もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ばいん行為

2022年07月07日 16時14分31秒 | タイ歌謡
 里帰りしていたヨメを迎えに、成田空港へ行ったときのこと。デズに行きたいと言うので、浦安にホテルを取った。デズというのは、もちろんディズニーランドのことで、あんなウソでウソで、その上に更にウソを塗り固めたような所は、ウソの多重構造である上に長年の継続で、ウソに磨きがかかって世界屈指の騙しテクニックに裏打ちされているのであって嫌いになる要素がない。そんなはずなのに、おれは今一つ好きになれないんだが、うちの奥さんは大好きなのだった。でも、あの人が好きと言うのなら、それは良い所に違いない。
 行ってみると、うちの奥さんはとても喜んでいて、ということはデズは、とても良いところというのが結論だ。物陰から野生のミッキーマウスが飛びかかってきて「ハハッ」と言いながら脇腹の柔らかい所に噛みついて流血することもなく、非常に礼儀正しいのだ。
 いきなりであるが、デズや株式会社オリエンタルランドのことはどうでもいい。その件は上記で言い尽くした。話は空港に迎えに行ったことだ。クルマで行った。買い換えたばかりのクルマで、ヨメは「あなたは赤いクルマが似合うから」と言うのだが、どうということのない銀色のクルマだった。赤いのは汚れが目立つし、夏に暑いんだもん。あれ、今思うと、じぶんが赤いクルマが好きで、そう言ったのだろうか。だったら赤いクルマにしておけば良かったな。汚れたら洗えばいいし、エアコンだってあるんだから。
 空港の敷地内に入るところに、検問があった頃の話だ。空港のセキュリティーが厳重なのは当たり前だが、成田はおまけに三里塚闘争をはじめ問題が多い場所であり、あれは機動隊と空港警備隊だったのかな。当時は物々しい感じで、空港に入ってくる車両をチェックしていた。
 クルマを停める位置が線でバミってあり、そこに停車して窓ガラスを降ろすと、すでに棒の先に探知機と鏡がついた器具で足回りを調べている。
「はい。今日はご出発ですか?」そう言いながら、車内を素早く観察している。助手席に魚肉ソーセージをビニルテープで留めたうえに時刻がわかるようにタイマーを装着した物を転がしておいたりしたら、えらいことになるんだろうな。「ちょっと! それは!」とか厳しく追及されそうだ。手早く一本を剥いて「ソーセージだよーん」って言っても、ぜったいに笑ってもらえなさそう。
←時刻がわかる魚肉ソーセージの束
 いえ。出迎えです。
「そうですか」そう言う頃には、あらかたチェックが済んでいて、あーこいつはタダのイッパンジンだな、って雰囲気だ。「じゃあ、後ろの荷物の所、検査しますね」
 あっ、はい。
 おれは聞き分けがいいのである。ここで「なんでだよ」とか言うとメンド臭くて時間がかかるのは酔った小学生でもわかる。後ろの荷物室のドアを開けばいいのだな。えーと。座席横の下をまさぐって、レバーを引いた。かち、と小さな音とともに、給油口が開いた。
 あ。
 すいません。間違えました。そうか、こっちか。
 ごつ、と鈍い音がしたが、何も起こらない。あ。これ、ボンネット開けるときのレバーじゃん。焦って探してるうちに左手がレバーに触れ、がっこん、がっこんと、高速でワイパーが動き出した。まいったな、こりゃ。
 いやほんとすいません。
 あー。これだ。座席横に、しっかりしたレバーがある。ぐい、と引いた。
 ばいーん。
 背もたれが倒れて、いきなり仰向けになって、鋭い目の警備隊員さんと目が合った。空が青い。次の瞬間、警備隊員は目を逸らし、笑いを堪えてるのは明かだった。
 すいません。クルマ買い換えたばっかりで、まだわかんなくて。
「大丈夫ですよ」目を合わせないで警備隊員が言う。目で合図すると、後方にいた別の隊員がハッチバックを開いた。
 そうだ。昔のセダンのトランクルームと違って、荷物室のドアが開くレバーなんぞ、ないのだ。ドアロックを解除するだけだった。時速100Kmを超過するとキンコンキンコンいうような昔のクルマではないのである。シートベルトだって装備してあるのだ。
 車外に出て、給油口を閉め、ボンネットの開け口レバーを右に引きながら少し持ち上げ、手を離す。ばん、とボンネットが閉まった。
 いやほんとすいませんでした。
 いえいえ。隊員さんたちは微笑んでいた。
 成田の思い出というと、あの背もたれの、瞬時の無重力からの反発が真っ先に思い浮かぶ。
 ばいーん。
 ←「ばいーん」の例①

