もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

立ったまま 外の路に向かって 飯を食う

2022年07月21日 16時57分45秒 | タイ歌謡

 廣東省の珠海がまだ中国領の頃に行ったことがある。まあじつは珠海は今でも中国領で、何を言ってるんだって話だが、深圳と共に珠海も経済特区になってしばらく経っていたのに、田舎町という印象しかない。途中数万羽のアヒルの行列に出くわし、為す術なく遣り過ごすのに十数分を要した。中国の新興都市って話じゃなかったのかよ。80年代の後半だった。もう35年くらいまえのことじゃないか。香港の友人と行ったのだが、それが忘れもしない5月1日で、当時、中国のナショナルホリデーは年に一度。5月1日のメーデー(労働節)だけだった。今では元旦・春節など全部で7つの祝日があり、そのどれもが連休で、最低でも合計28日間あるが、当時はたった1日だった。よりによってそんな日に行くなんて。
 そう思ったが、香港の友人はこの日を狙って予約していたのだった。行く先々で物売りがしつこかったのだが、これでも祭日のせいで普段の一割もいないというのだ。見所といっても孫文の故郷ということで、孫文に関するものばかりだった。
 休日だというのに土産物屋の多くは営業しており、たいして欲しいものはなかったが携帯用の毛筆と墨・硯のセットがタダみたいに安く、何でそんなに安いのだろうと考えていたら、買うかどうか思案していると思われたのか、「この値段に手彫りの印鑑も付けると言っているぞ。これは買い得だな」と友人が言う。香港の人が言うのならボラれているわけけでもないのかと買ってみた。じつはそんな物はぜんぜん欲しくなかったんだが、いざ買ってみると、筆も硯もとても良い物だった。印鑑は石の物で印面の反対にある天には獅子の姿が丁寧に彫られていたが、何という石か知らない。柔らかい石のようで、目の前で瞬時におれの苗字を鏡文字の篆書体っぽく彫り上げた。嬉しくなったが値段は日本円で数百円だったっけな。今じゃ考えられない。
 5月というのに酷く暑く、汗だくになった。
 翌日は深圳に独りで行った筈だが、記憶が殆どない。昔のパスポートには、確かに深圳に行ったスタンプが押されていたが、気絶でもしていたんだろうか。
 
 それからしばらく経った25年くらいまえの頃、友人のそのまた友人にTさんというひとがいて、そのTさんの話をなん度か聞いた。話を聞くかぎり彼は面白そうな人で、歳回りはおれと同年代で、深圳在住ということだった。深圳で日本の家電メーカーの工場長をしているらしい。面白そうだとは思ったが、深圳に用事はないので、会うこともないんだろうなという予感はあった。
 ところが、Tさんの話を聞くようになって数年も経ったころだったろうか。友人が不思議そうに「ねえ。深圳のTさんと会ったことがあったっけ?」と訊く。
 いや。会ったことは、ないですよ。ていうか、もう随分深圳には行ってないもの。
「だよねえ。……じゃ、やっぱり思い違いなんだな。Tさんの」
 ……はあ。
「いや。Tさんが、あなたに会ったことがある、って言うの。深圳で」
 え。
「Tさんの工場を訪ねてきて、それで時分どきになると現地スタッフが門の所で、通行人に見えるように立ったまま食事する姿をあなたが見て、あれは何ですか、って訊いたって言うんです」
 な……。
「だから、あれはね、おれはこうして飯が食える身分なんだぞ、って知らない人たちに見せびらかしているんです、って答えたら、あなたがとても喜んでいた、って言うんです」
 ……まじで?
「そうなんですよ。そんな話、聞いたこともないでしょ」
 ……。
 いや。その話は知ってる。っていうか、その光景を見た記憶が、ある。外に向かって飯を食う人たち。それも立ったまま。タイでも昔は立ったまま飯を食うのは中国系と決まっていて、物の購入の際に釣りの小銭を投げてよこした華人系と共に、そういう人達はもう見られないんだが、やっぱり本場の中国本土も立ったまま食うのかと思ったら、いや、あれは自慢しているのですよ、と解説された記憶はあるが、それが誰だったか、そこがどこだったのか、そしていつのことだったのか、丸っきり思い出せないのだった。Tさん? いや。会ったことなど、あるものか。ないと思う。たぶん。
 でも、立ったまま飯を食う人たちが食っていたのは、社員食堂で提供される筍と挽肉を炒めた物を飯に載せた、ぶっかけ飯だったはずだ。それをベコベコの金属の蓮華で掻っ込んでいた。旨そうだな、と思ったから憶えているが、考えれば考えるほど、そんなわけがない。
 パスポートを見返してみた。期限の切れたパスポートは年代順にステープラーで留めて合冊してある。だが、最後に中国のスタンプが捺されていたのは1988年で、そのころは、Tさんの話をした友人とも知り合っておらず、だから当然Tさんの存在も知らない。
 どうなってやがる。
 じゃあ、あの外に向かって飯を食う中国の人たちの記憶は、いったい何なのか。
 そして、深圳のTさんは、おれに会ったことがあると言い張っているという。

