もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

隠密セニョリータ

2021年12月25日 23時39分03秒 | タイ歌謡
 戦国時代末期から江戸時代初期にかけて暗躍したスペイン系くノ一(くのいち)、服部ベロニカについての詳細な記録は菩提寺の梵眼山龍喉寺にも現存しない。隠密だからだ。ついでに言えば、梵眼山龍喉寺ってのは今、適当に考えた山号寺号で、服部ベロニカの名も、もちろん思いつきだ。細川ガラシャがいたぐらいだから服部ベロニカだって、ぐうぜん実在していたら笑っちゃうが、そんなのどう考えても実在しないだろう。ちなみにガラシャってのはスペイン語圏名のGracia(グラシア)で、英語圏名のGrace(グレース)と同根で、意味は「恩寵」とか「優雅」ってことで、希に遣われる言い回しで「面白い」って含意もあるが、真っ先に出てくる意味ではないだろう。けれども、グーグル翻訳だと「面白い」と、きっぱり断言していて一瞬どうかと思ってGraciaをタイ語に翻訳してみたら果たして「ตลก(滑稽な)」になっていて、いっそ気持ちが良いので修正の提案もせずに放置しておいた。細川おもしろ。ダメかもしれんが、嫌いではない。

 戦国時代が終わって日本が平和になると、武芸者の需要はなくなってしまうわけで、たとえ勝った東軍の武将に従えた兵でも、城中の警備任務にあたるくらいの仕事しかなく、それもごく一部の者しか禄にありつけない。そこで選ばれなかった者たちや、西軍に与した者たちなど、戦うしか能のない荒くれ者が大量に仕事にアブれることになった。魚を三枚に下ろすことも掃除もできないが、ひとを殺すのは上手です。そんな者たちが巷にあふれていたのでは物騒なことこの上ない。
 ところが世の中は良くしたもので、戦国末期から江戸初期には、東南アジアでの傭兵のシノギがあった。当時スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスあたりの国々が東南アジアを植民地化しようと躍起になっていたからで、一世紀あまりの間というもの戦乱に明け暮れていた日本の武士は、傭兵として申し分のない強さではあったようだ。ただ、納得できない場合は猛然と言い分を主張してくるし、絶対服従と聞いていたのに「いや。お手前はわが主様に非ず」とか言って歯向かってきて怖いし、じっさいにマニラでは日本人傭兵が無法すぎて隔離されたりしたそうで、20世紀の世界大戦に先駆け、17世紀には多くの日本人が海外へ進出というか流出というか、とにかく渡航している。傭兵だけでなく、奴隷として渡った者も多い。とくに戦国時代は諸大名が火薬の素材である硝安(硝酸アンモニウム)と引き換えに多くの日本人を奴隷として売り飛ばした例も多く、そういった者たちの末路は記録もなく、行き着いた先で農奴かなにかに成り果て、朽ちていったのだろう。「ぱらいそ、行きたいかぁー?」と煽って幼気な信者を拐かす宣教師だけでなく、商人も奴隷をごっそり集めて連れ出してしまうし、これに怒った秀吉はイエズス会に抗議するんだけど、口ではエンテンディードとか言って聞き分けが良いのかと思ったら、いっこうに改まらず、バテレン追放令の大きな理由の一つになった。
 硝安は軒下の雨水が落ちる地面の辺りに小便をくれてやれば自然に生成するものではあったが、これには長い期間が必要だった。もう少し積極的に早く多量に作りたい時は枯れ葉や糞などと混ぜて発酵させて、カリウム入りの灰汁で煮るとか、そんな感じだった筈だ。忍者はヨモギに尿をかけて作っていたという。この製造法がもっと広く知られていれば日本人が奴隷として売られることがなくなっていたのかどうか。硝安が足りれば、何か他の物と交換に奴隷にされていたかもしれず、当時の庶民の命なんて、競馬場の軽食売り場で頼んだラーメンに申し訳みたいに乗っているチャーシューよりも薄くて軽く、「人生」とか「人権」などというものがあると思ってはいけなかったのだろう。