←「ばいーん」の例②
 カッパの良いのを持っている。雨合羽のことだ。
 傘が好きではなくて、あんなものを差すくらいなら濡れて歩く。「どうせ濡れるだけじゃん」てことだ。タイだからいいが、これが北海道だったら濡れて歩くうち冬になって凍死することもあるので命懸けだ。なにしろ、さっきまで夏だと思っていたのに気が付くと冬だったりするから油断ならない。ちょっと寝過ごすと冬ってことは、よくある。
 なるほど。タイならいくら濡れても良く、タイ人も傘を差さないのかというと、ぜんぜんそうじゃない。雨は涼しいから好きだけど、濡れるのは嫌いだと言うタイ人が多い。突然の土砂降りにアタマを濡らしたくなく、コンビニ袋を頭に被って駆け出すタイ人が昔は面白かったが、タイでもコンビニ袋が廃止になった今、その姿はもう見られない。ついでにコンビニ袋の底を切り開いてタンクトップにする謎の流行も消え去った。あれは15年くらいまえに思い付いて息子に着せたら喜んでいたのを、うちの奥さんが面白がって撮影してFacebookに載せたらべらぼうにナイスされ、やがて若い女性が真似するのを、「あれはウチがオリジナルだと思う」って控えめに主張してたけど、あんなアタマの悪そうなパフォーマンスのオリジンなんてカッコ悪いでしょ、と諭したら、「ก็จริงนะ(それもそうね)」と笑っていた。まあ起源の主張よりも、若い娘のコンビニ袋タンクトップ姿が消えたことは、ほんの少し、ちょっとだけ残念だ。
 ←頭にコンビニ袋
←コンビニ袋タンクトップ姿の娘達
 あまりに酷い土砂降りだと、ぐずぐずに濡れる。
 タイの土砂降りは、あの遠近法の通用しない車間距離でさえ前の車が見えなくなるくらいの雨粒の密度で、だからいっせいにハザードを点灯させる。土砂降りのことを英語で「Cats and dogs」というのが、ちょっと実感が湧かなかったんだが、タイの土砂降りを見て少し納得がいった。犬猫がドシャドシャ降ってくる感じといえばそんな気もした。まあ実際には北欧神話で猫は雨を呼び犬が風を呼ぶことが語源だとか、ナイル川の滝を表すギリシャ語 “Katadoupoi” が訛ったものとか諸説あるけれど、犬猫がドシャドシャってのは、ない。
 鮫がビチビチ降ってくるついでに人を襲うアメリカのばか映画ならあって、いろんな意味でイヤだったが最後まで観た。ちょっと後悔した。水上竜巻に巻き上げられた鮫が降ってきて人を食うという実話だ。ウソだ。そんな事実が、あるものか。それでもアメリカ人は人口が多いだけあって、ばかも多いから、この映画は幾つものシリーズになった。竜巻では飽き足らず台風で膨大な数の鮫が降ったり、たまたま父がNASAに務めていたので宇宙へ飛んで鮫を撃退したり、タイムスリップしたりして、やりたい放題だ。まえはAmazonのプライムビデオで無料だったから飛ばし観(映画で、これをやる人が信じられなかったが、ばか映画には有効だった)してみたが、現在は有料のようだ。金を払って後悔したい人にはお勧めであるが、こんなことを知っている自分が情けない。
