もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ショパン酔い

2022年07月16日 17時41分23秒 | タイ歌謡
 オッキドッキーってのを、たまに聞くことがある。最近のアニメで幼児の登場人物が言うのを聞いて「へえ。まだ言うのか」と思った。
 オッキドッキーはスペルアウトすると「okey dokey」になるのかな。前半で言ってる通り「オーケー」ってことなんだけど、これを最初に聞いたのは1980年代半ばの西海岸で、当時すでに死語扱いだった。年寄りか田舎者が言うくらいで、若者がふざけて言うのを、ごく希に聞いた。「オーケー」というより「合点承知の助」みたいな古くさい物言いだった。今でも合点承知の助は通じるので、状況としては日米変わらずってことかもしれない。これを短縮した「オッキドー(okey-do)」ってのもあって、これを日本人が遣うのは難易度が高いとは思うが、たしかコロラド州出身の、どう見てもレズビアンのタチ役の人で、話をしたら、そんなに無理に低い声を出さなくても、という喋り方の人が、ドスを効かせた低い声で「オッキドー」と言っていて、何の参考にもならないが、凄いと思った。
 英語には、それほど詳しくないので、知っている例は少ないが、スラングってのは流行り廃りがあるもので、「こいつぁ本物だぜ」って言うのを「The real McCoy(ザ・リアル・マッコイ)」ってのは、もう聞かないが廃れたんだろうか。それと、連合王国のあんちゃん(当時)が言ってた「Not half」が直訳でも「ハンパねぇ」って感じでわかりやすかったが、これも今じゃ聞かない。同じ頃、若いアメリカンが言ってた「He’s gone(あいつイっちゃってんなー)」てのも、もう廃れたと思う。日本じゃ「プッツン」とか言ってた。鶴太郎か。作品がマネロンの道具に使われた先駆者だね。一時は「センセ」と呼ばないと返事しなかった時期もあったようだが、今は知らない。先日テレビで見かけたときは、少し良い感じになった印象だった。
 あと、やっぱり80年代だったか、アメリカンな若者が別れ際に「じゃあね」って感じで「5000G(ファイブサウザンド・ジー)」と歌うように、とくにジーの所を♪ジー↷という具合に元気よく言ってたんだが、5000Gってのはアウディの5000Gだ。アウディ100シリーズのなん代目かを、アメリカではそう名付けて売っていた。これが、ブーン(英語の擬音だとZooom)って走り去る感じで、5000Gなんだよ、と説明されて、わかったようなわからない話だったが、さすがにこれは、もう聞かない。完全に死語となっている筈だ。今、若いアメリカンに別れ際にそれを言っても「なにそれ」って感じだろう。おれと同年代か、ちょっと下の世代のアメリカンなら、「あー。あったねー、そういう恥ずかしいの」とか言うはずだ。
 思い出しついでに、Audi100っぽいクルマでニッサンの初代プリメーラは良かったなあ。いちばん長く乗ってたクルマじゃないかな。シートのゴワゴワと硬さと、アクセルとブレーキのペダルの重さ、あとハンドルの重さ、アクセルの戻り方なんかが全部ちょうど良くて、売らずに、もっと乗っていれば良かった。オートマチックなのに、あんなに楽しいクルマはなかった。
 ああいうクルマが絶滅したってことは、需要がなかったってことで、残念だ。どうせおれなんてオールドファッションなジジイなんだ。
 スラングは流行語と共通するところもあって、だからかどうか、おれがどっちも好きじゃないのは、そういう理由かもしれない。
 なんか、考えなしに流行語を言ったり、流行りのギャグを真似て言うのって、そういう人生はあるんだろうけど、おれとは関係ない。
 だいたい流行りのギャグってのが、もうダメだ。いや。いち度聞いて笑うことはあるよ。でも、なん度も言ってどうする。あまつさえ、一般の人が芸人の出がらしを復唱して笑ってもらおうって料簡がわからないし、それで「あー。流行りのやつ」って笑う奴もどうかしてる。
 そもそもギャグってのは猿ぐつわのことで、Wikipediaを引用すると【19世紀のヨーロッパの舞台俳優が観客の私語を止めさせて舞台に注目させるために始めたものである。英語gagは「猿ぐつわ(をはめる)」「言論の抑圧(をする)」との意味の他動詞・名詞であり、英国議会では討論の打ち切りを表す。また外科では開口器】とあり、おれの知識では、「笑わせるために命懸けで言う、猿ぐつわの懲罰覚悟の乾坤一擲・渾身の冗談」であり、日本語wikiとはちょっと違うんだが、どっちにしても同じことをなん度も言うようなユルいニュアンスはないのだ。