 ともあれ、忍者などはそのように硝安を作っていた。硝安にアルミの粉末を混ぜた物などは威力が凄くて、第一次世界大戦でも使われて夥しい死者を出した。
 硝安を主材とした火薬だけでなく、どんな火薬でも時と共に少しずつ酸化してしまう。まして昔は酸素を遮断する技術などなかった。この手の爆薬の爆発というのは急激な酸化反応のことなので、この頃の全ての爆薬には消費期限というものがあって、期限が近くなると爆発の威力が落ちてしまうから、古い爆薬は処分して新しい物を作らなくてはいけない。江戸時代も下るに従い益々平和な世の中になっていき、それに伴い爆破や銃撃なども少なくなっていた。それでも有事に備えて爆薬の量は確保せねばならず、古い爆薬は花火となって放出、消費され、川辺の花火大会は庶民の目を楽しませた。絵に描いたような戦争と平和だ。

 さて、そんな激動の17世紀に傭兵としてタイに渡った者の一人が、山田長政だった。ざっくり生涯を纏めると、1590年に駿河の下級武士の子として生まれた。仕えた沼津藩は勝ち組の東軍ではあったものの、身分は駕籠かきだったため禄にはありつけずに22歳のとき朱印船でシャム(タイの古称)へ渡り、傭兵隊に加わる。めきめき頭角を現し日本人町の頭領となった。スペインの侵攻を二度、撃退してアユタヤ(当時はアヨッタヤーと呼ばれていた)王朝のソンタム王に仕えた。この後は様々な記録があり、どれが本当なのか検証する手立てもないので、タイで一般に有力視されている略歴に沿うと、プラサートトーン王の治世中に失脚。タイ南部のナコーンシータマラート知事として、タイ人妻とオニン(โอนิน)という名の息子と共にアユタヤを追放された。その後パタニ王国(当時のシャムと隣接したマレー人の国)との戦いで足を負傷、死亡した(足に毒矢を射られた説と、傷口に毒を塗られた説あり)。40年の生涯だった。中国人が共謀して暗殺したって説が有力だが、じっさいのところはわからない。だいたい、よくわからない犯罪を中国人のせいにするということがタイでは多いのだ。むかし、おれがカネを掏られたとき、いつ、どのように掏られたのか皆目わからず、その手際の良さに感心していたら、そんなに上手に物を掠め取るのは中国人に違いない、とタイ人たちは口々に言った。タイ人に、そんなに器用な奴はいないのだと力説していた。
 山田長政が死亡した年には、アユタヤの日本人町も焼き討ちに遭い、消滅してしまう。だいたい同じような時期にアジア各国の日本人町は消滅したようだ。オランダ東インド会社がマラッカからジャワ島に拠点を移したのも、この頃だから、地政学的にも転換期だったのだろう。
 いやあ。濃い生涯だね。さすが「世界三大ヤマダ」の一翼を担っているだけのことはある。ちなみに、あとの2つは家電量販店のヤマダと、元ずうとるびの山田隆夫さんじゃないかな。笑点で座布団運んでる。あ。山田優もいるな。じゃあ山田孝之も入れとくか。世界五大ヤマダになっちまった。日本人ばっかりだけど、でも世界だ。良いやね。他の国に「Yamada」姓は、まずいないはずで、スペイン語圏だと「ジャマダ」って読まれちゃう。あ。タイ人もか。スペイン語を憶えた人なら知っているだろうが、これは「ジェイスモ」と呼ばれる現象で、子音のy音とj音が混同されちゃうものだ。国民ひとり当たりの味の素の消費量がダントツで世界一なのがタイなんだが、その味の素はタイ文字だと「อายิโนะโมะโต๊ะ」と表記して、このタイ文字をアルファベットに置換して表記すると「Ayinomoto」だ。で、じっさいに発音させると「アジノモト」だったり「アユィノモト」だったりする。人によって違うのかというと、そうではなく、同一人物でも発語するたびに、どっちの発音になるかわからないのだ。そんなばかなこと、あるのかと言うと、これがある。ほとんどのタイ人は「アジノモト」と「アユィノモト」の聞き分けができなく、どっちも同じに聞こえちゃう。だから発語もどっちになるかはわからない。ていうか、「ji」と「yi」の区別がついてないって事じたいに気がついてない。とうぜん、その混同を知らない者がほとんどだ。うちの奥さんは「ji」と「yi」が別のものだと知ってはいるが、聞き分けが難しいので、噛みしめるように「ア…ジノモト」と発音するよう心がけているのだが、いかんせん「ア…ユィノモト」になってしまうことは、ある。「言えてた?」って確認するときは、だいたい言えてないときだ。
