるでしょ、という習得の手間に対してリターンの少ないメリットしかないが、タイ人の好きな人がいる人にとっては、もう夢のような言語なので、そんな状況下の母語がタイ語でない微少な人には良いものだ。恋人と会話するための専用の言語があるってのは、いいものだぞ。つまり、タイ以外の国の、タイ人にも興味のない普通の人には必要のないものだってことだ。
 まあ今の世の中、タイ語に限らず大体の国のテレビなんかもインターネットで見られるようになって、どこの国でも会話を指南してくれるサイトもある。上達してきたらチャットで会話も磨けるから、よその国の言葉を憶えるのも簡単で金もかからない時代になった。
YOU YOU YOU - เอิ๊ต ภัทรวี feat. Ammy The Bottom Blues 【OFFICIAL MV】
 この曲、ずいぶんまえにタイのシンガーソングライターを羅列したときにクリップを貼り付けた覚えがあって、いろいろ紹介した中でのお勧めは、この歌手だと断言していた。その後順調に作品を発表していて、良い曲を作る人なんでずっと注目していた。ただ爆発的な人気は出てない。もとより本人にその気も見受けられず、ただ良い曲が作りたいって気持ちしかないんだろう。ウィスパーヴォイスで、タイポップの女性歌手のひとつのジャンルだね。
 まえに紹介したとき、この曲はเอิ๊ต ภัทรวี(アーッ・パタラウィー)の作品みたいに紹介したが、彼女の発表した曲の中で、この曲だけが別の作者に頼んだものだった。ウソを書いてしまった。気にしてないけど。作者はこのクリップで共演しているAmmy The Bottom Bluesという名のシンガーソングライターで、山羊だか羊のツノを頭から生やして歌ってんのが、そうだ。その手のツノが生えてんのは悪魔関係と決まったもんだが、見るからに良い奴そうでニコニコっぽい。こういうタイ人と友達になっておくと楽しそうだね。けっこういるタイプだけど、旅行では出会わないタイプかな。
 編曲だけはアーッちゃんが担当している。なるほどね。他の曲も良いんだが、なんかこの曲だけポップでキャッチーなフレーズが多くてテイストが違うわけだ。歌詞も全然違う。別人だからね。
 アーッてのもヘンな名前だと思ったら、เอิ๊ต ภัทรวีはアルファベット表記でEarth Patraveeと書く。アース(地球)だ。そういえば昔タイのアース社が「ごきぶりホイホイ」を確か「Hoi Hoi」って名前で発売して爆発的に売れたと思ったら、あっという間に類似品が安く出回って感心した。あれもアーッって社名だったな。今は小バエホイホイやアリの巣なんとかなんかを売ってるが、これは真似されてないようだ。ゴキブリの方は粘着テープと匂いのする物の組み合わせだから簡単に作れたんだね。
 タイの娘って不思議なネーミングセンスなんだよね。英語が元になったニックネームだと「Apple(エップン - タイ語発音)」とか「Cherry(チュンリー)」なんて果物なんかが多いんだけど、かつて紹介された仲良し三人娘が「April(エイピン)」、「May(メー)」、「June(ジューン)」と名乗ったときは大声で笑って拗ねさせてしまった。悪いことをした。アースがタイ語発音だとアーッになっちゃうのはタイ文字の性質上仕方ないことだ。本名はภัทรวี ศรีสันติสุข(パタラウィー・スリサンティスク)。なんかホワホワした娘っぽく見えるが、チュラロンコン大卒(この時期までタイでいち番良い大学だったかマヒドンに抜かれて2位になったかの頃)で、頭の出来だけじゃなくて家柄も良い。チュラ大を卒業したあとはオーストラリアはメルボルンの音楽学校に留学して遊びじゃなくてガチで音楽修行をした。もともと幼少時に祖父の弾くヴァイオリンにウットリして音楽を始めたわけで、ピアノ、ヴァイオリン、ギター、ベース、ドラムスなど、この曲の演奏は全ての楽器(紙で手作りの笛も含めて)の演奏がアーッ本人だ。ベースのチューニングが少し狂ってるところがあるが、そんなのは些細なこと。大したもんだ。楽器の基本ができてる。1991年生まれの32歳だが、このMV収録時は23歳。このあとテレビなんかにも出るようになって、すっきりと垢抜けるけど、この頃はちょっとイモっぽくて良いね。これがファーストシングルだ。アルバムには収録されてないが、ซี้ดเอฟเอ็ม(FM SEED局)のヒットチャート3位を記録。本人も言ってるし評論も「実験的」と言ってるけれど、前衛的って意味ではなく「こんなふうに弾いちゃおかな」「じゃ今度は、こう」と、伸び伸びと遊んでいて、それが上手くいってる。
 業界が認める実力派だから、大物グループとの共演やドラマの主題歌なんかも、かなり依頼されて作ってる。
 さて、この曲だけ歌詞が浅いな、と思っていたが別人なんじゃしょうがない。けっこうストレートなラヴソングになってるもんね。でも悪くない歌詞だ。

