もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

タコはイボイボ

2022年05月06日 18時21分33秒 | タイ歌謡
 あれは鶯色というのか、ちょっとくすんだような薄いような黄緑に近い色のことだ。そんな色のクルマがあって、あんまり見かけることはないんだが、走っているのを見た。それで急に思い出したのは福田さんのクルマだった。
 いや福田さん、って言われても。たぶん日本中の殆どの人が福田さんを知らない。ただの一般人で、20年近くまえに亡くなっている。1920年代の生まれだった筈で、生きている間にも有名ではなかった。見た目が、俳優の花沢徳衛にそっくりで、おれと話すときは優しい人だった。この人が怒るのを見たことがない。じぶんの父親よりも年上の、このおじさんが、おれはたいへん好きで、よく家に遊びに行ったものだった。福田さんも、たぶんおれが好きだったと思う。
 北関東の地方新聞社に転職したときのことで、大学中退のおれが地方紙とはいえジャーナリズムの底辺に属するのはそんなに難しいことではなかった。クライアントの一人と電話で与太話をしていたら、今度東京に出張するから会おうと言う。快諾して赴くと、知らない初老の男性が同席して微笑んでいた。上司だという。いつもの通り与太話で盛り上がっていたら、その初老の男性は「いやあ、きみは面白いなぁ。ウチに来ないか」と切り出した。いや、じつは、と名刺を差し出すので、ありがたく頂いたら新聞社の部長だった。
 新聞配達じゃないよ。と初老の紳士は言った。きみの書いたものは読ませていただきました。大した会社ではないけれど、きみが来てくれると嬉しいというような話で、よかったら社長に会ってみないか、と言う。面白そうだから行ってみたら会長という人までいて、「きみ、面白いなぁ」と言って小遣いに5万円入りのポチ袋をくれた。そんなことをされたのは初めてだったので、ハシタ金に目が眩んで転職を決めた。与太話で5万円。一事が万事という理があり、そういう気風の人だった。数年後に新聞は休刊(新聞社がこれを発表するときは事実上の廃刊だ)になり、会長とタイに行くことになろうとは夢にも思わなかったが、そのときは正しい選択をしたように思えたのだ。
 新聞社に出社したら、いじめられた。
 また会長がヘンな人を連れてきた、と陰口ではなく面と向かって言われた。最初は新聞配達こそしなかったがサツ回りなのはお決まりで、河川の水死体が初めての取材対象だった。じきに一人で行くようになり、数え切れないほどの事故死体と対面するのだが、それは後の話だ。クルマに乗ろうとしたら2トントラックしかないから、それで行けと言われたり、それはそれで面白かったが、これはイジメなのだろうかと考えた。
 離婚してすぐということもあって、環境を変えたくてリセットみたいな気分で転職したのだったが、思った以上の激変だった。天気のいい日は駐車場で昼食を摂ったり煙草を吸ったりしていた。駐車場へ出る扉の前には業務室があって、その部屋でトラックの配車をしたり社用車の鍵を管理していたが、そこで何の仕事をしているのかわからないが、ニコニコとゆっくり歩き回る遊撃手みたいな爺様がいて、それが福田さんだった。「雨の日は、あの席で昼飯を食うといいよ」と、車掌がドアの開閉を案内するような口ぶりで言ったが、いつものように優しい眼差しだった。ありがとうございました。
「うん。いろいろあるよな」福田さんは煙草に火を点けた。「人はいろいろ、タコはイボイボだよ」
 雨の日は福田さんと昼食を摂るようになり、晴れの日でも一緒に食事をしたりするうちに福田さんの家へも遊びに行くようになった。奥さんとふたり暮らしで、子供たちは独立して息子は転勤ばかりなんだと奥さんはアニメの若い娘みたいな声で言った。見るからに婆様なのだが、電話の声だけだと若い女としか思えなく、営業の勧誘電話で「お父さんかお母さんに代わっていただけますか?」と言われることも屡々で、お父さんもお母さんも死にましたと正直に言って「……ごめんなさい」って謝られるのよー、とコロコロ笑っていた。
 福田さんは地口遊びが好きで、先の「人はいろいろ、タコはイボイボ」ってのはなん度も聞いた。いわゆるオヤジギャグとは一線を画す古典的な地口を踏襲していた。
「きみのことは、お猿の小便だな」何ですか、それは? 「木(気)に掛かるんだよ」とか。
「俺ぁ嘘と坊主のアタマはゆったことがない」とか。
「味は日光の手前だな」え? 「イマイチだよ」
「絵に描いた地震だねぇ。ガタガタ言わない」
「機関車の石炭番だな。黙って日(火)を送るばかりだ」
 そんなことばかり言っていた。地口ばかりではなく、おれが疲れた顔していると、「お? 元気ないな。忙しいんかい。ま、頑張んな。お国のためだ」とか「カネが欲しくて働いてんじゃねぇんだよ。お国のためなんだ。しゃぁねぇんだ」って、絶対それ思ってないよね、という発言も多かった。
 そんな言い方に、くすくす笑いながら「福田さん、ナイスですねー」とか「福田さん、ぐぅですよ、それ」とか返していたものだから、福田さんは冗談を言ったあとで、ときどき「◎◎ちゃん(おれの名前)、グーかい?」って確認するのも可愛くて好きだった。
 福田さんには地口だけでなく、運転の基本を教わった。静かに静かに。気が付かないくらい静かに発車して、停まるときもいつの間にか停まってるように減速する。急発進、急ハンドル、急停止はしない。クルマが停まっているときにハンドルを切らない。ハンドルは握らず、掌で円盤を押さえつけるように回す。アクセルペダルに置いた足を意味なく上下させないために、足を壁面に固定するように押しつける。そんなお抱え運転手みたいな運転だと、乗せている人も運転手も疲れないし、長距離を乗っても大丈夫というようなことだ。
「クラッチの繋ぎ方が丁寧だ」福田さんはいつも頷いた。「良い運転だよ」
 運転が上手くなった頃には会長や社長の覚えも目出度く部長職になっていたから、もう虐められることもなかった。それでも駐車場で昼飯を食うことは多く、そこに会長も加わることもあった。福田さんは会長と仲が良く、ものすごく無益な話をして、くすくす笑っていた。こんな年寄りになるのは難しいのだろうかと思ったが、今になって思うと実に簡単なことだった。自慢じゃないが今のおれのほうが、くだらない。