 ドッペルゲンガー?
 いや、仮にそうだとしてもドッペルでゲンガーな奴の記憶が、おれにもあるってのは何なんだ。どこかで繋がってるのか。
 いくら考えてもわからない。でもこれは、さらに考えてもわからない類のことだと思われるので、考えるのは、やめた。何だかわかんないけど、そういうことがありました。以上。
 もういい。
 なんだろう。オカルト的な話ではないような気はするが。
 Tさんに会ったことはないが、話を聞いた感じで想像した風貌がある。その想像の人物は、まるで知ってでもいるかのように克明に思い出せる。でも、それを確かめるのは、すごく嫌だったので、友人には訊かないことにした。

 タイでもドッペルゲンガーって単語は有名で、タイ語だとドイツ語からの外来語で、例によってL音が「ン」の音に転じて片仮名表記で「ドッペンゲンガー」だ。タイ文字表記だと「ดอพเพลแกงเกอร์」となり、アクセントとイントネーションは「てっぺん踏んだー」の発音でドッペンゲンガーと言っていただきたい。通じるから。まあ、これを憶えても一生遣うことはないだろうが。
 この言葉が有名なのは普通に遣うからで、タイではドッペルゲンガー現象が度々起こっている、ということではないが、テラワーダ仏教の輪廻の派生(ていうんだが、この辺はこじつけだと思う)で、「魂の双子」が世界のどこかにいて、それがドッペルゲンガーってことで、同じことはドイツにもあるんですねー、って見解らしい。タイ語のWikipediaを覗いたら、同じ人物が同時に別の場所に姿を現す現象というのがタイの定義で、自分で己の姿を目撃するという「自己像幻視」の現象については、まるで記載がない。タイのドッペルゲンガーは他人に目撃されるばかりで、自己完結するタイプではないようだ。他者の目を通してのみ認識される妖異。恐怖のシステムに客観性を必要としているってことか。合理性に裏打ちされた恐怖。こんなところにもタイの文化の高い境地が垣間見える。
 また、タイ独自の定義で「邪悪極まりない双子・悪魔の双子(สุดกับกรณีของฝาแฝดผู้ชั่วร้าย)」のこともドッペルゲンガーと呼ぶそうだ。
 なるほど。ソウル双子ね。シャム双生児の本場だしね。
 そういえば20世紀の終わりにバンコクには一卵性双生児ばっかり集めた双子レストランがあったと聞いた。是非行こうと思っていたのに、行きそびれた。残念で仕方がない。今ググっても、そういう店はないようだ。行っときゃよかった。だって考えたら注文取りに来るのを一人で済む所を二人がかりで来るんだから、人件費が倍かかる。単純に考えて、売値が2倍なら経営が成り立つが、そんな店が繁盛するわけない。長続きのしようがなかったのだ。
 一卵性双生児って、受精卵の最初の細胞分裂が本当にきっちり分裂しちゃって胎児が2体になってしまう場合の偶発的な結果で、だから遺伝子情報が同一になることが多い(突然変異で同一にならないこともあるらしい)んで顔から何からそっくりになっちゃうんだよね。もう目眩がするほど良い。知り合いにいないわけではないが、仲の良い人に双子がいないのは残念で、まえの同居人が双子を産んだという話は聞いたので、ちょっと見てみたいとは思うが、思うだけだ。
เซิ้ง - แอนแนน คู่แฝดแปดแสนซาวด์ [ Official MV 4K ]
 さて、今回の歌は双子の歌だ。まえに「Neko Jump」って双子ユニットを紹介したこともあったが、今回はそれよりも有名な現役双子歌手だ。ユニット名は「アンナン(แอนแนน)」というんだが、どうやらアン(แอน)とナン(แนน)の姉妹の名らしく、アンナンもしくはリエゾンしてアナンと呼ばれている。ということだけしかわからない。
 Wikipediaに項目がないのは若い歌手の場合、珍しくもないんだが、ネットを当たれば大まかな紹介がなされているのが普通なのに、それも一切ない。この曲だけじゃなく、ヒット曲が幾つもあるにも関わらずだ。名前のあとには「คู่แฝดแปดแสนซาวด์(クーフェッペッセーンサウ)」というキャッチフレーズが付いていて、直訳すると「80万サウンドの双子」ってことだ。どうやら80万人の双子の中から選ばれたとか、そういうことではなく「多彩なサウンドの双子」くらいの意味のようだ。
 ただ、多彩と言う割りには聴いてみると、別々にパートごとを歌っていることが多く、2人合わせて歌うときも、たんなる斉唱で、おまけに双子だからか声も同質で、2人いる必要が、全く感じられない。ハモるということを放棄している。
 歌は下手ではないんだけどね。タイ人は楽器を弾かせても分散和音なんかは問題ないし、複雑な和音解釈やテンションノートの遣い方にも優れ、そんな曲もヒットしてるから、聴く人に和音がわからない、ってことは絶対にない筈なんだが、タイ人の合唱が和音でハモるということがない。ずいぶんまえにBoyz II Menなんかもタイで流行ったわけだし、下地はあるから、コーラスを売りにしたユニットをデビューさせたら、すんげーヒットすると思うんだけどね。
 もうそんなことを20年まえから思っている。
 で、サウンドなんだが、まあ古くさいモーラムの作り方で、ギターとピンがバネっぽい音で、ぺんぺけぺけぺけと鳴ってて、どってことないのかというと、ドラムスがハウスと同じ裏打ちのリズムだ。タイのモーラムもダウンビートだから似てはいるが、縦ノリのモーラムだけに止まらない細かいパルス単位で裏に回ったりして、西洋的に言えば洗練されている。それを電子的な打ち込みではなく、生のドラムスで演奏している。ドラムスの人はタイ人にしては普通で、それほど巧いってこともないんだが、手法だけは古いようで新しい。そんで、ベースがいない。最近指摘したことで、CDを売る気がなく、サブスクで食っていくつもりの音作りだね。スマフォやタブレットで再生する人が多いから、ちゃちなスピーカーで音が割れないように、ベースは省く。
 こういう音は好きではないが、テキトーなようで、よく考えられた音だ。
 歌詞に意味はない。ていうか特に価値のない詞だ。

