もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

象に踏まれる

2021年03月22日 20時27分58秒 | タイ歌謡
 新婚すぐのことで、よく憶えている。夕食後ふたりでテレビのニュースを見ていると、象に踏まれた男の経緯が報じられた。
 まだバンコク都内に象と象使いが歩いていた頃だ。二十バーツで餌を売り、象に食べさせる。さらに、どういう根拠なのか、象の腹の下を四つ這いで潜り抜けると幸福になれる、と象の脇腹にチョークで書いてあり、それを試す者もいたのだった。少しまえまで、そんなアトラクションは聞いたこともなかったが、急に流行ったらしく、バンコク中の象に同じ文句が書かれるようになっていた。タイ文字表記だけだったのは、行動が予見できない外国人を排除する目的だったのか、それともタイ文字しか書けなかったからなのか、そのへんの事情はわからない。料金は四十バーツくらいだったろうか。象の餌と違って元手がかからず利益率は百分の百だな、と思ったのを憶えている。
 ニュースで報じられたのは、この四つ這いで幸運を掴まんとした男が、今まさに象の腹の下に潜り込んだというときに、通りかかったクルマが何らかの理由でクラクションを鳴らし、その音に驚いた象が、腹の下にいた男を踏み潰してしまい、男はあっけなく死んでしまった。そんなニュースだった。
「うっわぁー」とても簡潔に、おれは感想を述べた。漫画だったら、ぺちゃんこになっても、ぼよよーん、という効果音と共に元に戻って、もう何するんだよ、と笑いながら服の汚れを払うやつだ。でも、現実にはそうはいかない。潰れて死ぬ。間違いなく死ぬ。どんな死にかたも嫌だけれど、とくにこれは嫌だ。簡単に想像できるのが嫌だ。ああ見えて象は動きが機敏だから、すい、と太い足が乗ってきたな、と思ったときには、もう遅い。身動きができなくなってる。これは! と思うのと時を同じくして象の体重がかかってくるんだよ。うっわぁー。そりゃ言っちゃうよ。うっわぁー、って。
「ใช่เลย(そのとおりね)」と、横で妻が頷いた。「อิจฉานะ(うらやましいな)」
 うん。……え?
「ดีนะ(いいな)」目を輝かせた。「ตายมีความสุข(シアワセな死よ)」
 あー……。
「นะ(ねっ)」
 んー。……ムリかもしれない。こんな死に方は(อาจจะไม่ไหว ตายอย่างนี้)。
「ทำไมละ(どうして)」信じられない、という顔をした。「ช้างนะ(象よ)。เป็นผู้ส่งสารของพระเจ้า(神様の使いなのよ)」
 あー。うん。そう答えながら、そうか、この人はタイ人なのだな、と思った。すっげえな。当時の喩えで言うなら、バウンドしてすぐの、ヘンな位置から打ち返す、マルチナ・ヒンギスの、とんでもない角度への返球みたいな。まったく思いがけない返事に、すっかり嬉しくなった。なんか、おれ。すっげぇ人と結婚しちゃったな。
 ぞうに ふまれて しにたい それが わたしのつまです。
 というより向こうは、おれが象に踏まれたくないみたいだ、ってのが意外だったようだ。象に踏まれて死ぬことを嫌がる人が、この世界にいるなんて。一体全体、どんな育ち方をしたら、そんなふうになっちゃうんだろう。そう思ったようだ。
「一緒に居たいからね(เพราะว่าอยากอยู่ด้วยกัน)」おれは妻の目を見た。「まだ死にたくないんだ(ยังไม่อยากตาย)」
 うん。頷いた。「เราไม่เหมือนกันนะ(わたしたちは違うね)」そう言って微笑んだけれど、その中には少しの諦めに似たものがあって、おれたちは、それを面白がった。
