もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ヤマモトの恋

2021年03月11日 17時47分21秒 | タイ歌謡
 地震と、一目惚れは、とつぜんだ。だしぬけに目前に現れる。そして、どうかすると命に関わる。
 いや。そんなんじゃなくて。運命だったんすよ。いきなり心臓を握りしめられたみたいな。発作かと思ったくらいで。もうね、あのひとを見た途端ですよ。見たらね、ずぅん、と来たんす。そんでね、立ってられないくらいの、めまいだったんすから。もう、ぐらっぐら。めまい、ぐらっぐらっすよ。死ぬかと思いましたもん。とヤマモトは言ったが、だから、それを一目惚れというのだ。
 
 いやいやいやいや。運命っす。運命。とヤマモトは言い張った。一目惚れなんていう軽くて簡単なもんじゃないんすから。そんなテキトーなものじゃねっす。見つけたぞ! っていうね。ここにいたのか! っていう。ね。ソウルメイトっすよ。ソウルメイト。と力説していたが、そりゃもう間違いなく一目惚れだ。ヤマモトは一目惚れが安っぽくてアタマ悪そうに思っているようだが、何にせよ簡潔に言うと、それは「恋」だった。そして、あらゆる他人の恋は安っぽいし、恋をすると、ひとのアタマは悪くなるものだ。
 恋の相手はエップンという名(もちろん渾名)で、タイ文字だとแอปเปิ้ลと書き、これは英語のAppleをタイ文字表記しただけのことだった。リンゴ? なんだ、それ。周囲の日本人たちは、いろいろと疑問に思ったが、ヤマモトが「可愛い名前でしょ」と言い募るので、同意しておいた。

 じつはヤマモトというのは仮名で、本名はスズキとかタカハシとかスミスとかジョンソンみたいに、よくある苗字だったと記憶しているが、憶えていないのだった。じっさいのところ、ヤマモトではないと思うのだが、なんとなくヤマモトっぽい感じの男だったので、ヤマモトにした。
 出身地も出身校も知らない。会えば挨拶をして、どうでもいい会話を交わす仲。たんなる顔見知りだった。中肉中背。タイに住みはじめて1年くらい。タイ語の習得も普通。当時30歳前後というところか。そんなヤマモトがタイの人と恋をして、同棲を始めた、と聞いた。ふうん。
 まあ、顔見知り程度の知人だからね。同棲を始めたと聞いても、「ふうん」くらいしか感想がないのは普通だろう。世の中の人が、つまらなそうにしているよりは幸福そうな方がいいから、そういう意味では、よかったね、とは思う。そんなものだ。

 ある週末、日系のデパートに買い物に行くと、食品売り場にヤマモトがいた。隣で矢継ぎ早に冷凍の枝豆(ถั่วแระญี่ปุ่น トゥアレ・イープン - 直訳は、日本大豆)の試食を頬張っているのが彼女なんだな。仲良くしているようなので、声をかけるのはやめた。向こうが気づいて挨拶してくれば応えよう。そう思っていたが、ヤマモトが周りに興味を示すことはなく、やがて上の日用品の階へ向かうエスカレーターに乗り込んでいた。同棲を始めたというし、日用品の買い出しに二人で行くのは楽しいよな。食器とか、タオルとか、スリッパとか。こっちの柄がいい、この色が綺麗。そんなことを言い合いながら日用品を選ぶのは、ひどく楽しい。わかるよ。わかる。
 蜜柑。胡瓜。白菜。胡麻油。豚肉。芥子菜の漬物。シラス。ペッパー・ハム。メモ用紙に書かれた品目を、おれは漏れなく籠に入れ、キャッシャーに並ぶと、列の後ろにヤマモトが来た。いつの間にか上の階から戻っていた。彼が持つ籠には歯磨きペーストのチューブが一つ。買い忘れだろうか。
「こんにちは」ヤマモトが微笑んでいた。
「ああ、どうも」おれは頭を下げた。「そうだ。先に済ませるといいよ」と、おれの前を掌で示した。
「え。いや。悪いですよ」ヤマモトは首を振った。
「だって買うのは、それだけでしょ。おれのは時間がかかっちゃうもの」おれがレジ待ちの順番をヤマモトの後ろに移動すると、妻も磁石仕掛けみたいに、つい、と付いてきた。「ほら。遠慮しないで」
「わあ、すみません」ヤマモトは、頭をぺこぺこ下げた。
「いいえ」そう言って、おれは妻との会話に専念した。
 ヤマモトは、さっさと支払いを済ませると、振り向いてもういちど頭を下げ、向こうで待っていた彼女と合流した。ふうん。支払いの時は離れるんだ。そう思ったが、そんなのはヤマモトたちの勝手だ。
「知られたくなかったのね」妻が、おれの肩に掌を載せた。「買った物を」
 うん。おれは頷いた。べつに恥ずかしいものを購入したりはしていないのだが、何を買ったかなんて知られたくない。だから順番を譲った。「ハムと胡瓜。サンドイッチかな。いや、それにしちゃパンがないな」などと思われたくない。自意識過剰なんかじゃない。おれなら絶対にそう思うからだ。

「結婚はねえ、やめました」ヤマモトは憮然としていた。「だって、あいつ。男だったんすよ。信じられます?」彼の勤める会社で、ヤマモトは上司に報告したんだそうだ。
 えっ。
 ……男だったって。……そんなの、皆がわかってたじゃん。ていうかね、おまえ知らなかったのかよ。
 誰もが、そんなふうに言った。
 なあ。ちょっと待てよ。エップンってさぁ、夕方になったら髭の剃り跡で顎なんか青々してたよね。それに、サンダルから踵が大きくはみ出してたよね。あと、太い声でゲハゲハ笑ってたじゃないか。あんな女がどこの世界にいるよ?
