もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ぼうけんのしょは きえてしまいました

2022年05月01日 10時39分29秒 | タイ歌謡
 ヴィデオゲームというのに興味が持てない。あの手のゲームの嚆矢がスペースインベーダーズとすると、あれが流行ったのはおれが19歳のことで、早速ゲームセンターで見つけて遊んでみたが、一向に面白くなかったのだ。体調か、そのときの精神状態が悪かったのかと、その後数回試してみたが、面白いと思えたことがなかったので縁がないものと諦めた。
 当時のゲームセンターで好きだったのはピンボールで、人気はインベーダーにさらわれて、マシンはいつでも空いていた。そのおかげか上達著しく、高円寺で最高得点を弾き出したこともあって、ピンボールが世界でいちばん楽しいゲームだという結論に達した。しかし、ピンボールのスコアと反比例するように世の中からマシンが急速に姿を消していったのだった。今になって思えば、最高得点というのも、遊戯する者がいなくなって水準が暴落したからだろう。
Elton John - Pinball Wizard - 1975 (Audio HQ)
 それから数年経って任天堂からファミリーコンピューターが発売され、これが大ヒット商品で面白いということだったので、買った。すぐさま買った。しかし面白くない。知人に話したらソフトの面白いのを買わなくちゃダメだと言う。スーパーマリオブラザーズ。これはなん度か立ち向かって1面をクリアした。ちょっとした達成感があったが、画面が2面に切り替わり、「えー。終わりじゃないのォ……」と脱力した。なんでそんなことが延々と繰り広げられるのか。冗談じゃねぇぞ。電源を切った。
Charan-Po-Rantan - Mario Bros. Medley
 さらに数年。今度はドラゴンクエストが面白いという。障害を攻撃してクリアするのではなく、ストーリーがあって設定がファンタジーだということで、それは面白そうだと素直に思った。早速購入してみたが、ぜんぜん面白くない。おれの頭脳はヴィデオゲームに向いてないんだな。そう結論づけた。

 人間が薄味とか、そういうことではなく、決定的に欠陥でもあるのだろうか。パチンコもダメだ。面白くない。玉が増えると「これじゃ終わるのに時間がかかってしまう」とイライラする。将棋やチェスもやったことがあるが、勝っても嬉しくないし負けても悔しくない。ただ終わるとホッとする。億劫が先に立つのだ。
 うわー、メンド臭そう。そう思うだろう。そんなことでは生きていくのが辛くないのかと思うかもしれないが、世の中うまくしたもので、うちの奥さんが同じタイプだった。
 ヴィデオゲームに興味がない。ギャンブルも何が面白いのか理解できないと言うし、こういう傾向が同じなのは結婚生活に良いと思う。おれが唯一面白いと思うのが株の現物売買で、持ち株が騰がると昂揚する。うちの奥さんは宝くじだろうか。どっちも好きとはいえ、年に数度のことだ。それほど値の張る趣味ではない。
 息子も幼い頃は人並みにゲーム機を欲しがったが、すぐに飽きてしまうようで、こういうものが遺伝するとは思えないのだが、嗜好のあり方が似てしまったもののようだ。