あなたの笑顔を 整理整頓してみよう
その様子を見て 旅に出よう
あなたの表現をすべて取り入れて 私は一人で夢遊病

眠っている時でさえ 私の気持ちが衰えることはない
まるで魔法の呪文のよう
まだ内心混乱してる

視線は抑えられても 自分自身を抑えることができない
私は今でも 絶えず 絶えず あなたのことだけを考えているの
どこまで抵抗するつもり? 私の心は それを許さない
眠ってしまっても 抜け出せない

私は今でも毎秒 毎秒 あなただけを夢見ている
逃げよう 遠くへ逃げよう でも私の心はまったく言うことを聞かない

ああ あなたがいなくて寂しい
どういうことなの?
ああ あなたがいなくて寂しい ああ だめ
ああ あなたがいなくて寂しい

諦めよう わかっているの
あなたは私の心を盗んだ そして私はそれを取り戻すことができない
私にはわかってる あなたは行ったり来たり
あなたを頭から追い出す方法がわからない
ベイビー 愛が私を盲目にしてしまう

私の心は抵抗できない
抵抗すればするほど 心は傷つく
 ベイビー 愛が私を盲目にしてしまう

 海が割れるのよ、と言えばモーゼか、そうでなきゃ天童よしみの歌詞だ。作詞は中山大三郎先生(作曲も)で、「向井さんのダンナ」こと向井万起男さんに似ているよな、と念のためにググってみたら。ぜんぜん似てなかった。ヒゲの印象だけじゃねぇか。
 ヒゲならモーゼの方が立派だが、あのひと一応実在したことになってる。海を割ってエジプトを出たのは有名だが、40年かけて「約束の地」に到達したのに、神様から「おまえは入っちゃダメ」って言われてモーゼだけ入れてもらえずに死んじゃうんだよね。同行の人たちも海を割るところから怪しいとは思わないのか。おまけに神様が出てきてイジワルされちゃう。そこで神様に「そんなこと言わないで、どうかひとつ」くらい言ってやれよ。(まあ連れてきてはくれたけど、40年間もあちこち彷徨わせやがって)と腹に据えかねていたのか。でないと神様にダメ出しされて(あ。こいつダメなのか。じゃ見捨てっか)ってならないよね。
 それで思い出したんだが旧約聖書のマタイ伝にマリアの処女懐胎のくだりがあって、神の子を身籠もったというアレだ。てことは大工のヨセフって、ジーザスの親父でも何でもなくて、しかも結婚まえにマリアから「懐妊しちゃった♡」と聞かされていたわけで、よくそれで結婚したなと思ったんだが、だって「神の子よーん」って言われても(んなわけあるかぁ!)と思うのが普通だろう。そんなの破談だよね。周りも「あんた。騙されてる!」って黙ってないだろう。ヨセフ、何か弱みでも握られていたんだろうか。
 と、うっすら思ってはいたが、教徒でもないのにイチャモンつけるみたいでイヤだから、まあ考えないようにしていた。そしたら、聖書の他にサイドストーリーみたいな書物がいろいろあって、ヨセフがマリアの夫に選ばれたのは、ヨセフの杖から鳩が一羽出てくるという不思議な印が起こり、聖母の守護者としてヨセフが任せられたからとか、また別な話では婚姻まえに「いや。おれのコドモじゃねーし。そんなのムリ」って破談にしようか悩んだって話もあるんだって。その他にも、婚約していたから掟で結婚せざるを得なかった、とかいろいろある。あれ、聖書読んでてあとから(ここ、ヘンだよね)と気が付いて弁解みたいな筋書きを書いたものだろうか。
 やっぱり教徒でも思うんだな。そんな婚姻を受け入れるってのはヨセフ、よっぽど度量がデカい聖人か抜け作か、あるいはその両方だもんね。だけどヨセフは影が薄いよね。「おまえはいいから、黙ってろ」みたいな扱い。
 そういえば異常気象の原因のひとつのエルニーニョは、スペイン語のEl Niñoで、Elは定冠詞。英語で言うTheのことで、NiñoはBoy。少年だね。つまり「あの少年」って訳で、あの、と特定されたらそれはもうジーザス・クライストしかいないわけで、実際そういう意味で、クリスマス時期に海水温が上昇することから名付けられた。他の名前は思いつかなかったのか。エルニーニョと対照的な現象をラニーニャというが、これもスペイン語でLa Niñaだ。英語だとThe girlって訳で、マリアのことだね。どっちも度外れたスケールで迷惑なの。
 ところで、さっきのマタイ伝だが、バッハの作品の「マタイ受難曲」は(Matthäus-Passion)と表記され、英語だとSt Matthew Passionだ。直訳だと、聖マシューの情熱。そういうことなの? あと、マタイって英語圏だとマシューだったのか。でも受難って言うならヨセフだよなあ。
「えー……。おれ、聖母様なんかと結婚したかったんじゃないんだけどな」って思うよね。ジンセーなんて、あると思うなよ、と神に告げられて、その代償が杖から鳩。割に合わないよね。でも、これを掘り下げると関係者にこっぴどく叱られそうなんで、この辺で。
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