 誰に教わるでもなく、誰もがエップンを見て、「ああ。男だな、こりゃ」って思うだろ。ふつうは。いや。だから、だからね。ちょっとは驚いたよ。ヤマモトって、そういう趣味だったんだ、って。皆の話題だったもん。でも、ほら。一緒に住みます、とか言うし。な? ああ、ホントに好きなんだねーって。なんかシアワセそうだったし。好きなんじゃ、しょうがないよね、って。思うよな。おれたち、けっこう応援してたんだよ。
 ていうか、3週間だっけ? 3週間も一緒に住んでて、なんで気が付かないんだよ。
 それ、向こうも傷ついてんじゃねぇの?

 なんかもう、ヤマモトが悪い、みたいなことになってた。
 周りのタイ人たちの意見は一致していて、「えー……。愛してたんでしょ。だったら、そんなこと(男だってこと)気にしないで結婚するでしょ。ふつう」ということだった。
 タイ人は、いつだって正しい。自分の事でない限り、的確な判断を下す。
 タイでは役場の婚姻届なんかより、仏前の婚礼の方が重要で、そりゃ木っ端役人なんかよりブッダ様のほうが遥かにお偉いのだから当然だ。役場では男同士の婚姻を受け付けてくれないが、寺院だったら坊主の判断で、それも大体の場合は認められる。お釈迦様も、女は信仰の邪魔になるとか、解脱の対象にすらならないという意味のことを語っていたとされ、釈迦が若くて世俗に生きていた頃、性悪な女性に随分と辛酸を嘗めさせられたらしい。人は平等であるようなことを言ってはいるが、そのなかに女性は含まれていないから、男子の同性愛には寛大なのかもしれない。おれが女性だったら、こんな宗教イヤだと思うんだが、タイの女性は慈悲深いから、そんな仏陀すらもお許しになる。
 中国系のタイ人は仏前の婚礼を済ませて、やがて子供が生まれて、しばらく経って相手が信用できそうだ、と確信を得て、ようやく役場に籍を入れに行くというのが珍しくない。でないと財産を取られちゃうだろ、というのが彼らの主張だ。中国系は信仰にも見返りがないといけないから、これはしょうがない。見返りと言っても現世でだ。死んでから先の先付けの見返りなんか信用しない。宵越しの見返りなど持たない対価界の江戸っ子、それが華人だ。
 そもそもタイ人に信仰されているテラワーダ仏教(原始仏教みたいな言い方をされるが、仏陀の教えの原型。昔は小乗仏教と呼ばれていたが今は上座部仏教と言わなくてはいけない)では、仏教を信じたからといって「救われる」なんて言ってない。厳しい修行に耐えて選ばれたものだけが悟りを開いて解脱できると言っている。いくら頑張ってもダメな奴はダメ。努力の量は関係ない。どうやら悟りを開くというのは、ポエジーみたいな天啓で、突然「あ。わかったぞ」って状態らしい。自己申告だよね。おれなんかツラい修行に耐えられず、すぐに「あ。悟っちゃった。解脱だな、こりゃ。うん、解脱だ。いやあ解脱解脱」って嘘ついて家に帰っちゃいそうだ。
 ところで基本的に解脱ってのは、輪廻転生を繰り返して何度でも人間に生まれ変わるのはツライから、そのサイクルを断ち切って、無になっちゃおう、っていう教えだ。人として生きていくのが、よっぽど過酷なことだったんだろう。「えー。またニンゲンなのぉ……。猫が良かったのに」って。
 でも、その教えが中国に渡ったとき、「いや、それじゃ誰も信じない。見返りがないと。救われるぞ。往生できっぞ、って約束しちゃおうか。往生できたかどうかなんて、本人死んでるからバレないし」ということになって、その見返り信仰が辺境の日本に渡って、さらに手口が巧妙になる。たとえば親鸞という人は「えーとね。そんなマジに信仰しなくていいです。普段からコツコツやってる人って往生しようというスケベ心があったりするけど、況や悪人なんか業(ごう)で止むに止まれず人殺しちゃったりして、悪人てのは根が真面目なんだな。で、スケベ心がある一般人ですら往生できるんだから、純粋な悪人は、なおのこと往生できる。あ。条件として、真剣に南無阿弥陀仏って唱えてね。信仰のない人殺しは、ただの極悪人だぞ」に進化して、そういう生活の知恵を吹き込まれると、「おう。そうだな」って同意しちゃう。「屁理屈捏ねてんじゃねぇぞ」なんて言わない。