もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

短い足とノコギリ

2021年12月10日 12時34分18秒 | タイ歌謡
 おれは北海道の山育ちで、初めて海を見たのは8歳くらいの頃だっただろうか。北海道にも海水浴場というのはあって、泳げるのは真夏の1ヶ月間ほどか。水温が低いから、ゆっくりと海に浸かっていることはできない、というのが道民の常識で、そのバロメーターは唇の色だ。唇が紫色になっても海から出ないと、低体温症になって命に関わるのだった。
 そこで、身体が冷えたら砂浜に上がって温まる。体温が戻ったら、また少しの間、海に入るということを繰り返すのだ。北海道の海水浴場で、夏だというのにあちこちで焚き火をしているのは、そういう理由だ。じっさい道民って海水浴の時に必ずと言って良いほどバーベキューかジンギスカンを焼いている。あれは火を見て胸を叩きながらウホウホ昂揚してるんだよね、と他県民に馬鹿にされるが、ウホウホ以外は、だいたい合ってる。たしかに海と満開の桜と花火は馬鹿を引き寄せるし、あらかたの道民は、ばかだ。そのうえ外で肉を焼くという行為は知能指数を半減させて見せる効果があって、たとえ東大を主席で卒業していても浜辺で肉を焼く者は、馬鹿にしか見えない。マタタビに引き寄せられる獅子や猫のように道民は海で肉を焼き、春先に桜の木の下でも肉を焼く。あれは必然なのだ。寒いから焚き火をする。焚き火で身体を温めるなら、そりゃついでに何かを焼いて食うだろう。
 いっぽう、うちの奥さんが初めて日本の海を見たときは、「これ、本当に海なのですか?」と言い、何をそんなに訝しがっているのかと訊くと、「だって、黒いよ。砂が」と寂しそうだった。幼い頃、父の仕事の都合でバンセーンのブラパー大学近辺の海岸通り(バンコクからだとパタヤへ行く途中だ)に住んだことがあって、あのひとの知っている砂浜ってのは白いものだ。のちに聞いたことだが、いちめん黒い砂浜に(こんなの、海じゃない)と思ったという。また、誰も泳いでいないのも考えられないことで、冬は泳がないのだと知って衝撃を受けていた。地震はあるし、夏以外には泳げない上に砂浜が黒々(ดำๆ)なんて、そんな所に住むのは間違ってると言う。
 そして、初めて猪苗代湖を見たときは「あー、わかった。だから郡山は魚が美味しいのね」と言い、これは海じゃないよと教えても、「まーた、そういう嘘をつく」と、信じない。タイには、そんな大きな湖がないと言うのだが、そんな訳あるかと思うものの、地図を見ると確かに大きな湖がない。

 幼いころ、地平線を見るにつけ、どうやら地球は丸いのではないか、と睨んではいたが、初めて海を見て確信した。地球、さては丸いな。山がないからバレバレだ。
 海がやたらにデカい。大きい、などという取り澄ました言い方ではなく、育ちが悪く聞こえてもデカいという形容しかなかった。すげぇな。馬鹿げた大きさだ。しかも、これ、ぜんぶ水なんだ。ただの水じゃない。海水だ。しょっぱいんだよ。もう、ひたすら水だ。果てしなく、ずぅーっと水。たっぷり、惜しげもなく、ぜんぶ水。そんでもって塩水。なんだ、それは。たとえば、どういうことなのか。だって、これぜんぶ水なんだぞ。こんなものが、どこにあるというのか。
「いや。そうでもない」感動していると、父が言った。「あの海の向こうはソ連だ。そんなに遠くない」
 え?
「ソ連だよ。陸地だ。ソ連の人が住んでいて、ソ連の言葉を話してる。反対のオホーツクや太平洋だと、ずっと海が続く。アメリカは、とても遠いんだ」
 なにそれ。ソヴィエト連邦ってやつだよな。近いのかぁ。どんなのだ、それ。