 やがて、おれは会長と共にバンコクへ移り5年ちょっとの間、日本の土を踏まなかった。その後も日本で起業したり少し忙しい日々を送り、福田さんに連絡したのは別れの挨拶から7年ぶりくらいのことだった。
「お父さんはねぇ」受話器越しの福田さんの奥さんの声は相変わらず若かった。「ちょっと馬鹿になっちゃって」
 え?
「なんかね」明るく甲高いアニメ声。「最近わたしが誰だかわからないときもあるのよ」
 うわぁ……。まじかよ。困ったな。
「でもね。わたしも会いたいから、是非遊びに来てちょうだい」
 気が重かった。電話しちゃったしなあ。土産の菓子折置いて、さっさと帰ろう。そう思って福田さんの家を訪ねた。建物の佇まいは何も変わっていなかった。
 奥さんと挨拶を交わした。
「お父さんはね、奥の部屋に居るんだけど」小さく溜息を吐いた。「あんまり出てこないの」
 お茶と煎餅を振る舞われ、世間話に興じていた。もう少し話をして、あんまり長居をせずに帰ろう。そう思っていた。
 それでも昔話は尽きず、奥さんと談笑していたときだ。
 静かに襖が開いた。
 のっそりと福田さんが立っていた。寝癖の髪の毛は染められておらず、ジャージの部屋着の膝が抜けかかっていた。おれの顔を見ている。
 一歩、前に出た。目の奥に光が灯った。
「◎◎ちゃん、かい?」嗄れた声で、おれの名を呼んだ。
 はい。おひさしぶりです。
「やっぱり」福田さんは微笑もうとした。「声が、したんだよ」
「おとうさん……」福田さんの奥さんが涙ぐんだ。「わかるのね」
「おう」福田さんは花鰹くらい薄く微笑んだ。「わかるさ」壁に手をついて歩き出した。「よいしょ」おれの前まで歩いてきて、ひどく時間をかけて座った。「よう。ひさしぶりじゃねぇか」
 奥さんは、声を出して泣いていた。
「はい」おれは微笑む。「日本に、帰ってきたんです」
 ……。福田さんの目の光が強くなっている。「そうだ」おれの手を取った。「どっか、よその国に行ったんだったな」
「はい」手を握られたら、涙が出た。「タイに」
「ああ」遠い目。「そうだった。……で、戻ってきたのか、親分と」
 あ、そうか。会長が亡くなったことは知らないのだな。「会社を作ったんです」そう言って、名刺を渡した。
「おお」時間をかけて表と裏をなん度も見返した。「立派ンなったな」