 2011年のタイ中央部大洪水のとき、水道局の浄化槽に洪水の水が流れ込み、水道水が繁殖した藻類でアオサ臭がしたことがあった。もう、緑臭いとしか言いようのない臭いで、まえにも書いたが、おれは鼻が良すぎるのだった。他のタイ人は「そう? 臭い?」って感じで、でもタイで水道水を飲む者はいないから気にもしないのだ。だけど、シャワーを浴びたりするときに、水が臭い。それがイヤだった。ある日、土砂降りのとき、天啓を得たように、がば、と立ち上がり、トランクスひとつで石鹸を片手に外に飛び出し、髪も身体も洗った。パンツの中にも両手を入れて念入りに洗った。まだ幼かった息子も出てきて「きゃははは」とはしゃぐので、息子も洗った。まあ、暑い国だからできることで、でもアレは、めっちゃ楽しいので、東南アジア旅行中に豪雨に見舞われたら石鹸片手に通りに飛び出すといい。道行く人々も、「お、いいな!」って、すっごい楽しそうに笑ってくれるぞ。
 まあ、でも、そんな状況ばかりではなく、濡れるのは構わないが、その後始末が大変なので、普段はカッパを着る。カッパはいい。もう濡れ放題である。すんごく楽しいので、土砂降りになったら用事なんかなくても素早くカッパを装着して外に出る。
 カッパの良さは幾つもある。ひんやりしたヘンな重さもいいが、雨粒が、びたびたと身体を直撃する感じがいい。雨粒が大きいほどいい。でも細かいのもいい。外側がびっちゃびちゃなのに、内側がぜんぜん濡れてないのもいい。そういえば土砂降りのとき、合羽を重ね着して雨の中を歩いたことがあるが、中の合羽はぜんぜん濡れてなくて感心した。二枚重ねる意味がない。意味はないけど二枚重ねると強くなった優越感ていうか無双だぞっていう全能感みたいのが、すんげえ楽しい。あと雨の匂いね。良いよね。そういうのを堪能しながら外を見ていると、風で傘がオチョコになってる人が見られる。
 傘がオチョコの人だ。もう大好きだ。悪魔的にアタマが良くて、微分積分の暗算で傘の湾曲した面を球の表面の一部と仮定して、当たる風の最適角度を瞬時に割り出して「この角度」って傘を差していても、一瞬のデタラメな風向きで傘がオチョコの人になってしまう。
 ばいーん。
 傘がオチョコ。
 どんなに頭の良い人でも、傘がオチョコになると、ばかにしか見えない。
「結婚してください」そう言って指輪を出そうとしたのに、一陣の風で傘がオチョコ。
 ばいーん。
「ごめんなさい」泣いて断るよね。傘がオチョコだもん。そんな奴と結婚なんてできない。
 まあでも、プロポーズの瞬間に傘がオチョコになるのはレアケースで、大概は「うはー。傘がオチョコ」で笑ってもらえる。その瞬間は「面白い人」で、傘をオチョコにしながら振り込み詐欺の連絡をしてくる悪人は、いた例しがない。そう。傘がオチョコの人に悪人はいないのだ。
 だから、風の強い雨の日は、みな傘を差して外を歩くといい。もう、そこら中で傘がオチョコ。平和だよね。富める者にも貧しき者にもみな遍く風が吹き、すべての傘はオチョコになる。想像してごらん。うっとりしちゃう。おれはカッパ派だからささないが。
←傘がオチョコ

