もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ラジオスターを殺しちゃった

2022年03月20日 12時50分41秒 | タイ歌謡

 クルマの中ではラジオを聞くのが好きだが、どこの局もどうにもつまらないことがあり、たまには人の話を聞くのが苦痛ということもある。そういうときは何かしらの音楽CDをかけたりもする。落語のCDも面白いが以前、枝雀を聴いていて運転の注意力が削られているのが自分でもわかり危険だから、やめた。
 タイ歌謡のCDを持っていないでもないが、運転しながらタイ歌謡のCDを聴くということは、まずない。タイ語の歌詞を追って集中してしまうからで、注意力が吸い取られるのは危ない。英語の歌詞だと、それほど真剣に聴かないのにね。ただ、英語の歌でも思わず引き込まれて涙が止まらなくなることがあって、運転中は操作に集中しているせいかメンタルが無防備になっているようで、その隙を突いて言葉が刺さってくる。
 危なかったのは、トム・ウェイツの歌で、平常時なら泣かないような曲なのに運転中ってのは、ちょっと按配が違う。
Tom Waits Martha Lyric 日本語
 ちょうど日本語訳付きのがあったんでそれにした。こんなので泣くの? と思うだろうが、聴いているときにアタマの中で日本語に翻訳なんかせずに、英語のまま意味を捉えているわけで、それはタイ語の時もそうで、よその国の言葉を憶えるのが苦手という人は、アタマの中で日本語に変換して理解しようとしているみたいだ。英語なら英語。タイ語ならタイ語で、そのままイメージと直結しているから日本語に訳す必要なんてない。外国語が苦手という人がするように、よその言語を日本語に変換して操るのは大変なことだと思う。おれには無理だ。日本語モードから英語モードとかタイ語モードに切り替えている。あ。でも廣東語のときは漢字も脳裡に浮かんでいた。もうずいぶん忘れてしまったので、今は遠くに漢字の残像みたいなのが朧気に見えるだけだが。
 まあ、そんなもんだから、同時通訳なんてできる人はまた別のやり方で、おれみたいなシングルタスクではなく、複数のチャンネルを同時に開いているんじゃないかと推測する。すごいよね。たいしたもんだ。
 それでトム・ウェイツの歌だったが、日本語で読む歌詞はそりゃただの翻訳だから心に刺さってくることはないが、これが英語だと単語の持っている力が、その単語の組み合わせと相まって、しかも肉声で直撃してくるから、運転で油断している無防備な心に真っ直ぐに刺さってくる。
 だからね。歌モノはヤバいんだ。つうことで、いきおいインストゥルメンタルを聴くことになるんだが、これもガチのやつはヤバい。ラフマニノフあたりは地雷原みたいなもんで、絶対にクルマで聴いてはいけない。バッハもヤバい。「お茶の間クラシック名曲集」みたいなのなら良いかもしれないが、これも吟味しないと、本当に名曲が紛れてたりすることもあって危ない。
 なん年もまえだが、五嶋みどりのCD10枚組ボックスを買って、うち数枚はすでに持っていた物だったが10枚で2,600円くらいと安かったんで、そりゃ買うよね。
 パブロ・カザルスやジョン・コルトレーンには間に合わなかったが、おれたちには五嶋みどりちゃんがいる。もう、みどりちゃんって呼んではいけないんだろうな。かつては天才少女だったが、今では単なる天才なんかじゃない。奇蹟の類だ。同時代にリアルタイムで聴ける幸福。もうね、嬉しくてすぐ聴きたい。今聴きたい。ここで聴きたい。そんな感じだからクルマの中で聴いちゃおうかな、と思うのも無理はない。さすがに皆が言うほど馬鹿ではないので、CDは選ぶ必要があるってことぐらいはわかる。凄い演奏が目白押しだろうからね。そんな訳で1枚、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の演奏があって、メンデルスゾーンなら主張にねじ伏せられることもあるまいと、軽い気持ちでCDをセットしてみた。