「日本」のことをタイ語で「ญี่ปุ่น」と言う。これもアルファベット表記だと「Yipun」なので、「ユィープン」だったり「ジープン」だったりする。日本人のタイに関する文章で、日本のことを「イープン」とか「ジープン」とか表記が定まらないのは、そのせいだ。
 そういえば山田って苗字の過半数は人から「山ちゃん」て呼ばれちゃうよね。名に「健」がつくと、もうほぼ間違いなく「ヤマケン」。山中健一だろうと山本謙治だろうと山村健太でも、間違いなく「ヤマケン」。17世紀でもそんな感じだったのかな。確証はないが、山田長政は「ヤマナガ」とは呼ばれてはいなかったような気がする。たぶん「山ちゃん」も違うと思う。それにしてもヤマダナガマサって、ア段の音ばかりが七音も続く。サラダ山田長政だったら十音か。「山田長政や貴花田や若花田が高田サラダ」で二十六音だ。どうだ。いや、威張る事ではないし意味不明だ。特に高田サラダって何だ。なんか誇らしかったもんで、つい威張ってしまった。申し訳ない。
 山田長政って名前だと、現代のタイ人には「ヤーマダー」か「ナガー」って呼ばれちゃうんだろうな。なんかタイ人の名前の略し方の法則ってのは、いまひとつわからないところがある。「ナガサキ」さんはナガー。「ツキダテ」さんはツキー。じゃあ「ヤマモト」さんはヤマーだな、と思ったら、そうじゃなくてヤマモトー。なんでだよ。三文字の苗字だと、だいたいそのままで呼ばれることが多いけれど、タカダさんはタカーだった。「タコヤキ」はタコー。「ヤキソバ」はヤキー。「オコノミヤキ」はピツァーユィープン(日本ピザ)。タイ語じゃねえか。そういえば20世紀の終わり頃、タイで売ってた日本の少女漫画の海賊版(吹き出しの中の日本語をタイ語に差し替えたものだが、原本のストーリーやフキダシ日本語訳の原作への忠実度が非常に疑わしい)のタイトルが「タコヤキ」とか「アノネ」だったりして、テキトー過ぎて深く感心した。さすがに今では考えられない。

 ところで。
 入院していたときにも使っていたDellのマシンがダメになった。メインで使ってたやつだ。電源を入れても起動しないので、これはACアダプタが断線したのだな、と、他のDellのアダプタを使ってみたが、やっぱりダメ。バッテリーでもダメってことは、マシンの方が即身成仏しているのだ。そうだよな。ずいぶん長い間使ってたもんなあ。で、買い換えた。他にまだ使えるパソコンは4台あるんだが、なんかね。新しいの欲しいじゃないの。で、ダメになったマシンのSSDやメモリなんかを外しながら考えたんだんだけど、やっぱり新しいのもDellでバックライト付きのキーボードじゃなきゃイヤだ。じつは他の機械にもバックライトは付いてはいるが。リナックスにしちゃった奴なんかは最近使ってないのでウィンドウズに戻してもいいんだけど、新しいのが欲しかったんだもん。
 で、タイピングのときにキーボードなんかロクに見てないけど、おれは鳥目のうえに、うちの奥さんと違って完璧なブラインドタッチって訳でもないから、光ってないと最初の文字がどこにあるのかまではわからないんだ。うちの奥さんは凄い。暗闇でも、なぁーんも見ないでばちばちタイピングしちゃう。暗闇の事務所に忍び込んでハッキングするときに絶対必要なスキルだ。カッコいいなー、って褒めると、「あら。あなたは暗闇で弦楽器が弾けるじゃない」と言うんだが、それはべつにカッコよくない。ハッカーは忍び込んだ事務所でチェロ弾いたりしないものだ。そんなことしたら警備員さんが飛んでくるよね。
 パソコンのデータはOneDriveにあるのを呼び出せば良いんだし、ブラウザもサインインするだけで従来通りだし、今はパソコンを買い換えても「育てる」ということが要らなくて便利だよなあ。あとはせいぜいOfficeや一太郎とAdobeのソフトなんかを、ちょいとインストールするだけだ。