この教えの親戚筋で乱暴だったのが一向一揆で、織田信長に滅ぼされるまでは、やりたい放題だった。信長の親族は一向宗にずいぶん殺されてて、あれ「信長って坊主だけでなく女子供まで殺しちゃってヒドイんです」って言われがちなんだけど、一向宗の連中もそんなに健気な奴らじゃないから、どっちもどっちだ。僧が武装してたように思われがちだが、それだけでなく専業の兵もいた。それもごっそり。で、信徒は「信仰のために戦って死んだら、そりゃもう極楽往生間違いない」って言い含められてて、死ぬのが怖くない。それどころか信者が続々と涌いて出てきて勢力は拡大するばかり。聖戦だかんね、って、どっかで聞いたセリフだなと思ったら、そりゃISIS(イスラム過激派組織)だった。まあとんでもない無法者ばかりなんだが、「一向宗のため」って免罪符持ってるからタチが悪い。これ、よその国だったら、こんな方便に乗っかったら、さらに大暴れで一つの国くらい簡単に壊しちゃったんじゃないか。日本人がマイルドで良かったね。信長は、よくやった。
 さらに時代が進んで、解散させられた浄土宗の一派は時宗に合流して「普段は生活で大変でしょうから、信仰とか要らないです。死ぬまえに、せめて一度でも本気で念仏唱えてくれればオッケーです」とか、やがて「もう信仰とかしなくていいから。おれらが念仏唱えて引導渡してやっから心配すんな」なんて言い出して、便利でいいね。
 そういや、おれたちがバンコクの役場に入籍の届けを出しに行ったとき、年配の夫婦者がやはり入籍に来ていて、「結婚して20年経ったからね。その記念に入籍だ」とニコニコしていた。この夫婦は中国系ではなかったが、「まあ役場の届けなんて、何か意味があるわけでもないんだけどね」という雰囲気が濃厚で、「でも、籍、入れちゃうんだもんねー」という行為が、わざわざ入籍するくらい仲睦まじいのだと言わんばかりに手を繋いでイチャイチャしてて面白かった。タイ族は純粋で、いい。

 それがどうだ。
 ヤマモトは結婚しないと言う。
 愛していたのにね。
 ただ単に、男だった、って。そんな些細な理由で。

 ヤマモトって、誠実じゃないんだね。
 そう言われるのが、ヤマモトは嫌だった。
 誠実って、何だよ。だいたい向こうが男だってことを言わなかったのは不誠実じゃないのかよ。というのがヤマモトの言い分だ。だが、他の人たちは、そんなの、皆が気づいてるんだし、その辺は言わなくても察することができなかったボンクラなヤマモトがいけない。ということだ。
 何でもかんでも言うと思うか、ふつう。うちの奥さんなんか、うんこするんだぞ。でも、結婚まえに、「わたし、うんこしちゃうような人間なんです」なんて、わざわざ言わなかったぞ。それに、おれだって「さては、こいつ、うんこしてやがるな」と思っても受け入れてるんだ。おれもするわけだし。オトナになれよ。と、ヤマモトの上司は言った。
 いやいやいや。うんこは誰だってするでしょ。でも、ちんこの生えた奥さんてのは控えめに言って珍しい部類じゃないすか。
 だから。愛してるなら、ちんこの一本くらい、何だっていうんだ。だいたい、おれにも、おまえにもあるじゃないか。そんなに珍しい物でもないぞ。
 いや、だから。それが問題なんじゃないですか。おれと合わせて二本になっちゃうんですよ。そんな夫婦、どこにいるんすか。
 いっぱいあって良いじゃないか。うちの奥さんなんか、ちんこ一本もないのに健気に生きてんだぞ。もう不憫でしょうがないよ。
 ヤマモトの上司は、あきらかに面白がってるだけだった。しかもその理論展開に一理あるから始末が悪い。一理あるってのは、ちんこの本数のことではなく、愛しているのに、思い違いを理由に愛を反故にしていいのか、ってことだ。オトシマエはナシかよ、ってことだ。
 つまり、ヤマモトにとって、ちんこ一本の持つ破壊力は、とてつもなく大きかった訳なんだが、それで消えちゃうような愛だったってことで、「愛なんて、幻想だね」ということが図らずも露顕しちゃった。男だってわかったら、煙みたいに愛が消えましたぁ。あれはマボロシだったんですぅ、と。
 が、それを言うと、もう何でも幻想になってしまうので身も蓋もないのだった。