 なんだ。しっかりしてんじゃん。痴呆かと思ったけど、よかったな。福田さんとは話が弾み2時間近く話し込んだが、やがてぐったりと疲れた顔で、「すまん。眠くなった」と言うので帰ることにした。奥さんは、とても喜んで「あなたの顔を見たら、おとうさん急にしっかりしちゃって。良かったわぁ。また来てね。ぜったいに来てね」と、米をくれた。「これね。餅米混ぜてあるの。おいしいの」あ、ありがとうございます。「ええと、そうだ。これも持って行って」と味付け海苔をパッケージごとくれた。
 それから2度、遊びに行った。福田さんはとても楽しそうで、昔話をしたがった。
 あれ? この話はこないだ来たときに聞いたのと同じ話だな、と思うこともあったが、まあそういうこともあるのだろう。むかしと違ったのは、地口遊びをしなくなっていたことで、おれが「人はいろいろ、タコはイボイボってやつですよ」と言っても、あはは、と笑うだけだった。

 久しぶりに訪ねて福田さんが記憶を取り戻してから一年も経たない寒い日に受話器を取ると、福田さんの奥さんから相変わらずのアニメ声で「おとうさん、死んじゃった」と伝えられた。
 葬式に出ると、福田さんの息子という人が、おれの手を握り、丁寧に礼を述べた。地方銀行の支店長だった。祭壇に飾られた福田さんの遺影は元気な頃の顔で、微笑んでいた。
 人はいろいろ。
 タコはイボイボ。
 そう言って笑ったときの顔と同じだった。
 そうでしたね、福田さん。
 座右の銘にしてもいいな、と思った。いろんなことを福田さんには教わったけれど、いちばん大事なことは、それだった。
 息子さんも教わっただろうな。でも、銀行の支店長は「人はいろいろ、タコはイボイボだよ」てなことは言わないものかもしれない。でも、これは真実だ。いくつもある真実のうちの一つだ。真実はいつも一つというのは、尤もらしいが嘘で、真実は一つだけじゃない。正しくは「状況により、真実はおおよそ一つ」これだ。真実もいろいろ、そしてタコはイボイボ。

ปี้(จน)ป่น - [ เอ มหาหิงค์ ] MAHAHING feat.บัว กมลทิพย์「Official MV」
 マハヒンっていうバンドだ。地口(ปุน)という歌があるかとググってみたら、代わりにป่นというキーワードで出して来やがった。違うけど、面白いからこれでいいや。
 ヴォーカルの名がエー・マハヒンだから、そこから取ったんだろう。デビューが2007年というから芸歴15年か。ナコンラチャシマ県のピマイ出身で、クメール遺跡で有名な所だけど、まあそれだけで、他に大した産業があるわけでもなし、たんなるイサーンの田舎だよね。
 そこで人気を博したライヴバンドってことなんだが、要はドサ回りのローカルバンドで、ドサを10年程続けていたらイサーン地方では知らぬ者がないほど有名になっちゃったらしい。人気絶頂でCDをリリースということになり、インディーズだと思っていたら満を持してトップラインにスカウトされてメジャーデビュー。このMVもわずか2ヶ月で8000万回再生という快挙。すごいね。共演している女性歌手はブア・カモンティップといって、この人もトップライン所属の歌手。ただ、トップラインの歌手というかローカル歌手には珍しく歌謡コンテストを勝ち抜いた経験が皆無という変わり種。自分でデモテープを作ってトップライン社に持ち込み。その場でデビュー決定というスマートなアプローチの娘だ。
 マハヒンってのはイサーン限定のティーンに人気のバンドで、「こんなのがティーンに?」と思うだろうが、よく聴くとベースがスラップ奏法だったりしてるし、サイドギターにエフェクトがかかってて音色だけはロックだ。でもそれに乗っかるソロギターはバネ臭い「ぺんぺけぺけぺん」って音で、基本は外してない。こういうのがイサーンのヤングの琴線に触れるんだろう。地味だけど上手いし。日本で言えば上方演芸の殿堂入りを果たした、水に漂う宮川左近ショーみたいなものだ。もっとも宮川左近師匠は北海道出身だったか。暁照夫さんの三味線が呆れるくらい巧いんだよね。と言っても関西以外の人にはわからないか。
 北海道って北前船の影響かどうか知らないけど、上方の文化がけっこう入っていて、むかしは上方芸能のTV放映があたりまえだった。桜餅も上方ふうの道明寺だし、「わや」とか「なんぼ」というような単語も同様の意味で広く遣われる。
宮川左近ショー 柔道
 タイ歌謡に戻ろう。タイトルの「ปี้(จน)ป่น」はまったく意味がわからなかった。普通に翻訳すると「円周率(未だ)押しつぶす」みたいな感じで、美人でアタマの良いことで有名なうちの奥さんに訊いてみても意味が推測できないと言う。ググってみたらイサーン語で「婚姻(ビンボーな)食事」というような意味になるんだそうで、なるほど、それならMVの映像や歌詞の意味が通じる。
 MVの映像は結婚式のまえに新郎が新婦を迎えに行く儀式の様子で、行列には新郎から新婦の家への貢ぎ物などと共に行進するものだ。よくわからない飾りや、女性器を模った生の豚肉を掲げたりするんだが、さすがにそれは割愛されている。
 行進の途中で警官が出てきて何やら遣り取りがあるが、これは新郎の行列を見かけたら、それを遮って邪魔して良いという風習で、新郎はこれに己の婚姻の正当性を説いて邪魔を排除する。また、このMVではチラッとしか映ってないが、児童がネックレスで通せんぼをするというのがお約束で、実際の行列ではこれが幾つも幾つも立ちはだかる。これに対しては小金(20バーツとか)を賄賂として渡して妨害を解除してもらう。MVでは「紙幣撒き散らし器」で紙幣をばらまいている。引き金を引けば、しゅぱぱぱ……と、札びらが連続して飛び出す仕組みになっている。あれは男子が出家するときに喜捨(タンブン)として景気づけに札を撒くためのものだと思っていたが、新郎の行進時にも使うとは知らなかった。
 ←人気俳優オーさんが出家時に使用した紙幣ばらまきマシーン
 おれの結婚式のときは「20バーツ札を、たくさん用意しておいてね」と言われ、何のために? と不思議だったが、当日になって合点がいった。ソイに住む子供達が次々とゾンビ映画みたいに涌いて出て、紙幣を渡すと深々と合掌(ワイ)をして通してくれる。そういえば女の子ばかりだったような気が。今頃気が付いた。たしか邪魔する男児はいなかったな。
 曲はダウンビートで、2拍目と4拍目にアクセントを置いたイサーンのノリ。リズムはラムシン(高速モーラム。シンは堤真一のシンではなく、レーシングのシン)のそれだね。
 さて、歌詞の抄訳だ。

