もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

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2022年07月24日 14時17分41秒 | タイ歌謡

 道を憶えるのが苦手という話をしたことがあったが、それで実際に困ったことがあったかというと、そんなにない。
 憶えるのが苦手なばかりに感動したことならある。
 30歳になる少しまえの頃だったかな。香港の友人の事務所を訪ねて行ったときだ。いつも地図をアタマに叩き込んでから鞄にそれを仕舞い、足を踏み出す(地図を見ながら歩くようなことはしない。大声で「観光客です。良いカモです」と叫んでいるのと同じで、危険だから)んだが、その友人の事務所は移転してからも、もう4~5回行ったことがあって、さすがに憶えちゃったもんね、と歩き出したら何だか見たことのない風景が広がっていた。あれ? おっかしいな。きょろきょろ周りを見渡していたら、名前を呼ばれた。おれの名だ。
 え? 振り向くと友人が微笑んでいた。
「唔通(ん↓とん→ - アイヤーみたいに驚いたときに言う)! おれの事務所を探しているのか?」感嘆詞だけ廣東語で、そのあとは英語に切り替わった。
 うん。うん。頷いた。
「それはミラクル!」驚いていた。「おれの事務所なら、向こうの通りだ。君は間違った道を得たに違いない」
 えー。
「とても近い。オールモスト合ってるけど、間違ってる。道を曲がるポイントが違っていたんだろう」
 彌敦道(ねい→ざん↑どう→)を北に来て、お婆さんをランドマークに右に曲がったんだ。これまで間違ったことはなかったんだがな。
「ふははは」噛みしめるように笑う。「ニホンジンの冗談って良いよね。中国人のとは違う」
 へへへ。
「ビールを飲もう。ハッピーアワーで半額なんだよ」
 ほんとだ。店に大きく「五折」のプレートが掲げられていた。
 ビールを飲みながら、友人は名古屋の猟奇事件の話題に触れ、「妊婦の腹が裂かれて、腹から嬰児が引き出されて代わりにプッシュホン式の電話の受話機とミッキーマウスのキーホルダーが詰め込まれていたんだよな。日本人って、そうなのか?」と興奮気味に訊かれた。
 いやいや。それが普通にあることなら、ニュースになってないよ。
「そうなのか。日本でも珍しいの?」
 その通り。こんなの初めてだと思うよ。
「そうかー。すげぇなニホンジン」
 いや。だから普通のニホンジンは、こんなことしないって。話を聞けよ。そう思ったが、ひとりで頷いていた。思い込みの決めつけをすることのある男で、当時香港に出店して店舗数を広げていた「ヤマザキパン」の社長は女で、「阿信(おー→しん→ - NHKの朝ドラおしん)」のモデルなんだってね、と言うので、知らないな、そんなことないと思うぞ、と、やんわり否定したら「なんだ。きみはニホンジンなのに知らないのか。おーしんはヤマザキパンの女社長なんだぞ」と決めつけ爆弾を炸裂させていて苦笑した。香港じゃ、それが常識なのか。もう面白いからそれでいいよ。
 この名古屋の猟奇事件があったのはソウルオリンピックがあった年だったから‘88年か。香港がまだ香港だった頃だね。ああ、つまり返還まえって意味ね。
 このとき、ぐうぜん友人に会わなければ、今でもその辺を彷徨っていたのかもしれない。

 そうだ。
 困ったことは、いち度あった。
 東京に出てきた翌年に荻窪の銀行で、ぐうぜん高校の時のクラスメイトのHくんに会った。そんなに深い付き合いはなかったけれど、いち度か二度、実家に遊びに行ったことがあった。おれ達の通う高校のある街から国鉄(当時)でふた駅先の町から来ていたHくんは、ツッパリではないのに幼なじみの近所の友人達が皆ツッパリだったせいで同じようにパンチパーマをあて、チョーランと呼ばれる丈の長い学生服を着ていた。中身は真面目な奴なのに、遠目では明らかに不良だった。東京に出てきてもパンチパーマは相変わらずだったが、まだ「ダサい」という言葉が世に広まるほんの少しまえだったから、ダサくはなかった。カッコ悪いだけだった。Hくんは、これからバイトだからと次の休日の待ち合わせ場所と時間を決めてくれて、後日予定通りに落ち合い、彼の部屋に行った。
 話は弾んで、酒など飲み、また会おうね、うん、ぜったいに遊びに来るね、と別れて、次の休みにHくんのアパートに遊びに行ったが、そのアパートが見つからない。道は確かに憶えていたのだが、その記憶を頼りに歩くと、目的のアパートが、ない。どうなってやがる。
 二・三度探しに訪ねたが、とうとう見つけることはできなかった。Hくんとは、それっきりだ。今みたいに携帯かスマフォがあれば、こんなことにはならなかった。元気だといいな。

