もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

醤油の道

2022年03月14日 18時14分22秒 | タイ歌謡
 友人たちと食事のとき、料理が運ばれてくるまえに店の人が皿や鉢を給仕してくれて「こちらが刺身の醤油で、そちらに置いてあるのが普通の醤油です。お間違えなく」というようなことを言った。なるほど。刺身用の醤油は別なのだな。
「醤油って、間違えちゃうよね」おれは皿の位置を並べ替えた。「こないだもさぁ、なんか味がしないと思ったら醤油じゃなくて猫だったもん」
 うははは、と友人たちは笑った。
「あれはわかんないよね。気の弱い人なら気がつかないよ。でも、おれはわかっちゃうんだ。アタマ良いから。何か動いてるし、毛ェ生えてるし、鳴くんだよ。にゃぁ、って」
 ぶはははは、と隣の席の老人が笑った。「それぁ醤油じゃねぇな」おれを見た。「そったらこたぁねぇべや。なんぼなんでも、そりゃねぇわ」綺麗な北海道弁だった。
 へへへ。笑いながら、おれは会釈をした。隣席の老人も軽く会釈を返して、何事もなかったように前を向いて食事を続けた。知らない老人との会話は、それだけだ。
 上方の人々とは違い、関東以北の人たちは知らぬ人に無闇に話しかけたりしないものだ。北へ行くほど、その傾向が強くなるのだが、津軽海峡を超えると事情は一変して興味がわくと気軽に声を掛ける。ただ、いつまでも話し続けるのはアタマの悪い人で、多くは長話を避ける。まあ北海道の人って感じ。
 で、醤油なんだが、オイスターソースのことを蠔油とか牡蠣油って言うように油じゃないのに油の字がつくのが謎だ。起源は中国で「醤(じゃん)」と言うよね。XO醤とかあるでしょ。バツマル醤。なんだそりゃ。バツBマルバツって言って「ああ。XBOXか」ってわかってくれる人は少ないだろうな。XO醤。申し訳ない。楽しくなってふざけてしまった。醤の話だ。肉醤や魚醤が始まりで、起源は紀元前11世紀頃じゃないかって話だが、もう3000年以上まえのことだ。豆を使った穀醤の登場まではあと1000年以上待たねばならない。
 豆の穀醤は中国とくに南部だと「臭豆鼓」が一般に使われていて、納豆から作る。家庭で簡単に作れるというのが理由だろう。北部で盛んでないのは気温が低くて発酵が遅いとかうまくいかないのかもしれない。単に文化圏の違いかもしれないけれども。
 臭豆鼓については動画を見た方が早いか。
稻草窝窝里捂出的臭豆鼓,做成油豆豉鱼,及其美味【滇西小哥】
 大豆を茹でるか蒸すかしたものを袋に詰め、その袋の回りを藁でびっしり包むように瓶に入れている。藁には納豆菌が必ずあるから、これは必須だ。藁に灰をまぶすのも見たことがあるが、あれは納豆菌以外の雑菌を滅菌しているんだろうか。それともアルカリ成分で美味しくなるとか。灰を入れる理由はわからないが、この動画では入れてないんで、どっちでもいいのかもね。で、数日間、40℃前後を保ちつつ発酵させると、あら不思議。納豆の出来上がり。その納豆を天日干ししてるが、干さない作り方もあるようだ。そののち蒸したり炒めたりして納豆菌の発酵を止めて香味野菜・香辛料・塩などで味付けをして水と共に密閉された瓶に入れる。この容器の口の凹みに水を張った密閉瓶は、どこの国にもあって、ヨーロッパのどこかの国でも見た憶えがある。タイにももちろんあって、「これは蟻が入ってこないのです」って威張ってた。でも日本で見たことないんだよな。アメリカ大陸で見たこともないが、おれの経験だけだし、こんな仕掛けは誰でも思い付きそうだから日本にもアメリカ大陸にもありそうだ。まあ、とにかく密閉して雑菌の侵入を防ぐわけだ。そうすると耐塩性酵母で発酵が進む。この動画では1年寝かせたものを料理に使っているが、これが臭豆鼓だ。若い物は4週間ほどの熟成を過ぎれば使えるというんだけどね。若いのを水豆鼓と言うんだそうだ。それが、いつ頃から臭豆鼓になるのかは知らないが、この動画は雲南省にお住まいの奥様だ。長江流域なんかの中国南部なんかでポピュラーなもので、いわゆる照葉樹林文化圏と被る。まあ。そんな文化圏は否定されているが。
