もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ひこうき雲

2022年03月29日 19時38分11秒 | タイ歌謡

 荒井由実の歌を初めて聴いたのがいつだったか、ぼんやり思い出したんだが、オリジナルのユーミンよりも先に、シロウトの高校生が歌うのを聴いた方が早く、それが高校2年生のときだった。これはよく憶えている。
 同級生で違うクラスのOという女の子が、とつぜん昼休みの時間に訪ねてきた。
「学校祭で、ベースを弾いてほしいの」まっすぐな視線だった。「他のメンバーは、もう決まってるから」きっぱり言い切った。
 ええと……。どういうこと?
「ギターは◎◎くん。キーボードは▲▲くんで、ドラムは■■くん」
 ■■くん? 知らないな。
「1年生なの。すっごく巧いの。それでね、歌はわたし」
 あ。歌。
「そう。歌。わたしね、歌いたいの、ユーミン!」
 ユーミン……。
「そう! ユーミン」
 ええと……。知らないんだけど。
「え。知らないの? ユーミン」
 ……うん。
「聴いたこと、ないの?」
 ない。どんな曲? ユーミンって。英語?
「えー。ユーミンって人の名前だよ」
 なんかもう、Oはずんずん迫ってくる女の子で、じつにこれが初対面だった。それにしてもギターと鍵盤のメンバーの名は知っていて、巧いという評判は聞いていたので、興味はあった。しかし、それよりもOの押し出しが強い。ぜったいに任務は完遂するという意気込み溢れる強制執行官みたいだったのだ。
「……そっかー」がっくり、とOは肩を落とした。「聴いたことないんじゃ、弾けないよね」
 いや。楽譜があれば弾けるけど。
「楽譜!」一転して明るい表情になった。「あるよ! ある! 楽譜! ある!」
 なら、大丈夫だな。
「いいの? 弾いてもらえる?」
 あ。うん。いいよ。
「大したお礼はできないけど」
 要らないよ。
「そうはいかないよ。ねえ」小声になった。「タバコでいい? みんなタバコがいいって言うから」
 え? ああ。……いいけど。
「わかった!」
 そうしてOは嬉しそうに寄せ集めバンドの初顔合わせの日時を決めて連絡するから都合を教えてくれと言った。場所は音楽室が借りられれば、と言うので、それは難しいと思うよと答えた。たぶんブラスバンド部で塞がってるだろう。もし空きがあっても合唱部が黙ってない。だから、楽器屋のスタジオを借りれば良いんじゃないかな。あそこ、空いていればタダだよ。アンプも鍵盤楽器もドラムスのセットもあるし、と教えたら、Oは「んー!」と嬉しそうに身を捩った。毎週日曜に社会人のジャズおじさん達とジャムセッションで遊んでいたから、スタジオ事情は知っていた。
「じゃ、みんなで今日の放課後に行って練習しよう!」
 いやいや。今日おれ、楽器持って来てないし、ギターだってないだろ。とりあえずみんなで集まるのはいいけど。
「わかった! 集める!」
 高校生に急ぎの用事なんてないのが普通だから、その日の夕方にはスタジオの予約をしに全員で楽器屋に行った。あと20年もしたら誰もが携帯電話を持つなんて夢にも思ってなくて、家の固定電話で連絡を取り合っても数日かかってしまう。たしか全部で2回か3回の練習時間を設けたような気がする。
「えー」不安そうにOは目を伏せた。「そんな回数で、だいじょうぶなの?」
 問題ないしょ。バックバンドの連中は口々に北海道弁で、そう言った。みんな他のバンドと掛け持ちだった。おれはブラスバンドとジャズバンドでウッドベース弾いたり、演劇部のデタラメなコントみたいな脚本も書いていて、仮装行列ではクマの着ぐるみも着なくちゃなんなくて、竹籤と新聞紙で張りぼてのクマの頭も作らなくてはいけないし、学校祭の準備がいたずらに忙しかった。ひとつのバンド、しかもポップ歌謡(だと思っていた)なんかに時間はかけていられない。じつは1回で充分かと思っていたんだが、2~3回でも不安そうだったから、それは言わなかった。