 そう。妻も思っていたのだ。
 うわあ。わたし、象に潰されるのが嫌な人と結婚しちゃったよ。
 そうは言っても、考えうる人生の局面で、象に踏まれる、あるいは踏まれそうになるということは、普通に生きていたら皆無と言えるほど稀なことだ。
 稀ではあるが、ニュースで聞いたことのある死因に、ワニと蛇がある。毒蛇に咬まれて死ぬのは、よくあることなのでニュースにもならないが、洪水の時には大蛇が市街地まで流されて、その大蛇に巻き付かれて死ぬというものだ。もう、ぎっちぎちに巻き付いてくるのだ。身動きできないどころか呼吸もできずに息絶える。ニシキヘビに毒はない。大きくて、何にでも巻き付いて仕留めるから毒なんか要らない。洪水の時に巨大ニシキヘビが象に巻き付いて象を殺したニュースを見たが、さすがに象は呑み込めないだろう。それでも動くものは巻き付いて仕留める習性でもあるんだろうか。ワニも市街地まで流されて人を噛むと、これが致命傷になることが多い。あれは噛み付いた途端に己の身体を反転させて獲物にダメージを与える。もう、あちこち痛さが襲ってくるんだ。どうも爬虫類はいけない。話がつうじない感じがイヤだ。あのガラス玉みたいな眼に殺意が微塵もないのに残忍なのがイヤだ。
 洪水は思いがけず危険なものを連れて来る。50cmもあるムカデが水に漂い出てきたりする。これが日本のような華奢なムカデじゃなく、筋肉質な小学生の手首ほどの太さにガッシリと強固な殻を纏った奴で、見るからに毒も強力そうで危ない。そういえば洪水のせいで、飼っていた虎が逃げ出して行方不明になったということもあった。死骸も見つからず、野に帰ったのだろうと言われていた。昔はタイの林野に虎がいるのは普通のことだったが、今ではイサーンの林野とビルマおよびカンボジア国境地帯に生息するのみという。どう考えても危ないのだが、タイで虎に人が襲われたというニュースは聞いたことがない。
 動物だけじゃなく、植物も危ない。たとえば椰子。南国の楽園の象徴みたいな椰子だ。実をとりて胸にあつれば新たなり流離の憂いの、あの椰子だ。椰子の実の直撃を食らって死ぬのは珍しくないので、これもニュースにもならないが、椰子の葉が落ちてきて、この直撃で亡くなる人が時たまいて、なるほど、椰子の葉もヤバいのだった。まずデカい。デカいうえに、葉の根本が堅いのだ。しかも重い。当たりどころが悪ければ、これも大変に危険だが、まあニュースになるくらいだから、滅多には、ない。普段なら、あの大きな葉の空気抵抗が落下速度を和らげるので、かろうじて人が死ぬには及ばない。だが強風に煽られて加速のついた椰子の葉ならば話がべつで、そんな物の直撃は人ひとりの命を奪うのに充分だった。
 ところで、実をとりて胸にあつれば、などと書いたが、これは言うまでもなく島崎藤村の作詞だ。おれは藤村という人の書く物が好きではなかったので、「椰子の実」には驚いた。えー。藤村、良いものを書くこともあるんだ。そう思った。
 わりと最近になって知ったんだが、これ、アイディアは柳田國男なんだね。柳田國男が「椰子の実って、あんだろ。あれぁ流れて来るんだぜ、遠くから。そんでね……」と語った話を、藤村が「あ。それ、いただき。詞にしていいすか」「おう」(注:想像上の会話です)って訳でできた詞だ。
 話は面白いけど文章はイマイチで、民俗学も間違いだらけだが、面白さでは群を抜いている柳田國男と、文章だけは巧い藤村のタッグチームですからね。遠野物語なんかも、この方式で書いてもらいたかった。ともあれ、ほんとうに良い詞です。