 幻想でもいい。ただ、おれたちには、もっと甘い幻想が必要なんだ。
 そんなのじゃ、だめだ。もっと、ちゃんとした幻想をくれ。
 
 一目惚れなんかじゃなくて、ソウルメイトだった筈なのにね。
 冷静に考えると、これは騙したとか嘘とかじゃなく、ヤマモトの過剰な思い込みが、実態とはかけ離れていて、それが「あ。思い込みだったのか」とバレて、ぜんぶをチャラにしたヤマモトは不誠実だね、ってことだ。
 そうじゃないと言うのなら、愛だと思ってたけど、なぁーんだ、愛じゃなかったんだね、ってことで、それも同じくらい酷い話だ。エップンにも多少思わせぶりな所はあったとしても、エップンが悪いってほどのことではない。というのが大方の感想だった。
 下衆な連中は、ヤマモトがオカマに引っかかって同棲3週間目まで相手が男だって気づかなかったんだってよ。と嗤っていたが、まともな人たちは、この話を聞いて、愛ということについて思いを馳せた。
 たまたま、うちは上手くいってるし、たまたま男と女の組み合わせだったけれど、関係は思い込みの上に成り立ってるものかもしれないな、と。連れ合いが外国籍を持つ人々は、メインの言語が違っていても同じ幻想を共有できることについて、思いを巡らせた。これは、けっこう凄いことだ。幻想だとしても、素晴らしい幻想じゃないか。

 ヤマモトは、びっくり水を差された蕎麦の釜みたいに、不意に冷静になって、そして打ち粉に濁った湯と同じくらい、いろんなことがどうでもよくなった。捨て鉢っていうやつだ。誰も悪くないのに誰もが不幸になってしまったような感じ。2020東京オリンピックの行方みたいな話で、決定的に悪い奴が見つからないから、誰も責任を取りたがらない。でも、ずっと先送りにはできないのだ。
 ある日思い立ってヤマモトは半日で部屋を片付け、日本へ帰る航空券を手配した。
 彼が部屋を引き払ったあと、賃貸の保証人だった会社が現状確認の立ち会いに行くと、ガスコンロすらない簡易台所には未使用の調理用ミキサーが置いてあったそうで、立ち会いに行った者は、それを持ち帰った。しかし、そんな物を使いたがる者はおらず、でもミキサーは、おれなら使いそうだと連絡があって、ありがたくいただくことにした。三週間の恋の跡に残った物。ヤマモトは、これで何を作ろうとしていたのか。
 ミキサーというのは構造が単純で、貰ったのは、もう25年もまえのことだというのに、まだ現役で使えている。マヨネーズを作るのに使う。タイのマヨネーズは砂糖が多すぎる。それが日本のメーカーのものでも、シンガポールで作っている製品は、現地の好みに合わせているのか、どうにも甘いのだ。
 それから、スイカのジュースなんかも作ったりする。スイカのジュースはタイでは普通に飲まれている物で、種を除いたスイカ、砂糖、多めの氷と水少々を、氷が砂みたいに細かくなるまでミキサーにかけたもので、タイ語でテンモーパン(แตงโมปั่น)という。このパン(ปั่น)というのが、氷が細かくなるまでミキサーでシェイクした飲み物のことで、いまふうに言うとスムージーってやつか。
 もうヤマモトのことを憶えている日本人も少なくなったが、タイの家でミキサーを使うたびに彼のことは思い出す。名前は忘れてしまったが、今回ヤマモトという名をつけたので、ミキサーを使うときの、ある種の所在なさが、これで解消されることと思う。
 何なら、ミキサーの名がヤマモトでも、いいな。

น้องโบว์ มือพิณข้าวแห้งน้อย หย่าวพิณ งานตุ้มโฮมมือพิณน้อย ซีซั่น 3 ปี 2562【Isan Lam Ploen】
 さて、今日の曲はインストゥルメンタルです。しかもシロウトの。シロウトっていうか、学生だ。ノンボウバンドっていうバンド名と、楽器編成と2019年のシーズン3だってことがタイトルになってて、曲名のクレジットがない。ノンボウ? ノンボウのノンは、目下の者を指す言葉で、接頭語にもなる。この場合は「ボウちゃん」みたいな感じ。このピン(前々回のエントリーに出てきた3弦のエレキギターみたいな楽器)を持ってリードを取ってるボブというよりオカッパ頭の娘さんの名前が「ボウちゃん」だ。つまり、この娘がリーダーってことみたいだ。