Liltan - ในวันที่ฝนพรำ [Official MV]
 さて、今回の歌だ。「ในวันที่ฝนพรำ(ナイワンティー・フォンプラム)」というタイトルで、「雨の日」って感じか。直訳で細かく訳すと「滴る雨の日のうちに」って意味だけど、音は「วันฝน(雨の日)」なんかよりももっと音が綺麗で、言い方も雅やかだ。
 作詞・作曲・歌だけでなくアレンジも録音も自分でやっているようだ。名をลิล ตาล(リル・タン)といい、Wikipediaの記載がないばかりか、芸能ニュースで頻繁に取り上げられているにも関わらず本名・年齢などのプライベートが非公開となっている。
 ずいぶん徹底したプライバシーだなと思っていたら、最近テレビに出て、ついに本名と年齢を明らかにした。まあ本当かどうかはわからないけれど名をตาล นพดล(リル・ノッパドン)といい、歳は23歳(2021年10月時点で)だそうだ。
 それだけ判明しても、それがどうした? って感じだが、SNSの投稿が夥しく、どうやら地方に住んで音楽活動をしているようだ。発表楽曲数は多く、どれも再生数が夥しいうえにチョーが付く人気なので、生活には困らないどころか一財産作っちゃった感じ。10年くらいまえに、将来の音楽産業はこうなっちゃうのかな、と想像したが、こんなに早く実現しているとは。
 日本だとボカロPあたりが、そういう稼ぎ方で、そうでなければインディーズか。どちらも年寄りには今一つ馴染みがないんだが、タイのこういうあり方だとインディーズのルクトゥンやモーラムなんてのがゴロゴロあって、しかもCDなんかと違いサブスクなら無料だ。スマホで観られる。
 そういえばタイは昔から世界で一番スコッチヰスキーの関税と売値が安い国で、理由は簡単。高くするとニセモノが大量に出回ったからで、先代の国王様が「もう、ばかみたいに安くしなさい」と鶴の一声。それまでの偽造業者は軒並み廃業したというのね。そういう下地もあるし、サブスクには抵抗がないのかもしれない。
 サブスクの良いのはわかるが無料コンテンツだと宣伝がウザいというなら、おれみたいにアドブロックでも噛ませておけば広告なんて出ない。もともとは広告にマルウエアを潜ませたコンテンツなんかから身を守るために入れてたけど、最近はウィンドウズのセキュリティーも飛躍的に向上したので、自分から怪しい物を踏みに行かなきゃその心配は、ほぼない。従ってアドブロックは本来の目的の「要らん広告の排除」に勤しんでいて偉い。出てこないから、ありがたさがわからなかったんだが、プライムビデオ経由でYoutubeなんて観ると広告が多すぎて観る気が失せる。ノーガードだと、こんなことになるのか。
 Spotifyも、ブラウザ経由なら広告はでないけど、アプリから聴こうとすると広告がジャンジャンバリバリ入ってくるのでアンインストールしてしまう。まあ、本当はカネ払ってないんだから、広告くらい見ろって言われたら、ぐうの音も出ないんだが。
 タイの老人でもスマホくらいは使うので、国民の人口が日本の半分といってもマーケットは大きいのではないか。だいたいCDなんかのメディアが海賊版対策で薄利で売っていたから、著作権で大きく儲けるという発想がないのか、サブスクの台頭にも「やっぱ出てきたか-。まあ、しょうがないわな」くらいなのかな。黒社会使って潰すほどの儲けがないから、テレビドラマの主題歌を売るためにドラマを作っちゃったりして、昔とはテレビとの相関関係が逆転してるから、既存のレーベルはそういう方向で行くんだろうか。10年後には、どんなふうになってるんだろうね。それでもCDや円盤レコードみたいなのはサブスクで聴取を稼げないニッチなジャズとかクラシックとか、その辺はもう少し生き延びる余地があるかもしれない。いや、難しいかな。
 まあ考えてみたら、こないだ全裸で殺されちゃったお嬢さんが、大手ではなく個人の手による個撮AVなのかどうか断言はできないが、野良モデルだったみたいに、サブスクの闇みたいなのはあるかもしれない。でもサブスク音楽配信は大手よりもオトナがあんなことやこんなことをしたいという欲望の罠が少なそうではある。知らないけど。
 じつは最近Windows Phoneを、ついにやめてアンドロイドスマホに戻った。シェア率が最高でも5%いかなくて、1%切った頃からヤバいなとは思っていたがサポートも終了して、それでも「ウインドウズホンなんでLineできないんですぅ(当初はできたらしいが、そのうち本当にできなくなった)」とか言うのに良かったんだが、さすがに使い勝手が悪くなった。ところが変えてみたら数年使わないうちにアンドロイドも飛躍的に進化しており、まえは設定に半日かかったのが、今はsim挿して初期設定だけ間違えなければ電話機が勝手に設定してくれて、すんげーラクだった。おまけにスマホなのにアドブロック(広告を弾いちゃうアプリ)があることで、PC版のアドブロック並に広告を弾いちゃう。YoutubeもSpotifyもウザい広告なしなのは偉い。日本語のアプリはぜんぜん広告をブロックしないが、英語で検索して出てくる奴はちゃんと広告をブロックするのがあってお勧め。ダウンロードも起動も英語だけど、そんなに難しい英語ではないので高校出てれば問題ない。
 たまーに「アドブロック解除しないと、このコンテンツは観られないよ」みたいな案内の出るサイトもあるけど、音楽配信や動画配信で、これが出たことはない。お勧めだ。って、つい最近アンドロイド使い出したおれが言ってもアレだね。「ご飯はね、そのまま食うよりも水と一緒に鍋で炊いて食うと、旨いよー」みたいに「知ってるよ」案件ぽいな。
 あたりまえのことを書いたかもしれない。自分と他人の区別をつけよう。申し訳ない。