「なん度も練習しちゃうと飽きちゃうし、感動が薄れちゃうんだよ」苦し紛れにテキトーなことを言った。
「そっかー」Oは納得したようだ。「じゃあ、わたしは家で練習してるね」
「そうだね。歌は歌詞を憶えなくちゃなんないんだもんな。大変だわ」
 そんな遣り取りを楽しそうに聞いていた楽器屋の店長は、「じゃ特別に今日、合わせてくかい?」と提案してくれた。ベースとギターは試演用の楽器で良ければ使っていいよ、と言う。
 そりゃもう、あれだ。やらないわけがない。「わたし、今日楽譜持ってない」とOは言ったが、そんなの楽器屋だから、店にあるだろうとギターが言い、ちょっとこれ見せてください、と一冊借りてきて、おれに渡してくれた。まったく金を払う気がない。当時の楽譜は高校生には高価だった。
 ん? 一冊しかないよ。
「大丈夫」キーボードが笑った。「おれたちは先週から頼まれてて、もう練習してて頭に入ってっから」
 なるほど。
「じゃあ、ひこうき雲、やろう」Oが言う。
 ちょっと待ってね。おれは目次からスコアを探し、一通りコード進行を確認してベースラインのパターンを記憶に焼き付けた。ふんふん。わかった。だいたいわかった。鞄からノートを出して、コードネームだけ書き写した。コピー機なんて未だなくて青写真の機械だって珍しかった頃だ。オーケー。いいよ。
 ドラムのカウントなしで、キーボードのイントロが始まった。Oの歌。
 おっ。ノン・ヴィブラートだよ。すげえな。カッコいいぞ。
松任谷由実 - ひこうき雲 (Yumi Arai The Concert with old Friends)
 いい曲だな、と思った。中学生の後半からクラシックはあまり聴かなくなり、ジャズばかりにグレてしまっていたので邦楽には疎かったのだ。日本の歌って、演歌とアイドルと、あとはビンボ臭いフォークでしょ、という間違ったとらえ方をしていた。
 その日は数曲演奏したように思う。楽しかった。オリジナルを聴いたことがなくて、しかもジャズまみれだった頃だから楽譜の音符通りに弾かないのは当たり前だと思い込んでいる。さらにスタンリー・クラークのスラップ・ベースを聴いた衝撃を受けて間もなく(日本でこれがチョッパーと呼ばれるのはもう少し後で、まだ名がなかった)のことで、アップテンポの曲だったら隙あらばビシバシとスラップ音を入れてしまうんだが、誰にも叱られることなく、あまつさえ「うおお! カッコいいでや!」と北海道弁で感動してくれて、Oもニコニコしてたから、それでいいと思った。ただ実を言うと、当時のおれにスラップ奏法の知識などあるわけがなく、耳コピーで強引に再現するものだから、親指を叩きつけるという技法を知らなかった。全ての指で弦を上に引っかけ、指板に叩きつけていた。それでも同じように聞こえるのだ。リズムは重くなるが。
Funky Slap Bass Solo 🎸
 昂揚した。初対面といっていいメンバーだったが、その日のうちに旧知の友人みたいになっていた。数ヶ月後、サックスを呼んでウエザーリポートのコピーバンドみたいなことをやろうと思ったら、「ダメ。難しすぎる」とギターと鍵盤が脱落した。まあしょうがない。でもロックのあらましは、この連中に教わった。お返しと言っては何だが、ブルーズの即興のポイントを教えたら、これがロックの即興に役立ったのは良かったんだが、全員ブルーズが楽しくなってしまってヘンなブルーズバンドができあがった。4ビートのウォーキングベースにロックっぽいギターが乗っかって、それを固めるキーボードがジャズっぽい和音解釈なんだけどクラシック崩れのポップなテイストなのだ。そしてドラムスは頑なにロックというデタラメな楽団になった。鍵盤の男に教えたのは代理コードで、たとえばCの12小節定型ブルーズだとC7,F7,G7の最低3つの和音が必要になるんだが、その根音はベースが弾くから根音を抜いてしまうと、それぞれAm7,Dm7,Em7になる。