 演奏はモーラムに似たラムプレーン(ลำเพลิน)というジャンルで、イサーン地方の音楽のリフが矢継ぎ早に繰り出されるばかりで、メロディーらしいメロディーがないから、即興なんだと思う。観てもらえばわかるが、とても楽しそうで、観ているこちらまでニコニコしてしまう。
 まず最初に後方の太鼓の娘たちが、太鼓の皮の上に粉を振りまいていたせいで、太鼓を叩くと、粉が派手に舞い上がって煙みたいになる。それが堪らず、自分で「うはー!」って高揚してる。もう楽しくて楽しくて仕方ないってかんじ。「ボウちゃん」も太鼓の娘と目配せしてて、もう立派なバンドマンだ。太鼓の娘は巧いのに、マイクが隣のカウベルの音ばかり拾うもので、もったいないんだが、そんなことを言ったら、ケーンっていう縦笛的な人は始終聞こえないままだ。このへんがシロウトの限界なのか、そこが残念。あと、チューニングくらい合わせろとか、木琴の音程が狂ってるとか、ピンの高音部がフレット音痴になってんぞとか、細かな不満は多々あるが、それでも全体のノリの良さが欠点を凌駕してる。
 ところで舞い上がる粉なんだが、太鼓の娘が頬につけてて、ビルマ人がよく頬に塗りたくってる「タナカ」と呼ばれる粉(タナカという木を乾燥させて粉にしたやつ)かと思ったけど、あれは生成色だ。これは真っ白だから、たぶんタルクですね。タルカムパウダー。日本語たと天花粉(てんかふん)。今では天花粉のほうが通じないか。ベビーパウダーって言えば良いのか。タイ正月のソンクランの水掛けまつりの水に白い粉を溶かすことがあるが、これだ。水に溶いて頬に塗るね。タナカと同様に日焼け対策だって言うんだけど、これじゃムラに焼けちゃうよね。太鼓の娘さんが、やはり水に溶かして頬に塗ってる。
 タルクってのは、ひところアスベストが含まれると大騒ぎになったアレだ。むかしアスベストで肺気腫になっちゃう理由が、肺にアスベストの細かい破片が刺さるため、って聞いたんだけど、それじゃグラスウールもダメじゃん。そっちは問題になんないのか、と訝しがってたら、20年くらいまえだったか、岡山大学だったか徳島大学だったか、その辺のどこかの大学がアスベストに付着する含鉄タンパク質(喫煙や生活習慣、職業的理由などで鉄分を肺に取り込んでしまう)がラジウムを吸着して、めっちゃ濃いラジウムになって固定しちゃうんで肺が長期α線被曝しちゃうんだって話を発表した。それで発がん性かぁ、と納得した筈だったが、これがググっても出てこないんで、具体的なラジウムの放射性同位体の質量数とか細かいことをぜんぜん憶えてなくて、詳細が不明です。興味のある方は、上手にググってみて。
 今ではタルクの原料の一つであるカンラン石のうち、蛇紋岩さえ除けばアスベストは混入しないから、それでいいんだろうけど、当時タイでは、そのことについて、ひとっつも騒いでなかった。タイは普段、こういうのに敏感なんだけどね。タルクの売上が凄いから、メーカーが圧力かけたかな。なにせ制汗剤として新生児から年寄りまで全世代が毎日なん回もパタパタ身体にまぶしてるから、相当な量になる。熱帯仕様のミントのパウダーは涼しくなって気持ちいいよ。調子に乗ってつけすぎると寒くなって、しばらくガタガタ震えることになった嫌な思い出が蘇ってきたけど。あの粉は毛虱にも効くんだそうです。タイ人から聞いたことがある。あれは粉体が水分に触れるとアニオンでアルカリ性になるから虱が死んだり、抗菌消臭作用があるとかなんだろうか。ググってみたけど、ぜんぜんわかんない。おれは、黒曜石の次に好きなのが橄欖石で、黒曜石ほどじゃないが幾つか持ってる。好きなのは緑色の苦土橄欖石だけだ。オリビンていうくらいで、オリーブ色の緑が綺麗なんだよ。