 ということで、この臭豆鼓はタイ料理でも使うね。そりゃそうだ。タイ族は数百年まえに雲南省から南下してきてる民族だから、雲南省の家庭で普通に作ってる臭豆鼓を使うのに何の不思議もない。
 なるほど。タイの醤油も納豆から作るのかというと、それだけじゃない。日本のとそっくりなのもあって、「ซีอิ๊วขาว(シーウカオ)」っていうんだけどね。直訳すると「白醤油」だ。ぜんぜん白くないけど、「ซีอิ๊วดำ(シーウダム – 黑醤油)」っていう、たまり醤油に似た真っ黒な醤油と比べての言い方だからしょうがない。先の臭豆鼓もタイでは、そのまま使うことは希で、白醤油に混ぜて使うことが多い。これを使った筍の煮物は実に旨い。
กบนอกกะลา เรื่อง ซีอิ๊ว
 タイの白醤油の工場を学生が訪ねた動画だ。日本の醤油製造と似ている。茹でた大豆を発酵させて塩水加えて熟成(タイは暑いからか僅か3ヶ月)を待って、程良い所で煮て発酵を止めて、濾過、瓶詰めを経てできあがり。日本のとの違いは麦を使わず大豆だけ。熟成中にちゃんと発酵、加水分解とメイラード反応を起こしてるってことなんだろうね。安いけど調味料として申し分ない。
 ところでタイの醤油と言えばナンプラーじゃないの? と思うだろう。まあそうだ。タイ料理の出番で言えば大豆の醤油よりも魚醤の方が圧倒的に多いと思う。
 魚醤の作り方は理屈としては簡単で、魚類に塩をまぶしておくと魚の内臓の酵素で発酵して、熟成させると固形分が形を止めず、良いところで熱処理して漉して瓶詰めっていう流れだ。アジアだけの物みたいな感じだが、実はそうでもなくてイタリアにはアンチョビってのがあったよね。アンチョビを放置していると魚が原型を留めないほど発酵して、その液体は当然使う。コラトゥーラっていうんだけどね。魚醤だ。コラトゥーラやナンプラーと、日本の「しょっつる」との違いは米麹を入れないことくらいか。ほとんど同じだ。
 ただ、ナンプラーにもケミカルな偽物があるらしく、たまに偽造業者が逮捕されてる。
 バッタモンのナンプラーの作り方は詳しくは知らないが、昔日本でもあったケミカル醤油と基本的には似ているらしい。
 日本のケミカル醤油ってのは、ひと頃の弁当なんかに付いてきた小袋に注入された醤油で、発酵とか醸造みたいなプロセスを踏まずに科学的に作っちゃう。原料はタンパク質なら何でも良くて、大豆の粉とかそんな物を水と塩酸で溶かして圧力鍋でグツグツ煮込む。この工程で加水分解するんじゃないかな。そんで、そこに水酸化ナトリウムで中和させると塩酸と水酸化ナトリウムが反応して、水と塩になるわけで、それでもう塩っぱい。メイラード反応も起こって、ちゃんと黒い液体のできあがりで、尖りまくったキツい塩味が特徴だ。なにせ製造方法が危険だから今では殆ど作られていない筈だ。
 そこでタイの、なんちゃってナンプラーなんだが、水牛の角を加工したときに出る粉や破片なんかを塩酸と水で溶かして圧力鍋で加水分解させるっていうのね。聞いた話だけど。あとは水酸化ナトリウムか。工場が臭そうだね。バッタモンの業者が逮捕されるニュースもあったが、さすがに詳しい手口は言ってないね。そんなことを報道すると真似しちゃうでしょ。
จับโรงงานน้ำปลา-น้ำส้มสายชูปลอม | 18-07-61 | ข่าวเช้าไทยรัฐ
 すげえな。アリ物のブランドの名前とデザインをまんまパクっちゃったのか。これ、オリジナルブランドとして売れば法的には問題なかった筈で、でもそれだと売れ行きが悪い。ときに何でバレたかっていうと、不味かったから。わかりやすいよね。
 ところで以前、おれは「ナムプラー」と表記していて、たしかにタイ文字をアルファベット表記するとnamplaなんだけど、ヘボン式表記なんかでもP・B・Mの前の「ン(n)」の発音はmと表記する決まりがあるのに従った訳ではなく、ちゃんとmの子音で発音するんだが、それを「ム」と表記するのは違うとおもったので「ン」も違うけどその方が近いと思い直して表記を変えた。まあタイ語をカタカナ表記すること自体に無理があるんで、どっちだって良いじゃねぇかって話だけど、考えてみたら天秤でいえば「ン」に傾く。本当は「ナmプラー」が一番近いが、この表記はキモチワルイでしょ。んで、ナンプラーと書くことに決めた。