「え。なしてC7がAm7になるのさ」
 うーん。いやならEm7でも良いけど。
「だから、なして!」
 いいから、考えないで弾いてみな。
「……あ! カッコいい!」
 な。
「おお! 楽しいでや、これ」
 これでジャズのピアノ弾きならリズムがシンコペートするんだが、そういうのは一朝一夕には身につかないから和音解釈だけがジャズというヘンな鍵盤奏者ができあがる。どうせプロになるわけでもないんだが、ちょっと悪いことをしたかもしれない。
 後日談はともかく、おれたちはユーミンで昂揚した。
「あんたたち、すっごい!」Oの顔は紅潮していた。「すぐに選曲と曲順決めて楽譜、用意するね」
 本番は好評だった。Oは美人というタイプではなかったが、見ようによってはコケティッシュで、とにかく見た目と性格が派手だったから、学校祭の後には、あっという間に彼氏を作って歌姫活動は停止してしまった。「したってぇ、☆☆くんのほうがキモチいいんだも♡」
 なるほどなあ。正直は世界の宝だ。
 Oに置いてけぼりにされたバックバンドは後釜のヴォーカルを探した。「ジャニス・ジョプリンみてえなやつ、いねえかな」いるわけない。
 けっきょく歌手不在の薄味のブルーズバンドができあがった。卒業まで、ときどき集まっては曲名のないブルーズを演奏したりピンクレディーの振り付けを練習したりしていた。高校生って、ばかだ。
 ようやくユーミンを聴いたのは学校祭のステージの1週間くらいまえだったかな。
「え。まだ聴いてないってかい」Oは、ころころと笑った。「したら、レコード貸すわ」
 おう。ありがとう。
 思ったのとぜんぜん違った。Oのほうが歌巧くねぇか? 
 しかしカッコいいアレンジだな、と感心した。バックバンドがティン・パン・アレー(当時はキャラメル・ママ名義)だなんて知らなかった。今見直すと、すげぇメンバーだ。
 良い映画なのに主演の俳優の演技が下手くそってことがある。でも、そんなの問題じゃない。映画は監督のものなんだな、という映画って、あるでしょ。役者は駒だからヘンに主張されても邪魔なことがある。台詞回しは多少ダメでも監督の言うとおりに目を伏せたり、ひと呼吸置いて振り向いたり、そういうのがピッタリはまってる役者なら、それでいいじゃん、て思う。
 ただ、ユーミンの場合、メロディーメーカーの力量は凄いから、そういう人形みたいな役者とはぜんぜん違うんだけどね。歌が巧くなくても問題ない、ってことは、この人に限っては、ある。歌詞はそんなに好きじゃないけど、言われるほど傲慢な感じはない。ビンボー臭いのはイヤだけど、ビンボーなのは、しょうがないことよね、とは言ってないが、そんなことを思ってそうな感じはする。ただの印象だけど。
 練習もテキトーだったし、真剣に演奏したわけでもないのに、このバンドは楽しくて良い思い出になった。拍手もたくさん貰った。
 ジャズバンドなんかも組んだんだけどね。そこそこ楽しかったけれども、ウケはユーミンのコピーバンドほどには良くない。あたりまえだ。おまけにステージが、教壇を集めて作った特設ステージだったので、ウッドベースを弾きながら、エンドピンがズルズルと滑って前進して教壇と教壇の境目にエンドピンが滑落して、どーん、と楽器が沈み込んでチューニングが狂ったりして、非常に焦った記憶だけがやけに鮮烈なステージだった。その翌月に会った、当時はまだ有名ではなかったベーシストの中山英二さんに、その話をしたら、「うっわぁ~……」と心から同情してくれて、なんて良い人なんだろうと感激したのを憶えている。