名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ
故郷の岸を 離れて 汝はそも 波に幾月

旧の木は 生いや茂れる 枝はなほ 影をやなせる
われもまた 渚を枕 孤身の 浮寝の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば 新なり 流離の憂い
海の陽の 沈むを見れば 激り落つ 異郷の涙

思いやる 八重の汐々 いづれの日にか 国に帰らむ
©島崎藤村
UA ううあ やしのみ 椰子の実 高画質 高音質
 ところで椰子の話は、わりとどうでもいいのだった。UAさんの歌が良いんで、思わず紹介してしまった。
 話は象に踏まれることで、これには少なからず驚いたのだったが、それから半年もしないうちに、似たようなことが起こった。いや、似てないかな。似てないかもしれない。
 やはり夕食後に、ふたりでニュースを見ていたときだ。まだプミポン国王さまがご存命で、お元気でいらした頃、いつものように地方を行幸されていた。国王はいっぱんに国民から「ナイルアン( ในหลวง- 王様)」と呼ばれ、尊敬、敬愛、畏敬といったものを一身に集め、国民の歩むべき道を映射し、たとえ悪人といえど、王様を敬わぬ者はいなかった。
 世界史上、最後の「全国民に愛された国王」だろう。あんな王様は二度と現れない。息子であるところの現国王は、父ほどには尊敬されていないような気がする。
 で、前国王が地方の街をお訪ねになったとき、現地の住民たちが道の両脇に座って国王がお通りになるのを待っていた。いつもの光景だった。皆、頭を垂れて合掌でお出迎えだ。江戸時代の参勤交代でも、これほど尊敬を以て迎えられてはいないと思う。
 ああ。またやってら。そう思いながら受像機の画面を眺めていた。そうするうち、ひとりの老婆が地面に横顔をつけるという不自然な体勢をとった。
 え。急に具合でも悪くなったのかな。そう思った。
 すると、プミポン国王は、その老婆の方に、つい、と方向を変え、歩み寄った。
 さすが王様だ。気配りが行き届いているな。と思ったのも束の間。
 王様は、片足を上げ、ゆっくり、やわやわと、老婆の横顔を、踏みつけた。
 え? 
 何やってんすか、王様。そう思ったときだ。横にいた妻が言った。
「イーッ!」感に堪えないという声。「อิจฉานะ(うらやましいな)」
 あー。そうなんだ。
「อยากให้ในหลวงณทำแบบนี้นะ(私も、王様にあんなふうにしてもらいたいな)」
 そうか、と、おれは微笑んだ。タイ人なら、そうかもしれない。いや。そうだろう。
 おれはまっぴらだ。どんなに偉い奴でもイヤだ。神様だろうが何だろうが断固として拒否する。それは、おれに尊敬する者がいないからだろうか。いや、尊敬する人がいても、そんなのはイヤだ。つうかアタマなんか踏まれたら、その時点で尊敬なんて消え失せてしまうだろうな。日本だと、そういうのが多数派だと思うが、どうか。でも。
 おうさまに ふまれたい それが わたしのつまです。
 断っておくが、タイ人は他人に踏まれても文句を言わないとか、そういうことではない。むしろ逆だ。他人に足の裏を見せるというのは、たいへんな侮辱を与えることになり、間違って足の裏を見せて殴られても回し蹴りを食らっても文句は言えない。
 そういえばバンコクのタクシーに乗ったとき、運転手さんが、こないだまで東アジアの国の企業の運転手として雇われて、けっこう給料も良かったんだけど、本社から来た男が、助手席に座ってダッシュボードの上に靴を脱いだ足を乗せたんだそうで、それは我慢ならず、クルマを停めて外に降り、助手席側に回ってドアを開け、そいつの胸倉を掴んで引きずり下ろして、ボコボコの袋叩きにしちゃったせいで馘首になったんだけれど、おれは悪くないよな、と訊くので、もちろんだ。悪いのは本社から来た奴に決まってる。そんな奴は殴らなくてはいけないぞ、と答えたら、そうだよな! と喜んでいた。
 いつだったか、エメラルド寺院に観光で来た外国人カップルが、公衆の面前で足の裏を晒した廉で逮捕されたこともあったな。
 まあ、そんな訳で、足の裏を見せただけでこの騒ぎだから、アタマを踏むなんてことは殺されてもしょうがないくらいのことだろう。でも、それが許されるどころか、喜ばれるのがタイの国王さまだった。自国の臣民は、こぞって王様と象に踏まれたがる。すごいな。タイは、ちょっとまえまで、そんな国だったのだ。そういえばプミポン国王は十頭の白象をお持ちになっていて、白象は神の使いの中でも上位の存在だから、王様をお乗せになった白象に踏まれでもしたらロイヤルストレートフラッシュ級の幸運だったろうね。
←先代の王様と象
 さて、今日の曲は「เพลงรักจากฉัน(私のラヴソング)」で、歌っているのはโบ สุนิตา(ボー・スニッター)ことสุนิตา ลีติกุล(スニッター・リーティクン)さん。ปดิวรัดา(パディワラダー)というドラマの主題曲ですね。