 ソ連のことは、それっきりだった。ロシア系だという少年が同級生にいたが、彼がソ連について想起させることなど何もなかった。ロシア系の人というのは北海道では珍しくもないが、ロシア革命から命からがら逃げてきて当時でもすでに半世紀を過ぎていたので、3世である彼も血が薄まってクオーターだった。だから見た目は特におれたちと変わらず、日本語しか話せないし、ライフスタイルも普通の道民のそれだった。それどころか高校生になるとストラトキャスターもどきのギターでロックンロールを弾いてたりして、アメリカナイズされていた。いいのか、そんなことで。ていうか、ロケンロールやるんだったらストラトなんかじゃなくて335じゃないの。
←ES335
 ES335。ギブソンの。って言うと、「えー、あんなのコミックバンドが弾いてるやつだべや」と北海道弁で不平を述べるのだった。あー。横山ホットブラザーズとか玉川カルテットみたいな。なるほど。セミアコ、シブくてカッコいいけど、確かに若い人は、あんまり弾いてないな。あと、横山ホットブラザーズの長男(亡くなって、もう1年経つんだね)がノコギリを叩く「おまえはアホか」っていうやつは凄い。もうずっと同じネタで上達したりせずに安定している。
横山ホットブラザーズ お前はアホか〜
 ソ連は、本当に近いのだろうか。近所で売っていたピロシキは挽肉とタマネギと春雨を塩味で炒めた上に椎茸まで入っていて、いったいどの辺がロシアなのか皆目わからなかった。これ、春巻きの具を使い回してんじゃねぇの? やっぱりロシアは遠いのではないか。
 まあピロシキは何を包んでも良いというので、料理界の風呂敷と言っていい。洒落の出来が悪いが、いいじゃん、これしき。ていうか、ピロシキってのはロシア料理というより東欧料理というのが正しいらしい。
 東欧といえば、「ポーリュシカポーレ」って歌があって、あの歌はポーランドの事を歌ってるもんだとばかり思っていたら、じつはロシア内戦の歌であって、ポーランドは全く関係ないらしい。どうやらポーランド航空(LOTポーリッシュ)からの連想だと思うが、落ち着いて考えたら、ポーリュシカとポーリッシュでは似てはいるけど微妙に違う。スーパー銭湯と数%ほどではないが、違う。タージマハルと田島ハルも、じつは違う。神田ハルとカンダハルは、字が違うが読みは一緒だ。てか誰なんだ、田島ハルって。
 ソ連は、いち度だけ滞在したことがある。と言っていいのかどうか。たしかスペインに行ったときだ。値段の安さに負けてアエロフロートに乗ったのだ。ケチなんじゃなくてビンボーだったからだ。これは強調しておきたい。「ケチなんじゃない。ビンボーなんです(ไม่ใช่ขี้เหนียวนะ ไม่มีสตางค์ครับ)」これを言うと、だいたいのタイ人はウケる。笑わせるつもりもなく言ったのだが、そう言うと笑う。外国人がこれを言う違和感が面白いのだろうか。そういえば中華街(ヤワラーッ)で料理を注文するときに、壁に貼ってある菜單(メニュー)の品目をレザーポインターで照らして指定すると、笑う笑う。大声で笑う。でも、それは華人だけで、タイ人の店員だと、まったく笑わない。注文しているおれも、くすくす笑いながら料理名を照射していると、それに爆笑する中華店員さん。そして、これの何が面白いのだと、呆れているのが、うちの奥さん(タイ人)で、息子を見ると苦笑していた。
 レザーポインターでの菜單選択は華人判定法として有効だと推測する。少なくともバンコクの中華街で、おれが試した範囲では100%の爆笑率を誇った。横浜や神戸その他の中華街や中華人民共和国本土での爆笑率を知りたいところだ。誰かフィールドワークに参加のうえ検証していただきたい。
 ともかくレザーポインター判定法は、「映画タイタニックの沈没寸前で船が屹立して人々が続々と滑落するシーンで爆笑するのは華人だけ」という判定法よりは簡便だと思う。
 さて、アエロフロートだ。「乗り継ぎの時間が悪くて、モスクワに1泊になりますが、それでも良いですか」と予約の人に訊かれた。「宿泊は航空券の値段に含まれます」
 当時、アエロフロートの格安航空券を扱っていた会社に、あるラジオ局の子会社があって、あの頃主流だった団体割引航空券を個別に捌いて売るという値引き方法ではなく、広告料の支払い手段として現金ではなく航空券で支払われたチケットを小売りに回す、いわゆる「バーター航空券」だった。ソ連が合衆国相手にウオッカとペプシコーラをバーター取引(物々交換)していた頃の話だ。この会社の本業は就職情報サービスだったが、バブル景気の崩壊に伴ってフ◎ジ△サン※ケイグループの傘下になり、住宅情報誌の会社に売却され、その後、柔らか銀行グループ(正式名称は失念)に吸収され、やがて消滅した。このバーター航空券の責任者というのが見るからに怪しくて、「この人スパイだ。ソ連の」と思ったが、証拠はない。ていうかダフ屋さんの身分を装ったスパイなんて、今考えると情報収集に有利とは思えないので、ただ単に見た目が怪しい人だったのかもしれないし、そんな見た目ではスパイ失格ではないか。
 そんなスパイっぽい男は、トランジット(乗り継ぎ)だからヴィザの取得は必要ないが、空港からは出られないという意味のことを言った。べつに構わない。ロシア語なんか話せないから、空港から出られなくたっていい。「雨が降ろうと槍が降ろうとアエロフロート」だと言ったら、これはウケたのだが、使いどころのない洒落で、これを言ったのは、このいち度だけだ。著作権は放棄するので、使える状況にあったら是非使っていただきたい。無料で開放する。