 あと、誘われるままにレッド・ツェッペリンだったかディープ・パープルだったか、その両方だったか、何かハードロックのバンドでもベースを弾いて、これが一番印象にないのに、最も大盛り上がりだったのだけは憶えている。ロックはわかりやすいもんね。
 おまけに1年先輩のフォルクローレトリオの一員でギターも弾いた。フォルクローレは観客が少なかったけれど、ぞくぞくするくらい下品すれすれの演奏で楽しかったな。
 演劇部の脚本は、視聴覚室の掃除用具入れから神様が出てきて、玩具のラッパを吹くと堕天使が現れて願いを叶えてくれるっていうシチュエーション喜劇なんだけど、願いを叶える途中で面倒くさくなって「これでいいか」って強引にキャラメル渡したりするデタラメな話で、神様は老人で杖ついてるのに走り回るし、ぜんぜん老人風の演技なんかしない若者そのもので、途中フリーズする神様に「セリフ忘れちゃったんですか?」と脚本を渡して「えーと。ここで神様、空を飛ぶぅ? ふざけんな! この馬鹿!」とト書きに神様が激怒して脚本を床に叩きつけ、杖を振り回したりする内輪ネタをぶっ込んだりして、やりたい放題だったが、堕天使の尻から尻尾が揺れるという網タイツのちょっとエロい衣装で、小さな羽が背中に生えてはいたが、今思うとそりゃ悪魔じゃないか。ころころと寝転がって俯せから頬杖ついて顔を上げ、膝を曲げて左右の脛を交差させたりする悩殺演出に観客大喜びで、堕天使役の女の子もノリノリで観客の下顎を撫でてみたり握手して回ったりするし、BGMには堕天使の時だけ「ハーレムノクターン」だったが、他はアイドルの歌謡曲ばかりで、もう何の主張も教訓もない与太物語だった。翌日には「いやぁ。笑ったけど、どんな話だったっけ?」と言われるような物だったが、そういうので満足だったわけで、顧問の先生には「ホント内容がなくてくだらない」と酷評されたが、それで合ってた。衣装を着けた練習を観られていたら一発で上演中止に追い込まれていたと思う。ただただ楽しく面白かった。内容がないのは、あの頃からだったのだな。昨日今日からのくだらなさではないのだ。熟成とか、燻し銀ってやつだね。
Sam Taylor - Harlem Nocturne
【追記Sep2024】以前ここに貼ってたタイの高校生デスメタルバンドのステージの模様なんだけど、玉石混淆いっぱいあったのが、どれも全部削除されている。面白かったのに、たぶん王国の偉い人の号令だと思われる。しょうがないので動画がないままで、文章は残すことにした。おれの拙い文章で想像してもらうよりない。

 タイの高校生バンドなんだけどね。聴けばわかるようにデスメタルだ。ヴォーカルも「ヴォエー!」って感じで、何言ってんのか、ぜんぜんわかんない。こういうのも万国共通なんだね。でもMCの言葉遣いがすごく丁寧なのがおかしい。語尾が「カップ」も「クラップ」も飛び越えて、それよりもへりくだった「カッポン」になってて笑った。
 見た目も全員育ちが良さそうで、でもデスメタルだからギターの女の子なんか、お嬢さんぽいのに、ちゃんとヘッドバンギングしててエラい。正直、演奏は下手くそだけど、見ててワクワクする。これぜったい本人たちは楽しいに決まってる。最初の数小節でギター掻き鳴らして、ブレイクした途端にルバートでケーン(笙のルーツ)が入ったりしてて、モーラムの良いとこ取りだ。で、デスメタルに戻って、歌とDJがいるのも良い。ちゃんと振り付けがあってダンスするのも可愛い。かと思ったらバラッドふうの鍵盤が入ってタイポップみたいになったりして、やりたいこと全部詰め込んでみましたって感じで、メチャクチャだけど楽しい。