 それはいいんだが、話は演奏で、モーラムと同様に基本は2拍子だ。あと、ベースを聴いているとわかるけど、Amのワンコードですね。あんまりコードっていう考えではないけど。そこにAmペンタトニックスケールを乗せてるだけだから、簡単なブルースのときと同じ指使いではある。モード手法でAドリアンで処理もできるんだけど、それだとピンのフレットでは存在しない音が出てきてしまうのでダメですね。それにモード手法なら8小節など1コーラスのあとに半音高く移調して、また基調に戻って、これを繰り返すのが普通で、ピンはペンタトニックスケールに特化した楽器だから、モード手法には対応できない。ということは、津軽三味線と同じスケールじゃないか。つまりピンで津軽じょんがら節も弾けるんだなぁ。
 おれ、入院前にリサイクルショップで破れ三味線を見つけて、1,100円(税込み)で買って皮を張り替えたんだが、津軽三味線の真似事しかできない。教養がないので、長唄や常磐津なんて無理なのよ。で、張り替えた皮に犬猫の皮を使うのが嫌だったので合成皮革の皮(A4サイズの白い防水シートを文具の通販で買った)を張ったんだけど、やってみたら小器用に張れて、バチなんかも三味線用のは高いから、スクレーパーやゴムベラで代用してる(だって1,100円の楽器だよ。普通に買ったら安いバチでも本体の何倍もする)が、角をヤスリで削ったから、それでまったく問題ない。ところが、これがまた音がバカでかい。巧く張れ過ぎ。うるさくてしょうがない。早く皮が破れないかと思うんだけど、バチの角を丸めちゃったし、合成皮革って無駄に強いんだ。破れたらバリバリ皮を剥がしてピックアップ付けて、エレキ三味線にしちゃうつもりだ。それならふだんはサイレント三味線で、大きな音が欲しいときだけアンプに繋げば良いんだもんね。他にも駒(ギターで言えばブリッジ)もネジで高さが変えられるようにしたりして。ヘッドの糸巻きもエレキベースのネジ式に変えちゃおうかな。チューニングし易いように。アタマの悪い暴走族みたいに「お。メッチャいじくった三味線じゃん」て言われて、どうよ! って胸張って威張りたい。おれの持ってるチェロの一つが、そんな感じで、アタマ悪そうだけど、なかなか良いものです。

 ときに、うちの奥さんも津軽三味線が好きで、じょんがら聴いて高揚して「これ、いい!」って叫んだんだ。あ。そういや琉球音楽も好きだな。琉球音階もペンタトニックスケールであって、タイ歌謡や日本の演歌や民謡にみられるペンタトニックスケールはハ長調で言えばメジャースケールだとド・レ・ミ・ソ・ラで、マイナースケールだとド・ミ・ファ・ソ・シになる。琉球音階と呼ばれるのが、このマイナースケールと同じで、やはりド・ミ・ファ・ソ・シですね。音楽理論というほどのものでもないが、そういうの嫌いな人は、このへん苦痛かな。
 さて、ワンコードで同じ考えの曲ってのは、けっこうあって、だから少しだけ紹介しよう。ジェイムス・ブラウンだ。この人もワンコードというかワンノートの曲が多い。
JAMES BROWN GREATEST DANCE MOVES EVER-THERE WAS A TIME LIVE
 うーん。凄い。ダンスに見入っちゃうね。グレートな方でした。こんなのが家族に一人いたら地獄でしょうが。まあ、解説するまでもないね。観りゃわかる。
 
 で、ワンコードじゃ飽きるので、ドミナントコードも鳴らしてみた、ってのが、これ。B♭m7を2小節とE♭7を2小節のセットを延々と繰り返すだけですが、考え方はワンコードと同じです。ハービー・ハンコックのカメレオン。
Herbie Hancock - Chameleon (Experience Montreux) ~1080p HD
 タル・ウィルケンフェルド(Tal Wilkenfeld、オーストラリア出身のベーシスト)がいい。この曲が発表されたのは73年なんだけど、おれが中学生の頃で、これはよく憶えてる。オリジナルはもっと電子楽器ばかりの編成で、「これはジャズなのか? そうじゃないのか?」なんてことを、いい大人が論争してた。どうでもいいじゃねぇか、そんなこと。おれはただの田舎の中学生だったから、これ聴いて「うっはー! かっこいいー!」って身体揺らしてた。
 そんで、それから10年経って、「やっぱ、ドミナントコード、いらねぇわ」って、ワンコードで一曲持たせちゃったのが、これ。
Herbie Hancock - Rockit (Official Video)