 そういえばヴェトナムのニョクマムもナンプラーと作り方は殆ど同じなんだけど、どっちも最高級品になると髪の毛をブレンドしてるって言うんだよね。それも、なんとか村の誰々って婆様の髪の毛じゃなきゃダメだとかいう話で、これが決まって婆様なんだ。髪の毛は蛋白質だから、まあわからないことはないんだけど、魚醤に混ぜるとしても1本2本じゃわかんないよね。なん本もなん本も束にして入れてるんだろう。まあ、スーパーなんかで売ってるナンプラーには関係のない話だから良いんだけど、若い娘じゃダメなんだね。ソースは聞いた話だけど、これはタイ人なら誰でも知っていると言っていい。ヴェトナムでも常識なのかな。若くて美人の娘の写真入りで「私の髪の毛入り♡」って、買う奴もいるかもしれない。おれはイヤだけど。でも、うちの奥さんの髪の毛ならオッケーだな。他の人はイヤだろうが。
 あ。婆様の髪の毛限定ってことは白髪ってのがポイントなのかな。メラニン色素が邪魔で美味しくないとか。「メラニン色素 味」でググっても、そんな記述はない。ただ、イカスミの黒って、メラニン色素なんだね。タコの墨は違う。ってことは、メラニン色素が旨いってことかもしれない。だったら黒い髪の方が良いんじゃないの。もう全然わかんねぇけど。
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ปลาแดก - ไหมไทย ใจตะวัน【OFFICIAL MV】
 マイタイ・ジャイタワンという歌手の「ปลาแดก(プラーデク)」という歌だ。プラーデクっていうのはバンコク辺りでは馴染みがない調味料で、ラオスの物だ。
 ラオスにもナンプラーみたいのはあって、ラオ語で「ນ້ຳປາ(ナンパー)」という。タイ語でいえばล(ローマ字表記だとL)の字が消滅しちゃってるね。タイの口語だと子音の後にล(L)やร(R)が来た場合、そのLとRの発音を消滅させて発音しても良いという法則があって、たとえば男言葉の「はい」という返事を「ครับ(クラップ)」と言うんだが、そのR音が消滅して「カプ」となることのほうが多い。もちろんクラップと言っても通じるが、あんまり聞かない。もっと丁寧に言うと、同じスペルで「コーラップ」と発音する。普通に通じるよ。聞いたことないだろうが、王室の人などと会話するときに言う発音だ。そんな事情はタイ語とラオ語は兄弟みたいにソックリだから、ラオ語でもL音が消滅して、スペルからも抜けちゃってナンパーと言うようになったんじゃないかな。じっさいタイでもナンプラーを「ナンパー」と言っても声調が違ってなければ魚醤の事だと通じる。
 ラオスのナンパーの話に戻ろう。タイのナンプラーとの違いというと、タイの魚醤は鰯を使うのが普通だけど、ラオスには海がないんで、川魚が殆どだ。
 おまけにラオスの魚醤は、タイのと違って漉した上澄みだけを使うんじゃなくて、澄んだ魚醤(ปลาร้า - プラーラー)と固形物を豊富に含んだ魚醤(ปลาแดก - プラーデク)に分けて使う。ラオスやイサーンのソムタムがタイ中央部のソムタムと違うのは、このプラーデクの存在が大きい。今回の曲のタイトルが、この「プラーデク」だね。MVでは瓶から掬ったプラーデクに、はっきりとした塊があるが、あんなものではなく、ドロドロのペースト状が普通だ。まあ本物を映しても何が何だかわかんないから、演出上しょうがないんだろう。
 ところで歌なんだが、イサーン語全開で洗練の欠片もない。ロケーションもリアリズム重視なのか、ソムタムの屋台と建設現場の重機の前とか、そんなのだ。田舎歌に徹してる。イントロもケーンっていう笙みたいな楽器で始まってピンていう3弦のイサーン楽器が乗ってくる。2拍子の縦ノリでリズムがが裏に回りっぱなしで、コブシの回し方といいイサーン歌謡だね。ちょっとだけ新しいとしたらピンのチョーキングくらいかな。
 歌詞は本当にどうってことない。