←Amazon販売のボール・ギャグいろいろ
 だから上方の芸人の「わしもすっごいギャグ、欲しいねん」みたいな発言は本当にイヤなのね。まあ吉本興業みたいな反社会的な組織に使い捨てされるのを望んでいるような芸人は、芸などと呼べるものがまるでなく、クラスのおもろい奴がそのまま出てきただけで、たしかに少しの間は面白いことが言えるかもしれないが、すぐにストックが尽きてしまう。上方漫才も面白いものもあったが、テレビに殺されている。同じネタを繰り返すのは文字通り自殺行為で、落語はまだクラシックと同じで「ベームのブラ4(ブラームスの4番)が良い。カラヤンも良いけど」みたいに「枝雀の宿替え、笑っちゃうよね」「小さんもいいぞ」という感じで生き残っている。
 しかし漫才には「古典」がまだなく、伝統芸能化していないので、新しいのを作り続けなければいけないし、粗製濫造で「世間話の面白い奴」が人気者になるシステムで、しかしこれもテレビに殺された。
 よく練れた話ならともかく、クラスのおもろい奴の書いた話は2度目からは「それ、聞いたことあるわ」で、それをなん度も笑うほど、観客はばかではないのだ。昔の寄席の小屋でやっていた頃なら、そこへ行って聞くのは殆どの人にとって新作だったから良かったが、テレビの時代は、そうはいかない。昔と違ってお笑い芸人の入れ替わりのサイクルが短いのは、たんに消費されているからで、長く続いている芸人は世間話や番組の仕切りが上手いわけで、漫才やコントの芸で生き残っているのではない。
 古典落語をクラシック、漫才をジャズとして捉えて、決まったテーマがあって、毎回アドリヴが凄いってんならアリだろうが、そんな漫才は滅多にない。
 たしかツービートが売り出し中の頃にテレビで演るのは必ず新作、という時期があって、それはもう凶暴で面白かったが、そんなの長く続く訳がない。
 だからね、お笑いの人に限っては「さいきん面白くないよね」というような切り捨てはかわいそうだ。面白いときもあったよね、と評価すべきなんだが、それはまるで悪口じゃないか。でも、ほんとうに、あの萩本欽一でさえ、面白いときはあったのだ。一般人を引き込み、使い捨てにするまえに、いち時、本当に面白いときがあったのだ。そこは憶えておいてあげたい(エラソーな言い方で申し訳ない)。
 デビューからずっと面白い、ってのは無理。たまに由利徹さんみたいに、いかがわしくて出てくるだけで笑っちゃう、って人もいたが、あれは芸の力じゃないような気がする。
 ショパンも凄かった。フレデリックの方じゃなくて猪狩の方。ショパン猪狩だ。
 もう出てくるだけでおかしい。初手から腹を凹ませて、ズボンをストン、と落とすのはお約束なんだが、気が乗ると、そのとき「社長、社長」って手招きをして観客の注意を引いてからズボンを落とすこともあって、たったそれだけのことなのに、もう腹がよじれるくらいにおかしかった。まあ、おれだけかもしれないんだが、おれはこの「東京コミックショウ」という夫婦が好きで、これがいつ見ても、だいたいまったく同じ舞台。セリフも同じ。コドモの頃からずーっと見てても、ずーっと同じ。そんで、上手くなるとか洗練されるってこともなくて、とにかくいつも同じなのに、いつもおかしい。
 ケーシー高峯もいつも笑っちゃってたんだが、あの人はネタが毎回違う。ネタ自体はくだらないんで、正直何でもいいんだね。でも東京コミックショウは同じネタなのに、なんであんなにおかしかったのか。
東京コミックショー
 偉大なるワンパターンってのがあって、古くは小林旭主演の「渡り鳥シリーズ」なんかがそうで、ストーリーは一応毎回違うんだが、パターンは同じで、むしろ観客はそのワンパターンを望んですらいる。悪者が集まって最後の仕上げって所で、口笛が鳴り響いて「誰だ!」って悪者が叫ぶよね。こつ、こつ、という乾いた足音が響いて、螺旋階段を降りてくるシルエット。満を持して、甲高い声で「待ちな-」。これですよ。観客全員「来た-!」って。「アキラ!」って拍手しちゃう。それが毎回。シリーズだけど、やってることは大体同じなんだもん。今は銀幕に声かける人はいなくなっちゃったね。「健さん!」とか。