 ボー(โบ)というのが渾名。前回のエントリーの娘さんが「โบว์(ボウ)」という渾名で、綴が違うが、どっちも「リボン」のこと。「Bow」をタイ文字に転記したのが「โบว์」だけど、今回のボーさんの「โบ」は英語のスペルじゃなくて音をタイ文字表記したものなので、最後の黙字記号付きの部分が消滅してます。でも「โบ」のアルファベット表記の綴はなぜか「Beau」で、わけがわからない。タイ文字から起こすんなら「Bo」だろうと思うんだが。でも、これだとバカでバカでどうにもならない奴のことをタイ語の俗語で「バーバーボーボー(บ้าๆ บอๆ)」と言うんだけれど、そのボーと混同されるつうか、容易に連想されるんで、ムリを承知で「Beau」にしたんだろう。
 父がアフガニスタン人です。随分と遠いような気がするけれど、アフガニスタンって東隣は新疆ウイグル自治区だ。シルクロードをてくてく歩いて来られるじゃん。まずカシュガルまで出るでしょ。簡単に言ってしまったがカブールからカシュガルまで812kmだって。青森から熱海と同じくらいだね。そんで玄奘三蔵法師が通った天山山脈の南を目指すと遠回りだから南ルートかな。南ルートは危険そうで嫌だが、押し通る。成都方面へまっしぐらだ。成都から昆明に南下してさらに南へ行けばタイだ。カブールからバンコクまで直線距離で3,897kmだって。自転車で一日50kmとしても80日間あれば余裕で到着だ。いや無理だけど。でも東京からバンコクまでの直線距離が4,606kmというから、それよりも近い。
 まあ他人のことは言えた義理じゃないんだが、ボーの父は何でバンコクへ行こうと思ったんだろう。そして娘が生まれて有名な歌手になるって、どんな感じなんだろう。アフガニスタンを出ることなく、海も見ないまま生涯を終える人が殆どなんだろうな。
 海の陽の 沈むを見れば 激り落つ 異郷の涙
 そんなことより、ボーさんだ。幼少から歌が巧く、小学校終了後、自作のデモテープをグラミー社に持ち込んだっていうんだから恐れ入る。さすがにコドモ過ぎてすぐには契約には及ばなかったけれど、契約されたのは18歳です。契約してすぐに所謂バックコーラスで大物歌手の録音に参加。大物って誰かというと、クリスティーナ・アギラー(คริสติน่าอากีล่าร์ - クリスティーナ・アギレラに似た名前だけど、デビューはタイのクリスティーナ・アギラーのほうが9年早く、1st.アルバムで、タイで初めてミリオンセラーを出した女性歌手となった。日本での通例として、クリスティーナ・アギラールと表記されることが多いが、最後のRにあたるรの字には黙字記号が付くので発音されない)や、タタ・ヤン、ナット・ミリアなど、錚々たるメンバーだ。そういうのを下積みって言うのかどうか。コーラス・ガールとしては大抜擢で、バンコクにゴマンといる歌手の殆どは場末のカフェーあたりでモンドリアンの作品みたいなスーツを着て歌っているような人々だ。とにかく1st.アルバムをリリースするのは1997年で、22歳のとき。これがいきなりミリオンセラーで、スターになっちゃう。実力派ではあったんだが、何せ若いもんだから、事務所にセーラー服の着用を命じられ、律儀に着てました。
 あ。とりあえず聴いてもらおう。
เพลงรักจากฉัน Ost.ปดิวรัดา | โบ สุนิตา | Official MV
 なかなか良い曲です。イントロでギターのオクターブ奏法にクルイ(ขลุ่ย)というタイの縦笛が絡んで、地味にタイっぽい。歌が始まると良い。良いんだけど、……これ、どっかで聴いたことあるぞ、と考えてすぐ、気がついた。エリントン・ナンバーじゃん、これ。
Kristin Amparo - In A Sentimental Mood
 ご丁寧にキーまで同じF majorだ。コード進行は違うけど、似てる。形式も同じで、どちらもAABA形式の8×4=32小節でワンコーラスだ。ただ、曲のデキは圧倒的にエリントンの方がカッコいい。剽窃だとしたら、オリジナルを超えろよなあ、と思うんだが、オリジナルは1935年の作曲だが、これもエリントン一人で作曲したかというと、そうでもなくてアルトサックス奏者のオットー・ハードウィックが吹いたメロディーを元にエリントンが肉付けした感じ。オリジナル録音も、このオットー・ハードウィックのアルトソロが大きくフィーチャーされている。同じようにオットーの源メロディーにエリントンが肉付けをした曲としては「ソフィスティケイテッド・レディ」や「プレリュード・トゥー・ア・キス」などがあって、名曲揃いだ。でも、クレジットにはオットーの名前なんか出てこない。
 そして、ボーさんが歌った「เพลงรักจากฉัน(私のラヴソング)」は、源メロディーが同じで、エリントンが肉付けしたほうは関係ない、と思えば、じゃあそれはオットーさんのがオリジナルじゃないか、と非常に面倒くさい。わずか2小節足らずのメロディーが、たまたまカブることもあるだろうし、よくわかんないよね、が結論だな。