 懐かしいなあ、これ。当時のナウってやつで、今見ると映像がショボくてビックリだ。80年代の見掛け倒しの薄っぺらさを象徴してるようなMVですね。この曲はコピーするのは難しくないんだが、アドリブも含めてこれやるとなると、よっぽど巧くないと間が持たせられなくて、キツイですね。バンドマンが初顔合わせでセッションするときにやる曲ではない。実力が試されます。そういうときの曲はさっきの「カメレオン」とか、あとはだいたいブルーズだね。12小節の定形ブルーズ。基本のコードは3つ。トニックコード、ドミナントコード、サブドミナントコードです。ジャズだとコードが5つになる場合が多くて、これがワンコードだというのには無理があるだろうが、乱暴に言えばワンコードです。いやほんとに。ワンコードを展開して、さらに展開して、って方法。5つだけどワンコード。
 ジャズマンが集まると、とりあえずキーだけ決めて12小節のブルーズ進行を始めて、延々と演奏してる。これは演るだけなら難しくはないんだが、上手くなればなるほど難しいフレージングができるので、初心者から上級者までブルーズで遊ぶよね。何なら初心者と上級者が一緒に遊べるのがブルーズの凄いところで、音楽やるんだったら、これは覚えたほうがいい。
 たとえば、これ。
Blue Monk, Thelonius Monk
 せろにあす。文句の枕詞だね。あをによし、みたいな。「せろにあす もんくこがらし すがたやき」芭蕉ですね。違います。ウソつきました。焼いちゃいかん。
 モンクはブルーノートの微妙に外れた音程を出したくて、でもピアノにはそんな音が設定されてないから半音違いの鍵盤を2つ同時に叩いたりする。本当に欲しい音は、この2つの濁った音の間にある。それから強弱のアクセントを逆に演奏したり。こんなヘンテコな演奏をした人はいなかった訳で、特異過ぎるので、同じことをすると「モンクかよ!」って言われちゃうから、真似する人は滅多にいない。ジャズというより「モンク」っていうジャンルだ。
 見るからにヘンなオジサンだ。チャーリー・ラウズのソロの間ピアノを離れて所在なげに突っ立ってるのがヘン。自分のソロを終えて、またピアノ離れて立つ姿は常人のそれではありませんね。ベースのラリー・ゲイルズがベースソロに入るキッカケを失って丸々1コーラス4ビート刻んでんだけど、ぜんぜん狼狽えずに淡々とキープしてるのがおかしい。いつものことですよ、って感じだ。
 マイルズとのクリスマスセッションで、突然ピアノ弾くのを止めちゃって、慌てたマイルズに「ぱらぱ、ぱらぱ、ぱらぱ、ぱらぱぱぱらぱぱっぱー」ってラッパで促されて、その音に感電したみたいに凄えソロかます録音(The man I loveのtake2)があるんだけど、だいたい想像がつきますね。メチャクチャなオッサンだけど、この世のものとは思えないような、それはそれは美しい曲をたくさん作ってます。
Lee Morgan - The Sidewinder
 リー・モーガンですよ。17か18歳でリーダーアルバム録音したという天才トランペッターです。33歳で内縁の妻に銃で撃ち殺されるというロクでなしっぷり。ジャズマンの鑑だね。これは8ビートだから、ブルーズっていうよりブギウギなんだけど、ジャズではブルーズにカテゴライズされちゃう不思議。ブギだっていいと思うんだが。なんかジャズファンってヘンなのが多いよね。
Duke Ellington - C Jam Blues (1942)
 デューク・エリントン先生だ。いや、先生なんかじゃなくて公爵(デューク)だと言っているけれども。若いね。エリントン・ナンバーって、ホントかっこいいよね。つうか、ベン・ウエブスターがメンバーにいて、ビックリした。これは良いものを観たね。クールです。胡瓜みたいにカッコいい(cool as a cucumberを和訳してみた)。
Five Spot After Dark - Mt Fuji Jazz Festival '93
 すんげぇメンバーだな。日野皓正さんの頬が膨らんでますが、トランペット吹きの頬が膨らむのは、頬で共鳴させるためです。日野さんくらいになると、和音も出せるんだよ。もちろんウソだけど。本当は威嚇のためじゃないかな。それとも雌を惹きつけるためかな。じつは水に浮くためだったりして。