 1970年代後半の、伊東四朗、小松政夫、キャンディーズの「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!」のコントもそうだったね。毎回、大体同じなんだけど、ディテールが少しずつ違うの。蘭ちゃんが「のうして(どうして)! のうしてなのぉー!」って縋るのがばかっぽくて良かったよなあ。その演技が少しずつ違うのがおかしいんだけど、ワンパターンが面白い。「来るぞ、来るぞ、来るぞ。……来たー!」っていう。アレだ。水戸黄門とか時代劇の勝ちパターンだよね。印籠出したり、「てめぇら人間じゃねぇ。叩っ斬ってやる」とかいうの。「よーし、よし」って。最後に「おいら女は苦手だーい」って走って逃げる主人公とか。やっぱり好感度だと、これなんだろうね。「おう。せっかく助けたんだ。せめて、ひと房、揉ませろ」とか言わない。でも、よく考えたら、ひと房くらい、いいじゃねぇか。命を助けたんだぞ。等価交換的には、まるで釣り合ってないが、それで手を打とうってんだ。問題ない。ないのか。ってか等価交換とか言うヒーローって、どうなんだ。とはいえ助けられっ放しってのも、なあ。とりあえず、ひと房だけ恥ずかしそうに揉んだら、それはそれで面白いだろうが、やっぱりアウトなんだろうね。あれは、とりあえず揉むものではない。揉むなら真面目に揉め、ってか。そうだよな。見返り方面に行っちゃうと、そうなるから、女は苦手だーい、ってことになっちゃうんだね。ドラマツルギーの落としどころってことだ。王道ってのは、やっぱりそれだけの理由があるんだね。
 
 いや。本題はショパンだ。フレデリックのほう。やっすい代替薬じゃない。フレデリック・ショパンだ。うちの奥さんがローマ字読みで「チョピン」って言うと可愛いんだが、それはあの人が美人だからだ。タイ文字表記だと「โชแปง」と書いて、チョーペーンと発音するが、一般には知られていない。歌のない音楽だから殆どのタイ人は興味を持たない。
 なん年かまえ、ショパンコンクールで優勝した人(気にもしなかったが、ポーランドか、なんかその辺の人かな)のコンサートが辺境の地、札幌であって、深い考えなしに行ってみたことがある。会場に着いたらステージにはピアノが1台置かれてあって、「ふうん、ソロなんだ」と思った。貰ったプログラムの演目はショパンのピアノ曲一色だった。そうだよな。ピアノ協奏曲とか演ったらオーケストラのギャラが発生しちゃう。
 始まってみたら、優勝しただけあって、これがすごい。ショパンは嫌いではなかったが、それほど好きというほでもなかったのを改めようという気になった。1曲目の冒頭で、「ああ、そう。緻密なんだよなぁ、ショパンは」と思い知る。テーマの繰り返しも、その装飾音の構成にいちいち感心して、そうそう。ロマンティシズムなんだよね。ショパンのロマンティシズム。キラキラした音の重ね方とか、なんでこんなに悲しい旋律を思いつけるのかという、ちょっとしつこいような思いが堆積していく感じ。
 ショパンみたいな人生はイヤだな、と思う。たしかに39年の短い生涯で、うつくしい曲を膨大に残したけれども、あんな人生はイヤだ。とくにジョルジュ・サンドと知り合ってから死ぬまでがイヤだ。ジョルジュ・サンドがいなければ、あの傑作群はなかったかもしれないが、それを犠牲にしてでも過ごすべき日々があったような気もするが、おれがとやかく言うことではないし、もう歴史は変えられない。
 そんなことを思いながら、ピアノ曲の数々を聴いていたんだが、1時間過ぎた頃から気分が塞いできて、だんだんアタマが痛くなってきた。
 たまにそういうことはあるので、おれの鞄には頭痛薬と風邪薬は常備してあって、頭痛薬をボリボリと噛み砕いて飲み込んだ。
 ところが。
 頭痛は治るどころか、確実に酷くなっていき、気分も悪くなってきた。
 1時間半を超えた頃から我慢ができなくなり、客席の外のホワイエに出てベンチでピアノを聴いていたが、もういけない。2時間少しのプログラムの筈だったが、終盤はパスして帰ることにした。外に出て外気を吸ったら、それまでの頭痛はウソみたいに綺麗さっぱり消えていた。
 なんだこれ。
 しばらくして、音楽を生業にしている友人に、このことを思い出して伝えると、「そりゃそうだ」という答だった。
 え?