 この、作曲の著作権ってことになると、昔のジャズ界は結構デタラメで、たとえば1959年のフランス映画「危険な関係(Les liaisons dangereuses - 作家のボリス・ヴィアンも出演してる。残念ながらトランペットは吹いてないけど)」の音楽なんだが、このテーマ曲「危険な関係のブルース」始め、サウンドトラックの全曲を作曲したのはピアノ弾きのデューク・ジョーダンなんだけれど、作曲者としてレコードにクレジットされたのはジャック・マレーという人物だ。当時のジャズ界ではレーベルとの契約の問題なんかがあって、偽名を使って録音するということも珍しくなくて、チャーリー・パーカーが、チャーリー・チャンという偽名を使ったのはジャズファンの間ではチョー有名な話。でも、このデューク・ジョーダンの場合は、そういうことではなく、ジャック・マレーは実在の人物。このひとは作曲なんか1音符もしてないんだが、なんでクレジットされちゃったのかというと、レコードの売上が見込まれるから、作曲の著作権r料を横取り・着服するためです。ひでぇ話だ。
 あんまり気の毒なんで、この録音がレーベルを変えて再販されるときにデューク・ジョーダンの名前も併記(オリジナルで登録された名前を消すわけにはいかなかったようだ)されたんだけど、初版に比べて全く売れなかったそうで。
No Problem (Pt. 1 / BOF "Les liaisons dangereuses")
 本当の作曲者なのに、全然知らない人の名前になっちゃって著作権料はビタ一文入ってこないし、サウンドトラックでもピアノは1曲しか弾かせてもらえず、このテーマ曲もアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのレギュラーメンバーのピアノ弾きに演奏を取られちゃった。
 だから、自分のバンドで演奏するときは「No problem」ってタイトルで、もちろん作曲者は自分だ。なんかもうプロブレムしかないような気がするが。
 ところで、じつは、この曲はおれのテーマ曲で、リングに上がるときなんかに使う予定だが、これまでリングに上がった経験がないので、もうこれから先もないかもしれない。
 テーマ曲のほうの録音は、こっちです。
No Problem
 良い曲だなあ。1976年、北海道の田舎の雪道を歩いているとき、これをテーマ曲にすると決めた。理由は好きだから。
 うちの家族は、それぞれがテーマ曲を持ってる。といっても、おれが勝手に決めただけで、「これがキミのテーマ曲だ」って聴かせても、「あ。はい」って感じで、つれない態度だったんだが、嫌がってもいないし、「こっちの曲のほうがいいな」って、変更の申し出もないので、そのままになってる。
 息子のテーマは、これです。「カンタロープ・アイランド」。
Herbie Hancock - Cantaloupe Island
 かっこいいよね、と言うと、うん、って頷いてた。それで、息子には第2テーマ曲もあって、「メロンの気持ち」しかないと思ったんだが、これを聴かせたら、「こっちはイヤです」って断られちゃった。良い曲なのにね。
Corazón de Melón - Hermanas Benítez
 うちの奥さんのテーマ曲は「星影のステラ(Stella by starlight)」で、原題は同義語重複っぽいけど、まあいいじゃない。ヴィクター・ヤングの代表曲だ。
Miles Davis - Stella by Starlight (Official Audio)
 ヴィクター・ヤングには、もうひとつ「愚かなり我が心(My Foolish Heart)」もあるね。良い曲です。この曲が好きで好きで、若い頃、ピアノで弾けるように練習したものです。もうずっと、なん年も弾いてないんで、忘れたかもしれないが。「マイ・フーリッシュ・ハート」は、同名の映画主題歌なんだけど、原作小説はサリンジャーなんだね。サリンジャーに、そんな小説あったっけ、と思ったら、原題は「Uncle Wiggily in Connecticut」でした。なるほど。「ナイン・ストーリーズ」に収められてるやつだ。邦題が「コネティカットのひょこひょこおじさん」で、このタイトルだったら絶対に売れないよね。最近の訳(2009年、柴田元幸)だと「コネチカットのアンクル・ウィギリー」になってる。もう全部カタカナ表記でもいいんじゃないか。他にも「コネチカットのグラグラカカ父さん(1981年)」、「コネチカットのよろめき叔父さん(1977年)」なんかもあって、どうにもしっくりこない。
 サリンジャーの代表作「ライ麦畑でつかまえて」もそうだが、訳が、しっくりこない。村上春樹さんが2回も訳してるくらい、読んでてしっくりこなかったんだろうね。若い頃、「ライ麦畑でつかまえて」を読もうとして、訳された日本語があまりに恥ずかしいせいで読むことができなかった。でも訳すのなら、ああなっちゃうよね、って日本語で、だから、あの本は英語で読んだほうがいい。
 ところで、日本語訳本は英語の初版が出た翌年にはもう出版されてて、そのときの邦題は「危険な年齢」です。著者の名前がJ.D.サリンガーってなってて、ヤバそうな匂いがするんだが、もう絶版で読めませんね。最近amazonの古書で売りに出たときは100円だったようだ。で、むかし聞いた話なんだが、この本の評判が芳しくなく、誰かもっと良い訳をしてくれないか、という話になり、「じゃあ私が」と志願した人がいたんだけど、出来上がった訳のタイトルが「ライ病棟の捕手」で、どういうわけか出版されなかったっていうんだ。
 それが最近じゃ「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ですからね。もう本文もカタカナ表記でいいじゃねぇか。いや良くないか。

