もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

後期印象派と追憶派

2024年05月25日 10時03分27秒 | タイ歌謡
 ニュース解説の番組に唖然とした。
 と言っても、その解説内容に唖然としたのではない。どういうつもりなのか解説番組なのにマスコットがいて、それがデフォルメされた猛禽類の縫いぐるみなのだ。番組タイトルの「みみより!」に因んだミミズクだと思われる。それが、解説の合いの手で「ほー、ほー」と相槌を打つ。のべつレスポンスするわけでなく、10分程の番組中に数回(だいたい2~3度)といった頻度だからウルサいことはないんだが、違和感が凄い。声をあてているのは有名どころの女性声優で、甲高い声で「ほーほー」なのか「ぽっぽー」なのか判然としないが、とにかく啼く。その名も「みみちゃん」。
 先日のエントリーで、魔法少女ものや、異世界ものなどのアニメに正体不明の小動物みたいなのが出てきて、「ぴぽぱー!」などと意味不明なことを言うのは、故意に場違いで奇矯な夾雑物を紛れ込ませて、「魔法少女? そんなのいるわけねぇわ」とか「異世界に飛ばされるとか。ないわー」と我に返る隙を与えないための目くらましとして「な、何? こいつ。たとえば何?」と判断停止を促す装置なのだと定義した。こんなヘンテコないきものがいるような世界なら、魔法少女でも異世界転生でもアリだよな、と強引に捻じ伏せてると喝破した。アタマが良くて申し訳ない。
 ところが。
 解説番組だ。我に返った状態で視聴するのが望ましいと思われるのに、目くらましの「みみちゃん」投入だ。これはサブリミナル的なアレなのか。それとも自戒を込めたNHKの「マスメディアなんかに騙されないように」というメッセージなのか。どっちにしてもミミズクの縫いぐるみが「ほーほー!」だ。
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 最初ふざけているのかと思ったが、どうもそういう番組ではなさそうだ。プロの声優まで仕込んでの相槌で、内容がアタマに入ってこない。あ! それが狙いか。愚民を増やすためのミミズク。
 ミミズクだと断定していい。フクロウとミミズクは生物学的には同じものだが、見た目で頭が丸いのがフクロウ、頭に羽角(うかく)があるのがミミズクと呼ばれていて例外もあるけど、だいたいそうだ。羽角が耳に見えたんだろう。ズクというのはフクロウの古語で、耳のあるズクだからミミズク。ついでにミミズクの小さいのがコノハズクと呼ばれる。
 英語ではどれもOwlだけど、細かく言うとミミズクを「horned owl」とか「eared owl」と呼ぶこともあるそうだ。

 ただ、ふつうに「みみちゃん」と言うとマルシンハンバーグのマスコット・キャラクターを指すわけで、ついでにググったら、みみちゃんは一昨年(2022)還暦を迎えていた。おれより年下だったのか。あれ、まだ売ってるんだね。四十数年まえに買ったきりだ。当時は印刷されたパラフィン紙みたいので包装していた記憶があるが、なにぶん昔のことなので事実かどうか。はっきりと憶えているのは(なんでこんなに安いんだ?)と思ったことだ。挽肉だし混ぜ物も多いから安かったのか。いつの間にか丸大食品に買収されていたんだね。元々栃木県の会社だから、宇都宮餃子の下請けなんかもやってるようだ。

 ところで、ちいかわだ。
 急にどうしたのかと思われるだろうが、ちいかわである。
 オリジナルを見ずに、記憶力だけを頼りに描いてみた。

 Windowsにデフォルトで装備されているペイントというグラフィックソフトウエアで、タッチパッドを指先だけ遣って描いた。スタイラスペンとタブレットのセットも持っているが、指先だけで描いたほうが操作が難しく、表現には制約が必要なので、指先で描く。上手く描けないもどかしさが楽しいのだ。
 それなのに。
 なんだかオリジナルに似てしまって、つまらない絵になった。
 これじゃダメだ。じつは中華通販サイトで売られている、ちいかわのイラストつきバッグに触発されて(こ、これはおれも描かねぇと)と決意した。中華ちいかわイラストを見ていただこう。
 迷いのない線なのに、タッチが枯れている。ただ者じゃねぇぞ、こいつは。