「そりゃ、ショパンのしかもピアノ曲ばっかり、ずーっと聴かされたんじゃ、たまったもんじゃない」
 あ。……そうか。
「そうだよ。酔っちゃうよ」
 ……だよね。あの毒が少しずつ回っていくんだもんな。
「うん。普通は、そんな企画はしないと思うんだけど」
 未開の北海道だからなあ。ショパンでピアノでハッピーだ、と安直に決めたんだろう。しかし、客席の人々は蒼い顔もせずに平気そうだったのが謎だ。開拓期にヒグマを素手で殴り屠った剛の者の記録があったが、そういう人の末裔だろうか。空気は、どよーん、としていたが、あれはおれの気分がそうだったからで、他の人はどうだったのか。いずれにしても、それからしばらくショパンは聴きたくなかったのを憶えている。

 そういえば、ヴァイブラフォンという楽器があって、あれにも毒があるかもしれない。
 ヴァイブラフォン、いいじゃん。ミルト・ジャクスンとか。古くはライオネル・ハンプトン。ボビー・ハッチャースン。みんないい。そう思っていた学生の頃、ヴァイブラフォン奏者のバンドにトラで出てくれないか、という話があって、喜んで参加したことがある。ベース弾きが怪我をしちゃって、なんて理由だったらそう言うんだが、理由を言われなかったときに詮索してはいけないという暗黙の了解で、その辺は訊かなかった。
 ヴァイブラフォンを見たのは初めてだった。
 モーターが回って、プーリーのベルトが、丸い板を回して風が起こって、下に伸びたパイプで、わぉーん、というようなヴィブラートで共鳴するのだな、ということはわかるが、詳しい構造はわからない。風は副次的に起こる物で、風じたいがヴィブラートに関係あるのかどうか。
 そんなことより初顔合わせでセッションしたら、もうこれが気持ちいい。いえー。ヴァイブラフォン最高! って感じでニコニコ共演していた。奏者も良い人だったが、「おれトモダチいないから」なんて言って、シャイな人なんだなと思っていた。
 鉄琴だよね。あの無機質な音に、なんかモーターが回って、粘っこい音になる。いえー、いえー。毎日楽しくベースを弾いていたが、5日目くらいに突然、本当に突然、ずん、と胸が重くなった。あれ? 体調が悪いのかな、と思いながら、その日はそのまま我慢したが、翌日も憂鬱が晴れない。晴れないどころか、酷くなる。なんだろう、と思っていたが、もしやという気持ちもあり、その予感は翌日の一週間目にはっきりとわかった。ヴァイブラフォンの音がキモチワルイ。キモチワルイだけならいいんだが、その音に殺意さえ湧いた。奏者の背中を蹴りたくて堪らないのだ。
 やばい。
 良い人なんである。
 それはわかっているんだが、音が憎い。唐突な殺意に耐えきれず、リーダーのヴァイブ奏者に言った。「ごめんなさい。もうダメです。辞めさせてください」
 ん。と彼は溜息と共に頷いた。慣れているようだった。
Lionel Hampton and Benny Goodman - Stealing Apples (high quality)
 一週間で殺意である。
 あ。ただ、この殺意がヴァイブラフォン奏者ぜんたいに対するものなのか、それともこの個人だけに向けられたものなのかは、わからない。ヴァイブ奏者とは二度と共演してないのだ。もちろん誰でもがヴァイブ奏者に殺意を抱くってことでもない。もしそうなら奏者自身が生きていけない。
 ともあれ、たった2時間足らずで気持ち悪くなったショパンなら、2日か3日もあれば凶悪な人間になってしまうのは間違いない。ていうかそんなにショパンを聴き続けられるものだろうか。おれの身が持たないかもしれない。
 ショパンのピアノ曲集なら、サンソン・フランソワの10枚組CDボックスを持ってるんだが、確かに通して聴こうとは思わないし、いっぺんに複数枚も聴かない。滅多には聴かないけど、たまに聴くとすごくいい。