 空港でチェックインを済ませると、搭乗まえに細長いビニル袋をくれた。万年筆を持っているなら、その袋に入れてくれと言うのだが、そんな航空会社は初めてで、ずいぶん気が利いてると思った。
 だが、当時そんなサービスはアエロフロートくらいで、じっさいに搭乗するとわかるのだが、この飛行機は様々な物がないのだった。まず、バルクヘッドの壁にスクリーンがない。今は座席の背側に小さな画面があって、それで映画を観たりできるのだが、当時の大方の航空機は大きめのスクリーンがバルクヘッドごとにあるだけで、皆で同じものを観た。アエロフロートの飛行機にスクリーンがないのは後方に映写機であるプロジェクターがないからで、なるほど、つまり映画を見せる気がないのだ。
 しょうがない。音楽でも聴くかと、イヤフォンジャックを探すと、それもない。いや。そもそもイヤフォンを貸してくれてない。それもそのはずで、音楽などの提供もないから、イヤフォンなど貸し出さないし、イヤフォンジャックも必要ない。だから、ない。ないと言ったらない。きっぱりと、ない。娯楽などという軟弱な物を享受している場合じゃないのだ。飛行中である。飛行の体感を楽しみなさいということなのだろう。
 そして、寒い。機内が寒いのだ。ここにきて細長いビニル袋をくれた理由がわかったのだが、機内の気圧が低い。すこぶる低い。耳が痛い。というより鼓膜が痛い。おれは耳抜きができて気圧の変動に対応できるつもりだったが、それでも痛い。圧力隔壁がどうのこうのって話以前に、隙間が多いんじゃないのか。雪の日だったら隙間の所に積雪するだろ、ってくらいの気密の甘さだ。そんなふうだから万年筆なんかを胸ポケットに差しておくと、インクが漏れる。もうジャブジャブ漏れちゃう。さすがイリューシンだ。漏るだう。スメタナかよ。他の航空会社でビニル袋を配布しないのは、インク漏れがない、もしくは大したことがないということだった。気密が万全のうえ加圧でもしているのだろうか。イリューシンは、そんな事に重きを置いていない。ビニル袋をくれてやれば良い話だ。
 そういえばヨハン・シュトラウスが、イリューシンの機内で滔滔と漏れ流れるインクを見て作曲したのが「美しく青きドナウ」だって話は有名だが、あれは嘘だと思う。
 こんなことだと知っていれば本の一冊でも持ち込んだのに。
 まあ、今ではアエロフロートも国際線ではイリューシンは使わず、エアバスかボーイングの機体だから、一人につき一個の画面があって映画も観られるしゲームもできるという。もちろんインク漏れ被害防止の袋なんて配らない。ただ、ボーイングだったら快適かというとそうとも限らず、中国民航が日本に乗り入れてすぐ、プロモーションでサンフランシスコ路線とニューヨーク路線を、その頃ありえない値段で売り出して(ニューヨーク往復が3万円だった)、乗ってみたらボーイング747の機内で上映されたのが、旧日本軍の中国での残虐行為の実録映画で、針の蓆(むしろ)とは、このことに相違なかった。これが嫌がらせだとしたら、おれはとても嫌な心持ちだったので、嫌がらせとして首尾良く成立していた。
 このとき、数日後にワシントンD.C.のペンタゴン(国防総省本部)に行き、無料ツアーで施設を案内してもらっていたら、始まって程なくフィリピンのレイテ沖海戦についてのコーナーがあった。軍服姿の案内人が「ジャップが」「ジャップが」と連呼して、ここでジャパニーズって言われていても内容は「ったくポンニチがよぉー」という説明で、周りのツアー参加者は、うむ、うむ、と深く頷いていて生きた心地がしなかった。英語がわからないフリや、どこかのアジア人のフリで乗り切れるとは思えず、まあ結果としては誰にも殴られずに済んだのだが、その間は「なんか、ごめん」って気持ちしかなかった。謝罪の台詞としては最悪と言われる「なんか、ごめん」だが、他に言いようがないじゃん。おれがやったんじゃねぇし。うちの親父でも爺さまでもない。半ば逆ギレみたいな気持ちと申し訳なさの皮膜を往来して、ツアーが終わった途端、そそくさと退却した。まったく。何てことをしてくれたんだよ。大日本帝国は。ところでペンタゴンでは今でも同じ内容のツアーなんだろうか。もしそうだったら、肩身は狭く苦痛だろうが行ってみたらいいよ。否応なしに戦争について考えてしまうから。
 さて、ソ連でのトランジットはどうだったかというと、当日は天候が悪かったのか、それとも何かの都合が悪かったかして、モスクワとは別の空港に到着した。ここからモスクワへは向かわず、直接マドリードへの便に乗り換えるのだと言われた。へえ、ここは何ていう街なんですかとか、乗り継ぎ便の出発は何時になるのかというような疑問にはいっさい答えがなかった。
 エアポートホテルだと言われて連れて行かれた部屋は、鉄格子がそこら中に張り巡らされて、どう見ても独房だった。もう高度も下がって地上なのに、やっぱり寒かった。
 どどど、どういうことだ。
 どどど、どど、ドストエフスキー。
 トランジットの収容部屋の階の出入り口には棍棒を持たせたて毛皮の服を着せたら似合いそうなおばさんがいて、これをジェジュールナヤといった。いや、これバーバヤーガだろ、と失礼なことを言いたかったが黙っていた。ジェジュールナヤというのは、鍵番のおばさんという意味らしいが、じっさいにはスパイ行為などしないように監視する役目の人だった。腕が、おれの太ももよりも太くて、頬の産毛というには太すぎる髭が、逆光にキラキラと輝いていた。ロシア人の娘さんは、弦を張り替えたばかりのバラライカを弾いて出迎えたいほど可憐なのに、おばさんは、だいたいこうだ。ドストエフスキーみたいなのが誕生する土壌は、こういうことだなと納得した。だって、ロシアの女の人って、妖精みたいなのか、巨大な野生の生き物みたいなのの二種類で、その中間て見たことがない。だからあれは、一夜にして激変するとしか思えない。いったいどうなっているのか。少女の頃は、あんなに小さかったのに。ナターシャ、も少し背が欲しい、って。ここで玉川カルテットの伏線が回収できるとは思わなかったな。
 独房で一泊のあと、朝食の牛乳を飲んだら酸っぱかった。飲むヨーグルトとか、そっち方面の酸っぱさではなく、古い牛乳のそれだ。そこにいた大きなご婦人に小声で「これ、酸っぱい」と英語で言ったら、うむ、と頷き「サワー(酸っぱい)オーケー。コアギュレート(凝固)ノーグッド」とおれの目を見据えながら諭すように言った。いや。そりゃ固まった牛乳がヤバいのはわかる。腐敗が進んでるってことだ。だけど酸っぱいのはオーケーなのかよ。まあ確かに腹を壊さなかったんで、そんなの腐ってるうちに入らないってことなんだろうが、すげえな。