 ところで、さっき香港の友人が驚いたときの感嘆詞で「唔通」と書いたが、香港をはじめ廣東語圏でアイヤー(哎呀)って言わないのかというと、言う。普通に言う。北京語でも廣東語でもアイヤーは、しょっちゅう聞く。他の中国語方言でもアイヤーなのかどうかは知らない。香港のアイヤーが聞きたかったら映画館に行ってみるといい。ちょっと予期せぬどんでん返しのシーンだけでなく、一つの映画で最低いち度は申し合わせたみたいな観客のアイヤーの合唱が聞ける。
 アイヤーは便利な言葉で、驚いた時だけでなく、落胆したときや思いがけなく嬉しかったとき、あと「おいおい」ってツッコミにもいける。
 ただ、日本人が遣うのはどうか。日本人が英語で「Oh my god」とか「Ooops(ウープス – おっと)」みたいなことを言うのを聞くと違和感あるでしょ。「英語が話せるのはわかったよ」って、聞いてる方が恥ずかしくなる。どんなに発音が良くてもだ。さすがに英語が上手くなると「Oh my god」には抵抗があって、しょうがなく「Oh my goodness」って言ってる人がいて、苦労してんなとは思う。だからって「Oh my gosh!」は恥ずかしいよね。ここは日本語の「えー……」でいいじゃん、と思うが、配偶者が英語圏の人なんかだと、つい釣られて出てしまうのは、わかる。でもさすがに「アイヤー(哎呀)」って言う日本人は、あまり聞かない。これは単に中文の話者が少ないってだけのことなのか。
 タイ語だと、ここまで汎用性のある感嘆詞はない。「オ・オーイ(โอ๊ะ โอ๊ย)」は、「うわあ」みたいな時にしか遣わないし、「オー↷ホー↺(โอ้โห)」は感動・感心のときに言う言葉だ。落胆したときは「トォー↷(โธ่)」だし、あー、って納得するときは「オォー↺(อ๋อ)」だ。
 ビックリした時は「ウヮーイ↑(ว้าย)」だけど、これはどちらかというと女言葉で、男は「オ・オーイ(โอ๊ะ โอ๊ย)」か。おれはタイ風に「オ・オーイ(โอ๊ะ โอ๊ย)」って驚いたりするかというと、しない。日本語で驚く。
 かつて、うちの奥さんと喋ってて、つられて「อะหรอ(ア・ロー – あっそう、みたいな相槌)」を打ってしまったことがあって、途端にくすくす笑って「タイ人みたい」って喜んでたんだが、それっきり遣ってない。「また言ってよ。なんか可愛いから」って言うんだけど、それは自然に出たからかもしれず、とにかく恥ずかしい。
 ところが。
 外国の人が足の指をぶつけて「あいたー」って言っても、べつにどうってことはない。「まじすか」ってのも、うちの奥さんが言ったときに笑ってしまったけど、それも別に構わない。「うっそ」「やだ」も聞いたことはあるが、これもいい。ギャル言葉を喋る外国人てのも笑っちゃうだろうが腹が立ったり嫌な気持ちになったりってことはないと思う。ちょっとイヤなのはヤクザチックな言葉で、「しかとシテンジャネェヨ」とか「まぶノちゃかジャネェカ」と外国人に言われたら、これは何か困るし、怖い。
 古語はどうか。「異国より来たる者 足の指ぶつけ あはまほしや と言へとも ことにとうなるはあらす まことなりやなるも うちの北の方の言ひしに笑ひぬれと それも殊に構はす」と、うちの奥さんが言い出したら「え。何だって」くらいは訊き返すかもしれないが、イヤというほどではないな。
 逆も、まあ同じようなことで、日本人が英語で「Oh my god」とか「Ooops」みたいなことを言っても、英語圏の人々はべつに「うっわー恥ずかし-」などとは思わないようだ。移民などもわんさかいるので、「ああ英語がヘタなのね」くらいにしか思わないようだ。
 えー。つまりですね。
 他人がいかにもガイジンぽいことを言うのは別に構わんが、自分が言うのは恥ずかしいってことだ。なーんだ。ただの自意識過剰じゃないの。
 こんなことを気にしだしたのは、学生の頃にジャズみたいなことをしては喜んでいた日々で、ちょっと歌ってみたらスキャットが恥ずかしかったのだ。
 ♪シャバドゥビ・ウビヤーとか歌ってんのを聴くと、もうカッコよくてね。そこで「おー、いえー」とか「おー、やー」なんて言うとアメリカンぽいんだが、そういう引き出しが、ニホンジンのおれには、ない。そもそも「シャバドゥビ」がない。「ウビヤー」は、もっとない。借り物でない掛け声だと、「うひー」、「うおー」、「くぅーっ」あたりが精一杯で、スキャットとなるとどうして良いかわからず、気付くと♪たばたー、と歌っていた。駅名か。人名か。次に♪とぼたばー、という音が発せられて、「これは、タ行とバ行なのでは」と思うのと同時に♪ちびつぼー、とか歌っていた。意味不明である。スキャットとはいえ意味がなさすぎるし、ふざけているようにしか聞こえない。
 これはあれだ。ジャズのモード手法じゃないの。モード手法といえば魁にして金字塔の「So what」だ。喧嘩を売ってるわけじゃなく、曲名だ。この曲があまりに有名なんだが、テーマがDドリアンで16小節奏でて、次にE♭ドリアンに移調して8小節、最後にDドリアンに戻って8小節で1コーラス。この繰り返しだ。おれはタ行とバ行。そっくりだ。と勢いで言ってみたが、どう考えても違う。似てるけど、違う。テキトーなことを言った。
 思い付きでモード手法などと言ってしまったが、タ行とバ行の羅列。これなら恥ずかしくなく歌える。
「めざめ」 伊集加代 ~ネスカフェ ゴールドブレンド CMソング~
 そんなわけで、ネスカフェのCMソングをジャズアレンジでMJQ(マジ九官鳥、ではなくモダン・ジャズ・クァルテットのほう)ふうに演奏して「♪たばたー、いけぶぅーくーろ、ごたんだめぐーろ、あきはばら……」って具合にテーマを歌い上げ、スキャットは連続の3連符で「♪たばた、たばた、たばた、みなみたばた、ひがしたばた、たばたたばた、たいばばたば、べたびおー」などと、心を込めて歌ったのに、「恋の山手線よりアタマ悪そう」と言われてしまった。早すぎたのかもしれない。あと50年経っても評価されないだろうけど。
 MJQというバンドもキヨホーヘンと片仮名で書くとドイツ語っぽいが毀誉褒貶のある人たちで、「なーんかジャズっぽくない」とか「軟弱だよね」なんて言われることがあるんだが、よーく聴きなさい。ヴァイブラフォンのおじさんがいて、ミルト・ジャクスンというんだが、このおじさん一人でファンキーを背負ってるので、否応なしにジャズなんであった。そもそも結成当初は同メンバーなのに「ミルト・ジャクスン・クァルテット」でMJQだったくらいで、ピアノ弾きのジョン・ルイスという人がバロックふうに弾くのが一貫したスタイルだった。
 バロックとジャズの相性は良くて、分散和音の和音解釈をバロックふうにするだけだ。ジャズファンにバッハを聴かせると「あ。ジャズだ」と言うんだが、もちろん違う。違うが似てる。説明よりも、聴けばわかるか。
MJQ 朝日のようにさわやかに Modern Jazz Quartet Softly, as in a Morning Sunrise
 MJQの解散はミルト・ジャクスンとジョン・ルイスの音楽性の違いというのが通説になってはいるが、昔読んだダウンビートの記事では、その頃人気急上昇のABBAというスエーデンのグループの、あのばかみたいな歌が売れまくって、その売り上げ額を聞いたミルト・ジャクスンが「冗談じゃねぇわ。やってられっかよ」みたいな感じで脱退、という話だったと思う。そう理解したんだが、まだ未成年で英語が今よりももっとヘタだった頃だから、もしかしたら違ってるかもしれないが、いかにもミルト・ジャクスンっぽい話で、おれはもう、それが真実だと思い込んでる。
 まあ、ミルト・ジャクスンもMJQを抜けたからって、それで収入が増えたかって言うと、そんなことがあるわけもなく、ジャズ界ではそこそこ大御所だったMJQも解散して、むしろ困窮したかもしれない。 
 