 いい。良い出だしだ。さすが世界のMidoriだ。この曲は数多の演奏者が散々音符をなぞり、味付けが決まり切った曲だと思っていたのに、五嶋みどりさんだけのことはある。瑞々しい素材に今、塩を振っているかのような音をちりばめ、重ねてくる。すげえな、と気持ち良く聴きだしたのも束の間、1分ちょっと手前の所で、不意に決壊した。とつぜんだ。涙がいっぺんに流れた。それも尋常な量ではない。ひとっつも悲しくないのに。どだい、そんな涙ではない。これはヤバい。まずいぞ。路肩にクルマを寄せなくては。涙で前の景色が歪んでいる。
 メンデルスゾーンだから大丈夫なんて話はなかった。五嶋みどりさんだもんな。大丈夫な訳がない。路肩。急いでCDを止めた。ラジオラジオ。
 もうね。つまんなくてもいい。ラジオだ。ラジオなら感動の余りに涙滂沱として禁ぜずということもない。頼む。どうでもいい話をしてくれ。世の中にあってもなくてもいい曲を消費してくれ。
 見くびってはいけなかった。五嶋みどりさんだった。数年まえ札幌に来たとき、もちろん聴きに行ったが、そのときの演し物がバーンスタインだった。……バーンスタインかぁ……。そう思ったが、杞憂だった。みどりさんの演奏が凄くて、「しまった。バーンスタインって、こんなに良かったのか」と己の不明を恥じて、後日バーンスタインのCDを買って聴いてみたが、やっぱり好きではなかった。みどりさんの演奏ではなかったからだろうか。クラシックの聴き手にあるまじき話ではないか。それともあれか。五嶋みどりさんが弾く音階練習でも、おれは感動してしまうのか。横山ホットブラザーズの「おまえはアホかー」のメロディーでも感動しちゃうのだろうか。サラ・ベルナールか。サラ・ベルナール並の表現力がある人が、「小学生のイタズラ一覧」なんてのを読み上げても、ひとは感涙に噎ぶのだろうか。「スカートめくり。膝かっくん。ピンポンダッシュ。鼻くそ食べさせ。いきなりサル顔。とうもろこしの髭を頭に載せてガイジン! ガイジン! と騒ぐ。蛙にストローを刺して……」それ絶対に笑っちゃうよね。
 タイ歌謡はクルマでは聴かないと書いたが、そういえばラジオならタイ語でも聴くんだった。何だろうね。ぜんぜん一貫してない。タイにいるときだけでなく、日本にいてもタイのラジオを聴くことがある。
 そんなラジオ、どうやってクルマで受信するんだよ、と思うかもしれないが、インターネットラジオというものがある。スマフォでタイのラジオは聴けるから、それをブルートゥースで飛ばせばいいだけだ。クルマが旧式で、そんなものは受信できねぇぞ、という人はFMトランスミッターを買えば良い。昔のは音が悪かったりプツプツ飛んだりしたが、最近のはそんなことないし、安い。Amazonで2,000~3,000円くらいからあって、それでFMラジオで受信して聴く。安いのでも充分だと思う。音質が、って人はラジオなんか聴かないでしょ。ルクトゥンFMとか、しょうもない局の番組がいい。
 ときどき外出先で時間が空いて、ばかばかしい曲を聴きたい気分になったときは、ブルートゥースのイヤホンを装着してスマフォのルクトゥンFMのアイコンをタップする。若い頃では考えられないことだ。イヤホンの片側をうちの奥さんに渡すと、まーたダサいの聴いてんのね、という表情で、イヤホンを返してくる。落ちぶれたとはいえ名家の出だし都会の育ちだからルクトゥンなんかに興味がない。イサーン歌謡なんて「何言ってるかわかんない」と嫌がる。ルククルンはちょっとだけ聴いて「やっぱり古くさい」と興味をなくす。タイポップが良いんだそうだ。若く見えても、もう50ちょいだぞ。五嶋みどりさんと同年代だぞ。そんなんでいいのか。