 ロシア革命のころ、日本からも義勇兵というか助っ人がロシアに渡って、ともに平等な世界を目指して共産主義のために戦った者たちがいたという。おたがい革命戦士だ。そして、そんな日本人はロシア語で「カロートキア・ノーギ」と呼ばれた。同じ社会を渇望する仲間だ。
 カロートキア・ノーギ(Короткие ноги - クロトカノーギと表記されることも)。直訳で「短い足」だ。間違ってない。何も間違ってない。
 だって、革命だよ。20世紀前半の革命はロマンだったはずで、ロシア革命も例外であるわけがない。イデオロギーのためではなくロマンで参加した者は多かったことだろう。そういった側面は否めない。理屈じゃない。カッコいいかどうかだ。そういう者がいる。けっこういる。現在、日本で革命を信じているのは宝塚ファンの女子高生をはじめとする女性ぐらいのものだろう。革命を信じる理由は、カッコいいし、ワクワクしちゃうから。なんと明快なことか。ただ明快ではあっても革命の大義名分に便乗して暴れまくる無法者も少なからずいる。今でも何らかの抗議デモに便乗して商店を打ち壊し、略奪するのがいて、迷惑このうえない。
 そんなロマンに俺も俺もと参加してきた日本人がいたのだ。呼んでもいないのに。革命なのにダサい東洋人。そりゃ「短足」って呼ばれちゃうよな。
MV วัยเป้งง นักเลงขาสั้น DANGEROUS BOYS (Official Phranakornfilm)
 さて、今回の歌だが、วัยเป้งง นักเลงขาสั้น(ワイペンゴンナックレンカーサン)といって、直訳すると「短い足の若いギャング」ってことなんだが、ここで言う「短い足(ขาสั้น – カーサン)てのは半ズボンとか短パンのことだ。だから「半ズボンのチンピラ」くらいの意味になる。
 MVを見ていただくとわかるんだが、映像は高校生の「カチコミ」を扱っており、タイでは時々ニュースになる。そんなカチコミぐらいで、とお思いだろうが、敵対する高校もしくは専門学校の生徒が多く乗り合わせるバスに突撃して銃撃戦になったりする。とうぜん怪我人や人死に、一般人の巻き添えなんてこともあって、そりゃニュースになる。もちろんしょっちゅうではない。年に数回程度だ。それに、こんなことをするのは馬鹿な学生で、一般的な学生はそんな乱暴なことはしない。馬鹿と言っても半端な馬鹿ではない。もう雄のカブトガニよりも馬鹿なのは間違いなくて、その証拠にカブトガニはカチコミなんかしないし、銃撃もしない。
 歌詞は、くだらない。