ถ้าฉันหายไป (Skyline) - เอิ๊ต ภัทรวี [Official MV]
 今回の歌は「私が消えたら(ถ้าฉันหายไป)」という歌で、直訳だと「もしも私が行方不明になったら」って感じ。良い歌だな、ウィスパー系だな。と思ったら、まえにタイの新進シンガーソングライター達を一挙に紹介したときに、一番有力だと思うと推した、あのアーッ・パッタラウィーさんだった。ちょっと雰囲気が変わっていて、すぐにはわからなかったけれど、整形したわけでもない。たんに大人になってただけだった。こないだ紹介したのは2014年発表の曲で、メジャーデビューまえだったけど、そのあとに3枚のスタジオアルバムと2枚のシングルを発表していて、ほんとに売れちゃってたとは。おれの言うことで当たることもあるんだね。自分でビックリだ。渾名のアーッっていうのは英語の「Earth(地球)」のタイ語読みだ。
 経歴はまえにも書いたんで詳しくは書かないが、チュラ大を出たあとにオーストラリアに音楽留学してる。相当アタマ良いうえに、裕福な家の娘だ。良い曲を作るだけじゃなく、楽器の演奏が巧い。普段はギターを弾いているけど、幼少時からピアノとヴァイオリンはこなしていて、他にもベースが弾けるのは同じヴァイオリン属だから納得だけど、ドラムスも巧い。ウィスパーヴォイスって歌が巧く聞こえないけど、歌も巧い。アイドル時代のアグネスチャンなんて、歌が下手な印象なんだけど、日本語の発音がヘンなだけで、歌は相当巧い。アグネスのデビュー当時はギターを持って歌ってたんだけど、あれは弾いてるフリなのにちゃんと正しいコードを押さえていて、コードチェンジもちゃんとしてて、中華系芸能ロボットみたいで気持ち悪かったよね。大人になるとまた別の気持ち悪さを獲得してパワーアップしていくんだが、副業でヒラヒラの中華ドレスを売るメゾンでもやれば良かったのにね。ブランドネームは「アニエスC(セー)」で。何の間違いもないが日本では売れないか。
 アーッ・パッタラウィーさんだった。お嬢だから、イヤな仕事とかどさ回りなんてしてないんだろうね。いちおう芸能界なのに汚れた感じにならない。タイぐらいになると、ビンボ人の子が芸能界入りすると、とんでもない蟻地獄みたいな状況に落とされるのもいるけど、良いとこの子だと、迂闊なことをすると何が出てくるかわかんないから忖度してもらえることも多い。日本はヘンなところで平等なのか無鉄砲なのか世間知らずなのか、良いとこの子女でも危険に晒されることはある。階級ってのも悪いことばかりじゃないのかもしれない。
 そもそも芸能活動の初めが、Youtubeに自作曲を公開したことで、これが高校生のとき。じわじわと人気を広げていって、今ではYoutubeで1億回再生の曲もある。こないだ紹介したときは、全然そんな数じゃなかったのに。大手のプロモーションなしで。いいね。何か嬉しくなった。こんな感じの売れ方だからすれっからしになることもない。
 まあ、順調に才能を伸び伸びと開花させていらっしゃる。いるんだよね。こういうの。タイでは出来が良いと飛び級なんて当たり前だから、コドモの大学生なんて珍しくない。っていうか、そういう子達は固まってるんで、一人知り合いになると芋蔓式に知り合える。じつは、うちの奥さんも飛び級だったんで、友達に飛び級仲間も多いんだけど、「わたしは1年しか飛んでないから、普通の人です」って言ってて、何を謙遜してんだと思ったら、2年飛びました3年飛びましたってのがゴロゴロいて、たしかにそういう奴らはレヴェルが違う。ちょっと話しただけで「うっわー、アッタマいいなー」って思うもん。
 まえに、うちの奥さんが、おれを評して「あんたくらいがちょうど良い」みたいなことを言ってたんだが、どう考えても褒められてはいないよね。まあ嫌われてるわけでもないから、いいけど。
 さて、歌詞の抄訳だ。

