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司馬遼太郎:日韓断想

2005年07月09日 22時45分10秒 | 本・司馬遼太郎
 昨日は夕方まで一日仕事で外出してましたが、帰宅途中、本屋によってブラブラしました。文庫本の棚の所で司馬遼太郎さんの「以下、無用のことながら」(文春文庫)と云う本を見つけ、面白そうだったので買い求めました。

 全部で71篇のエッセーが収められていますが、その中に「日韓断想」という一篇があり、先週4回に分けて書き写した「李朝と明治維新」に登場した紀行文「海游録」の著者申維翰が又も登場していました。

 文章の綴り方の訓練を兼ねて、これも書き写してみます。多分今週一杯位かかると思います。


【司馬遼太郎:日韓断想①】
 この小論は今から21年前に書かれたもので、付記によると、"韓国「中央日報」の一九八五年元旦用の紙面のために書いたもの"で、その日本文が「季刊三千里 第四十二号」(1985年5月1日刊)に掲載されたと云うことです。

  『』が原文です。

 『――私、明日叔母の家にゆきます。
 こんなへんな(?)語順をもつ言葉が、私ども(朝鮮人や日本人。以下同じ)が使っているウラル・アルタイ語である。この点、中国語や英語、フランス語はちがっている。単語がレンガのようにできていて、文章がレンガ積みのようになっている。レンガ積みの構造物が力学を無視すれば成立しないように、中国語やインド、ヨーロッパ語は上等な表現でいうと、論理そのものといっていい。』

 『その点、私どもの言葉はハリガネ細工のようにクネクネしていて、構造として論理的ではない。「私、あす、叔母の家に行っちゃうわよ」といえばヒステリックになって家出でもしそうな言葉になる。さらには、意思表現が、最後に来る。「あす、叔母の家に行き・・・」とまでいってからしばらく考えて、「ません」ということもできる。まっすぐなハリガネをにわかに曲げるようなものである。レンガ積み構造ではないから、文章が瓦解するわけではない。』

 『ちょっと独断になるが、こういう言葉を使っていると、思考が乾くいとまがないだろうと思う。論理はレンガのように乾燥したものである。情緒は接着剤のようにいつも濡れている。朝鮮人や日本人の多くが好む感傷的な歌謡曲をきいていると、大脳までが涙で水びたしになりそうになるのは、私たちが本来感傷的な民族(複数)であるというよりも、言語(この場合、歌詞)が情緒的で、私どもの言語感覚が情緒に敏感であり、作詞者が効果を期待した以上に、受け手の言語的感受性が大きく戦慄するせいかともおもわれる。』

 『べつに、朝鮮人や日本人が、大脳生理学的に情緒過剰な民族(複数)であるとはおもえないのである。以下、こんな話をつづけたい。もっとも思いつくままだから、話が、ハリガネ細工のようにとんでもない方角にまがってゆくかもしれない。』


 『私は旧制中学を卒業して上の学校へ行ったとき、いっぺんにモンゴル語と中国語とロシア語を学んだ。教える側からいえばまことに贅沢な供給だったが、受ける側の私の頭の容量が小さすぎて、結局、一語も物にならなかった。それはともかく、モンゴル語というウラル・アルタイ語の一派を学んだ実感は、私にとって特別な経験だった。この貴重さは、たとえば生涯減ることのない電池を頭に入れてもらったようなものだと思っている。』

 『私は、日本の若いひとに、「朝鮮語を学びなさい」とすすめている。もし、韓国の若い人に、日本語を学ぶべきか、と相談されたなら、ためらうことなく、
「ぜひ、せめて第二外国語としてでも。――」
 と、すすめるだろう。どちらの場合も、理由は一つである。自分の母国語と同じウラル・アルタイ語の言語を学ぶことによって、刃物を砥石で研ぐような過程と結果がうまれるからである。つまり、自分の中の母国語を客観視することができ、双方のあいだの微妙なちがいがわかり、人間の言語一般について考えるおもしろさも、ご馳走を前にしたときに唾液が湧くようにして涌いてくるはずである。』

 『結果として、自分の中の母国語が研ぎすまされてくるはずで、この好例は、いまは亡き金素雲先生においても見ることができる。私は、一九五四年ごろ、大阪で一夕を共にした。会う以前に、日本ですでに古典的存在にになっている「朝鮮詩集」(岩波文庫)によってこの人のことを知っていたが、会ってその言語感覚の豊富さときらびやかさに圧倒される思いがした。』
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