後悔のない人生 やりがいのあるものにする
どこにいても、それを心がけろ
打算はいけない 誠実にだ
心の赴くまま それに従うことだ おお おお

経験とか熟練なんかじゃない 
わからないのか 兄弟よ 自分の目で確かめろ
かっこいいかどうかだ
言ってるだけじゃダメだ やってみろ わかるよな
恐れるな ぐっと足を踏み出せ

さあ 先に進め 慌てるな 慌てるな
下がっちゃダメだ
おれたちはワルだ 最後の一滴までワルなんだよ おお おお

 アタマ悪そうだね。まあ言ってることは説教くさいだけで、大きく間違ってはいない。でも、それにカチコミの映像を被せたもんだから知能指数が60くらい下がって見えるだけだ。
 そういえば80年代後半のスティングの歌で「ニューヨークの英国人」てのがあって、「Be yourself no matter what they say(誰が何と言おうと自分らしくあるべき)」という歌詞で有名だ。80年代はこれで何の問題もなく、大方の共感を得られたものだ。けれども、今では「人生相談みたいな物言いでBe yourselfって言う奴は信用するな」ってことになってるんじゃないか。80年代はお節介な意見で価値観を押しつける人が多かったからBe yourselfで良かったけど、多様性を尊重する現在ではBe yourselfって無関心に突き放すのはどうなのよ、ってことなんだろう。
 面倒くさい世の中になってしまった。80年代後半は世界中ばかみたいだったけれど、真っ直ぐにBe yourselfって言える時代だった。あの頃の方が良かったかというと、そんな単純なことではなく、あの時代に戻るなんて嫌なんだが、良いところもあったのだ。