 あ。そういえば話は変わるんだけど、石田純一って俳優がいるでしょ。あの人、「不倫は文化だ」って言ってないのに、そう言ったようなことになっててすげえ誤解されてんのにヘラヘラしてて、余計な言い訳しないのね。で、そんな騒動の頃だったか、石田純一さんは報道・情報番組のキャスターに就任したんだ。で、番組中、コストパフォーマンスが良いという表現が出たときに、石田純一的な爽やかさで「あ。このコストパフォーマンスが良いというのを、ちょっと説明しますと、これはですね、コストの、パフォーマンスが、良い、ということなんですね」と補足してくれて、でも石田純一だから、ぜんぜん嫌味もなく、親切で爽やかだったのね。もう、これを見た人々は確信した筈だ。「ああ。このひとは、いい奴だ」と。もうね、あれ見た人なら石田純一を嫌いになんて、なれない。なんか、英語のカタカナ表記っていうと、いつもこれを思い出しちゃうんだ。

 さて、話は最初のボーさんの「เพลงรักจากฉัน(私のラヴソング)」に戻る。
 パクリじゃないの、と難癖をつけたりしたが、作品自体は良いし、ボーさんの歌もいい。
 例によって歌詞も訳しておくか

太陽が地平線を見捨てても  月も星もない夜があっても 
でも あなたは隣にいる人を知っているの?
ただ毎日呼吸しているだけでも 息は弱くなったり消えたりする
咲き誇る花も いつかは枯れてしまう
でもお互いへの愛情は衰えることがない