あの子はよく歌う若い娘
大小に関わらず モーラムを聴く
呼吸して それが音というもの
自然の声 踊らずにいられない
イサーンの子供に人気なの グッズを家に飾ってね
綺麗でしょ 飛び跳ねちゃう
楽しい娘よ ほら深呼吸して
やってみて やってみて やってみて

あの子はよく踊る若い娘
歌を聴いたとき 彼の心はかき乱された
呼吸して それが音というもの 
楽しんで
小さな女の子も 大きな女の子も 恥ずかしがらないで
楽しく踊ろう やってみて やってみて
ここはイサーン お金なんて要らない 飛び跳ねるのよ
揺れて揺れて やってみて やってみて

 立ったままの食事ってのは、どうなのよ、と「站着吃飯」でググったら、立ったまま食事をするのが健康に良いかというと、必ずしもそうとは限りません、と書いてある記事が幾つもあって、根拠は頷けないが「立位は最も科学的である。しかし座るのは立位よりもラクなのである」と説明してあって、これなら高温多湿のときの小学生でも理解できる。さらに「立った状態で食べると嚥下や消化を促進するだけでなく、腹圧を下げ、胸焼けや酸の逆流の症状を和らげます。 また、立ち食いは満腹感があり、食べにくいので体調を整えたい人の食事摂取量をコントロールするのに良い方法である」とあり、へえ、中華文化圏では基本的にアリなのか、と納得した。
 とはいえ、そんなの深圳と昔のバンコクでしか見たことがない。幻覚かもしれないけど。
 でもまだ道往く人々に見せびらかしているならいいか。
 七夕の日に、一斉に同じ方向を向いて食っていて、その方向に何があるのかと尋ねたら「ベガとアルタイルの中間点です」とか言われたら、ちょっと嫌だ。春分の日と秋分の日に「地球の自転に感謝して、地軸を向いてます」も嫌だ。年にいち度の恵方巻きが気持ち悪いのは、そういう理由だ。ウソだけど。

 英語の文化圏をググってみたら、結婚式などの立食バッフェみたいなスタイルなど、そういう食べ方は普通に存在しているようだが、健康には良くないと、否定的な意見が殆どだった。まあそうだよな。立食がスタンダードな国なんて聞いたことがない。普通は座って食う。
 病気でもないのに横になって食うので有名なのは、古代ローマの富裕層で、専用のトリクリニア(triclinaire)という臥台を使ったというんだが画像検索をかけたら、これがただの寝台で、仰臥面が斜めになってるというような工夫もない。形状は真っ平らなベンチで、これぜったい食い難いと思うんだ。庶民みたいに外食すると、知らない人に食事行為を見られてしまうのを嫌って自宅で家族あるいは親しい人だけで食事するようになった、と、ここまではわかる。おれだって食事行為は見られたくない。でも、その食事をリラックスして優雅に見せるために横になったってのが、わからない。「いや、これ食い難いじゃん」ってツッコむ奴は誰もいなかったのか。たしかに立って食うのは品がないとは思うが、だからって横になるのを上品と決めるか、普通。健康な人がこれをやっていたら、とんでもなくモノグサな人にしか見えない。
 そんな人は知り合ったら面白そうかもしれないが、あるいはとんでもなくメンド臭いかもしれない。これ、一人でやっちゃダメなやつだよね。でも家族でやるのもイヤだな。横になって飲食する妻って、どうなのよ。見たくない。つうか、この姿は他人に見せられない。ぜったいにイヤだ。うん。横になって食う理由のポイントは、その辺だな。家族の団結のため。
 なんかヘンな理屈だな。
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