 というわけで。
 まえにも書いたことがあったと思うんだが、このブログのエントリーは、同時にいくつかを並行して書いていて、その中で書き上がったものから公開するというスタイルだ。だから、滅多にないことだけれど、毎日のように矢継ぎ早にエントリーが公開されたってこともあった。
 で、パソコンを新しくして、いくつかの書きかけのタイトルを開くと、このエントリーだけデータが壊れていて中身がなくなっていた。「隠密セニョリータ」? どんな話だっけ。入院まえに書きかけたもので、数ヶ月しか経ってないのに、ぜーんぜん思い出せない。でも何だかデタラメなタイトルで、おれ好みだ。そりゃそうか。かつてのおれが付けたタイトルだからね。良いとか悪いじゃなくて、おれ好みなのはあたりまえだ。
 そこで今回はタイトルが先行している。そのタイトルに話を肉付けしているんだが、消滅した話は何ひとつ思い出せない。わかるのは、これが消えたオリジナルとはまったく違う物だってことだけだ。まえは山田長政の事なんか書いた覚えがないし、服部ベロニカなんて名前も今回の思いつきだ。しかし、何なんだろうね。隠密セニョリータって。康珍化なんかの昭和歌謡のタイトルか。
 いや、そんなのねぇか。

 さて、今回はラテン繋がりで、チャチャチャだ。
 いやいや。チャチャチャって、こりゃまたマイナーな。とお思いだろう。ラテンといえばルンバとかマンボが真っ先に思い浮かぶ。その派生がチャチャチャだからね。名曲っていってもロス・パンチョスの「キサス・キサス・キサス」とか、石井明美の歌う「cha cha cha」ってのもあったね。まあジャンルとしては狭い。畢竟リズムパターンがよく似ているから、簡単に他のリズムパターンに替えがきく。日本のラテン歌手というと、アイ・ジョージやアントニオ古賀あたりが大御所で、子供の頃はアントニオ古賀さんの「クスリルンバ」を聴いて、カッコいいと思ったりしたが、あれはコーヒールンバの替え歌だと気がつくのはオトナになってからだった。それにしても50年まえの曲なのに、今でも現役の薬が多いのに驚くね。
アントニオ古賀 クスリルンバ(25周年記念コンサート特別バージョン)
 歌詞の中にクロロマイセチンてのがあって、たしか結核の薬だったよな、と一応ググってみたら、ぜんぜん違ってて化膿したおでき等に塗る軟膏だった。記憶がテキトー過ぎて不安になってしまう。60歳過ぎると、こういうことにナイーブになってしまうんだよね。
 あと、個人的に日本のラテンの金字塔はアキラ兄貴だ。「アキラのダンチョネ節」が、いい。改めて聴いてみたら、これルンバなんだね。
アキラのダンチョネ節
 浅丘ルリ子さんがうつくしい。白木マリさんが肩を左右に振りながら出てきて、ちあきなおみの顔マネをするコロッケみたいな表情で踊ってないのが残念だ。

 ルンバと言えば一般には掃除機なんだろうが、おれにとってルンバといえばフラメンコのルンバだ。ルンバ・フラメンカって言うんだけどね。本家に比べてリズムが複雑で、コーヒールンバなんかもそうだったように根音が下がっていく循環コードとの相性が良いみたいだ。フラメンコが弾きたくて、まず耳コピーで始めるのが、このルンバだ。フラメンコ界の「禁じられた遊び」的名曲。
Paco De Lucia "Entre Dos Aguas"
 いいね。いい。タイトルはEntre Dos Aguasで、邦題は「二筋の川」っていうんだが、ちょっと違うような。直訳だと、ふたつの水の間、ってことだから、川だとしたら中州に立ってる感じか。「中州にて」っていうの。なんかムンクの叫びみたいな絵が浮かんできて、ちょっとイヤだな。でもこれ川か? たんに水って言ってんだからここは海だと思いたい。半島の先端みたいな所で、「ふたつの海の狭間で」とか「ふたつの海に挟まれて」って感じだと思う。まあ湖でも良いんだけど、そんなの五大湖に挟まれたミシガン州の辺りなら良いかもしれないけど、それじゃフラメンコっぽくない。つうかパコ・デ・ルシアはアルへシーラスの生まれ育ちで、あそこならイベリア半島のとんがりの所で、ジブラルタル海峡のいちばん狭い辺りだから、確かにふたつの海の間だ。答、出てんじゃん。
