五月のゴールデンウィークの頃から「時代小説」の中でも「剣豪もの」にハマっています。
《隆慶一郎の作品を読んでしまうと、他に読むものがない。そこで、隆慶一郎によって時代小説の世界を知った若い読者たちは、同じ匂いを探して時間線を遡っていく。
そうして「発見」したのが山田風太郎である。平成の「山田風太郎再ブーム」は、隆慶一郎シンドロームが生み出したものであることをくどいようだが銘記しておきたい。そして、その匂いとは伝奇ロマンであったことを付記しておく。誤解されないように書いておけば、隆慶一郎と山田風太郎が同じラインの作家であったわけではない。その持ち味はかなり異なる。この二人の作品に共通する伝奇ロマンこそ、平成の読者が探していた匂いだったということだ。
こう指摘するのは北上次郎氏である。「文芸春秋」2002年10月号、「平成の時代小説ベスト35」から引用した。慧眼、と思う。わたしも平成の「若い読者たち」の一人だったから、実感としてよくわかる。では山田風太郎を読んでしまったら、次には何を読めばいいのか。伝奇ロマンという同じ匂いを探して、今もう一度、時間線を遡ってゆこう。すると、そこに待ち構えているのは、
――五味康祐
でなくてはならぬ、とわたしは思う。断々乎として、そう思う。》
五味康祐の「剣法奥儀」(文春文庫)の解説を荒山徹が書いているが、その冒頭の文章です。
『隆慶一郎と山田風太郎が同じラインの作家であったわけではない。その持ち味はかなり異なる』とありますが、どのくらい異なっているかと言うと、「北京原人と現代人ぐらい違う
」というのが私の意見です
。
それと、五味康祐の文章は品格があって素晴らしい![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
この年になるまで読んだことが無かったのが恥かしくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
そうして「発見」したのが山田風太郎である。平成の「山田風太郎再ブーム」は、隆慶一郎シンドロームが生み出したものであることをくどいようだが銘記しておきたい。そして、その匂いとは伝奇ロマンであったことを付記しておく。誤解されないように書いておけば、隆慶一郎と山田風太郎が同じラインの作家であったわけではない。その持ち味はかなり異なる。この二人の作品に共通する伝奇ロマンこそ、平成の読者が探していた匂いだったということだ。
こう指摘するのは北上次郎氏である。「文芸春秋」2002年10月号、「平成の時代小説ベスト35」から引用した。慧眼、と思う。わたしも平成の「若い読者たち」の一人だったから、実感としてよくわかる。では山田風太郎を読んでしまったら、次には何を読めばいいのか。伝奇ロマンという同じ匂いを探して、今もう一度、時間線を遡ってゆこう。すると、そこに待ち構えているのは、
――五味康祐
でなくてはならぬ、とわたしは思う。断々乎として、そう思う。》
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『隆慶一郎と山田風太郎が同じラインの作家であったわけではない。その持ち味はかなり異なる』とありますが、どのくらい異なっているかと言うと、「北京原人と現代人ぐらい違う
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それと、五味康祐の文章は品格があって素晴らしい
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この年になるまで読んだことが無かったのが恥かしくなります。