 ゲームと何の関係があるのか、まったく不明であるが、映画「スターウォーズ」もダメだ。10回近く挑戦してみたが、最後まで我慢して観られたことがない。どうにもいけない。あれだけの人気なのだから、何か面白いところがあるんだろうが、それを発見するまえに心が挫けてしまう。こんなところまで夫婦同じで、あのシリーズは1本たりとも終いまで観たことがなく、そのとばっちりで、うちの息子も観たことがないはずだ。スターウォーズが観られないという人は希にいるようで、「あ。あたしも!」と言った女性をふたり知っているが、男性で同じ傾向の人はまだ会ったことがない。SFは好きなのに。
 これは漫画、とくにアニメのドラえもんやサザエさんが嫌いなのと、根が近い気がするんだが、あれも理由がわからない。見ていると黒い気持ちが湧いて抑えられないのだ。とくにのび太は見ていてイライラする。実生活でこれを言うと、「捻くれて殺伐とした奴」だと思われそうなので黙っている。ドラえもんやサザエさんさえ見なければ、おれは温厚で「良い奴」認定される男なのだ。ほんとに。
 他にも麻雀に興味がなく、打ち方を知らないし、ゴルフもしない。嫌いだ。子供の頃、野球をして遊ぶのは好きだったが、プロ野球にはまったく興味がない。
 なるほど。スポーツには興味がないのだな、と言われればそうだと言うよりないんだろう。若い頃からスポーツというものはしなかった。2km程の距離を全力疾走に近い配分で走るのと腹筋・腕立て伏せは好きだったが、そんなのをスポーツとは言わないような気がする。少なくとも競技というような、相手の要るスポーツが疎ましくて嫌だった。後年ジム通いが向いていると気付いたが、ランニングマシーンで疾走してるとインストラクターがぐずぐず言ってくるので、文句を言わないジムにしか行かなくなった。それも最近は心臓疾患でやめてしまったので、今ではストレッチとスクワットみたいなジジイメニューを自宅でこなすばかりだ。
 唯一熱中したスポーツは20代のビリヤードだけで、しかしあれはスポーツなんだろうか。80年代初頭のビリヤード場なんて斜陽遊技の最たるもののひとつだった。絶滅寸前で、おれが遊んでいたのはもちろん四つ球だった。ポケットなんていう軟弱なビリヤードには興味がなかった。赤い球が二つと白い手球がひとつずつ。相手の要る遊技は嫌いなのに、ビリヤードだけはべつで、ビリヤード屋の大会で優勝して白黒テレビを獲得したことがある。流石に当時でも白黒テレビは希少で、なぜそんなものが賞品になったのか不思議なんだが、白黒のテレビは目が疲れないから、そればかり見て、カラーテレビは友人にくれてしまったのを思い出した。ふだんはひとりで黙々と撞いた。対戦相手は知らない者が良い。あれは友人と和気藹々と遊ぶ遊技ではない。
 キューは伊勢丹で買った。値段は憶えてないが、安かったことは憶えている。あれはピンキリだけれど、そんなに高い物ではない。伊勢丹で、そんなものを売っていた時代があったのだ。60インチのを買おうとしたら、「お客様は58インチの方がよろしいのでは」と止められ、試しに構えてみたら確かに58インチの方がバランスが良かった。背が低いからね。腕も短いんだが、シークレットシューズまでは要らなかった。ビリヤードって競技は手球の位置によっては台の縁に腰掛けて背面で撞いたりすることもあるんだが、そのとき片足だけでも床についていないといけないというルールがあって、足の短い者では踵の底上げをすることもあった。通常はテクニカルブリッジという熊手みたいな器具を使えば良いのだけれど、あれは初心者が嫌うんだ。カッコ悪いから。だから、あれを使ってる人は、それなりに上手い人だと思っていい。
←バックハンドショット
 ビリヤードを始めたのは中学生のときだった。誰と行ったのか全く思い出せないのだが、学校帰りに通りかかる飲み屋街の建物の2階に、その店はあった。もちろんそんな店に入ることは校則違反だったのだろうが、べつに賭け遊技をするわけでもなし、罪悪感は全くなかった。店の人も、中学生が来るのは初めてだと言っていたし、喫茶店などと違い補導の見回り対象にすらなっていなかった。学校帰りの早い時間で、大人の来る時刻ではないから店の人も面白がって学割で良いと言い、安い値段でビリヤードの基本技術を教わった。反射角と入射角を基本に考えるのが、中学生くらいの頭脳にはちょうど面白かった。マッセ撞きもジャンプ撞きもできなかった。あれは大人になって上手くならないと無理だと考えた。四つ球のマッセってポケットのそれとは違って地味なんだが、できるようになれば頻度は高い。
 中学3年の冬、高校受験があるので、しばらく来られません、と店の人に告げ、春を待った。大した勉強もしなかったので遊びに行っても良かったのかもしれないが、妙に律儀なガキだったので約束通り春まで待った。希望通りの高校に合格が決まり、よしこれでビリヤード屋に行けると勇んで店に行くと、看板が変わっていた。おや? 名前を変えたのかな。恐る恐る階段を昇っていくと、ドアも変わっている。とても嫌な予感がしたが、おずおずと扉を押し開けると、中にカウンターやテーブルがあって、ビリヤード台がない。チンピラみたいな兄ちゃんがいて「あ?」と振り向き、おれを見た。
「……。あの。ビリヤード……」
「しらねえわ」
 黙ってドアを閉め、階段を駆け下りた。
 うわー。おっかねえ。
 そして、おれの田舎にはビリヤード場がなくなった。
 ボークラインでもスリークッションでもない。四つ球。
 むかしソンクラーに、にわか海賊を見に行った。ふだんは漁業か何かの生業の者が、ボートピープルが逃げてくると海賊に早変わりして略奪をする。そのとき、ハジャイで知らぬタイ人とスヌーカーの勝負をした。30年近くまえだ。当時から四つ球なんて日本と韓国ぐらいでしか行われておらず、しかも絶滅危惧の遊技だったから、タイでポケットビリヤードは当然だった。とはいえ、ポケットだって同じビリヤードだ。だから行けるかと思ったら、これがぜんぜん勝手が違って、こてんぱんに負けた。完膚なきまでに負けた。それ以来ポケットには手を出していない。あれは、まったくべつの競技だ。
 