 アルへシーラスにはモロッコのタンジェ(タンジール)往きのフェリーが出る港があって、そのフェリーに乗ってみたら十匹近いイルカが船に併せて併泳(ていうのかな)して、びょんびょんジャンプしながら愛想を振りまくのを見て、なんだか自分が物語の主人公かと勘違いしそうになった。雲の間から漏れた一筋の光線が足下を照らしてたら、そのまま天に召されるところだった。
 二十数年まえ、その船着き場の近くに巨大なパコ・デ・ルシアの銅像がどぉーんと建っていて、それが泣きたくなるほど下手くそで、似てない。似てないのにパコ・デ・ルシアだとわかってしまう出来で、プレートにもそう書いてあって、「あー。……ねえ……」ってしばらく立ち尽くして絶望したんだが、今ググったら、ちゃんと似てる。銅像を作り直したようで、何よりだ。なんか、すげえホッとした。誰だか知らんが、おれが生きてるうちに直してくれて、ありがとう。
←リニューアルしたパコ・デ・ルシア像
 いや。そんなことよりチャチャチャだ。なんでチャチャチャ? という疑問はもっともだ。おれも、そう思うもん。でもタイで言うチャチャチャって、世界基準のチャチャチャじゃないのだった。ていうかラテンである必要すらない。踊れる楽曲の総称をタイでは「ชะชะช่า(チャチャチャー)」もしくは「3ช่า(サムチャー)」という。3ช่า(サムチャー)てのは3 × ช่า(チャー)のことで、それでチャチャチャになるでしょ。日本で言う(古い歌謡曲などの)ブルースが、ぜんぜんブルースじゃないのと一緒だ。淡谷のり子先生は「ブルースの女王」と呼ばれたが、西洋音楽で定義するブルースは、おれの知る限り一曲も歌ってない。柳ヶ瀬ブルースを始めとする演歌のブルースも形式的にはブルースではない。これは立ち食いそば屋で頼んだ天ぷらそばが、かき揚げそばだったって喩えよりも遙かに遠い。「オランダ、食べる?」って訊かれて、何が出てくるのかワクワクしながら待ってたら薩摩揚げが出てきたような、あの感じ。
 順を追ってみると、1930年代に遡るんだが、最初はちゃんとしたチャチャチャだった。有名なのが「จูบเย้ยจันทร์(月の接吻)」という曲で、’50年代と思われる録音が、これだ。
จูบเย้ยจันทร์ | ชรินทร์ & สวลี [ต้นฉบับ]
 歌っているのがチャルン&サワリーというデュオで、チャルン・ナンタナコ-ンという男性は歌手に止まらず俳優や映画監督もこなし、監督作品としては20作くらいあるようだ。プロデューサーとしても優秀だが、あくまでも歌手活動が本業で、その受賞も数多い。’30年代生まれにしては珍しく大学出のインテリで、アマチュア時代は大手企業の経理や貿易部に勤務し、英語にも堪能という人だ。チェンマイ出身。
 女性歌手のサワリー・パカファンという人は、ルククルンの至宝とも言うべき人で、吹き込んだ曲も2,000曲を超えるが、王室から冠を授けられ、最優秀金賞が3度、全国芸術家賞も獲得。若い頃は女優としても活躍。元々舞台女優だったから、演技にも定評がある。マハプルエタラム高校を卒業していて、お嬢様だ。ルクトゥン歌手と違って、ルククルン歌手は育ちが良い人が多いね。’60年代生まれなのに文盲だったプムプワンとは対照的だ。貧しい人々や田舎の人々にウケが今一つ悪いのもしょうがないね。2018年没。
 この曲のオリジナルは’40年代のスンタラーポーン・バンドの録音だと思われるがユーチューブでは見つけられなかった。リズムパターンはチャチャチャだけれど、コード進行はティピカルなラテン音楽のものではなく、タイのオリジナルだ。文化が衝突して新しいものに止揚されていて、ルククルンのこういうところが好きだ。タイ音楽の一つの到達点だ。