 さて、今回の歌に戻ろう。それほど長いキャリアでもないのに多作で、初期からリズムセクションが打ち込みで、そこにタイ古典音楽の楽器とエッセンスを載せて、でも歌い方はイマふうだった。さいきんタイ古典音楽ぽさを薄めてきてはいるが、民族楽器は律儀に使っているようだ。それほど特異ではないけれど、同じようなことをしている者が、いそうでいないから、その辺はいいのかもしれない。見た目に似合わず爽やかなのもタイ人好みなんだろう。中学生の頃、音楽雑誌を読んでいて「叙情的な歌声」という表現があって、何をテキトーなことを言っておるのだと憤ったことがあったが、こういうのを「叙情的な歌声」というのかもしれない。作曲・編曲の技法的には多彩ではないが、あえて技法を避けているのか、その辺りはわからない。
 では歌詞を。

雨の日 会いたいですか?
わたしがあなたと会えないとき 元気でしょうか?
遙か遠くから あなたのことを心配していて 
病気になったり していないよね
あなたの体は冷たいかもしれない わたしはあなたの心を抱きしめたい
マイクを通しての会話 あなたを抱き締めるほど幸せではない
頬を近づけてそっとささやきたいのに あなたがいなくて寂しい
雨の日は鳥みたいに飛んで戻って 膝の上に寄り添いたいと思う
風になんかなりたくない 雨からあなたを守って抱きしめたい

わたしは悲しむことしかできません
あなたに吹く 遠くの誰か
なぜ雨季は こうも寒いのか
10枚の布で覆われても 彼の心が温まることはない

会える日を 待っています
あなたがわたしの隣で寝ているという夢 それは幻
じっさいには毛布を抱き締めて でもそれはあなたではない
あなたを抱きしめる日まで あなたは寂しいのだろうか

あなたを抱きしめたい あなたがいなくて寂しい

遠く離れていても わたしの心を癒やす薬はあなただけ
わたしが持っていないものを いつも与えてくれてありがとう
あなたと一緒にいれば わたしはとても幸せ
あなたのそばにいるとき 時間を止めたい
あなたがいなくて寂しい あなたがいなくて寂しい
あなたがいない時 その流れはとても遅く
何万人もの人がいるのに あなたと同じではない
ええと あなたはいつもわたしの恋人
雨から逃げるために 誰かを抱きしめたりしないでください
雨から逃げるために 誰かを抱きしめたりしないでください