 ちいかわをご存知ない方に、それをどう説明したものか。おれが描いた絵のうち3体のキャラクターは左から「うさぎ・ちいかわ・ハチワレ」といい、うさぎは名の通り兎、ハチワレは猫であるようだが、ちいかわは何の動物か不明である。先日も中国の雑貨小売大手の会社が、キャラクターを「藍色褲頭猫(青パンツ頭の猫)」「智障愛哭鼠(知的障害の泣き鼠)」「瘋狂怪叫兔(狂った奇声兎)」と紹介して炎上、謝罪したばかりだ。ていうか中国で人気だということに少し驚いた。
 とにかくどう説明したらいいのか難しいんだが、年寄りなら誰でも知ってるキャンディーズで喩えると、うさぎはスーちゃん、ちいかわが蘭ちゃんで、ハチワレがミキちゃんか。ぜんぜんわかんねぇな、これ。
 あ。そうだ。カラマーゾフのてなもんや3兄弟で喩えればいいのか。うさぎはドミートリイだな。イワンはハチワレしかないし、そうすると、ちいかわはアリョーシャか。間違ってないな。的確である。じゃあ、ついでにモモンガがスメルジャコフでいいな。
 ドストエフスキーが生きてたら納得してくれると思う。

 そんなことよりタイトルの追憶派だが、じつは一般には知られていない。
 タイトルで後期印象派なんて用語とセットにしたから(絵画の勢力かな?)と想像はつくだろう。後期印象派はわかりやすいから日本でも人気だ。ゴッホやセザンヌとか。そのあとのバウハウスも好きだ。抽象絵画はわかりにくい印象があるけれど、カンディンスキーなんかは(うっわー。キレイだなー)ってのが先に来るからいい。
 と、こんな話がしたかったんじゃない。追憶派だ。
 追憶派が一般に知られてないってのはあたりまえで、おれが一人家元だからだ。ひとり家元ってのは自分で言ってるだけで、弟子も会員もいない。勝手にそう呼んでいる絵の描き方だ。簡単に説明しよう。描く対象を見ずに思い出して描いてみる。それだけだ。だから追憶派。いわゆる「思い出して描いてみよう」ってやつだ。
 もう二十数年まえのことだが、インターネットの使い始めで海外の友人達と簡単に連絡が取れるようになったんで、文明の利器で国際与太話に花が咲いた。今となっては、なぜそんな話題になったのか憶えてないが新沼謙治の妻の話が出て、おれが「こんな顔だっけ」と思い出して描いてみたものを貼付してみたら、大騒ぎになった。
「これはひどい」「笑った笑った」「悪意がないとしても、これはアウト」「だめだ腹が痛い」「もっと見せろ」「頼む。◎◎を描いてみてくれ」と、反応が凄かった。
 見て貰うのがいち番早いね。最初の新沼の妻の絵は保存したはずだったが、どこかに行ってしまった。
 数年経って、Twitterで披露したときは、見た人も増えたので反応も増幅したが、追憶派を標榜して他の人にも絵を募ってみても、あんまり集まらなかった。集まったのは絵の上手い人だらけで、シロウトの上手い絵はつまらない。おれの絵が図抜けて酷かったから「やっぱり巨匠みたいには描けない」と言われたが、これ絶対に褒めてないよね。
 字で説明するより見てもらったほうが早いね。こうだ。

 ひどいものだ。
 いちおうオリジナルも、ぼかして比べてみようか。

 自慢じゃないが、おれが描いたのは、ひどい。ぜったい自慢できない。
 見ておわかりのとおり、だめだ。ホントにだめだ。
 それでも友人に見せると好評で、「もっと見せろ」とせがんできた。まあ美しさに感動しているわけがない。それは一目瞭然だ。これを見て笑っていたに違いない。
 だって、描いた本人のおれも、自分の絵に笑っちゃうもん。
 たしか、こうだったよな、と思って描いたのに、(え。こうじゃないな)と違いを見せつけてくる。自分の絵なのに、おれを裏切ってくる感じ。この辺が違うのかな、と当たりはつくけれど、どう違うのかは判然としない。それがわかるくらいなら、そっくりに描けているのだ。
 描くにあたっての大まかなルールは自己に課してある。
 ・記憶だけを頼りに描く。見本は見ない。
 ・タッチパッドを使って指先だけで描く。
 ・できるだけ5分以内で描く。可能ならば3分。1分なら尚良し。
 ええとね。これでも1959年うまれの満64歳だ。誕生日が来ると65歳。数えで66歳。四捨五入で100歳だ。こういう絵を描いてくすくす笑ってる場合ではないのは承知だが、たまには大目に見てほしいのだった。
 もうね。パクりで訴えられることないな、と確信できる水準で似てない。ひょっとしてアレかな、とは思うけど似てない。描いてみて似ちゃったやつは、その場で消してるからね。ヘンなのか微妙なのしかない。

