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最強の投資家 バフェット ④ライフスタイル

2005年09月21日 21時19分14秒 | 本・その他
 牧野洋「最強の投資家 バフェット」(日経ビジネス人文庫)
 きょうは、バフェットのライフスタイルに関するところを書き移してみます。
 
  が引用部分で、 が引用部分の終わりです。

(10頁) 【大物経営者たちの「オマハ詣で」】
 酪農とトウモロコシで知られる米中西部のネブラスカ州オマハ。人口40万人足らずの、どこにでもあるような米国の地方都市である。何か地元が誇りにするものがあるとすれば、それは極上ステーキくらいのものだろう。

 こんな町に米国を代表する企業の経営者がやってくることがある。しかも過去数年、一般の住民がこんなことが起きているとは知らない中で、大物経営者の訪問回数が大きく増えている。・・・(中略)・・・目的は一つ。「オマハの賢人」のニックネームを持つウォーレン・バフェットに会うためだ。
 
(27頁) 【「メーンストリート」の代弁者】
(バフェットは)「ウォールストリート(金融街)」ではな「メーンストリート(大衆街)」の代弁者とみなされる。高級フランス料理よりもマクドナルド、ボルドーワインよりもチェリーコークを好むなど、大富豪とは相容れないメーンストリート的な嗜好や性格も影響している。

(59頁) 【25歳で1億円以上の資産】
 パフェットはゼロからスタートし、その後も誰からも援助を受けずに巨万の富を築いた。父親のハワードが1964年に死んだ際にも、遺産を相続せず、母と姉妹が代わりに相続した。ハワードが下院議員だったことが影響したのか、後年にどんなに大きな富を手に入れても政府に絶対の信頼を置き、自ら所得の確定申告を行った。不正な取引を忌み嫌い、法律的にも道徳的にも正攻法を貫いた。

(86頁) 【キャサリン・グレアムに接近】
(ワシントンポストの社主)グレアムは自著の中で、バフェットとロサンゼルスで面会した時の様子を次のように記している。
 「まず、ウォーレンの風貌に驚かされましたウォール街の銀行家や実業界の大物とはとても似つかないのです。野暮な中西部のおじさんといった感じでした。でも、彼の頭脳とユーモアにたちまち惹き込まれました。彼が私にとって魅力的なのは、その後もずっと変わりません。私は後で友人に、「もしこの世にミスター・クリーン(正真正銘に潔癖な人)がいるとしたら、それはバフェットです」と書いたほどです」

(220頁) 【片時も炭酸水を手放さない】
 バフェットはチェリーコークの大ファンで、片時もこの炭酸水を手放さない。コカ・コーラがチェりー・コークのテスト販売を開始した1984年、キーオから新製品を受け取るとすぐに気に入り、ペプシ党からコーク党へ乗り換えた。1985年に開いたバークシャーの年次株主総会ではチェリーコークをバークシャーの「公式ドリンク」にすると宣言。一日にチェリーコークを5本飲む彼は、常にチェリーコークが手元にあるように、12本入りの箱を一度に50箱買うようになった。もちろん自分の足で買い出しに行く。
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