 タイポップのヒット曲専門のラジオ局だ。悪くない。おれもときどき聴いている。薄っぺらい曲ばっかりでもなく、感心しちゃうアレンジもあったりして、タイの流行がわかるけれど、ときどき西洋世界のポップ音楽(古くさく言ってみた)もかかる。まあしょうがない。不満なのはイマドキの若者がDJを務めていることがあって、話はイマ風で面白いんだが、声と発音が綺麗じゃなかったりする。これがイヤだ。ルクトゥンの局は選曲がダサいけど、アナウンサーの声と発音が綺麗で、上品な言葉遣いなのが好きだ。田舎のラジオ局もその傾向が強くて、チェンマイのラジオなんてもったりしてるけど、声が綺麗で時折ランナー訛りが入ったりして、ぐっとくる。
 ローカル歌手の歌もよくかかるので、ラジオチェンマイはお勧めだ。
 タイのラジオはノスタルジックな風味が、ちょっと面映ゆいんだが、タイ人もそう感じるのかどうかは知らない。うちの奥さんはラジオなんて古くさいメディアだからと滅多に聴かない。運転をしないからかもしれない。だって若者向けのラジオ番組が存在してるからね。あれは運転しながら聴いてるんだと思うんだ。
 それで思い出したのはバグルスの「ラジオスターの悲劇」で、1979年の曲なんだね。原題は「Video Killed the Radio Star」で、歌詞の内容はこのタイトル通りだから翻訳不要だね。
The Buggles - Video Killed The Radio Star (Official Music Video)
 言ってることはノスタルジーだ。ラジオはヴィデオに殺されちゃったね、ってことなんだが、そのヴィデオも今となっては、とっくにLD、DVD、ブルーレイにトドメを刺されてしまった。因果は巡る糸車ってやつだね。いや、でもラジオもヴィデオも悪業ではないから因果ってのもちょっと違うか。それにしても、もう40年以上もまえの曲とは。ちょっと驚きだな。そういう物理的な記録媒体も、インターネットのストリーミング配信に取って代わられようとしている。円盤を買わなくても有料ダウンロードでSSDに落とし込むとかね。その方が安い。本だって電子書籍のほうが場所取らないし、安い。
 さて、今日の歌だが、この流れだとノスタルジックな歌を持ってくるのが妥当かと思って探したんだが、昔の曲は旋律は美しいが歌詞がつまらないというのが多い。いろいろと探しているうちに脱線してしまうのはいつものことで、脱線ついでにちょっと面白いのを見つけたんで、そっちにすることにした。だから、ここまで書いたことと何の脈略もないんだけど、そんなことは気にしたことがないので、しれっと紹介しちゃう。
บ่ต้องการเศษใจ ( เหลือแต่หอยกับรอยยิ้ม) : แบม ไพลิน [MUSIC VIDEO]
 ベム・パイリン(แบม ไพลิน)って娘が歌う「心の一部だけなんて欲しくない(貝と笑顔) - บ่ต้องการเศษใจ ( เหลือแต่หอยกับรอยยิ้ม)」という曲だ。これは驚いた。モーラムなんだけど、モーラム特有の泥臭くささがない。丸っきり泥臭くない訳じゃないが、明らかにニュータイプ。これまでにもモーラムでラップが入るのは珍しくなく、それはヒップホップよりも古くからモーラムにラップ唱法があったわけで、それは全く驚くことではないんだが、従来の縦ノリのダウンビートのノリからリズムを細分化させたパルス単位でシンコペートをぶっ込んで、うねるようなグルーヴ感を易々と引き出してる。これね、モーラムなのにカッコいい。ポイントはドラムが凄いことで、これまではダウンビートの2拍子ばかりで、モーラムだから2拍子はあたりまえだと思っていたんだが、ついに4ビートのダウンビートで殴り込んできた。