 これもひどい。想像つくけどなんか違う。
 世界的名画も、描いてみたら全然違ってた。

 最後に、ビミョーなの。

 似てない。いち番左のは似てないのにわかるっちゃ。左から2番目は、アウン・サンスーチーなんだけど、これは微妙なだけで面白くない例。その隣のおかっぱ頭の人は、むかし世間を騒がせた失踪花嫁なんだけど、記憶がおぼろげ過ぎて似てるのか似てないのかもわからない。いち番右は大林雅子さん。なんでそんな人を描こうと思ったのか。今となってはまったく思い出せないし、セットの上原謙の顔さえ思い出せない。憶えているのは、騒動のあとで銀座に出した店の名前が「まこん」ってことぐらいか。あと店名ってことなら安室奈美恵の母が殺害されたときに経営していたスナックの店名が「チェロ」だったんだけどね、こんなこと憶えていても、ホント何の役にも立たないんだよね。
「悪魔の詩」の翻訳で殺害された五十嵐一助教授の殺害現場って、階段の踊り場だったっけ、って訊いたら。「ちがうよ。あれはエレベーターホールだよ」と、すぐに答えが返ってきたこともあったが、そんなのいつまでも憶えていたくはないのだ。
 なんかこう、もっと息子に伝えるべき、生きていく上でのたいせつなことって、あるだろうに。なんかあったんだよ。あるんだよ。
 でも、思い出せないの。
ทุกความทรงจำ - Only Monday |Official MV|
 さて、今回の歌はOnly Mondayという3ピースバンドの、ทุกความทรงจำ(すべての記憶)という歌だ。今回も歌詞は自動翻訳で日本語化されるから、訳さない。
 ざっくりと歌詞をまとめると、かつてぼくらは恋人同士だったけど今では別れてお互いにパートナーがいる。きみと付き合ったことは消せないし、後悔もしてる。たぶんきみがいち番素晴らしかった。でも別れてしまったし、前を見なくちゃね。泣けちゃうけど。みたいな歌詞だ。タイ人ぽいといえばタイ人ぽいけど、ありそうでなかったタイプの歌詞。
 いつまでも未練たらしい歌ってのが多い中、異彩を放ってる。タイ人の実生活を見てると、運命っていうか状況を受け入れるのが早いリアリストが多いんだから、こっちのほうがリアルな気がする。といっても割り切れないのが人情ってもんだから、今までは未練ソングが幅をきかせていたのか。
 バンドのメンバーは全員2003年生まれの高校の同級生。15歳で結成して、はじめはコピーバンドみたいなことをやっていたけど、やがて自分たちで曲を作り出し、Youtubeなんかで発表していた。やがて音楽レーベルGene Labの目にとまりデビュー。ธีร์-ทีปกร คำสุรีย์(ティー・パコーンカムスリー)がギターとヴォーカルでリーダー。作詞・作曲も。演奏も自分たちというから、上手い。
 まだ活動期間が短いにも関わらずヒット曲数曲の他、アイドルユニットBNK48に楽曲を提供したりして、多才だから将来が楽しみ。