 詞はどうってことないね。まるでプロっぽくないんだけど、シンガーソングライターの詞にありがちな素直な心情吐露ってことか。
 この詞を読んでも、雨が好きなタイ人なんていないんじゃないかと思えるんだが、そうじゃない人もいて、たとえばうちの奥さんがそうで、雨が降っていると機嫌が良く、嬉しそうに外を眺めている。だから奥さんのぶんも合羽を買って、一緒に外へ出たことがあるんだが、これは不評だった。合羽が肌にベタベタするのがイヤなんだってさ。あと雨粒が当たる感じも好きじゃないって。うそだろ。すっげぇ面白いのに。そこを力説してたら、珍しく溜息ひとつ吐いて「日本人って、ヘン」と言われてしまった。いや。日本人が皆そうだとは思わないんだが、なんかすいません。大方の日本人にとっては冤罪のような気がした。

 きゅうに思い出した。21世紀になってからの話だ。知人に「飲もう」と誘われ、行ってみたら脇腹を押さえながら「さっき退院してきたんだけど肋骨が折れて、やっとくっついたんだ。医者は、もっと入院してろって言うけど、そんなに休めるわけないじゃんか。無理言って退院してきたんだ。もう飲みたくて飲みたくて。だから笑わせないでくれ。ひどく痛い」と言う。
 そんなの、笑わせてくれって意味だと思うよね。
「自宅のトイレで転んじゃってさあ、ばいーん、って。その拍子に便器に脇腹を打ち付けたんだ。あんまり痛いから病院に行ったんだよ。何か湿布の強力なやつでも貰おうと思って。そしたら、骨折ですね、とか言いやんの」
 ばいーんって。どんな転び方なの。普通その擬音は選ばないでしょ。
「いや。ばいーん。ばいーんなんだよ。滑った拍子に飛んだの。ばーいん、って」
 あ……。飛んだ。
「飛んだ飛んだ。水平だよ。身体が。便器が遠くに、小さく見えたもんね」
 そんなに!
「おう。飛んだよ。ほら、うちの便所、天井ないからね。吹き抜けだもん」
 ふーきーぬーけー。
「うん。おまけに床もないからね。もう転んだら大変なんだよ」
 うんこ、命懸け。
「そうだよー。しょんべんだって命懸けだよ」
 しょんべん・オブ・ジョイトイ。
「いててて。だから笑わすなっての」
 しっかし、それ。ばいーん、とかじゃないんじゃないの。
「ん? どういうこと?」
 いや。だからそれ、ばいーん、とかじゃなくて、むしろ、ぼよーん。いや。ぼよよーんだよね。ばいーんは、違うわ。
「あいたたた。いててて。やーめーろー! あ。いや。ほんと痛いわ」
 見る見るうちに知人の顔が青ざめ、脂汗をかきだした。
 やばい。青ざめて脂汗って。これ、骨が折れた人のやつだ。
 けっきょく、店の人が救急車を呼んで、病院に連れて行って貰ったら、やっぱりくっついた骨がまた折れてた。
「もう治るまで、きみとは飲まない」
 なんか、おれが悪いようなことになってる。まあ、多少は責任も感じたんで、謝った。
 ごめんね。ばいーん、じゃなくて、むしろぼよーん、とか、いやぼよよーんとか言っちゃって。
「だーかーらー。やーめーろー」
 うん。ついでに、しょんべん・オブ・ジョイトイも、いかんかったよね。もうお互い40過ぎだ。ホントごめん。反省してっから。
「いてててて。たのむから、帰ってくれ」

 あれから ぼくたちは おとなに なれただろうか。

 あと、ぜんぜん関係ないが、最後にこの曲を貼っておこう。プロの仕事だ。曰く「昭和90年代歌謡」だそうで、歌っていた娘達は去年解散してる。すげぇな。8年半も活動してたのか。まあ、言わずもがなだが、プロってのはスタッフを指して言ってることだ。娘達は、別の意味でプロかもしれんが、どうでもいい。
【MV】A応P「はなまるぴっぴはよいこだけ」FULL Ver.

←「ばいーん」というより「ぼいーん」だろと思ったら、やっぱり「ばいーん」だったやつ



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