遠くに地平線 他には何も見えない
どこまで歩いても 遙か遠く
いくら距離を経ても 変わることがない
あなたと私みたいね

遙か ずっと向こうまで歩いても
距離が変わったようには見えない

どこまで歩いたらいいの
心が疲れたの

いつか私が消えたなら
あなたはそれを どう思うかしら
あなたの目には 私が見えていますか
それとも 私には何の価値もないのかしら

私が消えたなら
気の毒に思ってくれるのかしら
このまま続けるべきなのかな
それとも私は やめた方がいいのかな

これまでと同じように遠いのなら

 いるよね。こういう料簡のタイ人。人口の半分ちょっとは、こういうんだと思う。心に壁があるの。誰も寄せ付けない壁なんだけど、タイ人の壁って、綿みたいに柔らかいんだよね。
 アジアで孤独を抱えた人たちというと、タイプは違うけど、日本人とタイ人がそうなんじゃないか、と思う。
 なんか、そういう意識のあり方みたいなのは、タイ人が一番わかりあえるような気がする。
 おれとメンタリティーが似てるってだけのことかもしれないが。
 タイ人って、ひとの気持ちにも敏感な人が多くていいよね。
 なんか元気がなくて消沈してるときなんか、「どうしたの?」って訊いてくる。
 いや、べつに、って溜息吐いたら、すっごく優しい表情になって、ぺろん、って胸をはだけて、「ほら。(おっぱい)吸っていいのよ」みたいな仕草をしてくれる。
 まあ、吸わないけどね。
 おれは男の乳首なんて吸いたくないんだ。
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