 あと、追憶派ってことで思い出したのは、1970年頃に明星食品から本場のコック劉昌(りゅうしょう)さんが作ったという「劉昌麺」っていう味噌味のインスタントラーメンが売りに出されて、これが旨かった。当時、即席麺のときはこればっかり食べてたんだけど数年で製造中止になっちゃった。1980年頃にリバイバルで発売されたけれども、それもまた間もなく絶版になってしまった。リバイバルの時は、一人暮らしを始めた頃だったから喜んで買って食べたのに、せいぜい半年くらいの寿命だったのではないか。普通の即席ラーメンよりも値段設定が高かったのも絶版の原因かもしれないが、後年商品開発部(他メーカーだけど)の人に訊いたら、「劉昌麺がそうかどうか詳しいことはわからないけれど、インスタントラーメンって美味しすぎると購買者は満足しちゃって定期的に買うということをしなくなっちゃうんだ。ひと味足りないくらいじゃないと定番になれないんだよ」と言ってて、納得できなかった。旨い方が良いに決まってんじゃん。40歳を過ぎた頃に思い出して、劉昌麺のスープを自前の調味料で再現してみたんだけど、なんか違う。「いや。こんなに旨くはなかった」とか「いや。こんな上品な味じゃなかった」って感じで、美味しくて似た感じのものは作れても、結局まるっきり同じに再現はできないんだ。家族は「これおいしいね」って食べてる。でも違うんだよなぁ。当時CMで四川味噌使ってるって言ってたけど、味噌が違うだけでこんなに違うものか。
 鶏ガラベースに赤味噌と白味噌の合わせ味噌と豆板醤、オイスターソース、ニンニクが基本。砂糖を、ほーんの少し。それで近くなるんだけど、何かが決定的に違う。生姜でも五香粉でも山椒でもカレー粉でもない。インスタントだから、大層なものは使ってないと思うんだけどね。まあ再現できてもインスタントだからなあ。鶏ガラを味の素にしてみても美味しくなかったし。ザーサイの戻し汁でもなかった。謎なんだよなぁ。

 まあラーメンのことなんかどうでもいいか。インスタントラーメンが旨すぎると売れないってのは、冷静に考えてみたらあたりまえで、インスタントラーメンを追求するくらいなら生麺のラーメンを食った方がいいのは自明の理だ。とくに北海道は生麺を安く売ってるから、ちゃちゃっとスープを作って麺と合わせたら即席麺より旨いのに安い。でも、インスタントが食べたいときは、あの油揚げ麺の儚くて安っぽい味が食べたいんだから、値段の問題ではなく、あのしょうもない即席麺が食べたいんであって、所詮インスタントラーメンを旨くしようっていう料簡が間違ってるのかもしれない。追憶派の絵が上手く描けてしまうとつまらなくて、描き上がっても保存せずに消してしまうようなものだ。追憶派料理というジャンルは、上手くできると美味しいけれど、(旨いんだけど、なんか違うんだよなー)って思ってるときがいち番楽しい。同じ水準で再現できた物はコピーであって、美味しいけど、それはもはや追憶派を逸脱・否定している。
 豆を挽いてドリップするコーヒーと、インスタントコーヒーは似ているけど、まったく別な飲み物で、インスタントコーヒーは、あれはあれで旨い。おれは顆粒じゃなくて粉の方の泥みたいなネスカフェで育ったから、インスタントを飲むときは顆粒のよりも泥コーヒーがいい。画期的な即席麺を売り出してもスタンダードになれないのは、そういうことなのかな。

 そうだ。追憶派の活動の一環として、いっとき土偶作家になったこともあった。いっときって言っても30分くらいで、土偶とはいえ紙粘土製で、しかも青いのしか売ってなくて(これでいいか)と妥協したもんだから、できあがってみたら青い土偶だったというね。お手軽にも程があるんだが、追憶派ってのはおれが家元だから、おれがルールブックなんだ。お手軽で何が悪い。てか絵の方だってお手軽そのものだ。
 ともあれ、こんなものを追憶で作ってみたのだった。30分もかけて。

 見ておわかりのとおり、土偶作家として才能がないのは明らかだ。うまくいったら追憶派フィギュア作家だな、と淡い期待もあったが諦めた。理由はメンドくさい上にヒドイから。
 家元とは言ってるが、こんな活動だから他の人が似たようなことをしても、追憶派を名乗っても、あまつさえ「元祖追憶派」を標榜しても(ふうん)で終わりかな。
 有り体に言って、インチキとかニセモノを遊ぶ行為だからね。おれがオリジナルだ、って主張はできないのだ。ニセモノのニセモノは、やっぱりニセモノだ。メタニセモノなんて、ただのニセモノなんだよ。
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