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続続続・鎮海の桜

2006年04月07日 00時35分15秒 | 本・その他
【続続続・鎮海の桜】
 きのうの続きです。
 『ある日韓歴史の旅―鎮海の桜』(朝日選書)から、桜に関する部分を抜粋しながらご紹介します。
 《》がその引用部分と掲載ページです。  は私のコメントです。


第5章 桜祭りのなかで
 2 桜とナショナリズム
  [本居宣長と山田孝雄]
  [済州島原産の桜]
244ページ《日本以外にも自生している桜の品種は多くあるが、近代以降、日本の桜の植樹の中心となった品種、ソメイヨシノの原産地が韓国・済州島であるという研究論文が、1932年に日本の植物学者・小泉源一(京都帝国大学教授)によって発表されたのは、前節での『鎮海市史』の記述のとおりである。雑誌『植物分類・地理』第1巻第2号(1932年)に収められた「染井吉野桜の天生地分明す」と題された論文である。》

246ページ《小泉源一の論文の趣旨をまとめると、つぎのようになるだろう。
a ソメイヨシノザクラの原産地は済州島である。
b 幕末に済州島から吉野経由で江戸にもたらされたと考えられる。
c この朝鮮桜は通俗的で、山桜のような気品がない。

 「桜=日本」というイデオロギーが学問の世界をもおおっていく1930年代の日本で、小泉がaのように、科学的事実確認をおこなおうとしたことは特筆に値する。しかし、だからこそ他方で、cのように、自然科学の専門雑誌の論文において、ソメイヨシノに対する個人的な感情をなぜこのようにしてまで表さなくてはいけなかったのかということが、かえって奇異に思えるのだ。 <中略> 政治が学問の世界に介入した軍国主義の時代のなかで、aを唱えるための計算(カモフラージュ)であったのか。》

247ページ《第30回軍港祭(1992年)のパンフレットには、韓国の林業研究院のキム・ジョンインが、ソメイヨシノ韓国原産地説を紹介している。そのなかで、「[済州島]漢拏山(ハルラサン)で発見された自生種は、1932年、日本人小泉源一が2本[1本の誤り]、翌年、竹中要が1本を発見した」と記され、小泉論文は韓国原産説を支持する論拠のひとつとされている。日本人研究者でさえ韓国原産説を唱えているのだという文脈である。》

  [ソメイヨシノの出自]
247ページ《キム・ジョインの論文で、小泉源一と並べられた竹中要は、たしかに済州島の現地を踏査して小泉の発見した一本の「ソメイヨシノ」を確認したのだが(したがって、キム論文の「翌年、竹中要が一本を発見」も不正確な記述)、竹中の調査は、じつは、キム論文の趣旨とは反対に、小泉の済州島原産説に疑問をもったことにもとづくものであった。

 その疑問点は、第一に、ソメイヨシノの結実性がひじょうに低い(実ができない)という点についてである。地下茎とかで繁殖するものでなければ、このような植物は自然界では淘汰されてしまうのではないか、いいかえれば、ソメイヨシノは人為的な産物ではないかということである。(実際、ソメイヨシノは種子によってではなく、挿し木によって増やす)。

 第二には、ソメイヨシノが他のサクラと比べ、生育が極端に早いことである。これは「雑種強勢」ということを連想させる。つまり、ソメイヨシノは雑種ではないかという疑いがもたれる(竹中要「染井吉野というサクラ」『遺伝』、1958年11月号)。》

248ページ《このような疑問をもった竹中は、1933年4月、京都に小泉を訪ね、自生していたとされるソメイヨシノの状態や数量をたずねた。しかし、その面談だけでは疑いが晴れなかったため、実際に済州島に行って追跡調査をすることにした。》
249ページ(竹中は)《「ソメイヨシノが済州島の至るところに生えていたという仮定と、それがまた種子をつけて同じようなものを生ずるという仮定とが許されるならば、この済州島原産、吉野経由の渡来説はかなり真実性をもってくる。しかしそれらの仮定はどうも許されそうもない」と、のちに振り返っているように(「ソメイヨシノの合成」『遺伝』、1962年4月号)、このときの調査だけでは、疑問を解くことはできなかった。》

249ページ《戦後、竹中は、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の設立運動にかかわり、細胞遺伝部長となったが、設立事務がひと段落した1951年から、ほぼ20年ぶりにソメイヨシノの起源についての研究を再開した。》
249ページ(竹中は)《その研究成果を1962年、「ソメイヨシノの合成」という論文にまとめて発表した。
 この論文のなかで、竹中は、「ソメイヨシノは、エドヒガンとオオシマザクラとの雑種であるということはもはや間違いのない事実となった」といい切っている。小泉説が世に出てから、じつに、三十年後のことである。》

250ページ《竹中は、その論文をつぎのように結んでいる。
 結論として、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンとの雑種F1であり、それが自然に発生したものならば、染井の植木師の庭と考えるよりも伊豆半島と考えるのが妥当であろう。しからば済州島のソメイヨシノ類似品はどうしてできたのであろうか。恐らくエイシュウヤマザクラとエドヒガンの雑種であろう。これについてももっか研究中である。(前掲論文)》


250ページ《竹中はこの研究を最後まで続けることができずにこの世を去ったが、ソメイヨシノについては、現在では、最新のDNAプリンティング(鑑定法)を用いた京都大学の研究グループにより、竹中の結論どおり、それがオオシマザクラとエドヒガンとの一回の交配によってつくられた雑種(ハイブリッド)であること、つまり現存するすべてのソメイヨシノはその一本の親木のクローン(複製)であることが確認されている(「Japanese Journal of Genetics」第70巻、1995年)。これによって、小泉の済州島原産説は、最終的に否定されたことになる。》

なんでだろう、本当だろうかと云う、学者の知的好奇心、探究心の凄さには驚くとともに頭が下がります。
 「現存するすべてのソメイヨシノは一本の親木のクローン(複製)」だなんて話は、酒場で若い女の子に披露するにはいい「薀蓄」だなぁ、なんてことを考えています。桜が散ってしまわない内に久しぶりに顔を出して行こう。

この次で本当に終わりにします。

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