若い者と接するには 誠意がなくては
言葉をハンサムに 飾る必要はない
100人以上の客に愛されるのは いい人だからと自信を持ちなさい
食事のためにここに来て 理解したことだ

寂しいときは 座って話そう
十分に金を持っている訳じゃないけれど
電球を交換したり 蛇口を修理するくらいならできる
深夜だって食べに来る

プラーデクになりたい
料理に入れてください
人生のメニューは いろんな形があるけれど
それについて教えてくれないか

あなたは私に 良いものを与えてくれる
それは仕事であるし 心でもある

私はあなたと並ぶ準備がある
ダムのそばで 死んだ魚みたいに
ああ あなた 会いたい

同じ家に住めば ホームできる
でも家から遠く離れて あなたを想うだけ
お金 失業者 涙
彼らに思いやりの言葉を

 歌詞の終わりの方に「ホームできる」って訳した箇所があるけど、このホームってのは「หอม」と書いて「良い匂いを嗅ぐ」という意味で、家族や恋人など、特に親しい間柄の人たちが親愛の挨拶として、顔の横とか耳の辺りなんかの匂いを嗅ぐ、または嗅ぎ合う行為だ。最初は驚くし、ちょっと恥ずかしいが、慣れると良いものだ。タイ人は「ただいま」「おかえり」みたいな挨拶はないが、帰ってきて、そのまま自室へ向かおうとしたりして何の愛想もないと「หอมซิ(ホームシ – ホームしなさい)」って怒られちゃう。まあ殺伐とした家庭ってのはタイにもあって、そういう家だとホームなんてしないみたいだけど。
 あとダムのそばで死んだ魚みたいに寄り添いたいって喩えは、わかるけど日本人には出てこないポエジーだ。ラオ人はダムを素敵な物だと捉えていて、ウキウキしながら「ダム見に行かない?」って誘ってくる。おれもダムは、ばかばかしく大きくて笑っちゃうから好きなんだけど、ラオ人はダム見てウットリしてるから、感覚がぜんぜん違う。ダムの傍らで死んだ魚ってのは、綺麗に成仏した魚で、幸福のシンボルなんだと思う。ラオ人もタイ人と同様に象に踏みつぶされて死ねるのなら本望という国民だから、料簡がいろいろ違うんだね。
 穀醤として大豆の醤油を昔から使ってるのは東アジアとマレー半島、タイの中国文化圏だけだ。これに関しちゃ中国に感謝している。みんな料簡はバラバラだけど、醤油の香りと味は好きだよね。醤油文化圏って名前に変えて、価値判断の基準を醤油にしてしまえば平和になるのにね。なんねぇか。じゃあ、通貨を醤油にってのは、どうか。と書いた先から、そんなことになったらパチモン作ったりする人とか、水で薄めたりする人が出てきちゃうからダメだな、と気が付いた。
 やっぱり普通に調味料として使うしかないんだな。
 あ。あとね。知らない人のために提案しておこう。
 たべものは 味をつけたほうが おいしいんじゃないかな


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