 綱引きがオリンピック競技からなくなって久しいけれども、運動会では今でも現役の競技だ。しかしピンボールや四つ球ビリヤードは絶滅の危機に瀕している。ていうかもう息の根を止められてるよね。

Billkin x PP Krit x 4EVE - แลกเลยปะ (Hoo Whee Hoo) [Official MV]
 さて、今日の歌だが、わずか1週間まえのリリースで再生200万回超えというから、大したもんだ。好調なのも当然で、ふたりのトップ男性アイドルと人気ガールズグループの夢の共演だ。古い言い方だとドリームチームみたいな。
 まずBillkinてのがプティポン・アッサラタナクン(พุฒิพงศ์ อัสสรัตนกุล)といって、このMVでは髪の黒い方の男の子だ。アイドル俳優にして歌手。22歳。タマサート大だからアタマは良い。もう一人の金髪の坊やがクリット・アンムアイデーチャコーン(กฤษฏ์ อำนวยเดชกร)といって、あだ名がピーピー。やっぱり22歳のアイドル俳優にして歌手。カセサート大学だから、こっちも出来が良い。
 ガールズグループは7人組なのに4EVEと書いて「フォーイウ」とタイ語読みするんだけど、Foreverをタイ発音で「フォーイゥァー」だから、そのつもりのグループ名みたいだ。年齢層も幅広く15~21歳。出身もチェンマイやらバンコクやらと、まちまちだ。中でも金髪の娘はラオス人で、ミスラオスの2位に輝いたという微妙な経歴。でもバンコク生まれのバンコク育ちなんだそうで、タイ中央部の言葉はネイティヴだというんだが、名前がHannah Rosenbloomって、それタイ人の名前でもラオス人の名前でもないな。顔面だけは歴としたタイ・ラオ共栄圏顔だ。それでも2年ほどまえから人気のグループで、ヒット曲は多い。
 曲のタイトルは「แลกเลยปะ」というんだが、「チョー両替じゃん」みたいな感じか。แลกは両替と訳して、日本円をタイバーツに両替するときにも、100バーツ札を10枚の10バーツコインに崩すときも遣う言葉だ。ただ、この歌詞の場合は、私の愛とあなたの愛を両替とか、夢と幸福を両替みたいなことを言っていて、これは「等価交換」みたいな感じだね。しかも夢と幸福を交換しても、交換するまえの夢も幸福も、お互いに価値を憶えているというニュアンスだ。だから、お互い「共有」しようみたいな意味で遣っている。
 
たくさんの夢を叶えてきたよ
夢を幸せと交換できるかい?
幸福な人も 孤独な人も 一緒に集まろう
あなたと私は お互いの価値を交換できるかな

ここに来て 交換してみない?
良い交換って 何だろう?
何か楽しいことを交換するように 
あなたには わかるよね?
もし わからないんだったら
あなたが好きな人の名前を 共有してみようか?
あなたから始めよう あなたは知りたいでしょ?
驚きの種が そこにあるかもね

友達を交換しよう そう ガールフレンドとして交換するんだ
私の幸せと 彼女の幸せを 分かち合うんだ
1対1で交換するんだ 愛による愛
心と心

交換して交流しよう でも返却はナシね
 
 んー。
 まあ、こんな感じ。作詞・作曲・編曲はプロの仕事なんだよね。一応平均点は取りに行ってるっていうか。悪くないんだ。ぜんぜん悪くない。欲を言うなら、「もっとまじめにやれ」ってことか。歌手はまじめにやってるんだろうが、誰も責任取ってない感じ。
 
 なんか消化不良だから、ちゃんとしたMVを貼っておこう。日本のだけど。
フレデリック「ジャンキー」Music Video / frederic "Junkie"
 いいね。日本、て感じだ。おれらの世代はヘンな奴が多いけど、若い人はまともなのが増えてきてる(と言うと、えー、って言うのは決まって年寄りなんだが)から、いいよね。おれを含めて年寄りが日本を無茶苦茶にしちゃったばっかりに申し訳ない。

この記事についてブログを書く
« 新しい木は燃えない | トップ | タコはイボイボ »

タイ歌謡」カテゴリの最新記事