 こっちは普通に巧いバンドだけど、やっぱり育ちが良さそうで地味。なのに音楽は派手。MCの言葉遣いが丁寧なのも同じで、タイ人だからね。楽器を買って与えて貰えるような家の子だから、そこそこ上品なのはしょうがない。下品な言葉を遣うと、お母さんに叱られちゃう。
 下品な言葉を遣う者は、その親も下品な言葉遣いで、タイの階級ってのは、そういうものだ。言葉遣いだけ直せば階級ロンダリングできるかといえば、当然そんなわけがなく、下層の者は箸が上手く使えないとか、食卓を使わず床に食器を置いたまま食うとか、身なりも違うし、そもそも座り方から歩き方まで違う。ていうか顔を見ただけでもう、ぜんぜん違う。
 自分の努力で矯正できそうなものなんだが、そういう例は滅多に聞かない。
 
 それにしても何だか昔話のようで、おれが高校2年生というのは17歳か。げげげ。計算したら45年まえのことで、立派に昔話だった。ということは、ユーミンてのは芸能生活45年は軽く超えてる訳か。それほど興味がなかったが、ずっと第一線でいたのは凄いね、どうも。
 初めて聴いたとき、「ひょっとして天才?」と思ったが、その少しあとに正真正銘の天才である矢野顕子さんがデビューしたので、もっぱら興味は移ってしまったが、ユーミンが昭和歌謡史に燦然と輝く作曲家であることは間違いない。
 おれが通っていた高校は、いちおう進学校というものだったが、毎年の東大の合格者が10名を超えることは希というショボいランクで、入学時の平均偏差値よりも卒業時の平均偏差値がぐっと下がるという、たいへんに楽しい高校だった。今はどうか知らない。
 学校祭が終わって休み時間に友人と与太話でもしていたのだろう。それが日常だったから。ある日、Oが教室の扉の所で手招きしていた。
 よっ。元気?
「うん! こないだは、どうもね」そう言って紙袋をおれに手渡した。「じゃあ、ね」
 袋の中を見るとタバコだった。1カートン。
 え。
 意外だった。タバコのことなど忘れていたし、まえに聞いたときも1箱だと思い込んでいた。昔は自動販売機で自由に買えたからカートンで買ったことなどなく、虚を突かれた。10箱か。オトナみたいだ。カートン買いは店頭でなくてはいけないので、そんな買い方をしたことはなかった。そうか、Oは店頭で4カートン買っていたのか。まあコドモがお使いで煙草を買ってた時代だもんな。ていうか、オトナじゃなきゃタバコ吸っちゃダメなんだった。
 それにしてもハイライトって。そんな高校生は知り合いにいなかった。多数派はセブンスターで、その頃の北海道・空知地方では「セッタ」ではなく「ブンタ」と呼ばれていたように思う。おれはショートホープで、それをショッポと呼ぶと知ったのは成人してからだった。
 20歳頃だったな。大好きだったヒターナがフラメンコの踊り子で、結婚してください、とお願いしたら泣きながら財布から写真を取り出し、「これがマリード(夫)で、こっちがニーニョ(息子)」とスペインに置いてきた家族を紹介してくれて、あまりにショッキングだと視界が狭くなるというのを、このとき初めて経験した。まだ坊やだったから、ほんの半月も二人で暮らしたら求婚するもんだと思い込んでいた。ていうか旦那も子供もいるんなら男の家に居着くなよなあ。こんなカウンターパンチを食らうのは初めてで、その場でノックアウトされた。
 立ち上がってファイティングポーズを取ろうにも、誰もいなかったので、とりあえずタバコは、それ以来ショートピースに変えた。
 平和(ピース)や 希望(ホープ)を 吸ひこんで
 煙にして 灰にしてしまふ
 吉原幸子の詩を読んで、そうしたのかな。
 今となっては、そんな気さえする。
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