แฟนจ๋า - เบิร์ด ธงไชย + จิน จินตหรา + นัท มีเรีย + แคท แคทรียา + BNK48
 もう1曲。「แฟนจ๋า(フェーンジャ)」という曲で、「恋人です」みたいな意味か。จ๋าは北方訛りをベースに、総じて丁寧語になった女言葉だから話者にLGBTの傾向がなければ「彼氏です」のほうが近い。
 歌詞は愛なんて長続きしないけど、私たちはソウルメイトなのよ。へっへーん、だ。みたいな事しか言ってなくて、まあ、この顔ぶれだからね。内容なんて要らないどころか邪魔なのかもしれない。郷ひろみの為の作詞が無内容になっちゃうのと一緒だ。
 面子が凄い。大御所だらけ。ひとり男なのは“バード”トンチャイで、押しも押されもしない国民的大スターだ。古いものには関心がないタイ人に、まだ忘れられることなく未だ第一線で輝いている。このブログでもなん度か取り上げているね。この撮影は2年半ほどまえのもので、まだCOVIDの兆しもない頃だ。1958年生まれで、マイケル・ジャクソンやマドンナと同い年ってことは「花の中三トリオ」と同級だから、このときでトンチャイさんは還暦過ぎてる。おれより1歳上なのね。
 あと3人の女性がいるけど、ボブというよりオカッパ頭なのが、イサーンの歌姫チンタラー姐さんだ。モーラムの女王ていうのね。馬鹿で下品でどうしようもない「モーラム」という芸能を芸術まで高めたと言われている。別な言い方だと毒を抜いたってことで、この人の出現でモーラムは昼間のテレビに出しても大丈夫で、家族で見られる芸能になった。猥褻じゃなくなっちゃったんで、そんなものはモーラムじゃないという田舎の老人もいるけど、この人のおかげで、おれもモーラムを知ることができた。自力で国立大学に進んで卒業してるし、それまでのモーラム歌手とは違う。歌詞も自分で書いている。つうか猥褻じゃないモーラムなんてものはなかったから、自分で書くより方法がなかったんだろうね。じゃあ生真面目なのかというと、そんなことない。モーラム歌ってるくらいだからね。気さくで国民に愛される人気者だ。52歳。このステージのときで50歳か。若いね。タイの女性は40歳過ぎるとタバコも酒も解禁で、なにそれ、って訊くと「40過ぎたら女じゃないのよ」ってのを昔聞いたことがあって、たしかに40過ぎると一気に老け込む女性が多かったんだが、最近は老けないタイ人が増えた。モーラム界の生きる伝説みたいなグレイトなおばさんだ。
 残る二人のチュチュみたいのが付いた衣装で、若干細めの方がナット・ミリヤさんで、この人もスターだ。女優としてデビューして成功してから歌も歌ってみたら、これもアルバム馬鹿売れの大スター。アルバムも10枚ほど出していて、片手間ではない。46歳。スイス・イタリア系のタイ人です。
 もう一人のおばさんがカトリーヤ・イングリッシュといって、この人も女優から歌も歌った人。やっぱりスターだ。45歳。昔はもっと細くて美人だった。オックスフォード生まれの連合王国系タイ人。
 このメンバーでチンタラー姐さんも見た目で負けてないと思ったら、そういえばチンタラーさんは歌手デビュー直後で人気が出るまえ、DJだけじゃなくモデルもやってたんだった。タイの人って手足が長くてモデル体型の人が案外多いんだよね。チンチクリンばかりじゃない。むかし、カネモチのタイ人って背が高いよねって言ったら、うちの奥さんが「カネモチは良い物をたべてますからね。あと本物のビンボー人は、そのへんに生ってるバナナ食べてるから、やっぱり背が高くて、だからスタイルが美しいのはカネモチか、とてもビンボーな人」って教えてくれたけど、本当かどうかはわからない。チンタラーさんは、どっちだっけ。そういえば昔、心霊方面の有名人で宜保愛子というおばさんがいて、どういうわけか英語の会話が上手かったんだが、あるとき赤いミニスカートに黒の網タイツという格好で出演してて、しかもスタイルがいい。

 そんな宜保さんに、ひどく混乱したのを思い出した。画像を探したが、網タイツのはなかった。誰も喜ばないから、それは良いんだが、そんなことよりチンタラー姐さんだった。アングロサクソン系の遺伝子は入ってないはずだ。生粋のイサーン系タイ人。
 この人たちを日本の芸能人で例えたら誰になるのかというと、そんなの、いない。この年で絶大な人気を誇る歌手なんて日本にはいないもんね。
 最後に賑やかしでBNK48がわらわらと涌いてくるが、まったく正しい使い方で、それなりに人気はあっても、この面子の前では、その他大勢で、賑やかしに丁度良い。
 しっかしトンチャイの人気は陰りを知らない。タイ国民もトンチャイはゲイだと知っているが、それは人気の妨げにはならない。隠すでもなければ、それを売りにしている訳でもない。こんなスタンスのゲイが日本にもいるのかもしれないが、芸能に関わるのは難しいような気がする。大衆が、そこまでLGBTについては成熟してないからだ。
 なんでLGBTについて成熟せにゃならんのだ、って人が多いからね。こういう事情においても、無関心は何の免罪にもならないってことだ。おお。正しいことを言ってしまった。

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