さあ 手に取って これは私からのラブソング  
あなたが永遠に聴くために 何度でも繰り返す 

たとえ海の水が涸れ果てても 青い空が真っ暗になっても
あなたには 私がいる 
ねえダーリン それだけは決して変わらない

 ちょっとタイの歌謡曲っぽくない歌詞だね。ラテンの国の歌詞っぽい。
 タイの歌詞は、これまで紹介したものは、暗喩なんかももうちょっと気が利いてて、こんなに馬鹿っぽくない。なぜ、これが頭悪そうかと言うと、これがメロドラマの主題曲だからです。テレビはバカの見本市だってのは、日本もタイも同じで、だから演技の上手い人でもテレビドラマだとバカでもわかるように大げさな演技をする。そんな訳で「多部 未華子 の芝居は巧いよね」とか「上野樹里の芝居は良い」と言うと、「えー」とか「そう?」って言われることがあるけど、これはたぶんテレビの演技しか見たことがないんだろう。あれも、よーく観ると凄いんだけどね。
 これは日本だけじゃなく、タイでも同じで、演技に限らず脚本も演出も音楽も全部バカ向けになってる。たまにバカ向けじゃないドラマを作ることもあって、そういうのは評判にはなってもヒットはしない。
 バカ向けとはいえ、ボーさんの歌、いいじゃないか。手を抜いたりしない人だからね。しかし老けたなぁ、と思ったけど、デビューして二十数年経って、もう45歳か。じゃあ、べつに老けてないか。
 デビューのときが、この歌だ。アイドル路線にする必要もないのに、若い娘だってんで、セーラー服を着せられていたけど、本人も気に入ってたようで、まあ何よりです。
ฉันรู้ - โบ สุนิตา 【OFFICIAL MV】
「ฉันรู้(私は知っている)」という曲です。MVでは最初、運の悪そうなバンドマンが歌ってて「誰?」って思うんだが、歌声はボーさんなので、ヘンな演出だけれどマイペンライだ。ハナから歌が巧くて、完成された歌手みたいに言われてたんだが、それでもちゃんと努力を重ねて、今ではもっと巧くなってて凄いね。そんなのあたりまえだと思うかもしれないが、芸能人になっちゃうような人間はみんなが努力家とは限らない。
 私生活では双子の片割れの俳優で歌手のฝันเด่น จรรยาธนากร(ファンデン・ジャンヤタナコーン)と結婚して10年ほど夫婦でいた。離婚したあとも仲がいいという、タイではよくある関係です。好きだけどもう愛してはいないっていう。何があったんだろうね。こういう元夫婦って、何があったのか訊いても、ただ微笑むだけだったりしてクールだけど、よくわからない。
 娘がひとり。ボーさんは幼少時สาวแก้มป่อง(頬の膨らんだ娘)という渾名だったんだが、娘がまさにボーさんの子供の頃と瓜二つで、旦那はとてもハンサムだったのに、頬の膨らみ方まで同じだと話題になった。でもまあ可愛いからいいか、って女の子だ。
 
 ボーさんに勢いがあって流行ってたのは、おれが結婚するちょっとまえで、暇さえあればうちの奥さんとデートしていて、生涯でも最もアクティヴだった頃だから、いろんな場所へ行った。そして、そのいろんな場所でボーさんの歌がかかっていたのは、よく憶えている。
 都内には象と象使いが歩いていて、先代の王様がお隠れになる、ずっとまえで、臣民のひとりひとりが象と王様に踏まれたがっていた、とても良い時代だったのだ。
 タイの思い出って、記憶の中では、そんなに暑くないのが不思議だ。あの、じりじり痛いような日差しと、汗が、すっぽりと抜け落ちる。あれは、いつものことなんで、記憶では通低音みたいに、あるけど、ないことになっているんだろうか。
「季節。そんなものタイには、ありません。あるのは暑い日と、雨の日だけ」
 ハードボイルドのセリフみたいだが、そう言ったのは、うちの奥さんだ。
 カッコいいでしょ。

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