おまけにオカズのフィルインが、モーラムのそれじゃない。なんつうかコンテンポラリーモーラムだ。花形楽器のピンはいるけど、出しゃばらないし、ベースもこれまでだとルートと5度の音ぐらいしか出さないのが普通だったのが、ベースラインと呼んでもいいものに変化してきている。タイ人ギタリストに多いラテンぽいフレージングがモーラムにここまで関わってくるのも珍しいし、バネみたいな音じゃなくてエフェクトをかけてるのも新しい。まあロックを普通に聴いて演奏してりゃ出てくる音ではあるが、そういうのがいそうでいなかった。しかしドラマーはリズムが良いのに、ヘッドの表面しか鳴ってないような音で、これはわざとなんだろうか。手首の力が弱いとか? それともリズム感の良い初心者だろうか。いずれにしてもブレイクの決め方がビシッとしてるし、モーラムのバンドに多い「おれがれが」ってグイグイ出てくる感じじゃなくて統制が取れてる。モーラムなのに。あと、娘の歌が滅法巧い。リズムが良いのはタイ人だから納得なんだが、モーラム歌手でここまで音程が正確なのって凄いことだ。あと、下品な節回しと唸ったりするような発声を殺してる。ヴィブラートもぎりぎりモーラムの範囲で留めているから、そんなことも下品にならない要因なんだろう。驚いたなあ。
 MVの撮り方はさすがタイ人で、音と楽器の手が合ってない。別録りだね。その辺はテキトーなんだが、まあ問題ではない。トレモロアームに手がかかってないのにみょよーんてトレモロがかかったりしてて微笑ましい。
 ところで、このベム・パイリンって歌手なんだが、メジャーデビューしてないんで、ウィキペディアの記事はない。インディーズ・モーラム歌手として人気はある。なにせこのMVだけで再生回数が2億5千万回を超えているし、他にも1億超えの曲や、あと少しで億に届くって曲もある。Youtubeの収入だけでも大したもんだと思う。この3月に出た紹介記事によると21歳だそうで、子供の頃、ルクトゥンを歌うのが好きだったけれど、祖母はモーラムしか歌わせなかったという。理由はモーラム好きの婆様たったから。1曲歌うと5~10バーツの小遣いが祖母から貰えたそうで、その金でおやつを買うのが楽しみだったという田舎娘だ。生まれも育ちもコンケン。学校で歌うと皆が喜んで、テレビに出ろと回りが勧めるので、それならと大好きな歌手เบิ้ล ปทุมราช(ブン・パトムラット)に共演を申し込んでみたら歌が滅法巧いんで、とんとん拍子に実現。その歌唱力に驚いたパトムラットは「おれが楽曲を提供するから、是非歌手になれ」と提案。尊敬する歌手にそう言われて「はい♡」と快諾したっていうんだけどね。
 曲を作ってるパトムラット自身の歌を聴くと、ちょっと新しめではあるものの、パイリンほど斬新なモーラムではない。
 パイリンの歌が、このMVみたいに全部モダーンなわけじゃない。オーソドックスなアレンジの曲もある。とはいえ、この方向で伸ばしていただきたい。是非是非お願いしたい。パイリンの歌の中では、これが飛び抜けてヒットしているし。ドサ回りも経験してないみたいだから、ヘンな垢にまみれることなく育っていただきたい。逸材だ。
 あ。そうだ。歌詞の抄訳だ。

正直 心が欲しい 全部欲しいの 一部だったら要らない
一部だったら手に取って それをもぎ取って 捨てちゃう
いい人かどうかはわかんないけど ここに居ることにしたの
愛想笑いすら したことのない女

正直 私には何もない 私はただあなたと一緒にいたいだけ 
わかってる 私はあなたが欲しいの 私はあなたが欲しい 
あなたの心の世話をしたいの あなたの母になる 
それを待っているのよ 絶対に手に入れるんだから 笑顔でね

(ラップ)どんなに好きでも ソウルメイトじゃないなら意味がない 