 時は流れて’80年代終盤にユアマイがリバイバルヒットさせているんだが、これも当時のものが見つけられない。で、これは最近の懐メロで、かつてのユアマイのコンビを再結成して歌ったもの。年取ったのはしょうがない。とくに男性ボーカルが老け込んでて、このあとヨボヨボになっちゃうんだが、聴いての通り、チャチャチャのリズムだ。三十数年まえの歌唱は、もっとアップテンポだった(CD持ってるんだ)んだが、年取ったんで遅いのかもしれない。
◥≡☆ จูบเย้ยจันทร์ ☆≡◤
 このユアマイの男性ボーカルがウィラー・バムルンシー(วิระ บำรุงศรี)といって、当時は現役の警察官だったんだけれど、これは隠れてアルバイトしていた訳ではなく、警察官の身分で歌を歌わせて警察のイメージアップを図るわけだ。タイでは、こういうのが珍しくなく、ルクトゥン初期のビッグスターで、「ルクトゥンの王様」の異名を持つスラポン・ソムバッチャルーンなどは航空機の操縦ができるわけでもないのに空軍中尉だった。その経緯が笑っちゃうんだが、兵役逃れで歌っていたところを逮捕されて、もはやこれまで、と思ったら、空軍のお偉いさんからの王立タイ空軍バンドに入隊するなら全ての咎は不問に付すとの申し出があり、軍人になったとwikipediaにも書いてある。といっても、このwikipediaの項目もおれが書いたもので、ソースが自分の書いた物ってのもどうかと思うが、このブログと違って捏造や虚偽はない、と思う。スラポンのエピソードはタイ映画「มนต์รักทรานซิสเตอร์(MON-RAK TRANSISTOR - 邦題”わすれな歌”)」 のプロットのヒントにもなっていて、映画のほうが悲惨で無茶苦茶なストーリーを程よくコメディーにしていて、良い映画です。各国で賞を取り、日本でも公開されてDVDにもなっていて日本語の字幕も付いている。劇中の「ลืมไม่ลง(忘れないで)」はテーマ曲みたいになっていて、これはスラポンを一躍有名にしたタイ歌謡史上に燦然と輝く名曲だ。助演女優のシリヤゴーン・プッカウェート(สิริยากร พุกกะเวส)はチュラ大卒の才媛で、綺麗な英語を話すんだが、彼女の演じる田舎娘がいい。逃亡した旦那を待ちながら薬売りの間男に蹌踉し、子を産んだりして観客が一斉に「オオーイ」って溜息ついたりして、まさしくタイ映画だ。
ลืมไม่ลง ~ มนต์รักทรานซิสเตอร์
 で、話はウィラーさんに戻るんだが、ユアマイの活動とは別にラテンバンドのボーカルも勤めていた。それでラテンぽい曲もレパートリーになったのかもしれないが、ラテンに詳しかったかというと、疑わしいもので、チャチャチャじゃない楽曲でも間奏の合いの手で「チャチャチャー!」と叫んでしまったもので、そのへんからダンサブルな楽曲はチャチャチャと間違って呼ばれるようになったのではないか。いや、もしかしてウィラーさんのまえに「チャチャチャー!」と叫んだ人がいるのかもしれず、その掛け声がウィラーさんにも継承されたのかもしれないが、その先駆は発見できないので、暫定元祖ということにしている。うちの奥さんに訊いても「そんなの知るわけないでしょ」と言ってググってくれたんだが、そんなことについて書いてるタイ人はいないようで不明なので、自分で調べている。ご存じの方がおいでなら、お知らせください。
 いずれにせよ、今のタイ人が考えるチャチャチャってのが、下の曲のようなもので、サムチャーといえばカラバオだ。カラバオについては以前紹介してるね。
เมดเล่ย์ 3 ช่า คาราบาว (คอนเสิร์ต30 ปี คาราบาว)
 タイトルにもサムチャーと入ってはいるが、チャチャチャの片鱗もない。ないんだが、自ら「キング・オブ・サムチャー」と名乗ってる。もう、そういうものなんだ。MVはライヴのもので、ノンストップで16曲演奏されている。演奏が中断されず、リズムが一定で、演奏のキーもほぼ一定だ。何でそうなのかというと答えは簡単で、聴衆が踊り続けるためだ。典型的なタイのサムチャーだね。リズムパターンはチャチャチャの欠片もなく、カリプソに近い。