男:あなたを見るだけで 私の心は溶けてしまう
あなたのすべてを知りたくて 心が溶けてしまう
あなたは誰とも一緒に来なかったよね 一体あなたは何が好きなのか
教えてください 私はあなたに それを見つけよう

私は他のみんなのように金持ちではない こんなのは誰もいない
私のような人がいるとしか言えない ああ 本当に愛だけしかない
ただ失望させる要素もない あなたを悲しませることもない

見た目は良くないけれど 心ならある
私はあなたに心を尽くす
今の私の人生には あなたしかいない
離れないで 心を砕いて

何も用事のない日に あなたに会いたい
何も用事のない日に 一緒に飲んでくれないか
経済状況は良くない 私の家は困窮している
ご馳走も お金も十分ではないけれど
あなたと見つめ合いたい 心を見て欲しい
心の中を見て お互いを理解しよう

女:すぐにわかったわ
あなたが私を見て 私を見て 私を見て 私を見て
私は誰とも一緒に行かなかった 一人で来て それを手に入れた 
ああ 去った人を忘れるために飲みたいだけ

私は他のみんなのように金持ちではない こんなのは誰もいない
私のような人は言いたい ああ これが本当の愛
失望なんてしない あなたを後悔させたくない

見た目は良くないけれど 心ならある
私はあなたに心を尽くす
今の私の人生には あなたしかいない
離れたくない 私をドキドキさせる

 人はいろいろだなんて、そんなの当たり前のことで自分と他人の区別ならついているというのなら、それで問題ない。
 ただ、自分と他人の区別がついてるなんて当たり前だろと言いながら、いや、あんた区別ついてないよね、という人もいて、それも結構いて、何て言うか「他山の石以て玉を攻むべし」ってやつだ。これを現代語で「タコはイボイボ」って言うのね。言わないけど。
 タコのイボは吸盤で、吸い付きが凄いよね。イカのは円形に歯が付いてて、それが食い込むのが邪道な感じ。やっぱり吸盤ならタコだ。吸盤、カッコいいもんね。東京吸盤ボーイズ。
 ところでキューバン音楽といえばピアノのモントゥーノと、タムタムみたいなティンバレスの「カンカン!」って乾いた音が好きで、あの楽器は皮の中心部を叩くと普通の太鼓なのにリムショットに近い端っこの方を叩くとカンカンいうのね。リムショットは口金も叩くから、そりゃ「カンカン」いって、金属音も混ざって、あれはあれでカッコいいけど、そうじゃない端っこの皮だけの「カンカン」いうのがいい。このMVじゃ指揮者の陰になってて見難いんだ、って言ってもわかんないだろうな。気になる人はググってちょうだい。いち度ハマると、どっぷりいっちゃって楽しいよね。それにしてもブラスセクションの向かって左側に禿頭を集めちゃってるのは、そこに視線を集めると耳の向きが若干左寄りになって音のバランスが良くなるから、ってこともないよな。なぜなんだろう。
マンボ No.5 / 見砂和照と東京キューバンボーイズ コンサート
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