与えてもらうのを待ってるだけなんてダメ 心の一部じゃなく ただ愛が欲しい 
ただ生き続けて死ぬんだったら 新しいものを見つけなくちゃ
Oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh

私には何もない デートしたい!! 私は確かにわかってるのよ 
私はあなたが欲しいの 私はあなたが欲しい 
あなたの心の世話をしたいのよ

 これ、ホントにモーラムの歌詞か? モーラムってのはベクトルがなくて、無指向で無闇に爆発するだけの旧正月の爆竹みたいなメンタルじゃないと馬鹿踊りできないじゃんね。まあ、モーラムに踊り狂ってる連中は雄のカブトムシみたいに何も考えてないから歌詞なんてどうでもいいのかもしれないが。
 ところで「บ่แม่นว่าบ่มีไผเอา」の歌詞なんだが、タイ標準語だと「竹を持ってない」みたいな意味になるのが、イサーン語だとこの「ไผ – パイ」が竹という意味ではなく「誰」とか「何」の意味だったり、もうイサーン語てんこ盛りなので、今回の翻訳も手こずった。うちの奥さんに訊いても「イサーン語なんて知らない」と言われるだけで協力してくれない。
 その割には訳し終えたら、そんなに面白くもない歌詞で、ちょっとがっかりだ。
 ただ「ให้ได้เป็นแม่ของบักหำน้อย」という歌詞を「あなたの母になる」と訳してはいるが、ちょっと唐突だよね。直訳だと「小さな男の子(虫の意味もあり)の母になりたい」ということで、บักหำ(男の子)にน้อย(少し・小さな)が付くと、これはチンコって意味もあって、だから「チンコの母になりたい」って意味にもなるようで、そのつもりで歌っているかどうかは知らないが、その辺はモーラムだね。
 だって本来のモーラムだったら暗喩とか、そういうまどろっこしいことをしてもイサーンの人はばかで下品でわからんちんだから、もろに「チンコ」とか言っちゃってるわけで、だからイサーンの年寄りは嘆くんだね。スカしてんじゃねぇぞ、ってことだ。「チンコはチンコだ。小さな坊やとか言ってんじゃねぇ」ってことだ。
 そういえばタイ人がよく言う言い回しに「สัญญาเป็นสัญญา(サンヤーペンサンヤー)」ってのがあって、意味は「約束は約束」ってことだ。ルクトゥンの歌詞でもたまに聞かれる。どういうときに使うのかというと、約束だから守らなくちゃねって時に言う。実行まえだね。お、タイ人頼もしいじゃん。って思うよね。あと、実行できなかったときにも使う。「約束なんて約束にしか過ぎない。守れなくてもしょうがない」って感じか。それから、ちゃんと約束を守った時にも使う。「約束だもんね、守るよ♡」ってことだ。おれはこの言葉がけっこう好きで、命に係わらない限りは、「約束は約束」で良いと思う。命に係わるんでも、うちの奥さんのセリフに限っては許しちゃうと思う。だって約束は約束だもんね。
 では最後に聴いてください。国民歌手バード・トンチャイさんで「สัญญาต้องเป็นสัญญา(サンヤートンペンサンヤー – 約束は約束でなくてはならない)」だ。
สัญญาต้องเป็นสัญญา - เบิร์ด ธงไชย【OFFICIAL MV】
 まあ、約束は約束なんだから守らなきゃ、って言うんなら、こんな歌を作る必要もないわけで、でも約束は約束だしなあ、というタイ人の考え方はいいよね。あとMVの中で指切りげんまんをしてて、へえ、タイ人も指切りするんだ、と思うだろう。おれも二十数年まえに思った記憶があるが、これは日本のアニメ由来という結論が、おれの友人界隈では出ている。確たるソースはないが、どうもそうみたいだ、って結論になった。たぶん、それで合ってる。
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