 これも12小節ブルーズで、ここで続けて紹介した4曲は同じコード進行だから、たとえばブルー・モンクの途中でザ・サイドワインダーのメロディーに変わって、またその途中でファイブスポットアフターダークに変わることができる。それやると皆笑うけど。
 ブルーズじゃなくても同じコード進行の曲って意外と多くて、イパネマの娘と、A列車で行こうが同じだったりする。あと、ホテル・カリフォルニアと、いい日旅立ちの2曲も同じだ。

 あ。話が大幅にずれた。ボウちゃんのバンドだった。
 アマチュアだから難しいことはやってないかと思いきや、途中で2拍3連ぶっこんで来たりして、「やるな。おい」って感じです。2ビートから4ビートに倍速になるところなんか、見せ方が巧い。それで、太鼓の娘っ子が凄いんだけど、一般にタイ人に太鼓見せて、「あ。叩かせて」って言う奴は、だいたい凄くてビックリする。まえに社員旅行で太鼓持ってったら、みんな巧くてバスの移動中ずぅーっと叩いてて、掌の皮が剥けてんだけども、それでも止めない。もう何かが憑依しちゃってる。そんで、太鼓は血染めになってるし、「これ持って帰って綺麗にしときます」って、プーちゃんっていう事務のお姉さんが、どうやって綺麗にしたのか血のシミを消して後日会社に持ってきたら、毎日誰かが叩いて夕方になるとお祭りみたいで楽しかったな。太鼓が会社の備品みたくなっちゃってた。
 タイ人に太鼓もたせると、そんな感じで、リズム感がすげえ良い人が控えめに言って半数はいる。基本的にリズムが裏に回ってファンキーなのはあたりまえで、複合リズムなんかシロウトでも何気なくぶっこんでくるから侮れない。ただ、リズムキープってことには興味がなくて、興が乗ってくると走る。つまり、段々速くなる。西洋音楽のメソッドでは、やってはいけないんだろうが、走ると盛り上がるから、それはそれで良いんだろうと思う。好きにしなさい。で、このバンド、最後はポーンラーン (โปงลาง)っていう木琴がミストーン出して収集つかなくなって笑って手が止まってグダグダで終わるんだけど、それも笑いながら楽しくて、いい。このメンバー、全員いいやつっぽくて可愛いし、微笑ましいね。
 つうことで、ノンボウたいしたもんだと思ってたら、この名前でググると、いっぱい動画が出てくる。まあノンボウなんて渾名の娘は多いだろうから、と思ったら、このノンボウ、ちょっとまえにTVにも出てんじゃねぇか。ピン弾いてるだけじゃなく、同じウボン出身の歌手アーム・チュティマーと共演してる。はにかみ方がウボンの娘っぽい二人。
ไปต่อหรือพอส่ำนี่ ซึ้งแท้ น้องโบว์ พิณอีสาน | SUPER 10 SS3
 これは珍しい。4弦のピンだ。それより驚いたのは、この共演のときの間奏で、キュン、キューンってチョーキングのテクニックを見せるんだが、ピンでチョーキングする人を始めて見た。いや、それどころかユニゾンチョーキングまで見せてくれる。ハードロックかよ。ギターも弾くのかな。それなら納得だが、大したもんだ。そのうちタッピングもするようになるのも時間の問題だったりして。つうか、うちの息子に持たせたら、すぐにタッピングして遊ぶんだろうな。
 そういえば高橋竹山も三味線でタッピングをしていたんだよなあ。初レコーディングのまえに自宅で「いや。じつはヘンな事を思いついたのせ」と言ってディレクターに見せたそうで。バチの頭の角で指板を押さえたんだって。津軽三味線にそんなテクニックはなくて、公演なんかでこれを演ることは滅多になかったというが。
 それで、このTV出演では14歳だと紹介されてるんだが、これが一昨年の8月です。前述の「ボウちゃんバンド」の動画が一昨年の12月。ほぼ同時期で、まだコドモじゃないか。色気のない娘だと思ったが、そりゃあたりまえだったんだね。
 てことは、今やっと15歳か16歳。先が楽しみだね。
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