 ちかごろはどうなってるかというと、最近でも変わらずタイのチャチャチャは独自の路線を突っ走っているが、先祖返りでチャチャチャに近づいたものもある。
ชะชะช่า ท้ารัก Ost.ชะชะช่า ท้ารัก | แจมมี่ ปาณิชดา [Official MV]
 いやあ、タイっぽいね。歌ってるのはジェミー・パニッチャダーという人で、女優だ。歌も歌うとは知らなかった。ヘタではないね。このMVを見る限り、ばかそうな感じだろうが、実際には知性派の女優さんなのね。それなりの大学出てるし、普段の受け答えもそつなく、知性的だ。それにしても楽しそうで何よりで、こんな役は滅多に回ってこないだろうから実際に楽しかったんだと思う。
 歌詞が、とことん無意味で清々しい。

あ、チャチャチャー
あ、チャチャチャー 愛してる
そんな勇気はあるのかしら
緑色の信号が点灯したわ 発車よ
あなたがいて 私がいる 時間もある
事故なんか起こしちゃダメよ
あ、チャチャチャー
あ、チャチャチャー ほら挑戦よ
良い鶏は 余裕があるものよ
目には目を 歯には歯を
早く早く 普段から心がけていてね
鶏はまだ鳴いたばかり 誰と戦うというの
歌ってみて 歌ってみせてやるのよ
それがこのラブソング
1 2 3 4 5
あ、チャチャチャー チャチャチャー

 歌詞について考えるだけ無駄だということは、すぐにわかる。
 女優ていうか俳優に止まらず芸能人は誤解されることは避けて通れないんだろう。
「有名になるということは誤解されることだ」とボリス・ヴィアンも言っていたが、しょうがない。メンタルが相当に強くないとやってられないだろうし、それだけでも普通ではない。まともな人間のすることではない。
 たとえば加山雄三だ。若大将シリーズしか知らないと、ばかだと思うだろうが、独立愚連隊西へを観た人なら、「いや、あれはなかなかの人ですよ」と言うかもしれない。まあ、なかなかの人に見えるのは監督のお陰で、あれは加山雄三が凄いんじゃなくて岡本喜八と脚本が凄いんだけど、加山雄三という人は分かり難い人で、脳天気な発言が多いんだが、知性のある発言も多い。あと、アタマの良さとは無関係に歌が良い。歌詞は脳天気だが作る曲は良い。
 まあ、そんなことを思ったのは、神田沙也加さんの訃報について色々考えを巡らせていると涙を禁じ得なかったからで、詳細については書きたくない。ファンでも何でもないのだし、どちらかというと苦手なタイプの人で、また関わっている周囲の人々も知り合いになりたくない傾向の手合いだ。そんなスタンスで踏み込んで書いて良いわけがない。
 藤圭子さんが亡くなったとき、「この人を殺したのは、おれたちだ」と思ったが、神田沙也加さんを殺したのは、おれたちではない。まったくの無関係だ。それにしても無残なことではある。ツラかったんだろうな、と勝手に思っただけで、じつは的外れかもしれないってこともある。
 環境が全く違うのに身につまされるということはあるもので、たとえば苦境に立たされたあとのインラック(タイの元首相で、タクシン・シナワットの妹)は何一つ境遇が被らないのに、身につまされた。まあ自殺しちゃうようなタマじゃなく、国外逃亡したときはホッとした。好きか嫌いかと言うなら嫌い寄りの嫌いだけど、そういうことではない。

 神田沙也加さんも、逃げれば良かったのに、と思っても詮無いことだった。
 人間関係をリセットして、他の国に行くってことは、死んでいるのと同じことなんで、ツラくなって死にたくなったらどこかの国に逃げたら良いと思う。ただ、死人と違うのは通話やSNSで特定の人と連絡が取れることで、無理に喩えると地獄の釜の蓋が開くようなものか。便利な世の中になったものだ。
 そうは言っても、他国の言葉を憶えるくらいなら死んだ方がマシだというような多言語嫌いなら、そりゃ仕方ない。逃げずに立ち向かっていけば良かろう。たしかに新しく言葉を憶えるってのは、茹で卵の殻を剥くよりも面倒なことだからね。
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