 ピアノ曲もいいんだが、ピアノコンチェルトが好きで、もちろん1番だ。1番がいい。
 えー、あれオケがスカスカじゃん、というのが大方の評価かもしれんが、あれはスカスカでいいんだと思う。ショパンだからね。ピアノのことしか考えてない。オーケストラはピアノの盛り上げ役としか思ってないんじゃないか。2番よりも1番のほうが圧倒的に良いよね、と思ったら、作曲の順番は1番より2番のほうが先なんだね。発表順で1番が先だったってことらしい。なるほど。納得だ。
Martha Argerich plays Chopin Concerto No. 1 (2010)
 これはいいよー。「なかなかピアノが始まんねぇじゃん」て思うかもしれないが、ピアノは4分半を過ぎてから入ってくる。急いでないなら最初から聴くといい。
 
 そういえばアセトアルデヒドは二日酔いの原因とされるんだが、あれは危険物(第4類)で、よく燃える。驚くべきは沸点で、摂氏21度だ。春の日に沸騰しちゃう。引火点なんか摂氏氷点下39度だ。極寒の旭川でも引火しちゃう。二日酔いの人は、燃えやすいはずだ。だが火ィ点けちゃダメだ。
 よく燃えるというと、酢酸もそうで、あれも危険物(第4類)だったはずだ。むかし特許を取ったときに必要になるかと思って危険物の資格を取ったんだけど、ぜんぜん必要なかった。いやしかし酢酸って、酢のことだよね。あれ燃えるのか? と思うかもしれんが、市販の酢は水で薄まってるから燃えない。でも炭化水素化合物だからガソリンやアルコールとは親戚で、だからアル中の治療をしたくて酒を断ちたいけど上手くいかない人は酢を水で割って飲むといい。酔っ払いはしないが構造式が似てるので、禁断症状が緩和されるはずだ。店で売ってるままの原液で飲むと喉や胃が爛れるかもしれないから水で割って飲まなきゃダメだ。血圧も下がると言うし、いいんじゃないか。ただ、不味いんだ。酸っぱいだけだもんね。おれはアル中ではないけど血圧を下げるのに飲んでみた。でも、あんまり効果なかったな。人によっては効果があるっていうんだけどね。
 あ。あとアル中方面の人で、ワンカップじゃなくて紙パックの酒をストローで飲んでいる人を見たことがあって、あれは美しくない。酔っ払うと美意識がおかしくなっちゃうのかな、って言ったら、ばかだなあ、って言われちゃった。あの紙パックのストロー飲みは、美意識どころの話じゃなくて、ワンカップだと手が震えて、ジャブジャブこぼしちゃう中毒者の為の救済策なんだって。ストロー挿してあれば、手は震え放題で、それでもちゃんと零さずに飲めるんだってことで、そういう生活の知恵だったんだね。感心したけど、アタマが良くなった気はしない話だ。
←紙パックの酒とワンカップ
เรวัตตะฮักนะลีลาวดี - เวียง นฤมล x เบียร์ พร้อมพงษ์ 【MUSIC VIDEO】
 アセトアルデヒドでググったら出てきた歌だ。アセトもアルデヒドも全然カンケーない。でも、いい曲だね。とてもいい。去年のリリースだ。去年の曲の中でも俄然上位のヒット曲。
「リワッター仏はプルメリアの花に転生する」みたいな意味のタイトルだ。
 どういうことかというと、原初仏教の伝承である「レラワディー」という話を元にした物語で、主人公が「リワッター仏(พระเรวตพุทธเจ้า)」っていうらしいんだが、ブッダガヤとサルナートという仏陀ゆかりの地が舞台の恋物語らしい。らしい、らしいで、ハッキリしないのは仏典にあるようなちゃんとした資料がないからで、テキトーだから資料も少なく、Wikipediaの項目もない。大乗経サンガータスートラのダルマパルヤヤ(มหายานพระสูตรพระสูตรธรรมปายา)の一節にリワッター尊者ってのが、ちょこっと出てきて、どうやらそれらしい。タイ語でググれば膨大な物語がゾロゾロ出てきて、そこに一行くらいの記述があるというんだが、読む気が失せた。

 歌詞もイサーン語全開で、よくわかんねぇの。田舎者でもこんな仏教の知識があるんだね。タイ人のこういうところは、ほんとに侮れない。とにかくプルメリアの歌だ。プルメリアってのはたまに聞くけど、松田聖子主演の映画で、そんなのがあった。観てないけど評判は良かったんだっけな。アイドルの出てくる映画ってわりと好きで、幾つか観てるけど、松田聖子のは興味がなくて観たことない。観ておけば良かった。プルメリアって夾竹桃の仲間なんだね。夾竹桃と同じく毒があるようだ。
 歌詞だ。

高貴な孔雀のように アイマンノクジャオ
サンサラワタナ 元気を出して
離ればなれのわたしたち
プルメリアを手向けましょう 元気が出るように

私の頬に口づけを
ねえ 私は恥ずかしいわ みんなは興味津々だから
見えますか
においがします でも愛は他の人の匂いを嗅がないこと

愛 ホーム(首筋を嗅ぐ愛情表現) 夜そして昼
目覚めて おねがい
謙虚な老人は 死に押しつぶされて
なんて甘言なの ノンカハオアイ 私のために死ぬことをいとわない

 ちょっとわからない詞だ。難しいパーリ語の仏教用語とイサーン語がてんこ盛り。だから抄訳も抄訳。これが限界だ。雰囲気だけお伝えできただろうか。
 歌っているのは娘がウィアン・ナルモン。男がビア・プロムフォン。
 娘の方が有名なモーラム歌手なんだけど、大学卒で、チンタラーッ姐さんみたいに苦労して大学出たんじゃなくて、お嬢だ。苦労なんてしたことないモーラム歌手ってのも珍しい。下品な衣装を着せられてドサ回りなんぞ、したこともないんだろうな。若く見えるけど1992年生まれの30歳。アルバムも数枚出してて、どれも売れてる。いっぽう男は、この歌がデビューで、デビューしていきなり、この曲がタイで殆どのラジオ局のチャートの1位を独占して、Youtubeでも、あっという間に1億回再生というラッキーボーイだ。名前のビアってのは、タイ人によくある渾名で、ビールのこと。だからといってビール好きとは限らないのはタイ人の渾名によくあることだ。
 男女の掛け合いって、タイ歌謡のジャンルとして確立されていて、それはモーラムだけじゃない。タイ古典音楽の頃からあり、ルククルンの大御所ユアマイも男女歌手の掛け合いを売りにしたユニットだった。例を挙げればキリがない。タイの男女の掛け合いが下品という決めつけは良くない。っていうか下品なのは主に旧式のモーラムの掛け合いくらいだ。
 訛ってるね。二人とも、すんげぇ訛ってる。そしてイサーンっぽいコブシの回し方とフレージング。旋律は古典歌謡の流れを汲むもので、イサーンなのに下品さの欠片もない。
 イサーンの上流階級って感じ。もちろん、居る。イサーンの人の全部がトッケー(トカゲ)の開きを焼いて食ったり、昆虫食とか犬を食ってるわけじゃない。ちゃんとクラスに一人はベンツ持ちの家の子がいるのだ。「うちのクルマはヒーターがあるのよ」って自慢するイサーン出身のお嬢様がいたが、たしかにタイ国産のトヨタなんかじゃヒーターは付いてない。つまり輸入車だってことを自慢してるんだが、日本や北米と違ってタイも輸入車の関税は100%ほどで、つまり倍の値段になっちゃう。世界標準だと輸入車の値段が2倍になっちゃうのは普通なんだが、やっぱりタイ国内で製造のクルマよりはバカ高い。
「だけどヒーター使うことなんてあるの」って訊いたら、まだない、だって。でも異常気象に備えておくべきでしょう、って半目になって威張ってんのを聞いて、うちのヨメは「そうね(ใช่)。あと200年もしたら、そんな日も来るかもね」って同意していた。金持ちは危機管理能力に長けてる。見習わなくては。
 では。5000G!
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